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HMS ErebusとTerrorとはどんな船だったのか129人を北極へ運んだ2隻と遠征隊

HMS ErebusとTerrorとはどんな船だったのか|129人を北極へ運んだ2隻と遠征隊

探検・遠征

1845年、ジョン・フランクリン率いる129人を北極圏へ運んだのは、 HMS Erebus(エレバス)HMS Terror(テラー)という2隻の英国海軍艦でした。

フランクリン遠征というと、 「木造帆船で極寒の北極へ向かった19世紀の無謀な探検」 という印象を持つかもしれません。

しかし、この見方は実態とかなり違います。

ErebusとTerrorはともに、 もともと英国海軍のbomb vessel(爆撃艦/臼砲艦)として建造された非常に頑丈な船でした。 さらに極地航海用に船体を補強され、 1845年の遠征に向けて補助蒸気機関、スクリュープロペラ、暖房設備、 氷や雪から飲料水を作る設備などまで搭載されていました。

Parks Canadaはフランクリン遠征を、 当時の欧州基準では十分に準備され、専門的に装備された遠征と説明しています。

では、それほど準備された2隻は、 なぜ北極海から戻れなかったのでしょうか。

この記事で分かること

  • HMS ErebusとHMS Terrorはもともと何のために造られた船なのか
  • なぜ軍艦だった2隻が極地探検に選ばれたのか
  • 1845年のフランクリン遠征に向けてどのような改修を受けたのか
  • 帆船なのになぜ蒸気機関とプロペラを持っていたのか
  • 船内の暖房・飲料水・食料はどう準備されていたのか
  • ジョン・フランクリン、フランシス・クロージャー、ジェームズ・フィッツジェームズの役割
  • 「装備不足だったから全滅した」という説明がなぜ単純すぎるのか

CASE FILE 20|フランクリン遠征特集(全10回)

  1. 第1回|フランクリン遠征とは?|129人が北極圏へ消えた1845年の探検
  2. 第2回|HMS ErebusとTerrorとはどんな船だったのか|129人を北極へ運んだ2隻と遠征隊【現在の記事】
  3. 第3回|フランクリンは何を探していたのか|北西航路と1845年遠征のルート
  4. 第4回|遠征隊はどこで動けなくなったのか|1845年出航からキングウィリアム島の氷海閉塞まで
  5. 第5回|フランクリン遠征「最後の記録」|Victory Point Noteが伝えた24人の死と船の放棄
  6. 第6回|消えた129人を誰が探したのか|フランクリン捜索隊とジョン・レイ、マクリントック
  7. 第7回|イヌイットは何を見ていたのか|フランクリン遠征の最期を伝えた証言
  8. 第8回|129人はなぜ帰れなかったのか|遺骨・病気・飢餓・鉛中毒説を検証する
  9. 第9回|HMS Erebusはどう見つかったのか|2014年、失踪から169年後の船体発見
  10. 第10回|HMS Terror発見|2016年の船体発見と現在も続くフランクリン遠征の調査

先に結論|ErebusとTerrorは「古い帆船」ではなかった

1845年当時、ErebusとTerrorは最新鋭の蒸気船ではありませんでした。 基本構造は3本マストを持つ木造帆船です。

しかし、それだけで 「時代遅れの船だった」 と評価するのも正確ではありません。

2隻はもともと非常に強固な構造を持つ英国海軍艦で、 過去の極地航海を踏まえて船体が補強され、 さらに1845年には補助蒸気機関とスクリュープロペラまで追加されていました。

暖房設備もあり、 氷や雪を溶かして飲料水を作る設備もあり、 数年間を想定した大量の食料と物資を積載していました。

つまりフランクリン遠征の問題を理解するとき、 出発点を 「準備不足の船が北極に入った」 に置いてはいけません。

むしろ見るべきなのは、 当時としては十分に準備された技術と組織が、それでも北極海の条件を突破できなかった という点です。

2隻はもともと「爆撃艦」だった

ErebusとTerrorには、 フランクリン遠征以前の長い経歴があります。

どちらも英国海軍の bomb vesselとして建造された船でした。

この種の艦艇は大型の臼砲などを搭載するため、 通常の同規模帆船より強固な内部構造を必要としました。 その頑丈さが、 のちにまったく別の用途で価値を持つことになります。

