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HMS Erebusはどう見つかったのか2014年、失踪から169年後の船体発見

HMS Erebusはどう見つかったのか|2014年、失踪から169年後の船体発見

遭難・救助

2014年9月2日。

カナダ北極圏の海を、
小型調査船がゆっくりと往復していました。

船尾から海中へ伸びているのは、
side-scan sonar――サイドスキャンソナー

海底へ音波を送り、
戻ってくる反射から
海底にある物体の形を画像として描き出す装置です。

画面を見ていたParks Canadaの水中考古学者
Ryan Harrisたちは、
何年も同じ作業を繰り返していました。

海底を一列ずつ走査する。

何もない。

少し横へ移動し、
また一列走査する。

それを繰り返す。

そしてその日、
モニターに船の形が現れました。


船首。
船尾。
甲板。
船体。

海底に横たわる木造船が、
一目で分かるほどの形を残していました。

1845年に英国を出航し、
その後169年間行方が分からなくなっていた
フランクリン遠征の2隻のうち一隻。

後にその船は、
HMS Erebus
と確認されます。

しかし、
発見は「最新ソナーで海を探したら偶然見つかった」
という話ではありません。

その前には、
19世紀に記録されたイヌイットの証言がありました。

6年間の海底調査がありました。

そして船体発見の
わずか1日前、
陸上から小さな船の部品が見つかっていました。

第9回では、
169年間見つからなかったErebusが、なぜ2014年になって見つかったのか
を追います。

この記事で分かること

  • なぜErebusとTerrorは150年以上見つからなかったのか
  • Parks Canadaはなぜ2008年から再捜索を始めたのか
  • 捜索区域を「北」と「南」に分けた理由
  • イヌイットの口承は捜索場所の決定にどう使われたのか
  • サイドスキャンソナーとは何をする装置なのか
  • 2008~2013年の捜索で何が分かったのか
  • 2014年9月1日に陸上で見つかった2つの遺物とは何か
  • なぜその発見が海底捜索の場所を変えたのか
  • 9月2日のソナー画面に何が映ったのか
  • 発見時点ではなぜErebusかTerrorか分からなかったのか
  • いつHMS Erebusと正式に確認されたのか
  • Erebusの位置がフランクリン遠征に新たな疑問を生んだ理由

CASE FILE 20|フランクリン遠征特集(全10回)

  1. 第1回|フランクリン遠征とは?|129人が北極圏へ消えた1845年の探検
  2. 第2回|HMS ErebusとTerrorとはどんな船だったのか|129人を北極へ運んだ2隻と遠征隊
  3. 第3回|フランクリンは何を探していたのか|北西航路と1845年遠征のルート
  4. 第4回|遠征隊はどこで動けなくなったのか|1845年出航からキングウィリアム島の氷海閉塞まで
  5. 第5回|フランクリン遠征「最後の記録」|Victory Point Noteが伝えた24人の死と船の放棄
  6. 第6回|消えた129人を誰が探したのか|フランクリン捜索隊とジョン・レイ、マクリントック
  7. 第7回|イヌイットは何を見ていたのか|フランクリン遠征の最期を伝えた証言
  8. 第8回|129人はなぜ帰れなかったのか|遺骨・病気・飢餓・鉛中毒説を検証する

  9. 第9回|HMS Erebusはどう見つかったのか|2014年、失踪から169年後の船体発見【現在の記事】
  10. 第10回|HMS Terror発見|2016年の船体発見と現在も続くフランクリン遠征の調査

先に結論|Erebusは「ソナーだけ」で見つかったのではない

HMS Erebus発見の直接的な瞬間は、
2014年9月2日のサイドスキャンソナーです。

しかし、
発見までの流れを見ると
少なくとも4種類の情報が組み合わされています。

情報 役割
19世紀のイヌイット口承 King William Islandより南に船があったという捜索仮説
現代のInuit knowledge 地名・地域史・探索区域の解釈
陸上考古学 2014年9月1日に船由来の部品を発見
水中リモートセンシング 9月2日に海底の船体そのものを検出

