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Enronはなぜ崩壊したのか|巨大エネルギー企業を破綻させた不正会計の全体像

企業不祥事・経済犯罪

2001年12月2日、アメリカ・テキサス州ヒューストンに本社を置くエネルギー企業Enronは、連邦破産法Chapter 11の適用を申請しました。

そのわずか1年ほど前、Enronの株価は80ドルを超えていました。報告上の年間売上高は1500億ドルを超え、Fortune 500では全米7位にまで上昇していた巨大企業です。

それが2001年秋、わずか数週間のうちに信用を失いました。10月には6億1800万ドルの四半期純損失が明らかになり、さらに12億ドルの株主資本減額が判明します。11月には過年度の財務諸表を修正すると発表。信用格付けも急落し、資金調達能力を失ったEnronは12月2日に破綻しました。

しかし、Enron事件を「粉飾決算をしていた会社が倒産した」とだけ理解すると、その本質を見落とします。

Enronでは、利益を大きく見せる会計処理、資産価値の評価、特別目的事業体(SPE)、CFO自身が関係する取引、取締役会による監督、外部監査、経営陣から市場への説明が複雑に重なっていました。そして一度その数字への信用が失われると、株価、信用格付け、資金調達、取引先との関係が連鎖的に崩れていきました。

この特集では、「Enronは何をしていたのか」だけではなく、なぜそれを止める仕組みが機能せず、どのように発覚し、巨大企業が短期間で崩壊したのかを追います。

この記事で分かること

  • Enronはどのような会社だったのか
  • Enronで何が問題になったのか
  • なぜ2001年秋に急速に崩壊したのか
  • SPE、LJM、Raptorは事件でどのような役割を持ったのか
  • 取締役会とArthur Andersenはどこに関わっていたのか
  • SEC、FBI、DOJはどのように事件を捜査したのか
  • Enron事件が米国企業統治と監査制度に何を残したのか

CASE FILE 36

Enron崩壊特集(全10回)

この特集では、Enronの成功物語そのものではなく、不正会計、企業統治、監査、信用崩壊、捜査、刑事責任という一連の事件構造を追います。

第1回では全体像を整理し、第2回以降で事業モデル、会計、SPE、取締役会、Arthur Andersen、2001年の崩壊、捜査、裁判、制度改革を個別に検証します。

  1. Enronはなぜ崩壊したのか|巨大エネルギー企業を破綻させた不正会計の全体像 【現在の記事】
  2. Enronは何の会社だったのか|ガス会社から「エネルギーを取引する会社」へ変わった仕組み
  3. Enronの利益はどう作られたのか|時価評価会計と「将来利益」を先に計上する仕組み
  4. Enronは負債と損失をどう見えにくくしたのか|SPE、LJM、Raptorの仕組み
  5. Enron取締役会はなぜ止められなかったのか|Fastowの利益相反と企業統治の失敗
  6. Arthur AndersenはEnronで何をしていたのか|監査、文書破棄、最高裁判決まで
  7. Enronは2001年にどう崩壊したのか|Skilling辞任から12月2日の破産申請まで
  8. Enronの不正はどう解明されたのか|Powers Report、SEC、FBI、Enron Task Forceの捜査
  9. Enron事件で誰が有罪になったのか|Lay、Skilling、Fastowらの刑事責任を整理する
  10. Enron崩壊は何を変えたのか|SOX法、PCAOB、内部統制と企業監査のその後

先に結論|Enronは「一つの不正」で崩壊した会社ではない

Enron崩壊の核心は、一つの会計処理、一人の経営者、一件の裏取引だけにありません。

問題になったのは、会社の実際の業績や財務状態よりも良好に見える数字を市場へ示すため、複数の会計・取引手法が使われ、それを止めるはずだった企業統治や監査の仕組みも十分に機能しなかったことです。

確認されていること

  • 財務結果を操作する複数の手法が使われた
  • Fastowが管理するLJMとの取引が行われた
  • 損失や不振事業が財務報告上見えにくくされた
  • 2001年に過年度決算の修正が必要になった
  • SEC・FBI・DOJによる大規模捜査へ発展した

単純化すると危険

  • 時価評価会計そのものが違法だったわけではない
  • SPEそのものが不正な仕組みではない
  • 会社破綻を一人の経営者だけで説明できない
  • 「帳簿上の不正」だけでなく信用と流動性の崩壊も重要

この特集で追うもの

  • 事業モデル
  • 利益と資産評価
  • SPEと利益相反
  • 取締役会と監査
  • 信用崩壊
  • 捜査・裁判・制度改革

Enronは、数字が悪化した瞬間に突然破綻した会社ではありません。

むしろ重要なのは、問題が長期間見えにくい状態で蓄積され、数字への信用が失われた瞬間、それまで成立していた企業システム全体が急速に崩れたことです。

Enronはどれほど大きな会社だったのか

Enronの本社はテキサス州ヒューストンにありました。

もともとは天然ガスのパイプラインを中心とする会社でしたが、規制緩和されたエネルギー市場を背景に、ガスや電力を売買するトレーディング企業へ変化していきます。

さらに電力、天然ガスだけでなく、通信、ブロードバンド、海外発電事業、水道などへ事業を広げました。

SECが後に提出した訴状では、Enronは当時、天然ガス・電力マーケティングで全米最大規模の企業となり、報告上の年間売上高は1500億ドルを超え、Fortune 500で7位にまで上昇していたとされています。

外から見ると、Enronは「古いエネルギー会社」から「情報と市場を使って利益を生む新しい企業」へ転換した成功例に見えました。

しかし、この急成長の裏側では、会社の実際の収益力、資産価値、負債、取引の実態を外部から理解することが次第に難しくなっていきます。

第2回では、このEnron独特の事業モデルそのものを整理します。

Enronでは何が問題になったのか

Enron事件では、しばしば「粉飾決算」という一語が使われます。

しかし公的資料を追うと、問題はもっと複雑です。

SECや司法当局が問題にした行為には、少なくとも次のようなものが含まれていました。

領域 問題になった仕組み 何が起きたのか
利益 利益・準備金等の操作 市場予想に沿った安定した成長を示すため、報告利益が操作されたとされた
資産 資産価値の評価 市場価格のない投資資産などを内部モデルで評価し、価値が過大に計上された事例が問題になった
SPE LJM・Raptorなど 不振資産、損失、債務などを財務諸表上見えにくくする取引に利用された
事業別報告 セグメント報告 不振事業の損失が別部門へ移されるなど、個別事業の実態が分かりにくくされた
利益相反 FastowとLJM EnronのCFOが、Enronと取引する別組織の側にも立つ構造が生じた

ここで重要なのは、これらをすべて同じ仕組みとして扱わないことです。

たとえば時価評価会計(mark-to-market accounting)は、それ自体がEnronのために作られた違法な会計制度ではありません。

同様に、SPEも企業金融で利用される仕組みそのものが違法なのではありません。

問題は、どのような前提と取引を使い、それを財務諸表へどう反映し、市場へどのように説明したかにあります。

このため第3回では時価評価会計、第4回ではSPE・LJM・Raptorを分けて扱います。

CFOが取引の「両側」にいた

Enron事件を理解するうえで重要な人物の一人が、最高財務責任者(CFO)のAndrew Fastowです。

Fastowは、Enronと取引するLJMと呼ばれる組織を管理していました。

これは単なる関連会社の存在という話ではありません。

Enron側の財務責任者である人物が、Enronと取引する相手側にも経済的利害を持つという、重大な利益相反を抱えた構造でした。

SECは後の訴訟で、LJMが通常の独立した第三者のように行動しておらず、Enronの財務報告上の目標を達成するため利用されたと主張しました。

さらに問題になるのが、こうした構造が完全に取締役会の外で秘密裏に作られたわけではない点です。

Enronの取締役会はFastowがLJMへ関与することについて、会社の通常の倫理規定から例外を認めていました。

そこで次の疑問が生まれます。

利益相反が存在することを認識しながら、なぜ会社の監督システムは機能しなかったのか。

これは第5回で、米上院の取締役会調査を中心に検証します。

Arthur Andersenは何を監査していたのか

Enronには当然、外部監査法人も存在していました。

担当していたのは、当時世界的な大手会計事務所だったArthur Andersenです。

企業の経営陣が作成した財務諸表を、市場が一定程度信頼できる背景には、独立した外部監査という仕組みがあります。

ところがEnron崩壊後、Arthur Andersen自身も監査対応や文書破棄をめぐって刑事事件に巻き込まれました。

ただし、ここにも重要な注意点があります。

Arthur Andersenは2002年に司法妨害で有罪評決を受けましたが、その有罪判決は2005年、米連邦最高裁によって破棄されています。

したがって、

「Enronを監査していたArthur Andersenが犯罪を犯して有罪になった」

とだけ説明すると、最終的な司法判断を欠いた不正確な説明になります。

監査上どのような問題があったのかと、文書破棄事件の刑事責任は分けて考える必要があります。これを第6回で扱います。

2001年10月、数字への信用が崩れ始めた

Enronの崩壊は、2001年10月から急速に表面化します。

10月16日、Enronは第3四半期決算で6億1800万ドルの純損失を公表しました。

同時に、資産の減損、リストラクチャリング、投資損失などに関連して約10億1000万ドルの費用を計上します。

さらに、Fastowが関与していた組織との複雑な取引に関連して、株主資本を約12億ドル減額する必要があることが明らかになりました。

問題は金額の大きさだけではありません。

「なぜ、このような修正が突然必要になったのか」

という疑問が市場に生まれます。

11月8日|過去の決算まで修正

11月8日、Enronは1997年から2000年までと、2001年第1・第2四半期の財務諸表を修正すると発表しました。

一部のSPEについて、本来Enronの連結財務諸表へ含める必要があったことなどが修正理由となりました。

これは単に「今期の業績が悪かった」という話ではありません。

過去数年間に投資家が見ていた数字そのものについて、信頼性が問われる事態でした。

11月末|信用格付けが投資不適格へ

その後、Enronの信用格付けはさらに引き下げられ、11月28日には投資適格を失います。

巨大な取引企業にとって、信用格付けは単なる評価表ではありません。

取引相手が担保を要求する、資金調達条件が悪化する、契約上の追加義務が発生するなど、事業を継続するために必要な流動性へ直接影響します。

つまりEnronでは、

会計への疑念 → 株価下落 → 信用低下 → 資金調達悪化 → さらに信用低下

という連鎖が発生しました。

12月2日|Chapter 11申請

2001年12月2日、EnronはChapter 11を申請しました。

1年も経たないうちに80ドルを超えていた株価は1ドルを下回る水準まで下落していました。

Enronの破綻は、単に株主が損失を受けたという問題にとどまりません。

多数の従業員が職を失い、Enron株を保有していた従業員の退職資産にも大きな影響が及びました。取引先、金融機関、監査法人、証券市場、企業統治制度まで問題が波及します。

時期 主な出来事
2001年8月 CEO Jeffrey Skillingが辞任。Kenneth LayがCEOへ復帰
2001年10月16日 第3四半期で6億1800万ドルの純損失を公表
2001年10月 約12億ドルの株主資本減額が明らかになる
2001年10月24日 CFO Andrew Fastowが職務から外され、その後解雇
2001年11月8日 1997年以降の財務諸表を修正すると発表
2001年11月28日 信用格付けが投資不適格級へ低下
2001年12月2日 Chapter 11申請

第7回では、この数か月をより細かい時系列に分解し、信用と流動性がどのように崩れたのかを追います。

破綻後、事件は巨大な刑事捜査へ変わった

Enronが破綻すると、問題は企業の経営失敗から刑事捜査へ移っていきます。

FBIヒューストン支局は当初2人の捜査官を配置しましたが、数週間後には捜査官と支援職員が45人規模に拡大しました。

さらにFBI、IRS Criminal Investigation、SEC、司法省の検察官などから構成されるEnron Task Forceが設置されます。

捜査規模は極めて大きなものになりました。

  • 1800件を超える聴取
  • 3000箱を超える証拠資料
  • 4テラバイトを超えるデジタルデータ
  • 600人を超える従業員の電子メール
  • 多数の銀行口座・証券口座の資金追跡

ここで捜査当局が直面したのは、「不自然な決算だった」と指摘するだけではありません。

膨大な契約、会計処理、電子メール、取締役会資料、銀行口座、証言をつなぎ合わせ、誰が何を知り、何を指示し、何を市場へ説明したのかを刑事事件として立証する必要がありました。

第8回では、この企業犯罪捜査そのものを扱います。

最終的に誰が責任を問われたのか

捜査はEnronの経営陣へ進みました。

Andrew Fastowは有罪答弁を行い、捜査へ協力しました。

Jeffrey Skillingは2006年、共謀、証券詐欺、インサイダー取引、監査人への虚偽説明など複数の罪で有罪評決を受けます。

Kenneth Layも同じ裁判で有罪評決を受けましたが、判決確定前の2006年7月に死亡し、当時の法理により刑事事件の有罪判決は後に取り消されました。

したがって、Enron事件を整理するときには、

  • SECなどが「主張・訴追した内容」
  • 本人が「有罪を認めた内容」
  • 陪審が「有罪と判断した内容」
  • その後の上訴や手続で変化した法的状態

を分けなければなりません。

第9回では人物ごとに刑事責任を整理します。

なぜEnron事件は「SYSTEM型」なのか

Enronには、問題を止める可能性のある複数の層が存在していました。

防護層 本来の役割 CASE36で見る論点
事業部門・会計部門 正確な取引・会計処理 利益、資産、損失はどう処理されたか
経営陣 会社全体の財務報告と説明 市場へどのような情報を示したか
取締役会 経営監督・利益相反管理 FastowとLJMをなぜ止められなかったか
外部監査 財務諸表の検証 Arthur Andersenは何を把握していたか
市場・格付け機関 企業価値・信用力の評価 なぜ信用崩壊が急速に進んだか
規制・司法 開示規制・不正の摘発 発覚後にどう事実を再構成したか

どこか一つだけを見れば、Enron事件を「経営者の犯罪」「会計の問題」「監査の失敗」「投資家の熱狂」と説明することもできます。

しかし実際には、それらの層が相互に接続しています。

だからこそCASE36では、犯罪者の人物史ではなく、巨大企業の内部で不正確な情報が維持され、それを止める仕組みがどこで機能しなくなったのかを中心に扱います。

Enron事件でよくある単純化

「時価評価会計がEnronを倒した」

正確ではありません。

時価評価会計そのものではなく、評価方法、前提、利益認識、資産価値の操作など、具体的な使われ方を確認する必要があります。

「SPEは借金を隠す違法会社だった」

SPEそのものが違法なのではありません。

独立性、資本、リスク移転、関連当事者との関係など、会計上の要件を満たしていたかが問題になります。

「Fastow一人が会社を騙した」

これも単純化です。

Fastowは事件の中心人物の一人ですが、SEC・DOJの事件ではSkilling、Causey、Layその他の幹部についても、それぞれ異なる行為が問題になりました。

「Enronは倒産しただけで、実体のない会社だった」

Enronには実際のエネルギー事業、トレーディング、パイプライン、発電事業などが存在しました。

事件の問題は、会社全体が架空だったことではなく、実在する巨大事業の内部で、財務状態と事業実績の見え方が大きく歪められていたことです。

Enron崩壊が残したもの

Enronだけで米国の企業制度が変わったわけではありません。

同時期にはWorldComなど他の大規模企業不祥事も続いていました。

しかしEnronは、経営者、取締役会、監査法人、証券市場、規制制度の関係を問い直す象徴的事件となりました。

2002年にはSarbanes-Oxley Act(SOX法)が成立し、上場企業経営者による財務報告の認証、内部統制、監査法人の独立性、監査業界を監督するPCAOBなど、新しい制度が導入されました。

第10回では、これらを「Enronへの反省」だけで説明せず、Enronを含む一連の企業不祥事を受けて、具体的にどの防護層が変更されたのかを確認します。

この特集で追う10の問い

  1. 巨大企業Enronは、なぜ2001年12月に破綻したのか。
  2. そもそもEnronは、どのように利益を生む会社だったのか。
  3. 将来利益を現在の利益へ反映する会計は、どこから問題になったのか。
  4. SPE、LJM、Raptorは、損失と負債の見え方をどう変えたのか。
  5. 取締役会はFastowの利益相反をなぜ止められなかったのか。
  6. Arthur Andersenは何を監査し、なぜ自らも崩壊したのか。
  7. 2001年秋、信用はどのような順序で失われたのか。
  8. 捜査当局は複雑な企業取引をどう犯罪証拠へ変換したのか。
  9. 経営陣は最終的にどのような刑事責任を問われたのか。
  10. 事件後、企業統治と監査制度は何を変えたのか。

要点まとめ

Enronは2001年12月2日、Chapter 11を申請しました。

その直前まで、同社は年間売上高1500億ドル超を報告し、Fortune 500で7位に入る巨大企業でした。

崩壊の背景には、利益や資産価値の操作、SPEを利用した複雑な取引、FastowとLJMの利益相反、不振事業の見えにくい財務報告など、複数の問題が存在しました。

2001年10月、巨額損失と株主資本の減額が明らかになると、過去の財務諸表への信用まで揺らぎます。

信用格付け低下、株価下落、資金調達環境の悪化が重なり、Enronは短期間で事業継続が困難になりました。

そして破綻後、事件はFBI、SEC、IRS、司法省が参加する巨大な企業犯罪捜査へ変わります。

Enron事件で重要なのは、「誰が悪かったか」だけではありません。

数字を作る仕組み、数字を承認する仕組み、数字を監査する仕組み、数字を信じて資金を供給する市場。その複数の層が、なぜ同時に機能しなくなったのか。

それが、このCASE FILE 36で追う中心的な問いです。

CASE FILE 36

Enron崩壊特集(全10回)

  1. Enronはなぜ崩壊したのか|巨大エネルギー企業を破綻させた不正会計の全体像 【現在の記事】
  2. Enronは何の会社だったのか|ガス会社から「エネルギーを取引する会社」へ変わった仕組み
  3. Enronの利益はどう作られたのか|時価評価会計と「将来利益」を先に計上する仕組み
  4. Enronは負債と損失をどう見えにくくしたのか|SPE、LJM、Raptorの仕組み
  5. Enron取締役会はなぜ止められなかったのか|Fastowの利益相反と企業統治の失敗
  6. Arthur AndersenはEnronで何をしていたのか|監査、文書破棄、最高裁判決まで
  7. Enronは2001年にどう崩壊したのか|Skilling辞任から12月2日の破産申請まで
  8. Enronの不正はどう解明されたのか|Powers Report、SEC、FBI、Enron Task Forceの捜査
  9. Enron事件で誰が有罪になったのか|Lay、Skilling、Fastowらの刑事責任を整理する
  10. Enron崩壊は何を変えたのか|SOX法、PCAOB、内部統制と企業監査のその後

