Super 61の墜落地点は、標的建物から何十kmも離れていたわけではない。
米陸軍公式戦史の地図を見ると、Olympic Hotel付近の標的地域と第1墜落地点は、
同じモガディシュ中心部の比較的狭い範囲に収まっている。
上空から見れば、「数ブロック先」である。
それでも、拘束したアイディード派関係者を乗せたTask Force Rangerの地上車列は、
その墜落地点へ簡単には到達できなかった。
道路を曲がる。
行き止まりになる。
バリケードが現れる。
方向を修正する。
その間にも建物や路地から小火器とRPGによる射撃を受ける。
負傷者が出れば車列を止め、収容しなければならない。
さらに、上空で街を見ている側と、
地上のハンヴィーから街を見ている側では、
同じモガディシュがまったく違って見えた。
第6回では、
なぜ「近い墜落地点」が地上車列にとって遠かったのかを、
市街地構造、道路封鎖、航法、通信、車両、死傷者搬送の5つに分けて追う。
CASE FILE 23|モガディシュの戦闘特集(全10回)
この特集では、Operation Gothic Serpentと
1993年10月3~4日のモガディシュ市街戦を中心に追う。
第5回ではSuper 61の第1墜落地点で救出部隊が固定されるまでを見た。
今回は、その現場へ向かおうとした地上車列側を見る。
次の第7回では、さらに別方向へ墜落したSuper 64と、
ゲイリー・ゴードン、ランディ・シュガート、マイケル・デュラントの第2墜落地点へ移る。
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第1回 モガディシュの戦闘とは?|短時間の拘束作戦が一夜の市街戦へ変わった日
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第2回 なぜ米軍はアイディードを追ったのか|UNOSOM IIとOperation Gothic Serpent
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第3回 Task Force Rangerとは何だったのか|デルタ、レンジャー、160th SOARの作戦設計
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第4回 1993年10月3日、襲撃はどう始まったのか|標的拘束からSuper 61撃墜まで
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第5回 Super 61墜落地点で何が起きたのか|拘束作戦が救出作戦へ変わった瞬間
- 第6回 地上車列はなぜ墜落地点へたどり着けなかったのか|市街戦・経路・通信の混乱【現在の記事】
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第7回 Super 64撃墜|ゴードン、シュガート、デュラントの第2墜落地点
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第8回 夜間救出部隊はどう突入したのか|第10山岳師団とマレーシア・パキスタン部隊
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第9回 「モガディシュ・マイル」と撤収|10月4日朝、戦闘はどう終わったのか
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第10回 モガディシュの戦闘は何を変えたのか|米軍撤収と『ブラックホーク・ダウン』の史実
先に結論|問題は「道に迷った」だけではない
地上車列が第1墜落地点へ到達できなかった理由を、
「兵士がモガディシュの道を知らなかったから」とだけ説明すると不十分である。
実際には、複数の条件が同時に重なっていた。
| 問題 | 現場で起きたこと |
|---|---|
| 市街地構造 | 狭く曲がった道路・路地が多く、上空から見える経路と地上で通れる経路が一致しない |
| 道路封鎖 | バリケードによって予定経路が突然使えなくなる |
| 敵火力 | 小火器・RPG射撃を受けながら移動するため、停止・方向転換そのものが危険 |
| 航法 | モガディシュの道路に詳しい人員が限られていた |
