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HMS Terror発見2016年の船体発見と現在も続くフランクリン遠征の調査

HMS Terror発見|2016年の船体発見と現在も続くフランクリン遠征の調査

遭難・救助

2016年9月3日。

カナダ北極圏の
Terror Bayへ、
小さな調査船が入りました。

その船、
RV Martin Bergmannは、
本来そこを重点的に探す予定ではありませんでした。

フランクリン遠征の残る一隻、
HMS Terrorを探す主力チームは、
そこから約100km離れた北側の海域を調査していました。

しかしMartin Bergmannに乗っていた
Gjoa Havenの住民
Sammy Kogvikが、
一つの記憶を話します。

約6年前。

Terror Bay付近へ狩猟に出たとき、
海氷から
大きな木材のようなものが突き出している
のを見たというのです。

船は予定航路を外れ、
Terror Bayへ入りました。

そしてソナーを海中へ投入します。

海底に現れたのは、
3本のマストを残し、船体をほぼ直立させた木造船
でした。

その後の調査によって、
船は
HMS Terror
と確認されます。

2014年のHMS Erebusに続き、
これで1845年に英国を出航した
フランクリン遠征の2隻が
ともに発見されました。

しかし、
謎は終わりませんでした。

むしろTerrorが見つかった場所と
異常なほど良好な保存状態によって、
新しい疑問が増えます。


なぜTerrorはここまで移動したのか。
誰かが船へ戻ったのか。
そして船内には、
まだ遠征隊自身の記録が残っているのか。

CASE FILE 20最終回では、
2016年のHMS Terror発見から、
2019年の船内探査、
2024年の再調査、
そして2026年現在のフランクリン考古学までを追います。

この記事で分かること

  • HMS Terrorは2016年に誰が、どのように発見したのか
  • Sammy Kogvikの記憶がなぜ重要だったのか
  • なぜ本来の捜索区域から約100km離れた場所に船があったのか
  • 2016年9月3日と9月18日は何が違うのか
  • Parks CanadaはどうやってHMS Terrorと確認したのか
  • TerrorがErebusより良好な状態で残った理由
  • 2019年のROV調査で船内の何が見えたのか
  • Francis Crozierの船室には何が残っているのか
  • なぜ現在までTerrorから遺物を引き揚げていないのか
  • 2024年の再調査では何が行われたのか
  • 2025年以降、調査方針がどう変わったのか
  • 2隻を発見してもなお残るフランクリン遠征最大の謎は何か

CASE FILE 20|フランクリン遠征特集(全10回)

  1. 第1回|フランクリン遠征とは?|129人が北極圏へ消えた1845年の探検
  2. 第2回|HMS ErebusとTerrorとはどんな船だったのか|129人を北極へ運んだ2隻と遠征隊
  3. 第3回|フランクリンは何を探していたのか|北西航路と1845年遠征のルート
  4. 第4回|遠征隊はどこで動けなくなったのか|1845年出航からキングウィリアム島の氷海閉塞まで
  5. 第5回|フランクリン遠征「最後の記録」|Victory Point Noteが伝えた24人の死と船の放棄
  6. 第6回|消えた129人を誰が探したのか|フランクリン捜索隊とジョン・レイ、マクリントック
  7. 第7回|イヌイットは何を見ていたのか|フランクリン遠征の最期を伝えた証言
  8. 第8回|129人はなぜ帰れなかったのか|遺骨・病気・飢餓・鉛中毒説を検証する
  9. 第9回|HMS Erebusはどう見つかったのか|2014年、失踪から169年後の船体発見

  10. 第10回|HMS Terror発見|2016年の船体発見と現在も続くフランクリン遠征の調査【現在の記事】

先に結論|2隻は見つかった。しかし「遠征の最期」はまだ完成していない

2014年、
HMS Erebusが発見されました。

2016年、
HMS Terrorも発見されました。

これだけを見ると、
170年近く続いたフランクリン遠征の謎は
解決したように見えます。

しかし、
実際にはそうではありません。

2隻の位置が分かったことで、
新たに次の問題が生まれました。

  • 1848年の放棄地点から2隻はどう移動したのか
  • 隊員の一部は船へ戻ったのか
  • ErebusとTerrorはいつ沈没したのか
  • 船内に航海日誌・医療記録・個人の日記は残っているのか
  • 105人が陸上へ移動した後、一部が船へ戻った可能性はあるのか
  • Terror BayまでTerrorを動かしたのは海氷だけなのか
  • 129人一人ひとりの最終地点はどこなのか

