1974年8月5日、ホワイトハウスは新たに3つの会話記録を公表した。
その中に、1972年6月23日――ウォーターゲート侵入事件からわずか6日後――に行われたリチャード・ニクソン大統領と首席補佐官H・R・ハルデマンの会話が含まれていた。
そこで二人は、FBIが侵入犯の資金を追跡していることを話し、CIAからFBIへ働きかけ、捜査を抑える方法を検討していた。
現在、この録音は「Smoking Gun Tape」と呼ばれている。
重要なのは、録音が単に「ニクソンに不利な発言」を含んでいたことではない。
それまでニクソンは、自分がウォーターゲート隠蔽に関与したという見方を否定してきた。
ところが録音は、事件発生直後の段階から大統領自身がFBI捜査を制限する方法について話していたことを示していた。
しかも8月5日の時点で、下院司法委員会はすでに司法妨害、権力濫用、議会侮辱という3つの弾劾条項を採択していた。
Smoking Gun Tapeの公開によって、それまでニクソンを支持していた共和党議員の間でも防御は急速に崩れる。
8月8日夜、ニクソンはテレビ演説で辞任を発表した。
翌8月9日、アメリカ史上初めて大統領が任期途中で辞任する。
今回は、最高裁判決からわずか16日後に大統領辞任へ至った最後の局面を追う。
CASE FILE 31
ウォーターゲート事件 1972–1974|全10回
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第1回 ウォーターゲート事件とは?|侵入事件からニクソン辞任までの全貌
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第2回 1972年6月17日、何が起きたのか|民主党本部侵入事件の計画と5人の逮捕
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第3回 5人の侵入犯は誰につながっていたのか|資金・再選委員会・FBI捜査
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第4回 ホワイトハウスは何を隠そうとしたのか|口止め料・CIA・FBI捜査妨害
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第5回 侵入事件はなぜ政権中枢へ広がったのか|シリカ判事とマコード書簡
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第6回 上院公聴会は何を暴いたのか|ジョン・ディーン証言と録音システム発覚
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第7回 録音テープをめぐる攻防|特別検察官と「土曜夜の虐殺」はなぜ起きたのか
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第8回 大統領はテープ提出を拒めるのか|United States v. Nixonと最高裁判決
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第9回 「決定的な録音」からニクソン辞任へ|弾劾条項と1974年8月9日
[現在の記事] -
第10回 ウォーターゲートは何を変えたのか|刑事責任・選挙資金・情報公開改革
先に結論|ニクソンはなぜ辞任したのか
ニクソン辞任を「Smoking Gun Tapeが出たため」と一文で説明することはできる。
しかし、実際には複数の制度がすでに大統領を追い詰めていた。
| 制度・証拠 | 1974年夏の状況 |
|---|---|
| 特別検察官 | ウォーターゲート隠蔽事件を刑事捜査し、大統領録音を召喚 |
| 連邦最高裁判所 | 7月24日、大統領に召喚対象テープの提出を命じる |