| 通信 | 上空の情報が地上車両へ直接・即時に届く単純な構造ではなかった |
| 死傷者 | 負傷者を回収するほど車両内が埋まり、戦闘・移動能力が低下 |
つまり地上車列は、
「目的地が分からない」問題と「分かってもそこへ通れない」問題を同時に抱えていた。
地図上では近かった
米陸軍Center of Military Historyが公開している戦闘地図を見ると、
標的地点、Crash Site #1、Crash Site #2、21 October Road、
National Street、Mogadishu Airportなどの位置関係が確認できる。
第1墜落地点は、標的建物から市の反対側にあるわけではない。
このため、平面図だけを見ると
「数ブロックなら車で数分ではないか」と感じる。
ここで、1993年10月3日の標的地域と第1墜落地点の位置関係を、
当時の米陸軍公式戦闘地図を基準に確認しておく。
位置関係【記事用SELF-DIAGRAM|1993年10月3–4日】
※U.S. Army Center of Military Historyの「Mogadishu 3–4 October 1993(Map 3)」と本文記述を基礎に、
記事理解用に位置関係だけを簡略化したSELF-DIAGRAM。縮尺、正確な街路形状、車列の走行線、個々のバリケード位置は再現していない。
この図で見るべきなのは、標的地域とCrash Site #1が市の反対側ではなく近接している一方、
その間を移動するには複数の道路・交差点を通らなければならなかったことである。Crash Site #2はさらに別地点にあり、戦闘中に救援先が分裂した。
拘束者を積んだ地上車列は第1墜落地点へ北側から接近しようとしたが、
米陸軍公式戦史は正確な街路ごとの走行線を確定図として示していないため、
ここでは推測した経路線を描いていない。
しかし都市戦では、
直線距離はそのまま移動時間にはならない。
車両は建物を突き抜けられない。
道路を使うしかない。
一本の道路が塞がれれば、
交差点まで戻り、
別の道路を探す。
その迂回路も塞がれている可能性がある。
そして交差点で停止・方向転換している時間は、
周囲の建物から見れば車列を狙う時間になる。
上空のモガディシュと地上のモガディシュは違って見えた
米陸軍の戦闘参加者は後に、
上空から見たモガディシュは比較的単純な道路網に見えたと振り返っている。
主要道路は数本しかない。
ところが実際にハンヴィーで市内へ入ると、
景色は一変した。
低い建物。
小屋。
塀。
瓦礫。
細い路地。
似たような交差点。
上空からなら「次の交差点を右」と説明できても、
地上から見れば、
そもそもどれが上空で見えている交差点なのか判別しにくい。
さらに車列は止まって地図を確認しているわけではない。
走りながら射撃を受け、
前方の道路を確認し、
車間を維持し、
負傷者にも対処しなければならない。
平時のカーナビのような航法ではなかった。
最も道路に詳しかった兵士が、先に現場を離れていた
航法上の問題をさらに難しくしたのが、
経験の偏りだった。
当時レンジャーだったジェフ・ストルーカーは、
後年の米陸軍インタビューで、
モガディシュの道路について自分が比較的多くの経験を持っていたと証言している。
しかし10月3日、
トッド・ブラックバーンが降下事故で重傷を負ったため、
ストルーカーは小規模な車列を率いて負傷者を後送する任務へ回った。
つまり、Super 61が墜落し、
残った地上部隊が初めて予定外の地点へ移動しなければならなくなった時、
道路事情に比較的詳しい人員の一人は本隊から離れていた。
ストルーカー自身は後に、
地上航法の知識を複数人で共有していなかったことを
部隊側の問題として振り返っている。
FACT CHECK|「米軍は地図を持っていなかった」のか
問題を「地図がなかった」と単純化するのは適切ではない。
Task Force Rangerには航空偵察、指揮所、地上部隊の通信系統があり、
モガディシュの主要道路についても情報を持っていた。
問題は、
平面上の道路情報を、戦闘中に刻々と変わる「実際に通れる道路」へ変換することだった。
バリケード、銃撃、車両損傷、死傷者によって、
数分前まで使えると考えていた道路が使えなくなる可能性があった。
ソマリア側は道路そのものを戦場にした
