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Super 64撃墜ゴードン、シュガート、デュラントの第2墜落地点

Super 64撃墜|ゴードン、シュガート、デュラントの第2墜落地点

軍事作戦・戦闘

Super 61が墜落してから、まだ30分も経っていなかった。

1993年10月3日夕方。
モガディシュ上空を飛行していたもう1機のMH-60 Black Hawk、
コールサイン「Super 64」がRPGを受けた。

機体を操縦していたマイケル・デュラントは、
損傷したBlack Hawkを制御しようとした。

しかしSuper 64は、
第1墜落地点から約1マイル離れた市街地へ墜落する。

その瞬間、Task Force Rangerが抱えていた問題は二つに分裂した。

第1墜落地点にはすでに多数の米兵が集まり、
負傷者と死亡した搭乗員を回収しながら防御を続けている。
地上車列はそこへさえ容易に到達できていない。

そして今度は、
まったく別の場所にもう一つの墜落地点が生まれた。

Super 64の乗員は重傷を負い、
周囲には武装したソマリア側の人員が集まり始める。

しかし、すぐ地上へ投入できるまとまった救援部隊はなかった。

その上空にいたのが、
Task Force Rangerの狙撃チームだった
Master Sergeant Gary GordonとSergeant First Class Randall Shughartである。

2人は地上への投入を要請した。

一度ではない。

二度拒否され、
3度目の要請でようやく許可された。

第7回では、
Super 64が撃墜されてから、
ゴードンとシュガートの降下、
マイケル・デュラントの防御、
墜落地点の陥落、
そしてデュラントが捕虜になるまでを、
米陸軍の公式勲章記録を中心に追う。

CASE FILE 23|モガディシュの戦闘特集(全10回)

この特集では、Operation Gothic Serpentと
1993年10月3~4日のモガディシュ市街戦を中心に追う。

第5回ではSuper 61の第1墜落地点、
第6回ではそこへ向かった地上車列の混乱を扱った。

今回はSuper 64の第2墜落地点だけに焦点を絞る。
翌朝の多国籍救援については第8回で扱う。


  1. 第1回 モガディシュの戦闘とは?|短時間の拘束作戦が一夜の市街戦へ変わった日

  2. 第2回 なぜ米軍はアイディードを追ったのか|UNOSOM IIとOperation Gothic Serpent

  3. 第3回 Task Force Rangerとは何だったのか|デルタ、レンジャー、160th SOARの作戦設計

  4. 第4回 1993年10月3日、襲撃はどう始まったのか|標的拘束からSuper 61撃墜まで

  5. 第5回 Super 61墜落地点で何が起きたのか|拘束作戦が救出作戦へ変わった瞬間

  6. 第6回 地上車列はなぜ墜落地点へたどり着けなかったのか|市街戦・経路・通信の混乱
  7. 第7回 Super 64撃墜|ゴードン、シュガート、デュラントの第2墜落地点【現在の記事】