北極や南極を航海する船には、 海氷や氷山から船体へ大きな力が加わります。

そこで英国海軍は、 強固な構造を持つ旧爆撃艦を 極地探検用へ転用しました。

FACT CHECK|「軍艦だから北極に強かった」のか

確認できること:
ErebusとTerrorはもともと英国海軍の爆撃艦として造られ、 強固な内部構造を持っていました。 Parks Canadaも、この構造が流氷や氷山に耐えるうえで有利だったと説明しています。

注意点:
「頑丈な船体」と「厚い海氷を自由に突破できる能力」は別です。 2隻は現代の砕氷船ではなく、 基本的には帆走を主体とする19世紀の木造船でした。

HMS Erebus|1826年に進水した探検隊の旗艦

HMS Erebusは、 ウェールズのPembroke Dockyardで建造され、 1826年6月7日に進水しました。

Parks Canadaが示す基本値では、 船体長は約32m、 幅は約8.7m、 排水量は372 long tons。

もともとは2門の臼砲と10門の大砲を持つ軍艦でした。

フランクリン遠征以前には、 ジェームズ・クラーク・ロスが率いた 1839~1843年の南極探検に参加しています。

1845年の遠征では、 ジョン・フランクリン自身がErebusに乗り、 ジェームズ・フィッツジェームズが同船を指揮しました。

遠征全体の指揮官が乗ることから、 実質的にはフランクリン遠征の旗艦と考えると分かりやすいでしょう。

HMS Terror|1813年進水、戦争と極地を経験した古参艦

TerrorはErebusよりさらに古い船です。

イングランド南西部TopshamのDavy造船所で建造され、 1813年6月29日に進水しました。

船体長は約31m、 幅は約8.2m、 排水量は325 long tons。

Terrorは軍艦として 1812年戦争にも参加しました。 その後は極地探検船へ転用されます。

1836~1837年にはジョージ・バックの北極探検に参加。 この航海では氷によって大きな損傷を受けながらも帰還しました。

さらに1839~1843年には、 Erebusとともにロスの南極探検へ参加しています。

つまり1845年の時点でTerrorは、 机上で「北極向け」と設計されただけの船ではありません。

すでに実際の北極・南極航海を経験し、 厳しい氷海で運用された実績を持つ船でした。

ErebusとTerrorを比較すると

項目 HMS Erebus HMS Terror
進水 1826年6月7日 1813年6月29日
原用途 英国海軍爆撃艦 英国海軍爆撃艦
全長 約32m 約31m
約8.7m 約8.2m
排水量 372 long tons 325 long tons
帆装 3本マスト 3本マスト
極地経験 1839~1843年 南極探検 1836~1837年 北極探検、1839~1843年 南極探検
1845年の主要人物 ジョン・フランクリン、ジェームズ・フィッツジェームズ フランシス・クロージャー
補助動力 蒸気機関+スクリュープロペラ 蒸気機関+スクリュープロペラ

数字を見ると分かるように、 2隻は巨大船ではありません。

現在の大型船とは比較にならないほど小さな木造船の中で、 100人を超える人員、食料、燃料、科学機材を維持しながら、 数年間にわたって北極圏を航海する計画でした。

南極探検を終えたあと、さらに船体が強化された

ErebusとTerrorは1839~1843年の南極探検に向けて、 すでに極地仕様への改修を受けていました。

船首には鉄板が追加され、 船体内部にも木材と鉄材による補強が施されていました。

しかし英国海軍は、 1845年の北西航路遠征に際して さらに改修を行います。

Royal Museums Greenwichの資料では、 上甲板には追加の板材が取り付けられ、 船首側の舷側には約20フィートにわたって鉄板が追加されたとされています。