つまり、
2016年は
「失われた船を探す時代」の終わり
ではあります。

その代わりに始まったのが、
「見つかった船を考古学資料として読む時代」
でした。

2014年のErebus発見後、残る目標はTerrorだけになった

2014年9月、
Parks Canadaを中心とする調査で
HMS Erebusが発見されました。

フランクリン自身が乗っていた旗艦です。

一方、
HMS Terrorの位置は依然不明でした。

Parks CanadaのUnderwater Archaeology Teamは、
Erebusの記録・保存作業と並行しながら、
残るTerrorの捜索を続けます。

2016年の主な捜索区域は、
King William Island北側の
Victoria Strait方面でした。

Victory Point Noteに記録された
1848年の船体放棄地点を考えれば、
合理的な選択です。

ところが、
Terrorはそこにはありませんでした。

2016年9月3日|Sammy Kogvikが語った記憶

2016年、
Arctic Research Foundationの調査船
Martin Bergmann
Franklin船探索へ参加していました。

9月3日、
同船はGjoa Havenから
北側の主捜索区域へ向かっていました。

そこで、
乗船していたSammy Kogvikが
以前の狩猟時の出来事を話します。

およそ6年前、
Terror Bay周辺で海氷の上を移動していたとき、
大きな木材のような物体が氷から突き出している
のを見たというものでした。

Kogvik個人の記憶だけではなく、
Gjoa Haven周辺では以前から
Terror Bayに「船」に関する話も伝わっていました。

Martin Bergmannのクルーは、
予定航路を外れて
Terror Bayへ入ることを決めます。

ソナーに映った「直立した3本マストの船」

Terror Bayで
ソナーによる海底探索を行うと、
ほぼすぐに異常な形が現れました。

海底には、
3本マストの木造船がほぼ直立した状態で沈んでいました。

さらに遠隔操作カメラで確認すると、
船内には
乗組員区画、
食堂、
食料保管場所などが
非常に良好な状態で残されていました。

この船体は、
主力捜索隊が調査していた海域から
約100km離れていました。

FACT CHECK|9月3日にHMS Terrorと確定したのか

まだ確定していません。

9月3日にMartin Bergmannが発見したのは、
Franklin遠征船と強く疑われる木造船でした。

Arctic Research Foundationが
カナダ政府へ発見を知らせたのは9月11日。

Parks Canadaが考古学的に
HMS Terrorと確認したのは9月18日
です。

Terror Bay|船はKing William Island南西側にあった

発見場所は
King William Island南西岸の
Terror Bayです。

HMS Terrorは2016年、King William Island南西側のTerror Bayで発見された。
Parks Canadaによれば船体は水深約24mにあり、
冷たい深水と堆積物が良好な保存状態に寄与している。
正確な船体位置は保護対象の考古学遺跡である。

ここは、
Victory Point Noteに書かれた
1848年の船体放棄地点とは異なります。

さらにErebusが見つかった地点とも
約100km離れていました。

2隻は同じ場所で放棄されたのに、
最終的には別々の海域で沈没しています。

これだけでも、
1848年4月以降に2隻へ何かが起きた
ことが分かります。

2016年9月18日|Parks Canadaが船体を確認

Arctic Research Foundationから通報を受けた
Parks CanadaのUnderwater Archaeology Teamは、
Terror Bayへ向かいました。

悪天候による遅れもありましたが、
3日間にわたって潜水調査を実施。

サイドスキャンソナー、
マルチビーム測深、
水中写真、
実際の潜水観察を使って
船体を記録しました。

そこで確認されたのが、
次のような特徴です。

  • 3本マスト
  • 鉄板で補強された船首
  • 二重の舵輪
  • bowspritの形状
  • 舵の配置
  • boarding portの位置
  • deck scupperの配置

