1972年6月17日、ウォーターゲート・ビルの民主党全国委員会本部で5人の侵入犯が逮捕された。
その6日後、6月23日。
ホワイトハウスの大統領執務室では、リチャード・ニクソン大統領と首席補佐官H・R・ハルデマンがFBIの捜査について話していた。
問題になっていたのは、FBIが侵入犯の持っていた金を追跡し、ニクソン再選運動へ近づきつつあったことだった。
会話の中では、CIAからFBIへ働きかけ、これ以上の捜査を抑えさせる案が話し合われた。
この録音は、後に「Smoking Gun」と呼ばれる。
ウォーターゲート侵入事件からわずか6日後に、大統領自身が捜査を止める方法について話していたことを示したからである。
しかし、ウォーターゲートの「隠蔽」は、この一回の会話だけではない。
侵入犯への秘密の現金支払い、証言や刑事責任への対応、CIAを利用したFBI捜査への介入、そして事件とホワイトハウスとの関係を小さく見せようとする一連の動きが重なっていた。
今回は、侵入事件後にホワイトハウスとニクソン再選組織の周辺で何が行われ、それがなぜ「侵入」以上に重大な問題となったのかを追う。
CASE FILE 31
ウォーターゲート事件 1972–1974|全10回
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第1回 ウォーターゲート事件とは?|侵入事件からニクソン辞任までの全貌
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第2回 1972年6月17日、何が起きたのか|民主党本部侵入事件の計画と5人の逮捕
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第3回 5人の侵入犯は誰につながっていたのか|資金・再選委員会・FBI捜査
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第4回 ホワイトハウスは何を隠そうとしたのか|口止め料・CIA・FBI捜査妨害
[現在の記事] -
第5回 侵入事件はなぜ政権中枢へ広がったのか|シリカ判事とマコード書簡
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第6回 上院公聴会は何を暴いたのか|ジョン・ディーン証言と録音システム発覚
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第7回 録音テープをめぐる攻防|特別検察官と「土曜夜の虐殺」はなぜ起きたのか
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第8回 大統領はテープ提出を拒めるのか|United States v. Nixonと最高裁判決
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第9回 「決定的な録音」からニクソン辞任へ|弾劾条項と1974年8月9日
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第10回 ウォーターゲートは何を変えたのか|刑事責任・選挙資金・情報公開改革
先に結論|「隠蔽」とは何をしたことなのか
ウォーターゲート事件の隠蔽は、一つの行為ではない。
大きく分けると、少なくとも3つの流れが存在した。
| 隠蔽の流れ | 何が問題だったのか |
|---|---|
| FBI捜査への介入 | CIAを利用して、侵入犯の資金を追うFBI捜査を抑えようとした |
| 秘密の現金支払い | 侵入犯や関係者へ秘密裏に資金を渡し、沈黙を維持しようとした |
| 事件との関係を小さく見せる | ホワイトハウスや再選陣営上層部まで捜査が広がることを防ごうとした |
このうち、ニクソン本人との関係を最も直接的に示したのが、1972年6月23日のホワイトハウス録音だった。
一方、侵入犯への秘密の現金支払いはその後も続き、1973年3月にはホワイトハウス法律顧問ジョン・ディーンがニクソンに対して、隠蔽が大統領職そのものを危険にさらしていると説明するところまで進んでいた。
つまりウォーターゲートの隠蔽は、
捜査を止める → 関係者の沈黙を維持する → 事件を限定された範囲に封じ込める
という複数の手段を組み合わせたものだった。
6月23日|FBIは「金」を追っていた
