1915年10月27日、エンデュアランス号を捨てた28人が立っていたのは、南極大陸ではなかった。
港でも島でもない。
彼らの足元にあったのは、ウェッデル海を漂う海氷だった。
船内にあった寝台、厨房、食料庫、機関、壁、屋根は使えなくなった。救助を呼べる無線もない。最寄りの現実的な避難先と考えられたポーレット島までは、当初約346マイル離れていた。
28人に残された大型の移動手段は、エンデュアランス号から降ろした3隻の救命艇だった。
ところが、その救命艇をすぐ海へ浮かべることもできない。
周囲は船を走らせられるほど開いておらず、かといって重い艇をそりに載せて何百kmも引けるほど平坦な氷でもなかった。
この状況でシャクルトンたちが始めたのは、「ひたすら耐える」ことではない。
食料、燃料、重量、犬、救命艇、氷の状態、漂流方向を管理しながら、次に移動できる条件が成立するまで生存時間を延ばすことだった。
この記事で分かること
今回は1915年10月27日の退船から、1916年4月に救命艇へ乗り移る直前までを扱う。
- 船を捨てた直後、28人は何を持ち出したのか
- なぜ個人の荷物をほとんど捨てたのか
- なぜ徒歩でポーレット島へ向かう計画を断念したのか
- Ocean CampとPatience Campは何が違ったのか
- 食料をどのように確保したのか
- アザラシの脂肪がなぜ燃料として重要だったのか
- 犬ぞりはどこまで役に立ったのか
- なぜ犬を処分する判断に至ったのか
- 「氷と一緒に漂流する」ことがなぜ合理的だったのか
4月9日に実際に救命艇へ乗り込んでからエレファント島へ到達する航海は、第6回で詳しく追う。
CASE FILE 28
シャクルトンとエンデュアランス号遠征|全10回
- 第1回 シャクルトンとエンデュアランス号遠征とは?|船を失った28人はどう南極から生還したのか
- 第2回 シャクルトンは何を目指していたのか|帝国南極横断探検隊と「南極大陸横断」計画
- 第3回 なぜエンデュアランス号は氷に閉じ込められたのか|ウェッデル海と海氷が塞いだ航路
- 第4回 エンデュアランス号はどう壊れ、沈んだのか|海氷の圧力と船を捨てるまで
- 第5回 船を失った28人は氷の上でどう生き延びたのか|キャンプ生活と漂流の日々【現在の記事】
- 第6回 28人はどうエレファント島へたどり着いたのか|3隻の救命艇による氷海脱出
- 第7回 800マイルの海をどう渡ったのか|ジェームズ・ケアード号と6人のサウスジョージア航海
- 第8回 なぜサウスジョージア島を歩いて横断したのか|無人の海岸からストロムネス捕鯨基地へ
- 第9回 「全員生還」はどこまで本当か|エレファント島救出とロス海支隊3人の死
- 第10回 2022年、海底で見つかったエンデュアランス号|107年後の船体発見で何が分かったのか
退船した瞬間から「持っていける重量」が生存条件になった
船を離れた直後、エンデュアランス号の乗組員は可能な限りの物資を氷上へ降ろした。
特に重要だったのは、
- 3隻の救命艇
- そり
- テント
- 食料
- 燃料になる物資
- 寝袋・防寒着
- 調理器具
- 航海・測位器具
だった。
ここで一つ問題になる。
船に残っている物をすべて持っていくことはできない。
いずれ陸地へ向かってそりを引くのであれば、荷物の重量は人間と犬が自力で移動させなければならない。1kg余分に持てば、それだけ移動速度と体力消耗に影響する。
そのためシャクルトンは、個人が持てる私物を1人2ポンド、約0.9kgまでに制限した。
金銭や不要な装備よりも、家族の写真など精神的に重要な物を残す者もいた。
シャクルトン自身の記録には、この判断を象徴する一文がある。
金貨は捨てられ、写真は残された。
単なる「断捨離」ではない。
これからの移動では、物の価値を価格ではなく、生存に対する重量当たりの価値で再評価する必要があった。
救命艇だけは、どれほど重くても捨てられなかった
一方、最も重い荷物でありながら絶対に捨てられないものがあった。
救命艇である。
Enduranceからは、
- James Caird
- Dudley Docker