したがって、
「最新技術が169年前の謎を解いた」
という説明だけでは半分しかありません。

より正確には、

19世紀から残っていた情報を現代の考古学とソナーで
位置情報へ変換し続けた結果、
ようやく船体へ到達した

という発見です。

そもそも、なぜ船がどこにあるか分からなかったのか

Victory Point Noteによれば、
ErebusとTerrorは
1848年4月22日に放棄されました。

その時、
2隻はKing William Island北西側の海域にありました。

普通に考えれば、
捜索すべき場所はその周辺です。

ところが、
19世紀のイヌイット証言には
King William Islandよりかなり南側で船を見た
という情報が残されていました。

この二つが捜索を難しくします。

船を放棄した場所と、
後に船が見られたとされる場所が違う。

つまり、
放棄後に船体が移動した可能性を
最初から考えなければならなかったのです。

1992年|船が見つかる前に史跡指定されていた

興味深いことに、
ErebusとTerrorは
発見される前から保護対象になっていました。

1992年、
Historic Sites and Monuments Board of Canadaは、
2隻の沈没船を
National Historic Siteとして指定しました。

もちろん、
その時点では位置は分かっていません。


「将来見つかった場合に保護すべき歴史遺産」
として先に指定された

という珍しい状態でした。

1997年にはカナダと英国の間で、
船体が発見された場合の管理について
取り決めも行われます。

こうして21世紀の本格捜索へ向けた
制度的な土台が整っていきました。

2008年|Parks Canadaが現代の本格捜索を開始

2008年、
Parks Canadaの
Underwater Archaeology Teamは、
ErebusとTerrorを探す
複数年計画の調査を開始しました。

最初から一か所だけを探したわけではありません。

歴史資料とイヌイットの口承を検討した結果、
大きく二つの候補区域が設定されました。

北側の捜索区域

Victory Point Noteに記録された
1848年の船体放棄地点周辺。

ここは、
遠征隊自身の記録を基準とした
最も直接的な候補です。

南側の捜索区域

一方、
イヌイットの口承では、
King William Islandより南側にも
船についての記憶が残っていました。

そのためParks Canadaは、
Adelaide Peninsula周辺、
Wilmot and Crampton Bay、
O’Reilly Island周辺などを含む南側も
主要候補地としました。

後にErebusが発見されるのは、
こちら側です。

FACT CHECK|ErebusはVictory Point Noteに書かれた場所で見つかったのか

いいえ。

Victory Point Noteに記録された船体放棄地点は
King William Island北西側です。

Erebusが2014年に発見されたのは、
そこから大きく南へ離れた
Wilmot and Crampton Bay周辺、
King William Islandの約80km南側でした。

したがって発見そのものが、
船体放棄後にErebusが南へ移動した
という新たな問題を生みました。

北極海を全部ソナーで探すことはできない

現代の技術があるなら、
海底を全部スキャンすればよい。

そう考えるかもしれません。

しかし、
北極ではそれが難しい。

Parks Canadaによれば、
Franklin船体の捜索海域が
比較的航行しやすくなるのは
通常、8月下旬から9月上旬ごろです。

つまり、
1年間の大半は海氷によって
効率的な海底調査ができません。

使える時間は短い。

捜索区域は広い。

海図が十分ではない場所もある。

天候も変わる。

そのため
「どこを探すか」自体が調査の中心
になります。

サイドスキャンソナー|海底を横から見る

主要な道具となったのが
side-scan sonarです。

小型のセンサーを船の後方から曳航し、
左右へ音波を発射します。

海底から返ってきた音の強さと影を利用して、
海底面の形状を画像化します。

船体のように
海底から大きく突き出した物体があれば、
強い反射と音響的な影ができます。

ただし、
ソナー画面に
「HMS Erebus」と文字が表示されるわけではありません。

まず異常物を発見し、
形状、
寸法、
位置、
その後の映像や潜水調査から
正体を確認する必要があります。

「芝刈り」のように海底を往復する

Parks Canadaは、
この捜索方法を
“mowing the lawn”
と表現しています。

芝生を刈るときのように、
一定間隔で平行に航行する。

一列終わったら、
少し横へ移動する。

そして反対方向へ戻る。

これを繰り返し、
海底を少しずつ塗りつぶしていきます。

派手な作業ではありません。

大部分の画面には、
船など映りません。

しかし
1本ずつ調査線を増やさなければ、
「ここには船がない」という情報すら得られません。

2008年|まず海図を作るところから始まった

2008年の最初の調査では、
Parks CanadaとCanadian Hydrographic Serviceが、
後に主要探索区域となる
Wilmot and Crampton Bayへ向かう
約65kmの航路を測量しました。