前回見たように、FBIは侵入犯から押収された現金と銀行記録を追い、バーナード・バーカーの口座、ケネス・ダールバーグの2万5,000ドルの小切手などを通じて、ニクソン再選運動へ近づいていた。
この資金追跡が、ホワイトハウス側にとって重大な問題になった。
H・R・ハルデマンが1972年6月23日に残した日記でも、FBIが侵入犯の資金を「われわれの寄付者の一人」へ追跡し、メキシコの銀行を通過した資金についても調べているため、捜査が制御不能になりつつあるとの認識が記されている。
つまり事件発生からまだ1週間も経っていない段階で、ホワイトハウス内部では「侵入犯が捕まったこと」より、その背後の資金をFBIがどこまで追うかが問題になっていた。
そこで浮上したのが、CIAを利用してFBI捜査を制限する方法だった。
「CIAにFBIを止めさせる」という案
6月23日、ニクソンとハルデマンは大統領執務室でウォーターゲート捜査について話した。
現在、この会話はRichard Nixon Presidential Libraryによって公開されている。
図書館はこの会話を「The Smoking Gun conversation」と明記している。
その要約では、二人がFBIによる侵入犯の資金源追跡について話し、CIAからFBIへ働きかけ、ウォーターゲート侵入事件の捜査を止めさせる案を検討したとされる。
その際に使おうとした理屈が、「これ以上FBIが調べるとCIAの秘密活動に影響する」というものだった。
National Archivesも、この録音について、ニクソンがCIAを通じてFBIにウォーターゲート捜査を打ち切るよう求めようとした記録として説明している。
ここで重要なのは、CIAがウォーターゲート侵入事件そのものを実行したという意味ではないことである。
侵入犯の中には過去にCIAと関係した人物がいたが、CIAという組織がDNC侵入を実行したという話とは別である。
むしろ問題は逆だった。
実際のCIA作戦ではない事件について、「CIAの秘密活動に触れる可能性がある」とFBIへ伝え、政治的な捜査を止める理由として利用しようとしたことが問題になった。
なぜCIAを使おうとしたのか
FBIの資金追跡はメキシコの銀行取引にも及んでいた。
ホワイトハウス側は、この部分をCIAの秘密活動と結びつければ、国家安全保障上の理由からFBIが捜査を抑える可能性があると考えた。
CIAの公式史料では、元司法長官で当時ニクソン再選委員会を率いていたジョン・ミッチェルの考えをもとに、ハルデマンがCIA副長官ヴァーノン・ウォルターズからFBI長官代行L・パトリック・グレイへ働きかけさせる案が進められたと整理されている。
しかし、この時点でホワイトハウス側は、FBIが追っている資金経路が実際にCIAの秘密作戦を危険にさらすと確認していたわけではない。
CIA側の後の記録でも、ウォーターゲート捜査を進めれば危険にさらされるようなCIA活動は確認されなかった。
つまり、
「CIAの秘密を守るためにFBI捜査を止める」のではなく、CIAという機関を理由にして政治的に危険な捜査線を止めようとする構図
だったことが重要になる。
ヴァーノン・ウォルターズはFBIへ向かった
計画は会話だけでは終わらなかった。
6月23日、CIA長官リチャード・ヘルムズと副長官ヴァーノン・ウォルターズがホワイトハウスへ呼ばれた。
その後、ウォルターズはFBI長官代行L・パトリック・グレイと面会した。
ウォルターズは、FBIの捜査がメキシコ方面へ広がることでCIAの秘密活動へ触れる可能性があるという趣旨を伝えた。
ただしCIA内部では、ウォーターゲート事件へ組織を巻き込むことへの警戒も強かった。
ウォルターズはその後、ホワイトハウスからさらにCIAを利用しようとする動きに対して距離を取り、CIAが事件へ関与しているように見せることを拒んでいる。
結果として、FBIのウォーターゲート捜査そのものを永久に止めることはできなかった。
だが、問題は「成功したかどうか」だけではない。
大統領と側近が、刑事捜査を抑えるために別の政府機関を利用する方法を検討し、実際にCIA幹部からFBIへ働きかけさせたこと自体が後に重大な証拠となった。
侵入犯への「口止め料」はいつ始まったのか
捜査への介入と並行して進んだのが、ウォーターゲート事件の被告たちへの秘密の現金支払いだった。
National Archivesが公開しているウォーターゲート特別検察官の「Road Map」関連資料では、1972年6月26日ごろから、CRP幹部やジョン・ディーン、ジョン・アーリックマンらの周辺で、逮捕された5人に加え、リディとハントへ秘密裏に現金を渡す方法が検討され始めたと整理されている。