ErebusとTerrorは似た船ですが、
細かな構造には違いがあります。

現場の計測値を
19世紀の船体図面と比較した結果、
2016年9月18日、
Parks Canadaは
HMS Terrorであることを正式に確認しました。

なぜTerrorはこれほどきれいに残ったのか

HMS Terrorは
海底でほぼ直立しています。

船体上部の一部には損傷がありますが、
Erebusと比べても
非常に良好な状態で保存されています。

Parks Canadaが挙げている大きな要因が、
水深約24mの冷たい海水と堆積物です。

北極の低水温は
有機物の腐敗速度を低下させます。

さらに船内へ入り込んだ細かな堆積物が、
家具や小さな物品を覆い、
物理的な損傷から守っている部分があります。

結果として船内には、
1840年代の空間が
驚くほどそのまま残っていました。

船の舵輪が今も立っていた

2019年に公開された水中映像を見ると、
Terrorの保存状態がよく分かります。

船尾には、
木製の舵輪が立ったまま残っています。

甲板に搭載されていた小艇の一隻も、
現在は船体横の海底にあります。

船内へ目を向けると、
さらに異常なほど多くのものが残っていました。

2019年|ROVが初めて船内深部へ入った

2019年8月。

Parks Canadaは
研究船RV David Thompsonから
Terrorの大規模な船内調査を実施しました。

使用されたのは、
小型の
ROV――遠隔操作式無人潜水機
です。

7日間にわたり
7回のROV潜航を実施。

20の船室・区画
系統的に観察されました。

これは、
Terror船内が本格的に映像記録された
最初の大規模調査でした。

乗組員区画|食器が棚に残る

船首側にある
一般乗組員の生活区画では、
内部の仕切り壁が残っていました。

棚には、
皿、
ボウル、
瓶、
カップ、
グラスなどが確認されています。

それらは、
乗組員が日常的に食事をしていた
1840年代の船内生活を
そのまま封じ込めたような状態でした。

士官室|机、ベッド、引き出し

船尾方向へ続く通路には、
士官の個室が並んでいます。

開いた扉の向こうには、
机、
寝台、
引き出し、
便器など、
個人生活を示す物品が残されていました。

壁には
2丁の銃器も確認されています。

食料保管区画には、
多数の瓶が
今も立った状態で残っていました。

Francis Crozierの船室

最も注目された場所の一つが、
船尾にある
Captain Francis Crozierの船室です。

CrozierはTerror艦長であり、
John Franklin死亡後には
遠征全体の最高指揮官になった人物です。

船室中央には作業机が残っています。

近くには椅子。

棚には科学機器とみられる物品。

三脚やケース。

そして、
閉じたままの引き出し
も確認されました。

ここから
一つの大きな期待が生まれています。

紙の記録が、
まだ内部に残っている可能性です。

航海日誌が残っている可能性はあるのか

フランクリン遠征最大の欠落は、
1845年以降の詳細な航海日誌です。

Victory Point Noteは重要ですが、
文章量はごくわずかです。

一方、
英国海軍の遠征であれば本来、
航海記録、
科学観測記録、
医学記録、
個人の日記など
大量の文書が存在していた可能性があります。

Terror船内には、
机や引き出しなどが
閉じた状態で残されています。

冷たい水と泥の中では、
通常なら失われる紙資料が
部分的に保存される可能性もあります。

ただし、
2026年現在、TerrorからFranklin遠征の航海日誌が回収されたという公式発表はありません。

「引き出しがある」
ことと
「そこに日誌が残っている」
ことは別です。

FACT CHECK|Terrorから大量の遺物が回収されているのか

いいえ。

2019年のTerror調査では、
船内をROVで詳細に記録しました。

しかしParks Canadaの2024~2025年度報告では、
Terrorから遺物はまだ回収されていない
とされています。

大量の回収・発掘が行われているのは主にErebus側であり、
Terrorでは良好な保存状態を維持しながら
記録・監視することが重視されています。

なぜ、見つけた遺物をすぐ引き揚げないのか

考古学では、
見つけた物をすべて回収すればよいわけではありません。

水中に170年以上あった木材、
金属、
革、
紙、
布などを
突然空気中へ出すと、
急速に劣化する可能性があります。

