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CASE56

キューバ危機|核戦争を避けた13日間はどう進んだのか

1962年、ソ連がキューバへ核ミサイルを秘密配備し、米国がU-2偵察写真から発見したことで始まったキューバ危機を、配備の背景、情報分析、ExCommの意思決定、海上隔離、10月27日の多重危機、秘密交渉、米国が当時把握していなかった核戦力、そして危機後の撤去と制度変化まで一次・公的資料中心に再構成する。

全9回 総読了時間 約216分
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TURNING POINT|歴史・社会変動中南米1960年代

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  1. 01 キューバ危機とは何だったのか?|「13日間」で核戦争寸前まで進んだ1962年10月1962年10月、キューバで発見されたソ連の核ミサイルは、米ソを直接の核対決へ近づけた。発見から海上隔離、秘密交渉、撤去合意までを俯瞰し、「13日間」という有名な枠組みと危機全体の実像を整理する。 21分
  2. 02 キューバ危機|なぜソ連はキューバに核ミサイルを置いたのか?|ピッグス湾、アナディル作戦、トルコのジュピターキューバへの核ミサイル配備は、単なる奇襲ではなかった。キューバ防衛、米ソの戦略バランス、トルコのジュピター、ピッグス湾侵攻後の情勢を分解し、ソ連側の複数の狙いを検証する。 22分
  3. 03 キューバ危機|米国はどうソ連ミサイルを発見したのか?|U-2偵察写真と10月14〜16日の情報分析1962年10月14日、U-2偵察機がキューバ上空で撮影した写真は、数日後に世界を変える証拠となった。写真解析の手順と、サン・クリストバルのミサイルサイトがどのように特定されたかを追う。 21分
  4. 04 キューバ危機|ケネディはなぜ空爆ではなく「海上隔離」を選んだのか?|ExCommの6日間ミサイル発見後、米政権は空爆、全面侵攻、外交交渉、海上隔離を比較した。ExComm内部の議論と軍事・外交上のリスクを整理し、なぜケネディが即時攻撃を避けたのかを追う。 26分
  5. 05 キューバ危機|「海上隔離」はどう機能したのか?|10月22〜26日の米海軍とソ連船米国は「blockade」ではなく「quarantine」と呼ぶ海上措置を選んだ。法的意味、OASとの関係、米海軍の配置、ソ連船との接触をたどり、隔離線がどのように核危機を管理したかを検証する。 23分
  6. 06 キューバ危機|1962年10月27日「ブラック・サタデー」に何が起きたのか?|U-2撃墜、B-59、誤算の連鎖10月27日、キューバ上空ではU-2が撃墜され、別のU-2はソ連領空付近へ迷入し、海中ではB-59が米艦艇に追跡された。別々の現場で進んだ出来事が、核使用の危険を同時に押し上げた一日を追う。 23分
  7. 07 キューバ危機はどう終わったのか?|フルシチョフ二通の書簡と秘密のジュピター撤去危機終結は、ソ連が一方的に屈服した単純な物語ではない。フルシチョフの二通の書簡、ロバート・ケネディとドブルイニンの秘密会談、トルコのジュピター撤去を分けて検証する。 26分
  8. 08 キューバ危機|米国が知らなかった戦術核はどこまで配備されていたのか?|後年のソ連・キューバ資料で見直す危機冷戦後に公開されたソ連側資料は、米国が1962年当時把握していなかった戦術核兵器の存在を明らかにした。当時の情報と後年の知識を分離し、危機の危険度を再検証する。 26分
  9. 09 キューバ危機は本当に「13日間」で終わったのか?|11月の撤去確認からホットライン・核実験禁止へ「13日間」は10月28日の合意で区切られるが、海上隔離は11月20日まで続き、兵器撤去と検証にはさらに時間を要した。危機後のホットラインと核実験禁止条約まで含め、危機の終わりを再定義する。 28分

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