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なぜガガーリンだったのか――人類初の宇宙飛行士を選んだ選抜試験

ソ連の宇宙飛行士選抜を題材にした歴史再現イメージ(生成画像)
RCF generated historical reconstruction; not documentary evidence 出典 GENERATED_BY_WORKFLOW

1961年4月12日、Vostok 1に乗ったのはユーリ・ガガーリンだった。

27歳。

ソ連空軍のパイロット。

身長は約1.57m。

後世から見ると、ガガーリンが「最初の宇宙飛行士」になることは最初から決まっていたようにも見える。

しかし、もちろんそうではない。

そもそも当時、

「宇宙飛行士」という職業に、完成された採用基準は存在していなかった。

人類はまだ一人も地球周回軌道へ行っていない。

どんな人間なら宇宙飛行に耐えられるのか。

何を訓練すべきなのか。

どの能力を重視すべきなのか。

それ自体を決めながら、最初の一人を選ばなければならなかった。

候補者は医学的な選別を受けた。

154人が詳しい医学評価の対象となり、29人が検査を通過した。

そこから最初の宇宙飛行士グループとして20人が選ばれる。

さらに訓練と評価が続く。

そして1961年1月。

上位候補として残ったのが、

ユーリ・ガガーリン。

ゲルマン・チトフ。

グリゴリー・ネリューボフ。

だった。

では、なぜ最終的にガガーリンだったのか。

CASE BRIEFING

CASE080|ユーリ・ガガーリン――人類が初めて宇宙へ飛び出した108分

前の記事では、Vostok 1以前の宇宙船開発を追った。

動物を搭載した試験には失敗もあった。

1961年3月9日と3月25日には、有人飛行に近い最終段階の試験が成功する。

最後の試験成功から18日後、人間を乗せたVostok 1が打ち上げられた。

しかし宇宙船が準備できても、

誰を乗せるのか

を決めなければならない。

02では、ソ連初の宇宙飛行士選抜を追う。

THE QUESTION

人類初の宇宙飛行士は、どのように選ばれ、なぜ最終的にガガーリンだったのか。

QUICK ORIENTATION

  • 選抜開始:1959~1960年
  • 母集団:ソ連軍のパイロット
  • 詳細な医学評価:154人
  • 医学検査通過:29人
  • 最初の宇宙飛行士グループ:20人
  • Vanguard Six:訓練・評価が進んだ6人
  • 1961年1月18日の上位3名:Gagarin / Titov / Nelyubov
  • Vostok 1搭乗者:Yuri Gagarin
  • 年齢:27歳
  • 身長:約1.57m
  • 重要点:「20人から直接ガガーリンが選ばれた」わけではない

STORY SO FAR

Vostokへ至る試験では、成功だけでなく打上げ失敗や帰還失敗も経験した。

1960年8月にはBelkaとStrelkaが地球周回後に生還。

1961年3月には、有人飛行に近い最終試験が二度成功した。

技術側が最初の有人飛行へ近づく一方で、人間側でも選抜と訓練が進んでいた。

CASE PATH

01 開発|宇宙へ人間を送るまで 02 選抜|なぜガガーリンだったのか 03 宇宙船|ボストーク1号はどう飛ぶのか 04 打上げ|1961年4月12日 05 軌道飛行|地球を一周した108分 06 再突入|帰還時に起きた分離異常 07 射出・記録|特殊な着陸とFAI記録 08 その後|108分が残したもの