つまり捜索船が安全に奥へ入るための
海底地形調査そのものが必要でした。

「沈没船を探す」以前に、
捜索を行える海を作る
作業が必要だったことになります。

2009年|海へ出られなかった年もあった

2009年には、
調査船の確保や海氷条件の問題などから、
予定していた現地捜索を実施できませんでした。

北極探索では、
計画を立てれば毎年同じように海へ出られるわけではありません。

一年を準備に費やしても、
その年の条件によって
現地調査そのものができないことがあります。

2010年|Franklinを探して別の沈没船を見つける

2010年、
Parks Canadaは南側捜索区域で
海底調査を本格化させました。

約6日間の調査で、
およそ1,000kmの測線を航行し、
150平方km以上の海底を走査しています。

そしてこの年、
Franklinの2隻ではありませんが、
別の歴史的沈没船が発見されました。

HMS Investigatorです。

Investigatorは、
Franklin遠征を捜索するために
19世紀に北極へ送られ、
自身も氷に閉じ込められて放棄された船でした。

Franklinを探す現代調査隊が、
Franklinを探した19世紀の船を先に発見したことになります。

同時に、
Parks Canadaの水中リモートセンシングが
北極の沈没木造船を実際に探知できることも示されました。

2011~2013年|「ない場所」を増やしていく

その後も毎夏、
条件が許す範囲で海底調査が続きました。

2011年には
Victoria StraitやAlexandra Strait方面。

2012年には
O’Reilly Island周辺と北側の海域。

2013年には
O’Reilly Island西側と
Victoria Strait・Alexandra Straitを同時に調査。

海底チームだけではありません。

Government of Nunavutの考古学者は、
陸上でもFranklin遠征由来の痕跡を探しました。

一方で
Gjoa Havenなどの住民から
地域の情報も継続して集められました。

それでも、
ErebusもTerrorも見つかりません。

6年間、「見つからない」という結果を積み重ねた

船体探索では、
発見した場所だけが重要ではありません。

何年も海底を調べて
船がなかった場所
も重要です。

調査済み海域が増えれば、
次に探すべき場所を絞ることができます。

2008年から2013年まで、
Parks Canadaと関係機関は
この作業を繰り返しました。

発見の前年までに、
捜索方法そのものはかなり洗練されていました。

2014年|再び北と南を探す

2014年の捜索には、
Parks Canadaだけでなく
多数の組織が参加しました。

Canadian Coast Guard。

Canadian Hydrographic Service。

Government of Nunavut。

Royal Canadian Navy。

Arctic Research Foundation。

Royal Canadian Geographical Society。

その他の公的・民間組織です。

しかし北側には
海氷や天候の問題がありました。

そのため複数の調査船が
南側の区域へ集中する状況が生まれます。

そして、
そこで一つの陸上発見が起きます。

2014年9月1日|船ではなく、まず「部品」が見つかった

発見の前日、
2014年9月1日。

Government of Nunavutの考古学チームは、
Wilmot and Crampton Bay内の小島へ
ヘリコプターで向かいました。

目的の一つは、
Inuitの居住痕跡である
tent ringなどを調べることでした。

その海岸で、
パイロットのAndrew Stirlingが
錆びた金属片に気づきます。

一見すると、
自転車のフォークのような形でした。

しかし調べると、
これは
davit pintle
と呼ばれる船の部品でした。

davit pintleとは何なのか

davitは、
船に搭載した小艇を
上げ下ろしするための装置です。

davit pintleは、
その装置を船体へ取り付ける
支点・金具に関係する部品です。

発見された金具は、
英国海軍艦の構造と一致し、
Erebusの設計図に描かれた部品とも
対応しました。

さらに、
同じ場所から
丸みを帯びた木製品も発見されます。