さらに重要なのが
context――遺物の位置関係です。

何が、
どの船室の、
どの棚に、
どの方向で置かれていたのか。

その情報そのものが
遠征末期の行動を読み解く証拠になります。

無計画に物を動かしてしまえば、
位置関係という情報を失います。

そのためTerrorでは、
まず船体を壊さず、
内部を映像・写真・3Dデータとして残すことが重要になります。

Erebusでは発掘が進んでいる

対照的に、
HMS Erebusでは
比較的大規模な発掘と遺物回収が進められています。

2019年には
350点を超える遺物が回収されました。

その後も、
拳銃、
航海用器具、
食器、
衣服、
個人用品などが
船内から記録・回収されています。

2024年には、
航海士官が天体高度を測定するために使用した
sextant――六分儀
もErebus下甲板から回収されました。

同年には、
乗組員の収納箱から
髭剃り用ブラシや複数の剃刀なども確認されています。

一つひとつの物品が、
129人を単なる人数ではなく
実際に生活していた人間として復元する資料になっています。

2024年|Terrorへ5年ぶりにダイバーが戻った

2024年9月14日から15日、
Parks CanadaのUnderwater Archaeology Teamは
Terrorを再調査しました。

2019年以来、初めての潜水による現地訪問
でした。

この調査では、
大規模な遺物回収ではなく、
船体状態の確認が中心となっています。

上甲板を大量の高解像度写真で撮影。

それらを組み合わせる
photogrammetry――写真測量
によって、
詳細な船体平面図と
3Dモデルを作るためのデータを収集しました。

船を「発掘する」だけでなく「変化を監視する」

沈没船は
海底にあるから変化しないわけではありません。

海流。

堆積。

海底の洗掘。

海氷。

生物。

金属や木材の劣化。

時間とともに、
船体は少しずつ変化します。

2024年のTerror調査では、
近くの海底に設置されていた
ADCP――Acoustic Doppler Current Profiler
も回収されました。

これは海流の方向や強さを計測する装置です。

Erebus側でも同様の測定を行い、
2隻が置かれている環境が
長期保存へどのような影響を与えているのかを調べています。

2025年から「発掘中心」から「監視中心」へ

Parks Canadaは、
2024年までの10年以上にわたる現地調査を踏まえ、
2025年から調査方針を次の段階へ移す
としています。

それまでの積極的な現地考古学調査から、
より定期的な
monitoring――状態監視
へ移行する方針です。

ただし、
これは
「調査終了」
という意味ではありません。

新しいresearch strategyを策定し、
必要な研究、
保存、
監視を継続するための段階です。

2026年現在、
Franklin遠征研究は
船体を探すフェーズではなく、
記録・保存・分析を長期間続ける文化遺産研究
へ移っています。

InuitとParks Canadaが共同で管理している

現在、
2隻は
Wrecks of HMS Erebus and HMS Terror National Historic Site
として保護されています。

そしてこの史跡は、
Parks Canadaだけが管理するものではありません。

InuitとParks Canadaが共同で管理する最初のNational Historic Site
です。

Inuit Heritage Trust、
Nattilik Heritage Society、
Kitikmeot Inuit Association、
Gjoa Havenのコミュニティなどが
管理・研究に関わっています。

Wrecks Guardiansと呼ばれる地域の監視活動も行われています。

2025年には
Gjoa HavenのNattilik Heritage Centre拡張施設に
新しい展示も開設されました。

19世紀にFranklin捜索者へ情報を伝えた地域の人々が、
現在は船体遺跡の保存と公開にも直接関わっています。

Terror発見は、最大の新しい謎を生んだ

Terrorが見つかったことで、
避けて通れなくなった問いがあります。

なぜ、この船がTerror Bayにあるのか。

1848年4月22日、
Victory Point Noteによれば
ErebusとTerrorは
King William Island北西の氷中で放棄されました。