1|まだ「宇宙飛行士」という職業がなかった

現在なら、宇宙飛行士に必要な能力について長い経験が蓄積されている。

しかし1950年代末には、その前例がない。

人間が軌道上で正常に行動できるかさえ、実際の有人地球周回飛行では確認されていなかった。

そこでソ連は、既存の職業から候補者を探した。

中心となったのが軍のパイロットだった。

航空機を操縦した経験がある。

高い加速度を経験している。

航空医学上の検査を受けている。

緊急時の判断や規律を求められる。

こうした背景は、未知の宇宙飛行へ送る人間を選ぶうえで有利だった。

ただし、

優秀な戦闘機パイロット=優秀な宇宙飛行士

と単純には決められない。

宇宙では航空機とは異なる環境に置かれるからである。

2|154人が詳しい医学評価へ

候補者の選別では、まず身体条件が大きな意味を持った。

NASAの歴史資料では、候補となったパイロットのうち154人が詳細な医学評価を受けたとされる。

ここで調べられたのは、単純な健康診断だけではない。

宇宙飛行で想定される特殊な環境に耐えられるか。

身体的な問題がないか。

狭い宇宙船に適合できるか。

長時間の緊張や特殊な訓練に耐えられるか。

そうした条件を含めて候補が絞られていった。

その結果、医学検査を通過したのは29人だった。

154人から29人。

この段階ですでに大部分が候補から外れている。

3|29人から20人へ

29人全員が最初の宇宙飛行士グループに入ったわけではない。

さらに選考が行われ、最終的に20人がソ連最初の宇宙飛行士候補グループへ選ばれた。

この20人が、一般にソ連最初の宇宙飛行士グループとして扱われる。

したがって、

「20人の候補からガガーリンが選ばれた」

という説明は完全な誤りではない。

しかし、それだけでは選抜過程をかなり省略している。

実際には、

154 → 29 → 20

という段階があった。

そして20人になった後も、全員が同じ位置に残り続けたわけではない。

ここから訓練と評価が始まる。

4|Vostokは大きな人間を想定した宇宙船ではなかった

初期Vostokには物理的な制約もあった。

宇宙船内部は広くない。

宇宙飛行士は宇宙服を着用する。

さらにVostokでは、帰還の最終段階で宇宙飛行士を射出座席によってカプセル外へ出す方式が採用されていた。

つまり、

座席。

宇宙服。

宇宙飛行士。

各種装置。

それらを限られた空間に収めなければならない。

そのため体格も無視できない条件だった。

ガガーリンは身長約1.57mと小柄だった。

これはVostokという小型宇宙船との適合という点では有利な特徴だった。

ただし、

「背が低かったからガガーリンに決まった」

とするのも単純化しすぎである。

体格は複数の選抜条件の一つだった。

5|候補者は「宇宙に耐えられるか」を試された

20人の候補者には、従来のパイロット訓練だけではない試験が課された。

加速度。

無重量状態。

隔離。

心理的負荷。

特殊環境への適応。

宇宙船システムの学習。

パラシュート訓練。

体力と医学的な評価。

人類初の宇宙飛行では、実際の宇宙経験を持つ人間から選ぶことはできない。

だから地上で可能な限り、

「宇宙飛行で起こり得る環境」

を作り、候補者がどう反応するかを見る必要があった。

ここで問われるのは、単純な腕力や操縦技量だけではない。

未知の環境で正常に行動できること。

指示を理解し、報告できること。

強いストレスの中でも任務を続けられること。

そうした総合的な適性だった。

6|20人から、さらに6人へ

訓練が進むと、最初の有人Vostok飛行を想定した候補者はさらに絞られていった。

その中で知られているのが、いわゆるVanguard Sixである。

最初の有人飛行へ向けて優先的に訓練・評価された6人だった。

ここでも、

20人 → ガガーリン

と一段階で決まったわけではない。

母集団から医学選別。

20人のグループ。

さらに少数の有力候補。

という段階を経ている。

そして1961年1月、最初の飛行へ向けた順位がより明確になる。

7|1961年1月18日――上位3人

NASAの歴史資料では、1961年1月18日の評価で上位となった3人が記録されている。

1位 ユーリ・ガガーリン

2位 ゲルマン・チトフ

3位 グリゴリー・ネリューボフ

だった。

この時点でガガーリンは、20人の中の一人というだけではない。

最初の有人Vostokへ乗る最有力候補の位置にいた。

しかし、4月12日のVostok 1搭乗者が正式に決まるまでには、さらに最終判断が残る。

8|なぜガガーリンだったのか

ここで注意したいのが、後世の説明である。

ガガーリンが選ばれた理由として、

「笑顔が魅力的だった」

「農民出身だったから政治的に好まれた」

「人柄が良かった」

「小柄だった」

といった一つの理由だけが強調されることがある。

しかし、人類初の有人宇宙飛行士の選抜を、一つの逸話だけで説明するのは危険である。

確認できるのは、

ガガーリンが厳しい医学選抜を通過したこと。

最初の20人に入ったこと。

宇宙飛行士訓練を受けたこと。