その資料では、支払いの目的について、7人がCRPやホワイトハウス上層部のウォーターゲート関与を明らかにしないよう、沈黙を維持するためだったとされる。
実際の支払いには弁護士費用や収入補填という名目も含まれていた。
そのため、金を渡したという行為だけを見てすべて違法な「口止め料」と断定するのではなく、誰が何の目的で支払いを手配したのかを見る必要がある。
特別検察官側が問題にしたのは、それらの資金が秘密裏に動かされ、被告たちが上層部との関係を明かさない状態を維持する仕組みとして機能したことである。
ハーバート・カルムバックが資金調達を担う
秘密の支払いを実際に動かす役割を担った人物の一人が、ハーバート・カルムバックだった。
カルムバックはニクソンの個人弁護士で、選挙資金にも関係していた。
特別検察官資料によれば、ジョン・ディーンはCIAから資金面での協力を得ることができなかった後、カルムバックに資金の調達と配布を調整させた。
カルムバックはCRP側から秘密資金を受け取り、元ニューヨーク市警察官アンソニー・ウラセヴィッチなどを介して、E・ハワード・ハントやその家族、さらに他の被告側へ資金を渡したとされる。
この方法には特徴がある。
資金提供者から被告へ直接銀行振込するのではなく、現金と仲介者を使うことで、通常の会計記録から支払いの目的を見えにくくしていた。
しかし支払いが続けば、関与する人物も増える。
誰が資金を集め、誰が許可し、誰が運び、誰が受け取ったのかという別の証拠経路が生まれていくことになる。
秘密の35万ドルも支払いへ使われた
1972年後半になると、カルムバックはそれ以上の支払いに関与することを拒むようになり、別の資金源が必要になった。
National Archivesの特別検察官資料では、1972年12月ごろ、ハルデマンの管理下にあった約35万ドルの秘密現金基金の一部を、ウォーターゲート被告側への支払いに利用することが承認されたと記録されている。
ゴードン・ストラカンからフレッド・ラルーへ約5万ドルが渡され、さらにラルーから被告側の弁護士へ資金が動いた記録も残っている。
1973年1月には、この基金の残額についても被告側への支払いに使用することが承認されたとされる。
こうして口止めの問題は、事件直後の一時的な対応ではなくなった。
1972年夏から選挙後、さらに侵入犯の裁判が始まる1973年初頭まで、秘密の現金を維持する仕組みへ変わっていたのである。
なぜ被告たちへ金を払い続ける必要があったのか
侵入犯たちは刑事訴追を受けていた。
逮捕後には弁護士費用が発生し、仕事を失った人物や家族への経済的負担も生じる。
しかし上層部にとって、それ以上に危険だったのは、被告の誰かが捜査側へ協力することだった。
侵入を実行した人物は、
- 誰から指示を受けたのか
- 資金を誰から受け取ったのか
- リディやハントが何を指示したのか
- 再選委員会内部の誰が計画を知っていたのか
を証言できる可能性がある。
そのため、被告の生活費や弁護士費用を支えることと、「沈黙を維持させること」は切り離しにくくなった。
特にE・ハワード・ハントは、資金だけでなく将来的な恩赦・刑の軽減についても期待を持っていたことが後の録音や捜査資料から明らかになっている。
秘密資金を渡し続ければ、当面は証言を抑えられるかもしれない。
しかし同時に、その支払い自体が新たな捜査対象となる。
隠蔽を続けるほど、隠さなければならない事実が増えていった。
1972年8月|「ホワイトハウスは関係していない」
事件後、政権側はウォーターゲートとホワイトハウスの間に重大な関係はないという立場を公に維持した。
National Archivesの年表では、1972年8月30日、ニクソンはジョン・ディーンがウォーターゲート盗聴事件について調査を行い、ホワイトハウス関係者の関与はなかったと発表したと記録されている。
当時は大統領選挙まで約2か月だった。
しかしその裏では、6月23日の段階ですでにFBI捜査をCIA経由で抑える案が実行に移され、6月末からは被告側への秘密資金の手配が始まっていた。
後に録音や証言が公開されると、公に説明されていた事件像と、内部で実際に話されていた内容との差が問題になっていく。
1973年3月21日|ジョン・ディーンが大統領へ警告する
隠蔽を長期間維持することは次第に難しくなった。
1973年3月21日、ジョン・ディーンはニクソンと大統領執務室で長時間会談した。