しかし現在、
Erebusは島の南側。

Terrorは島の南西側、
Terror Bayにあります。

どちらも
記録上の放棄地点にはありません。

仮説1|船は氷とともに漂流した

最も単純なのは、
放棄された船が
海氷に捕らえられたまま移動したという説明です。

北極の海氷は
風と海流で移動します。

船体が氷に固定されていれば、
人間が乗っていなくても
南方向へ運ばれる可能性があります。

したがって、
船が放棄地点と違う位置にあることだけでは、
人間が再び操船した証拠にはなりません。

仮説2|一部の隊員が船へ戻った

一方、
19世紀のInuit oral historyには、
船や生存者について
Victory Point Note以降と思われる情報があります。

そのため、
105人の一部が陸上撤退を中止し、
ErebusまたはTerrorへ戻った可能性が
長く議論されています。

もし人間が再乗船していたのであれば、
2隻の最終位置を説明する材料になるかもしれません。

しかし、
現在まで
「隊員がTerrorをTerror Bayまで航行させた」と直接証明する文書は見つかっていません。

したがって、
これは有力な研究テーマではあっても
確定事実ではありません。

ErebusとTerrorを比較すると

項目 HMS Erebus HMS Terror
発見 2014年 2016年
場所 King William Island南側 Terror Bay・島南西側
発見の重要情報 Inuit oral history+陸上遺物+ソナー Sammy Kogvikの情報+地域の知識+ソナー
船体状態 比較的損傷が大きい 非常に良好、ほぼ直立
内部調査 潜水発掘を継続 2019年ROVで20区画を調査
遺物回収 多数を回収 2024~25年度時点で回収なし
最大の期待 乗員生活・最終行動の復元 保存された船室・文書資料の可能性

2026年現在、何が分かっていないのか

CASE FILE 20を10回追ってきました。

その結果、
1845年当時よりも
はるかに多くのことが分かっています。

しかし、
まだ答えが出ていない問題もあります。

1|1848年4月26日以降の正確な時系列

105人が
Back Riverへ向かった後、
誰がどこへ進んだのか。

連続した記録はありません。

2|John Franklinの直接の死因

死亡日は1847年6月11日と分かっています。

しかし直接の死因は確定していません。

3|129人一人ひとりの最終地点

遺骨は発見されていますが、
129人すべてが
どこで死亡したのかは分かりません。

4|なぜErebusとTerrorが移動したのか

氷による漂流か。

人間が再乗船したのか。

その両方なのか。

完全な時系列は復元されていません。

5|航海日誌は残っているのか

船内には
文書が保存されている可能性があります。

しかし、
遠征の空白期間を埋める
決定的な航海日誌はまだ回収されていません。

6|105人は一つの集団だったのか

Inuit証言と遺骨・遺物の分布を見ると、
後に集団が分かれた可能性があります。

しかし、
どの時点で、
誰が、
どの方向へ別れたのかは確定していません。

では、フランクリン遠征は「未解決事件」なのか

完全な未解決とも、
完全な解決とも言えません。

現在確定している大枠はかなりあります。

  • 129人が北極圏へ進んだ
  • 1845~1846年にBeechey Islandで越冬した
  • 1846年9月から2隻が氷に閉じ込められた
  • Franklinが1847年6月11日に死亡した
  • 1848年4月までに24人が死亡した
  • 残る105人が2隻を放棄した
  • 南のBack River方向へ向かおうとした
  • その後全員が死亡した
  • Erebusは2014年に発見された
  • Terrorは2016年に発見された

一方、
その大枠をつなぐ
細部の時間軸
が欠けています。

そのためフランクリン遠征は、
「何が起きたか何も分からない謎」ではなく、
結末は分かっているが、そこへ至る過程に大きな空白が残る歴史事件
と見る方が実態に近いでしょう。