| 下院司法委員会 | 7月27~30日、3つの弾劾条項を採択 |
| Smoking Gun Tape | 8月5日、侵入直後の捜査介入を示す会話が公表される |
| 議会内の政治的支持 | それまで大統領を擁護していた共和党議員まで急速に離反 |
Smoking Gun Tapeが重要だったのは、ゼロから弾劾問題を生み出したからではない。
すでに進んでいた弾劾手続の中で、
「大統領自身が隠蔽へ関与したのか」という最大の争点に直接答える録音が現れた
からである。
その結果、下院本会議で弾劾され、さらに上院で有罪となって罷免される可能性が現実的になった。
ニクソンはその手続が完了する前に辞任した。
弾劾とは何なのか|刑事裁判とは別の制度
ここで「弾劾」を簡単に整理しておく。
アメリカ大統領を任期途中で罷免するためには、通常の刑事裁判とは別に、憲法上の弾劾手続がある。
大まかな流れは次のとおりである。
| 段階 | 機関 | 役割 |
|---|---|---|
| 1 | 下院 | 弾劾条項を採決。過半数で可決すれば大統領は「弾劾」される |
| 2 | 上院 | 弾劾裁判を行う |
| 3 | 上院 | 出席議員の3分の2が有罪と判断すれば罷免 |
下院司法委員会は、この最初の段階へ進む前に、弾劾すべき根拠が存在するかを調査・審議する役割を担った。
したがって、司法委員会が弾劾条項を採択しただけでは、ニクソンはまだ下院によって正式に弾劾されたことにはならない。
1974年2月6日|下院が正式な弾劾調査を承認
ウォーターゲートをめぐるニクソン大統領の行為について、下院では1973年から弾劾を求める動きが強まっていた。
1974年2月6日、下院は司法委員会に対し、ニクソンを弾劾する十分な根拠が存在するか正式に調査する権限を与えた。
司法委員会は証拠を収集し、ホワイトハウスへ資料を召喚し、5月から本格的な弾劾審理を進めた。
焦点はDNC本部への侵入をニクソン自身が命じたかという一点ではない。
侵入後の司法妨害、大統領権限の濫用、FBIやCIAなど連邦機関の利用、議会召喚への不服従など、大統領職の行使全体が対象となった。
7月27日|第1弾劾条項「司法妨害」
1974年7月27日、下院司法委員会は最初の弾劾条項を採択した。
採決は27対11。
内容の中心は、ウォーターゲート侵入事件とその後の捜査に対する司法妨害だった。
委員会が問題とした行為には、
- 捜査機関へ虚偽・誤解を招く情報を与えること
- 重要な証拠や情報を隠すこと
- 被告や関係者へ秘密の資金を渡すこと
- 証人の証言へ影響を与えること
- FBI、司法省、特別検察官などの捜査を妨害すること
- CIAを利用してFBI捜査を制限しようとすること
などが含まれた。
第1条の核心は、「大統領が侵入を命令した」という告発ではない。
侵入発覚後の捜査と司法手続を妨害するため、大統領権限を含むさまざまな手段を使った
という告発だった。
7月29日|第2弾劾条項「権力濫用」
7月29日、司法委員会は第2の弾劾条項を28対10で採択した。
こちらの範囲はウォーターゲート隠蔽だけより広い。
大統領が憲法上の権限を、政治的利益や政敵への圧力のために利用したという「権力濫用」が問題になった。
委員会報告では、FBI、CIA、IRSなど連邦政府機関の不適切な利用、違法・不適切な監視、行政機関への干渉、大統領職を使った情報収集や政治的圧力などが問題として整理された。
つまり第1条が「ウォーターゲート隠蔽」を中心にしているのに対し、第2条はより広く、
大統領権限そのものをどのように使ったのか
を問う条項だった。
7月30日|第3弾劾条項「議会召喚への不服従」
翌7月30日には、第3の弾劾条項が21対17で採択された。
問題となったのは、下院司法委員会が発した複数の召喚状へニクソンが十分に応じなかったことだった。
司法委員会は、弾劾調査のために必要な録音や文書を要求していた。