  8. 第8回 夜間救出部隊はどう突入したのか|第10山岳師団とマレーシア・パキスタン部隊

  9. 第9回 「モガディシュ・マイル」と撤収|10月4日朝、戦闘はどう終わったのか

  10. 第10回 モガディシュの戦闘は何を変えたのか|米軍撤収と『ブラックホーク・ダウン』の史実

先に結論|第2墜落地点には、すぐ送れる救援部隊がいなかった

Super 64の第2墜落地点が第1墜落地点よりさらに深刻だった最大の違いは、
まとまった地上部隊がすぐ現場へ入れなかったことにある。

Super 61が墜落したときには、
MH-6、レンジャー6人、15人のCSARチームなどが短時間で現場へ入った。

しかしその救難戦力は、
すでに第1墜落地点で戦闘中だった。

標的建物にいたAssault ForceやBlocking Forceの多くも
第1墜落地点へ向かっている。

地上車列も市街地で損害を受け、
自由に動ける状態ではない。

そこへSuper 64が墜落した。

第2墜落地点には重傷を負った乗員がいる。

上空からは武装したソマリア側の人員が
現場へ近づいていることも確認できた。

しかし、
彼らを守るためにすぐ送り込める地上部隊がない。

この空白を埋めようとしたのが
ゴードンとシュガートだった。

Super 61から約28分後、Super 64もRPGを受けた

米陸軍の回顧資料では、
Super 61が撃墜されてから約28分後、
Super 64がRPGを受けたとされている。

Super 61の撃墜を16時20分とすれば、
おおむね16時48分前後となる。

RPGはSuper 64のテールローター系統に重大な損傷を与えた。

操縦していたのは
CW3 Michael DurantとCW3 Raymond Frankだった。

機体にはさらに、
クルー・チーフのWilliam ClevelandとThomas Fieldが搭乗していた。

デュラントは損傷した機体の制御を試みたが、
Super 64は飛行を維持できなくなった。

機体は第1墜落地点から約1マイル離れた市街地へ落ちた。

FACT CHECK|Super 64の撃墜時刻は16時40分か16時48分か

公的資料にも表記差がある。

一部の米空軍広報資料では16時40分としている一方、
米陸軍の戦闘参加者回顧では
「Super 61撃墜の28分後」と記録されている。

Super 61を16時20分とすると後者は16時48分前後になる。

本特集では分単位の確定を過度に行わず、
16時40分台後半を中心として扱う。

第2墜落地点は、第1墜落地点から離れていた

Super 61とSuper 64は、
同じ場所へ落ちたわけではない。

米陸軍公式資料では、
Super 64の墜落地点は
第1墜落地点から約1マイル離れていたとされる。

ここで現在の地理では、作戦地域だったBakara Market周辺を基準に、
第1・第2墜落地点が生じたモガディシュ市街地のおおまかな範囲を確認できる。

Bakara Market周辺の現在位置。現在のGoogle Mapは1993年当時の道路・建物配置や、Super 61・Super 64の正確な墜落地点を示すものではない。2つの墜落地点の歴史的な位置関係は、米陸軍公式戦史のMap 3を優先する。


