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ツタンカーメン王墓発見1922年11月、王墓発見はどう進んだのか最初の階段から「wonderful things」まで

発掘初期に記録されたツタンカーメン王墓入口の階段と封鎖部
Public Domain / GetArchive source 出典 Public Domain

先に結論|発見は一瞬ではなく、11月4日から26日まで「階段→第一封鎖→待機→再開→通路→第二封鎖→前室確認」と段階的に進んだ

THE QUESTION

1922年11月、王墓発見はどう進んだのか | 最初の階段から「wonderful things」までについて、この回が担う固有の論点は何か。

STORY SO FAR

前回「ハワード・カーターはなぜツタンカーメンの墓を探し続けたのか|最後の発掘シーズンまで」で確認した論点を受け、この回では1922年11月、王墓発見はどう進んだのか | 最初の階段から「wonderful things」までについて、この回が担う固有の論点は何か。を扱う。

ツタンカーメン王墓発見を象徴する場面は、ハワード・カーターが小さな穴から内部をのぞき、カーナーヴォン卿に「何か見えるか」と問われ、「Yes, wonderful things」と答えた瞬間である。

しかし、この有名な場面だけを見ると、1922年11月の発見が一日で完結したように見える。[1]

実際には違う。

11月4日に見つかったのは、墓室でも黄金でもなく、岩盤を掘り込んだ階段の最上段だった。
11月5日には階段を下った先に封鎖された入口が現れたが、その時点ではツタンカーメン王墓と確定していない。
カーターは現場を再び埋め戻し、英国にいるカーナーヴォンの到着を待った。
11月23日にカーナーヴォンがルクソールへ到着し、作業を再開。
11月24日に階段全体を露出させ、そこで初めてツタンカーメンの王名を含む封印が確認された。
11月25日に第一の封鎖を開くと、内部は墓室ではなく、石屑で完全に埋められた下降通路だった。
11月26日、その通路の先で第二の封鎖が現れ、カーターが小孔を開けて内部を確認した。