これは
hawse plug
と判断されました。

hawse plug|ロープ穴を塞ぐ木製部品

hawse holeは、
船体を通して
ロープやケーブルなどを扱うための開口部です。

hawse plugは、
使用しないときに
そこへ海水が入るのを防ぐための
木製の栓にあたります。

つまり、
9月1日に見つかった2点は
単なる漂着ゴミではありませんでした。

大型の英国海軍船から来た可能性が高い部品
だったのです。

なぜ陸上に船の部品があったのか

この2点は、
後にParks Canadaによって
Franklin船体探索の重要な手掛かりとして位置づけられました。

Parks CanadaのInuit traditional knowledgeに関する資料では、
これらは過去に
何者かのInukによって島へ置かれた可能性
があるものとして説明されています。

つまり、
船体から外れた物品が
海流だけで偶然漂着したと
確定しているわけではありません。

いずれにしても、
その場所の近くに
Franklin遠征の船が存在した可能性が
一気に高くなりました。

その夜、捜索計画が変わった

Government of Nunavutの考古学者Doug Stentonらは、
発見物を
Canadian Coast Guardの
CCGS Sir Wilfrid Laurier
へ持ち帰りました。

船上で考古学者たちが部品を検討します。

そして翌朝、
Parks Canadaの水中考古学チームは
海底捜索範囲を陸上発見地点の近くへ移しました。

6年間、
広大な海底を一列ずつ探してきたチームに、
突然かなり具体的な位置情報が加わりました。

2014年9月2日|Investigatorが海へ出る

Parks Canadaの小型調査船
Investigatorが、
Sir Wilfrid Laurierから海へ降ろされました。

船尾では
サイドスキャンソナーを曳航します。

Parks Canadaによれば、
通常は朝7時ごろから
夜8時ごろまで調査を続け、
その後母船へ戻って給油と翌日の準備をする
という作業が繰り返されていました。

この日も、
海底を平行線状に走査する
「芝刈り」が始まりました。

ただし場所は、
前日に見つかった部品をもとに
調整されています。

数分後、画面に船が出た

そして、
捜索を開始して間もなく。

Ryan Harrisらが見ていた画面に、
巨大な輪郭が現れます。

それまで見続けていた
平坦な海底とは違いました。

長い船体。

船首と船尾。

甲板構造。

海底に沈む
一隻の船が、ほぼ完全な形でソナー画像に現れた
のです。

Parks Canadaによれば、
画像から得られる寸法だけでも、
Franklin遠征船の一隻である可能性は
非常に高いと判断できました。

169年間探し続けられた船の一隻は、
ここにありました。

ただし9月2日時点では「Erebus」と確定していない

ここは日付を分ける必要があります。

9月2日:
ソナーで船体を発見。

しかし、
フランクリン遠征には
ErebusとTerrorという
よく似た2隻があります。

海底に船があっただけでは、
その場でどちらかまで確定することはできませんでした。

まず必要だったのは、
「これは本当にFranklin遠征の船なのか」
を確認することでした。

9月7日|ROVで「Franklin船」であることを確認

悪天候などを挟みながら、
Parks Canadaは
ROV――Remotely Operated Vehicle
を船体へ投入しました。

2014年9月7日、
水中映像によって
船の特徴を詳しく確認します。

船尾付近には大砲。

航海時代の艤装部品。

船体構造。

それらを確認し、
Franklin遠征の2隻のうち一隻である
ことが確定しました。

9月9日、
カナダ政府は
Franklin Expeditionの船を発見したと発表します。

ただしその発表時点でも、
まだErebusかTerrorかは公表されていません。

発見日と確認日を整理

日付 出来事
2014年9月1日 陸上でdavit pintleとhawse plugを発見
9月2日 サイドスキャンソナーで海底の船体を発見
9月7日 ROVでFranklin遠征船の一隻であることを確認
9月9日 カナダ政府がFranklin船発見を発表
9月30日 HMS Erebusであることを確定
10月1日 Erebusであることを正式発表