- Stancomb-Wills
の3隻が氷上へ降ろされた。
これらは後に海氷が崩壊したとき、28人が海上へ脱出するための唯一の手段になる。
つまり救命艇には矛盾した性質があった。
| 氷上では | 非常に重く、移動速度を大きく低下させる |
|---|---|
| 氷が割れた後は | 全員の生存に不可欠 |
軽量化だけを優先すれば艇を捨てたくなる。
しかし艇を失えば、海氷が開いた瞬間に移動手段を失う。
したがってシャクルトンたちは、移動効率を犠牲にしてでも救命艇を保持する必要があった。
最初の計画は「氷の上を歩いて陸へ行く」ことだった
退船直後、シャクルトンはただその場で救助を待つつもりではなかった。
最初の目標として考えられたのはポーレット島(Paulet Island)だった。
退船時点で約346マイル離れていたが、そこには1902年のスウェーデン南極探検隊救援時に使われた小屋と、非常用の物資が残されていることをシャクルトンは知っていた。
距離だけを見れば非常に遠い。
それでも何もない海氷の上に留まり続けるより、物資のある陸地へ近づく方が安全に思える。
そこで救命艇をそりへ載せ、犬と人間で西から北西方向へ引く計画が始まった。
しかし実際に動いてみると、地図上の距離とは別の問題が現れた。
1日歩いても「1マイル」しか進まなかった
海氷は雪原ではない。
氷盤同士がぶつかってできたプレッシャー・リッジ、亀裂、開水路、軟らかい雪、薄い若い氷が入り混じっていた。
進路上に高さ数mの氷の隆起があれば、つるはしとシャベルで崩して道を作る。
亀裂があれば迂回する。
救命艇は1隻ずつ前へ運び、また戻って次の荷物を取りに行く。
シャクルトンの一次記録では、最初の移動では直線距離でわずか約1マイル進むために、迂回や往復を含め人員によっては6~10マイル近く動いている。
しかも雪が深い場所では腰近くまで沈んだ。
重い救命艇を載せたそりにとって、この路面状態は致命的だった。
数日試した結果、シャクルトンは長距離行軍を停止する。
より厚く安定した氷盤を探し、そこへキャンプを移した。
これがOcean Campである。
Ocean Camp|「移動する」から「条件が変わるまで待つ」へ
Ocean Campが設置された氷盤は、当初およそ1マイル四方の比較的大きな古い氷だった。
沈んだEnduranceの残骸からは約1.5マイル離れていた。
この場所で28人は約2か月を過ごす。
ここで戦略は一度変わった。
人力で陸地まで進むのではなく、
氷そのものが北西方向へ漂流するのを利用し、移動可能な条件が来るまで待つ。
ただし、完全に何もしなかったわけではない。
乗組員は、
- 氷の亀裂を監視する
- 船の残骸から使える物資を回収する
- アザラシやペンギンを探す
- 犬を訓練・管理する
- 救命艇とそりを整備する
- 食料在庫を計算する
- 測位して漂流位置を確認する
という作業を続けた。
待機とは、停止ではない。
次に動ける瞬間に備えるための運用状態だった。
食料は「持ってきた物」だけでは到底足りなかった
退船直後、28人にはそり旅行用の非常食があった。
しかしシャクルトンは、それを最初から大量に消費しない方針を取った。
救命艇へ乗り込んだ後は、狩猟できる保証がない。
そのため保存性が高く重量あたりのエネルギー密度も高いそり用レーションは、最後の移動段階のために温存する必要があった。
氷上生活の主な食料になったのは、
- アザラシ
- ペンギン
- 残存する小麦粉
- ペミカン
- 乾燥乳
- 砂糖や乾燥野菜など残存備蓄
だった。
Ocean Campでは、シャクルトンは可能な限りアザラシとペンギンで日常の食事を賄い、貴重なそり用レーションを節約する方針を明記している。
11月初旬の記録では、人間と犬を合わせて維持するにはおおむね1日1頭のアザラシが必要になる状況もあった。
ここで狩猟は「食事を豪華にするため」ではない。
保存食の消費速度を下げることで、救命艇へ移るまでの生存可能期間を延ばすためだった。
アザラシは「食料」であると同時に「燃料」だった
氷上生活では、カロリーだけ確保しても生きられない。
飲料水を作るには氷や雪を溶かさなければならない。