主な参照資料

  • U.S. Securities and Exchange Commission:Complaint, Jeffrey K. Skilling and Richard A. Causey
  • U.S. Securities and Exchange Commission:Complaint, Andrew S. Fastow
  • U.S. Securities and Exchange Commission:Testimony — Recent Events Relating to Enron Corporation
  • Federal Bureau of Investigation:Enron
  • U.S. Department of Justice:Enron Trial Exhibits and Releases
  • U.S. Department of Justice:Federal Jury Convicts Former Enron Chief Executives Ken Lay, Jeff Skilling on Fraud, Conspiracy and Related Charges
  • Enron Board of Directors Special Investigative Committee:Report of Investigation(Powers Report)
  • U.S. Senate Permanent Subcommittee on Investigations:The Role of the Board of Directors in Enron’s Collapse

※本記事では、SECの訴状に記載された内容は、後の司法判断で確定した事実と区別して扱っています。「SECが主張した」「捜査当局が問題とした」事項と、有罪答弁・有罪評決など司法手続で確認された事項を同一視していません。また、時価評価会計やSPEという仕組み自体を違法とせず、Enronでどのように利用されたかを問題の対象としています。2001年の財務数値についてはSEC資料を優先し、資料間で集計方法が異なる数字は必要以上に単一値へ統一していません。

Enronは何の会社だったのか|ガス会社から「エネルギーを取引する会社」へ変わった仕組み

企業不祥事・経済犯罪

Enronという名前は、現在では「不正会計で崩壊した企業」として知られています。

しかし、事件を理解するためには、その前に一つ確認しておく必要があります。

そもそもEnronは、何を売って利益を得ていた会社だったのでしょうか。

Enronは最初から複雑な金融取引を行う企業だったわけではありません。1985年、二つの天然ガス・パイプライン会社が統合して成立した会社です。

そこから約15年の間に、Enronは天然ガスを「運ぶ会社」から、天然ガスや電力を「売買する会社」、さらに価格変動そのものを扱う金融的な仲介企業へ変化していきました。

そして、この変化こそが後のEnron事件を理解する前提になります。

パイプラインのような物理設備から得られる比較的分かりやすい収益よりも、市場取引、長期契約、価格予測、リスク管理、将来キャッシュフローの評価が重要になるにつれて、Enronの数字は外部から見えにくくなっていったからです。

この記事で分かること

  • Enronはもともと何の会社だったのか
  • 天然ガス市場の規制緩和がEnronにどのような機会を与えたのか
  • Jeffrey Skillingが進めた「Gas Bank」とは何だったのか
  • Enronはなぜパイプライン会社から取引会社へ変化したのか
  • Wholesale Servicesでは実際に何を売買していたのか
  • EnronOnlineは普通の電子取引所と何が違ったのか
  • なぜこの事業モデルが会計と企業評価を複雑にしたのか

CASE FILE 36

Enron崩壊特集(全10回)

第2回では、不正会計そのものではなく、その前提となったEnronの事業構造を扱います。

Enronは天然ガスを運ぶ会社から、天然ガス・電力・価格リスク・長期契約を市場で仲介する会社へ変化しました。この仕組みを理解すると、第3回で扱う時価評価会計、第4回のSPEがなぜ重要になるのかが見えてきます。

  1. Enronはなぜ崩壊したのか|巨大エネルギー企業を破綻させた不正会計の全体像
  2. Enronは何の会社だったのか|ガス会社から「エネルギーを取引する会社」へ変わった仕組み 【現在の記事】
  3. Enronの利益はどう作られたのか|時価評価会計と「将来利益」を先に計上する仕組み
  4. Enronは負債と損失をどう見えにくくしたのか|SPE、LJM、Raptorの仕組み
  5. Enron取締役会はなぜ止められなかったのか|Fastowの利益相反と企業統治の失敗
  6. Arthur AndersenはEnronで何をしていたのか|監査、文書破棄、最高裁判決まで
  7. Enronは2001年にどう崩壊したのか|Skilling辞任から12月2日の破産申請まで
  8. Enronの不正はどう解明されたのか|Powers Report、SEC、FBI、Enron Task Forceの捜査
  9. Enron事件で誰が有罪になったのか|Lay、Skilling、Fastowらの刑事責任を整理する
  10. Enron崩壊は何を変えたのか|SOX法、PCAOB、内部統制と企業監査のその後

先に結論|Enronは「ガスを売る会社」から「市場そのものを仲介する会社」へ変わった

Enronの変化を単純化すると、次のようになります。

段階 中心となる事業 利益の考え方
初期 天然ガス・パイプライン ガスを輸送し、設備から収益を得る
市場化 天然ガス販売・長期契約 生産者と需要家を仲介する
取引化 天然ガス・電力トレーディング 価格差、契約、リスク管理から利益を得る
金融化 デリバティブ・構造化商品・金融サービス 価格変動や将来キャッシュフローそのものを取引する
拡張 電力・石炭・金属・通信帯域など 同じ「市場仲介モデル」を別分野へ展開する

この変化の中心にあった発想は、

「エネルギー会社は、必ずしも大量の設備を所有しなければならないわけではない」

というものでした。

発電所やパイプラインを所有することより、市場参加者を結びつけ、価格を提示し、契約を組み、価格変動リスクを引き受ける能力そのものを収益源にする。

これはEnronの急成長を支えた革新的な部分であると同時に、後に財務内容を理解しにくくする一因にもなりました。

1985年|Enronは二つの天然ガス会社から始まった

Enronの起点は1985年です。

ネブラスカ州オマハを拠点としていたInterNorthと、テキサス州のHouston Natural Gasが統合しました。

どちらも中心事業は天然ガスでした。

当時の天然ガス産業では、ガス田から産出された天然ガスを需要地まで運ぶため、長距離パイプライン網が重要なインフラでした。

会社が持っているものも分かりやすいものでした。

  • 天然ガス・パイプライン
  • 圧縮設備
  • 貯蔵設備
  • 供給契約
  • ガス販売契約

つまり、後年のEnronのように画面上で大量の契約を売買する会社ではなく、巨大な物理インフラを持つ天然ガス会社だったのです。

統合後、Houston Natural Gas側を率いていたKenneth Layが経営の中心となり、会社はやがてEnronという名称を使用するようになります。

天然ガス市場の規制緩和が事業を変えた

Enronの変化を理解するうえで欠かせないのが、1980年代から進んだアメリカ天然ガス市場の規制緩和です。

それ以前の天然ガス産業では、生産者、パイプライン会社、地域のガス会社が比較的固定された長期関係の中で取引していました。

パイプライン会社は単にガスを運ぶだけではなく、自ら天然ガスを購入し、それを地域のガス会社などへ販売する役割も担っていました。

しかし規制緩和が進むと、天然ガスそのものの売買と、パイプラインによる輸送サービスが次第に分離されます。

すると市場には新しい需要が生まれました。

生産者は、

「誰に、いくらで、何年間売るのか」

を考えなければならなくなります。

一方、発電会社や工場などの需要家は、

「どこから買えば安定して必要量を確保できるのか」

を考えなければなりません。

そして両者とも、天然ガス価格が変動するリスクを抱えます。

Enronは、ここに市場を見つけました。

Jeffrey Skillingが考えた「Gas Bank」

Enronの事業転換で重要な人物がJeffrey Skillingです。

SkillingはMcKinseyのコンサルタントとしてEnronに関わった後、1990年にEnronへ移りました。

彼が推進した代表的な仕組みの一つが、一般に「Gas Bank」と呼ばれるビジネスモデルでした。

銀行をイメージすると分かりやすくなります。

銀行は、お金を持つ側と必要とする側の間へ入り、期間や金利などの条件を調整します。

Enronは同じような仲介機能を、天然ガス市場で行おうとしました。

天然ガス生産者 Enron 天然ガス需要家
長期間、一定条件で売りたい 両者の契約を組み合わせる 将来の供給を確保したい
価格下落リスクを減らしたい 価格リスクを管理する 価格上昇リスクを減らしたい
資金調達が必要 金融サービスも提供 予算を安定させたい

Enron Gas Marketingは、生産者から長期的にガスを購入する契約を結び、同時に工場、電力会社、地域ガス会社などへ供給契約を販売しました。

さらに固定価格契約、変動価格契約、価格ヘッジなどを組み合わせます。

Enronは単に天然ガスを右から左へ流すだけではありません。

供給量、期間、場所、価格、価格変動リスクを組み替えること自体が商品になっていきました。

「天然ガス」ではなく「価格リスク」も売る

ここが、普通のガス販売会社との大きな違いです。

たとえば工場が、来年1年間で大量の天然ガスを使用するとします。

将来のガス価格が上昇すれば、その工場のエネルギー費用も増えます。

そこで工場は、

「来年使用する天然ガスを、今の時点で一定価格に固定したい」

と考えます。

反対にガス生産者は、

「価格が下落しても一定額で販売したい」

と考えるかもしれません。

Enronはその間に入りました。

実物の天然ガスだけでなく、固定価格契約、スワップ、オプションなどを利用し、価格変動リスクそのものを引き受けたり、別の市場参加者へ移したりします。

従来型エネルギー会社

  • パイプラインを所有する
  • 発電所を所有する
  • ガスや電力を物理的に供給する
  • 設備利用から収益を得る

Enron型モデル

  • 売り手と買い手を仲介する
  • 価格を提示する
  • 長期契約を組成する
  • 価格変動リスクを管理する
  • 金融商品を組み合わせる

重要な変化

  • 物理設備から契約へ
  • 輸送量から取引量へ
  • 現在の売上から将来価値へ
  • 資産保有から市場仲介へ

こうしてEnronは、天然ガス会社でありながら、金融機関に近い機能も持つようになりました。

天然ガスで成功した仕組みを電力へ広げる

Enronは天然ガス市場で作ったモデルを、電力市場へも展開しました。

天然ガスと電力には違いがあります。

天然ガスはパイプラインや貯蔵施設を使って一定量を貯蔵できますが、電力は需要と供給をほぼリアルタイムで一致させる必要があります。

そのため電力市場では、

  • どの地域で
  • 何時に
  • どれだけの電力を
  • いくらで供給するか

という条件が重要になります。

Enronは発電会社などから電力を購入し、電力会社、自治体、協同組合、他の取引業者などへ販売しました。

同時に、価格変動を管理する金融契約も提供しました。

つまり、天然ガスで行った

「市場参加者の間に入り、供給と需要とリスクを結びつける」

というモデルを、電力にも持ち込んだのです。

Enron Wholesale Servicesという巨大な取引部門

2000年前後、Enronで最も重要な部門となっていたのがWholesale Servicesでした。

SEC資料では、この部門はEnron最大かつ最も急成長した事業セグメントとして説明されています。

中核となったEnron North Americaでは、北米の天然ガスと電力について、

  • トレーディング
  • マーケティング
  • リスク管理
  • 構造化契約
  • 資産開発
  • 金融サービス

などを組み合わせていました。

Enron自身の資料では、Wholesale Servicesを大きく、

  • Marketing and Trading
  • Structured Products and Services
  • Capital Services
  • New Initiatives

といった機能に分けていました。

ここで注目すべきなのは、「電気を売る」「ガスを売る」という商品別の分け方ではありません。

市場取引、契約設計、金融、リスク管理という機能別に事業を考えていたことです。

Enronが売買したのはガスと電力だけではない

Enronは、この事業モデルをさらに別の市場へ拡張しました。

天然ガスや電力以外にも、時期によって、

  • 石炭
  • 原油・石油製品
  • 金属
  • 排出権
  • 天候デリバティブ
  • 通信帯域

などを取引対象としていました。

発想は共通しています。

売り手と買い手がいて、価格が変動し、標準化や契約設計が可能なものであれば、Enronが中間に入り市場を作れるのではないか。

Enronの経営陣は、天然ガス市場で成功した「仲介者」という役割を、他の市場にも移植しようとしました。

この発想そのものは、後に発覚した会計不正とは区別する必要があります。

エネルギー取引やリスク管理自体が不正だったわけではありません。

1999年|EnronOnlineの登場

この取引モデルをさらに拡大したのがEnronOnlineでした。

EnronOnlineは1999年11月に運用を開始しました。

それまでエネルギー取引の多くは、電話やブローカーを通じて行われていました。

EnronOnlineでは、顧客が画面上でEnronの提示する価格を確認し、そのまま取引できるようになります。

ただし、一般的な株式取引所のように、買い手と売り手を中立的に接続するだけのシステムではありませんでした。

多くの取引では、Enron自身が取引相手になります。

一般的な取引所のイメージ EnronOnline
買い手と売り手を接続 Enronが価格を提示
取引所は仲介インフラ Enron自身が売買の当事者になる
市場参加者同士が取引 顧客 ⇔ Enronという形が基本
主に手数料を得る 取引スプレッドや市場仲介から収益機会を得る

Enronには大きな利点がありました。

大量の顧客がEnronを相手に取引すれば、市場でどの商品が、どの地域で、どの価格で求められているのかという情報が集まります。

取引量が増えるほど価格発見能力が高まり、さらに多くの顧客を呼び込める可能性があります。

Enron自身の2000年当時の資料では、EnronOnlineは同年に約54万8000件の取引を処理し、取引のグロス想定価値は3360億ドルに達したと報告されていました。

これは利益が3360億ドルあったという意味ではありません。

あくまで取引契約の総額を示す数字です。

しかし、EnronOnlineがわずか1年ほどで巨大な取引基盤になったことは分かります。

「資産を持たない方が効率的」という発想

Enronの事業思想には、もう一つ重要な特徴があります。

物理的な設備を大量に所有するよりも、市場で必要な能力を契約によって調達する方が効率的な場合がある、という考え方です。

たとえば発電所を自社で所有すれば、

  • 建設費
  • 維持費
  • 人員
  • 設備停止リスク
  • 長期間の投下資本

を抱えることになります。

一方、市場に十分な流動性があれば、必要な電力を契約によって調達し、それを別の顧客へ売ることもできます。

Enron自身も2000年前後の資料で、ある地域では設備を所有する方が有利でも、市場の流動性が高まれば資産を保有する必要がなくなるという考え方を示していました。

これは現在で言えば、資産を大量保有する会社から、情報・取引・ネットワークを中心にするasset-light型へ近づく発想です。

なぜEnronの売上高は急激に大きくなったのか

Enronの数字を見ると、売上高が猛烈な勢いで増加していることに気付きます。

これには事業成長そのものに加え、取引企業特有の会計表示が関係しています。

たとえば100万ドルでエネルギーを購入し、101万ドルで販売したとします。

経済的な差額は1万ドルです。

しかし取引の会計上、101万ドル全体を売上として表示する場合、取引量が増えれば売上高は非常に大きくなります。

したがって、

「売上高が巨大だから、それだけ高い利益を生み出していた」

とは限りません。

取引会社を見るときには、

  • 取引総額
  • 売上高
  • 粗利益
  • 営業利益
  • キャッシュフロー
  • 取引相手への信用リスク

を分けて見る必要があります。

この「巨大な取引量と、実際の利益との違い」も、Enronが外部から理解しにくい会社になっていった背景の一つです。

成功していた事業と、期待だけが先行した事業を分ける

Enronについて、「すべての事業が虚構だった」と考えるのも正確ではありません。

天然ガス・電力のWholesale事業には、実際に大規模な取引ネットワークと顧客基盤が存在しました。

一方で、2000年前後になるとEnronは新しい成長事業を強く市場へ訴えるようになります。

代表的なのが、

  • Enron Energy Services
  • Enron Broadband Services

です。

Enron Energy Servicesは企業・施設向けのエネルギー管理サービスなどを提供し、Broadband Servicesでは通信帯域をエネルギーと同じように取引できる市場を作ろうとしていました。

しかし後のSEC・DOJ資料では、これらの事業について損失や実績が市場へ適切に伝えられず、Enron全体が安定して成長しているように見せるための財務報告操作が行われたことが問題になりました。

つまり、Enronには、

実際に強かったエネルギー取引事業

と、

将来の成長を期待された新規事業

が同時に存在していました。

この二つを一緒にすると、事件構造が見えなくなります。

Enronの強みは、同時に数字を複雑にする要因でもあった

Enronの事業モデルには明確な強みがありました。

  • 多数の市場参加者と取引できる
  • 大量の市場情報を得られる
  • 価格変動リスクを金融商品で処理できる
  • 長期契約を顧客ごとに設計できる
  • 物理設備の所有量に依存せず取引を拡大できる

しかし同じ構造には、評価上の難しさもありました。

  • 契約期間が数年から十数年になる
  • 将来のエネルギー価格を推定する必要がある
  • 市場価格の存在しない契約もある
  • 複雑なデリバティブを使う
  • 現在の現金収入と会計上の利益が一致しない場合がある

工場で製品を作り、100ドルで売り、80ドルの費用がかかったので20ドルの利益――という企業より、はるかに理解が難しくなります。

特に問題になるのが、長期契約です。

今日契約した取引から、今後10年間でどれほど利益を得られるのか。

それを契約締結時点で評価しようとすると、

  • 将来価格
  • 需要
  • 供給量
  • 金利
  • 契約相手の信用
  • その他の市場条件

について、多数の前提を置かなければなりません。

ここから、第3回の中心テーマであるmark-to-market accounting(時価評価会計)につながります。

FACT CHECK|Enronについて混同しやすい4点

よくある理解 整理
Enronは架空取引だけの会社だった 誤り。実際のパイプライン、天然ガス・電力取引、顧客網を持つ巨大企業だった
Enronは最初から金融会社だった 誤り。1985年の出発点は天然ガス・パイプライン企業だった
エネルギー取引そのものが不正だった 誤り。取引・ヘッジ・デリバティブ自体と、後に立件された財務報告上の不正は分ける必要がある
EnronOnlineは普通の取引所だった 単純化。多くの取引でEnron自身が顧客のカウンターパーティーとなる電子取引プラットフォームだった