米軍の車列が道路を使わなければ移動できない以上、
道路を塞ぐことは非常に有効だった。
モガディシュでは以前から、
道路封鎖を撤去しようとする国連部隊が攻撃を受けていた。
9月8日には米軍・パキスタン軍が
Cigarette Factory付近で道路封鎖を撤去中に攻撃を受け、
106mm無反動砲、RPG、小火器などが使用された。
9月16日、21日にも
21 October Road上で道路封鎖撤去部隊が攻撃されている。
つまり10月3日に突然、
「道路を塞ぐ」という発想が登場したわけではない。
道路封鎖と、それを利用した待ち伏せは、
すでにモガディシュの戦闘環境の一部になっていた。
バリケードは、単に車を止めるだけではない
車列にとってバリケードが危険なのは、
その場で停止させられるからである。
走行中の車両を射撃するより、
交差点で停止した車両を射撃する方が狙いやすい。
さらに先頭車両が止まれば、
後ろの車両も止まる。
狭い道路では横へ逃げられない。
そこでRPGや小火器による攻撃を受ければ、
車列全体が同じ場所に集中する。
バリケードを迂回するには、
再び方向を確認しなければならない。
その時間もまた、
射撃を受ける時間になる。
ハンヴィーと5トントラックは、装甲車ではなかった
Task Force Rangerの地上車列は、
主としてHMMWV、いわゆるハンヴィーと、
5トントラックなどで構成されていた。
これらは高い機動力を持つ一方、
戦車や本格的な装甲兵員輸送車とは性格が違う。
米軍After Action Reportでも、
現地QRFの車両について
「soft skinned vehicles」と表現されている。
つまり、小火器やRPGが飛び交う市街地で
長時間攻撃を受け続けるための重装甲車両ではなかった。
そのため、一発の攻撃で車両が完全に破壊されなくても、
乗員・搭乗員が負傷すれば車列全体の能力は落ちる。
タイヤ、エンジン、操縦系統、武装担当者が損傷しても同じである。
拘束者を積んだまま、第1墜落地点へ向かった
Super 61墜落後、
標的建物ではすでに24人の拘束者が確保されていた。
米陸軍公式戦史によれば、
残ったAssault ForceとBlocking Forceは徒歩で第1墜落地点へ向かい、
拘束者を積んだ地上車列は別の経路から
第1墜落地点への接近を試みた。
ここで車列には、
二つの役割が同時に乗ることになった。
拘束した人物を安全に運ぶこと。
そしてSuper 61墜落地点へ行き、
負傷者・地上部隊を回収すること。
本来は拘束者を基地へ持ち帰るための車列だったものが、
途中から救援車列としても機能しなければならなくなった。
狭く曲がった路地の中で、墜落地点を見つけられなかった
米陸軍Center of Military Historyの記述は明確である。
拘束者を乗せた車列は、
第1墜落地点へ北側から接近しようとした。
しかし、
狭く曲がりくねった路地の中で墜落地点を発見できなかった。
その間にも、
小火器とRPGによる激しい射撃を受け続けた。
これは「目的地の位置を知らなかった」というより、
目的地点のおおまかな方向を知っていても、
そこへ通じる経路を地上から選択できなかったという問題に近い。
上空からの誘導にも時間差があった
Task Force Ranger側には、
上空から市街地を監視できる航空機が存在した。
米陸軍の後年の分析では、
P-3 Orionなど上空の監視・指揮要素が
地上部隊の誘導にも使用されたと整理されている。
しかし、
上空の航空機からハンヴィーの運転手へ
直接「次を右」と伝わる単純な仕組みではなかった。
情報は指揮・連絡要員を介して地上へ伝達される。
そのため、
上空で状況を確認
→ 情報を伝達
→ 中継
→ 地上車列へ指示
→ 車列が交差点へ到達
という間に時間が生じる。
その数十秒から数分の間に、
前方へバリケードが作られたり、
車列が予定とは違う方向へ進んだりすれば、
上空から見た「正しい指示」が地上へ届いた時には
すでに古くなっている可能性がある。
FACT CHECK|「無線が壊れていたから迷った」のか
通信問題は重要だったが、
単純な無線機故障だけで説明するのは正確ではない。
より大きな問題は、
上空、指揮所、地上車列の間で情報を共有する経路が複数段階に分かれており、
変化の速い市街戦では時間差が生じたことだった。