肉を調理するにも熱源がいる。
しかしEnduranceを失った28人には、何か月も使い続けられる大量の石炭や灯油はなかった。
そこで重要になったのがアザラシの脂肪、ブリバー(blubber)だった。
脂肪を燃やし、調理や雪・氷を溶かす熱源にする。
Ocean Campでは、金属製の油樽などを加工した簡易ストーブも作られた。
Patience Campでも同じ考え方が続く。
つまり1頭のアザラシは、
| 肉 | 人間と犬の食料 |
|---|---|
| 脂肪 | 調理・飲料水確保の燃料 |
という二つの役割を持っていた。
アザラシが見つからなくなることは、
食料不足と燃料不足が同時に進むことを意味した。
水も「氷が無限にあるから問題ない」わけではない
周囲には見渡す限り氷がある。
一見すると、飲料水だけは不足しないように思える。
しかし氷をそのまま大量に飲むことはできない。
溶かすには熱が必要になる。
Patience Campで燃料不足が深刻になると、1日1回しか温かい飲み物を作れない時期もあった。
シャクルトンの記録には、金属缶へ氷片を入れて寝袋や衣服の中で体温を利用して溶かし、少量の水を得た例も残されている。
氷そのものは大量にあっても、
「飲める水へ変換するためのエネルギー」が不足すれば、水も制約資源になる。
極地での燃料管理が食料管理と同じくらい重要だった理由である。
犬は荷物を運ぶ重要な戦力だった
Enduranceには多数のそり犬が乗っていた。
本来は南極大陸横断で使用する予定だった犬たちである。
船が氷へ閉じ込められていた時期から、犬たちは氷上で訓練されていた。
船を失った後は、救命艇や物資を運ぶため、さらに重要になった。
人間だけでは到底運べない量の荷物を、犬ぞりなら比較的効率よく移動できる。
実際、Ocean Campへ移る際には、犬14頭が人間18人と同等かそれ以上の仕事をしたとシャクルトンは評価している。
しかし犬には別の問題がある。
働いていない間も食料が必要になる。
氷上を長距離行軍できない状態が続けば、犬の輸送能力は利用できない一方、アザラシ肉などを毎日消費する。
犬を維持すること自体が資源負担になっていった。
10月29日、すでに「維持できない命」を選別していた
退船から2日後の10月29日、シャクルトンの記録では28人と49頭の犬が氷上にいた。
この日、幼い犬や状態の弱い動物、そして船大工ハリー・マクニッシュが飼っていた猫Mrs Chippyなどが処分された。
理由は明確だった。
これからの条件では維持できないと判断されたためである。
現代の感覚では非常に厳しい判断に見える。
しかし、この時点で人間28人の食料すら外部から補給される見込みはない。
動物を維持するために必要な食料を確保できなければ、最終的には人間側の備蓄まで消費することになる。
この判断は後にさらに拡大する。
12月、もう一度「歩いて脱出する」ことを試した
Ocean Campに留まる間、海氷は徐々に北へ漂流していた。
12月に入ると南半球は夏となり、気温が上昇する。
氷が崩れ始めれば救命艇を使える可能性が高まる一方、まだ十分に水路が開いていなければ船では進めない。
12月20日、シャクルトンはフランク・ワイルドと相談し、もう一度西へ向かって歩くことを決めた。
目標はポーレット島との距離を縮めることだった。
偵察すると、比較的大きく平坦な氷盤が先に続いているように見えた。
そこで12月23日早朝、28人は再びキャンプを畳んだ。
James CairdとDudley Dockerの2隻をそりへ載せ、夜間の低温で雪面が少し硬くなる時間帯を利用して移動する。
Stancomb-Willsは一時Ocean Campへ残された。
再び「漂流を待つ」から「自力で陸へ近づく」へ戦略を変更したのである。
7日間で進めたのは、直線距離7.5マイルだった
二度目の行軍でも、問題は同じだった。
気温が上がった夏の海氷は表面が軟らかく、人間が膝まで沈む。
亀裂や開水路が進路を塞ぐ。
プレッシャー・リッジをつるはしで崩して道を作る。
重い救命艇は約60ヤードずつリレー方式で動かす。