なぜこの事業モデルがEnron事件につながるのか

パイプライン会社であれば、会社の収益力を見るために、輸送量、料金、設備費、維持費などを確認することができます。

しかし取引会社では事情が変わります。

利益の一部は、まだ何年も先まで続く契約の価値に依存します。

その価値は、市場価格が存在すれば比較的確認しやすいものの、市場の薄い商品や独自契約では社内モデルによる評価が必要になります。

すると、

「将来どれだけ儲かる契約なのか」

という見積もりが、現在の利益へ大きな影響を与えるようになります。

そこで重要になるのが、

  • どの時点で利益を認識するのか
  • 将来価格を何ドルと仮定するのか
  • 長期契約の価値をどう算出するのか
  • 評価が悪化した場合、いつ損失を認識するのか

という会計上の判断です。

Enron事件では、事業モデルそのものが犯罪だったのではありません。

しかし、市場取引を中心とする複雑な事業構造が、経営陣の置く前提や内部評価によって利益が大きく動く環境を作ったことは、後の問題を理解する重要な前提です。

要点まとめ

Enronは1985年、二つの天然ガス・パイプライン会社の統合から始まりました。

天然ガス市場の規制緩和が進むと、Enronは単にパイプラインでガスを運ぶ会社から、生産者と需要家の間へ入る市場仲介企業へ変化します。

Jeffrey Skillingらが進めたGas Bank型のモデルでは、天然ガスそのものだけでなく、長期契約、固定価格、価格変動リスク、金融サービスまで商品化されました。

そのモデルは電力にも拡張され、Enron Wholesale Servicesは巨大な天然ガス・電力取引部門へ成長します。

1999年にはEnronOnlineが登場し、取引を電子化しました。そこではEnron自身が多くの取引で顧客の相手方となり、巨大な取引ネットワークと市場情報を集めていきます。

この事業モデルには実体があり、実際にEnronの急成長を支えました。

しかし同時に、長期契約、デリバティブ、市場価格のない取引、将来価値の評価が増えるほど、

「今、この会社はいくら利益を出しているのか」

を外部から判断することは難しくなりました。

そしてEnronは、その将来利益の一部を契約時点で現在の利益として認識していました。

では、まだ現金を受け取っていない数年先の利益を、どのように「現在の利益」として計算したのでしょうか。

次回は、Enron事件を理解するうえで最も重要な仕組みの一つ、mark-to-market accounting――時価評価会計を扱います。

CASE FILE 36

Enron崩壊特集(全10回)

  1. Enronはなぜ崩壊したのか|巨大エネルギー企業を破綻させた不正会計の全体像
  2. Enronは何の会社だったのか|ガス会社から「エネルギーを取引する会社」へ変わった仕組み 【現在の記事】
  3. Enronの利益はどう作られたのか|時価評価会計と「将来利益」を先に計上する仕組み
  4. Enronは負債と損失をどう見えにくくしたのか|SPE、LJM、Raptorの仕組み
  5. Enron取締役会はなぜ止められなかったのか|Fastowの利益相反と企業統治の失敗
  6. Arthur AndersenはEnronで何をしていたのか|監査、文書破棄、最高裁判決まで
  7. Enronは2001年にどう崩壊したのか|Skilling辞任から12月2日の破産申請まで
  8. Enronの不正はどう解明されたのか|Powers Report、SEC、FBI、Enron Task Forceの捜査
  9. Enron事件で誰が有罪になったのか|Lay、Skilling、Fastowらの刑事責任を整理する
  10. Enron崩壊は何を変えたのか|SOX法、PCAOB、内部統制と企業監査のその後

主な参照資料

  • U.S. Department of Justice:Skilling v. United States — Brief for the United States
  • U.S. Department of Justice / Enron Trial Exhibits:Enron Wholesale Services
  • U.S. Department of Justice / Enron Trial Exhibits:EnronOnline Statistics
  • U.S. Department of Justice / Enron Trial Exhibits:Jeffrey K. Skilling / Enron Gas Services Group
  • U.S. Securities and Exchange Commission:Complaint — Jeffrey K. Skilling and Richard A. Causey
  • U.S. Securities and Exchange Commission:Enron Corporation SEC filings / Form 10-K and Form 10-Q

※本記事では、Enronのエネルギー取引・リスク管理・電子取引そのものを不正行為として扱っていません。1985年の天然ガス会社統合、1990年代のWholesale事業、EnronOnlineなど、実在した事業構造と、後にSEC・DOJが問題とした財務報告上の行為を分離しています。また、Enron自身が当時公表した取引量・EnronOnlineの取引額などは、その資料が示す当時の会社発表値として扱い、利益額や企業価値と同一視していません。

Enronの利益はどう作られたのか|時価評価会計と「将来利益」を先に計上する仕組み

企業不祥事・経済犯罪

10年間続くエネルギー契約を、今日結んだとします。

実際に現金が入ってくるのは、これから何年も先です。

それでも、その契約が将来生み出すと見込まれる利益の一部を、契約を結んだ時点の利益として計上することがあります。

Enron事件で頻繁に登場するmark-to-market accounting(時価評価会計)を理解するには、まずこの「現金が入った時期」と「利益を認識する時期」が一致しないという点を押さえる必要があります。

ただし、最初に重要なことを確認しておきます。

時価評価会計そのものは、Enronが作った違法な会計手法ではありません。

エネルギー・トレーディングやデリバティブの世界では、契約の現在価値を評価し、その変化を損益へ反映する会計処理が使われています。

Enronで問題になったのは、時価評価という考え方そのものではなく、市場価格のない資産や契約をどう評価したのか、その評価をどこまで利益へ反映したのか、価値が下がったときに損失を適切に認識したのかという運用です。

この記事で分かること

  • mark-to-market accountingとは何か
  • 通常の発生主義会計と何が違うのか
  • なぜ契約締結時に利益が発生することがあるのか
  • 実現利益と未実現利益は何が違うのか
  • 市場価格が存在しない契約をどう評価するのか
  • Enronで評価モデルがなぜ重要になったのか
  • SECが問題にした「資産の過大評価」とは何だったのか
  • 時価評価会計と不正会計をなぜ分ける必要があるのか

CASE FILE 36

Enron崩壊特集(全10回)

第3回では、Enronの数字を理解するうえで重要な時価評価会計を扱います。

第2回で見たように、Enronは長期のエネルギー契約、デリバティブ、価格リスクを大量に扱う企業へ変化しました。その契約価値を現在の損益へ反映するために重要になったのがmark-to-marketです。

なお、第4回で扱うSPE、LJM、Raptorによる損失・資産価値への対応とは分けて整理します。

  1. Enronはなぜ崩壊したのか|巨大エネルギー企業を破綻させた不正会計の全体像
  2. Enronは何の会社だったのか|ガス会社から「エネルギーを取引する会社」へ変わった仕組み
  3. Enronの利益はどう作られたのか|時価評価会計と「将来利益」を先に計上する仕組み 【現在の記事】
  4. Enronは負債と損失をどう見えにくくしたのか|SPE、LJM、Raptorの仕組み
  5. Enron取締役会はなぜ止められなかったのか|Fastowの利益相反と企業統治の失敗
  6. Arthur AndersenはEnronで何をしていたのか|監査、文書破棄、最高裁判決まで
  7. Enronは2001年にどう崩壊したのか|Skilling辞任から12月2日の破産申請まで
  8. Enronの不正はどう解明されたのか|Powers Report、SEC、FBI、Enron Task Forceの捜査
  9. Enron事件で誰が有罪になったのか|Lay、Skilling、Fastowらの刑事責任を整理する
  10. Enron崩壊は何を変えたのか|SOX法、PCAOB、内部統制と企業監査のその後

先に結論|「将来の契約価値」を現在の数字へ反映する

mark-to-marketを最も単純化すると、

「いま、その契約を売却・清算するとしたら、いくらの価値があるのか」

を計算し、その価値の変化を現在の損益へ反映する方法です。

たとえば、ある契約の現在価値が100万ドルだったとします。

市場価格が変化し、次の決算期には120万ドルの価値になったと評価されれば、20万ドルの評価益が発生します。

逆に80万ドルへ下がれば、20万ドルの評価損です。

状態 契約の評価額 損益への影響
契約開始時 100万ドル 基準となる価値
価値上昇 120万ドル 20万ドルの未実現評価益
価値低下 80万ドル 20万ドルの未実現評価損

重要なのは、この20万ドルが必ずしも現金として会社の銀行口座へ入ったわけではないことです。

契約を保有し続けている段階では、あくまで「現在の条件で評価した契約価値」です。

普通の売買と何が違うのか

簡単な商品販売と比較すると違いが分かります。

100円の商品を仕入れ、150円で販売したとします。

商品を顧客へ渡して150円を受け取り、費用が100円なら、50円の利益です。

利益と取引完了の時期が比較的近いため、理解しやすい取引です。

一方、Enronが扱ったようなエネルギー契約では、契約期間が何年にもなる場合があります。

たとえば、

  • 10年間
  • 毎年一定量の天然ガスを供給
  • 固定価格で販売
  • 必要なガスは将来市場から調達

という契約を考えます。

この場合、本当の最終利益が確定するのは10年後です。

天然ガス価格が上がるか下がるかも分かりません。

それでもmark-to-marketでは、契約締結時点や各決算時点で、将来の価格や費用を推定し、契約全体の現在価値を計算します。

例|10年間の契約を今日評価する

仕組みを理解するため、単純化した架空例を使います。

企業AがEnronと10年間のエネルギー供給契約を結び、契約全体で1億ドルを支払うとします。

Enronは、この契約を履行するために必要なエネルギー調達費やその他の費用が、現在の市場予測では合計9000万ドルになると見積もったとします。

項目 推定額
10年間で受け取る契約収入 1億ドル
10年間の推定調達・履行費用 9000万ドル
将来利益の単純差額 1000万ドル

実際には金利や契約リスクなどを考慮して現在価値へ割り引く必要がありますが、ここでは説明のため省略します。

mark-to-marketを適用する取引では、この将来利益の現在価値を契約締結時点で評価し、その一部または全部が会計上の利益として認識されることがあります。

つまり、

まだ10年間のサービスを提供しておらず、現金も大部分を受け取っていないのに、会計上の利益が現在発生する

という状態が起こります。

利益は存在する。しかし現金ではない

ここで、

「現金が入っていないなら偽の利益なのではないか」

と思うかもしれません。

そうではありません。

契約そのものに市場価値があり、その契約を第三者へ売却・移転できるのであれば、現在価値を認識することには経済的な意味があります。

金融機関や商品取引会社では、保有する取引ポジションの価値が毎日変化します。

そのため、取得価格だけで帳簿へ残し続けるより、現在の市場価値を反映した方が会社の経済状態を正確に示せる場合があります。

問題は、

「その現在価値をどこまで客観的に測定できるのか」

です。

市場価格がある場合は比較的分かりやすい

たとえば、翌月に受け渡す天然ガスの先物契約で、同じ条件の商品が活発に市場で取引されているとします。

その場合、取引所やブローカーなどから価格を確認できます。

契約価格が100で、市場価格が110なら、契約に価値が生じていることを比較的客観的に確認できます。

問題が大きくなるのは、同じ契約を市場で簡単に比較できない場合です。

市場価格がないと「モデル」が必要になる

Enronが扱う取引は、すべてが短期の標準商品ではありませんでした。

長期契約や複雑な構造化契約では、

  • 同じ期間
  • 同じ供給地点
  • 同じ数量
  • 同じ価格条件
  • 同じ信用条件

を持つ契約が市場に存在しないことがあります。

その場合、会社は評価モデルを使います。

モデルには、たとえば次のような数字を入力します。

  • 将来の天然ガス価格
  • 将来の電力価格
  • 需要予測
  • 供給量
  • 金利
  • 価格変動率
  • 取引相手の信用力
  • 契約が続く期間

ここにEnron事件を理解する重要なポイントがあります。

現在の利益が、将来について置いた仮定によって変化するのです。

「価格を1ドル変える」と利益も変わる

先ほどの10年間契約をもう一度考えます。

将来のエネルギー調達費を9000万ドルと予測すれば、差額は1000万ドルです。

しかし、より楽観的な価格予測を使い、将来費用を8500万ドルと見積もればどうなるでしょうか。

想定 将来収入 推定費用 差額
慎重な想定 1億ドル 9500万ドル 500万ドル
中間想定 1億ドル 9000万ドル 1000万ドル
楽観的想定 1億ドル 8500万ドル 1500万ドル

同じ契約でも、モデルへ入力する数字によって評価額は変わります。

市場価格が存在しない期間が長くなるほど、モデルの影響は大きくなります。

だからこそ、時価評価会計では、

  • 市場データ
  • 評価モデル
  • 前提条件
  • リスク調整
  • 独立した検証

が重要になります。

Enronでは「現在の現金」と「報告利益」が離れていった

Enronが市場から評価されるためには、利益成長を示し続けることが重要でした。

しかしmark-to-marketで認識された利益の中には、まだ現金化されていないものがあります。

長期契約で1000万ドルの利益を現在認識しても、その1000万ドルが銀行口座に同時に入るわけではありません。

現金は契約期間を通じて回収されていきます。

会計上の利益

  • 契約価値の変化を反映できる
  • 未実現利益を含む場合がある
  • 評価モデルで算出される場合がある
  • 現金収入と時期が一致しないことがある

実際のキャッシュ

  • 契約に従って将来受け取る
  • 取引相手が支払う必要がある
  • 市場環境で最終利益が変わることがある
  • 契約終了まで確定しない部分がある

重要な確認点

  • 利益と現金は同じではない
  • 未実現利益=不正ではない
  • 評価根拠の妥当性が重要
  • 価値低下時の損失認識も必要

この「報告利益は増えているが、その全額が現金として入っているわけではない」という構造は、後にEnronのキャッシュフローが注目される背景にもなりました。

Enronは「利益を滑らかに見せる」別の操作も行っていたとSECは主張した

ここで、mark-to-marketとは別の問題も区別する必要があります。

SECのSkilling・Causeyに対する訴状では、Enron Wholesaleが2000年から2001年にかけて大きなエネルギー取引利益を得た際、そのすべてをその期の利益として報告せず、準備金へ蓄えたとされています。

SECは、この準備金を後の四半期で利用することによって、利益の変動を小さく見せ、アナリスト予想に合わせた数字を作る手段として使ったと主張しました。

つまり、

mark-to-marketによって契約価値を評価する問題

と、

発生した利益をいつ報告するかを操作する問題

は別です。

Enron事件では、複数の会計操作が同時に存在するため、それらをすべて「時価評価会計のせい」とすると実態を見失います。

価値を上げれば利益が増える|Marinerの例

SECが後に問題にした事例の一つが、Enronのmerchant investment portfolioに含まれていたMariner Energyです。

Enronはエネルギー取引だけでなく、さまざまな企業・事業へ投資していました。

これらの投資資産の一部でも、市場価格が簡単に確認できない場合には評価が必要になります。

SECがWesley Colwellに対して提出した訴状では、2000年第4四半期、Enronが利益目標を達成するために追加利益を必要としていたとされています。

SECによれば、Enronの経営陣はMarinerの帳簿価額を約1億ドル引き上げるよう指示しました。

その評価増額によって、Enronはmark-to-market利益を計上しました。

SECは、この1億ドルという増額が正当な評価によって導かれたものではなく、Enronの利益目標を満たすために決められたと主張しています。

ここが、単なる時価評価と不正な評価操作の境目です。

通常の評価 問題となる評価
市場価格や合理的モデルから価値を導く 必要な利益額から資産価値を逆算する
評価額が上がることも下がることもある 利益目標達成のため上昇方向へ調整する
前提の根拠を説明できる 経済的根拠より決算目標が先にある
価値低下も損失として認識する 必要な損失認識を回避・先送りする

Enronの問題を「未来の利益を計上したこと」だけで説明できない理由が、ここにあります。

評価益を守るために「ヘッジ」が必要になる

時価評価した資産は、価値が上がれば利益になります。

しかし翌期に価値が下がれば、今度は損失を認識しなければなりません。

たとえば、インターネット関連企業の株式を保有し、株価上昇によって大きな評価益を認識したとします。

株価が次の四半期に暴落すれば、その評価益は消え、損失が発生します。

そのため企業は、価格下落リスクを抑えるためのヘッジ取引を利用します。

ヘッジそのものも通常の金融実務です。

問題になるのは、そのヘッジ相手が本当にEnronとは独立して損失を負担できる存在だったのかという点です。

この問題から登場するのが、次回扱うLJMとRaptorです。

AVICI|契約日を変えると評価益も変わる

SECがFastowに対して提出した訴状には、AVICI Systemsの株式をめぐる事例も記載されています。

EnronはAVICI株の価格下落リスクをRaptorと呼ばれる仕組みでヘッジしようとしていました。

SECの訴状によれば、このヘッジについて基準日が過去へ遡って設定されました。

選ばれたのは、AVICI株が最高値を付けていた2000年8月3日でした。

SECは、このバックデートによってEnronが本来認識できなかった約7500万ドルの追加mark-to-market利益を計上したと主張しています。

ここでも、問題は「時価評価を使ったこと」ではありません。

評価の基準となる取引条件そのものを操作すれば、結果として出てくる利益も変わります。

値下がりしたら損失を認識すればよい――はずだった

mark-to-marketには、本来対称性があります。

価格上昇なら評価益。

価格下落なら評価損です。

したがって、時価評価会計が常に利益を増やす制度というわけではありません。

むしろ市場価格が急落すれば、大きな損失が一度に表面化する可能性があります。

だから、評価額を定期的に見直し、前提が変化した場合には数字を修正しなければなりません。

Enron事件では、この下方向への再評価をどう扱ったのかが重要な問題になります。

資産価値が下がる。

本来なら損失を認識する。

しかしその損失が発生すると、会社全体の利益目標を達成できなくなる。

そこで、評価を維持する、別部門へ損失を移す、ヘッジを組む、資産を外部へ売却した形にする――複数の手法が利用されていきました。

これらは一つの会計処理ではなく、Enron事件全体にまたがる問題です。

Blockbuster案件は「mark-to-marketだけ」の事件ではない

Enron Broadband Servicesでは、Blockbusterとのビデオ・オン・デマンド事業も大きな問題になりました。

Enronは高速通信網を利用して、家庭へ映画などを配信するサービスを計画していました。

しかし事業はまだ初期段階でした。

SECによると、Project Braveheartと呼ばれた取引では、Blockbusterとの長期契約から将来得られると想定された収入を基礎に事業価値を計算し、その一部を第三者へ売却した形にしました。

