Enronという名前は、現在では「不正会計で崩壊した企業」として知られています。
しかし、事件を理解するためには、その前に一つ確認しておく必要があります。
そもそもEnronは、何を売って利益を得ていた会社だったのでしょうか。
Enronは最初から複雑な金融取引を行う企業だったわけではありません。1985年、二つの天然ガス・パイプライン会社が統合して成立した会社です。
そこから約15年の間に、Enronは天然ガスを「運ぶ会社」から、天然ガスや電力を「売買する会社」、さらに価格変動そのものを扱う金融的な仲介企業へ変化していきました。
そして、この変化こそが後のEnron事件を理解する前提になります。
パイプラインのような物理設備から得られる比較的分かりやすい収益よりも、市場取引、長期契約、価格予測、リスク管理、将来キャッシュフローの評価が重要になるにつれて、Enronの数字は外部から見えにくくなっていったからです。
この記事で分かること
- Enronはもともと何の会社だったのか
- 天然ガス市場の規制緩和がEnronにどのような機会を与えたのか
- Jeffrey Skillingが進めた「Gas Bank」とは何だったのか
- Enronはなぜパイプライン会社から取引会社へ変化したのか
- Wholesale Servicesでは実際に何を売買していたのか
- EnronOnlineは普通の電子取引所と何が違ったのか
- なぜこの事業モデルが会計と企業評価を複雑にしたのか
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Enron崩壊特集(全10回)
第2回では、不正会計そのものではなく、その前提となったEnronの事業構造を扱います。
Enronは天然ガスを運ぶ会社から、天然ガス・電力・価格リスク・長期契約を市場で仲介する会社へ変化しました。この仕組みを理解すると、第3回で扱う時価評価会計、第4回のSPEがなぜ重要になるのかが見えてきます。
- Enronはなぜ崩壊したのか|巨大エネルギー企業を破綻させた不正会計の全体像
- Enronは何の会社だったのか|ガス会社から「エネルギーを取引する会社」へ変わった仕組み 【現在の記事】
- Enronの利益はどう作られたのか|時価評価会計と「将来利益」を先に計上する仕組み
- Enronは負債と損失をどう見えにくくしたのか|SPE、LJM、Raptorの仕組み
- Enron取締役会はなぜ止められなかったのか|Fastowの利益相反と企業統治の失敗
- Arthur AndersenはEnronで何をしていたのか|監査、文書破棄、最高裁判決まで
- Enronは2001年にどう崩壊したのか|Skilling辞任から12月2日の破産申請まで
- Enronの不正はどう解明されたのか|Powers Report、SEC、FBI、Enron Task Forceの捜査
- Enron事件で誰が有罪になったのか|Lay、Skilling、Fastowらの刑事責任を整理する
- Enron崩壊は何を変えたのか|SOX法、PCAOB、内部統制と企業監査のその後
先に結論|Enronは「ガスを売る会社」から「市場そのものを仲介する会社」へ変わった
Enronの変化を単純化すると、次のようになります。
| 段階 | 中心となる事業 | 利益の考え方 |
|---|---|---|
| 初期 | 天然ガス・パイプライン | ガスを輸送し、設備から収益を得る |
| 市場化 | 天然ガス販売・長期契約 | 生産者と需要家を仲介する |
| 取引化 | 天然ガス・電力トレーディング | 価格差、契約、リスク管理から利益を得る |
| 金融化 | デリバティブ・構造化商品・金融サービス | 価格変動や将来キャッシュフローそのものを取引する |
| 拡張 | 電力・石炭・金属・通信帯域など | 同じ「市場仲介モデル」を別分野へ展開する |
この変化の中心にあった発想は、
「エネルギー会社は、必ずしも大量の設備を所有しなければならないわけではない」
というものでした。
発電所やパイプラインを所有することより、市場参加者を結びつけ、価格を提示し、契約を組み、価格変動リスクを引き受ける能力そのものを収益源にする。
これはEnronの急成長を支えた革新的な部分であると同時に、後に財務内容を理解しにくくする一因にもなりました。
1985年|Enronは二つの天然ガス会社から始まった
Enronの起点は1985年です。
ネブラスカ州オマハを拠点としていたInterNorthと、テキサス州のHouston Natural Gasが統合しました。
どちらも中心事業は天然ガスでした。
当時の天然ガス産業では、ガス田から産出された天然ガスを需要地まで運ぶため、長距離パイプライン網が重要なインフラでした。