12月27日の夜には、最初の約200ヤードを突破するだけで約5時間を費やしている。
そして7日間の結果は、直線距離で約7.5マイルだった。
人間は疲労し、食料も減っていた。
シャクルトンは計算する。
この速度では西の陸地へ到達するまで300日以上かかる。
しかし手元の行軍用食料は約42日分しかない。
計算上、成立しない。
FACT CHECK|なぜ「頑張って歩き続ける」を選ばなかったのか
行軍を中止した理由は、単なる疲労ではない。
| 実績 | 7日間で直線距離約7.5マイル |
|---|---|
| この速度で陸地へ向かった場合 | 300日以上必要とシャクルトンは試算 |
| 当時の行軍用食料 | 約42日分 |
加えて、救命艇を損傷させれば海氷崩壊後の脱出手段も失う。
したがって行軍継続は「勇敢だが危険」というより、資源と時間の収支が成立していない選択肢だった。
Patience Camp|「自分たちが進む」のをやめ、氷に運ばせる
12月29日、前方の氷が通行不能になった。
シャクルトンは強固な氷盤へ戻り、再びキャンプを設置する。
この場所にはPatience Camp――「忍耐のキャンプ」という名前が付けられた。
結果として、ここが約3か月半の生活拠点になる。
名前どおり待つことになるが、その判断には物理的な理由があった。
彼らが乗っている海氷は完全に停止しているわけではない。
風とウェッデル海の海流によって、全体として北方向へ漂流している。
人力で1日に1マイル前後しか進めないのであれば、
巨大な氷盤そのものに28人と救命艇を運ばせた方が効率的な場合がある。
実際、1916年1月の6日間の吹雪では、Patience Campの氷盤は約84マイル北へ移動した。
人力で同じ距離を救命艇ごと移動することは、当時の氷面では事実上不可能だった。
Patience Campでは「備蓄」より狩猟の成否が生活を左右した
Patience Camp設置時点で、そり用の予備食を除くと、シャクルトンは約110ポンドのペミカンと約300ポンドの小麦粉などが残っていたと記録している。
Ocean Campへ戻った隊はさらに、
- 乾燥乳 約130ポンド
- 犬用ペミカン 約50ポンド
- ジャム 約50ポンド
- 缶詰肉
などを回収した。
しかし28人が数か月生活するには十分ではない。
主食は次第にアザラシ肉とペンギンへ偏った。
小麦粉や高エネルギーのそり用レーションは、艇へ乗り込んだ後のために可能な限り残した。
この運用は一種の在庫の階層化だった。
| 日常的に使用 | 現地で捕獲できるアザラシ・ペンギン |
|---|---|
| 補助的に使用 | 小麦粉、乾燥乳、ペミカンなど |
| 最後まで温存 | 救命艇航海用のそりレーション |
いつ捕れるか分からない野生動物を優先して食べ、確実に残っている非常食を後へ回す。
一見逆に見えるが、予測不能な救命艇航海に確実な食料を残すためには合理的な順序だった。
1月、犬の大半を維持できなくなった
Patience Campで食料不足が進むと、犬を維持する意味も変わった。
徒歩脱出を試していた時期、犬は重要な牽引力だった。
しかし長距離の氷上移動を諦め、最後は救命艇で海へ出る方針になれば、犬ぞりを使う場面は減っていく。
それでも犬には毎日食料が必要になる。
シャクルトンは食料不足から、最終的に2チームを残して他の犬を処分する判断をした。
4月2日には残っていた最後の2チームも処分された。
一部は食料として利用されたことも一次記録に残っている。
犬は遠征開始時には南極横断のための重要設備だった。
船を失った後には救命艇輸送の重要な戦力となった。
しかし最後に必要になるのが海上航行へ変わったことで、維持コストに対して役割を持てなくなった。
極限環境では、当初重要だった装備や資源であっても、状況が変われば評価を変えなければならなかった。
「全員同じ量を食べれば公平」だけでは生存できない
シャクルトンの記録を見ると、食事内容は固定されていない。
獲物の量、燃料、残存備蓄、今後の行動予定によって配給は頻繁に変更されている。
食料が不足すれば減らす。
救命艇へ出る可能性が高くなれば、体力を戻すため配給を増やす準備をする。