これによってEnron Broadband Servicesは、

  • 2000年第4四半期:約5300万ドル
  • 2001年第1四半期:約5800万ドル

合計約1億1100万ドルの利益を認識しました。

SECは後に、この取引には経済的実体がなく、利益計上を目的として作られた取引だったと主張しました。

ただし、これを単純に、

「mark-to-marketを使ったから1億1100万ドルの不正利益が出た」

と説明するのは適切ではありません。

問題は、将来収益を基にした価値評価だけでなく、第三者への売却に実質的なリスク移転があったのか、取引自体に経済的実体があったのかという点にもありました。

「未実現利益」はどのくらい危険なのか

未実現利益が存在すること自体は、異常ではありません。

しかし、会社の利益の多くが未実現評価益で構成されるようになると、読者や投資家が確認すべき項目が増えます。

確認項目 なぜ重要か
市場価格が存在するか 外部から評価額を検証できるか
契約期間 遠い将来ほど予測誤差が大きくなる
評価モデル 入力値によって評価額が変わる
実現キャッシュ 評価利益が実際に現金へ変わっているか
評価損 価値下落を適切に反映しているか
ヘッジ相手 本当に損失を肩代わりできる第三者か

Enronでは、この最後の「ヘッジ相手」が特に重要になります。

FACT CHECK|時価評価会計について誤解しやすいこと

FACT

  • 時価評価会計はEnron独自の制度ではない
  • エネルギー取引契約でGAAP上求められる場合があった
  • 未実現利益・損失が損益へ反映されることがある
  • 市場価格がない場合、評価モデルが必要になる

単純化できない

  • 未実現利益=架空利益ではない
  • 利益とキャッシュフローは同じではない
  • Enron崩壊をMTMだけでは説明できない
  • 2001年の決算修正すべてがMTM問題だったわけではない

Enronでの核心

  • 評価前提は妥当だったか
  • 資産を過大評価していなかったか
  • 損失認識を回避していなかったか
  • 利益目標から評価額を逆算していなかったか

SECは2001年時点で「MTMが決算修正理由」とはしていなかった

ここはEnron事件を説明するときに重要な点です。

Enron破綻直後の2001年12月、SECのChief AccountantであったRobert K. Herdmanは議会証言でmark-to-marketについて説明しました。

その際、Herdmanは、Enronが決算修正を予定していたものの、mark-to-market accountingの問題を理由として財務諸表を修正するとEnronが表明していたわけではないことを明確にしています。

当時問題となっていた決算修正の中心には、SPEを連結対象とすべきだったかどうかなど、別の会計問題がありました。

したがって、

「Enronは時価評価会計を使っていた」

という事実と、

「Enronの財務諸表が不正だった」

という事実の間に、そのままイコールを置くべきではありません。

では、なぜmark-to-marketがEnron事件で重要なのか

それでもmark-to-marketがEnron事件で重要なのには理由があります。

Enronの事業モデルでは、企業価値や利益を説明するうえで、

「将来、この契約・資産はいくらの利益を生むか」

という評価が非常に重要になっていました。

将来の価値を現在へ持ってくるほど、会社の数字は、

  • 現在の現金
  • 現在の販売数量

だけではなく、

  • モデル
  • 予測
  • 経営判断
  • 将来価格
  • 第三者評価

に左右されます。

その数字を検証する内部統制、監査、取締役会が十分に機能していれば、仕組みは管理できます。

しかし利益目標が先に存在し、そこへ数字を合わせるようになれば、モデルは企業価値を測る道具ではなく、利益を作る道具へ変わります。

そして次の問題が生まれる|評価益をどう守るのか

時価評価によって大きな利益を認識した後、資産価格が下落すると、その利益は逆回転します。

100の資産を150と評価して50の利益を認識した。

しかし翌年、価値が80へ落ちれば、大きな損失を認識しなければなりません。

そこでEnronは、保有資産の価格下落から財務諸表を守るために「ヘッジ」を利用しました。

ヘッジ自体は通常のリスク管理です。

問題は、Enronの場合、そのヘッジ相手として登場する組織の一部が、Enron自身の株価や信用力へ強く依存していたことです。

価格が下がったときに損失を引き受けるはずの相手も、Enronが弱くなると同時に弱くなる。

それでは、本当の意味でリスクを外部へ移したことにはなりません。

この仕組みの中心にいたのがCFO Andrew Fastowです。

そして、

  • LJM
  • Raptor
  • SPE

と呼ばれる組織が登場します。

次回は、Enron事件の中でも特に複雑なこの部分を、できるだけ単純な図式に分解します。

要点まとめ

mark-to-market accountingとは、契約や金融商品の現在の公正価値を評価し、その価値の変化を現在の損益へ反映する会計方法です。

したがって、契約が終了して現金をすべて受け取る前でも、未実現利益が会計上の利益になることがあります。

これはEnron独自の違法な会計制度ではありません。

市場価格が存在する金融・商品取引では、現在価値を反映する合理性があります。

しかし長期契約や市場価格の存在しない資産では、将来価格、需要、金利などをモデルで推定する必要があります。

そのため、評価前提を変えれば報告利益も変わります。

SECはEnronについて、利益目標を達成するためmerchant investment portfolioの資産価値を過大評価した事例や、準備金によって利益を操作した事例などを問題にしました。

つまりEnron事件の核心は、

「将来価値を現在の利益へ反映したこと」ではなく、「その将来価値をどのような根拠で決め、その後の価値低下をどう処理したか」

にあります。

そして資産価値が下落したとき、その損失を財務諸表から遠ざけるために重要な役割を果たしたのが、SPE、LJM、Raptorでした。

次回は、その仕組みを扱います。

CASE FILE 36

Enron崩壊特集(全10回)

  1. Enronはなぜ崩壊したのか|巨大エネルギー企業を破綻させた不正会計の全体像
  2. Enronは何の会社だったのか|ガス会社から「エネルギーを取引する会社」へ変わった仕組み
  3. Enronの利益はどう作られたのか|時価評価会計と「将来利益」を先に計上する仕組み 【現在の記事】
  4. Enronは負債と損失をどう見えにくくしたのか|SPE、LJM、Raptorの仕組み
  5. Enron取締役会はなぜ止められなかったのか|Fastowの利益相反と企業統治の失敗
  6. Arthur AndersenはEnronで何をしていたのか|監査、文書破棄、最高裁判決まで
  7. Enronは2001年にどう崩壊したのか|Skilling辞任から12月2日の破産申請まで
  8. Enronの不正はどう解明されたのか|Powers Report、SEC、FBI、Enron Task Forceの捜査
  9. Enron事件で誰が有罪になったのか|Lay、Skilling、Fastowらの刑事責任を整理する
  10. Enron崩壊は何を変えたのか|SOX法、PCAOB、内部統制と企業監査のその後

主な参照資料

※本記事ではmark-to-market accountingそのものを不正会計とは扱っていません。SECは2001年12月の議会証言で、エネルギー・トレーディング契約についてGAAP上mark-to-marketが必要となる場合があることを説明すると同時に、Enronが当時予定していた決算修正がmark-to-market問題を理由とするものだとEnron自身が表明していたわけではないとしています。また、Skilling、Causey、Fastow、Colwellらに関するSEC訴状の記述は「SECが訴状で主張した内容」として扱い、訴状だけを刑事裁判で確定した事実とはしていません。本文中の10年間契約の金額例は会計原理を説明するための架空例であり、実際のEnron取引ではありません。

Enronは負債と損失をどう見えにくくしたのか|SPE、LJM、Raptorの仕組み

企業不祥事・経済犯罪

Enron事件を追うと、途中からアルファベットと組織名が急激に増えていきます。

SPE、JEDI、Chewco、LJM1、LJM2、Raptor、Talon。

これらをすべて「借金を隠すために作ったペーパーカンパニー」と理解すると、事件の仕組みを正確には捉えられません。

SPE――Special Purpose Entity、特別目的事業体――そのものは、企業金融で広く使われる仕組みです。

問題は、Enronから本当に独立した第三者だったのか、第三者の資本が本当に損失リスクを負っていたのか、そしてEnronが自社の損失を自社から切り離したと会計上扱ってよかったのかという点にありました。

特に重大だったのが、Enronの最高財務責任者CFOであるAndrew Fastow自身が、Enronと取引するLJMという組織の運営者でもあったことです。

さらにLJMを利用して作られたRaptorでは、Enronが保有する投資資産の値下がりを「外部へヘッジした」形にしながら、そのヘッジ能力自体がEnronの株価に大きく依存していました。

つまりEnronは、自分自身が弱くなったときに同時に弱くなる相手へ、自分の損失を移した形を作っていたことになります。

この記事で分かること

  • SPEとは何のために使われる仕組みなのか
  • 「オフバランス」とは何を意味するのか
  • ChewcoとJEDIでは何が問題になったのか
  • Andrew FastowはなぜLJMを作ったのか
  • EnronのCFOが取引相手側にいることの何が問題なのか
  • RaptorはどのようにEnronの評価損をヘッジしたのか
  • なぜRaptorのヘッジは実質的にEnron自身へ依存していたのか
  • 2001年の12億ドル株主資本減額とどうつながったのか

CASE FILE 36

Enron崩壊特集(全10回)

第4回では、Enron事件でもっとも複雑なSPE、LJM、Raptorを扱います。

第3回では、Enronが保有する契約や投資資産の価値変動が利益・損失へ反映される仕組みを確認しました。今回は、その資産が値下がりしたとき、Enronがどのような取引によって損失を財務諸表から遠ざけようとしたのかを見ていきます。

なお、Fastowの利益相反を取締役会がなぜ認めたのかについては、第5回で米上院調査を中心に検証します。

  1. Enronはなぜ崩壊したのか|巨大エネルギー企業を破綻させた不正会計の全体像
  2. Enronは何の会社だったのか|ガス会社から「エネルギーを取引する会社」へ変わった仕組み
  3. Enronの利益はどう作られたのか|時価評価会計と「将来利益」を先に計上する仕組み
  4. Enronは負債と損失をどう見えにくくしたのか|SPE、LJM、Raptorの仕組み 【現在の記事】
  5. Enron取締役会はなぜ止められなかったのか|Fastowの利益相反と企業統治の失敗
  6. Arthur AndersenはEnronで何をしていたのか|監査、文書破棄、最高裁判決まで
  7. Enronは2001年にどう崩壊したのか|Skilling辞任から12月2日の破産申請まで
  8. Enronの不正はどう解明されたのか|Powers Report、SEC、FBI、Enron Task Forceの捜査
  9. Enron事件で誰が有罪になったのか|Lay、Skilling、Fastowらの刑事責任を整理する
  10. Enron崩壊は何を変えたのか|SOX法、PCAOB、内部統制と企業監査のその後

先に結論|「会社の外へ出した」ように見えても、リスクまで外へ出たとは限らない

SPEを使った会計で最も重要なのは、会社とSPEの境界線です。

たとえばEnronが100億円相当の資産をSPEへ移したとします。

帳簿上は、

Enron → 独立したSPE

へ資産を売却したように見えます。

しかし実際には、

  • SPEの資金をEnron自身が供給している
  • SPEが損をしたらEnronが補填する
  • 第三者の出資金が実質的に保証されている
  • SPEの取引条件をEnron側が決めている

のであれば、そのSPEは本当にEnronから独立しているのでしょうか。

Enron事件では、この境界線が繰り返し問題になりました。

SPE自体

  • 企業金融で通常利用される
  • 特定資産・事業を分離できる
  • 資金調達にも使われる
  • それ自体は違法ではない

会計上の重要点

  • 誰が支配しているか
  • 第三者資本が本当に存在するか
  • その資本が実際にリスクを負うか
  • 親会社から独立しているか

Enronで問題化

  • Fastowの利益相反
  • 秘密のサイドディール
  • 実質的な損失保証
  • Enron株への過度な依存

そもそもSPEとは何か

SPEはSpecial Purpose Entity、特別目的事業体の略です。

名前のとおり、特定の目的のために作られる法人・パートナーシップなどです。

たとえば航空会社が多数の航空機を購入するとします。

航空会社本体が直接航空機を購入するのではなく、航空機を保有するための別会社を作り、その会社が資金を借りて機体を購入する方法があります。

そのSPEが航空会社へ機体をリースする。

こうした構造自体は珍しいものではありません。

SPEを使えば、

  • 特定のプロジェクトだけを切り離す
  • 資産を証券化する
  • 投資家とリスクを分担する
  • 共同事業を行う
  • 特定資産を担保に資金調達する

ことができます。

「オフバランス」は「秘密の借金」という意味ではない

Enron事件では「off-balance-sheet」という言葉も頻繁に使われます。

直訳すれば「貸借対照表の外」です。

しかし、

オフバランス=違法に隠した借金

という意味ではありません。

会計基準上、ある事業体が親会社とは独立していると判断されれば、その事業体の資産・負債を親会社の連結貸借対照表へすべて取り込まない場合があります。

反対に、形式上は別会社でも、実態として親会社が支配し、リスクも負っているなら、親会社とまとめて連結する必要が生じます。

Enronで問題になったのは、

「外部の独立企業として扱ってよい条件を、本当に満たしていたのか」

でした。

当時重要だった「第三者資本がリスクを負う」という条件

当時のSPE会計では、独立した第三者から一定以上の資本が投入され、その資本が実際に損失リスクへさらされているかが重要な判断要素でした。

Enron関連資料では、当時使われていた目安として、SPE資産の少なくとも約3%に相当する独立した外部資本という条件が繰り返し登場します。

しかし、単に3%分のお金を一度振り込めばよいわけではありません。

重要なのは、そのお金が本当にat risk――損をする可能性のある資本であることです。

たとえば第三者が300万ドル出資した直後、親会社が、

「絶対に300万ドルは返します。さらに利益も保証します」

と秘密裏に約束していたらどうでしょうか。

形式上は第三者資本でも、経済的にはほとんどリスクを負っていません。

Raptorで問題になったのが、まさにこの部分でした。

EnronではSPEが以前から使われていた

FastowがLJMを作る以前から、Enronは多数のSPEや共同事業体を利用していました。

その中で重要な事例の一つが、JEDIとChewcoです。

JEDI

JEDIはJoint Energy Development Investmentsの略で、EnronとCalifornia Public Employees’ Retirement System――CalPERS――が共同で設立した投資事業体でした。

当初はEnronだけの会社ではなく、外部のCalPERSが参加する共同事業でした。

ところが1997年、Enronは別の投資案件を進めるため、CalPERSにJEDIから撤退してもらう必要が生じます。

CalPERSが抜ければ、JEDIをEnronから独立した事業体として扱い続けることが難しくなります。

そこで登場したのがChewcoでした。

Chewco

Chewcoは、CalPERSが保有していたJEDIの持分を取得するために作られたSPEです。

Chewcoが十分な独立第三者資本を持つのであれば、JEDIをEnronの連結対象外に維持できる可能性がありました。

しかしSECは後に、Chewcoの資金構造が必要な独立性を満たしておらず、JEDIとChewcoはEnronへ連結されるべきだったと主張しました。

2001年11月、Enron自身もChewcoとJEDIなどを過年度へ遡って連結する必要があると判断します。

その結果、過去の利益が減り、報告負債が増えることになりました。

Enronが後に示した純利益減少 負債増加
1997年 4500万ドル 7億1100万ドル
1998年 1億700万ドル 5億6100万ドル
1999年 1億5300万ドル 6億8500万ドル
2000年 9100万ドル 6億2800万ドル

ここで重要なのは、SPEを使ったから負債が消えたわけではないことです。

「別会社の負債として扱ってよい」という会計上の前提が崩れたため、Enron本体へ戻ってきたのです。

1999年|FastowがLJM1を設立する

1999年になると、Enron事件の中心にLJMが登場します。

LJM Cayman, L.P.――LJM1――は、当時EnronのCFOだったAndrew Fastowが設立・運営したパートナーシップです。

LJMという名称は、Fastowの妻と二人の息子の名前の頭文字から取られました。

通常なら、会社のCFOが自社と取引する投資組織の運営者になることには明白な利益相反があります。

Fastowには、

Enronのためにできるだけ有利な条件で取引する義務

があります。

しかしLJM側では、

LJMの投資家のためにできるだけ有利な条件でEnronと取引する

ことになります。

同じ人物が取引の両側に立つ構造です。

Enron側のFastow LJM側のFastow
Enron資産を高く売りたい できるだけ安く買いたい
Enronの損失を減らしたい LJMに損をさせたくない
Enron株主の利益を守る LJM投資家の利益を守る

Enronの取締役会は、この利益相反についてFastowへ会社の倫理規定から限定的な例外を認めました。

その後、より大規模なLJM2も設立されます。

この取締役会判断が適切だったのかについては、第5回で詳しく扱います。

LJMは何をする組織だったのか

LJMは、Enronとの取引相手になることが大きな役割でした。

Enronには、

  • 投資資産を売却したい
  • 新しい投資へ資金を移したい
  • 四半期末までに資産を処分したい
  • 価格下落リスクをヘッジしたい

という需要がありました。

通常であれば、独立した外部企業を探し、価格や条件を交渉します。

LJMは、その取引相手としてすぐ利用できる存在でした。

しかし、LJMの運営者がEnronのCFOである以上、

本当に独立した第三者との市場取引だったのか

という疑問が常につきまといます。

問題は「関連当事者取引」そのものだけではなかった

企業が経営者の関係会社と取引すること自体が、直ちに犯罪になるわけではありません。

重要なのは、

  • 利益相反が開示されているか
  • 独立した取締役が監督しているか
  • 市場価格に近い公正な条件か
  • 相手側が本当にリスクを負っているか
  • 会計上の独立性要件を満たしているか

です。

SECは後に、LJMとの複数の取引について、秘密のサイドディールによってLJM側の損失が保証されるなど、通常の独立第三者取引とは異なる条件が存在したと主張しました。