発見後、考古学者が実際に潜った

Franklin船の一隻だと確認されたあと、
Parks Canadaの水中考古学者は
現場へ戻りました。

潜水調査では、
船体を直接観察し、
写真と映像を記録。

Canadian Hydrographic Serviceによる
マルチビームソナー測量も行われました。

2014年の初期調査では、
2日間で7回の潜水が実施されています。

船の寸法。

甲板配置。

船体構造。

海底に露出している遺物。

それらを設計図や歴史資料と照合することで、
どちらの船なのかが調べられました。

2014年9月30日|HMS Erebusと確定

そして9月30日。

Parks Canadaの水中考古学者による
写真、
映像、
マルチビームソナーによる計測、
現場で確認された特徴などを検討した結果、
船体は
HMS Erebus
と確定されました。

翌10月1日、
カナダ政府が正式発表します。

Franklin自身が乗っていた
遠征旗艦が、
1845年の出航から169年後に
再び確認されたことになります。

船はKing William Islandの約80km南にあった

発見場所は、
King William Islandから
およそ80km南側。

O’Reilly Islandの北東側、
Wilmot and Crampton Bay周辺です。

HMS ErebusはKing William Islandより南、
O’Reilly Island北東側のWilmot and Crampton Bay周辺で発見された。
正確な沈没地点は保護対象となる考古学遺跡であるため、
本地図は周辺地域の位置関係を示す。


Googleマップで周辺を見る

この位置は、
Victory Point Noteに記録された
1848年4月の船体放棄地点から
大きく南に離れています。

ここが、
Erebus発見によって生まれた
最大の疑問の一つです。

なぜErebusはそんな南にあったのか

1848年4月、
105人が船を放棄した時点では
ErebusとTerrorは
King William Island北西側の氷海にいました。

ところがErebusは、
かなり南へ移動した場所で沈んでいました。

何が起きたのでしょうか。

考えられる大きな可能性は二つです。

可能性1|無人の船が海氷とともに漂流した

北極海の氷は、
陸地のように固定されているわけではありません。

風や海流で海氷全体が移動します。

その中に船が残っていれば、
船体も氷とともに移動する可能性があります。

可能性2|一部の隊員が船へ戻った

もう一つ、
長年議論されているのが
Franklin隊の一部が船へ戻った可能性
です。

Inuitの口承には、
南側で船や生存者についての話が残っています。

もし一部の隊員が
Erebusへ戻って再び動かしたのであれば、
南側へ船が移動した理由の一部を説明できる可能性があります。

しかし、
2014年の発見だけでは
この仮説を確定できません。


Erebusが南で見つかったことは事実。
誰が、どのようにそこまで移動させたかは未解明。

この二つを分ける必要があります。

1869年の証言と発見地点が近かった

第7回で扱った
Inukpujijuqの証言が
ここで再び重要になります。

1869年、
InukpujijuqはCharles Francis Hallへ、
King William Islandより南側の
Ugjulik地域に船があったという話を伝えました。

さらに海図上で、
O’Reilly Island北東側に近い位置を示しています。

2014年。

Erebusは、
その証言と地理的に近い海域で発見されました。

これは
「口承が船の正確なGPS座標を169年間保存していた」
という意味ではありません。

しかし、

南側に船が存在したという19世紀の情報が、
現代の実際の船体位置と大きく整合した

ことは重要です。

発見はイヌイット証言の評価も変えた

19世紀、
Franklin遠征に関するInuitの情報は
英国側で十分信頼されなかったことがありました。

しかしErebusが
南側で実際に発見されたことで、
船について語られていた口承の資料価値は
改めて注目されます。

Parks Canada自身も、
Erebus発見を
modern technology、Inuit knowledge、長期的捜索の組み合わせ
として位置づけています。

ソナーだけでもない。

口承だけでもない。

両者を結び付ける考古学調査が
必要だったのです。

2014年の発見を時系列で整理する

時期 出来事
1992年 位置未確認のErebus・Terror沈没船をNational Historic Siteに指定
1997年 発見時の管理に関するカナダ・英国間の取り決め
2008年 Parks Canadaが現代の複数年捜索を開始
2008~2013年 北・南の候補海域をソナー、海底測量、陸上考古学で継続調査
2014年9月1日 小島でdavit pintleとhawse plugを発見
9月2日 Investigatorのサイドスキャンソナーに船体が映る
9月7日 ROVでFranklin遠征船の一隻と確認
9月9日 発見を公表
9月中 潜水・写真・動画・マルチビーム測量で詳細調査
9月30日 HMS Erebusと確定
10月1日 Erebus発見を正式発表