会社が持っているものも分かりやすいものでした。
- 天然ガス・パイプライン
- 圧縮設備
- 貯蔵設備
- 供給契約
- ガス販売契約
つまり、後年のEnronのように画面上で大量の契約を売買する会社ではなく、巨大な物理インフラを持つ天然ガス会社だったのです。
統合後、Houston Natural Gas側を率いていたKenneth Layが経営の中心となり、会社はやがてEnronという名称を使用するようになります。
天然ガス市場の規制緩和が事業を変えた
Enronの変化を理解するうえで欠かせないのが、1980年代から進んだアメリカ天然ガス市場の規制緩和です。
それ以前の天然ガス産業では、生産者、パイプライン会社、地域のガス会社が比較的固定された長期関係の中で取引していました。
パイプライン会社は単にガスを運ぶだけではなく、自ら天然ガスを購入し、それを地域のガス会社などへ販売する役割も担っていました。
しかし規制緩和が進むと、天然ガスそのものの売買と、パイプラインによる輸送サービスが次第に分離されます。
すると市場には新しい需要が生まれました。
生産者は、
「誰に、いくらで、何年間売るのか」
を考えなければならなくなります。
一方、発電会社や工場などの需要家は、
「どこから買えば安定して必要量を確保できるのか」
を考えなければなりません。
そして両者とも、天然ガス価格が変動するリスクを抱えます。
Enronは、ここに市場を見つけました。
Jeffrey Skillingが考えた「Gas Bank」
Enronの事業転換で重要な人物がJeffrey Skillingです。
SkillingはMcKinseyのコンサルタントとしてEnronに関わった後、1990年にEnronへ移りました。
彼が推進した代表的な仕組みの一つが、一般に「Gas Bank」と呼ばれるビジネスモデルでした。
銀行をイメージすると分かりやすくなります。
銀行は、お金を持つ側と必要とする側の間へ入り、期間や金利などの条件を調整します。
Enronは同じような仲介機能を、天然ガス市場で行おうとしました。
| 天然ガス生産者 | Enron | 天然ガス需要家 |
|---|---|---|
| 長期間、一定条件で売りたい | 両者の契約を組み合わせる | 将来の供給を確保したい |
| 価格下落リスクを減らしたい | 価格リスクを管理する | 価格上昇リスクを減らしたい |
| 資金調達が必要 | 金融サービスも提供 | 予算を安定させたい |
Enron Gas Marketingは、生産者から長期的にガスを購入する契約を結び、同時に工場、電力会社、地域ガス会社などへ供給契約を販売しました。
さらに固定価格契約、変動価格契約、価格ヘッジなどを組み合わせます。
Enronは単に天然ガスを右から左へ流すだけではありません。
供給量、期間、場所、価格、価格変動リスクを組み替えること自体が商品になっていきました。
「天然ガス」ではなく「価格リスク」も売る
ここが、普通のガス販売会社との大きな違いです。
たとえば工場が、来年1年間で大量の天然ガスを使用するとします。
将来のガス価格が上昇すれば、その工場のエネルギー費用も増えます。
そこで工場は、
「来年使用する天然ガスを、今の時点で一定価格に固定したい」
と考えます。
反対にガス生産者は、
「価格が下落しても一定額で販売したい」
と考えるかもしれません。
Enronはその間に入りました。
実物の天然ガスだけでなく、固定価格契約、スワップ、オプションなどを利用し、価格変動リスクそのものを引き受けたり、別の市場参加者へ移したりします。
従来型エネルギー会社
- パイプラインを所有する
- 発電所を所有する
- ガスや電力を物理的に供給する
- 設備利用から収益を得る
Enron型モデル
- 売り手と買い手を仲介する
- 価格を提示する
- 長期契約を組成する
- 価格変動リスクを管理する
- 金融商品を組み合わせる
重要な変化
- 物理設備から契約へ
- 輸送量から取引量へ
- 現在の売上から将来価値へ
- 資産保有から市場仲介へ
こうしてEnronは、天然ガス会社でありながら、金融機関に近い機能も持つようになりました。
天然ガスで成功した仕組みを電力へ広げる
Enronは天然ガス市場で作ったモデルを、電力市場へも展開しました。
天然ガスと電力には違いがあります。
天然ガスはパイプラインや貯蔵施設を使って一定量を貯蔵できますが、電力は需要と供給をほぼリアルタイムで一致させる必要があります。
そのため電力市場では、
- どの地域で
- 何時に
- どれだけの電力を
- いくらで供給するか
という条件が重要になります。
Enronは発電会社などから電力を購入し、電力会社、自治体、協同組合、他の取引業者などへ販売しました。