そして、この問題が最も明確に現れたのがRaptorでした。

Raptorとは何だったのか

2000年春から、EnronとLJM2はRaptor I、Raptor II、Raptor III、Raptor IVという四つのSPE構造を作りました。

目的の一つは、Enronが保有していた投資資産の価格下落をヘッジすることでした。

第3回で見たように、Enronはテクノロジー企業などへの投資で大きな未実現利益を計上していました。

株価が上昇している間は利益になります。

しかし株価が下がれば、今度はmark-to-marketで損失を認識しなければなりません。

そこで、

「この資産が値下がりしたら、その分をRaptorがEnronへ支払う」

というヘッジを作りました。

正常なヘッジならどうなるのか

まず普通のヘッジを考えます。

Enronが100ドルの株式を保有しているとします。

別の独立した金融機関Bと契約し、株価が80ドルに下がった場合にはBがEnronへ20ドル支払うとします。

出来事 Enronの投資 金融機関Bとのヘッジ 概算効果
株価100→80 -20 +20 相殺

BがEnronから完全に独立し、十分な資金を持っていれば、このヘッジには意味があります。

Enronが損をしてもBには支払能力があるからです。

Raptorでは「ヘッジ相手」もEnronに依存していた

Raptorの問題は、ここにありました。

Raptor Iの中心となったSPEはTalon LLCです。

TalonにはLJM2から3000万ドルが出資されました。

これだけを見ると、外部投資家であるLJM2が資本を提供し、Enronとは別のリスクを負っているように見えます。

しかしTalonの資本の大部分は、Enronから提供された約束手形やEnron株に依存していました。

つまりRaptorの支払能力は、Enron自身の価値と切り離されていませんでした。

構造を極端に単純化すると、

Enronの投資資産が値下がりする → Raptorが補填する

はずなのに、

Raptorの補填能力 → Enron株の価値に依存する

という状態です。

「自分自身で自分を保険する」に近い構造

たとえば自宅の火災に備えて保険をかけたとします。

しかし保険会社が持っている資産のほとんどが、その自宅そのものだったらどうでしょうか。

家が燃えて価値を失った瞬間、保険会社の資産も失われます。

その保険会社に保険金を支払う能力はありません。

Raptorにも似た脆弱性がありました。

Enron株が高値を維持している間は、Raptorには十分な価値があるように見えました。

しかしEnron株が下落すると、Raptor自身の資本も弱くなります。

一方で、RaptorがヘッジしているEnronの投資資産も値下がりしていました。

つまり悪い方向へ動くと、両方が同時に悪化します。

さらに重要だった「3000万ドルは本当にリスクを負っていたのか」

Raptor Iでは、LJM2が3000万ドルを外部資本として出資していました。

しかしSECは、その3000万ドルが実際にはリスクへさらされていなかったと主張しました。

SEC訴状によれば、FastowとEnron側のCauseyとの間には、LJM2がRaptorのヘッジを始める前に、

  • 3000万ドルの元本
  • 1100万ドルの利益

を受け取るというサイドディールがありました。

合計4100万ドルです。

この支払いを実現するため、EnronとRaptorの間でEnron株に関するput取引が組まれ、その資金がLJM2へ渡ったとSECは主張しています。

つまり、独立した外部投資家としてリスクを負うはずだったLJM2は、実際のヘッジを始める前に元本と利益を回収していたことになります。

表面上 SECが問題にした実態
LJM2が3000万ドルを出資 元本+利益を事前に回収するサイドディール
外部資本がリスクを負う 実際には損失リスクが十分残っていなかった
独立SPE Enronから独立していないとSECが主張
Enron外部とのヘッジ 実質的にはEnron自身の価値に依存

この条件なら、RaptorはEnronとは独立したSPEとして扱えず、Enronの財務諸表へ連結されるべきだったというのがSECの主張でした。

なぜ連結するとヘッジ効果が消えるのか

ここがRaptorを理解する最大のポイントです。

EnronとRaptorが本当に別会社なら、

Enron側の損失

Raptor側の支払い

を別々の経済主体として扱えます。

しかしRaptorが実質的にEnron自身の一部ならどうでしょうか。

Enronグループ内部で、

「右ポケットの損失を左ポケットが補償する」

だけになります。

会社全体で見れば損失は消えていません。

だからこそ、Raptorが独立した第三者であるという前提が極めて重要でした。

Raptor Iだけではなかった

Raptor構造は一つではありません。

2000年には、Raptor IからIVまで四つの構造が作られました。

SEC資料によれば、Raptor I、II、IVは主にEnron株を基礎とし、Raptor IIIはEnronから分離された企業のワラントなどを利用して資本化されました。

LJM2は各Raptorへ3000万ドルを投入しました。

一方でSECは、複数のRaptorについて、LJM2の資本相当額がヘッジ開始前に実質的にLJM2へ戻される仕組みが存在したとしています。

そのため、形式上は外部資本があるように見えても、実態として十分な外部リスク資本が存在していなかったという問題が生じました。

RaptorはEnronに何をもたらしたのか

Raptorとのデリバティブ取引によって、Enronは保有投資資産の価値低下を相殺する利益を認識できました。

米上院調査資料では、Enronは2000年中、Raptorとのエクイティ・デリバティブから約5億ドルの収益を認識し、保有証券の価値低下を相殺していたとされています。

数字だけを見れば、

投資資産が値下がりしてもヘッジ益が発生するため、Enronの損益は安定します。

しかし、そのヘッジ相手がEnron自身の株価へ依存しているなら、Enron株下落時には構造が急速に弱くなります。

2000年後半から構造が苦しくなる

2000年から2001年にかけて、Enronが投資していたテクノロジー関連資産の価値は下落していきました。

その結果、RaptorはEnronへ多額を支払う義務を負うようになります。

ところが同時にEnron株価も下落し始めました。

RaptorはEnron株へ大きく依存しているため、

支払わなければならない金額は増えるのに、支払いに使える資産の価値は減る

という状態になります。

市場の変化 Enron Raptor
投資先株価が下落 評価損が発生 Enronへの支払義務増加
Enron株も下落 信用力低下 支払い原資の価値低下
両方同時に下落 大きな損失リスク ヘッジ能力そのものが低下

本来、悪い時に助けてもらうためのヘッジが、悪い時ほど役に立たなくなる。

Raptorの構造的な弱点が表面化していきました。

2001年|Raptorを「増強」しても問題は消えなかった

Enronは2001年第1四半期、Raptorの資本不足へ対応するため、追加のEnron株などを投入して構造を補強しました。

しかしこれは、本質的なリスクを外部へ移すものではありません。

Enron株への依存をさらに強める側面がありました。

最終的にEnronはRaptorを解消することになります。

その過程で、それまで見えにくくなっていた損失と会計上の問題が表面へ出てきました。

2001年10月|5億4400万ドルと12億ドル

2001年10月16日、Enronは第3四半期決算を発表しました。

その中で、資産減損やリストラクチャリングなどに関連する約10億1000万ドルの費用を計上します。

SEC資料では、このうち5億4400万ドルがRaptorの早期解消に関連していたとされています。

さらにEnronは、その後、株主資本を約12億ドル減額する必要があることを明らかにしました。

ここで二つの数字を混同してはいけません。

数字 意味
5億4400万ドル Raptor解消に関連して第3四半期に認識された損失の一部
約12億ドル Raptor関連取引の会計処理誤りなどにより必要になった株主資本の減額

SECは後の訴訟で、この12億ドルの株主資本減額はRaptorを解消したから発生したものではなく、以前の会計処理に重大な誤りがあったため必要になったものだと主張しました。

この巨額減額はウォール街に強い衝撃を与えます。

なぜなら、単なる一時的な事業損失ではなく、過去の財務報告の信頼性そのものに疑問が向くからです。

11月8日|過去の決算を修正

2001年11月8日、Enronは1997年から2000年、さらに2001年第1・第2四半期について財務諸表を修正すると発表しました。

SECの議会証言によれば、Enronは過去4年半の報告純利益を合計5億6900万ドル減額するとしました。

これは該当期間の報告純利益の約16%に相当します。

修正理由には、Chewco、JEDIなど、それまで非連結とされていた複数の事業体をEnronへ連結する必要があると判断されたことが含まれていました。

つまり、

「Enronとは別の会社だから、その負債・損失はEnron本体に入れなくてよい」

という前提の一部が崩れたのです。

なぜSPEを使うと企業が実際より良く見えることがあるのか

架空例で考えます。

企業Aが100億円の資産を持っているものの、その資産価値が70億円へ下落しているとします。

普通なら30億円の損失を認識する必要があります。

そこで独立した企業Bとヘッジを行い、資産が30億円値下がりしたら企業Bが30億円支払う契約を結んだとします。

Bが本当に独立し、十分な資金を持っていれば問題ありません。

しかし企業Bの資金の大部分を企業A自身が提供していたらどうでしょうか。

さらにBへ出資した第三者にも、Aが元本保証していたらどうでしょうか。

見かけ上は、

「損失を外部企業が負担している」

ようでも、経済的には企業Aの中で損失を移動させているだけです。

Raptor問題は、この構造を巨大かつ複雑にしたものとして理解すると分かりやすくなります。

Enronは「借金だけ」を隠していたわけではない

Enron事件を「SPEで借金を隠した」とだけ説明することも不十分です。

SPE関連の問題には、複数の種類があります。

問題
負債をEnron外として扱う Chewco / JEDI
資産を外部へ売却した形にする LJM関連取引
投資資産の評価損を相殺する Raptor
関連当事者との取引 Fastow / LJM
第三者資本の独立性 Raptor / Talon
サイドディール LJMの元本・利益保証など

つまりSPEは、Enron事件で一つの用途にだけ使われたわけではありません。

そのため、

「SPE=簿外債務」

とだけ覚えると、Raptorのような評価損ヘッジの問題を理解できなくなります。

FACT CHECK|SPE・LJM・Raptorの誤解しやすい点

FACT

  • SPEそのものは違法ではない
  • LJMはFastowが運営した
  • Enron取締役会はFastowの関与を認めた
  • Raptorは四つの主要構造から成っていた
  • 投資資産の値下がりをヘッジする目的があった

単純化できない

  • オフバランス=違法ではない
  • 関連会社取引=直ちに犯罪ではない
  • Raptorは単純な「借金隠し」ではない
  • 12億ドル減額と5億4400万ドル損失は別項目

核心

  • 独立性は本当にあったか
  • 第三者資本は本当にリスクを負ったか
  • Enron内部のリスクを外部へ移せていたか
  • Fastowの利益相反を誰が監督したか

SEC訴状と確定事実を分けて読む

ここで法的な注意点も必要です。

RaptorやLJMについて本記事で使っている詳細の多くは、SECがFastow、Skilling、Causeyらに対して提出した訴状や、その後の政府資料に基づいています。

訴状に書かれている内容は、提出された時点では政府側の主張です。

そのため、

「SECによれば」

「SECは~と主張した」

と、司法手続で確定した事項を区別する必要があります。

一方、Fastow自身は後に共謀罪について有罪を認め、Enron捜査へ協力しました。

またEnron自身も2001年11月、複数の非連結事業体について会計処理を修正し、過去の財務諸表を修正する必要があると発表しています。

したがって、SPE会計に重大な問題が存在したこと自体は、単なる後世の推測ではありません。

本当に重大だったのは「仕組みを知る人が社内にいた」こと

Raptorは、外部の犯罪者がEnronを騙して作った仕組みではありません。

Enron内部の財務、会計、法務、経営陣、取締役会、外部監査が関係する中で成立した取引でした。

だからこそ、事件の疑問は、

「Fastowは何をしたのか」

だけでは終わりません。

次に問わなければならないのは、

  • FastowがEnronとLJMの両方に関与することを誰が認めたのか
  • 利益相反を監視する仕組みは存在したのか
  • 取締役会にはどこまで情報が届いていたのか
  • 取締役はどのような質問をしたのか
  • 危険な取引を停止する機会はなかったのか

という企業統治の問題です。

SPEが複雑だったから誰にも理解できなかった、というだけではありません。

米上院の調査は後に、Enron取締役会が高リスク会計、関連当事者取引、Fastowの利益相反などについてどこまで把握し、それでもなぜ十分な対応を取らなかったのかを厳しく検証しました。

要点まとめ

SPEは、特定の資産・事業・資金調達を会社本体から分離するために使われる通常の企業金融手法です。

それ自体は違法でも、不正会計でもありません。

重要なのは、SPEが親会社から本当に独立し、外部資本が実際の損失リスクを負っているかです。

Enronでは、ChewcoやJEDIについて、後に本来Enronへ連結すべきだったことが判明し、過年度決算が修正されました。

1999年にはCFO Andrew FastowがLJMを設立します。

FastowはEnronの財務責任者でありながら、Enronと取引するLJMの運営者でもありました。

2000年には、LJM2を利用してRaptor I~IVが作られ、Enronの投資資産の値下がりをヘッジする仕組みとして利用されました。

しかしSECは、Raptor Iの外部資本を提供したLJM2が秘密のサイドディールによって元本と利益を事前に回収し、実際には十分なリスクを負っていなかったと主張しました。

さらにRaptorの資本自体がEnron株へ大きく依存していたため、Enron株が下落するとヘッジ能力も低下しました。

つまり、

Enronの価値が下がったときにEnronを守るはずの仕組みが、Enronの価値そのものに依存していたのです。

2001年になるとこの構造は維持できなくなり、Raptorの解消、5億4400万ドル規模の関連損失、約12億ドルの株主資本減額へつながりました。

そして11月には、複数の非連結事業体をEnronへ戻す過年度決算修正が必要になります。

ここまで来ると、次の疑問が残ります。

これほど重大な利益相反と複雑な取引を、Enronの取締役会はなぜ止めなかったのでしょうか。

次回は、Fastow個人ではなく、Enronを監督するはずだった取締役会の責任を追います。

CASE FILE 36

Enron崩壊特集(全10回)

  1. Enronはなぜ崩壊したのか|巨大エネルギー企業を破綻させた不正会計の全体像
  2. Enronは何の会社だったのか|ガス会社から「エネルギーを取引する会社」へ変わった仕組み
  3. Enronの利益はどう作られたのか|時価評価会計と「将来利益」を先に計上する仕組み
  4. Enronは負債と損失をどう見えにくくしたのか|SPE、LJM、Raptorの仕組み 【現在の記事】
  5. Enron取締役会はなぜ止められなかったのか|Fastowの利益相反と企業統治の失敗
  6. Arthur AndersenはEnronで何をしていたのか|監査、文書破棄、最高裁判決まで
  7. Enronは2001年にどう崩壊したのか|Skilling辞任から12月2日の破産申請まで
  8. Enronの不正はどう解明されたのか|Powers Report、SEC、FBI、Enron Task Forceの捜査
  9. Enron事件で誰が有罪になったのか|Lay、Skilling、Fastowらの刑事責任を整理する
  10. Enron崩壊は何を変えたのか|SOX法、PCAOB、内部統制と企業監査のその後

主な参照資料

※SPEやオフバランス取引そのものを違法とは扱っていません。当時の会計ルールでは、独立した第三者資本や実質的なリスク負担などが連結判断の重要要素でした。本記事で説明した「約3%」は当時のEnron関連資料で用いられていたSPE会計上の基準を説明するもので、現在の米国会計基準へそのまま適用できる一般ルールではありません。またFastow、Skilling、Causeyらに関するサイドディールやRaptorの詳細は、SEC訴状での主張と、Enron自身による決算修正、後の有罪答弁・司法手続を区別して記述しています。5億4400万ドルのRaptor関連損失と約12億ドルの株主資本減額は同じ会計項目ではないため、本文では分離しています。

Enron取締役会はなぜ止められなかったのか|Fastowの利益相反と企業統治の失敗

企業不祥事・経済犯罪

1999年、Enronの取締役会には通常なら強い警戒を促すはずの提案が持ち込まれました。

会社の最高財務責任者――CFOのAndrew Fastowが、Enron自身と取引する投資パートナーシップを運営したいという提案です。

FastowはEnron側では、会社にとって有利な条件で取引する責任を負います。

しかし同じFastowがLJM側では、LJMとその投資家にとって有利な条件を求める立場になります。

利益相反は明白でした。

それでもEnron取締役会は、会社の倫理規定に例外を設け、FastowがLJMを運営することを認めました。

もちろん、利益相反の存在を認識しただけで直ちに企業統治が失敗したことにはなりません。

利益相反を承認したうえで、独立した取締役が取引条件を厳格に監視し、FastowがEnronよりLJMを優先できない仕組みを実際に機能させていれば、リスクを管理できた可能性はあります。

問題は、その後でした。

米上院Permanent Subcommittee on Investigations(PSI)の調査によれば、取締役会が設定した監督策は十分に設計・実行されず、LJM取引の定期レビューも極めて表面的なものに終わっていました。

危険な利益相反を認めたのに、その危険を管理する監督装置が機能しなかった。

これがEnron事件における取締役会問題の核心です。

この記事で分かること

  • Enron取締役会はLJMについて何を承認したのか
  • なぜFastowのLJM運営が利益相反だったのか
  • Enronの倫理規定にはどのような例外が設けられたのか
  • 取締役会はどのような監督策を設けていたのか
  • Audit CommitteeとFinance CommitteeはLJMをどうレビューしたのか
  • 取締役会はEnronの高リスク会計をどこまで把握していたのか
  • Arthur Andersenへの依存はどのような意味を持ったのか
  • 「取締役会が不正を知っていた」と断定できるのか

CASE FILE 36

Enron崩壊特集(全10回)

第5回では、Fastow個人の取引ではなく、その活動を承認・監督する立場にあったEnron取締役会を扱います。

第4回では、LJMとRaptorがどのような仕組みだったのかを確認しました。今回は、なぜCFO自身が取引相手側へ立つ構造が許可され、その後の監視が機能しなかったのかを米上院調査から追います。

外部監査法人Arthur Andersenが果たした役割については、第6回で独立して検証します。

  1. Enronはなぜ崩壊したのか|巨大エネルギー企業を破綻させた不正会計の全体像
  2. Enronは何の会社だったのか|ガス会社から「エネルギーを取引する会社」へ変わった仕組み
  3. Enronの利益はどう作られたのか|時価評価会計と「将来利益」を先に計上する仕組み
  4. Enronは負債と損失をどう見えにくくしたのか|SPE、LJM、Raptorの仕組み
  5. Enron取締役会はなぜ止められなかったのか|Fastowの利益相反と企業統治の失敗 【現在の記事】
  6. Arthur AndersenはEnronで何をしていたのか|監査、文書破棄、最高裁判決まで
  7. Enronは2001年にどう崩壊したのか|Skilling辞任から12月2日の破産申請まで
  8. Enronの不正はどう解明されたのか|Powers Report、SEC、FBI、Enron Task Forceの捜査
  9. Enron事件で誰が有罪になったのか|Lay、Skilling、Fastowらの刑事責任を整理する
  10. Enron崩壊は何を変えたのか|SOX法、PCAOB、内部統制と企業監査のその後