しかし大統領側は行政特権や三権分立を理由として、一部の提出要求を拒否した。
委員会はこれを、憲法上の弾劾調査を行う下院の権限に対する不当な抵抗と判断した。
採択されたのは3つ|他の弾劾案は否決された
司法委員会では、ニクソンに関するあらゆる問題が自動的に弾劾条項となったわけではない。
7月30日には、カンボジア爆撃を議会から隠した問題や、税金・私有地への政府支出などを扱う追加条項も検討された。
しかし、これら2案はいずれも12対26で否決された。
この点は重要である。
司法委員会は「ニクソンに関係する疑惑をすべて採択した」のではない。
審議の結果、
- 司法妨害
- 権力濫用
- 議会召喚への不服従
の3条項を下院本会議へ勧告することを決めた。
この時点ではSmoking Gun Tapeはまだ公表されていなかった
ここがウォーターゲート最後の局面を理解する重要なポイントである。
3つの弾劾条項は7月27日から30日に採択された。
一方、Smoking Gun Tapeの内容が公表されたのは8月5日である。
つまり司法委員会は、
6月23日の決定的な会話を公に確認する前から、すでに弾劾を勧告するだけの証拠が存在すると判断していた
ことになる。
Smoking Gun Tapeが「弾劾手続をゼロから始めた」のではない。
すでに採択された弾劾条項に対する大統領側の防御を、大幅に弱めた証拠だった。
8月5日|ニクソン自身が3つの会話記録を公表する
最高裁判決に従う過程で、ホワイトハウスは召喚された録音を確認した。
その中に、1972年6月23日にニクソンとハルデマンが行った会話があった。
1974年8月5日、ニクソンはこの日に行われた3つの会話の書き起こしを下院司法委員会へ提供し、一般にも公表した。
ニクソン自身の同日の声明も重要である。
大統領は、6月23日の会話の一部が、それまで自分が行ってきた説明と一致していないことを認めた。
さらに、これまで自分を擁護してきた弁護士や議員が、不完全で一部誤った情報をもとに判断していたことについて、自ら責任を認めた。
つまり8月5日は、外部の調査機関だけが「大統領の説明は間違っていた」と指摘した日ではない。
ニクソン自身が、過去の説明と新たに公開する録音との間に矛盾があることを認めざるを得なくなった日だった。
Smoking Gun Tapeには何が録音されていたのか
問題の会話は1972年6月23日、大統領執務室で行われた。
参加者はニクソンとH・R・ハルデマン。
ウォーターゲート侵入事件発生から6日後である。
ニクソン大統領図書館が公開する録音要約では、二人はFBIが侵入犯の資金源を追跡していることを話している。
そしてCIAからFBIへ働きかけ、ウォーターゲート捜査を止めさせる方法を検討した。
建前として使われようとしていたのは、捜査を続ければ国家安全保障上の秘密やCIA活動へ影響するという説明だった。
しかし実際には、資金追跡によってニクソン再選委員会側の人物へ捜査が近づいていた。
だからこの録音は、
「ウォーターゲート侵入をニクソンが命令した証拠」
ではなく、
侵入発覚直後から、ニクソン自身がFBI捜査を抑える方法について話していた証拠
として決定的な意味を持った。
なぜ「Smoking Gun」と呼ばれたのか
英語の「smoking gun」は、直訳すれば「煙を出している銃」である。
事件直後、容疑者の手に発砲直後の銃が残っていれば、犯行との直接性が極めて高い。
そこから「決定的証拠」を意味する表現として使われる。
6月23日の録音も、後世から見ればそれに近い性格を持っていた。
ニクソンがいつ隠蔽を知ったのか。
この問いについて、事件から6日後の本人の会話が残されていたからである。
なぜ8月5日まで決定的にならなかったのか
録音自体は1972年6月23日に存在していた。
しかし証拠は、存在するだけでは政治や裁判を動かせない。
1973年7月まで、外部は録音システムの存在そのものを知らなかった。