同時に、価格変動を管理する金融契約も提供しました。
つまり、天然ガスで行った
「市場参加者の間に入り、供給と需要とリスクを結びつける」
というモデルを、電力にも持ち込んだのです。
Enron Wholesale Servicesという巨大な取引部門
2000年前後、Enronで最も重要な部門となっていたのがWholesale Servicesでした。
SEC資料では、この部門はEnron最大かつ最も急成長した事業セグメントとして説明されています。
中核となったEnron North Americaでは、北米の天然ガスと電力について、
- トレーディング
- マーケティング
- リスク管理
- 構造化契約
- 資産開発
- 金融サービス
などを組み合わせていました。
Enron自身の資料では、Wholesale Servicesを大きく、
- Marketing and Trading
- Structured Products and Services
- Capital Services
- New Initiatives
といった機能に分けていました。
ここで注目すべきなのは、「電気を売る」「ガスを売る」という商品別の分け方ではありません。
市場取引、契約設計、金融、リスク管理という機能別に事業を考えていたことです。
Enronが売買したのはガスと電力だけではない
Enronは、この事業モデルをさらに別の市場へ拡張しました。
天然ガスや電力以外にも、時期によって、
- 石炭
- 原油・石油製品
- 金属
- 排出権
- 天候デリバティブ
- 通信帯域
などを取引対象としていました。
発想は共通しています。
売り手と買い手がいて、価格が変動し、標準化や契約設計が可能なものであれば、Enronが中間に入り市場を作れるのではないか。
Enronの経営陣は、天然ガス市場で成功した「仲介者」という役割を、他の市場にも移植しようとしました。
この発想そのものは、後に発覚した会計不正とは区別する必要があります。
エネルギー取引やリスク管理自体が不正だったわけではありません。
1999年|EnronOnlineの登場
この取引モデルをさらに拡大したのがEnronOnlineでした。
EnronOnlineは1999年11月に運用を開始しました。
それまでエネルギー取引の多くは、電話やブローカーを通じて行われていました。
EnronOnlineでは、顧客が画面上でEnronの提示する価格を確認し、そのまま取引できるようになります。
ただし、一般的な株式取引所のように、買い手と売り手を中立的に接続するだけのシステムではありませんでした。
多くの取引では、Enron自身が取引相手になります。
| 一般的な取引所のイメージ | EnronOnline |
|---|---|
| 買い手と売り手を接続 | Enronが価格を提示 |
| 取引所は仲介インフラ | Enron自身が売買の当事者になる |
| 市場参加者同士が取引 | 顧客 ⇔ Enronという形が基本 |
| 主に手数料を得る | 取引スプレッドや市場仲介から収益機会を得る |
Enronには大きな利点がありました。
大量の顧客がEnronを相手に取引すれば、市場でどの商品が、どの地域で、どの価格で求められているのかという情報が集まります。
取引量が増えるほど価格発見能力が高まり、さらに多くの顧客を呼び込める可能性があります。
Enron自身の2000年当時の資料では、EnronOnlineは同年に約54万8000件の取引を処理し、取引のグロス想定価値は3360億ドルに達したと報告されていました。
これは利益が3360億ドルあったという意味ではありません。
あくまで取引契約の総額を示す数字です。
しかし、EnronOnlineがわずか1年ほどで巨大な取引基盤になったことは分かります。
「資産を持たない方が効率的」という発想
Enronの事業思想には、もう一つ重要な特徴があります。
物理的な設備を大量に所有するよりも、市場で必要な能力を契約によって調達する方が効率的な場合がある、という考え方です。
たとえば発電所を自社で所有すれば、
- 建設費
- 維持費
- 人員
- 設備停止リスク
- 長期間の投下資本
を抱えることになります。
一方、市場に十分な流動性があれば、必要な電力を契約によって調達し、それを別の顧客へ売ることもできます。
Enron自身も2000年前後の資料で、ある地域では設備を所有する方が有利でも、市場の流動性が高まれば資産を保有する必要がなくなるという考え方を示していました。
これは現在で言えば、資産を大量保有する会社から、情報・取引・ネットワークを中心にするasset-light型へ近づく発想です。
なぜEnronの売上高は急激に大きくなったのか