Vostokに適合する小柄な体格だったこと。

そして1961年1月の評価で上位に位置していたこと。

である。

つまり彼は、

最終段階まで残った有力候補の中から選ばれた。

これが資料から確認できる骨格になる。

9|チトフも「不合格」ではなかった

ガガーリンが選ばれたからといって、ゲルマン・チトフが宇宙飛行士として不適格だったわけではない。

むしろチトフも最有力候補の一人だった。

最初の飛行ではガガーリンが選ばれ、チトフはバックアップとなる。

そしてVostok 1から約4か月後。

1961年8月、チトフ自身もVostok 2で宇宙へ行く。

この事実からも、

「ガガーリンだけが他候補より圧倒的に優れていたので選ばれた」

という単純な物語ではなかったことが分かる。

最初の一席をめぐって、複数の適格な候補者が存在したのである。

10|27歳の最初の一人

最終的にVostok 1の搭乗者となったのは、ユーリ・ガガーリンだった。

27歳。

まだ誰も経験したことのない任務へ向かう。

ただし、その役割は現代の宇宙船操縦士のイメージとも少し違う。

Vostok 1は、通常飛行の多くを自動制御(Automatic Control)で行うよう設計されていた。

では、ガガーリンは宇宙船の中で何をするのか。

自分でどこまで操縦できたのか。

なぜ最初の有人宇宙船を高度に自動化する必要があったのか。

その答えは、人間ではなく、

Vostok 1という宇宙船そのもの

を見なければ分からない。


VERIFIED|154人が詳細な医学評価を受けた

ソ連最初の宇宙飛行士候補選抜では、軍パイロットから候補者が選別され、154人が詳細な医学評価の対象となった。

VERIFIED|29人が医学検査を通過した

154人全員が宇宙飛行士候補グループへ進んだわけではない。

VERIFIED|最初の宇宙飛行士グループは20人

さらなる選考を経て20人が選ばれた。

OVERSIMPLIFIED|「20人の中から直接ガガーリンが選ばれた」

20人からさらに訓練・評価による絞り込みが行われ、Vanguard Sixなどの少数候補を経て最終選抜へ進んだ。

VERIFIED|1961年1月18日の上位3名はGagarin、Titov、Nelyubov

NASAの歴史資料では、この順で上位3人が記録されている。

VERIFIED|ガガーリンは小柄だった

身長は約1.57m。Vostokの限られた内部空間に対して有利な条件の一つだった。

OVERSIMPLIFIED|「ガガーリンは背が低かったから選ばれた」

体格だけではなく、医学評価、訓練、適性、最終評価など複数の条件を経て選ばれている。

OVERSIMPLIFIED|「ガガーリンは笑顔や政治的イメージだけで選ばれた」

後世に語られる人物像だけを、最終選抜の単独原因として固定しない。

参考資料

[1] NASA, “60 Years Ago: Soviets Select Their First Cosmonauts.” 154人の詳細医学評価、29人の通過、最初の20人、訓練過程、Vanguard Six、1961年1月18日のGagarin / Titov / Nelyubovという選抜経過の確認に使用。

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CASE080-03|ガガーリンは何を操縦したのか――ボストーク1号という「自動で飛ぶ宇宙船」

なぜ読む?

ガガーリンは人類初の宇宙飛行士に選ばれた。

しかし、彼が乗ったVostok 1は、宇宙飛行士が最初から最後まで手動で操縦する宇宙船ではなかった。

通常飛行の多くは自動化され、手動操縦はバックアップとして用意されていた。

球形の帰還区画と機器区画。

自動制御と手動操縦。

帰還用逆噴射。

そして最後は宇宙飛行士自身を射出する設計。

次の記事では、人類最初の有人地球周回飛行を可能にしたVostok 1の仕組みを見る。

RELATED FILES

  • CASE080-01|人類初の宇宙飛行、その直前
  • CASE080-03|ガガーリンが乗った宇宙船
  • CASE080-04|1961年4月12日の朝

END ARTICLE 02 / 08

  1. 01 人類はまだ宇宙へ行ったことがなかった――1961年、米ソが争った「最初の一人」
  2. 02 なぜガガーリンだったのか――人類初の宇宙飛行士を選んだ選抜試験
  3. 03 ガガーリンは何を操縦したのか――ボストーク1号という「自動で飛ぶ宇宙船」
  4. 04 1961年4月12日――「Поехали!」から始まった人類初の宇宙飛行
  5. 05 地球を一周した108分――ガガーリンは宇宙で何をしていたのか
  6. 06 帰還は計画どおりではなかった――ボストーク1号、再突入で起きた分離異常
  7. 07 ガガーリンはなぜ空中で射出されたのか――ボストーク1号、その特殊な帰還方法
  8. 08 108分のあと世界は変わった――ガガーリンと宇宙開発競争の次の一手

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