存在が明らかになった後も、ニクソンは行政特権を理由に録音提出へ抵抗した。
特別検察官との争いは「土曜夜の虐殺」へ発展し、1974年にはUnited States v. Nixonとして最高裁へ進んだ。
7月24日の最高裁判決がなければ、6月23日の会話を捜査側が確認する道はさらに困難だった可能性がある。
つまりSmoking Gun Tapeは、
録音システムの発覚
→ 召喚
→ 大統領の拒否
→ 特別検察官との争い
→ 最高裁判決
→ テープ提出
という制度的な過程を経て、ようやく大統領本人の外へ出た証拠だった。
8月5日以降、共和党内でも支持が崩れた
弾劾手続が進んでいても、ニクソンにはそれまで一定の共和党支持が残っていた。
下院本会議で弾劾条項が可決されても、最終的な罷免には上院で3分の2の有罪票が必要になる。
したがって、共和党上院議員が大統領支持を維持できれば、ニクソンが上院で罷免を回避する可能性は残っていた。
Smoking Gun Tapeは、その政治計算を変えた。
8月5日、録音が公開されると、それまで大統領を擁護していた議員の間でも離反が広がった。
ニクソン図書館に保存されている当時のニュース記録でも、共和党議員による擁護が急速に崩れていく状況が確認できる。
もはや問題は、
「下院で弾劾されるか」
だけではない。
上院の弾劾裁判でも大統領職を維持できない可能性が高まった
のである。
8月7日|共和党指導部がホワイトハウスへ向かう
1974年8月7日、ニクソンは共和党の主要議会指導者と会談した。
参加したのは、
- 上院少数党院内総務ヒュー・スコット
- 下院少数党院内総務ジョン・ローズ
- 上院の重鎮バリー・ゴールドウォーター
だった。
ニクソン大統領図書館には、3人がホワイトハウスでニクソンと会談し、その後記者団へ状況を説明する写真・音声・映像記録が残っている。
彼らが伝えたのは、議会内の状況が極めて厳しいという現実だった。
とりわけ重要なのは、ゴールドウォーターが反ニクソン派の民主党議員だったわけではないことである。
1964年共和党大統領候補で、保守派を代表する大物共和党議員だった。
そのような人物を含む党指導部からも、議会で大統領を守ることが難しい状況を伝えられた。
ニクソンに残された政治的選択肢は急速に狭まっていた。
「辞任」か「弾劾手続を最後まで受ける」か
それでも、ニクソンに辞任の法的義務が生じたわけではない。
大統領には、下院本会議の弾劾採決を受け、可決された場合は上院の弾劾裁判まで進む選択肢があった。
理論上は、最後まで無罪を主張することもできた。
しかし政治的には、
- 下院司法委員会が3条項を採択済み
- 最高裁判所がテープ提出を命令
- Smoking Gun Tapeが公表
- これまでの大統領説明との矛盾が明確化
- 共和党指導部の支持も崩壊
という状況になっていた。
仮に弾劾手続を続けても、下院本会議での可決、さらに上院での有罪・罷免へ進む可能性が高まっていた。
8月8日|ニクソンがテレビ演説で辞任を発表
1974年8月8日夜、ニクソンは大統領執務室から全米へテレビ・ラジオ演説を行った。
そこで、大統領職を辞任することを発表した。
ニクソンは演説の中で、ウォーターゲート問題を最後まで憲法上の手続に委ねたいと考えていたものの、議会でそれを続けるだけの政治的基盤を失ったと説明した。
ここは辞任理由を理解するうえで重要である。
辞任演説でニクソンが、
「自分はウォーターゲート犯罪で有罪だから辞任する」
と認めたわけではない。
むしろ、大統領として政策を遂行するために必要な議会支持を失い、これ以上弾劾問題を続けることが国益にならないという政治的理由を説明している。
辞任演説でニクソンは「弾劾」という言葉を使わなかった
National Archivesの展示解説では、ニクソンの辞任演説について興味深い点が指摘されている。