そして最も大きな変更のひとつが、 蒸気機関の搭載でした。

帆船なのに蒸気機関を積んでいた

ErebusとTerrorは、 外見だけを見れば典型的な3本マストの帆船です。

主な推進力も帆でした。

ところが1845年の改修では、 2隻の船倉に蒸気機関が搭載されています。

しかも、もともと船舶用として新造された機関ではありません。

Parks Canadaによれば英国海軍は、 鉄道用蒸気機関車のエンジンから車輪を取り外し、船内へ転用しました。

動力は船尾のスクリュープロペラへ伝えられました。

当時の英国海軍でも スクリュー推進そのものがまだ発展途上にあった時期です。

つまりフランクリン遠征には、 十分な実績を持つ帆船技術と、 まだ新しかった蒸気推進技術の両方が組み合わされていました。

蒸気機関は「砕氷船のエンジン」ではない

ここは誤解しやすいところです。

蒸気機関が搭載されていたからといって、 ErebusとTerrorが現代の砕氷船のように 厚い海氷をエンジンの力で突破できたわけではありません。

船が積める石炭の量には限界がありました。

フランクリンへの指示でも、 蒸気機関は困難な状況で使用する 補助動力として位置づけられていました。

常時蒸気機関だけで航行すれば、 長期遠征に必要な石炭を短期間で消費してしまいます。

Royal Museums Greenwichも、 機関と石炭を積むことによって 他の装備や物資へ使える船内スペースが減るという トレードオフがあったことを指摘しています。

最新技術を搭載すれば無条件に遠征能力が上がる、 という単純な話ではなかったのです。

プロペラは氷から逃がせる構造だった

北極海でスクリュープロペラを使う場合、 もうひとつ問題があります。

船尾のプロペラが海中へ固定されたままでは、 氷との接触によって損傷する可能性があります。

そこで2隻には、 使用しないときに プロペラを水面上へ引き上げられる機構 が設けられました。

船尾はこの機構を搭載するために改造され、 Erebusでは船体長も約1m伸びています。

この装置からも、 英国海軍が「蒸気機関を付ければよい」と考えていたわけではなく、 実際の海氷環境を前提に改修していたことが分かります。

北極の船内には暖房設備もあった

船内生活についても、 単純な「木造船の中で寒さに耐える」という状況ではありませんでした。

ErebusとTerrorには、 士官区画と乗組員区画へ暖気を送る 暖房装置が設けられていました。

また調理用ストーブにはタンクが取り付けられ、 氷や雪を溶かして淡水を作ることもできました。

極地航海では、 周囲に雪と氷が大量に存在していても、 そのままでは飲料水として利用できません。

大量の氷を継続的に溶かすためには燃料と熱源が必要です。

船内暖房、 調理、 飲料水の確保、 補助蒸気機関。

これらはすべて、 長期遠征では燃料消費と結び付きます。

食料は約3年分|慎重に使えば5年を想定していた

Parks Canadaによれば、 遠征隊は約3年分の物資を積んでいました。

フランクリン自身は、 計画的に消費すれば 最大5年程度まで延ばせる と考えていたとされています。

Royal Museums Greenwichに残る遠征準備の記録を見ると、 その規模が分かります。

当初138人を想定した食料調達では、 PlymouthのVictualling Yardだけでも 約35,000ポンド、約15.5tの船用ビスケットを焼いて梱包する必要がありました。