この会話もホワイトハウスの録音システムに残され、後にウォーターゲート刑事裁判で公開されている。
ニクソン大統領図書館は、この録音を「Cancer on the Presidency」会話と呼んでいる。
ディーンは大統領へ、侵入事件後に進められてきた隠蔽の経過を説明した。
そこでは偽証、脅迫、被告への資金、そして隠蔽を維持することの危険性が話し合われた。
特に問題になったのが、今後も被告たちへ金を払い続けるためにどれほどの資金が必要になるかだった。
ディーンは、今後2年間で約100万ドルが必要になる可能性を示した。
ニクソンは、100万ドルなら調達することは可能であり、現金でも用意できるという趣旨の発言をしている。
ただし、この会話を「ニクソンがその場で100万ドルの口止め料支払いを正式決定した」とだけ要約するのも正確ではない。
会話の中では、支払いを続けることの危険性や、刑務所に入る被告たちを金だけで長期間抑え続けることが現実的なのかについても議論されている。
重要なのは、1973年3月21日の時点で大統領が、これまで秘密の現金が被告側へ支払われてきたこと、さらに今後の支払い要求が問題になっていることを具体的に知らされていたことである。
「大統領職に広がる癌」とは何を意味したのか
ディーンが使った「cancer on the Presidency」という表現は、ウォーターゲートを象徴する言葉の一つになった。
ここでいう「癌」は、侵入事件そのものを指すだけではない。
侵入を隠すための支払い。
その支払いを隠すための説明。
証言を抑えるための対応。
捜査を制限するための働きかけ。
一つの隠蔽を維持するために、別の行為が必要になり、それがさらに新しい刑事責任や政治的危険を生んでいた。
侵入事件なら、実行した7人と計画関係者を刑事責任の対象として処理できる可能性があった。
しかし隠蔽へホワイトハウス高官が関わり、大統領自身も捜査への介入や秘密資金について認識していたとなれば、問題は再選委員会の一部職員では済まなくなる。
ディーンが警告したのは、その構造だった。
「司法妨害」は侵入事件とは別の問題だった
ウォーターゲート事件を理解するうえで最も重要な区別の一つがここにある。
1972年6月17日のDNC本部への侵入と、侵入発覚後の捜査妨害は別の行為である。
仮に大統領本人が侵入計画を事前に知らなかったとしても、事件発覚後に刑事捜査を妨害したのであれば、それ自体が新たな重大問題になる。
だからこそ、1974年に下院司法委員会が採択した最初の弾劾条項は、DNC本部への侵入を命じたことではなく、ウォーターゲート事件の捜査と司法手続を妨害したことを中心としていた。
「ニクソンは侵入を命令したのか」という疑問だけを追うと、ウォーターゲート事件の核心を外してしまう。
大統領職を最終的に崩したのは、
事件発生後、真相が捜査によって明らかになることを防ごうとしたのか
という問題だった。
時系列|隠蔽はどのように拡大したのか
ウォーターゲートの隠蔽は、6月23日の一度きりの指示ではなかった。
事件直後から翌年春まで並べると、長期化していった過程が分かる。
| 時期 | 主な出来事 |
|---|---|
| 1972年6月17日 | DNC本部で5人の侵入犯が逮捕される |
| 6月23日 | ニクソンとハルデマンがFBIの資金追跡について協議。CIAからFBIへ働きかけて捜査を抑える案を進める |
| 6月23日 | CIA副長官ヴァーノン・ウォルターズがFBI長官代行L・パトリック・グレイと面会 |
| 6月26日ごろ~ | ウォーターゲート被告らへ秘密の現金を渡すための手配が始まる |
| 1972年夏 | ハーバート・カルムバックらを介した現金支払いが続く |
| 8月30日 | ニクソンが、ジョン・ディーンの調査ではホワイトハウスの関与はなかったと発表 |
| 12月ごろ | ハルデマン管理下にあった秘密の現金基金から追加支払いが行われる |
| 1973年1月 | ウォーターゲート侵入事件の刑事裁判が始まる |
| 3月21日 | ジョン・ディーンがニクソンへ隠蔽の危険を説明。「Cancer on the Presidency」録音が残る |
この時系列を見ると、隠蔽は選挙前だけの短期的な政治対応ではなかったことが分かる。
1972年6月から翌年3月まで、被告への支払いと事件の封じ込めは継続していた。
FACT CHECK|ウォーターゲートの隠蔽で誤解しやすいこと
CIAがウォーターゲート侵入事件を実行した?