Googleマップで大きく見る


米陸軍公式戦史「Map 3」で1993年当時の第1・第2墜落地点を確認する

この距離が決定的だった。

第1墜落地点の地上部隊が
そのまま徒歩で第2墜落地点まで移動するには、
現在守っているSuper 61を放棄しなければならない。

しかし第1墜落地点には、
負傷者、死亡した搭乗員、
回収作業中の機体が残っている。

つまり、
一つ目の救出MISSIONを中止して
二つ目へ移ることはできなかった。

Task Force Rangerは、
同時に二つの墜落地点を確保しなければならなくなった。

「一つの事故への備え」は、「二つの事故」には足りなかった

第5回で見たように、
Task Force Rangerには航空機墜落用のCSARチームが準備されていた。

それはSuper 61へ投入された。

MH-6も第1墜落地点で救助を行った。

レンジャーも徒歩で現場へ向かった。

そのためSuper 64が墜落した時点では、
第1墜落地点と同じ規模の救難チームを
直ちにもう一組投入することはできなかった。

ここで10月3日の作戦は、
質的にもう一段階悪化する。


一つの予定外事態を処理している最中に、
同じ種類の予定外事態が別地点でもう一度発生した。

これが第2墜落地点の孤立につながった。

Super 64の4人は全員、戦闘できる状態ではなかった

米陸軍のMedal of Honor公式勲章記録は、
第2墜落地点の4人を
「critically wounded personnel」と記録している。

つまり、
4人全員が墜落後に正常な歩兵部隊として
周囲を守れる状態ではなかった。

特にデュラントは、
墜落によって重傷を負っていた。

自力で現場から移動することは困難だった。

墜落地点を守るには、
外部から戦闘可能な人員を送る必要がある。

しかし地上部隊は間に合わない。

上空では狙撃チームが支援を続けていた

第2墜落地点の上空には、
Task Force Rangerの特殊作戦狙撃チームがいた。

その中心が、
Master Sergeant Gary Gordonと
Sergeant First Class Randall Shughartだった。

2人は10月3日の作戦開始時から、
ヘリコプター上から精密射撃を行い、
地上部隊を支援していた。

Super 61が墜落した後も、
墜落地点へ接近する武装要員への射撃を行っている。

そしてSuper 64が落ちると、
今度は第2墜落地点の防御を上空から支援した。

しかし、
上空から撃てる範囲には限界がある。

建物。
塀。
小屋。
路地。

攻撃側が墜落機へ近づけば、
航空機上からでは死角が増える。

地上で直接防御する人員が必要になった。

ゴードンとシュガートは、地上への投入を要請した

米陸軍のMedal of Honor公式勲章記録によれば、
ゴードンとシュガートは、
地上部隊がすぐ第2墜落地点へ到着できないことを知った。

そして、
Super 64の乗員を守るため
自分たちを地上へ投入するよう要請した。

状況は非常に危険だった。

周囲には多数の武装要員が集まりつつあり、
降下した2人を直ちに支援できる地上部隊もない。

そのため最初の要請は認められなかった。

2度目も拒否された。

それでも2人は要請を続ける。

3度目の要請で、ようやく地上への投入が許可された。

FACT CHECK|命令されて降下したのか

公式Medal of Honor citationは、
ゴードンとシュガートが自ら
第2墜落地点への投入を志願したと明記している。

また一度の要請ですぐ許可されたのではなく、
3回目の要請で許可された

したがって、
「上官から第2墜落地点へ行くよう命令された2人」
という説明は公式記録と一致しない。

墜落地点そのものには降りられなかった

2人を乗せた航空機は、
Super 64の墜落地点へ接近した。

しかし墜落機周辺には残骸があり、
地上からの射撃も激しかった。

そのため、
墜落地点そのものへ安全に投入することはできなかった。

米陸軍公式勲章記録では、
ゴードンとシュガートは
墜落地点の約100m南へ投入されたとされている。

地図上では100mは短い。

しかし第6回で見た通り、
都市戦の100mは平地の100mではない。

2人は小屋や建物が密集する区域を、
射撃を受けながら進まなければならなかった。

狙撃銃と拳銃だけで墜落地点へ進んだ

公式勲章記録は、
2人の装備についても記録している。