つまり、発見は「扉を開けたら黄金があった」という単純な一場面ではない。

何が見つかったのかを一段ずつ確認し、壊さず、待ち、再び開き、次の構造へ進む21日間の確認作業だった。

この第3回では、11月4日から26日までを日付順に追う。


1|11月4日――最初に見つかったのは「一段の階段」だった

11月1日、カーターはラムセス6世墓付近で作業を開始した。

前回扱ったように、最後まで残った古代の作業員小屋を除去し、その下の岩盤を確認するためである。

カーターが後年の講演用に残したメモでは、11月4日の朝、現場に着くと作業が止まり、異様に静かだったと回想している。

事故が起きたのかと思ったが、現場責任者から知らされたのは別の話だった。

最初の小屋を取り除いたところ、岩盤を切り込んだ一段の階段が現れた。

この時点で分かることは限られている。

階段がある。
それは岩盤へ下っている。
王家の谷の墓入口に似た構造かもしれない。

しかし、それだけである。

階段の先に何があるかはまだ見えない。
墓か、未完成の施設か、別種の地下構造かも分からない。
誰のものかはもちろん分からない。

後世の物語では、この一段が見つかった瞬間に「ツタンカーメン王墓発見」と表現されることがある。

だが考古学的な現場判断としては、まだ「新しい地下構造への入口の可能性」が生まれただけである。

発見とは、名前を付けられるまで確認する作業でもある。


2|11月4日中――階段を下げるほど期待と警戒が同時に増えた

階段の発見後、土砂の除去が進められた。

カーターの講演メモでは、階段が一段ずつ現れ、下方へ続いていたとされる。

重要なのは、発掘隊が「先を急いで一気に掘り抜く」方式ではなかったことだ。

地下遺構の入口では、封鎖状態そのものが重要な情報になる。

扉が古代から閉じられていたのか。
過去に開けられたのか。
再封鎖されたのか。
封泥に何の印章があるのか。

これらは、内部へ入ってしまった後では復元できない。

したがって、階段の先に入口らしい構造が見え始めると、単なる土砂除去から「封鎖の記録」へ作業の意味が変わる。

発見時の興奮とは逆に、考古学では重要な場所ほど止まらなければならない。


3|11月5日――第一の封鎖扉が現れる

翌11月5日、階段の下に漆喰で覆われた封鎖入口が姿を現した。

Griffith Instituteの第一シーズン記録は、この入口に王家の墓地を示すアヌビスと九人の敵の印章があったと要約している。

ここで初めて、「これは王家の墓地に関係する地下構造だ」という期待が強くなる。

しかし、まだツタンカーメンと確定したわけではない。

カーターの後年の講演メモは、もしその日にさらに数センチ深く掘っていれば、入口の封印にツタンカーメンの名を見つけられたはずだと振り返っている。

つまり11月5日時点で、ツタンカーメンの名は封印上に存在したが、カーターがその場で読める範囲まで完全には露出していなかった。

ここは非常に重要である。

11月4日=階段発見。
11月5日=封鎖入口確認。
しかし「ツタンカーメン王墓」と確定するのは、カーナーヴォン到着後にさらに入口を露出させた段階である。

発見の日付を一つに固定しようとすると、この段階差が消える。


4|なぜカーターはすぐ扉を開けなかったのか

11月5日、カーターは封鎖入口を確認した。

普通の冒険物語なら、ここで扉を開ける。

しかし彼は開けなかった。

発掘のスポンサーであり共同事業者であるカーナーヴォン卿が英国にいたからである。

カーターは小さく確認した部分を再び閉じ、現場を安全にし、信頼する作業員を警備に残した。

そしてルクソールへ使者を送り、電報を打った。

第一シーズンの日誌には、その内容が残っている。

「ついに谷で素晴らしい発見をした。封印の残る壮大な墓を発見した」

という趣旨の短い連絡である。

ここでも、カーターはまだ「ツタンカーメン王墓を発見した」とは書いていない。

この慎重さは、単に名前が読めていなかったからだけではない。

封印のある入口が、必ずしも完全な王墓を意味するとは限らない。

王家に関連する貯蔵庫。
未完成墓。
再埋葬施設。
小規模な埋納施設。

王家の谷には複数の可能性がある。

したがってこの時点の正しい状態は、

重大な王家関連遺構を発見した可能性が高いが、所有者も内部構造も未確定

である。


5|11月6日以降――発見現場を「再び隠す」

11月6日、カーターの日誌では、発見箇所を安全に覆う作業が行われている。

入口を開けたままカーナーヴォンを待つわけにはいかない。

盗掘。
好奇心による侵入。
噂の拡散。
崩落。
封印面の破損。

いずれも重大なリスクである。

そのため、現場は再び石などで覆われ、外から容易に分からない状態へ戻された。

これは現代の感覚では奇妙に見えるかもしれない。

「せっかく見つけたのに、なぜ埋めるのか」。

しかし発掘現場では、開けた状態を維持する方が危険な場合がある。

内部確認の準備が整うまで、発見箇所を保護する。

カーターがしたのは、発見を後戻りさせたのではなく、発見状態を保存したのである。


6|11月23日――カーナーヴォン卿がルクソールへ到着

電報を受けたカーナーヴォンは英国からエジプトへ向かった。