そのようには確認されていない。
侵入犯には元CIA関係者が含まれていたが、CIAという組織がDNC本部侵入を実行したという意味ではない。
問題になったのは、ホワイトハウス側がFBI捜査を制限する理由としてCIAの秘密活動を利用しようとしたことである。
6月23日の録音は「ニクソンが侵入を命令した証拠」?
いいえ。
「Smoking Gun」録音の決定的な意味は、DNC本部への侵入をニクソン本人が命令したことを記録している点ではない。
侵入発覚後にFBIが資金を追っている状況で、CIAを利用してその捜査を抑える案をニクソンとハルデマンが話している点にある。
被告への支払いはすべて単純な「口止め料」だった?
支払いには弁護士費用や収入補填などの名目も存在した。
したがって、すべての現金を名目だけで一律に違法と扱うのは適切ではない。
特別検察官側が問題視したのは、秘密の資金経路を使い、被告たちが上層部との関係を明らかにしない状態を維持する目的で支払いが行われていたことである。
1973年3月21日にニクソンは100万ドルの支払いを即座に命令した?
録音では、ディーンが今後約100万ドル必要になる可能性を説明し、ニクソンがその金額なら調達できるという趣旨で応じている。
一方で会話では、支払いを続けること自体の危険性や実効性についても議論している。
したがって、「この場で100万ドルの支払いを正式決裁した」と単純化するより、秘密支払いの存在と継続要求を大統領が具体的に認識した会話として見る方が正確である。
なぜ6月23日の録音が決定的だったのか
6月23日の録音が作られた時点では、一般国民も議会もその存在を知らなかった。
ニクソン政権は1972年大統領選挙を乗り切り、ニクソンは大差で再選した。
その後も大統領は、ウォーターゲート事件への個人的な関与を否定し続けた。
ところが1973年7月、上院ウォーターゲート委員会の調査でホワイトハウスに自動録音システムが存在することが明らかになる。
すると「ニクソンが何を知っていたのか」は、側近の証言だけで判断する必要がなくなった。
大統領自身の会話が残っていたからである。
そして1974年、最高裁判所の判断によって録音提出を避けられなくなった後、6月23日の会話が表に出る。
その内容は、侵入直後から捜査を抑える方法について大統領自身が話していたことを示していた。
この録音によって、それまでの説明を維持することが極めて難しくなった。
だからこそ後に「Smoking Gun――決定的証拠」と呼ばれるようになったのである。
まとめ|ウォーターゲートを大統領の事件へ変えたもの
ウォーターゲート事件を大統領辞任まで発展させた核心は、民主党本部への侵入だけではなかった。
事件発生から6日後には、FBIが侵入犯の金を追って再選運動へ近づいていることがホワイトハウス内部で問題になり、CIAを利用して捜査を抑える案が大統領と側近の間で話し合われた。
その後、侵入犯や関係者へ秘密の現金を渡す仕組みが作られた。
カルムバック、ラルー、ストラカンなど複数の人物と秘密資金が関係し、支払いは1973年まで続いた。
そして1973年3月21日、ジョン・ディーンはニクソンへ、隠蔽が「大統領職に広がる癌」になっていることを警告した。
侵入事件を隠すために始まった対応が、新たな証拠と新たな責任を生み続けていたのである。
だが、この段階でも隠蔽が完全に崩れたわけではない。
大きな転換点になるのは、ウォーターゲート侵入事件の裁判だった。
侵入犯ジェームズ・マコードは、判事ジョン・シリカへ一通の手紙を送る。
そこには、裁判で偽証するよう圧力を受けたこと、そして事件について明らかにされていない事実が存在することが書かれていた。
次回は、なぜ侵入犯の裁判が事件を終わらせるのではなく、ホワイトハウス中枢へ向かう新しい入口になったのかを追う。
CASE FILE 31|ウォーターゲート事件 1972–1974 全10回
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第1回 ウォーターゲート事件とは?|侵入事件からニクソン辞任までの全貌
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第2回 1972年6月17日、何が起きたのか|民主党本部侵入事件の計画と5人の逮捕
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第3回 5人の侵入犯は誰につながっていたのか|資金・再選委員会・FBI捜査
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第4回 ホワイトハウスは何を隠そうとしたのか|口止め料・CIA・FBI捜査妨害
[現在の記事] -
第5回 侵入事件はなぜ政権中枢へ広がったのか|シリカ判事とマコード書簡
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第6回 上院公聴会は何を暴いたのか|ジョン・ディーン証言と録音システム発覚
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第7回 録音テープをめぐる攻防|特別検察官と「土曜夜の虐殺」はなぜ起きたのか