そり用レーションは極力触らない。
アザラシが捕れれば少し増やす。
つまり配給量は「公平な固定値」ではなく、
現在の在庫と今後必要になる仕事量から逆算して決める変数だった。
3月21日ごろには肉が約10日分、脂肪はそれより少ない状態となり、昼食がビスケット1枚まで減った時期もある。
一方、40日分のそり用レーションはほぼ手を付けずに残されていた。
これが後の救命艇航海で使われる。
キャンプ生活で最も危険だったのは「足元が土地ではない」こと
Ocean CampとPatience Campには、通常の野営地と決定的に違う条件がある。
キャンプそのものが動き、割れる。
夜に寝た場所へ朝まで安全にいられる保証がない。
氷盤には亀裂が入り、数時間で開水路になることもあった。
Ocean CampからPatience Campへ物資を取りに戻ったマックリンとハーレーは、薄い氷を踏み抜いて腰まで水につかりながら移動している。
2月2日にStancomb-Willsを回収した際も、艇を載せた重いそりが氷を破り、ほとんど浮いた状態になる場面があった。
その翌日には亀裂がさらに広がり、Ocean Campへ戻るルートは失われた。
「昨日通れた道」が翌日も通れるとは限らない。
そのため、物資を離れた場所へ大量に残すこと自体がリスクになる。
最後の救命艇Stancomb-WillsもPatience Campへ回収した
12月の徒歩脱出では、重量を減らすためStancomb-WillsをOcean Campへ残していた。
しかし徒歩で陸地へ到達する計画を諦めた後、3隻目の艇を残しておく理由はなくなった。
28人が海へ出るなら、3艇すべてが必要になる可能性が高い。
1916年2月2日、フランク・ワイルド率いる18人がOcean Campへ戻り、食料や衣類とともにStancomb-Willsを回収した。
帰路ではプレッシャー・リッジを崩し、開き始めた亀裂を氷塊で埋めながら艇を引いた。
Ocean Campへ向かう空そりより、艇を積んだ帰路には約3倍の時間がかかった。
それでもこの回収は重要だった。
数か月前には「重すぎる荷物」だった3隻目が、
海氷の崩壊が近づくほど「必要な浮力」へ価値を変えていたからである。
ポーレット島は近づいた。それでも行けなかった
氷盤は北へ漂流し続け、ポーレット島との距離は縮まった。
2月22日ごろには約80マイルまで近づいている。
3月にはさらに近づき、3月17日には緯度上ほぼ同じ位置まで漂流した。
それでも到達できなかった。
島は約60マイル西にあり、その間の海氷は徒歩で渡れるほど連続しておらず、救命艇で航行できるほど完全に開いてもいなかった。
シャクルトンにとって最も厄介なのは、
「歩けないが、まだ船でも進めない」
という中間状態だった。
結局、28人はポーレット島を東側から通り過ぎる。
目的地は次第に別の島へ変更されていった。
4月、Patience Campそのものが壊れ始めた
南極の夏が終わりに近づくにつれ、海氷は薄くなり、広い開水面が増えていった。
これは救命艇を使える条件が近づいたことを意味する。
同時に、キャンプの足元が失われることも意味していた。
氷盤には頻繁に亀裂が入り、波のうねりも感じられるようになる。
28人は、
- 救命艇
- そり用レーション
- 飲料水
- 寝袋
- 航海器具
をすぐ積み込める状態にした。
ここまで数か月、「氷がもっと開くこと」を待ってきた。
だが開きすぎれば、今度はキャンプしている氷盤そのものが消える。
待ち続けることにも限界が来ていた。
なぜ28人は氷上で約5か月生き延びられたのか
エンデュアランス号退船後の生存を「シャクルトンのリーダーシップ」という一語で説明すると、実際に行われたことが見えにくくなる。
氷上生活を支えた要素を分解すると、より具体的である。
| 管理対象 | 取った方法 |
|---|---|
| 重量 | 私物を約2ポンドへ制限し、生存に不要な物を捨てた |
| 救命艇 | 重くても最後まで保持し、損傷を避けた |
| 食料 | アザラシ・ペンギンを優先して食べ、航海用レーションを温存 |
| 燃料 | アザラシの脂肪を調理・融雪に利用 |