カーターの日誌によれば、11月20日にカーナーヴォンと娘のレディ・イヴリンがカイロへ到着。
カーター自身もカイロで準備を行い、ルクソールへ戻る。

11月23日、カーナーヴォンがルクソールへ到着し、カーターの家へ入った。

同じ日、アーサー・カレンダーが墓入口を再び掘り出す作業を開始した。

ここから発見作業の第二段階が始まる。

最初の階段を見つけた4日から数えると、約3週間が経っている。

この空白は、現代の「速報」感覚とは大きく異なる。

発見があり、資金提供者を呼び、現場を再開し、改めて記録しながら進む。

王墓発見は、イベントではなく工程だった。


7|11月24日――16段の階段と、ツタンカーメンの名

Griffith Instituteの第一シーズン記録では、カレンダーが階段を掘り出し、最終的に16段が露出したとされる。

ここで封鎖扉全体が見えるようになり、ツタンカーメンの王名を含む印章が確認された。

この瞬間、状況は大きく変わる。

それまで:
王家関連の封鎖遺構。

ここから:
ツタンカーメンに直接結び付く封鎖遺構。

ただし、まだ「ツタンカーメンの遺体を含む王墓」とまでは確定しない。

封印に王名があることは強い証拠だが、その王の埋葬本体なのか、王に関連する貯蔵施設なのかは内部を見なければ分からない。

第2回で扱ったKV54がまさにそうだった。

ツタンカーメンの名を持つ埋納物があっても、それ自体は王墓ではなかった。

だからカーターにとって、王名の確認は「答え」ではなく、仮説の確度が一段上がった状態だった。


8|11月25日――第一の封鎖を開く

11月25日、第一の封鎖入口が正式に記録され、開けられた。

カーターの日誌には、入口が粗い石を積み、外面を漆喰で覆い、ツタンカーメンと王家墓地の印章を多数押した構造だったと記されている。

封鎖を除去すると、その先に広い空間はなかった。

現れたのは、石屑で完全に埋められた下降通路だった。

この瞬間に分かるのは、第一扉が墓室そのものではなく、地下へ続く通路入口だったということだ。

しかも通路は空ではない。

瓦礫で埋め戻されている。

ここから、作業は再び単純な「開ける」から「除去する」へ変わる。

一つの扉を開けても次の答えは見えない。

ツタンカーメン王墓発見の時系列には、このような段階が繰り返される。


9|通路の状態は、古代の侵入を示していた

第一封鎖を開いた後の通路では、埋め戻し状態そのものが重要な観察対象になった。

カーターは後の記録で、封鎖や通路に過去の侵入と再封鎖を考えさせる痕跡を認識している。

つまり発掘隊は、

「封印がある」
↓
「完全未盗掘だ」

とは判断しなかった。

封鎖面の補修。
印章の違い。
通路内の埋め戻し。
過去の穴の位置。

そうしたものを組み合わせて、古代に何らかの侵入があり、その後に墓が再び閉じられた可能性を考えていった。

この点は第4回で詳しく扱う。

ここでは、1922年11月の時点ですでにカーターたちが「封印が残る=完全無傷」という単純な理解ではなかったことだけ押さえておく。


10|11月26日――第二の封鎖扉が現れる

通路の石屑を除去する作業は続いた。

カーターの講演メモでは、下降通路を約9メートル進んだところで、11月26日午後、瓦礫がなくなり、第二の封鎖入口が現れたと説明している。

この第二扉は、第一扉とよく似た封鎖と印章を持っていた。

そしてここにも、過去に開けられ、再び閉じられたと考えられる痕跡があった。

ここで発掘隊は新しい判断を迫られる。

第一扉の先は埋め戻し通路だった。

では第二扉の先も、さらに土砂で埋まっているのか。
小さな部屋か。
貯蔵庫か。
王墓か。

カーターは、鉄棒を小さな穴から差し込み、その先に空間があることを確認した。

つまり第二扉の向こうは、通路のように完全充填されていなかった。

ここで初めて、「向こう側に空いた部屋がある」という条件がそろう。


11|なぜろうそくを使ったのか

カーターの講演記録では、小孔を広げる前にろうそくを使っている。

一般には、「中を照らすため」と理解されやすい。

もちろん照明目的もある。

しかし彼自身は、まず有害なガスの可能性を確認するための試験を行ったと記している。

長期間閉鎖された地下空間では、空気状態が不明である。

酸素不足。
二酸化炭素。
腐敗や化学反応によるガス。
粉塵。

現代の安全管理ほど体系化されてはいないが、「密閉空間へいきなり顔を入れない」というリスク認識はあった。

小さな穴を開け、
鉄棒で空間を確認し、
ろうそくで空気状態を見て、
それから穴を広げる。

有名な「のぞき込む場面」の前には、こうした確認がある。


12|「wonderful things」の瞬間

11月26日。

カーターは第二封鎖の左上に小さな穴を開けた。

講演メモによれば、カーナーヴォン、レディ・イヴリン、カレンダーが近くで待っていた。

穴から暖かい空気が流れ出し、ろうそくの炎が揺れた。

最初は暗く、何も見えない。

やがて目が暗さに慣れると、奇妙な動物の形、彫像、そして金色に光るものが見えてきた。

カーナーヴォンが待ちきれず、
「何か見えるか」
と尋ねる。

カーターが後年の講演メモに残した答えが、

“Yes, wonderful things.”