「偶然見つかった」と言えるのか

9月1日の陸上遺物発見だけを見ると、
偶然性はあります。

パイロットが海岸の錆びた金属に気づかなければ、
その日のうちに手掛かりを回収できなかったかもしれません。

翌日に捜索範囲を変更した判断も、
結果的には決定的でした。

しかし、
その島へ考古学チームが向かったこと自体は
無作為ではありません。

その地域は、
長年のInuit oral historyと
過去の捜索結果から
候補地として調査されていました。

そしてソナーを運用する技術と経験は、
6年間の調査で蓄積されていました。

したがってErebus発見は、

「最後の一歩には偶然があったが、
そこへ到達するまでの準備は偶然ではなかった」

と見るのが適切です。

169年間の探索は、船体発見で終わらなかった

2014年の発見で、
一つの大きな問いには答えが出ました。

HMS Erebusは存在していた。

しかも、
19世紀の捜索者が想定していたより
かなり南側に沈んでいました。

しかし、
船が見つかったことで
新しい疑問が増えます。

  • 1848年の放棄後、Erebusはどうやって南へ移動したのか
  • 船へ戻った隊員はいたのか
  • 船内に航海日誌や文書は残っているのか
  • 船内にFranklinや他の隊員の遺体は存在するのか
  • Erebusはいつ、どのように沈没したのか
  • 残るHMS Terrorはどこにあるのか