| 犬 | 移動時には牽引力として利用し、役割低下後は維持頭数を削減 |
| 移動 | 徒歩移動の実績が成立しないと判断した時点で中止 |
| 漂流 | 海氷の自然な北向き漂流を移動手段として利用 |
| 位置 | ワースリーらが天測を行い、現在位置と漂流を把握 |
| キャンプ | 氷盤の安定性に応じてOcean CampからPatience Campへ変更 |
重要なのは、一つの計画を最後まで守っていないことである。
徒歩で行けると思えば歩く。
進めないと分かれば止まる。
漂流が有利なら氷に運ばせる。
必要なら残した艇を回収する。
犬が役立つ間は使い、維持できなくなれば資源配分を変える。
「正しい計画を最初から持っていた」のではなく、現場の結果を見て計画を捨て直し続けたことが、生存につながった大きな特徴だった。
FACT CHECK|28人は「何か月もその場で救助を待っていた」のか
単純に救助を待っていたわけではない。
外部はEnduranceがどこで失われたかを知らず、救助船が直接来る見込みはなかった。
乗組員は二度にわたり徒歩脱出を試し、その実績から長距離移動が成立しないと判断した。
その後は漂流によって陸地との距離を縮めながら、海氷が十分開いた時点で救命艇へ移る戦略へ変更している。
したがってOcean CampとPatience Campでの待機は、「救助待ち」ではなく「救命艇を使用できる環境待ち」と見る方が実態に近い。
1916年4月9日――ついに氷上生活が終わる
4月上旬、周囲の海氷は急速に不安定になった。
4月2日には最後まで残っていた犬ぞり2チームも処分される。
4月5日にはアザラシを確保でき、食料事情は一時的に改善した。
しかし最大の変化は食料ではない。
氷の亀裂が拡大し、波のうねりがキャンプまで届き始めていた。
1916年4月9日、Patience Campの氷盤はもはや安全な生活基盤ではなくなった。
シャクルトンは決断する。
3隻の救命艇、
- James Caird
- Dudley Docker
- Stancomb-Wills
を海へ降ろし、28人全員が乗り込んだ。
1915年10月27日にEnduranceを離れてから、約5か月半。
ようやく彼らは漂流する氷の上から離れた。
ただし、ここで安全になったわけではない。
むしろ28人は初めて、屋根も暖房もない小型の木造艇で、氷と波の混じる南極海そのものへ出る。
そして目的地もまだ確定していなかった。
まとめ|生存を支えたのは「我慢」ではなく、資源配分と計画変更だった
Enduranceを失った28人が直面した問題は、寒さだけではなかった。
何百kmも離れた陸地。
移動できない海氷。
重い救命艇。
減り続ける食料。
不足する燃料。
犬の維持。
そして、自分たちを支える氷盤そのものがいつ割れるか分からない。
退船直後、彼らは荷物を減らし、救命艇をそりへ載せて陸地を目指した。
しかし実際に進めた距離から、長距離徒歩移動は成立しないと判断する。
Ocean Campで漂流を待ち、12月には再び移動を試した。
ところが7日間で進めた直線距離は約7.5マイルだった。
そこでPatience Campを設置し、人力移動をやめ、海氷そのものの北向き漂流を利用する戦略へ切り替えた。
食料ではアザラシとペンギンを利用し、最後の救命艇航海に必要な非常食を温存した。
アザラシの脂肪は燃料にもした。
犬は荷物の牽引に使ったが、維持する食料と今後の役割が釣り合わなくなると頭数を減らした。
そして海氷が十分に割れた1916年4月9日、28人は3隻の救命艇へ移った。
つまり氷上での生存は、
「耐え続けた」結果ではない。
移動するか、止まるか。
食べるか、残すか。
持っていくか、捨てるか。
人力で進むか、氷に運ばせるか。
状況が変わるたびに、この判断を更新した結果だった。
しかし救命艇へ乗った瞬間から、問題の種類が変わる。
今度は氷上のキャンプではなく、3隻の小舟で荒れる海を渡らなければならない。
第6回では、28人がJames Caird、Dudley Docker、Stancomb-Willsに分乗し、どのようにしてエレファント島へ到達したのかを時系列で追う。
