1962年6月12日朝。
フランク・モリス、ジョン・アングリン、クラレンス・アングリンの3人が監房から消えていることが確認されると、アルカトラズでは直ちに捜索が始まりました。
しかし、島内を調べても3人はいませんでした。
北東岸から先に残ったのは足取りではなく、海と海岸から回収された物でした。
手製のパドル。
アングリン兄弟に結びつく写真などを収めた防水パケット。
レインコート製の救命胴衣。
ゴム素材や木片。
そして、どれだけ探しても見つからなかった完成筏と3人本人。
FBI、沿岸警備隊、刑務所当局、陸軍関係者らは、湾内、Angel Island、Marin County沿岸、Golden Gateの外側まで捜索範囲を広げました。
それでも、
3人がどこへ到達したのかを確定できる証拠は見つかりませんでした。
第6回では、「何が見つかったか」だけでなく、
その物証から何まで言えて、何は言えないのか
を分けて整理します。
この記事で分かること
- 6月12日朝、FBIと沿岸警備隊がどの範囲を捜索したのか
- Angel Islandで何人規模の捜索が行われたのか
- 6月12日夜に回収された手製パドルはどこで見つかったのか
- 6月14日の防水パケットに何が入っていたのか
- 6月15日と22日に見つかった救命胴衣はどこから回収されたのか
- FBI Laboratoryがレインコート素材をどう比較したのか
- 完成した筏が回収されていないことの意味
- Fort Cronkhiteで救命胴衣が見つかったことが「上陸成功」を意味しない理由
- 7月17日に報告された海上の遺体目撃をどう扱うべきか
- 初期捜索で最後まで確認できなかったことは何か
CASE FILE 12|アルカトラズ脱獄事件特集(全10回)
この特集では、アルカトラズ連邦刑務所の構造、4人の計画者、数か月に及んだ工作、1962年6月11日夜の脱出、FBIによる捜索、湾内で発見された物証、生存可能性、生存説、映画と史実、現在まで続く逃亡者捜索を10本の記事で追います。
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第1回 アルカトラズ脱獄事件とは?|1962年、消えた3人と未解決の脱獄を追う
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第2回 なぜアルカトラズから逃げられたのか|監房・通路・島を囲む海の構造
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第3回 フランク・モリスとアングリン兄弟は誰だったのか|4人目アレン・ウェストと脱獄計画
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第4回 スプーン、偽の頭、50着超のレインコート|脱獄道具と秘密の作業場
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第5回 1962年6月11日夜、3人はどう脱獄したのか|監房から北東岸までのルート
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第6回 FBIは何を見つけたのか|パドル、救命胴衣、漂流物と大捜索【現在の記事】
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第7回 3人はサンフランシスコ湾を渡れたのか|潮流・水温・筏と生存可能性
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第8回 アルカトラズ脱獄の生存説はどこまで確かか|手紙・写真・家族証言を検証
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第9回 映画『アルカトラズからの脱出』はどこまで実話なのか|1962年脱獄との違いを検証
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第10回 アルカトラズ脱獄事件のその後|FBI捜査終了と現在も続く3人の手配
今回は脱獄経路そのものではなく、6月12日以降に捜索側が何を探し、何を回収し、何を結局確認できなかったのかを、発見日時と場所を分けて整理します。
6月12日朝|「島にいない」と分かった瞬間から海上捜索になった
3人の不在が確認されると、刑務所は封鎖され、島内の捜索が行われました。
FBIも直ちに捜査へ加わります。
現在のFBI事件史によれば、San Francisco支局は3人の過去の逃走歴や身元記録を確認するため全米のFBI事務所へ照会を出し、親族を面接し、湾内の船舶運航者へ不審な漂流物を監視するよう求めました。
ここで捜査は二つに分かれます。
| 方向 | 目的 |
|---|---|
| 人を追う | 本土上陸、親族との接触、車両・衣服・金銭の入手、既知の逃走先を確認する |
| 物を追う | 筏、救命具、パドル、防水パケットなどが潮流でどこへ流れたかを確認する |