約16分の演説で、ニクソンは外交政策など大統領としての成果にも触れ、自分が政治的基盤を失ったことを辞任理由として説明した。
一方、「impeachment――弾劾」という言葉は使用しなかった。
また、大統領権力濫用について全面的な責任を認める演説でもなかった。
そのため、辞任したことと、ウォーターゲートに関するすべての法的・歴史的評価を本人が受け入れたことは分けて考える必要がある。
1974年8月9日|非常に短い辞表
翌8月9日朝、ニクソンは正式な辞表へ署名した。
文書は驚くほど短い。
国務長官ヘンリー・キッシンジャーへ宛て、大統領職を辞任することだけを簡潔に伝えた文書である。
National Archivesには現在も原本が保存されている。
辞任文書が国務長官へ送られたのは、1792年以来の法律上、大統領の辞任が国務長官へ提出される仕組みになっていたためである。
辞任は「正午」ではなく11時35分に法的効力を持った
ここには細かながら重要な時刻上の違いがある。
8月8日のテレビ演説でニクソンは、翌日正午をもって辞任すると発表した。
しかしNational Archivesが保存する辞表原本には、キッシンジャーのイニシャルと11:35 AMという記載がある。
National Archivesは、辞任文書がキッシンジャーによって受領・確認された1974年8月9日午前11時35分に効力を持ったと説明している。
その後、正午にジェラルド・フォードが大統領宣誓を行った。
したがって、
政治的には「正午で辞任」と発表されていたが、正式な辞任文書は11時35分に効力を持った
と区別すると正確である。
ホワイトハウスを去るニクソン
8月9日朝、ニクソンはホワイトハウス職員へ最後の演説を行った。
その後、家族とともにホワイトハウスを離れ、サウスローンから大統領専用ヘリコプターへ乗った。
階段上で両腕を上げ、「V」のサインを示す姿は、ニクソン辞任を象徴する写真として残っている。
ニクソンはカリフォルニアへ向かった。
その日の正午、ジェラルド・フォード副大統領が第38代アメリカ合衆国大統領に就任した。
1972年6月17日に始まったウォーターゲート事件は、ここで現職大統領の辞任という前例のない結果へ達した。
ニクソンは「弾劾された大統領」なのか
結論から言えば、正式には違う。
下院司法委員会は3つの弾劾条項を採択し、下院本会議へ勧告することを決めた。
しかしニクソンは、本会議で弾劾条項が採決される前に辞任した。
そのため、
ニクソンは「下院によって弾劾された大統領」ではない。
より正確には、
下院司法委員会が弾劾条項を採択し、本会議での弾劾が迫る中で辞任した大統領
である。
当然、上院による弾劾裁判も実施されていない。
FACT CHECK|ニクソン辞任で誤解しやすいこと
Smoking Gun Tapeが公開されて初めて弾劾手続が始まった?
いいえ。
下院は1974年2月6日に正式な弾劾調査を承認しており、司法委員会は7月27~30日に3つの弾劾条項を採択している。
Smoking Gun Tapeの公表は8月5日で、その後である。
Smoking Gun Tapeはニクソンが侵入を命令した証拠?
いいえ。
決定的だったのは、侵入発覚から6日後の時点で、ニクソン自身がCIAを利用してFBIの資金追跡を抑える方法について話していたことである。
下院司法委員会は全会一致で弾劾を勧告した?
いいえ。
第1条は27対11、第2条は28対10、第3条は21対17で採択された。
党派を越えた賛成は存在したが、全会一致ではない。
ニクソンは下院で弾劾された後に辞任した?
いいえ。
下院本会議での弾劾条項採決が行われる前に辞任した。
最高裁がニクソンを辞任させた?
いいえ。
United States v. Nixonで最高裁が命じたのは刑事裁判に必要な録音テープの提出である。
その結果提出された録音内容がニクソンの政治的立場を決定的に悪化させた。
8月9日正午ちょうどにニクソンの辞任が成立した?
