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2018年7月8〜10日、13人はどう救出されたのか3日間の救出作戦を時系列で追う

2018年7月8〜10日、13人はどう救出されたのか|3日間の救出作戦を時系列で追う

遭難・救助

2018年7月8日、午前。

タムルアン洞窟の入口周辺から、救助に直接関係しない人員が退去させられた。

現場責任者のナロンサック・オーソッタナコーンは、この日を

「救出を実行する最良の日」

と判断した。

水位はそれまでの排水で低下していた。

救出チームも揃っていた。

少年たちの健康状態も、移動に耐えられると評価された。

そして、モンスーンの雨が再び強まる前に動く必要があった。

10時ごろ、作戦開始。

洞窟の奥に残る少年12人とコーチ1人を、一人ずつ外へ運び始めた。

その日のうちに4人。

翌9日に4人。

そして10日に、残る少年4人とコーチ1人。

3日間で13人。

だが、これは単純に4人、4人、5人と順番に運んだだけの作戦ではない。

一人を救出するたびに呼吸用ボンベと薬剤を消費し、ダイバーは数時間の洞窟潜水を行う。

1日が終われば、次の日までに装備を戻し、ボンベを補充し、ダイバーを休ませなければならない。

つまりタムルアンの最終救出は、

同じ危険な工程を、3日間にわたって壊さず繰り返すMISSION

だった。

CASE FILE 18|タムルアン洞窟遭難・救出特集(全10回)

  1. 第1回|タムルアン洞窟遭難・救出とは?|13人を全員生還させた2018年の救助作戦
  2. 第2回|なぜ13人は洞窟から出られなくなったのか|タムルアンの地形・雨季・浸水
  3. 第3回|13人はどう発見されたのか|9日間の捜索と英国人洞窟ダイバー
  4. 第4回|洞窟の水と酸素をどう管理したのか|排水・補給線・Chamber 3
  5. 第5回|サマン・クナンの死亡事故|救助前の洞窟潜水で何が起きたのか
  6. 第6回|13人をどう外へ出すべきだったのか|待機・掘削・排水・潜水案を比較する
  7. 第7回|救出ルートはどう設計されたのか|ダイバー、ガイドライン、ボンベ、搬送
  8. 第8回|なぜ少年たちに麻酔を使ったのか|ケタミンとフルフェイスマスクの救出医療
  9. 第9回|2018年7月8〜10日、13人はどう救出されたのか|3日間の救出作戦を時系列で追う【現在の記事】
  10. 第10回|映画『13人の命』はどこまで実話なのか|タムルアン洞窟救出の史実と比較

先に結論|4人、4人、5人を「同じシステム」で3日間運び出した

最終救出の流れを日ごとに整理すると、非常に単純に見える。

日付 救出 洞窟内に残った人数
7月8日 少年4人 少年8人+コーチ1人=9人
7月9日 少年4人 少年4人+コーチ1人=5人
7月10日 少年4人+コーチ1人 0人

しかし、重要なのは人数より方法だった。

British Cave Rescue Council(BCRC)の救出後記録では、3日間とも基本方式はほぼ同じだった。

最奥部では医師が少年の状態を確認する。

ウェットスーツと潜水装備を装着する。

麻酔を行う。

フルフェイスマスクを装着する。

英国人洞窟ダイバーが少年を一人ずつ水没区間から運ぶ。

ルート途中には支援ダイバーが配置される。

Chamber 3へ到達すると、深部担当から医療・搬送側へ引き継ぐ。

その後、洞窟入口、救急搬送、病院へつなぐ。

ここで、最深部側からChamber 3、洞窟入口までの位置関係を確認しておく。


タムルアン洞窟の入口、Chamber 1から3、T junction、Pattaya Beach、少年たちの発見区域を示す2018年救助ルート概略図
タムルアン洞窟の2018年救助ルート概略図。入口、Chamber 1〜3、T junction、Pattaya Beach、少年たちが発見された区域の相対位置を示す。
出典:Wikimedia Commons「2018 Tham-Luang-cave-map-cropped.png」、Per Meistrup、CC0 1.0。
図はOpenStreetMapと作成者による洞窟経路の概略化に基づき、正確な縮尺図ではない。2018年7月8〜10日の水位、各少年の実際の搬送位置、ダイバー配置、ボンベ位置を精密に示すものでもない。

この基本工程を13回成立させた。

FACT CHECK|救出は7月10日か、7月11日か?