先に結論|取締役会には「何も知らされていなかった」わけではない

Enron取締役会をめぐっては、二つの極端な説明があります。

一つは、

「経営陣に完全に騙されており、何も知らなかった」

という説明。

もう一つは、

「すべての不正を知りながら承認していた」

という説明です。

米上院PSIの調査から見える実態は、そのどちらとも異なります。

取締役会には、

  • Enronが高リスクな会計処理を広く利用していたこと
  • 大量のオフバランス取引を利用していたこと
  • Fastowに重大な利益相反が存在すること
  • LJMがEnronと大規模な取引を行っていること
  • 一部資産の評価方法に大きなリスクが存在すること

を示す情報が提供されていました。

しかし、後に明らかになる秘密のサイドディールや個別取引の不正な実態まで、取締役全員が把握していたことを示すものではありません。

問題は、既に見えていた危険信号に対して、取締役会が十分に深い確認をしなかったことでした。

取締役会が把握していた

  • FastowのLJM兼務
  • 利益相反の存在
  • LJMとの関連当事者取引
  • 高リスクな会計・評価手法
  • SPE利用の重要性

十分確認しなかった

  • 個別LJM取引の詳細
  • FastowのLJM収入
  • 統制策が本当に機能しているか
  • Fastow退任後のLJM所有者
  • 一部資産評価の妥当性

区別が必要

  • 高リスク会計を知ること
  • 不正会計を知ること
  • 利益相反を承認すること
  • 秘密取引を知ること

取締役会は何をするために存在するのか

上場企業では、日常的な経営をCEOやCFOなどの経営陣が行います。

取締役会は、毎日の営業活動を直接運営する組織ではありません。

主な役割は、

  • 経営陣を選任・監督する
  • 重要な取引を承認する
  • 重大なリスクを監督する
  • 財務報告を監視する
  • 利益相反を管理する
  • 株主の利益を守る

ことです。

米上院PSIはEnron取締役会について、取締役が会社と株主に対して負う基本的義務として、特にloyalty(忠実義務)care(注意義務)を重視しました。

FastowとLJMは、この二つが同時に問われる事例でした。

1999年6月|FastowがLJM1を提案

1999年6月、FastowはLJM Cayman, L.P.――LJM1――を設立する計画をEnronへ提示しました。

Fastowは当時EnronのCFOです。

通常、EnronのCFOは、Enronの資金、財務、投資、取引について会社の利益を優先する責任を負います。

しかしLJM1のgeneral partnerとなれば、LJM側でも利益を得る立場になります。

これはEnronの倫理規定が通常禁止していた利益相反に該当する可能性がありました。

そこで取締役会は、Fastowに対して限定的な例外――waiverを認めました。

FastowはLJM1を運営し、Enronとの取引へ参加できるようになります。

なぜ取締役会はそんな構造を承認したのか

取締役会側から見れば、LJMには経済的な利点があると説明されていました。

Enronは大量の投資資産を保有しており、四半期末などに資産を売却したい場合があります。

しかし通常の市場で買い手を探すには時間がかかります。

LJMが存在すれば、

  • Enron資産を迅速に購入できる
  • SPEへ外部資本を提供できる
  • 取引コストを減らせる
  • 柔軟に資金を供給できる

と説明されました。

つまり取締役会は、Fastowの利益相反そのものを見落としたわけではありません。

利益相反を認識したうえで、それ以上の事業上の利点があるとして例外を認めたのです。

だからこそ、その後の監督が重要になります。

1999年10月|さらに大きなLJM2を承認

数か月後の1999年10月、FastowはLJM2 Co-Investment, L.P.を提案しました。

LJM1よりも大規模な外部投資家の資金を集め、Enronとの取引へ利用する構想です。

取締役会は再びFastowの関与を承認しました。

SEC資料によれば、取締役会には、EnronのChief Accounting OfficerであるRichard CauseyがEnron-LJM取引を確認し、Enronにとって公正な取引であることを確保すると説明されていました。

その後、さらに複数の監督策が追加されていきます。

紙の上では「監督策」が存在した

LJM取引は、何の監視もないままFastowへ全面的に任されていたわけではありません。

Enronでは段階的に、複数の管理策が設定されました。

監督者 予定された役割
Richard Causey Enron-LJM取引の会計・条件を確認
Rick Buy Chief Risk Officerとして取引を確認
Jeffrey Skilling Fastowの利益相反や取引を経営側で監督
Audit Committee LJM取引を年次レビュー
Finance Committee 後に四半期レビューを追加
Compensation Committee FastowがLJMから得る報酬を確認

形式上は多層防御になっています。

Fastow一人の判断では取引を進められず、経営陣、リスク管理、会計担当、取締役会委員会がチェックする。

この仕組みが実際に動いていれば、利益相反による危険を減らせる可能性がありました。

しかし上院調査が確認した実態は、紙の上の統制とは大きく異なっていました。

Audit Committeeの年次レビューは15~30分

EnronのAudit Committeeには、LJM取引を毎年レビューする役割が与えられていました。

2000年2月、第1回の年次レビューが行われます。

上院PSIによれば、委員会へ渡されたのは1枚の紙でした。

そこには1999年にLJMがEnronと行った8件の取引が一覧化されていました。

各案件について記載されていたのは、

  • 投資案件名
  • おおよその金額
  • 10語以下程度の簡単な説明

だけでした。

Audit CommitteeがCauseyとこの一覧を確認した時間は、約15~30分だったとされています。

取引の承認資料そのものを見ていなかった

Enronには、個々の取引を承認するためのDASH――Deal Approval Sheet――やLJM Approval Sheetが存在しました。

これらを見れば、少なくとも取引の条件、承認者、リスク、構造について、一覧表より詳しい情報を確認できます。

しかし上院調査で聞き取りを受けたAudit Committeeメンバーは、LJM取引についてDASHやLJM Approval Sheetを一件も要求・確認していなかったとされています。

つまり、

利益相反の存在を理由に特別な監督制度を設けたのに、その監督で個別取引の基礎資料を確認していなかったのです。

2001年のレビューもほぼ同じだった

2001年2月、Audit Committeeは2回目のLJM年次レビューを行いました。

今度は2000年中の12件のLJM取引がまとめられていました。

しかし資料はわずか2ページ。

内容も、

  • 案件名
  • 金額
  • 短い説明

が中心でした。

レビュー時間も再び約15~30分。

ここでもDASHやLJM Approval Sheetが詳細に検証されることはありませんでした。

レビュー 対象 資料 時間
2000年2月 1999年の8取引 約1ページの一覧 約15~30分
2001年2月 2000年の12取引 約2ページの一覧 約15~30分

上院PSIは、これらをsuperficial――表面的なレビューと評価しました。

「経営陣が確認した」という説明に依存していた

取締役会側は、個別取引を自らすべて監査する立場ではありません。

したがって実務では、経営陣、会計部門、リスク部門、外部監査法人から説明を受けることになります。

それ自体は異常ではありません。

問題は、重大な利益相反を抱える取引についても、取締役会が独立した検証より経営陣の説明へ強く依存したことでした。

上院報告は、LJM監督策について、取締役会が日常的な統制の設計・実行をEnron経営陣へ任せ、自らは頻度の低い一般的レビューに限定したと指摘しています。

つまり、Fastowの利益相反を監視する仕組みの多くを、Fastowと同じ経営組織の内部へ依存していました。

取引額は小さくなかった

これは数件の小規模な関連当事者取引ではありません。

2000年のFinance Committeeへの説明では、LJMがEnronに対して約20億ドルのfunds flowを提供し、Enronに約2億ドルのearningsをもたらしたとする情報も提示されていました。

別の説明では、LJM1がEnronへ約1億7500万ドルのgainを提供し、LJM2は21件の取引へ4億ドル超を投資したとされていました。

取締役会から見ても、LJMは周辺的な小規模事業ではなくなっていました。

それでもレビューの深さは、取引規模に比例して強化されませんでした。

Finance Committeeは四半期レビューを追加した

2000年10月、LJMの取引規模が拡大していることを受けて、Finance Committeeは追加の監督策を決めました。

それまでのAudit Committeeによる年1回のレビューに加え、

Finance Committeeが四半期ごとにLJM取引をレビューする

ことになりました。

さらに、FastowがLJMから得ている報酬について、Compensation Committeeが確認することも決められました。

ここだけを見ると、取締役会が問題を認識し、監督を強化したように見えます。

しかし実際に行われた四半期レビューは1回だけでした。

四半期レビューは1回で止まった

Finance Committeeによる最初の四半期レビューは2001年2月に行われました。

ところが上院PSIによれば、これもAudit Committeeとほぼ同じ2ページの一覧を用いた短時間のレビューでした。

その後、2001年5月には次の四半期レビューが行われませんでした。

Finance CommitteeのHerbert Winokurは、Enronから報告を受け取らなかったため、LJM取引がなかったと考え、確認しなかったと説明しています。

8月には、FastowがLJMの持分を売却したため関連当事者問題はなくなったと説明され、レビュー自体が終了しました。

しかし「誰がFastowの持分を買ったのか」を確認していなかった

FastowがLJMを離れれば、確かにCFOと取引相手を兼ねる直接的な利益相反は消えます。

しかし、そのためにはLJMが本当に独立した第三者へ移ったことを確認する必要があります。

上院調査によれば、取締役会メンバーは、

「誰がFastowのLJM持分を購入したのか」

を確認していませんでした。

実際にLJM2の新たな所有者となったのはMichael Kopperでした。

KopperはFastowの元部下で、Enronの財務事情を熟知し、Fastowと長い関係を持つ人物です。

上院PSIは、この点を確認していれば、利益相反への監督を継続すべき理由になったと指摘しています。

FastowがLJMからいくら得ていたのかも確認されていなかった

LJM承認でさらに重要なのがFastow自身の利益です。

CFOが自社と取引する組織から巨額の個人利益を得れば、Enronとの取引判断に強い影響を及ぼす可能性があります。

2000年10月、Finance CommitteeはCompensation Committeeに対し、FastowのLJM報酬を調査するよう求めました。

しかし上院調査では、約1年後になっても必要な情報は取締役会へ届けられていませんでした。

Compensation Committee側も情報を受け取れなかった後、さらに追及して入手する行動を取りませんでした。

上院公聴会でCarl Levin議員が問題視したのは、まさにこの点です。

取締役会が「情報を要求した」というだけでは監督になりません。

情報が来なければ、なぜ来ないのかを確認し、入手するまで追う必要がある。

それができていませんでした。

2001年10月、ようやくFastow本人へ確認した

状況が変わったのは2001年10月です。

Wall Street JournalがLJM取引とFastowの利益について報道しました。

取締役会はFastow本人へ直接説明を求めます。

当時の取締役Charles LeMaistreの上院証言によれば、Fastowは取締役との電話で、LJM1から約2300万ドル、LJM2から約2200万ドルの所得を得たと説明しました。

合計すると約4500万ドルです。

これは、その時点でFastow本人が取締役へ説明した数字として扱う必要がありますが、取締役会が事前に想定していた規模を大きく超えていました。

翌10月24日、FastowはCFO職から外されます。

利益相反を認めた以上、報酬確認は中心的な統制だった

FastowがLJMからどれだけ利益を得ていたかは、単なる役員報酬問題ではありません。

FastowがLJM取引を推進すればするほど個人的に大きな利益を得られるなら、

Enronの利益よりLJMの利益を優先する経済的誘因

が強くなります。

だからこそLJMを承認した取締役会にとって、Fastowの外部所得を継続的に把握することは、利益相反管理の中心になるはずでした。

しかし、この重要な統制が実際には機能していませんでした。

取締役会は高リスク会計についても情報を受けていた

LJMだけが問題だったわけではありません。

米上院PSIは、Enron取締役会が同社の高リスクな会計手法について相当量の情報を受けていたと指摘しています。

1999年|mark-to-marketについて説明

1999年、Audit Committeeにはmark-to-marketやfair value accountingについて9ページの説明資料が提示されました。

Enron各部門でfair value accountingの利用が拡大し、資産と負債を継続的に再評価する必要があることも説明されていました。

2000年5月|より積極的な評価モデル

2000年5月には、エネルギー・デリバティブや契約をどのモデルで評価するかについて、Enron内部の部門間で意見が分かれていたことが取締役会へ示されました。

上院報告によれば、会社はより積極的な評価モデルを採用しましたが、取締役会はこれに異議を唱えませんでした。

2001年|自社評価でも23億ドルの差

さらに2001年夏、Finance Committeeへ提示された資料の一つには、Enronの国際merchant assetsについて、帳簿上の価値が当時Enron内部で見積もった市場価値より約23億ドル高いことを示す情報が含まれていました。

これは直ちに「23億ドルの不正会計が取締役会へ報告された」という意味ではありません。

しかし、Enronの資産評価に重大な不確実性が存在することを示す警告材料でした。

「高リスクと知っていた」と「不正と知っていた」は違う

ここは明確に区別する必要があります。

mark-to-market、fair value、SPE、デリバティブ、関連当事者取引などは、適切に利用すれば合法的な企業活動です。

したがって取締役会が、

「Enronは高リスクな会計手法を使っている」

と認識していたことだけから、

「取締役会は詐欺を知っていた」

とは言えません。

上院PSIが問題視したのは、

高リスクであることを理解していたなら、それに見合う強い監督を行うべきだったのに、十分な確認をしなかった

という点です。

Arthur Andersenが「問題ない」としていたことの意味

取締役会メンバーは、LJMや会計処理についてArthur Andersenの関与も重視していました。

Finance Committeeへは、AndersenがLJM2のgovernance structureを相当時間検討し、問題ないと考えているという説明も行われていました。

これは取締役会側にとって重要な安心材料でした。

会計の専門家である外部監査法人が確認している。

社内のChief Accounting Officerも確認している。

Chief Risk Officerも確認している。

経営トップも承認している。

この状態では、取締役が個々の複雑な金融取引を一から再計算する必要はない、と考えるのは理解できます。

しかし、LJMには通常の取引にはないCFO自身の直接的利益相反がありました。

それだけに、通常より高い水準の独立確認が必要でした。

外部監査法人への依存が適切だったのかについては、次回のArthur Andersen編でさらに掘り下げます。

取締役自身の独立性にも疑問が向けられた

上院PSIの調査では、取締役自身とEnronとの経済的・組織的関係についても問題が提起されました。

Enronの取締役会には多くのoutside directors――経営陣ではない外部取締役――がいました。

形式上、経営陣から独立した監督が可能な構成です。

しかし上院公聴会では、複数の外部取締役について、

  • Enronとのコンサルティング契約
  • 関係する慈善団体へのEnron側からの寄付
  • Enronと取引する別企業との関係

などが指摘されました。

これらの関係が直ちに取締役の判断を不正にしたと断定することはできません。

しかし、経営陣を厳しく監督する外部取締役のindependence――独立性が十分だったのかという企業統治上の問題を生みました。

取締役会には何度も「確認する機会」があった

Enron事件を後から見ると、取締役会には一度だけではなく、複数回の確認機会が存在しました。

時期 取締役会が直面した材料 確認できた可能性
1999年6月 FastowのLJM1兼務 利益相反の必要性そのものを再検討
1999年10月 LJM2承認 より厳格な独立監督を設計
2000年2月 最初のLJM年次レビュー 個別取引資料を要求
2000年10月 LJM取引規模の拡大 Fastow報酬と取引条件を詳細確認
2001年2月 12件のLJM取引 DASH等を用いた詳細レビュー
2001年5月 四半期報告が届かない なぜ報告がないか確認
2001年夏 資産簿価と市場価値の大きな差 評価方法を追加調査
2001年8月 FastowがLJM持分を売却 新所有者を確認

一つ一つだけを見れば、直ちにEnron崩壊を予測できたとは限りません。

しかし複数の警告材料が積み重なっていたのに、監督の強度がそれに合わせて高くなっていませんでした。

米上院PSIは取締役会をどう評価したのか

2002年7月、米上院Permanent Subcommittee on Investigationsは、The Role of the Board of Directors in Enron’s Collapseを公表しました。

報告書は、Enron取締役会が会社の崩壊に寄与したとして、複数の問題を指摘しています。

大きく整理すると、次のようになります。

  • 高リスクな会計慣行を十分に抑制しなかった
  • オフバランス活動を十分監視しなかった
  • FastowとLJMの重大な利益相反を承認した
  • LJMへの監督策を十分に実行しなかった
  • FastowがLJMから得る報酬を把握しなかった
  • 会社の大きな財務リスクに十分対応しなかった

つまり上院報告が描いたのは、

「秘密を一切知らされなかった被害者としての取締役会」

ではありません。

同時に、

「Fastowの秘密協定をすべて把握して共同で詐欺を実行した取締役会」

ともしていません。

重大な危険を示す情報を持ちながら、その危険に相応する監督を行わなかった取締役会です。

FACT CHECK|Enron取締役会についての重要な区別

確認できる

  • 取締役会はLJM1・LJM2を承認した
  • Fastowの利益相反を認識していた
  • 倫理規定に例外を設けた
  • 監督策を設定した
  • 高リスク会計について説明を受けていた

しかし

  • レビューは短時間・限定資料だった
  • 個別承認資料を十分確認しなかった
  • 四半期レビューは継続されなかった
  • Fastow報酬の把握が遅れた
  • LJM新所有者を確認しなかった