Enronの数字を見ると、売上高が猛烈な勢いで増加していることに気付きます。
これには事業成長そのものに加え、取引企業特有の会計表示が関係しています。
たとえば100万ドルでエネルギーを購入し、101万ドルで販売したとします。
経済的な差額は1万ドルです。
しかし取引の会計上、101万ドル全体を売上として表示する場合、取引量が増えれば売上高は非常に大きくなります。
したがって、
「売上高が巨大だから、それだけ高い利益を生み出していた」
とは限りません。
取引会社を見るときには、
- 取引総額
- 売上高
- 粗利益
- 営業利益
- キャッシュフロー
- 取引相手への信用リスク
を分けて見る必要があります。
この「巨大な取引量と、実際の利益との違い」も、Enronが外部から理解しにくい会社になっていった背景の一つです。
成功していた事業と、期待だけが先行した事業を分ける
Enronについて、「すべての事業が虚構だった」と考えるのも正確ではありません。
天然ガス・電力のWholesale事業には、実際に大規模な取引ネットワークと顧客基盤が存在しました。
一方で、2000年前後になるとEnronは新しい成長事業を強く市場へ訴えるようになります。
代表的なのが、
- Enron Energy Services
- Enron Broadband Services
です。
Enron Energy Servicesは企業・施設向けのエネルギー管理サービスなどを提供し、Broadband Servicesでは通信帯域をエネルギーと同じように取引できる市場を作ろうとしていました。
しかし後のSEC・DOJ資料では、これらの事業について損失や実績が市場へ適切に伝えられず、Enron全体が安定して成長しているように見せるための財務報告操作が行われたことが問題になりました。
つまり、Enronには、
実際に強かったエネルギー取引事業
と、
将来の成長を期待された新規事業
が同時に存在していました。
この二つを一緒にすると、事件構造が見えなくなります。
Enronの強みは、同時に数字を複雑にする要因でもあった
Enronの事業モデルには明確な強みがありました。
- 多数の市場参加者と取引できる
- 大量の市場情報を得られる
- 価格変動リスクを金融商品で処理できる
- 長期契約を顧客ごとに設計できる
- 物理設備の所有量に依存せず取引を拡大できる
しかし同じ構造には、評価上の難しさもありました。
- 契約期間が数年から十数年になる
- 将来のエネルギー価格を推定する必要がある
- 市場価格の存在しない契約もある
- 複雑なデリバティブを使う
- 現在の現金収入と会計上の利益が一致しない場合がある
工場で製品を作り、100ドルで売り、80ドルの費用がかかったので20ドルの利益――という企業より、はるかに理解が難しくなります。
特に問題になるのが、長期契約です。
今日契約した取引から、今後10年間でどれほど利益を得られるのか。
それを契約締結時点で評価しようとすると、
- 将来価格
- 需要
- 供給量
- 金利
- 契約相手の信用
- その他の市場条件
について、多数の前提を置かなければなりません。
ここから、第3回の中心テーマであるmark-to-market accounting(時価評価会計)につながります。
FACT CHECK|Enronについて混同しやすい4点
| よくある理解 | 整理 |
|---|---|
| Enronは架空取引だけの会社だった | 誤り。実際のパイプライン、天然ガス・電力取引、顧客網を持つ巨大企業だった |
| Enronは最初から金融会社だった | 誤り。1985年の出発点は天然ガス・パイプライン企業だった |
| エネルギー取引そのものが不正だった | 誤り。取引・ヘッジ・デリバティブ自体と、後に立件された財務報告上の不正は分ける必要がある |
| EnronOnlineは普通の取引所だった | 単純化。多くの取引でEnron自身が顧客のカウンターパーティーとなる電子取引プラットフォームだった |
なぜこの事業モデルがEnron事件につながるのか
パイプライン会社であれば、会社の収益力を見るために、輸送量、料金、設備費、維持費などを確認することができます。
しかし取引会社では事情が変わります。
利益の一部は、まだ何年も先まで続く契約の価値に依存します。
その価値は、市場価格が存在すれば比較的確認しやすいものの、市場の薄い商品や独自契約では社内モデルによる評価が必要になります。
すると、
「将来どれだけ儲かる契約なのか」
という見積もりが、現在の利益へ大きな影響を与えるようになります。
そこで重要になるのが、
- どの時点で利益を認識するのか
- 将来価格を何ドルと仮定するのか
- 長期契約の価値をどう算出するのか
