1961年4月12日。
ソ連のバイコヌール宇宙基地から、Vostok 1が打ち上げられた。
乗っていたのは27歳のユーリ・ガガーリン。
約108分後、彼は地球へ帰還する。
人間が初めて地球周回軌道へ入り、生きて戻った日だった。
しかし、この飛行だけを切り取ると、Vostok 1は突然完成し、ガガーリンが最初の挑戦者として乗り込んだように見えてしまう。
実際には違う。
人間を乗せる前に、ロケットが飛んだ。
人工衛星が飛んだ。
犬が飛んだ。
そして、失敗した。
打上げ直後に失われた宇宙船もあった。
地球周回には成功しても、帰還に失敗した試験もあった。
1961年3月には、人間が乗るVostok 1に近い構成で二度の最終試験が行われた。
最後の試験が成功してから、わずか18日。
その次に乗せられたのが、人間だった。
CASE BRIEFING
CASE080|ユーリ・ガガーリン――人類が初めて宇宙へ飛び出した108分
このシリーズでは、1961年4月12日のVostok 1を「ガガーリンという英雄の108分」だけではなく、その飛行を成立させた技術、選抜、宇宙船、打上げ、軌道飛行、帰還異常、着陸方式、そして世界への影響まで8本の記事で追う。
最初に確認するのは、ガガーリンが宇宙へ行く直前までである。
THE QUESTION
人類初の有人宇宙飛行直前、宇宙開発はどこまで来ていたのか。
QUICK ORIENTATION
- 1957年:Sputnik 1が地球周回軌道へ
- 有人飛行以前:動物を搭載した宇宙飛行試験を実施
- Vostok前段階:打上げ・軌道飛行・帰還を繰り返し試験
- 1960年7月28日:BarsとLisichkaを搭載した試験が打上げ失敗
- 1960年8月:BelkaとStrelkaが地球周回後に生還
- 1960年12月1日:PchelkaとMushkaを搭載した試験が帰還段階で失敗
- 1961年3月9日:有人飛行に近い最終段階の試験成功
- 1961年3月25日:最後の無人試験成功
- 1961年4月12日:Vostok 1打上げ
- 最終試験成功から有人飛行まで:18日
CASE PATH
01 開発|宇宙へ人間を送るまで 02 選抜|なぜガガーリンだったのか 03 宇宙船|ボストーク1号はどう飛ぶのか 04 打上げ|1961年4月12日 05 軌道飛行|地球を一周した108分 06 再突入|帰還時に起きた分離異常 07 射出・記録|特殊な着陸とFAI記録 08 その後|108分が残したもの
1|人間より先に、ミサイルと人工衛星が宇宙へ到達した
有人宇宙飛行は、人間を乗せる宇宙船だけを開発すれば実現するものではない。
まず必要なのは、宇宙へ到達できるロケットだった。
第二次世界大戦後、米国とソ連は長距離ロケット技術を急速に発展させる。
その背景には軍事目的の弾道ミサイル開発があった。
巨大な物体を高速で高高度へ運ぶ技術は、核兵器を遠距離へ運ぶ技術であると同時に、人工衛星や宇宙船を地球周回軌道へ投入するための基盤にもなった。
1957年10月4日。
ソ連はSputnik 1を打ち上げる。
世界初の人工衛星だった。
人間はまだ宇宙へ行っていない。
しかし、人間が作った物体は地球の周囲を回り始めた。
ここで宇宙開発競争の条件が大きく変わる。
「宇宙へ到達できるか」ではなく、
「次に何を宇宙へ送るか」
が問われる段階へ進んだ。
2|次の問題は「生き物を戻せるか」だった
人工衛星を軌道へ投入できても、そのままでは有人宇宙飛行にはならない。
人間を送るには、少なくとも別の問題を解かなければならなかった。
生物は打上げ時の加速度に耐えられるのか。
無重量状態で生存できるのか。
宇宙船内部の温度や空気を維持できるのか。
軌道上から地球へ戻せるのか。
大気圏再突入の加熱に耐えられるのか。
そして着陸後、生きて回収できるのか。
そこで人間より先に動物が使われた。
米国でもソ連でも、有人飛行以前から動物を用いた宇宙飛行研究が行われている。
ソ連では特に犬が重要な役割を担った。
ただし、
「犬を宇宙へ送れた」
ことと、
「犬を宇宙から生きて戻せた」
ことは同じではない。
有人飛行に必要なのは後者だった。
3|ソ連が作ろうとしていた「人間を戻せる衛星」
初期の人工衛星は、軌道へ投入すること自体が目的だった。