断定しない

  • 全取締役が秘密協定を知っていた
  • 全取締役が不正会計を理解していた
  • LJM承認自体が犯罪だった
  • 外部取締役の関係だけが崩壊原因だった

企業統治の失敗とは「規則がなかったこと」ではない

Enronには規則がありました。

倫理規定もありました。

Audit Committeeもありました。

Finance Committeeもありました。

Chief Risk Officerもいました。

Chief Accounting Officerもいました。

外部監査法人もいました。

LJMを監督するための追加ルールまで設定されました。

それでも機能しませんでした。

これはEnron事件をSYSTEM型として扱う理由を端的に示しています。

制度が存在することと、制度が実際に危険を止めることは別だからです。

「年1回レビューする」という規則があっても、1~2枚の一覧を15~30分見るだけなら、複雑な関連当事者取引を検証する力は限られます。

「Fastowの報酬を確認する」と決めても、情報が届かなかったときに追及しなければ、統制は存在しないのと同じ結果になります。

「四半期レビュー」と決めても、1回で止まれば継続的監督ではありません。

Enron取締役会の最大の問題は何だったのか

一言でまとめるなら、

リスクの高さと、監督の深さが釣り合っていなかったこと

です。

通常の取引なら、経営陣の説明と外部監査法人の確認へ一定程度依存しても合理的です。

しかしLJMは通常の取引ではありませんでした。

CFO自身が取引相手を運営しています。

会社の会計結果に大きな影響を与えます。

取引規模も急速に拡大しています。

利益相反を理由として、わざわざ倫理規定の例外が必要なほど特殊な構造です。

それなら監督も通常以上に厳しくなければなりません。

ところが実際には、重大な取引ほど詳しく調べるのではなく、経営陣が用意した概要資料へ依存する状態が続きました。

要点まとめ

1999年、Enron取締役会はCFO Andrew FastowがLJM1を設立・運営することを認めました。

その数か月後には、さらに大規模なLJM2へのFastowの関与も承認しています。

取締役会はFastowの利益相反を見落としていたわけではありません。

利益相反を認識したうえで、Enronに事業上の利益があると判断し、倫理規定の例外を設けました。

その代わりとして、経営陣による承認、Audit Committeeによる年次レビュー、後にはFinance Committeeの四半期レビュー、Fastow報酬の確認など、複数の統制策が設定されました。

しかし米上院PSIの調査では、それらの統制の実効性に重大な問題があったとされています。

Audit CommitteeのLJMレビューは1~2ページ程度の一覧を約15~30分確認するものにとどまり、個別取引のDASHやLJM Approval Sheetを要求していませんでした。

Finance Committeeの四半期レビューも1回で途絶えます。

FastowのLJM報酬を確認するよう決めたにもかかわらず、取締役会が実際の金額を把握するのは2001年10月になってからでした。

取締役会は、Enronが高リスクな会計や評価方法を利用していることについても複数回の説明を受けていました。

それでも、それだけで取締役会が後に立件された不正をすべて知っていたとは言えません。

問題は、

危険を示す情報は存在していたのに、それを深く掘り下げる監督が機能しなかったこと

でした。

そして取締役会が判断を支えるうえで依存していた重要な存在の一つが、外部監査法人Arthur Andersenです。

Enronの財務諸表を監査し、LJMや複雑な会計処理についても関与していた世界的大手会計事務所は、なぜ問題を止められなかったのでしょうか。

次回は、Arthur Andersenの監査、Enronとの関係、文書破棄、刑事裁判、そして2005年の連邦最高裁判決までを追います。

CASE FILE 36

Enron崩壊特集(全10回)

  1. Enronはなぜ崩壊したのか|巨大エネルギー企業を破綻させた不正会計の全体像
  2. Enronは何の会社だったのか|ガス会社から「エネルギーを取引する会社」へ変わった仕組み
  3. Enronの利益はどう作られたのか|時価評価会計と「将来利益」を先に計上する仕組み
  4. Enronは負債と損失をどう見えにくくしたのか|SPE、LJM、Raptorの仕組み
  5. Enron取締役会はなぜ止められなかったのか|Fastowの利益相反と企業統治の失敗 【現在の記事】
  6. Arthur AndersenはEnronで何をしていたのか|監査、文書破棄、最高裁判決まで
  7. Enronは2001年にどう崩壊したのか|Skilling辞任から12月2日の破産申請まで
  8. Enronの不正はどう解明されたのか|Powers Report、SEC、FBI、Enron Task Forceの捜査
  9. Enron事件で誰が有罪になったのか|Lay、Skilling、Fastowらの刑事責任を整理する
  10. Enron崩壊は何を変えたのか|SOX法、PCAOB、内部統制と企業監査のその後

主な参照資料

※本記事では、Enron取締役会が「後に立件された不正行為をすべて知っていた」とはしていません。米上院PSIが確認したのは、取締役会がFastowの利益相反、高リスクな会計手法、大規模なLJM取引などについて情報を受け、監督策を設定しながら、その実行と独立検証が不十分だったという企業統治上の問題です。SEC訴状に記載された秘密協定や不正取引は、提出時点ではSEC側の主張として扱っています。また、FastowがLJM1・LJM2から約2300万ドル・約2200万ドルを得たとの数字は、2001年10月にFastowが取締役へ説明した内容についてCharles LeMaistreが上院で証言したものとして記載しています。

Arthur AndersenはEnronで何をしていたのか|監査、文書破棄、最高裁判決まで

企業不祥事・経済犯罪

Enronの財務諸表には、社内の経営陣だけではなく、外部の専門家によるチェックが入っていました。

その中心にいたのが、Arthur Andersen LLPです。

当時、世界の「Big Five」に数えられていた巨大会計事務所で、Enronの外部監査法人を務めていました。

Enronが公表する財務諸表を監査するだけではありません。

Arthur AndersenはEnronへ内部監査やコンサルティングなどのサービスも提供し、複雑な会計処理についても長年関与していました。

それなら、なぜEnronの財務報告上の問題を止められなかったのでしょうか。

そしてEnronが崩壊し始めた2001年秋、なぜArthur Andersenの社員たちは大量のEnron関連文書を破棄することになったのでしょうか。

この問題はさらに複雑です。

Arthur Andersenは2002年、Enron関連文書の破棄をめぐって司法妨害で有罪評決を受けました。

ところが2005年、アメリカ連邦最高裁判所はその有罪判決を全員一致で覆しました。

だからといって、

「最高裁がArthur Andersenの監査に問題はなかったと認定した」

わけではありません。

最高裁が判断したのは、文書破棄をめぐる刑事事件で陪審員へ示された法律上の指示が適切だったかという問題でした。

Enron事件におけるArthur Andersenを理解するには、

  • Enron監査の問題
  • 監査法人としての独立性
  • 2001年秋の文書破棄
  • 2002年の刑事裁判
  • 2005年の最高裁判決

を分けて追う必要があります。

この記事で分かること

  • Arthur AndersenはEnronでどのような仕事をしていたのか
  • 外部監査法人には本来どのような役割があるのか
  • Enronとの近い関係はなぜ問題視されたのか
  • AndersenはEnronの会計上の危険をどこまで把握していたのか
  • 2001年秋、文書破棄はどのように進んだのか
  • Arthur Andersenは何の罪で起訴・有罪となったのか
  • 2005年、最高裁はなぜ有罪判決を覆したのか
  • 最高裁判決を「無罪認定」と単純化できない理由

CASE FILE 36

Enron崩壊特集(全10回)

第6回では、Enronを外側から監査する立場にあったArthur Andersenを扱います。

第5回では、Enron取締役会がFastowの利益相反や高リスク会計を十分に監督できなかった問題を確認しました。しかし財務諸表には外部監査法人による監査も存在しました。

今回は、その外部防衛線がなぜ機能しなかったのか、そしてEnron崩壊後にArthur Andersen自身が刑事事件の被告となった経緯を追います。

  1. Enronはなぜ崩壊したのか|巨大エネルギー企業を破綻させた不正会計の全体像
  2. Enronは何の会社だったのか|ガス会社から「エネルギーを取引する会社」へ変わった仕組み
  3. Enronの利益はどう作られたのか|時価評価会計と「将来利益」を先に計上する仕組み
  4. Enronは負債と損失をどう見えにくくしたのか|SPE、LJM、Raptorの仕組み
  5. Enron取締役会はなぜ止められなかったのか|Fastowの利益相反と企業統治の失敗
  6. Arthur AndersenはEnronで何をしていたのか|監査、文書破棄、最高裁判決まで 【現在の記事】
  7. Enronは2001年にどう崩壊したのか|Skilling辞任から12月2日の破産申請まで
  8. Enronの不正はどう解明されたのか|Powers Report、SEC、FBI、Enron Task Forceの捜査
  9. Enron事件で誰が有罪になったのか|Lay、Skilling、Fastowらの刑事責任を整理する
  10. Enron崩壊は何を変えたのか|SOX法、PCAOB、内部統制と企業監査のその後

先に結論|Arthur Andersenには二つの問題がある

Arthur Andersenをめぐる話は、大きく二つに分ける必要があります。

問題 内容
監査・会計 Enronの複雑で高リスクな会計処理を外部監査法人として適切に検証できていたか
刑事事件 SEC調査が迫る中、社員へ文書破棄を促した行為が司法妨害罪に当たるか

2002年の刑事裁判でArthur Andersenが問われたのは、

「Enronの不正会計を監査で見逃した罪」

ではありません。

Enron関連文書の破棄をめぐるobstruction of justice――司法妨害でした。

この区別は極めて重要です。

そして2005年の最高裁判決が覆したのも、この司法妨害事件の有罪判決です。

最高裁はArthur Andersenの監査内容を全面的に正当化したわけではありません。

Arthur Andersenとはどれほど大きな監査法人だったのか

Arthur Andersenは20世紀を代表する国際会計事務所の一つでした。

PricewaterhouseCoopers、Deloitte & Touche、Ernst & Young、KPMGと並び、当時は世界のBig Fiveの一角を占めていました。

Enronのような巨大上場企業が財務諸表を公表するとき、投資家は経営陣自身が作った数字だけを見るわけではありません。

独立した外部監査法人が、

  • 会計基準に従っているか
  • 重大な虚偽表示がないか
  • 証拠と帳簿が整合しているか
  • 重要な会計判断が合理的か

を検証します。

監査報告書は、その外部チェックが行われたことを市場へ示す役割を持ちます。

つまりArthur Andersenは、Enron経営陣とは別の立場から財務報告を検証する重要なgatekeeperでした。

しかしAndersenは「監査だけ」をしていたわけではない

EnronとArthur Andersenの関係が問題視された理由の一つが、業務範囲の広さです。

最高裁判決でも、Arthur AndersenはEnronの公開財務諸表を監査する一方、内部監査やコンサルティングサービスも提供していたことが確認されています。

つまりEnronにとってAndersenは、

  • 外部監査人
  • 会計上の相談相手
  • 内部監査サービス提供者
  • 各種コンサルティングの提供者

という複数の顔を持っていました。

これが直ちに違法だったわけではありません。

当時、監査法人が顧客へ監査以外のサービスを提供することは広く行われていました。

しかし、外部監査人には経営陣から独立して財務情報を検証する役割があります。

同じ顧客から監査以外にも大きな仕事を受けていれば、

顧客へ厳しい判断を下す独立性が弱くならないか

という疑問が生じます。

Enron崩壊後、この問題は米国の監査制度改革で大きな争点になります。

Enronの会計はAndersenにとって未知ではなかった

EnronのSPE、mark-to-market、LJM、Raptorなどは、崩壊後に初めてArthur Andersenが知った仕組みではありません。

AndersenはEnronの外部監査法人として、こうした取引や財務報告に関与していました。

第5回で見たように、Enron取締役会も、LJMのgovernance structureなどについてAndersenの説明を安心材料の一つとしていました。

これは、Andersenの役割が単なる帳簿の数字合わせではなかったことを意味します。

複雑なSPEについて、

  • 連結する必要があるか
  • 第三者資本は十分か
  • ヘッジとして扱えるか
  • 関連当事者取引をどう開示するか

といった会計判断にも関係していました。

「問題を知っていた」と「不正を共謀していた」は別

ここも慎重に区別する必要があります。

Arthur AndersenがEnronの複雑な会計処理を知っていたことから、

「Enron経営陣と一緒に最初から詐欺を企画していた」

と直結させることはできません。

監査法人は、顧客が採用しようとする会計処理について検討し、それが会計基準の範囲内かどうか判断する立場にあります。

後に問題となった取引でも、

  • 監査人へ完全な情報が渡されていたのか
  • 秘密のサイドディールが開示されていたのか
  • 監査人が会計処理を誤って許容したのか
  • 経営陣の説明を過度に信用したのか

を取引ごとに分ける必要があります。

しかし結果として、Enronが長期間公表していた財務諸表には後に大規模な修正が必要となり、外部監査がその誤りを事前に止められなかったという問題は残りました。

Arthur Andersen社内でもEnronは軽い案件ではなかった

Enronは非常に複雑な取引会社でした。

大量のデリバティブ、SPE、長期契約、mark-to-market評価、投資資産などを扱います。

監査する側にも高度な専門判断が必要です。

Enron監査の中心にいたArthur AndersenのパートナーがDavid Duncanでした。

Duncanが率いるEnron engagement teamは、Enronの財務諸表監査に直接関与していました。

そして2001年にEnronの状況が悪化すると、このDuncanとAndersen社内の法務・会計担当者たちが、後の文書破棄事件の中心へ入っていきます。

2001年8月|Sherron Watkinsの警告がAndersenにも届く

2001年8月14日、CEO Jeffrey Skillingが突然辞任します。

数日後、Enron副社長Sherron WatkinsはKenneth Layへ、Enronが会計問題によって崩壊する可能性を警告しました。

Watkinsの懸念はEnron内部だけに留まりません。

最高裁判決の事実関係によれば、WatkinsはDavid Duncanと、Duncanを監督するArthur AndersenパートナーMichael Odomにも問題を伝えていました。

この時点でAndersen側にも、Enronの会計処理をめぐって重大な問題が表面化する可能性が認識され始めます。

10月|Enronの危機が一気に表面化する

2001年10月16日、Enronは第3四半期決算を発表しました。

純損失は6億1800万ドル。

さらにRaptorやLJMに関連する取引によって、株主資本を約12億ドル減額する必要があることも明らかになっていきます。

翌10月17日、SECはEnronについて問い合わせを開始しました。

10月19日には、EnronからArthur Andersenへ、SECがSPEなどを調査していることが伝えられます。

政府による本格的な調査の可能性が現実のものになっていました。

そこで起きた「文書保存方針」の徹底

企業や会計事務所には通常、document retention policy――文書保存・廃棄方針があります。

すべてのメモ、メール、ドラフトを永久保存するわけではありません。

一定期間が経過した文書や不要なドラフトを、通常業務として廃棄すること自体は違法ではありません。

Arthur Andersenにも文書保存方針がありました。

そしてEnron問題が深刻化していた2001年10月、この文書保存方針を遵守するよう社内で指示が出されました。

ここから刑事事件が始まります。

「文書を捨てた」だけでは司法妨害にならない

重要なのは、文書を廃棄したという事実だけではありません。

企業が通常の保存方針に従って不要文書を破棄することはあります。

刑事責任を問うには、

政府の公式手続で使われる可能性のある文書を失わせるため、不正な意図をもって他人に破棄させたのか

という故意の問題が重要になります。

まさにこの点が、2002年の裁判と2005年の最高裁判決で最大の争点となりました。

司法省が主張した文書破棄の時系列

司法省は2002年の起訴時、Arthur Andersenで大規模な文書破棄が行われたと主張しました。

政府側が示した流れを整理すると、次のようになります。

時期 出来事
2001年10月10日ごろ 政府側が、Enron関連文書破棄の組織的な動きが始まったと主張
10月16日 Enronが6億1800万ドルの第3四半期純損失を発表
10月17日 SECがEnronについて調査・問い合わせを開始
10月19日 EnronがAndersenへSEC調査について通知
10月23日ごろ 政府側によれば、Enron関連文書の大量破棄が本格化
11月8日 SECがArthur AndersenへEnron関連文書の召喚状を送達
11月9日 Enron監査チームへ文書破棄を停止するよう連絡

紙だけではなく電子データも削除された

政府側の裁判資料によれば、破棄されたのは紙文書だけではありません。

Enron engagement teamでは大量の紙資料がシュレッダーへ送られ、電子メールや電子文書も削除されました。

司法省は、通常時を大幅に上回る規模の削除が行われたと主張しました。

また文書破棄はHoustonだけではなく、Portland、Chicago、Londonなど、Enron関連業務に関わる複数拠点にも及んだと起訴状に記載されています。

11月8日にSECの召喚状が届き、翌日になって監査チームへ、正式に文書提出を求められたため破棄を止めるよう連絡が出されました。

問題は「召喚状が来る前なら自由に捨てていいのか」

Arthur Andersen側から見れば重要な反論があります。

SECから正式な召喚状が届いたのは11月8日です。

それ以前に通常のdocument retention policyへ従って文書を処分すること自体は、直ちに犯罪ではありません。

一方、政府側は、正式な召喚状がまだ届いていなくても、SECによる公式手続が近いことを予測し、そこで使用される文書をなくす意図で破棄を促せば司法妨害になり得ると考えました。

つまり刑事事件の核心は、

「いつ捨てたか」だけではなく、「何を予測し、何の目的で捨てさせたのか」

にありました。

2002年3月|Arthur Andersenそのものが起訴される

Enronは2001年12月2日にChapter 11を申請しました。

その後、司法省はEnron Task Forceを設置し、事件の刑事捜査を本格化させます。

2002年3月7日、連邦大陪審はArthur Andersen LLPを起訴。

起訴内容は3月14日に公表されました。

罪名は司法妨害です。

政府は、Arthur Andersenが従業員へEnron関連文書を破棄させ、SECなどの公式手続で利用できなくするためにknowingly, intentionally and corruptly persuadeしたと主張しました。

会計事務所の一部社員ではなく、Arthur Andersenという法人そのものが刑事被告となりました。

David Duncanは有罪を認める

2002年4月、Enron監査を率いていたDavid Duncanは、SEC調査を妨害したとして司法妨害罪について有罪を認めました。

Duncanはその後、政府側の証人となります。

これはArthur Andersen本体の裁判でも重要な意味を持ちました。

ただし、Duncan個人の有罪答弁と、法人Arthur Andersenの刑事責任は別の問題です。

法人を有罪にするためには、Arthur Andersenについて起訴された犯罪の構成要件が立証されなければなりません。

2002年6月15日|Arthur Andersenに有罪評決

Houstonで行われた刑事裁判では、陪審が長期間審議しました。

そして2002年6月15日、Arthur Andersen LLPは司法妨害について有罪評決を受けました。

当時の司法省は、AndersenがEnron関連調査を妨げるため大量の文書・電子情報を破棄したとして評決を評価しました。

2002年10月には、

  • 5年間のprobation
  • 50万ドルの罰金
  • 400ドルのspecial assessment

が科されました。

しかし会社への実際の打撃は判決前から始まっていた

監査法人にとって信用は事業そのものです。

司法妨害で起訴された巨大会計事務所へ、自社の財務諸表監査を任せ続けることには企業側にも大きなリスクがあります。

起訴後、多くの顧客企業がArthur Andersenから別の監査法人へ移っていきました。

そして2002年6月の有罪評決後、Arthur AndersenはSECに対して、原則として同年8月31日までにSEC登録企業に対する監査業務から撤退すると伝えました。

