1961年4月12日。
Vostok 1は帰還時に、予定どおりには分離しなかった。
帰還区画と機器区画の間に配線が残り、二つの区画は約10分間、完全には離れなかった。
やがて接続は切れた。
ガガーリンを乗せた球形の帰還区画は単独となり、大気圏を降下していく。
再突入時、ガガーリンは約8Gの荷重を受けた。
それでも意識を維持していた。
しかし、ここからVostok 1は現代の有人宇宙船とはかなり違う帰還をする。
ガガーリンはカプセルに乗ったまま地面へ着陸しない。
高度約7km。
帰還区画のハッチが開き、ガガーリンは射出される。
そして宇宙飛行士とカプセルは、別々に地上へ降りた。
これは事故による緊急脱出ではない。
最初から計画されていたVostokの着陸方式だった。
CASE BRIEFING
CASE080|ユーリ・ガガーリン――人類が初めて宇宙へ飛び出した108分
06では、Vostok 1の帰還時に発生した分離異常を追った。
約07:25 UTCに行われた逆噴射そのものではなく、その後の区画分離で異常が発生した。
帰還区画と機器区画は配線束によってつながり続け、約10分後にようやく完全分離した。
ここからガガーリンは地上へ降りる。
しかしVostokには、もう一つ独特な工程が残っていた。
THE QUESTION
なぜガガーリンはカプセルに乗ったまま着陸せず、空中で射出されたのか。そして、その帰還方式は世界記録とどう関係したのか。
QUICK ORIENTATION
- 分離異常後:帰還区画は単独で降下
- 宇宙飛行士射出:高度約7km
- 射出の性質:計画された通常の帰還方式
- ガガーリン:自身のパラシュートで降下
- 帰還区画:ガガーリンとは別に降下
- カプセル主パラシュート:高度約2.5km
- ガガーリン着地:約08:05 UTC
- FAI記録申請書:1961年5月26日付
- 飛行時間記録:108分
- 高度記録:327km
- 搭載質量記録:4,725kg
- 重要点:4,725kg=「着陸カプセル重量」ではない
- 重要点:「射出したから記録は無効だった」と断定しない
STORY SO FAR
Vostok 1は地球を一周し、約07:25 UTCに帰還のための逆噴射を行った。
その後、帰還区画と機器区画の分離が完全には進まず、配線束によって約10分間つながった状態となった。
接続が切れると、球形の帰還区画は単独で再突入を続けた。
ガガーリンは約8Gを経験しながら意識を維持した。
そして帰還区画は、Vostok特有の最終降下段階へ入る。
CASE PATH
01 開発|宇宙へ人間を送るまで 02 選抜|なぜガガーリンだったのか 03 宇宙船|ボストーク1号はどう飛ぶのか 04 打上げ|1961年4月12日 05 軌道飛行|地球を一周した108分 06 再突入|帰還時に起きた分離異常 07 射出・記録|特殊な着陸とFAI記録 08 その後|108分が残したもの
1|Vostokは「人間をカプセルごと着地させる宇宙船」ではなかった
現在の有人宇宙船を基準に考えると、
宇宙飛行士はカプセルに乗ったまま降下し、カプセルと一緒に着陸する。
というイメージが強い。
Vostokは違った。
帰還区画は宇宙飛行士を大気圏内まで運ぶ。
しかし最終的な地上着陸まで、宇宙飛行士を内部に乗せ続ける設計ではなかった。
地上へ近づいたところで宇宙飛行士を射出する。
宇宙飛行士自身はパラシュートを開く。
カプセルも別のパラシュートで降下する。
つまり、
宇宙飛行士と宇宙船が別々に着陸する。
これがVostokの正常な帰還方式だった。
2|なぜそんな方法を採用したのか
Vostokの球形帰還区画は再突入には適していた。
しかし地面への衝撃まで、人間が内部で安全に受けられるとは限らない。
カプセルを十分に減速させ、人間を内部に乗せたまま安全に地面へ着地させるには、着地時の衝撃を処理する必要がある。
そこでVostokでは、
再突入はカプセルの中で行い、最終着地は宇宙飛行士自身のパラシュートで行う
方式が採られた。
射出座席はそのために宇宙船へ組み込まれていた。
したがってガガーリンの射出を、
「帰還異常が発生したため、最後に脱出した」
と説明すると、Vostokの設計そのものを取り違える。
3|高度約7kmで射出
帰還区画は降下を続ける。
高度約7km。
ガガーリンはカプセルから射出された。
ここで彼とVostokの帰還区画は別々の飛行物体になる。
ガガーリンは自分のパラシュートで地上へ向かう。
帰還区画も、そのまま自由落下するわけではない。
カプセル側にもパラシュート降下のシーケンスがある。
ここからは、
宇宙飛行士の着地