ゴードンとシュガートは、
基本的に狙撃銃と拳銃を携行していた。

数十人規模の部隊が降下したわけではない。

装甲車もない。

CSARチームもいない。

2人は墜落地点まで移動し、
負傷したSuper 64の乗員へ到達した。

そして機内から乗員を引き出し、
周囲に防御線を作った。

2人は「救出」ではなく、到着までの時間を作ろうとしていた

ここで重要なのは、
ゴードンとシュガートの2人だけで
Super 64の乗員4人を安全地帯まで運ぶことが
現実的なMISSIONではなかったことである。

デュラントを含む乗員は重傷を負っていた。

徒歩で数km離脱することはできない。

2人の役割は、
墜落地点を一時的に確保し、
地上救援部隊が到着するまで生存者を守ることだった。

言い換えれば、
彼らが必要としていたのは
「勝利」ではなく「時間」だった。

その時間の間に、
地上部隊が到着すればよい。

しかし地上救援部隊は到着できなかった

Task Force Ranger基地側では、
Super 64の乗員を救出するための地上車列も編成された。

しかし第6回で見たのと同じ問題が起きる。

道路封鎖。

小火器・RPG。

航法。

負傷者。

車両損傷。

米陸軍の回顧資料では、
Super 64へ向かった車列も
最終的に第2墜落地点へ到達できなかった。

つまりゴードンとシュガートが期待していた
「後から来る地上救援」が間に合わなかった。

上空からの支援も永続することはできなかった

2人を降下させた後も、
上空のBlack Hawkは第2墜落地点への火力支援を続けた。

しかし航空機自身も、
地上から小火器とRPGの攻撃を受けていた。

10月3日の時点ですでに、
Super 61とSuper 64が失われ、
Super 68もRPGを受けている。

上空にBlack Hawkを同じ場所へ長時間留め続けることは、
別の墜落を招く危険があった。

そのため、
第2墜落地点は次第に
ゴードン、シュガート、
そして重傷のSuper 64乗員だけで守る状態へ近づいていった。

墜落機から乗員を出し、防御位置を作る

ゴードンとシュガートは
Super 64へ到達すると、
重傷の乗員を機体から引き出した。

公式勲章記録では、
2人は墜落機周辺に防御線を設定し、
自分たちを最も攻撃を受けやすい位置へ置いたとされている。

周囲には武装したソマリア側の人員が接近していた。

2人は墜落地点の周囲を移動しながら、
接近する相手へ射撃を続けた。

しかし弾薬は有限だった。

なぜデュラントだけが生き残ったのか

第2墜落地点にいたSuper 64乗員のうち、
最終的に生存したのはマイケル・デュラントだった。

米陸軍資料は、
墜落地点が最終的にソマリア側に制圧され、
ゴードンとシュガートを含む米兵が死亡したと記録している。

デュラントは重傷を負った状態で拘束された。

ここで注意したいのは、
「デュラントが一人だけ戦って生き残った」
という意味ではない。

彼は墜落による重傷を負い、
ゴードンとシュガートが地上へ来なければ
さらに早い段階で現場が制圧されていた可能性が高い。

米陸軍のMedal of Honor citationも、
2人の行動がパイロットの生命を救ったと明記している。

ゴードンとシュガートの最後について、細部を映画と混同しない

第2墜落地点の最終局面は、
『ブラックホーク・ダウン』でも強く描かれた部分である。

ただし、
誰がどの瞬間に倒れ、
誰が最後にどの武器をデュラントへ渡したのかといった細部は、
後年の再現や二次資料によって描写が異なる。

このため本特集では、
映像作品の順序をそのまま史実として採用しない。

米陸軍の公式Medal of Honor citationが確実に示しているのは、
次の点である。

確認できる事実 公式記録
投入要請 2人は自ら志願し、3度目の要請で許可された
投入地点 墜落地点から約100m南
移動 小屋・建物の密集地を戦闘しながら進んだ
乗員への対応 重傷の乗員を機体から出した
防御 墜落地点周辺で防御を継続した
結果 2人とも戦死、デュラントは生存

FACT CHECK|「最後に銃を渡したのは誰か」

一般的な再現作品や二次資料には、
最終局面の細かな順序について異なる描写が存在する。

米陸軍のGary Gordon公式Medal of Honor citationでは、
Gordonが墜落機から残弾のあるライフルを回収し、
パイロットへ渡したという記録になっている。