事件直後には「3人がまだ島内に隠れている」可能性もありました。
しかし島内で本人が見つからず、北東岸までの脱獄経路が再構成されるにつれ、捜索の中心はサンフランシスコ湾へ広がっていきます。
沿岸警備隊|40フィート艇2隻が24時間態勢で湾を捜索した
FBIの1962年捜査記録では、U.S. Coast GuardのSan Francisco港湾部門が、6月12日から40フィート級の巡視艇2隻を24時間態勢で運用したとされています。
重点的に捜索されたのは、
- San Franciscoの埠頭とヨットハーバー
- Alcatraz Island周辺
- Angel Island周辺
- BelvedereからGolden GateまでのMarin County湾岸
でした。
さらに沿岸警備隊のヘリコプターも投入され、6月12日から22日までほぼ毎日、湾内とGolden Gate外側の海岸線を捜索しています。
FBI記録では、海岸線はGolden Gateから北と南へそれぞれ約20マイルの範囲まで確認され、特に入り江や谷筋が重点的に見られました。
つまり初動は、
「アルカトラズのすぐ周囲だけを探した」規模ではありません。
FBI自身も船と小型機を使った
FBI捜査官は6月12日と13日、小型船でMarin County側の湾岸を捜索しました。
さらに6月12日には、Marin CountyのDeputy Sheriffらとともに小型機を使った空中捜索も行われています。
対象は、
- San QuentinからGolden Gate BridgeまでのMarin County側
- San Franciscoのウォーターフロント
- Point Richmond周辺
- Alcatraz IslandとAngel Island周辺
でした。
海面の漂流物だけでなく、
「どこかの海岸へ上がり、物陰や建物へ隠れていないか」
まで同時に探していたことが分かります。
Angel Island|最初に重点捜索された「計画上の目的地」
第5回で扱ったアレン・ウェストの供述では、脱獄者たちは最初にAngel Islandへ向かう計画を持っていたとされています。
そのためAngel Islandは、事件直後から最重要捜索地点の一つになりました。
FBI記録では6月12日、San Francisco Presidioの軍人・Military Police約35人が島を捜索し、一部はそのまま夜間も残りました。
翌13日にはさらに134人が投入され、FBI捜査官とともに島を詳細に調べています。
捜索対象には、
100棟を超える使用されていない建物
も含まれていました。
陸上から入りにくい海岸は、小型船から捜索されています。
しかしFBI記録の結論は明確です。
3人がAngel Islandへ到達したことを示す証拠は見つかりませんでした。
6月12日22時15分|Angel Island沖で手製パドルが見つかった
同じ6月12日の夜、最初の重要な海上物証が回収されます。
U.S. Coast Guardの記録によれば、22時15分ごろ、巡視艇がAngel IslandのPoint Stuart付近からPoint Knox方向へ移動していた際、海面に浮かぶ物体を発見しました。
回収すると、それは手製の木製パドルでした。
FBIの現在の事件解説は、刑務所内に残された手製パドルと、Angel Island側で回収されたパドルの構造が非常によく似ており、使用された真鍮ボルトも同じ種類だったと説明しています。
重要なのは、
パドルがAngel Islandそのものの陸上で発見されたのではなく、島の岸から離れた海上で回収された
ことです。
したがって、
パドルがAngel Island付近にあった = 3人がAngel Islandへ上陸した
とは言えません。
潮流で流れてきた可能性を除外できないからです。
FACT CHECK|Angel Islandでパドルが見つかったなら、計画どおり島へ着いたのでは?
FBI一次記録では、パドルはAngel IslandのPoint StuartとPoint Knoxの間の沖合で巡視艇が回収しています。
さらに、6月12~13日の大規模な島内捜索では、3人が上陸した痕跡は確認されませんでした。
したがってパドルは「脱獄装備がAngel Island周辺の水域まで流れた」ことを示す物証ではありますが、上陸成功の証拠ではありません。
6月14日|アルカトラズ東側の渦から防水パケットが回収された
6月14日、U.S. Army Corps of Engineersの漂流物回収船からFBIへ連絡が入りました。
Alcatraz Islandの東、およそ半マイル付近の渦で、オリーブ色の小さなパケットが回収されたためです。
FBIの当時の通信記録では、回収されたのは2個。
外周は、刑務所支給のレインコートに似たゴム引き素材を、筏や救命具と同様の方法で熱圧着したように見えました。
中には79枚の写真があり、その一部にはジョン・アングリン、クラレンス・アングリン本人が写っていました。
後のFBI Laboratory提出リストも、これを
「アングリン兄弟と識別できる個人物品を含むパケット」