と、
宇宙船の着地
を別々に考える必要がある。
4|カプセル側もパラシュートを開く
Vostokの帰還区画は、ガガーリン射出後も降下する。
高度約2.5kmでは、カプセルの主パラシュートが展開する。
これによって帰還区画も減速し、地上へ降りる。
つまり、
「ガガーリンが射出されたため、空になったカプセルがそのまま墜落した」
という構図ではない。
ガガーリンにはガガーリンの降下系統。
カプセルにはカプセルの降下系統。
二つが別々に地上へ向かった。
5|ガガーリンはパラシュートで地上へ戻った
ガガーリンは自身のパラシュートで降下する。
地球周回軌道。
再突入。
そして最後は、自分のパラシュートで地上へ。
約08:05 UTC。
ガガーリンは着地した。
06:07 UTCの打上げから約108分。
人類初の有人地球周回飛行が終了する。
ただし、
「Vostok 1のカプセルが着地し、その中からガガーリンが出てきた」
わけではない。
この違いは、後にFAI記録をめぐる話と結びついて語られることになる。
6|108分は何の記録だったのか
国際航空連盟(FAI)は航空・宇宙飛行に関する記録を扱ってきた。
ガガーリンのVostok 1についても記録資料が残されている。
FAIの1961年の記録申請書では、Vostok 1の飛行に関する具体的な数値を確認できる。
その一つが、
108分。
CASE080で繰り返し確認してきた総飛行時間である。
05で扱ったように、これは軌道周期89分34秒とは別の数値だ。
7|327km
もう一つが高度。
記録資料には327kmという値がある。
これはVostok 1の最高高度として扱う。
したがって、
「Vostok 1は地上327kmの円軌道を飛び続けた」
という意味ではない。
05で確認した最低高度は181km。
軌道には高低差があった。
FAI記録上の高度327kmは、この飛行を示す重要な数値の一つになった。
8|4,725kgとは何か
もう一つ、誤解しやすい数字がある。
4,725kg。
これを、
「ガガーリンが着陸したカプセルの重量」
と書いてはいけない。
FAI資料で扱われるのは、搭載質量に関する記録である。
つまり、
4,725kg=搭載質量(carried mass)の記録値
として扱う。
Vostok 1の帰還区画そのものの着陸重量を意味する数字として使用しない。
9|記録申請は1961年5月26日付
FAIに残るVostok 1の記録申請書は、
1961年5月26日
の日付を持つ。
飛行当日の4月12日とは別である。
ここも、
「4月12日にその場でFAIが正式認定した」
という話にはしない。
飛行後、記録申請と認定の手続きが行われている。
FAI資料によって、Vostok 1が航空・宇宙記録の体系の中でどのように記録されたかを一次資料から確認できる。
10|「射出したから記録は無効だった」のか
ガガーリンの飛行をめぐっては、後に一つの話が広く語られる。
「パイロットは機体と一緒に着陸しなければ記録として認められない規則があり、ソ連はガガーリンの射出を隠して記録を取った」
という説明である。
しかし、ここでは慎重に扱う必要がある。
FAI自身が現在公開している資料では、ガガーリンのVostok 1は歴史的な有人宇宙飛行として扱われ、その記録資料も保存されている。
現在確認できる一次資料だけから、
「射出したので本来は記録無効だった」
と断定することはできない。
さらに、
「ソ連は不正に世界記録を取得した」
とも断定しない。
その主張を成立させるには、1961年当時の適用規則、申請内容、FAIの審査判断を具体的に突き合わせる必要がある。
後世の逸話だけで「不正」と確定させることはしない。
11|「宇宙から帰った人」と「宇宙船」は別々に着陸した
Vostok 1の帰還を理解すると、1961年の有人宇宙技術が現在とはかなり違うことが分かる。
宇宙へ行く。
地球を一周する。
逆噴射する。
再突入する。
ここまでは宇宙船の中。
しかし最後は、
宇宙飛行士が宇宙船から離れ、自分のパラシュートで着地する。
この方式でも、ガガーリンは地球周回軌道から生還した。
06:07 UTCに地上を離れた27歳のパイロットは、約08:05 UTCには再び地上にいた。
人類初の有人地球周回飛行は終わった。
だが、その108分が世界に与えた影響は、ここから始まる。
VERIFIED|ガガーリンは高度約7kmでVostokから射出された
これはVostokの計画された帰還方式だった。
FALSE|「06の分離異常から逃げるため緊急射出した」
分離異常と射出は別の出来事である。
射出は正常な帰還シーケンスに含まれていた。