一方、映像作品や一部の二次資料では
別の順序で描かれることがある。

本記事では公式勲章記録を基準とするが、
最終局面の秒単位の行動順まで
完全に再現できる一次映像記録があるわけではないため、
必要以上に細部を断定しない。

第2墜落地点は最終的に制圧された

地上救援部隊が到着する前に、
第2墜落地点へ接近するソマリア側の人数は増えていった。

ゴードンとシュガートは防御を続けたが、
弾薬も人員も限られていた。

最終的に墜落地点は制圧された。

ゴードンとシュガートは戦死した。

Super 64の乗員も、
デュラントを除いて死亡した。

デュラントは拘束され、
アイディード派の管理下で捕虜となった。

米軍側は当初、
第2墜落地点の乗員全員がどうなったのか正確には把握できていなかった。

航空機は夜間も生存者を捜索した。

米軍は夜になってもSuper 64の生存者を探していた

Super 68を操縦していたダン・ジョロタは、
損傷機で空港へ戻った後、
別の航空機で再び戦闘へ戻った。

米陸軍の回顧記事によれば、
彼はSuper 64の乗員が機体から脱出し、
市街地を移動している可能性も考えていた。

そのため夜間も上空から
Super 64の乗員を探し続けた。

しかし実際には、
第2墜落地点はすでに制圧されていた。

デュラントだけが生存し、
捕虜になっていた。

11日間の捕虜生活

デュラントは重傷を負った状態で拘束された。

その後、
彼が生存していることは米国側にも知られるようになる。

デュラントの拘束は、
単なる一兵士の救出問題ではなく、
戦闘後の米国とソマリア側との政治的交渉にも関わる問題になった。

最終的に、
デュラントは11日後に解放された。

解放後は医療搬送され、
治療を受けている。

この11日間については、
本シリーズでは戦闘当日の構造から離れすぎるため詳細には踏み込まない。

重要なのは、
第2墜落地点で米軍側が全滅したわけではなく、
デュラントという生存者が残り、
後に帰還したことである。

ゴードンとシュガートにはMedal of Honorが授与された

ゴードンとシュガートの行動に対して、
米国は2人にMedal of Honor、
名誉勲章を授与した。

授与は死後である。

1994年5月23日、
ホワイトハウスで遺族へ授与された。

これはベトナム戦争後、
久しく授与されていなかったMedal of Honorでもあった。

ただし、
この第7回の目的は2人を英雄的に美化することではない。

なぜ2人だけが第2墜落地点へ入らざるを得なかったのか。

その背景には、
Task Force Rangerの複数部隊が
すでに別の問題へ拘束されていたという作戦構造がある。

第1墜落地点と第2墜落地点は、何が違ったのか

二つの墜落地点を比較すると、
第2墜落地点がなぜ急速に孤立したのかが分かる。

Super 61 第1墜落地点 Super 64 第2墜落地点
発生 先に発生 約28分後
初動航空救助 MH-6が到着 まとまった航空救難部隊なし
CSAR 15人チーム投入 第1墜落地点へ投入済み
徒歩地上部隊 レンジャー・Assault Forceが集結 すぐ到着できず
即時防御 複数部隊 最終的にGordon・Shughart中心
結果 翌朝まで保持 夜を待たず制圧される