1845年から2026年へ|証拠の種類そのものが変わった

このCASEで興味深いのは、
時代によって
「証拠」が変わっていったことです。

時代 主な証拠
1840年代 遠征隊自身の記録
1850年代 墓・遺物・Victory Point Note
19世紀後半 Inuit証言・追加遺物・人骨
20世紀 保存遺体・人骨分析・化学分析
21世紀 side-scan sonar・ROV・水中考古学
現在 3Dモデル・写真測量・保存科学・環境モニタリング

一枚の紙だけで解決したわけではありません。

一人の探検家が真相を見つけたわけでもありません。


170年以上にわたり、
異なる種類の証拠が積み重なって
現在のフランクリン遠征像ができています。

そして、19世紀に軽視された情報が船まで導いた

CASE20を最初から振り返ると、
もう一つ大きな流れがあります。

英国側から見ると、
Franklin隊は1845年に
「消息を絶ちました」。

しかし地域のInuitは、
その後の人々や船について
記憶を残していました。

1854年、
John Raeがその一部を記録しました。

1859年、
McClintockも情報を集めました。

1860年代、
Charles Francis Hallが
さらに詳しい口承を残しました。

そして21世紀。

その情報を現代の海底測量と組み合わせた結果、
ErebusとTerrorは発見されます。

2016年のTerror発見も、
決定的なきっかけは
Gjoa HavenのSammy Kogvikが
地域で見たものを伝えたことでした。

フランクリン遠征史は、
英国海軍だけの物語ではありません。


北極圏で起きた出来事を、
そこで暮らす人々の知識と
後世の科学が一緒に復元してきた歴史

でもあります。

CASE FILE 20 最終結論|「消えた129人」から「調べ続けられる129人」へ

1845年5月。

ErebusとTerrorは
北西航路を完成させるため英国を出発しました。

グリーンランドから先へ進んだのは129人。

1846年9月、
2隻はKing William Island北西で
氷に閉じ込められました。

1847年6月、
John Franklinが死亡。

1848年4月。

死者は24人となり、
残った105人は船を放棄しました。

その先の連続した記録はありません。

そして129人は
一人も帰還しませんでした。

しかし、
何も残らなかったわけではありません。

Beechey Islandの墓。

Victory Point Note。

銀食器。

人骨。

Inuitの証言。

2014年のErebus。

2016年のTerror。

そして現在も海底に残る
数千点規模の可能性を持つ遺物。

1845年には失われた遠征だったものが、
170年以上かけて
少しずつ姿を取り戻してきました。

ただし、
最後の1ページはまだありません。

105人が船を離れたあと、
誰がどこへ行き、
誰が船へ戻り、
最後の一人がどこで死亡したのか。

それを説明する連続した記録は、
今も見つかっていません。

だからフランクリン遠征は、
船体発見によって
「解決済み」になったのではありません。


失踪ミステリーから、
現在進行形の考古学研究へ姿を変えた。

それが、
2026年現在の
フランクリン遠征です。


前の記事
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特集の最初へ
第1回|フランクリン遠征とは? →

今回出てきた言葉

HMS Terror
1813年進水の英国海軍艦。
1845年のFranklin遠征ではFrancis Crozierが艦長を務めた。
2016年9月、King William Island南西側のTerror Bayで発見された。
Sammy Kogvik
Gjoa Havenの住民。
2016年、過去にTerror Bayで海氷から大きな木材のような物体が突き出しているのを見た記憶をMartin Bergmannの乗組員へ伝え、
Terror発見につながる重要な手掛かりとなった。
Terror Bay
King William Island南西側の湾。
HMS Terrorは2016年、この湾の水深約24mの海底でほぼ直立した状態で発見された。
ROV
Remotely Operated Vehicle。
遠隔操作式無人潜水機。
2019年にはTerror船内へ入り、
20の船室・区画を映像記録した。
photogrammetry/写真測量
多数の写真を重ね合わせ、
物体の正確な形状や3次元モデルを作る技術。
2024年のTerror調査では上甲板の詳細記録に使用された。
ADCP
Acoustic Doppler Current Profiler。
音波を利用して水流の方向と速度を測定する装置。
船体周辺の環境と長期保存条件を把握するために使用されている。
Wrecks Guardians
Gjoa Havenを拠点にFranklin船体遺跡の保護・監視へ関わるInuitの取り組み。
現在の史跡管理では地域コミュニティが重要な役割を担っている。