として扱っています。
これは「脱獄者と無関係な漂流物」ではありません。
少なくともアングリン兄弟の持ち物が、脱獄後に湾内へ出たことを示す強い物証です。
防水パケットが示すこと|海へ持ち出す前提で準備されていた
写真のような紙類は、そのまま海へ持ち出せば濡れます。
にもかかわらず、個人物品はレインコートと同系統の素材で防水されていました。
この点は、筏・救命具だけでなく、
上陸後も保持したい私物まで、水上移動を前提に包装していた
ことを示します。
ただし、そのパケットがAlcatraz東側で見つかった理由は一つには決められません。
- 筏から落ちた
- 意図的に捨てた
- 筏や救命具が破損した際に流出した
- 上陸後に潮へ戻された
どの経路だったかを物証だけから選ぶことはできません。
6月15日|Golden Gateの外、Fort Cronkhite Beachで救命胴衣が漂着した
翌6月15日、さらに注目される物証が見つかります。
Marin County側、Golden Gate Bridgeの外側にあるFort Cronkhite Beachで、海岸を歩いていた人物が沖に浮かぶ物体を見つけました。
約10分後、それは岸へ打ち上げられます。
手製の救命胴衣でした。
FBIは、刑務所で回収されていたレインコート製救命具と、素材・作りが一致するタイプだと確認しています。
回収時、救命胴衣は大部分が原形を保っていましたが、縫い目に小さな裂け目があり、空気注入口を閉じるための部品も失われていました。
この発見を受け、FBIは6月15~17日にFort Cronkhiteと隣接するKirby Beachを詳しく捜索しました。
しかし、
その地域から3人本人や、上陸を示す追加証拠は見つかりませんでした。
現在の地図で捜索範囲を見る
以下は現在のSan Francisco Bay周辺です。1962年の漂流経路や3人の航跡を再現するものではありません。
Alcatrazの北にAngel Island、Golden Gateの外側・Marin County側にFort Cronkhiteがあります。パドル、防水パケット、救命胴衣は同じ場所ではなく、湾内から外洋側まで離れた地点で回収されました。
6月22日|Alcatraz東側でも別の救命胴衣が見つかった
FBI Laboratoryへ送られた証拠品一覧では、6月22日にも別の手製救命胴衣が回収されています。
場所は、
Alcatraz Islandの東、約50ヤードの湾内
でした。
これにより、事件後に回収された救命具は一つではなかったことが分かります。
FBI Laboratoryは、
- 刑務所内に残されたレインコート
- セルブロック上部の救命胴衣
- Fort Cronkhiteの救命胴衣
- Alcatraz東側の救命胴衣
- 未完成の筏部分
- アングリン兄弟の防水パケット素材
などを比較しました。
これらには同系統のrubber-coated cotton fabric、つまりゴムで被覆された綿素材が使われていました。
物証同士を、「刑務所のレインコート工作と無関係な漂着物」ではなく、同じ脱獄準備の系統として結びつける重要な検査でした。
救命胴衣の空気保持試験|結果は「即座に沈む」ではなかった
FBI Laboratoryは救命胴衣を実際に膨らませ、空気保持状態も検査しています。
セルブロック上部に残されていたものは、数時間にわたってほぼ完全に気密性を保ちました。
一方、Fort Cronkhiteと湾内から回収された救命胴衣は、約1時間で空気の大部分を失いました。
ただしFBI Laboratoryは、空気の抜け方は急激ではなく、口で空気を補える可能性があるとも記録しています。
ここから言えるのは、
手製救命具が最初からまったく機能しない工作物ではなかった
ということです。
しかし「3人がそれを使って生存できたか」は、この検査だけでは決まりません。
その問題は、水温と潮流を含めて第7回で扱います。
完成した筏は見つからなかった
FBIとBureau of Prisonsの記録には、パドル、複数の救命胴衣、防水パケット、ゴム素材などが登場します。
ところが、3人が持ち出したとされる完成した約6×14フィートの筏そのものは、確実な形では回収されていません。
刑務所内の秘密作業場から見つかったのは、残された救命具や未完成の筏部分などです。
そのため、
- 完成筏が正常に膨らんだのか
- 3人が実際に乗ったのか
- 途中で破損したのか
- 漂流したが発見されなかったのか
- どこかへ到達後に処分されたのか
は確定できません。
この「完成筏がない」という空白が、事件を未解決のままにしている大きな理由の一つです。
大捜索で「見つからなかった」ことも証拠になるのか
捜査では、何かを見つけた記録だけでなく、
どこをどれほど探しても見つからなかったか
も重要です。
Angel Islandでは、100棟を超える未使用建物まで含む大規模捜索が行われました。
Fort CronkhiteとKirby Beachでも、救命胴衣の漂着後に追加捜索が行われました。