公に発表された予定では正午だった。
しかしNational Archivesによれば、正式な辞表は国務長官キッシンジャーが午前11時35分に受領・イニシャルした時点で効力を持った。
フォードは正午に宣誓した。
時系列|最高裁判決から辞任までの16日間
| 日付 | 出来事 |
|---|---|
| 1974年7月24日 | United States v. Nixon。最高裁が召喚対象テープの提出を命じる |
| 7月27日 | 下院司法委員会が第1弾劾条項「司法妨害」を27対11で採択 |
| 7月29日 | 第2弾劾条項「権力濫用」を28対10で採択 |
| 7月30日 | 第3弾劾条項「議会召喚への不服従」を21対17で採択 |
| 8月5日 | ニクソンが6月23日の3つの会話記録を公開。「Smoking Gun」録音が表に出る |
| 8月5~7日 | 共和党議員を含む議会内の大統領支持が急速に崩れる |
| 8月7日 | ヒュー・スコット、ジョン・ローズ、バリー・ゴールドウォーターがニクソンと会談 |
| 8月8日夜 | ニクソンがテレビ演説で辞任を発表 |
| 8月9日 11時35分 | 辞表を国務長官キッシンジャーが受領し、正式に効力を持つ |
| 8月9日 正午 | ジェラルド・フォードが第38代大統領に就任 |
なぜ「証拠」が最後に政治を変えたのか
ウォーターゲート事件では、ニクソンへの疑惑は1972年から存在していた。
新聞報道もあった。
FBI捜査もあった。
マコードの告発もあった。
ジョン・ディーンの証言もあった。
上院公聴会もあった。
それでも、大統領本人がどこまで隠蔽へ関与したのかという点には長く争いが残った。
ニクソン側は、側近の犯罪と大統領自身の行動を分けて説明することができた。
しかし6月23日の録音は違った。
そこに記録されていたのは、第三者が記憶をもとに説明した会話ではない。
ニクソン本人とハルデマンの同時代の音声だった。
しかも録音時点は、事件発生からわずか6日後。
後から作られた説明より、はるかに事件の初期へ近い一次資料だった。
この証拠が、それまで大統領を支持してきた議員にとっても無視しにくいものになった。
ウォーターゲートは「政敵が大統領を倒した事件」ではない
ニクソンは共和党の大統領だった。
下院では民主党が多数を占めていた。
そのためウォーターゲートを、単純な政党間闘争として説明することもできる。
しかし最後の局面を見ると、それだけでは説明できない。
司法委員会の弾劾条項には共和党議員も賛成した。
8月5日の録音公開後には、共和党指導部の支持も崩れた。
8月7日にホワイトハウスへ状況を伝えたゴールドウォーター、スコット、ローズも共和党の主要人物だった。
最終局面で問題になったのは、民主党対共和党というより、
公開された証拠を前に、それでも大統領を支持し続けられるか
という判断だった。
まとめ|5人の逮捕から、アメリカ史上初の大統領辞任へ
1972年6月17日、DNC本部に侵入した5人が逮捕された。
そこからFBIが資金を追い、侵入犯とニクソン再選組織との関係が明らかになった。
侵入後にはFBI捜査への介入、秘密資金、口止め、偽証など隠蔽の問題が浮上した。
侵入犯マコードが裁判所へ告発し、ジョン・ディーンが上院で証言し、バターフィールドがホワイトハウス録音システムの存在を明らかにした。
特別検察官が録音を要求すると、大統領は行政特権を主張した。
争いは「土曜夜の虐殺」を経て最高裁へ進み、1974年7月24日、United States v. Nixonでニクソンは録音提出を命じられた。
同じ時期、下院司法委員会は3つの弾劾条項を採択した。
そして8月5日。
1972年6月23日のSmoking Gun Tapeが公表された。
録音は、侵入事件発生直後にニクソン自身がFBI捜査を抑える方法について話していたことを示していた。
議会で大統領を守る政治的基盤は崩れた。
8月8日、ニクソンは辞任を発表。
翌9日、正式に大統領職を離れた。
ウォーターゲート事件は、現職大統領の辞任という形で政治的な頂点を迎えた。
しかし事件そのものは終わっていない。
ニクソンの側近たちはどう処罰されたのか。
ニクソン本人は刑事訴追されたのか。
ジェラルド・フォードによる恩赦は何を意味したのか。
そしてウォーターゲート後、選挙資金、情報公開、大統領記録、政府倫理の制度はどこまで変わったのか。
最終回では、ウォーターゲート事件が残した刑事責任と制度改革を整理する。
CASE FILE 31|ウォーターゲート事件 1972–1974 全10回
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第1回 ウォーターゲート事件とは?|侵入事件からニクソン辞任までの全貌
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第2回 1972年6月17日、何が起きたのか|民主党本部侵入事件の計画と5人の逮捕
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第3回 5人の侵入犯は誰につながっていたのか|資金・再選委員会・FBI捜査
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第4回 ホワイトハウスは何を隠そうとしたのか|口止め料・CIA・FBI捜査妨害