13人全員の洞窟からの救出が完了したのは、タイ現地時間2018年7月10日である。

BCRCの最終ブリーフィングでは、7月10日21時30分(タイ時間)にタイ当局が、

  • 最後の少年4人
  • コーチ1人
  • 洞窟内のダイバー

が安全に洞窟を出たと発表したことが記録されている。

BCRCウェブサイト上の記事公開日は11日になっているが、ブリーフィング本文は10日夜の救出完了を記録したもの。

本シリーズでは7月10日を救出完了日とする。

7月8日 朝|「今日が最良の日」と判断される

7月8日朝、救出現場の状況が大きく変わった。

洞窟入口周辺では、救出に直接関係しない人々へ退去が指示された。

作戦開始に備えて現場を整理するためだった。

同日のタイ当局と国際救助関係者による正式ブリーフィングでは、現場責任者ナロンサック・オーソッタナコーンが、

「今日が救出を実行する最良の日」

と判断したことが発表された。

救出チームには、

  • 13人の国際ダイバー
  • 5人のタイ海軍特殊部隊ダイバー

が準備されていた。

さらに前日、オーストラリア人医師によって13人の健康状態が評価され、身体的・精神的に移動可能と判断された。

水位も低下していた。

Chamber 1、2、3では歩行できる区間が増えていた。

救出訓練も行われていた。

条件はそれまでで最も整っていた。

一方で、これ以上待てば雨が再び強くなる可能性があった。

7月8日 10時ごろ|救出MISSIONが始まる

正式ブリーフィングでは、作戦はタイ時間10時に開始されたとされている。

BCRCが同日別にまとめた記録では、国際洞窟救助ダイバーのチームが10時30分ごろ洞窟へ入ったとされている。

30分の差は、

作戦全体の開始時刻と、最深部へ向かう国際ダイバーチームの入洞時刻

の違いとして理解できる。

重要なのは、午前中から最終救出が正式に動き始めたことである。

この時点で、13人全員を一度に外へ出すとは発表されていなかった。

タイ当局は「continuous mission=継続する作戦」であると説明していた。

最奥部では、一人ずつ準備された

洞窟深部では、少年全員を一度に麻酔したわけではない。

その日に救出する対象者を一人ずつ準備した。

前回までに見たように、

  • 不安を抑える薬剤
  • アトロピン
  • ケタミンによる全身麻酔
  • フルフェイスマスク
  • ウェットスーツなどの装備

を使い、実際に水へ顔を入れて呼吸とマスクの密閉状態を確認した。

準備ができた少年から、洞窟ダイバーへ引き渡される。

そこから数時間の搬送が始まった。

一人が出発しても、すぐ次の少年を出せるわけではない

最終救出を「4人を一列に並べて連れ出した」と考えると、実際の工程が見えない。

一人ずつ担当ダイバーと組ませる必要がある。

ルート途中の支援要員も使う。

呼吸用ボンベも消費する。

前の搬送者と十分な間隔を取る必要もある。

狭い水没区間で複数の搬送グループが密集すれば、互いが危険になる可能性がある。

そのため救出は流れ作業ではあっても、

一人ごとに独立性を持たせた搬送

として行われた。

7月8日 夕方〜夜|最初の4人が洞窟を出る

7月8日の夕方、最初の少年たちが洞窟から出始めた。

BCRCは当初、19時ごろから最初の4人が外へ出たという報道が流れていることを伝えた一方、

家族への連絡と医療処置を優先し、正式確認はタイ当局が行うべきだ

として慎重な姿勢を取っていた。

その後、初日に4人が救出されたことが正式に確認された。

13人のうち4人。

残りは9人。

一日目は成功した。

だが、この時点で全員救出が保証されたわけではない。

同じシステムを、さらに二日動かさなければならなかった。

FACT CHECK|最初の4人は何時に出たのか?