さらに上空からは見えない道路障害もあり、
通信が成立していても「その道を実際に通れるか」は別問題だった。
「左か右か」の判断に失敗すると、数秒では戻れない
映画では、
車列が交差点を通り過ぎ、
「今の角を曲がるはずだった」と指示される場面が描かれている。
史実でも、
車列と上空側の位置認識には遅れが生じていた。
しかし重要なのは、
軍用車列は普通乗用車のように簡単にUターンできないことだ。
複数台が一定の間隔で走っている。
後方車両には拘束者や負傷者がいる。
交差点では周囲から射撃される。
先頭車両が進路を変えれば、
後続車両すべてへ伝えなければならない。
一度曲がる場所を誤れば、
次の交差点を探して大きく迂回することになる。
その迂回中にも被害は増える。
死傷者を見つければ、置いて進むことはできない
車列を遅らせたもう一つの重要な要因が、
途中で発生する死傷者だった。
車列自身が攻撃を受けて負傷者を出す。
さらに道路上には、
別の部隊で負傷した米兵がいる場合もある。
そうした人員を発見すれば、
回収して車両へ乗せなければならない。
しかし一人を収容するたびに、
車内スペースが減る。
医療処置のために戦闘可能な人員が一人取られることもある。
車列は移動すればするほど、
最初の状態より重くなっていった。
車両損失と負傷者が積み上がっていく
第1墜落地点を探している間、
地上車列は激しい攻撃を受けた。
米陸軍公式戦史では、
多数の死傷者を出し、
5トントラック2両を失い、
その他の車両にも大きな損傷が生じたと記録されている。
車両が1両失われる影響は、
車両数が1減るだけではない。
その車両に乗っていた拘束者、兵士、負傷者を
残った車両へ移さなければならない。
車内はさらに混雑する。
負傷者を横たえる場所も必要になる。
戦闘可能な兵士が車外へ射撃する位置も減る。
一つの損失が、
次の損失に耐えられる余裕を削っていく。
最終的に、車列は空港へ戻る判断をした
第1墜落地点を発見できないまま、
車列の被害は増え続けた。
多数の負傷者。
損傷した車両。
拘束者。
そして継続する小火器・RPG射撃。
米陸軍公式戦史では、
地上車列の指揮官はこの状況を受け、
墜落地点への接近を断念して
空港へ戻ることを決定したとしている。
これは「救助を諦めた」という意味ではない。
このまま同じ車列で走り続ければ、
現在抱えている負傷者と拘束者まで失う危険が高まっていた。
いったん基地へ戻り、
部隊を再編成する必要が生じたのである。
戻る途中で、別の救援車列と合流する
さらに戦場は複雑化していた。
第1墜落地点へ向かった地上車列が戻る途中、
Task Force Ranger基地から新たに出ていたQuick Reaction的な車列と遭遇した。
この別車列は、
その頃すでに発生していた
Super 64の第2墜落地点へ向かおうとしていた。
戻ってきた車列は、
自分たちが収容していた負傷者の一部を
新しい車列へ移した。
しかし、こちらも簡単には第2墜落地点へ到達できない。
つまり16時台後半には、
モガディシュ市内で複数の米軍車列が、
異なる目的地へ向かいながら、
互いに負傷者を引き渡し、
再編成を繰り返す状態になっていた。
ここでTask Force Rangerの「出口」が消えた
第3回で見たTask Force Rangerの基本設計では、
地上車列には重要な役割があった。
航空機で突入する。
標的人物を拘束する。
そして地上車列が、
拘束者と突入部隊を回収して空港へ戻す。
つまり車列は、
作戦の「出口」だった。
しかしSuper 61墜落後、
その出口が救援任務へ転用される。
さらに道路封鎖、銃撃、航法、通信、死傷者によって、
車列自体が自由に動けなくなる。
この結果、
第1墜落地点に集まった徒歩部隊には
すぐ使える撤収手段がなくなった。
救出するための車列が来られない以上、
現場の部隊はその場所で防御し続けるしかない。
「通信の失敗」だけでも、「装甲不足」だけでもない
モガディシュの戦闘では、
一つの原因を選んで説明したくなる。
通信が悪かった。
地図が悪かった。
装甲車がなかった。
道路を知らなかった。
敵を過小評価した。
しかし地上車列の失敗を見ると、
実際にはこれらが相互に作用していたことが分かる。
| 要因 | 単独なら | 実戦では |
|---|---|---|