有人宇宙船には、それとは異なる能力が必要になる。
軌道へ入る。
一定時間飛行する。
帰還のために速度を落とす。
大気圏へ再突入する。
搭乗者を生存させる。
そして地上で回収する。
Vostokへつながる試験では、こうした一連の工程を実際の飛行で確認していった。
つまり開発目標は単なる「人を乗せられる人工衛星」ではない。
人間を乗せて地球周回軌道へ入り、その人間を地上へ戻せる宇宙システム
だった。
そのため試験が一度成功しただけでは十分ではない。
打上げに成功しても帰還に失敗する可能性がある。
軌道へ入っても姿勢制御に問題が出る可能性がある。
帰還用システムが作動しても、再突入や着陸で失敗する可能性がある。
Vostok 1以前の試験は、そうした問題を一つずつ現実の飛行で露出させる過程でもあった。
4|犬を乗せた宇宙船は何度も失敗した
後から成功したVostok 1だけを見ると、ソ連の有人宇宙計画は順調に完成へ向かったように見える。
実際には失敗が続いている。
1960年7月28日。
BarsとLisichkaという2頭の犬を搭載した宇宙船が打ち上げられた。
しかし、ロケットは正常に飛行できなかった。
宇宙船は軌道へ到達せず、2頭は死亡した。
有人飛行で同じことが起きれば、宇宙飛行士は宇宙へ到達する前に失われる。
つまりこの段階では、
「人間を軌道へ送る以前の部分」
さえ、まだ完全には確立していなかった。
そして失敗は打上げだけではない。
軌道飛行に成功しても、安全な帰還が保証されるわけではなかった。
5|BelkaとStrelkaは帰ってきた
1960年8月。
BelkaとStrelkaを搭載した宇宙船が打ち上げられた。
2頭は地球周回軌道へ入り、宇宙飛行を経験した。
そして地球へ帰還した。
重要なのは「犬が宇宙へ行った」という部分だけではない。
軌道飛行をした生物を、生きたまま地球へ戻すことに成功した。
有人宇宙飛行にとって、これは大きな前進だった。
打上げ。
軌道飛行。
生命維持。
再突入。
回収。
人間を飛ばすために必要な一連の工程が、実際の生物を搭載した飛行で成立したからである。
しかし、この成功によってVostokが「安全になった」と考えるのは早い。
その後にも失敗は起きた。
6|成功のあとにも失敗した
1960年12月1日。
PchelkaとMushkaを搭載した試験機が打ち上げられた。
宇宙船は地球周回飛行を行った。
しかし帰還は計画どおりには進まなかった。
地球へ安全に回収することはできず、2頭は失われた。
ここで重要なのは、
「軌道へ入れたから有人飛行が可能」
ではなかったということだ。
有人飛行では、打上げ成功だけでは意味がない。
地球周回に成功するだけでも足りない。
最後に人間を生きて地上へ戻さなければならない。
Vostok開発では、成功と失敗の両方が繰り返されながら、有人飛行へ必要なシステムが詰められていった。
7|1961年3月、有人飛行とほぼ同じ試験へ
1961年に入ると、試験は最終段階へ進む。
3月9日。
人間の代わりに犬などを搭載したVostok系試験機が打ち上げられた。
飛行は成功し、搭載された生物も回収された。
そして3月25日。
もう一度、有人飛行を想定した構成に近い試験が行われる。
これも成功した。
ここまで来ると、試験の目的は単に、
「宇宙へ物体を送れるか」
ではない。
実際の有人飛行に近いシステムを使い、一周して帰還できるか。
という確認になっていた。
3月の二度の成功によって、Vostok計画は人間を搭乗させる最終判断へ近づいた。
ただし、ここでも表現には注意が必要である。
二度成功したから、
「Vostokの安全性が完全に証明された」
わけではない。
宇宙飛行にゼロリスクはない。
実際、ガガーリンの飛行そのものでも帰還時に予想外の異常が発生する。
3月の試験が示したのは、
有人飛行へ進むために必要とされた最終段階の飛行試験が、連続して成功した
ということである。
8|最後の試験成功から18日後
1961年3月25日。
最後のVostok前段階試験が成功した。
1961年4月12日。
Vostok 1が打ち上げられた。
その間は18日。
わずか2週間あまりである。
もちろん、この18日間で宇宙船をゼロから作ったわけではない。
ロケットも宇宙船も訓練も、長い開発の積み重ねの上にある。