7月8日当日のBCRC更新では、「19時ごろから4人が出た」という情報はearly, unconfirmed reports=初期の未確認報道として扱われている。

後年の記事では少年ごとの細かな時刻が示されることもあるが、本シリーズでは同時期の公式性が高い資料を優先し、

「7月8日の夕方から夜にかけて4人を救出」

を基準とする。

一日目終了後|なぜ続けて残り9人を出さなかったのか

初日の4人が成功したのなら、そのまま夜通し残り9人を運べばよいようにも思える。

しかし、救出ラインは使えば消耗する。

呼吸用ボンベは交換・補充が必要になる。

麻酔薬や医療物資も準備し直す必要がある。

そして何より、ダイバー自身が長時間の洞窟潜水を終えている。

疲労した状態で次の搬出を続ければ、事故リスクは上がる。

そこで作戦はいったん止められた。

翌日同じ能力で救出を再開するため、

装備・人員・物資を元の状態へ戻す時間

が必要だった。

最初の4人から「低体温」という問題が見つかる

一日目は救出システムが実際の少年に対して初めて使われた日でもある。

洞窟を出た少年たちは医療チームへ引き渡され、病院へ移送された。

そこで問題の一つとして確認されたのが低体温だった。

長時間、冷たい水と洞窟環境にさらされたことによるものだった。

New England Journal of Medicineの救出医療報告では、初日の経験を踏まえ、

  • 体温評価
  • 保温
  • 温めた輸液
  • 医療チームの役割分担

などが翌日以降改善されたことが記録されている。

つまり、

1日目は単なる成功ではなく、2日目を改善する実地データにもなった。

7月9日|同じ方式で再び洞窟へ入る

翌7月9日。

救助ダイバーたちは再び作戦へ戻った。

洞窟条件は前日から大きく変化していなかった。

そのためBCRCによれば、

基本的に前日と同じ方式

が使われた。

一日目に使った作戦を大きく作り直さず、同じ工程を再現する。

これは重要だった。

前日に4人を無事に運べたという実績がある。

ルート。

マスク。

麻酔。

ダイバー配置。

Chamber 3での引き渡し。

それらを基本的に維持した。

7月9日|さらに4人を救出

二日目も4人の少年が救出された。

これで洞窟から出た少年は8人。

残るのは、

  • 少年4人
  • コーチ1人

の5人となった。

そしてBCRCは、この日の搬出が一日目より約2時間速かったと記録している。

安全性を下げたからではない。

同じ方式を経験したことで、救出ライン全体の動きが改善した結果とされている。

これはMISSIONとして非常に重要な変化だった。

一日目は「この方法で本当に少年を運べるか」を実行する日。

二日目は、

すでに成立した工程を、より効率的に再現する日

になっていた。

FACT CHECK|2日目は危険な手順を省略したから速くなったのか?