| 航法 | 道を間違えても修正できる | 修正中に射撃される |
| 道路封鎖 | 別ルートへ迂回できる | 迂回路の位置確認にも時間がかかる |
| 通信遅延 | 多少遅れても情報は届く | 届く頃には車列位置や道路状況が変わる |
| 軽装甲車両 | 高速移動には向く | 停止すると小火器・RPGへの危険が増える |
| 負傷者 | 少数なら搬送できる | 増えるほど車列の戦闘能力・輸送能力を奪う |
一つの問題が次の問題を悪化させた。
これが、地上車列が「数ブロック先」へたどり着けなかった理由だった。
FACT CHECK|「マックナイトの車列は単純に迷子になった」のか
戦闘を短く説明する際、
地上車列を「道に迷った車列」と表現することがある。
しかし米陸軍公式戦史では、
車列は第1墜落地点への接近を試みながら、
狭い市街地で地点を特定できず、
同時に小火器・RPGの激しい攻撃を受け、
多数の死傷者と車両損失を出したと記録されている。
したがって、
航法ミスだけを敗因として切り出すのは不適切である。
上空に地図があっても、地上の道路は開かない
この戦闘を理解するうえで、
地上車列は非常に重要な例になる。
米軍には上空から市街地を見る能力があった。
通信手段もあった。
航空支援もあった。
それでも、
車列の前にある瓦礫やバリケードそのものを
上空から取り除くことはできない。
建物の陰から射撃してくる相手を
すべて事前に発見することもできない。
負傷した兵士を
衛星画像の上だけで搬送することもできない。
情報優位と、
地上で自由に動けることは同じではない。
モガディシュでは、
その差が極端な形で表れた。
第1墜落地点では、徒歩部隊が取り残されていた
一方、第1墜落地点では、
レンジャー、デルタ、CSAR要員などが
Super 61周辺で防御を続けていた。
彼らが必要としていたのは、
単なる方向情報ではない。
負傷者を乗せられる車両。
弾薬。
水。
そして、全員を市街地から運び出せる輸送力だった。
地上車列が戻ったことで、
それらを即座に提供する手段が失われた。
この時点から、
短時間でTask Force Ranger単独の力だけで撤収する可能性は急速に小さくなる。
外部から、
より大きな救援部隊を組織する必要があった。
しかし、さらにもう一機が落ちていた
第1墜落地点への車列が苦戦している間、
上空ではもう一つ重大な出来事が起きていた。
MH-60「Super 64」がRPGを受ける。
操縦士マイケル・デュラントは
損傷した機体を制御しようとしたものの、
Super 64も市街地へ墜落した。
場所はSuper 61とは別だった。
つまり地上部隊は、
一つの墜落地点へたどり着けていない状態で、
二つ目の墜落地点まで救出しなければならなくなった。
これによりTask Force Rangerの問題は、
さらに分裂する。
まとめ|近かったのは「地図の上」だけだった
Super 61の第1墜落地点は、
標的建物から数ブロックの位置にあった。
しかし、地上車列にとってその距離は
単純な数百mではなかった。
狭く曲がった道路。
突然現れるバリケード。
建物・路地からの小火器とRPG。
航法経験の偏り。
上空と地上の位置認識差。
複数段階を経る通信。
そして増え続ける負傷者と損傷車両。
これらが重なり、
拘束者を乗せた車列は第1墜落地点を発見できないまま
大きな損害を受け、空港へ戻ることになった。
したがって、
地上車列が失敗した理由は
「道を知らなかった」でも「無線が悪かった」でもなく、
都市の道路網そのものが戦場になり、
航法・通信・火力・輸送の問題が同時に発生したからだった。
そして、この車列が第1墜落地点へたどり着けない間に、
さらに別のBlack Hawkが墜落する。
次回はSuper 64の第2墜落地点へ移る。
なぜゲイリー・ゴードンとランディ・シュガートは
地上への降下を繰り返し要請したのか。
そして、マイケル・デュラントだけが生き残った第2墜落地点で、
何が起きたのかを公的記録から追う。
CASE FILE 23|モガディシュの戦闘 全10回
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第1回 モガディシュの戦闘とは?|短時間の拘束作戦が一夜の市街戦へ変わった日