さらにペミカン、 野菜の保存食、 クランベリー、 ピクルス、 キャベツ、 タマネギ、 クルミなども調達されています。

単に大量のカロリーを積むだけではなく、 数年間の航海を想定した食料構成が準備されていました。

それでも遠征末期には、 食料・栄養状態が大きな問題になったと考えられています。

この点は第8回で、 遺骨や病気、飢餓、鉛曝露などと合わせて詳しく検証します。

129人は「フランクリン1人の探検隊」ではない

フランクリン遠征という名前から、 ジョン・フランクリン一人が すべてを指揮していたように見えるかもしれません。

実際には、 2隻にはそれぞれ艦長と士官がおり、 遠征は英国海軍の組織として運用されていました。

ジョン・フランクリン|遠征全体の指揮官

フランクリンは1786年生まれ。 1845年の出発時には58歳でした。

英国海軍で長い経歴を持ち、 それ以前にもカナダ北部で複数の探検を経験しています。

1845年には遠征全体を指揮し、 Erebusに乗船しました。

フランシス・クロージャー|Terror艦長・遠征副指揮官

Terrorを指揮したのが フランシス・ロードン・モイラ・クロージャーです。

クロージャーは、 フランクリン遠征以前から北極・南極の双方で豊富な極地航海経験を持っていました。

1839~1843年のロス南極探検でもTerror艦長を務めており、 1845年には同じ船を再び指揮しています。

また地磁気観測にも通じ、 Royal Societyのフェローでもありました。

フランクリンが1847年6月11日に死亡したあと、 遠征全体の指揮を引き継いだのもクロージャーです。

ジェームズ・フィッツジェームズ|Erebus艦長

Erebusを指揮したのは ジェームズ・フィッツジェームズです。

彼はフランクリン、クロージャーに次ぐ遠征第3位の指揮官でした。

海軍でシリア、エジプト、中国などの実戦経験を持っていましたが、 フランクリン遠征以前に極地航海経験はありませんでした。

遠征準備では士官・乗員の募集にも関わり、 航海中は地磁気観測を担当しました。

後にクロージャーとともに Victory Point Noteへ署名した人物でもあります。

3人の主要指揮官を比べると

人物 1845年の役割 主な特徴
ジョン・フランクリン 遠征総指揮/Erebus乗船 過去の北極探検経験を持つ海軍士官
フランシス・クロージャー 副指揮官/Terror艦長 北極・南極双方で豊富な極地航海経験
ジェームズ・フィッツジェームズ 遠征第3位/Erebus艦長 海軍実戦経験、乗員募集、地磁気観測担当