BCRCはそのようには説明していない。

7月9日の記録では、

前日と同じ基本方式を維持し、安全性を損なうことなく約2時間短縮した

とされている。

したがって「急いだため安全確認を省略した」という説明は採用しない。

7月9日夜|5人を残して、もう一度止める

あと5人。

一気に続ければ全員を救えるところまで来ていた。

それでも、作戦は再び翌日まで止められた。

BCRCの7月9日ブリーフィングは理由を明確に記録している。

装備を再準備し、ダイバーを十分に休ませるため。

一日目と同じである。

救出ラインは、一回使えば次の一回に自動的に使えるシステムではない。

毎日終了後に、翌朝もう一度13人救助レベルの安全性を作り直す必要があった。

さらに、モンスーンの雨が迫っていた。

成功しているからこそ、最後まで同じ手順を崩さない必要があった。

7月10日 朝|残る5人を一度に救出する

最終日。

洞窟内には少年4人とコーチ1人が残っていた。

それまでの2日間は4人ずつだった。

三日目は5人。

BCRC最終報告によれば、最終救出作戦はタイ時間10時に始まった。

基本方式は前日・前々日とほぼ同じだった。

毎日の先頭グループは、

  • 英国人ダイバー4人
  • オーストラリア人2人

で構成され、そのオーストラリア人の一人が医師だった。

少年たちの健康状態を確認する。

装備を着ける。

麻酔する。

一人ずつ担当ダイバーが運ぶ。

途中に配置された支援ダイバーを通過しながらChamber 3へ向かう。

「最後の一人」はコーチではなかったと断定できるのか

救出順については後年さまざまな報道、証言、映像作品で具体的な名前が示されている。

しかし、本記事の主眼は個人名ごとの救出順ではない。

同時期の公的・救助団体資料が確実に示しているのは、

7月10日に残る少年4人とコーチ1人の5人が救出された

という点である。

また英国政府の功績記録からは、ジェイソン・マリンソンが救出3日間で複数の少年とコーチの搬出を担当したことなどが確認できる。

一方、記事ごとに報じられた個人名と正確な出口通過順序には資料差がある。

そのため本シリーズでは、信頼できる一次性の高い資料で一致する人数・日付を中心に時系列を組む。

最後の5人が出ても、作戦はまだ終わっていなかった

13人全員が少年とコーチだけなら、最後の5人がChamber 3を通過した段階で任務終了に見える。

だが、洞窟内部には救助要員が残っている。

特に少年たちの発見後、最奥部で彼らを支えていたタイ海軍特殊部隊員も外へ戻らなければならない。

BCRC最終報告では、

最後の少年たちが待機場所を離れた後、そこに残っていた4人のタイ海軍特殊部隊ダイバーも撤収を開始した

と記録されている。

救助される側が全員動いた後に、救助する側も同じ水没ルートから帰る必要があった。

7月10日 21時30分|タイ当局が「全員出た」と発表

そしてタイ時間21時30分。

タイ当局は、

  • 最後の少年4人
  • コーチ
  • 洞窟内のダイバー

が安全に洞窟を出たと発表した。

6月23日から洞窟内に閉じ込められていた13人は、全員地上へ戻った。

BCRCは最終ブリーフィングで、

「最も信じ難い洞窟救助の一つが終わった」

という趣旨で作戦完了を報告した。

ただし、そこで現場全体が完全に安全になったわけではない。

最終日の撤収時、水位は再び上がった

第4回でも触れたように、排水設備によって洞窟は一時的に救出可能な状態へ保たれていた。

それは永久的な状態ではない。

オーストラリア政府の事後検証では、最終救出後の撤収時にポンプの一部が停止し、洞窟内部の水位が急速に上昇したことが記録されている。

この出来事は、

救出作戦が数日遅れても同じ条件で実施できた保証はなかった

ことを示している。

7月8日に動いた判断は、結果だけでなく、その後の環境変化から見ても時間的余裕の小さいものだった。

3日間で何が変わったのか

同じ作戦を3回行ったが、完全に同じ3日間ではない。

主な意味
7月8日 計画した救出方式を初めて実際の少年へ適用。4人成功。低体温などの課題を確認
7月9日 基本方式を維持して4人を救出。前日より約2時間短縮
7月10日 残る5人を同じシステムで搬出。救助要員も撤退しMISSION完了

つまり、

一日目=実証

二日目=再現と改善

三日目=完遂

という構造になっている。

救出された4人の後ろでは、次の日の準備が始まっていた

ニュースでは、少年が病院へ運ばれる場面が最も目立つ。

しかし一日の救出が終わった瞬間、洞窟側では次の日の準備が始まっていた。

使ったシリンダーを回収・交換する。

呼吸用ガスを補充する。

薬剤を準備する。

潜水器材を確認する。

ルート状態を確認する。

ダイバーが休む。

医療チームは搬出された少年の状態から手順を見直す。

つまり、

地上で一日の救出成功が報じられている間、洞窟では翌日の同じ成功を再現する準備が続いていた。

なぜ「最初に誰を出すか」は単純ではなかったのか

救出順については、当時からさまざまな情報が流れた。

体力の弱い少年から。

強い少年から。

出口に近い順。

遠くに住む少年から。

複数の説明が報道された。

しかし同時期の公式資料では、全員について「この基準で救出順を決定した」という詳細な一覧は確認しにくい。

また家族への配慮から、救出直後には少年の名前を公表しない運用も取られていた。

そのため本記事では、

救出順の理由を一つの説へ固定しない。

確認できるのは、7月8日に4人、9日に4人、10日に残る5人が搬出されたことである。

FACT CHECK|「最も弱った少年から救出した」は確定情報か?