同じMH-60墜落でも、
発生した順番によって利用できる救援資源がまったく違っていた。

第1墜落地点がすでに
Task Force Rangerの戦力を吸収していたからこそ、
第2墜落地点には部隊を集められなかったのである。

2機目の墜落が「決定的な転換点」になった

米陸軍の戦闘参加者の一人は、
Super 64が落ちた瞬間を
戦闘がさらに悪化した転換点として振り返っている。

理由は分かりやすい。

Super 61だけなら、
Task Force Rangerの戦力を第1墜落地点へ集約することができた。

しかしSuper 64が別の場所へ落ちたことで、
部隊は集約できなくなった。

一つの救援MISSIONが、
二つの独立した救援MISSIONになった。

しかも、どちらも市街地の敵対地域の中にある。

Task Force Ranger単独で
両方を短時間に処理する余裕は消えていた。

FACT CHECK|「デュラント救出の車列」は存在した

第2墜落地点へ地上から誰も向かわなかったわけではない。

Task Force Ranger基地側では
Super 64の生存者を救出するための車列が出動している。

しかし市街地で激しい攻撃を受け、
最終的に墜落地点へ到達することはできなかった。

したがって、
GordonとShughartが完全に計画外の独断で
「誰も来ない場所」へ行ったという理解も正確ではない。

地上救援は試みられていたが、
間に合わなかったのである。

「英雄譚」だけでは、この第2墜落地点は理解できない

ゴードンとシュガートの行動だけを見ると、
第2墜落地点は2人の勇気を語る物語になる。

その行動が極めて危険で、
公式に最高位の軍事勲章が授与されたことは事実である。

しかしCASE FILEとして重要なのは、
その一段前を見ることである。

なぜ2人だけだったのか。

なぜCSARチームは来なかったのか。

なぜ地上車列は間に合わなかったのか。

なぜ上空からの支援だけでは守れなかったのか。

それらの答えは、
第1墜落地点で救難資源がすでに使用され、
道路上の部隊も戦闘と負傷者搬送で動けなくなっていたことにある。

第2墜落地点の悲劇は、
2人の選択だけではなく、
戦場全体の救援能力が飽和した結果でもあった。

まとめ|Super 64で、MISSIONは二つに割れた

Super 61が墜落したとき、
Task Force Rangerは拘束作戦から救出作戦へ変わった。

しかしSuper 64が墜落すると、
その救出作戦自体が二つに分裂した。

第1墜落地点にはすでにMH-6、レンジャー、CSAR、
Assault Forceなどが集まっていた。

そのため約1マイル離れた第2墜落地点へ、
同じ規模の救援戦力をすぐ送ることはできなかった。

ゴードンとシュガートは、
地上部隊が間に合わないことを知りながら、
3度にわたって投入を要請した。

約100m離れた地点へ降下し、
重傷のSuper 64乗員へ到達。
墜落地点を守り続けた。

しかし地上救援部隊は間に合わず、
最終的に2人は戦死した。

Super 64の乗員では
マイケル・デュラントだけが生存し、
捕虜となった後、11日後に解放された。

第2墜落地点で明らかになったのは、
Task Force Rangerがすでに自力で全員を回収できる段階を越えていたということだった。

次に必要だったのは、
Task Force Rangerの外側から投入される
より大きな救援戦力だった。

次回はその救援部隊を見る。

第10山岳師団だけではない。

マレーシア軍の装甲兵員輸送車、
パキスタン軍の戦車も組み込まれた多国籍救援部隊は、
なぜ必要になり、
どのように夜のモガディシュへ突入したのかを追う。


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CASE FILE 23|モガディシュの戦闘 全10回


  1. 第1回 モガディシュの戦闘とは?|短時間の拘束作戦が一夜の市街戦へ変わった日

  2. 第2回 なぜ米軍はアイディードを追ったのか|UNOSOM IIとOperation Gothic Serpent

  3. 第3回 Task Force Rangerとは何だったのか|デルタ、レンジャー、160th SOARの作戦設計

  4. 第4回 1993年10月3日、襲撃はどう始まったのか|標的拘束からSuper 61撃墜まで

  5. 第5回 Super 61墜落地点で何が起きたのか|拘束作戦が救出作戦へ変わった瞬間

  6. 第6回 地上車列はなぜ墜落地点へたどり着けなかったのか|市街戦・経路・通信の混乱
  7. 第7回 Super 64撃墜|ゴードン、シュガート、デュラントの第2墜落地点【現在の記事】

  8. 第8回 夜間救出部隊はどう突入したのか|第10山岳師団とマレーシア・パキスタン部隊

  9. 第9回 「モガディシュ・マイル」と撤収|10月4日朝、戦闘はどう終わったのか

  10. 第10回 モガディシュの戦闘は何を変えたのか|米軍撤収と『ブラックホーク・ダウン』の史実

出典・参考資料

  • U.S. Army,
    Somalia Medal of Honor Recipients — Gary I. Gordon / Randall D. Shughart.
    — 3度にわたる投入要請、約100m南への降下、
    重傷乗員の救出、防御行動、両名の戦死についての公式勲章記録。
  • U.S. Army Center of Military History,
    The United States Army in Somalia, 1992–1994.
    — Super 61とSuper 64の位置関係、
    第2墜落地点の陥落、デュラント拘束など戦闘全体の確認。
  • United States Forces Somalia,
    After Action Report and Historical Overview.
    — 2機目のMH-60喪失、
    第1墜落地点と第2墜落地点へ戦力が分散した経過を確認。
  • U.S. Army,
    Veterans reflect on Battle of Mogadishu.
    — Super 64がSuper 61の約28分後に墜落したこと、
    地上救援車列が到達できなかったこと、
    デュラントの捕虜・11日後の解放を確認。
  • U.S. Army,
    Soldiers reflect on Battle of Mogadishu.
    — Super 64の操縦士Michael DurantとRaymond Frank、
    第2墜落地点の孤立、
    夜間の生存者捜索について確認。
  • U.S. Army University Press,
    This Month in NCO History: The Battle of Mogadishu, Oct. 3, 1993.
    — GordonとShughartの上空支援、投入要請、
    4人の重傷乗員、防御行動の確認。

※Super 64撃墜時刻は公的資料にも表記差がある。
米陸軍回顧資料はSuper 61撃墜から「28分後」としており、
Super 61を16時20分とすれば16時48分前後となる。
一方、一部の公的広報資料には16時40分との表記がある。
このため本記事では「16時40分台後半」を中心に扱う。

※GordonとShughartの最終局面については、
映画・書籍・二次資料で行動順序に違いがある。
本記事では米陸軍のMedal of Honor公式勲章記録を最優先し、
一次資料で確認できない秒単位の順序は断定していない。

※Michael DurantはSuper 64第2墜落地点の唯一の生存者となり、
捕虜として11日間拘束された後に解放された。

※第2墜落地点の現在の正確なGoogle Map座標を、
二次資料から推測して掲載することは行わない。
位置関係は米陸軍公式戦史の戦闘地図を基準とする。