今回出てきた言葉
- Dump Camp
- Endurance退船直後、船の近くの海氷上に設けられた最初の臨時キャンプ。物資が集積され、その後より安定したOcean Campへ移った。
- Ocean Camp
- Enduranceの残骸から約1.5マイル離れた比較的大きな氷盤上に設置されたキャンプ。乗組員はここで約2か月生活した。
- Patience Camp
- 1915年12月末、二度目の徒歩脱出を断念した後に設置されたキャンプ。1916年4月9日に救命艇へ移るまで主要な生活拠点となった。
- ポーレット島(Paulet Island)
- 退船後に最初の避難目標となった島。過去の南極探検隊が使用した小屋と非常用物資が存在することをシャクルトンは知っていた。
- ペミカン(Pemmican)
- 肉と脂肪などを利用した高エネルギーの保存食。極地でのそり旅行用レーションに使われた。
- ブリバー(Blubber)
- アザラシなど海生哺乳類の厚い脂肪層。キャンプでは食用だけでなく、調理や氷を溶かすための燃料として重要だった。
- フランク・ワイルド(Frank Wild)
- シャクルトンの主要な副官の一人。Ocean Camp、Patience Camp、後のElephant Islandでも隊の管理に重要な役割を担った。
CASE FILE 28|全記事
- シャクルトンとエンデュアランス号遠征とは?|船を失った28人はどう南極から生還したのか
- シャクルトンは何を目指していたのか|帝国南極横断探検隊と「南極大陸横断」計画
- なぜエンデュアランス号は氷に閉じ込められたのか|ウェッデル海と海氷が塞いだ航路
- エンデュアランス号はどう壊れ、沈んだのか|海氷の圧力と船を捨てるまで
- 船を失った28人は氷の上でどう生き延びたのか|キャンプ生活と漂流の日々【現在の記事】
- 28人はどうエレファント島へたどり着いたのか|3隻の救命艇による氷海脱出
- 800マイルの海をどう渡ったのか|ジェームズ・ケアード号と6人のサウスジョージア航海
- なぜサウスジョージア島を歩いて横断したのか|無人の海岸からストロムネス捕鯨基地へ
- 「全員生還」はどこまで本当か|エレファント島救出とロス海支隊3人の死
- 2022年、海底で見つかったエンデュアランス号|107年後の船体発見で何が分かったのか
出典・参考資料
-
Ernest Shackleton — South: The Story of Shackleton’s Last Expedition 1914–1917
退船後の荷物制限、Ocean Camp、二度の徒歩移動、Patience Camp、食料・燃料管理、犬、漂流、救命艇出発準備についての一次資料として使用。 -
Royal Geographical Society — Shackleton’s Endurance Part 5: Staying alive
Dump Camp、Ocean Camp、Patience Campへの移行、徒歩脱出失敗、食料事情、海氷上で待機する戦略の確認に使用。 -
Royal Geographical Society — Endurance 22 Interactive
10月27日の退船、Ocean Camp、1916年4月9日の救命艇への移行など、遠征全体の時系列確認に使用。 -
Royal Museums Greenwich — Ocean Camp established on the ice, Weddell Sea, 1915
Frank Hurleyが残したOcean Campの写真資料として参照。
本記事は、シャクルトン本人の『South』を一次資料の中心とし、Royal Geographical Societyなどの資料と照合して構成しています。犬やMrs Chippyの処分については、極限環境下の食料・輸送資源管理を理解するために必要な範囲で記載し、過度に感情的・残酷な描写は行っていません。また、「待機」を単なる消極策とはせず、実際の徒歩移動速度、食料残量、救命艇保持の必要性、海氷の漂流を踏まえて説明しています。