救出順の基準については当時報道に複数の説明が存在する。

タイ当局の発言も報道を通す過程で表現が異なっている。

BCRCの主要ブリーフィングは、救出対象者全員について医学的順位を一覧化していない。

したがって本記事では、

「最も弱い4人から救出した」などの単純な順序決定を確定事実として採用しない。

救助側は毎日、成功しても慎重だった

初日に4人が救出された。

それでもBCRCは楽観的な終了宣言をしていない。

9日にはさらに4人が出た。

それでも声明は、

モンスーンの雨が迫っており、洞窟内の全員とすべての救助者が安全に出るまで慎重であるべき

という姿勢を維持した。

8人を救えても、残り5人が出られなければ作戦成功とは言えない。

最後の少年が出ても、救助ダイバーが戻らなければ作戦完了ではない。

この考え方が、3日間を通じて一貫していた。

「全員救出」は、13回の独立した成功の積み重ねだった

13人全員生還という数字は一つの結果に見える。

実際の作戦では、一人ひとりに同じ重大な危険があった。

麻酔が適切に効くか。

自発呼吸を続けられるか。

マスクは密閉できるか。

水中でずれないか。

ダイバーがラインを維持できるか。

途中で覚醒しないか。

低体温は重くならないか。

一人目が成功しても、二人目には同じ保証はない。

だから、

13人全員救出とは、一つの大成功ではなく、13回の危険な搬送がすべて成功した結果

だった。

7月8〜10日|最終救出3日間の時系列

日付・時点 出来事
7月8日 朝 洞窟入口周辺から非救助要員を退去。ナロンサック現場責任者が「今日が最良の日」と判断
7月8日 10:00ごろ 正式に救出作戦開始
7月8日 10:30ごろ 国際洞窟救助ダイバーらが深部へ向け入洞
7月8日 夕方~夜 最初の少年4人を救出
7月8日 夜 作戦を一時停止。ボンベ・装備・医療物資の再準備、ダイバー休養
7月9日 前日と基本的に同じ方式で救出を再開
7月9日 夜まで さらに少年4人を救出。搬出は前日より約2時間短縮
7月9日 夜 洞窟内に残るのは少年4人とコーチ1人。装備再準備とダイバー休養
7月10日 10:00 最終救出作戦開始
7月10日 残る少年4人とコーチを一人ずつ搬出
7月10日 夜 少年たちを支えていたタイ海軍特殊部隊員らも撤退
7月10日 21:30 タイ当局が13人全員と洞窟内ダイバーの安全な脱出を発表

まとめ|3日間の成功は「同じ作戦を崩さず繰り返した」ことにあった

7月8日、救助側は潜水による搬出を開始した。

最初の4人が生還した。

しかし、その夜に残り9人を続けて運ぶことはしなかった。

装備を戻す。

ボンベを再配置する。

ダイバーを休ませる。

医療面を改善する。

そして翌9日、基本的に同じ方式で次の4人を救出した。

二日目は前日より約2時間速くなった。

それでも残る5人を続けて出さず、再び準備を行った。

10日、最終作戦。

少年4人とコーチ1人が洞窟を出た。

その後、洞窟内部に残っていた救助ダイバーも撤収した。

21時30分、タイ当局は全員が安全に外へ出たことを発表した。

この3日間で重要だったのは、

一度成功した危険な作戦を、成功したからといって雑に加速させなかったこと

だった。

一日ごとに止める。

資源を戻す。

人を休ませる。

一日目の問題を修正する。

そして、もう一度同じ工程を実行する。

それを最後の一人まで繰り返した。

6月23日に洞窟へ入った13人は、7月10日までに全員地上へ戻った。

CASE FILE 18の救出MISSIONは、ここで完了する。

だが、タムルアン救出にはもう一つ大きな入口がある。

2022年、ロン・ハワード監督によって映画『13人の命(Thirteen Lives)』が制作された。

映画では、洞窟ダイバー、タイ当局、麻酔救助、サマン・クナンの死などが再現されている。

では、映画で描かれた救出はどこまで史実なのか。

次回は、映画『13人の命』と公的資料・救出当事者の記録を比較し、実話と映像上の再構成を分けて確認する。


← 第8回|なぜ少年たちに麻酔を使ったのか


第10回|映画『13人の命』はどこまで実話なのか →

今回出てきた言葉

【ナロンサック・オーソッタナコーン】
タムルアン救出時の現場責任者として救助作戦を統括したタイ側指揮者。7月8日に、その日が救出を実行する最良のタイミングであると発表した。