である。

この場面は非常に有名だが、注意点がある。

カーターがこの瞬間に見たのは、王のミイラではない。
黄金のマスクでもない。
玄室でもない。

見えていたのは、後に前室と呼ばれる空間に置かれた家具、箱、戦車、像、大型の動物頭付き寝台などだった。

王の埋葬本体は、さらに別の封鎖壁の向こうにある。

つまり「wonderful things」は、王墓の最終回答ではない。

王墓が異常なほど豊富な内容物を残していることを初めて視覚的に確認した瞬間である。


13|その日の時点で、何が確定し、何が未確定だったのか

11月26日の内部確認後、分かったことを整理する。

ほぼ確実になったこと

  • ツタンカーメンの名を持つ封鎖遺構である。
  • 第一封鎖の先に下降通路がある。
  • 第二封鎖の先に大きな空間がある。
  • 内部に大量の王侯級副葬品がある。
  • 王家の埋葬関連施設である可能性が極めて高い。

まだ分からないこと

  • ツタンカーメン本人の遺体があるか。
  • 玄室が無傷か。
  • 墓がどこまで盗掘されているか。
  • 何部屋あるか。
  • 内容物総数。
  • どの品がどこにあるか。
  • どの程度保存可能か。

カーナーヴォンが11月28日にアラン・ガーディナーへ送った私信でも、巨大な副葬品群への驚きと同時に、まだ壁で塞がれた部屋があり、そこにミイラがあるのではないかと推測している。

つまり発見者たち自身も、11月26日の時点では物語の全体像を知らない。

後世の私たちは結末を知っているため、その日の全てが確定していたように読みがちである。

しかし現場では、一つ答えが出るたびに新しい未確定事項が増えていた。


14|11月27日以降――「発見」から「調査対象」へ

11月27日以降、カーターは内部の状態を詳しく確認していく。

その日誌には、過去の侵入を示す痕跡がある一方で、そこが単なる物品キャッシュではなく王墓であり、王の埋葬が比較的わずかしか乱されていないという判断が現れる。

この段階で、第1回で扱った「完全未盗掘ではないが、比較的まとまって残った」という評価へつながる。

そして11月29日には公式な開扉が行われ、多くの関係者が現場を見る。

ここから問題は別の次元へ移る。

発見そのものではなく、

  • どう警備するか
  • 誰を入れるか
  • どう撮影するか
  • どこから物品を動かすか
  • 脆弱な物をどう保存するか

という運用問題である。

12月以降、ハリー・バートン、アルフレッド・ルーカス、アーサー・メイスら専門家が加わり、本格的な記録・保存体制が整えられていく。

これは第5回の中心テーマとなる。


15|FACT CHECK|「11月4日にツタンカーメン王墓が開かれた」は正しいか

「11月4日にツタンカーメン王墓の扉が開かれた」

判定:誤り。

11月4日に見つかったのは階段の最上段。第一封鎖入口が確認されたのは5日。カーナーヴォン到着後に第一封鎖を開いたのは25日である。

「11月4日の時点でカーターはツタンカーメン王墓と分かっていた」

判定:不正確。

王家墓地の封印は確認できたが、カーターの後年のメモでは、ツタンカーメン名はもう少し深く露出していれば5日に読めたとしている。王名の確認はカーナーヴォン到着後の再発掘で明確になる。

「wonderful thingsは11月4日の言葉」

判定:誤り。

有名な内部確認は11月26日、第二封鎖に小孔を開けた時のもの。

「11月26日にミイラを発見した」

判定:誤り。

その時点で見たのは前室。王の玄室は別の封鎖の向こうにあり、開かれるのは翌1923年2月である。

「カーターだけが内部を見た」

判定:単純化。

最初に穴からのぞいたのはカーターだが、カーナーヴォン、レディ・イヴリン、カレンダーがそばにおり、その後関係者が内部確認へ進んだ。


16|日付で並べると、発見の性格が変わる

最後に、11月の主要工程を時系列で整理する。

日付 状態 その時点で分かったこと
11月1日 作業再開 作業員小屋下の岩盤を確認開始
11月4日 階段最上段発見 地下遺構の可能性
11月5日 第一封鎖確認 王家墓地に関係する可能性が高い
11月6日以降 再封・警備 カーナーヴォン到着まで保護
11月23日 カーナーヴォン到着 本格再開
11月24日 階段全体・封印確認 ツタンカーメン名を確認
11月25日 第一封鎖開放 石屑で埋まった下降通路
11月26日 第二封鎖・前室確認 大量の王侯級副葬品を確認
11月27日以降 詳細調査 王墓であり、古代侵入があるが比較的乱されていないと判断