「船が見つからない」という謎は、
「見つかった船の内部から何を読み取れるか」という考古学へ変わりました。

そして、もう一隻だけが残った

2014年10月。

Erebusの位置は確定しました。

しかし、
HMS Terrorはまだ行方不明です。

Victory Point Noteでは、
2隻は1848年に同じ地域で放棄されたと記録されています。

ならばTerrorも
Erebusに近い南側へ流されたのでしょうか。

それとも、
King William Island北側に残ったのでしょうか。

Parks Canadaは、
Erebusを調査しながら
もう一方の船を探し続けます。

そして2016年。

今度は
当時の主捜索区域から外れた湾
で、
極めて保存状態の良い船が発見されます。

HMS Terrorでした。

まとめ|169年の謎を解いたのは「古い証言+陸上遺物+ソナー」だった

HMS Erebusは、
2014年9月2日に発見されました。

しかし、
その日だけを切り取って
「最新ソナーが失われた船を見つけた」
と説明すると、
発見の本質を落とします。

19世紀には、
Inuitから
King William Islandより南側に船があったという証言が残されていました。

2008年、
Parks Canadaは
北側と南側の二つを候補に
現代の本格捜索を開始します。

6年間、
海底を何度も往復しました。

2014年9月1日。

南側の島で
davit pintleとhawse plugが発見されます。

翌朝、
捜索範囲をその周辺へ移動。

サイドスキャンソナーの画面に、
完全な船の形が現れました。

9月7日に
Franklin遠征船の一隻であることを確認。

9月30日、
HMS Erebusと確定しました。

発見位置は
King William Islandより約80km南。

19世紀にInukpujijuqが
船について語った地域にも近い場所でした。


169年間情報がなかったのではありません。

情報は、
海軍文書、
イヌイットの口承、
海岸の遺物、
海底地形という
異なる場所に分散していました。

それを一つの捜索図へ重ねたとき、
Erebusはようやく見つかりました。

しかし、
CASE FILE 20はここで終わりません。

残る一隻、
HMS Terror

その船が見つかった場所は、
さらに予想外でした。

そして2隻の発見後、
Franklin遠征は
失踪事件から本格的な水中考古学調査へ移行します。

最終回では、
2016年のTerror発見と、
船室の内部、
回収された遺物、
そして現在も続く調査から
フランクリン遠征の「今」を見ていきます。


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今回出てきた言葉

side-scan sonar/サイドスキャンソナー
海底へ左右方向に音波を送り、
反射と音響的な影から海底表面を画像化する装置。
2014年9月2日、Parks Canadaの調査船Investigatorから曳航されたソナーが
HMS Erebusの船体を捉えた。
Underwater Archaeology Team
Parks Canadaの水中考古学チーム。
2008年からFranklin遠征船の現代捜索を主導し、
2014年のErebus発見後は船体の調査・記録・保存にも携わっている。
davit pintle
小艇を上げ下ろしするdavitを船体へ固定する機構に関係する金属部品。
2014年9月1日に南側捜索区域の島で発見され、
翌日の捜索範囲変更につながった。
hawse plug
ロープなどを通す船体の開口部を塞ぎ、
海水の侵入を防ぐための木製部品。
davit pintleとともにErebus探索の重要な陸上手掛かりとなった。
ROV
Remotely Operated Vehicle。
船上から遠隔操作する無人水中機。
2014年9月7日、ソナーで発見された船体を水中映像で確認するために使用された。
Wilmot and Crampton Bay
King William Islandより南側に位置する海域。
HMS Erebusはこの地域、
O’Reilly Island北東側で発見された。

CASE FILE 20|フランクリン遠征特集 全10回

  1. 第1回|フランクリン遠征とは?|129人が北極圏へ消えた1845年の探検
  2. 第2回|HMS ErebusとTerrorとはどんな船だったのか|129人を北極へ運んだ2隻と遠征隊
  3. 第3回|フランクリンは何を探していたのか|北西航路と1845年遠征のルート
  4. 第4回|遠征隊はどこで動けなくなったのか|1845年出航からキングウィリアム島の氷海閉塞まで
  5. 第5回|フランクリン遠征「最後の記録」|Victory Point Noteが伝えた24人の死と船の放棄
  6. 第6回|消えた129人を誰が探したのか|フランクリン捜索隊とジョン・レイ、マクリントック
  7. 第7回|イヌイットは何を見ていたのか|フランクリン遠征の最期を伝えた証言
  8. 第8回|129人はなぜ帰れなかったのか|遺骨・病気・飢餓・鉛中毒説を検証する
  9. 第9回|HMS Erebusはどう見つかったのか|2014年、失踪から169年後の船体発見【現在の記事】
  10. 第10回|HMS Terror発見|2016年の船体発見と現在も続くフランクリン遠征の調査

出典・参考資料

  • Parks Canada — Finding HMS Erebus

    2014年9月2日の船体発見、
    Ryan Harrisらによるサイドスキャンソナー調査、
    9月1日に発見されたdavit pintleとhawse plug、
    陸上遺物を受けた捜索区域変更、
    ROVによる初期確認の経緯に使用。
  • Parks Canada — Searching for Franklin’s lost ships

    2008~2014年の複数年捜索、
    北側・南側の探索区域、
    各年の海底測量、
    Inuit oral historyの利用、
    2014年までの探索経緯の確認に使用。
  • Parks Canada — Inuit traditional knowledge

    Ugjulik wreckに関する19世紀以来の証言、
    Inukpujijuqが示した船体位置、
    現代捜索におけるInuit knowledge、
    Erebus発見地点との地理的関係確認に使用。
  • Parks Canada — Remote Sensing Search 2014 and Discovery of HMS Erebus

    2014年を第6回現地調査とする公式水中考古学報告、
    海洋リモートセンシングによる捜索、
    発見後の船体評価・記録調査の確認に使用。
  • Government of Canada — Discovery and identification of HMS Erebus

    9月7日のROVによるFranklin船確認、
    9月30日のHMS Erebus同定、
    高解像度写真・映像・マルチビーム測量による確認、
    2014年の初期潜水調査の時系列確認に使用。

本記事では「発見」を、
9月2日のソナー検出、
9月7日のFranklin遠征船としての確認、
9月30日のHMS Erebusとしての同定に分けた。
またErebusが1848年の放棄地点より大きく南で発見された事実と、
その移動原因についての仮説を区別し、
隊員が船へ戻った可能性を確定事実として扱っていない。
Erebus発見を「最新技術だけの成果」とせず、
Inuit knowledge、陸上考古学、水中リモートセンシングの組み合わせとして整理した。