【continuous mission】
7月8日の正式ブリーフィングで使われた救出作戦の説明。一度に13人全員が同時に外へ出るのではなく、継続的に一人ずつ搬出していく作戦だった。

【spearhead group】
救出作戦の最深部側を担った先頭グループ。BCRC最終報告では毎日、英国人4人とオーストラリア人2人が先頭グループを構成し、オーストラリア人の一人は医師だった。

【再補給】
一日の救出後、使用した呼吸用ボンベ、装備、薬剤などを翌日の救出へ向けて準備し直す作業。3日間の救出を継続するために不可欠だった。

【Chamber 3】
洞窟深部の専門潜水区間と、入口側の医療・搬送区間をつなぐ中継地点。救出された少年はここで深部担当ダイバーから別チームへ引き継がれた。

【低体温】
長時間の水中・洞窟内搬送で重要になった医学的問題。初日の救出結果を受け、翌日以降は保温・体温管理が強化された。

【Wild Boars】
遭難した少年12人が所属していたサッカーチーム。最終日の7月10日、残る少年4人とコーチが救出され、13人全員の搬出が完了した。

出典・参考資料

  • British Cave Rescue Council,
    “Key phase of the rescue operation to bring the boys out of Tham Luang Nang Non Cave begins,”
    8 July 2018.

    British Cave Rescue Council
  • British Cave Rescue Council,
    “More, as key phase begins of the rescue operation to bring the boys out of Tham Luang Nang Non Cave,”
    8 July 2018.

    British Cave Rescue Council
  • British Cave Rescue Council,
    “Update on the rescue operation to bring the boys out of Tham Luang Nang Non Cave,”
    8 July 2018.

    British Cave Rescue Council
  • British Cave Rescue Council,
    “Further progress on the rescue operation to bring the boys out of Tham Luang Nang Non Cave,”
    9 July 2018.

    British Cave Rescue Council
  • British Cave Rescue Council,
    “A tense but joyful outcome for the cave rescue at Tham Luang Nang Non Cave,”
    10 July 2018.

    British Cave Rescue Council
  • UK Cabinet Office,
    “Civilian Gallantry List: 2019,”
    28 December 2018.

    GOV.UK
  • U.S. Department of Defense,
    “DoD Personnel Assist in Thai Cave Rescue Operations,”
    9 July 2018.

    U.S. Department of Defense
  • Lawthaweesawat C, Harris R, Isara W, Pongpirul K.,
    “Prehospital Care of the 13 Hypothermic, Anesthetized Patients in the Thailand Cave Rescue,”
    New England Journal of Medicine,
    2019;380:1372–1373.

    New England Journal of Medicine

本記事は、2018年7月8日・9日・10日にBritish Cave Rescue Councilが逐次公表した現地ブリーフィングを時系列の主資料とした。7月8日の作戦開始時刻について、タイ当局の正式ブリーフィングは10:00、BCRCの別更新は国際洞窟救助ダイバーの入洞を10:30頃としているため、作戦全体の開始と深部ダイバーチームの入洞を区別して記述した。また7月8日の最初の4人の具体的な出口通過時刻は、BCRC自身が当初「未確認報道」として扱っているため、後年報道の分単位の時刻を確定値として採用していない。7月9日はBCRC記録に基づき4人を追加救出し、前日より約2時間短縮したことを記載した。最終日はBCRCの10日付ブリーフィングに従い、10:00に作戦開始、最後の少年4人とコーチを救出し、21:30にタイ当局が洞窟内のダイバーを含め全員の安全な脱出を発表した時点を救出完了とした。救出順の個人名・順位理由には資料差があるため、一次性の高い資料で一致する日付と人数を優先している。