この構成を見ると、 フランクリン遠征は 「高齢の探検家が独断で北極へ向かった」 という個人的冒険ではなかったことが分かります。

経験の異なる士官を配置し、 科学観測担当者、医師、船大工、機関関係者、料理人、海兵隊員などを含む 英国海軍の大規模な遠征でした。

科学観測も遠征の任務だった

北西航路を進むことだけが、 1845年遠征の仕事ではありませんでした。

士官たちには航海中、 地理調査だけでなく さまざまな科学観測を行う任務も与えられていました。

その重要項目のひとつが 地磁気の観測です。

当時、地球磁場の測定は 航海・地球科学の両面で重要な研究テーマでした。

クロージャーは地磁気研究の経験を持ち、 フィッツジェームズも1845年遠征では磁気観測に関わりました。

つまり2隻には、 人と食料だけでなく、 長期の観測に必要な科学機材も積み込まれていました。

それでも最大の弱点は「氷が動かなければ船も動かない」ことだった

船体を補強する。

蒸気機関を搭載する。

プロペラを氷から逃がせるようにする。

暖房を付ける。

数年分の食料を積む。

1845年のErebusとTerrorには、 当時考えられるさまざまな対策が盛り込まれていました。

しかし、その多くは 「氷海で長く耐える」ための装備であり、 厚い海氷を強制的に突破する能力ではありません。

1846年9月、 2隻はキングウィリアム島北西の海域で氷に閉じ込められます。

通常なら夏季に氷が緩み、 再び航海を続けられる可能性がありました。

ところが翌年になっても、 船は自由になりませんでした。

そして1848年4月まで、 約1年半にわたって拘束された状態が続きます。

どれほど頑丈な船でも、 海そのものが固体になって動かなければ、 航海することはできません。

フランクリン遠征を理解するうえで、 この「壊れないこと」と「進めること」の違いは重要です。

「最新装備だったのになぜ失敗したのか」がCASE20の中心にある

ErebusとTerrorの装備を見ると、 フランクリン遠征を 単純な技術不足で説明することは難しくなります。

当時の英国海軍は、 極地航海の経験を持つ船を選び、 補強し、 新しい推進技術を導入し、 長期滞在を想定した食料・暖房・飲料水設備を準備していました。

それでも129人は帰還しませんでした。

ここで重要なのは、 「英国海軍が何も考えていなかった」のではなく、 彼らが想定していた遠征条件と、実際に起きた状況の差を見ることです。

船は氷に耐えることができても、 海氷を自由に動かすことはできません。

食料を3年分積んでも、 遠征期間が想定以上に延びれば余裕は減ります。

蒸気機関があっても、 搭載できる石炭には限界があります。

暖房設備があっても、 船内の人間が何年でも健康でいられるわけではありません。

フランクリン遠征は、 「装備がなかったため失敗した」のではなく、 当時最高水準に近い装備にも限界があった遠征として見る方が実態に近いのです。

まとめ|ErebusとTerrorは、失敗するために造られた船ではなかった

HMS ErebusとHMS Terrorは、 ともに英国海軍の爆撃艦として生まれました。

強固な船体を評価されて極地探検へ転用され、 南極や北極で実際の航海経験を積み、 1845年の遠征前にはさらに改修されています。

補助蒸気機関。 スクリュープロペラ。 船体補強。 暖房。 雪や氷から飲料水を作る設備。 そして数年分の物資。

出発時点で考えれば、 フランクリン遠征は決して軽装備ではありませんでした。

だからこそ、 1846年9月以降に起きたことが重要になります。

頑丈な2隻は壊れずに残った。

しかし、 氷の中から出られなくなった。

次回は、 そもそもフランクリンたちが どこを通ろうとしていたのかを追います。

大西洋と太平洋を結ぶ 北西航路とは何なのか。 そして地図上のどの空白を埋めるため、 ErebusとTerrorはカナダ北極諸島へ入っていったのでしょうか。

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今回出てきた言葉

Bomb vessel
大型の臼砲などを搭載するために強固な構造を持った英国海軍艦。 ErebusとTerrorはこの頑丈さを利用して極地探検船へ転用された。
HMS Erebus
1826年進水の英国海軍艦。 ロス南極探検を経てフランクリン遠征へ参加し、 ジョン・フランクリンとジェームズ・フィッツジェームズが乗船した。
HMS Terror
1813年進水の英国海軍艦。 1812年戦争、北極探検、南極探検を経験した後、 1845年にはフランシス・クロージャーが指揮した。
補助蒸気機関
帆走を主とする2隻に追加された補助動力。 鉄道用機関車のエンジンを転用し、スクリュープロペラを駆動した。 石炭搭載量に限界があるため、常用する主機関ではなかった。
フランシス・クロージャー
HMS Terror艦長でフランクリン遠征の副指揮官。 北極・南極双方で豊富な経験を持ち、 フランクリン死亡後は遠征全体の指揮を引き継いだ。

CASE FILE 20|フランクリン遠征特集 全10回

  1. 第1回|フランクリン遠征とは?|129人が北極圏へ消えた1845年の探検
  2. 第2回|HMS ErebusとTerrorとはどんな船だったのか|129人を北極へ運んだ2隻と遠征隊【現在の記事】
  3. 第3回|フランクリンは何を探していたのか|北西航路と1845年遠征のルート
  4. 第4回|遠征隊はどこで動けなくなったのか|1845年出航からキングウィリアム島の氷海閉塞まで
  5. 第5回|フランクリン遠征「最後の記録」|Victory Point Noteが伝えた24人の死と船の放棄
  6. 第6回|消えた129人を誰が探したのか|フランクリン捜索隊とジョン・レイ、マクリントック
  7. 第7回|イヌイットは何を見ていたのか|フランクリン遠征の最期を伝えた証言
  8. 第8回|129人はなぜ帰れなかったのか|遺骨・病気・飢餓・鉛中毒説を検証する
  9. 第9回|HMS Erebusはどう見つかったのか|2014年、失踪から169年後の船体発見
  10. 第10回|HMS Terror発見|2016年の船体発見と現在も続くフランクリン遠征の調査

出典・参考資料

  • Parks Canada — The vessels Erebus・Terrorの建造年、寸法、排水量、爆撃艦としての出自、 船体補強、補助蒸気機関、スクリュープロペラ、暖房・飲料水設備の確認に使用。
  • Parks Canada — Franklin’s 1845 expedition 1845年遠征の装備水準、約3年分の物資、 慎重に消費した場合の長期運用想定、129人体制の確認に使用。
  • Parks Canada — Who’s who in the Franklin expedition ジョン・フランクリン、フランシス・クロージャー、 ジェームズ・フィッツジェームズの役職・経歴・極地経験の確認に使用。
  • Royal Museums Greenwich — HMS Terror and Sir John Franklin’s final expedition Terrorの軍艦・北極・南極での経歴、 1845年改修、船体補強、蒸気機関とプロペラ搭載の背景確認に使用。
  • Royal Museums Greenwich — How do you prepare for an expedition to the Arctic? 1845年遠征の食料・物資調達、 船用ビスケット、ペミカン、保存野菜などの遠征準備確認に使用。

本記事では、ErebusとTerrorを「当時の最新鋭船」または 「時代遅れの帆船」のどちらか一方として単純化せず、 英国海軍の既存帆船技術、極地航海経験、新しい蒸気推進技術が 組み合わされた探検船として整理した。 また、船体が強固だったことと、 厚い海氷を砕いて自由に航行できたことは分けて記述している。