Marin County沿岸、San Francisco waterfront、Golden Gate外側の海岸線も、船・航空機・ヘリコプターで繰り返し確認されています。
それでも、
- 3人本人
- 確実な上陸地点
- 上陸直後の衣服
- 完成筏
- 3人がAngel Islandで過ごした痕跡
は確認されませんでした。
ただし、
「見つからなかった」ことは「存在しなかった」ことの絶対的証明ではありません。
捜索範囲が広くても、湾岸・海中・漂流物を完全に回収することはできないからです。
7月17日|Golden Gateの外で「遺体を見た」という報告
初期捜索から約1か月後、FBIはもう一つの情報を追っています。
ノルウェー船S.S. Norefjellの乗組員が、7月17日17時45分ごろ、Golden Gateの北西約20マイルの太平洋上で、うつ伏せに浮かぶ遺体を見たという報告です。
遺体は白っぽいズボンを着ていたとされました。
船はアメリカを離れる途中で、遺体を回収しませんでした。
FBIは沿岸警備隊の行方不明・溺水記録と照合し、似た服装のまま行方不明だった人物として脱獄者たちを検討しています。
しかし、
遺体は回収されず、身元確認も行われていません。
したがってこの目撃を、
「3人のうち1人の遺体が見つかった」
と書くことはできません。
FACT CHECK|「脱獄者の遺体が海で発見された」という話は本当?
FBI一次記録で確認できるのは、7月17日に船から遺体らしきものが目撃されたという報告です。
その遺体は回収されなかったため、指紋、歯科記録、衣類、DNAなどによる本人確認はありません。
Bureau of Prisonsの後年の概要には「数週間後、刑務所服に似た青い衣服を着た男性の遺体が海岸近くで見つかった」とする簡略な表現もありますが、FBI一次ファイルの具体的な記録は「沖合で目撃されたが未回収」です。
本記事では、より具体的な一次捜査記録を優先し、未確認の遺体目撃として扱います。
回収物を時系列で整理する
| 日付 | 物証・情報 | 場所 | 確実に言えること |
|---|---|---|---|
| 6月12日 | 手製パドル | Angel Island・Point Stuart付近の沖合 | 脱獄用パドルと同系統の物がAngel Island周辺水域へ流れた |
| 6月14日 | 防水パケット2個 | Alcatrazの東約0.5マイルの渦 | アングリン兄弟に結びつく個人物品が湾内へ出た |
| 6月15日 | 手製救命胴衣 | Fort Cronkhite Beach | 脱獄工作と同系統の救命具がGolden Gate外側まで漂着した |
| 6月22日 | 別の手製救命胴衣 | Alcatraz東約50ヤード | 複数の手製救命具が海へ出た |
| 7月17日 | 未回収の遺体目撃 | Golden Gate北西約20マイルの太平洋上 | 身元不明の遺体が目撃されたという情報があっただけで、脱獄者とは確認されていない |
物証から「3人は死んだ」と言えるのか
言えません。
救命胴衣が海岸へ漂着したことは、装備の一部が3人の手元から離れたことを示す可能性があります。
しかし、
- 海上で事故が起きて失った
- 不要になって捨てた
- 上陸後に海へ戻った
- 最初から全員が着用していなかった
など複数の説明が残ります。
防水パケットやパドルも同じです。
物が見つかった位置と、人がその瞬間にいた位置は同じとは限りません。
潮流があるためです。
では「生きて上陸した」と言えるのか
これも言えません。
Angel Islandで大規模捜索が行われても、上陸痕跡は確認されませんでした。
Fort Cronkhiteでも救命胴衣以外の決定的な痕跡は出ていません。
FBIは親族、既知の関係先、車両・衣服窃盗なども追いましたが、初期捜査で3人の本土到達を確定できませんでした。
つまり1962年6月の捜査が確定したのは、
「3人の脱獄計画で作られた物の一部が、島の外の湾や海岸へ出た」
ところまでです。
そこから先の3人本人の軌跡は途切れています。
FBIが見つけたもの/見つけられなかったもの
| 確認できたもの | 確認できなかったもの |
|---|---|
| Angel Island沖の手製パドル | Angel Islandへの確実な上陸痕跡 |
| アングリン兄弟の防水された個人物品 | 3人の確実な本土上陸地点 |
| Fort Cronkhiteへ漂着した救命胴衣 | 完成した脱獄用筏 |
| Alcatraz東側の別の救命胴衣 | 3人本人の遺体 |
| レインコート素材の共通性 | 3人が生存したことを示す1962年当時の決定的証拠 |
| 未確認の海上遺体目撃情報 | その遺体の身元 |
初期捜査の核心|「海へ出た形跡」は増えたのに、本人だけが消えた
捜索が進むほど、脱獄計画の実在性は強く確認されました。
偽の頭。
通気口。
秘密作業場。
レインコート製の筏と救命具。
パドル。
防水パケット。
そして湾内・海岸の漂流物。
しかし、
計画を実行した3人本人だけが、海へ出た後から確認できなくなりました。