- 評価が悪化した場合、いつ損失を認識するのか
という会計上の判断です。
Enron事件では、事業モデルそのものが犯罪だったのではありません。
しかし、市場取引を中心とする複雑な事業構造が、経営陣の置く前提や内部評価によって利益が大きく動く環境を作ったことは、後の問題を理解する重要な前提です。
要点まとめ
Enronは1985年、二つの天然ガス・パイプライン会社の統合から始まりました。
天然ガス市場の規制緩和が進むと、Enronは単にパイプラインでガスを運ぶ会社から、生産者と需要家の間へ入る市場仲介企業へ変化します。
Jeffrey Skillingらが進めたGas Bank型のモデルでは、天然ガスそのものだけでなく、長期契約、固定価格、価格変動リスク、金融サービスまで商品化されました。
そのモデルは電力にも拡張され、Enron Wholesale Servicesは巨大な天然ガス・電力取引部門へ成長します。
1999年にはEnronOnlineが登場し、取引を電子化しました。そこではEnron自身が多くの取引で顧客の相手方となり、巨大な取引ネットワークと市場情報を集めていきます。
この事業モデルには実体があり、実際にEnronの急成長を支えました。
しかし同時に、長期契約、デリバティブ、市場価格のない取引、将来価値の評価が増えるほど、
「今、この会社はいくら利益を出しているのか」
を外部から判断することは難しくなりました。
そしてEnronは、その将来利益の一部を契約時点で現在の利益として認識していました。
では、まだ現金を受け取っていない数年先の利益を、どのように「現在の利益」として計算したのでしょうか。
次回は、Enron事件を理解するうえで最も重要な仕組みの一つ、mark-to-market accounting――時価評価会計を扱います。
CASE FILE 36
Enron崩壊特集(全10回)
- Enronはなぜ崩壊したのか|巨大エネルギー企業を破綻させた不正会計の全体像
- Enronは何の会社だったのか|ガス会社から「エネルギーを取引する会社」へ変わった仕組み 【現在の記事】
- Enronの利益はどう作られたのか|時価評価会計と「将来利益」を先に計上する仕組み
- Enronは負債と損失をどう見えにくくしたのか|SPE、LJM、Raptorの仕組み
- Enron取締役会はなぜ止められなかったのか|Fastowの利益相反と企業統治の失敗
- Arthur AndersenはEnronで何をしていたのか|監査、文書破棄、最高裁判決まで
- Enronは2001年にどう崩壊したのか|Skilling辞任から12月2日の破産申請まで
- Enronの不正はどう解明されたのか|Powers Report、SEC、FBI、Enron Task Forceの捜査
- Enron事件で誰が有罪になったのか|Lay、Skilling、Fastowらの刑事責任を整理する
- Enron崩壊は何を変えたのか|SOX法、PCAOB、内部統制と企業監査のその後
主な参照資料
- U.S. Department of Justice:Skilling v. United States — Brief for the United States
- U.S. Department of Justice / Enron Trial Exhibits:Enron Wholesale Services
- U.S. Department of Justice / Enron Trial Exhibits:EnronOnline Statistics
- U.S. Department of Justice / Enron Trial Exhibits:Jeffrey K. Skilling / Enron Gas Services Group
- U.S. Securities and Exchange Commission:Complaint — Jeffrey K. Skilling and Richard A. Causey
- U.S. Securities and Exchange Commission:Enron Corporation SEC filings / Form 10-K and Form 10-Q
※本記事では、Enronのエネルギー取引・リスク管理・電子取引そのものを不正行為として扱っていません。1985年の天然ガス会社統合、1990年代のWholesale事業、EnronOnlineなど、実在した事業構造と、後にSEC・DOJが問題とした財務報告上の行為を分離しています。また、Enron自身が当時公表した取引量・EnronOnlineの取引額などは、その資料が示す当時の会社発表値として扱い、利益額や企業価値と同一視していません。