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第5回 侵入事件はなぜ政権中枢へ広がったのか|シリカ判事とマコード書簡
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第6回 上院公聴会は何を暴いたのか|ジョン・ディーン証言と録音システム発覚
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第7回 録音テープをめぐる攻防|特別検察官と「土曜夜の虐殺」はなぜ起きたのか
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第8回 大統領はテープ提出を拒めるのか|United States v. Nixonと最高裁判決
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第9回 「決定的な録音」からニクソン辞任へ|弾劾条項と1974年8月9日
[現在の記事] -
第10回 ウォーターゲートは何を変えたのか|刑事責任・選挙資金・情報公開改革
出典・参考資料
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U.S. House of Representatives: History, Art & Archives — Watergate
1974年2月の弾劾調査承認、7月27・29・30日の司法妨害・権力濫用・議会侮辱に関する3弾劾条項、8月5日の録音公開までの経過確認に使用。
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House Judiciary Committee — Impeachment of Richard M. Nixon, President of the United States
第1条27対11、第2条28対10、第3条21対17という委員会採決、追加2条項が12対26で否決されたこと、各弾劾条項の内容確認に使用。
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Richard Nixon Presidential Library and Museum — Watergate Trial Tapes
1972年6月23日の「Smoking Gun」録音、ニクソンとH・R・ハルデマンがFBIの資金追跡とCIAを利用した捜査制限について話した内容の確認に使用。
-
Richard Nixon Presidential Library and Museum — August 5, 1974
3つの新たな録音書き起こしの公表、議会と報道の反応、共和党内での支持崩壊の確認に使用。
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Richard Nixon — Statement Announcing Availability of Additional Transcripts of Presidential Tape Recordings, August 5, 1974
6月23日の録音が過去の大統領声明と一致しないこと、これまで不完全・一部誤った情報に基づいて弁護と審議が行われたことをニクソン自身が認めた点の確認に使用。
-
Richard Nixon Presidential Library and Museum — August 7, 1974
バリー・ゴールドウォーター、ヒュー・スコット、ジョン・ローズがホワイトハウスでニクソンと会談したこと、共和党内の政治状況が急速に悪化していたことの確認に使用。
-
Richard Nixon Presidential Library and Museum — August 8, 1974
ニクソンによる大統領辞任演説の音声・映像・演説資料確認に使用。
-
National Archives — Nixon and Watergate
1974年8月9日の正式な辞表、国務長官ヘンリー・キッシンジャーによる11時35分の受領、ニクソンのホワイトハウス退去に関する記録確認に使用。
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National Archives — A President Resigns
8月8日の辞任発表、8月9日の辞任、ジェラルド・フォードへの大統領職移行に関する確認に使用。
本記事はU.S. House of Representatives、House Judiciary Committee、National Archives、Richard Nixon Presidential Libraryの公的記録を中心に構成しています。ニクソンは下院司法委員会による3つの弾劾条項採択後、下院本会議による正式な弾劾採決が行われる前に辞任しているため、「下院で弾劾された大統領」とは記述していません。また、1972年6月23日のSmoking Gun Tapeはニクソン本人がDNC本部侵入を事前に命令したことを示す録音ではなく、侵入発覚後のFBI捜査をCIA経由で制限する方法について大統領自身が話していた記録として位置づけています。辞任時刻については、8月8日の演説で発表された正午という予定と、National Archivesが正式な辞表の効力発生時刻として示す8月9日午前11時35分を区別しています。