この表を見ると、発見が一つの「瞬間」ではないことがよく分かる。

どの日を「発見日」と呼ぶかは文脈による。

最初の物理的発見なら11月4日。
封鎖入口なら11月5日。
ツタンカーメンとの結び付きが明確になるのは24日。
有名な内部確認は26日。

したがって、本シリーズでは「1922年11月4日発見」を基準日としつつ、王墓の正体が段階的に確定したと表現する。[1]


補足|「発見日」を一つに固定すると、何を失うのか

歴史上の大発見には、記念日として一つの日付が必要になる。その意味で11月4日は分かりやすい。しかし実務上は、地下構造の存在、王家墓地との関係、ツタンカーメン名、内部空間、大量の副葬品という情報が別々の日に増えている。これは後世の検証でも重要で、ある史料が「発見」と書くときに何を指しているかを確認しないと、5日、24日、26日の出来事が混線する。[2]

したがってCASE051では、11月4日を物理的発見の基準日としつつ、遺構の同定は段階的だったという二層の表現を使う。この整理は、新聞報道や後年の回想を照合するときにも基準になる。

まとめ|「wonderful things」に到達するまで、21日かかった

1922年11月のツタンカーメン王墓発見は、一気に扉を開けた冒険ではない。

最初に現れたのは一段の階段だった。
翌日、封鎖入口が現れた。
カーターはそこで止まり、現場を再び保護した。
カーナーヴォンの到着を待った。
階段全体を露出させて王名を確認した。
第一封鎖を開くと、そこには埋め戻された通路があった。
通路を除去した先で第二封鎖に到達した。
ようやく11月26日、内部の前室を目視した。

この21日間は、発見の価値を減らすどころか、逆に考古学的な性格を強くする。

見つけたら壊すのではなく、止まり、記録し、確認し、次の層へ進む。

そして第二封鎖の向こうに見えた「wonderful things」は、答えではなく次の問題の始まりだった。

内部には何部屋あるのか。
なぜ盗掘されながら大量の物品が残ったのか。
王の遺体はどこにあるのか。
副葬品をどう壊さず取り出すのか。

次回は、KV62の内部構造を平面図で追いながら、前室・別室・玄室・宝物庫と古代の侵入痕を整理し、「ほぼ無傷」という言葉が何を意味するのかを検証する。


FACT CHECK|出典・参考資料

  1. [1] Griffith Institute, University of Oxford, Tutankhamun Spatial Archive, “1st Season (1922–1923)”
  2. [2] Howard Carter, “TAA i.2.1.25 — Archaeological journal, 28 October–5 November 1922”
  3. [3] Howard Carter, “TAA i.2.1.29 — Archaeological journal, 5–10 November 1922”
  4. [4] Howard Carter, “TAA i.2.1.31 — Archaeological journal, 18–24 November 1922”
  5. [5] Howard Carter, “TAA i.2.1.33 — Archaeological journal, 25–26 November 1922”
  6. [6] Howard Carter, lecture notes, “TAA i.12.04”, “TAA i.12.05”, “TAA i.12.07”, “TAA i.12.08”
  7. [7] Lord Carnarvon to Sir Alan Gardiner, 28 November 1922, Gardiner MSS Newspaper Cuttings Album 1.39.1
  1. 01 ツタンカーメン王墓発見|ツタンカーメン王墓はなぜ20世紀まで残ったのか|KV62発見の意味
  2. 02 ツタンカーメン王墓発見|ハワード・カーターはなぜツタンカーメンの墓を探し続けたのか|最後の発掘シーズンまで
  3. 03 ツタンカーメン王墓発見|1922年11月、王墓発見はどう進んだのか|最初の階段から「wonderful things」まで
  4. 04 ツタンカーメン王墓発見|KV62はどんな墓だったのか|前室・別室・玄室・宝物庫と「ほぼ無傷」の実像
  5. 05 ツタンカーメン王墓発見|5000点超の副葬品をどう取り出したのか|10年に及ぶ記録・保存・搬出
  6. 06 ツタンカーメン王墓発見|ツタンカーメンの副葬品は何を語るのか|黄金だけではない王の生活と葬送
  7. 07 ツタンカーメン王墓発見|「ファラオの呪い」は事実だったのか|カーナーヴォン卿の死と報道が生んだ伝説
  8. 08 ツタンカーメン王墓発見は何を変えたのか|考古学・保存・公開の100年

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