しかし、人間を乗せる直前の時間間隔として見ると、その短さはVostok計画がどれほど急速に最終段階へ進んでいたかを示している。
そして次に必要だったのは、
宇宙船ではない。
その宇宙船に乗せる一人を決めることだった。
9|「最初の一人」はまだ決まっていない
Vostokを飛ばす準備と並行して、ソ連は軍のパイロットから宇宙飛行士候補を選んでいた。
身体条件。
医学検査。
加速度への耐性。
隔離。
心理的負荷。
訓練成績。
そしてVostokという小さな宇宙船に適合する体格。
「勇敢なパイロットなら誰でもいい」という選抜ではなかった。
候補者は絞られていく。
そして1961年初頭、最初のVostokに乗る人物の選択が現実の問題になる。
その一人が、27歳のユーリ・ガガーリンだった。
なぜ彼だったのか。
それは「笑顔が良かったから」という一言では説明できない。
VERIFIED|有人宇宙飛行以前から動物を使った宇宙飛行研究が行われていた
人間への危険を直接試す前に、動物を用いて打上げ、宇宙環境、生命維持、帰還などの影響が調べられた。
VERIFIED|BelkaとStrelkaは地球周回飛行後に生還した
1960年8月の飛行は、生物を地球周回軌道へ送り、生きて回収した重要な前段階となった。
FALSE|Vostokの前段階試験は成功続きだった
打上げ失敗や帰還失敗が存在する。
1960年7月28日のBarsとLisichka、同年12月1日のPchelkaとMushkaなど、有人飛行以前に複数の失敗があった。
VERIFIED|1961年3月に最終段階の試験が2回成功した
3月9日と3月25日の飛行成功は、Vostok 1による有人飛行へ進む重要な直前試験となった。
VERIFIED|最後の試験成功からVostok 1までは18日
1961年3月25日から4月12日までの日数。
OVERSIMPLIFIED|「二度の最終試験成功でVostokの安全性が証明された」
試験成功は有人飛行へ進む根拠になったが、有人飛行そのものに未知のリスクがなくなったわけではない。
参考資料
[1] NASA, “A Brief History of Animals in Space.” 有人飛行以前の動物宇宙飛行、生命への影響を確認するための動物利用、その歴史的位置づけの確認に使用。
[2] NASA, “60 Years Ago: Soviets Select Their First Cosmonauts.” 初期ソ連有人宇宙計画、Vostokへ向けた試験と宇宙飛行士選抜の時系列確認に使用。
NEXT FILE
CASE080-02|なぜガガーリンだったのか――人類初の宇宙飛行士を選んだ選抜試験
なぜ読む?
宇宙船を飛ばす準備だけでは、人類初の有人宇宙飛行は成立しない。
次に必要だったのは、
「誰を最初に乗せるか」
という判断だった。
ソ連は候補者を医学的に選別し、訓練対象を20人まで絞った。
そこからさらに候補は減り、1961年1月にはガガーリン、ゲルマン・チトフ、グリゴリー・ネリューボフが上位候補となる。
なぜ最終的にガガーリンがVostok 1へ乗ることになったのか。
次の記事では、その選抜過程を追う。
RELATED FILES
- CASE080-02|なぜガガーリンだったのか
- CASE080-03|ガガーリンが乗った宇宙船
- CASE080-04|1961年4月12日の朝
END ARTICLE 01 / 08
ユーリ・ガガーリン――人類が初めて宇宙へ飛び出した108分 第1回 全8回 全8回を見る
- 01 人類はまだ宇宙へ行ったことがなかった――1961年、米ソが争った「最初の一人」
- 02 なぜガガーリンだったのか――人類初の宇宙飛行士を選んだ選抜試験
- 03 ガガーリンは何を操縦したのか――ボストーク1号という「自動で飛ぶ宇宙船」
- 04 1961年4月12日――「Поехали!」から始まった人類初の宇宙飛行
- 05 地球を一周した108分――ガガーリンは宇宙で何をしていたのか
- 06 帰還は計画どおりではなかった――ボストーク1号、再突入で起きた分離異常
- 07 ガガーリンはなぜ空中で射出されたのか――ボストーク1号、その特殊な帰還方法
- 08 108分のあと世界は変わった――ガガーリンと宇宙開発競争の次の一手