CASE FILE 20|フランクリン遠征特集 全10回

  1. 第1回|フランクリン遠征とは?|129人が北極圏へ消えた1845年の探検
  2. 第2回|HMS ErebusとTerrorとはどんな船だったのか|129人を北極へ運んだ2隻と遠征隊
  3. 第3回|フランクリンは何を探していたのか|北西航路と1845年遠征のルート
  4. 第4回|遠征隊はどこで動けなくなったのか|1845年出航からキングウィリアム島の氷海閉塞まで
  5. 第5回|フランクリン遠征「最後の記録」|Victory Point Noteが伝えた24人の死と船の放棄
  6. 第6回|消えた129人を誰が探したのか|フランクリン捜索隊とジョン・レイ、マクリントック
  7. 第7回|イヌイットは何を見ていたのか|フランクリン遠征の最期を伝えた証言
  8. 第8回|129人はなぜ帰れなかったのか|遺骨・病気・飢餓・鉛中毒説を検証する
  9. 第9回|HMS Erebusはどう見つかったのか|2014年、失踪から169年後の船体発見
  10. 第10回|HMS Terror発見|2016年の船体発見と現在も続くフランクリン遠征の調査【現在の記事】

出典・参考資料

  • Parks Canada — Finding HMS Terror

    2016年9月3日のMartin Bergmann、
    Sammy Kogvikの情報、
    Terror Bayへの進入、
    ソナーによる船体発見、
    9月11日の政府への連絡、
    9月18日のHMS Terror確認の経緯に使用。
  • Parks Canada — Validation of discovery of HMS Terror

    3日間の潜水、
    サイドスキャンソナー、
    マルチビーム測深、
    二重舵輪、鉄製船首補強、bowsprit、boarding port、deck scupperなど、
    HMS Terrorと同定した根拠の確認に使用。
  • Parks Canada — Guided tour of HMS Terror / Exploration 2019

    2019年の7日間・7回のROV潜航、
    20区画の船内探査、
    乗組員区画、士官室、保管庫、
    Crozier船室の机・引き出し・科学機器等の確認に使用。
  • Parks Canada — Inuit traditional knowledge

    Terror Bayでの発見、
    約24mの水深、
    良好な船体保存、
    Franklin船体発見におけるInuit knowledgeの役割確認に使用。
  • Parks Canada — Exploration 2024

    2024年9月のTerror再調査、
    2019年以来の初潜水訪問、
    photogrammetry、
    3Dモデル作成、
    ADCPによる環境調査、
    2025年以降のモニタリング移行方針の確認に使用。
  • Parks Canada — Artifacts / 2024 Artifacts

    現在のErebus遺物研究、
    2024年に回収された六分儀、
    個人用品など、
    Franklin考古学が継続している状況の確認に使用。
  • Parks Canada — 2024–25 Departmental Results Report

    HMS Terrorからは同報告時点で遺物が回収されていないこと、
    今後のサイト監視、研究戦略、保存活動の確認に使用。
  • Parks Canada — Wrecks of HMS Erebus and HMS Terror National Historic Site

    InuitとParks Canadaによる共同管理、
    Wrecks Guardians、
    現在の史跡保護体制の確認に使用。

本記事は2016年9月3日の「船体発見」と、
9月18日のParks Canadaによる「HMS Terrorとしての考古学的確認」を分けて記述した。
また、Terrorの最終位置については船体の発見場所を確定事実とし、
1848年の船体放棄後に隊員が再乗船した可能性と、
海氷による自然漂流を仮説として区別した。
2026年現在の状況については、
Parks Canadaの2024年現地調査報告、
2024~25年度報告、
2026年3月更新の遺物資料を基準とし、
未回収の文書・遺物を「発見済み」として扱っていない。