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第8回 大統領はテープ提出を拒めるのか|United States v. Nixonと最高裁判決
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第9回 「決定的な録音」からニクソン辞任へ|弾劾条項と1974年8月9日
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第10回 ウォーターゲートは何を変えたのか|刑事責任・選挙資金・情報公開改革
出典・参考資料
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Richard Nixon Presidential Library and Museum — Watergate Trial Tapes
1972年6月23日の「Smoking Gun」会話、1973年3月21日の「Cancer on the Presidency」会話、秘密資金・被告への支払いをめぐる録音の確認に使用。
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National Archives — Listening to Nixon
1972年6月23日の録音について、CIAを利用してFBIのウォーターゲート捜査を止めようとした経緯と録音の歴史的位置づけ確認に使用。
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National Archives — Watergate Road Map
ウォーターゲート特別検察官が収集した証拠、被告への秘密資金、ホワイトハウス関係者の隠蔽への関与を整理する基礎資料として使用。
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Watergate Special Prosecution Force — Covert Cash Payments to the Defendants in Exchange for Their Silence
1972年6月末からの被告への秘密支払い、カルムバック、ウラセヴィッチ、ラルーらによる資金経路の確認に使用。
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National Archives — Watergate and the Constitution: Chronology
侵入事件、1972年8月のホワイトハウス関与否定、侵入犯裁判など主要日付の確認に使用。
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Federal Bureau of Investigation — Watergate
FBI捜査の位置づけ、侵入犯とニクソン再選組織との接点、ホワイトハウスによる隠蔽の概要確認に使用。
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National Archives — Records on Presidential Tapes
特別検察官が収集した1972年6月のCIAをめぐる会話、録音関連資料の所在確認に使用。
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CIA Center for the Study of Intelligence — The White House, Helms, and Watergate: Fifty Years On
1972年6月23日にCIA長官リチャード・ヘルムズ、副長官ヴァーノン・ウォルターズがホワイトハウスからFBI捜査への働きかけを求められた経緯と、CIA側の対応確認に使用。
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Watergate Special Prosecution Force — Transcript, March 21, 1973
ジョン・ディーンとニクソンによる秘密支払い、約100万ドルという金額をめぐる実際の会話の確認に使用。
本記事はRichard Nixon Presidential Library、National Archives、FBI、CIAおよびWatergate Special Prosecution Forceの公的記録を中心に構成しています。DNC本部への侵入計画と、侵入発覚後の隠蔽・捜査妨害は別の行為として扱っています。また、CIAという組織がウォーターゲート侵入を実行したとはしておらず、ホワイトハウス側がFBI捜査を制限する手段としてCIAを利用しようとした事実と分離しています。被告への現金支払いについても、支払いの存在、名目、秘密性、沈黙を維持する目的を区別して記述しています。