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第2回 なぜ米軍はアイディードを追ったのか|UNOSOM IIとOperation Gothic Serpent
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第3回 Task Force Rangerとは何だったのか|デルタ、レンジャー、160th SOARの作戦設計
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第4回 1993年10月3日、襲撃はどう始まったのか|標的拘束からSuper 61撃墜まで
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第5回 Super 61墜落地点で何が起きたのか|拘束作戦が救出作戦へ変わった瞬間
- 第6回 地上車列はなぜ墜落地点へたどり着けなかったのか|市街戦・経路・通信の混乱【現在の記事】
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第7回 Super 64撃墜|ゴードン、シュガート、デュラントの第2墜落地点
-
第8回 夜間救出部隊はどう突入したのか|第10山岳師団とマレーシア・パキスタン部隊
-
第9回 「モガディシュ・マイル」と撤収|10月4日朝、戦闘はどう終わったのか
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第10回 モガディシュの戦闘は何を変えたのか|米軍撤収と『ブラックホーク・ダウン』の史実
出典・参考資料
-
U.S. Army Center of Military History,
The United States Army in Somalia, 1992–1994.
— 10月3日の公式戦闘地図、第1・第2墜落地点、
地上車列が狭い路地で第1墜落地点を発見できなかったこと、
小火器・RPG射撃、5トントラック2両の損失、
空港への帰還判断を確認。 -
United States Forces Somalia,
After Action Report and Historical Overview.
— Task Force Ranger、地上車列、QRF、
モガディシュ市街地での車両運用と救援作戦の基本経過を確認。 -
U.S. Army,
Soldiers reflect on Battle of Mogadishu.
— ジェフ・ストルーカーによる地上航法の回顧、
道路知識を複数人で共有していなかった点、
地上から見たモガディシュの航法難易度を確認。 -
U.S. Army University Press,
Battle of Mogadishu.
— 上空のP-3 Orionと地上部隊の情報伝達、
道路封鎖、通信経路による時間差、
地上車列の行動について補助的に確認。 -
U.S. Army Center of Military History,
Somalia campaign records.
— 9月以前から道路封鎖撤去部隊が攻撃されていたこと、
106mm無反動砲、RPG、小火器などが使用されていた戦闘環境を確認。
※「地上車列が道に迷った」という表現だけでは、
第1墜落地点へ到達できなかった理由を十分に説明できない。
米陸軍公式戦史では、狭く曲がった市街地、
小火器・RPG射撃、多数の死傷者、車両損失が併記されている。
※通信問題については、
「無線機が一律に故障していた」という意味ではない。
上空の監視・指揮要素から地上車列まで情報が伝わる過程に時間差があり、
その間に車列位置や道路状況が変化する問題を重視した。
※現在のGoogle Mapは1993年当時の道路・建物・バリケードを再現しないため、
本記事ではGoogle Map埋め込みを使用しない。
位置関係は米陸軍Center of Military Historyが公開する
「Mogadishu 3–4 October 1993」の公式戦闘地図を基礎にした模式図で確認し、
現在地図より公式戦闘地図を優先した。
※本記事で扱うのはTask Force Ranger側の10月3日夕方の地上車列。
第10山岳師団、マレーシア軍、パキスタン軍による夜間の多国籍救援車列は
構成・任務・装甲車両が異なるため、第8回で分離して扱う。