だからこそ、この事件は「脱獄したかどうか」が未解決なのではありません。
監房から島外へ脱出したこと自体は明らかです。
未解決なのは、
海上移動を生き延びて、その後も逃亡を続けられたのか
という部分です。
次回|3人はサンフランシスコ湾を渡れたのか
第6回までに確認できたのは、脱獄装備の一部が湾内とGolden Gate外側へ流れたことです。
しかし物証の位置だけでは、3人の生死を決められません。
次に必要なのは、
- 島から陸地までの距離
- 水温
- 6月11日夜の潮流
- 手製筏と救命具の性能
- 実際にアルカトラズから泳いで生還した例
です。
第7回「3人はサンフランシスコ湾を渡れたのか|潮流・水温・筏と生存可能性」では、捜査物証から離れ、海そのものの条件を検証します。
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1962年6月11日夜、3人はどう脱獄したのか|監房から北東岸までのルート
CASE FILE 12|第7回
3人はサンフランシスコ湾を渡れたのか|潮流・水温・筏と生存可能性 →
アルカトラズ脱獄事件特集
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出典・参考資料
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FBI「Alcatraz Escape」
脱獄発覚後のFBI初動、全国照会、親族への面接、船舶への漂流物監視依頼、Angel Island側のパドル、Fort Cronkhiteの救命胴衣、防水された個人物品など、現在のFBIによる事件全体の整理に使用。
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FBI Vault「Alcatraz Escape Part 05」
沿岸警備隊の40フィート艇2隻による24時間捜索、6月12~22日のヘリコプター捜索、FBIの船・航空機による沿岸捜索、Angel Islandでの35人・134人規模の捜索、Fort Cronkhite/Kirby Beachの追加捜索を確認。
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FBI Vault「Alcatraz Escape Part 07」
1962年6月12日22時15分ごろ、Angel IslandのPoint Stuart付近沖で沿岸警備隊が手製パドルを回収した記録を確認。
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FBI Vault「Alcatraz Escape Part 01」
6月14日にAlcatraz東方の渦から回収された2個の防水パケットと79枚の写真、6月15日のFort Cronkhiteでの救命胴衣漂着、当時のFBI内部通信を確認。
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FBI Vault「Alcatraz Escape Part 08」
FBI Laboratoryへ送られたレインコート、救命胴衣、未完成筏、防水パケット等の証拠品一覧、6月22日のAlcatraz東側の救命胴衣、ゴム引き綿素材の比較と空気保持試験を確認。
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FBI Vault「Alcatraz Escape Part 11」
1962年7月17日にS.S. Norefjellから報告されたGolden Gate北西沖の未回収遺体目撃と、FBIが沿岸警備隊の行方不明記録を照合した経緯を確認。
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Federal Bureau of Prisons「Alcatraz」
1962年脱獄について、海上捜索で救命胴衣、オール、アングリン兄弟の手紙・写真が回収されたというBOP側の要約と、3人が現在も「missing and presumed drowned」とされる公式整理の比較に使用。
本記事では、現在のFBI事件解説よりも詳細な発見日時・場所については1962年当時のFBI一次捜査ファイルを優先しています。Angel Island沖のパドル、防水パケット、Fort Cronkhiteの救命胴衣、Alcatraz東側の救命胴衣はいずれも脱獄工作との関連が強い物証ですが、その発見位置だけから3人本人の航跡や上陸地点を確定することはできません。7月17日の海上遺体についてもFBI一次記録は「船から目撃されたが未回収」としており、身元確認はありません。Bureau of Prisonsの後年の概要には簡略化された表現があるため、本記事では一次ファイルの具体的な経緯を基準としました。水温・潮流・筏の生存可能性は第7回、生存を主張する後年の手紙・写真・家族証言は第8回、FBI捜査が1979年に終了した経緯と現在のUSMS手配は第10回で扱います。