VERIFIED|ガガーリンと帰還区画は別々に降下した
ガガーリンは自身のパラシュート、帰還区画はカプセル側のパラシュート系統で地上へ向かった。
VERIFIED|カプセルの主パラシュートは高度約2.5kmで展開した
ガガーリンのパラシュート降下とは別系統である。
VERIFIED|ガガーリンの着地は約08:05 UTC
06:07 UTCの打上げから、総飛行時間は108分として記録されている。
VERIFIED|FAIの記録申請書は1961年5月26日付
飛行当日の4月12日とは別の日付である。
VERIFIED|FAI資料には108分、327km、4,725kgの記録値がある
それぞれ飛行時間、高度、搭載質量に関する記録として区別する。
FALSE|「4,725kgは地上へ着陸したカプセルの重量」
FAIの記録上は搭載質量(carried mass)として扱う。
確認できない|「ガガーリンは射出したため、本来FAI記録は無効だった」
その断定には当時の適用規則とFAIの正式判断を具体的に示す必要がある。
確認できない|「ソ連はFAIを欺いて不正に世界記録を取得した」
後世の逸話だけでは確認済み事実として固定しない。
参考資料
[1] Fédération Aéronautique Internationale, “Yuri Gagarin 1961 Record File.” 1961年5月26日付の記録申請資料、108分、327km、4,725kgなどの記録値確認に使用。
[2] Fédération Aéronautique Internationale, “60th Anniversary of Gagarin Space Flight.” ガガーリン飛行のFAIにおける歴史的位置づけと記録の確認に使用。
[3] Fédération Aéronautique Internationale, “History of Manned Spaceflight.” 初期有人宇宙飛行とFAI記録史の確認に使用。
[4] Smithsonian National Air and Space Museum, “Model, Vostok 1 Spacecraft.” Vostokの帰還方式、射出座席を含む宇宙船構造の確認に使用。
[5] European Space Agency, “The flight of Vostok 1.” 再突入後から射出、パラシュート降下、着地までの時系列確認に使用。
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CASE080-08|108分のあと世界は変わった――ガガーリンと宇宙開発競争の次の一手
なぜ読む?
約08:05 UTC。
ガガーリンは地上へ戻った。
人類初の有人地球周回飛行は108分で終わった。
しかし、宇宙開発競争は終わらなかった。
米国にもProject Mercuryがあり、ガガーリン以前から有人宇宙飛行と月への計画は検討されていた。
それでも4月12日の成功は、米国政府が「ソ連に対してどこで優位を取れるのか」を再検討する重要な背景になる。
5月5日にはAlan ShepardがFreedom 7で飛ぶ。
5月25日にはJohn F. Kennedy大統領が、10年以内に人間を月へ送り安全に地球へ帰還させる国家目標を議会で示す。
次の記事では、
ガガーリンの108分を「Apolloを一人で生んだ原因」にせず、それでも世界を動かした出来事として追う。
RELATED FILES
- CASE080-06|再突入で起きた分離異常
- CASE080-08|108分のあと世界は変わった
- CASE080-05|地球を一周した108分
END ARTICLE 07 / 08
ユーリ・ガガーリン――人類が初めて宇宙へ飛び出した108分 第7回 全8回 全8回を見る
- 01 人類はまだ宇宙へ行ったことがなかった――1961年、米ソが争った「最初の一人」
- 02 なぜガガーリンだったのか――人類初の宇宙飛行士を選んだ選抜試験
- 03 ガガーリンは何を操縦したのか――ボストーク1号という「自動で飛ぶ宇宙船」
- 04 1961年4月12日――「Поехали!」から始まった人類初の宇宙飛行
- 05 地球を一周した108分――ガガーリンは宇宙で何をしていたのか
- 06 帰還は計画どおりではなかった――ボストーク1号、再突入で起きた分離異常
- 07 ガガーリンはなぜ空中で射出されたのか――ボストーク1号、その特殊な帰還方法
- 08 108分のあと世界は変わった――ガガーリンと宇宙開発競争の次の一手