実際にArthur Andersenは2002年8月31日、SECに対する監査実務を停止します。

Big Fiveは事実上Big Fourになりました。

この時点で、Arthur Andersenの大手監査法人としての事業基盤は既に崩壊していました。

それでも刑事事件は終わらなかった

Arthur Andersenは有罪判決を争いました。

争点となったのは、文書を破棄した事実だけではありません。

裁判官が陪審員へ、司法妨害罪の要件をどのように説明したかです。

適用された18 U.S.C. §1512(b)では、当時、

knowingly … corruptly persuades

という文言が重要でした。

つまり、他人へ文書を捨てるよう説得しただけでは足りません。

犯罪として成立するには、「腐敗した目的」を認識しながら行ったことを適切に立証する必要があります。

第一審では「improper purpose」で足りると説明された

Arthur Andersenの裁判で、陪審員は「corruptly」について、おおむねimproper purpose――不適切な目的を持つことだと説明されました。

さらに陪審は、Arthur Andersen側に法律違反だという認識、つまりconsciousness of wrongdoingがなくても有罪にできる形で指示を受けました。

Arthur Andersenは、この指示では犯罪の範囲が広すぎると主張しました。

第五巡回区控訴裁判所は有罪判決を維持しました。

しかし事件は連邦最高裁へ進みます。

2005年5月31日|最高裁が全員一致で有罪判決を覆す

2005年5月31日。

連邦最高裁判所はArthur Andersen LLP v. United Statesで判決を出しました。

結論は全員一致。

Arthur Andersenの有罪判決をreverse and remand――破棄し、下級審へ差し戻すというものでした。

Chief Justice William Rehnquistが法廷意見を書いています。

最高裁が問題にしたのは、第一審の陪審員への指示でした。

最高裁のポイント①|「不適切な目的」だけでは広すぎる

最高裁は、

knowingly … corruptly persuades

という法律の文言を重視しました。

「knowingly」と「corruptly」を組み合わせれば、単に何らかの不適切な目的を持っているだけでは足りません。

最高裁は、刑事責任には自分の行為が不正であることについての認識が必要だと判断しました。

文書保存方針に従うよう上司が社員へ指示すること自体は、通常なら合法です。

政府に見せたくない情報を減らす目的が一部に存在していても、それだけですべての文書整理が犯罪になるわけではありません。

だからこそ「corruptly」という要件を正しく陪審へ説明する必要がありました。

最高裁のポイント②|特定の公式手続とのつながりが必要

もう一つ問題になったのが、official proceeding――公式手続との関係です。

法律上、文書破棄時点で公式手続が既に始まっている必要はありません。

しかし最高裁は、だからといって、

「将来どのような公式手続が起こるか全く意識していなくても有罪になる」

わけではないとしました。

文書を破棄させる行為と、予想される特定の公式手続との間に十分なつながりが必要です。

第一審の陪審指示では、この要件も十分伝えられていないと最高裁は判断しました。

最高裁は何を「認定していない」のか

ここがArthur Andersen事件でもっとも誤解されやすい部分です。

最高裁判決は、

「Arthur Andersenでは文書破棄は行われなかった」

とは言っていません。

大量の文書が破棄された事実そのものを否定した判決ではありません。

また、

「Arthur AndersenのEnron監査は適切だった」

とも判断していません。

監査の質を全面的に審理した事件ではないからです。

そして、

「文書破棄を指示した行為は完全に合法だった」

と認定したわけでもありません。

最高裁が判断したのは、

2002年の有罪判決を成立させた陪審指示では、法律が要求する犯罪要件を正確に伝えていなかった

ということです。

最高裁が判断した 最高裁が判断していない
陪審指示に重大な問題があった Enron監査がすべて適切だった
有罪判決を破棄・差し戻し 文書破棄が存在しなかった
「knowingly corruptly」の主観要件を重視 Andersen関係者に一切問題がなかった
特定の公式手続との関係が必要 Enronの会計処理を正当化した

「有罪判決が覆った」ことと「会社が戻った」ことも別

最高裁判決が出たのは2005年5月です。

しかしArthur AndersenがSEC登録企業への監査業務を停止したのは2002年8月31日。

約3年前でした。

監査法人は、顧客、監査スタッフ、パートナー、評判という人的ネットワークによって成り立っています。

一度顧客が他の監査法人へ移り、大量の専門職員が退職・移籍した後、最高裁が有罪判決を覆しても、2001年以前のArthur Andersenをそのまま復元することはできません。

このためArthur Andersen事件は、法人への刑事訴追が企業そのものへ与える影響を考える際にも頻繁に参照される事例となりました。

FACT CHECK|Arthur Andersen事件で混同しやすい5点

FACT

  • Arthur AndersenはEnronの外部監査法人だった
  • 内部監査・コンサルティングも提供していた
  • 2001年秋に大量のEnron関連文書が破棄された
  • 2002年に司法妨害で有罪評決を受けた
  • 2005年に最高裁が全員一致で判決を覆した

分ける必要がある

  • 監査上の失敗
  • 監査人の独立性
  • 文書破棄
  • 司法妨害罪の構成要件
  • 法人Arthur Andersenと個人Duncanの責任

誤り

  • 最高裁がEnron監査を無問題と認定した
  • 最高裁が文書破棄の事実を否定した
  • Andersenは不正会計そのもので有罪になった
  • 文書保存方針を持つこと自体が違法だった
  • 有罪判決が覆った直後に会社が元へ戻った

監査法人は「経営陣の数字を保証する会社」ではない

Enron事件から監査法人の役割を見るとき、もう一つ注意が必要です。

外部監査は、会社内で起きるすべての不正を100%発見することを保証する制度ではありません。

監査人は証拠を収集し、重要な虚偽表示がないかについて合理的な保証を得ることを目指します。

経営陣が情報を隠したり、秘密のサイドディールを監査人へ知らせなかったりすれば、監査の難易度は上がります。

しかしだからといって、

「監査人は騙されたのだから責任はない」

で終わるわけでもありません。

監査人には、

  • 経営陣の説明を批判的に検証する
  • 異常な取引へ追加手続きを行う
  • 関連当事者取引を確認する
  • 会計上の判断に十分な証拠を求める
  • 経営陣と意見が対立しても独立性を保つ

ことが求められます。

Enronでは、会社内部の統制が弱いだけでなく、その外側にいる監査人がどれだけ独立して厳しい検証を行えたのかも問われました。

Enron事件には「何重もの防衛線」があった

ここまで第3回から第6回を並べると、Enronには本来、複数の防衛線が存在したことが分かります。

防衛線 本来の役割 Enronで問題になったこと
会計部門 正しい財務報告を作る 複雑な評価・SPE処理
リスク管理 取引リスクを検証 高リスク取引を十分抑止できず
経営陣 会社全体を管理 利益目標と財務報告の圧力
取締役会 経営陣を監督 LJM利益相反への監督不足
外部監査 財務諸表を独立検証 Arthur Andersenの監査・独立性問題

一つの担当者がミスをしても、別の層で発見する。

それが企業統治と監査の基本的な考え方です。

ところがEnronでは、複数の防衛線を越えて問題が蓄積しました。

これも、この事件を単なる「Fastowが数字を隠した事件」として終わらせられない理由です。

Arthur Andersen事件が後の制度改革につながる

Enron崩壊とArthur Andersen問題は、アメリカの監査制度そのものへの信頼を揺るがしました。

「会社が選び、会社が報酬を支払う監査法人は、本当に会社から独立できるのか」

「監査とコンサルティングを同じ法人が提供してよいのか」

「監査法人自身を誰が監督するのか」

という疑問です。

2002年にはSarbanes-Oxley Actが成立。

監査法人を監督するPCAOB――Public Company Accounting Oversight Board――が設けられ、監査人の独立性や非監査業務についても新たな制限が導入されていきます。

この制度改革については、第10回で詳しく扱います。

要点まとめ

Arthur AndersenはEnronの外部監査法人であり、公開財務諸表の監査だけでなく、内部監査やコンサルティングサービスも提供していました。

Enronが利用していたmark-to-market、SPE、LJM、Raptorなどについて、Arthur Andersenは外部監査人として重要な会計判断に関与していました。

しかしEnronの財務諸表には後に大規模な修正が必要となり、外部監査が問題を事前に止められなかったことが問われます。

2001年8月にはSherron Watkinsの懸念がEnron監査責任者David DuncanらArthur Andersen側にも伝わりました。

同年10月、Enronの巨額損失とSEC調査が表面化すると、Arthur Andersenでは文書保存方針の徹底が進められ、Enron関連の紙文書や電子データが大量に破棄されました。

2002年3月、Arthur Andersen LLPそのものが司法妨害で起訴されます。

4月にはDavid Duncanが有罪を認め、6月15日にはArthur Andersen本体も有罪評決を受けました。

その後、多数の顧客を失い、Arthur Andersenは2002年8月31日までにSEC登録企業への監査実務から事実上撤退しました。

しかし2005年5月31日、連邦最高裁判所はArthur Andersenの有罪判決を全員一致で覆しました。

理由は、第一審で陪審員へ与えられた指示が、司法妨害罪の「knowingly … corruptly persuades」という要件を正確に説明していなかったことなどです。

これは、Arthur Andersenの監査を正当化した判決でも、大量の文書破棄が存在しなかったと認定した判決でもありません。

つまりEnronにおけるArthur Andersen問題には、

監査法人としてEnronを十分チェックできなかった問題

と、

Enron崩壊時の文書破棄が刑法上の司法妨害に当たるかという問題

の二つがあり、その最終的な法的結論は同じではありません。

そして2001年秋、Enron本体ではこれらの問題が次々と公表され、わずか数か月で巨大企業の信用が消えていきます。

次回は、Jeffrey Skillingの突然の辞任から、Sherron Watkinsの警告、SEC調査、Dynegyによる救済交渉、信用格付けの崩壊、そして12月2日のChapter 11申請まで――Enronが2001年に崩壊した約4か月間を時系列で追います。

CASE FILE 36

Enron崩壊特集(全10回)

  1. Enronはなぜ崩壊したのか|巨大エネルギー企業を破綻させた不正会計の全体像
  2. Enronは何の会社だったのか|ガス会社から「エネルギーを取引する会社」へ変わった仕組み
  3. Enronの利益はどう作られたのか|時価評価会計と「将来利益」を先に計上する仕組み
  4. Enronは負債と損失をどう見えにくくしたのか|SPE、LJM、Raptorの仕組み
  5. Enron取締役会はなぜ止められなかったのか|Fastowの利益相反と企業統治の失敗
  6. Arthur AndersenはEnronで何をしていたのか|監査、文書破棄、最高裁判決まで 【現在の記事】
  7. Enronは2001年にどう崩壊したのか|Skilling辞任から12月2日の破産申請まで
  8. Enronの不正はどう解明されたのか|Powers Report、SEC、FBI、Enron Task Forceの捜査
  9. Enron事件で誰が有罪になったのか|Lay、Skilling、Fastowらの刑事責任を整理する
  10. Enron崩壊は何を変えたのか|SOX法、PCAOB、内部統制と企業監査のその後

主な参照資料

  • Supreme Court of the United States:Arthur Andersen LLP v. United States, 544 U.S. 696(2005)
  • U.S. Department of Justice:Arthur Andersen LLP v. United States — Brief for the United States
  • U.S. Department of Justice:Arthur Andersen Indictment / News Conference(2002年3月14日)
  • U.S. Department of Justice:Statement on the Arthur Andersen Verdict(2002年6月15日)
  • U.S. Department of Justice:Statement on Arthur Andersen Sentencing(2002年10月16日)
  • U.S. Securities and Exchange Commission:Statement Regarding Andersen Case Conviction(2002年6月15日)
  • U.S. Senate Permanent Subcommittee on Investigations:The Role of the Board of Directors in Enron’s Collapse(2002年)

※Arthur Andersenをめぐる「監査上の問題」と「文書破棄をめぐる刑事責任」は分離して記述しています。Arthur Andersen LLPが2002年に有罪評決を受けた刑事事件は、Enronの不正会計そのものではなく、18 U.S.C. §1512(b)に基づく文書破棄・司法妨害事件です。2005年5月31日の連邦最高裁判決は、第一審の陪審指示が「knowingly … corruptly persuades」の犯罪要件や公式手続との関係を十分に伝えていなかったとして有罪判決を破棄・差し戻したもので、Enron監査の適切性や文書破棄の事実そのものについてArthur Andersenを全面的に免責した判決ではありません。また、2001年10月以降の文書破棄の意図に関する記述では、司法省が起訴・裁判で主張した内容と、最高裁が最終的に示した法解釈を区別しています。

Enronは2001年にどう崩壊したのか|Skilling辞任から12月2日の破産申請まで

企業不祥事・経済犯罪

2001年7月。

Enronはまだ巨大企業でした。

その年の初めまで株価は80ドルを超える水準にあり、天然ガス・電力取引を中心とする世界有数のエネルギー企業として市場から評価されていました。

ところが12月2日、EnronはChapter 11――米連邦破産法11章の適用を申請します。

わずか数か月です。

8月にはCEO Jeffrey Skillingが突然辞任。

社内ではSherron Watkinsが会計問題を警告します。

10月には巨額損失と12億ドルの株主資本減額が表面化。

SECが調査へ入り、CFO Andrew Fastowは職を外されます。

11月には過去の財務諸表を修正すると発表。

信用格付けが下がり、資金調達能力が弱まり、取引相手が距離を取り始めます。

最後の救済策となった競合企業Dynegyによる買収も破談。

11月28日、格付けが投資不適格級へ落ちると、Enronを支えていた信用の循環はほぼ停止しました。

そして4日後。

2001年12月2日、EnronはChapter 11を申請しました。

Enronは、ある日突然倒産した会社ではありません。

数年間かけて蓄積した問題が、2001年秋に「信用」という一点へ集まり、一気に崩壊した会社でした。

この記事で分かること

  • 2001年夏までEnronはどのような状態だったのか
  • Jeffrey Skillingはいつ、なぜCEOを辞任したのか
  • Sherron Watkinsは何をKenneth Layへ警告したのか
  • 10月16日の巨額損失発表は何を意味したのか
  • 12億ドルの株主資本減額はなぜ市場へ衝撃を与えたのか
  • SEC調査とFastow解任はいつ始まったのか
  • 11月8日の過年度決算修正で何が変わったのか
  • DynegyはなぜEnronを救済しようとしたのか
  • 信用格付け低下がなぜ致命傷になったのか
  • Enronはなぜ12月2日にChapter 11へ進んだのか

CASE FILE 36

Enron崩壊特集(全10回)

第7回では、これまで扱った会計・SPE・企業統治・監査の問題が、2001年にどのように企業崩壊へ転化したのかを時系列で追います。

ここで重要なのは「不正が発覚したから即倒産した」という単純な流れではありません。

Enronは大量のエネルギー取引を行う会社でした。取引を続けるには、銀行、格付け会社、投資家、取引相手から「Enronは支払える」と信用され続ける必要があります。

その信用が失われる過程こそ、2001年秋の本当の崩壊です。

  1. Enronはなぜ崩壊したのか|巨大エネルギー企業を破綻させた不正会計の全体像
  2. Enronは何の会社だったのか|ガス会社から「エネルギーを取引する会社」へ変わった仕組み
  3. Enronの利益はどう作られたのか|時価評価会計と「将来利益」を先に計上する仕組み
  4. Enronは負債と損失をどう見えにくくしたのか|SPE、LJM、Raptorの仕組み
  5. Enron取締役会はなぜ止められなかったのか|Fastowの利益相反と企業統治の失敗
  6. Arthur AndersenはEnronで何をしていたのか|監査、文書破棄、最高裁判決まで
  7. Enronは2001年にどう崩壊したのか|Skilling辞任から12月2日の破産申請まで 【現在の記事】
  8. Enronの不正はどう解明されたのか|Powers Report、SEC、FBI、Enron Task Forceの捜査
  9. Enron事件で誰が有罪になったのか|Lay、Skilling、Fastowらの刑事責任を整理する
  10. Enron崩壊は何を変えたのか|SOX法、PCAOB、内部統制と企業監査のその後

先に結論|Enronは「損失」より先に「信用」を失った

2001年のEnron崩壊を理解するには、損益計算書だけを見てはいけません。

Enronは一般的な製造会社とは異なります。

大量の天然ガス・電力・デリバティブを取引し、多数の金融機関やエネルギー会社と契約を結ぶトレーディング企業でした。

このビジネスでは、信用が重要な資源になります。

取引相手が、

「Enronなら半年後も契約を履行できる」

と考えるから、Enronと長期契約を結びます。

銀行が、

「Enronなら返済できる」

と考えるから、融資や信用枠を提供します。

格付け会社がEnronを投資適格と評価するから、契約上要求される担保も抑えられます。

ところが2001年秋、

  • 巨額損失
  • 株主資本の修正
  • 関連当事者取引
  • SEC調査
  • 過年度決算修正
  • 信用格付け低下

が次々と表面化します。

すると市場の問いは、

「今年の利益はいくらか」

から、

「Enronの数字を、そもそも信用してよいのか」

へ変わりました。

これが致命的でした。

2001年初頭|株価はすでに下がり始めていた

Enronの株価は2000年に90ドルを超える水準へ達していました。

しかし2001年に入ると下落が続きます。

その背景には、テクノロジー株の下落、Enron Broadband Servicesへの疑問、カリフォルニア電力危機をめぐる批判、複雑な財務構造への懸念など複数の要素がありました。

3月にはFortune誌がEnronの評価額について疑問を投げかける記事を掲載しています。

それでもEnron経営陣は、市場へ強気な成長見通しを示し続けました。

7月12日の第2四半期アナリスト向け説明でも、SkillingはEnronの業績と将来について強気な説明を行っています。

この時点では、数か月後にChapter 11へ入る企業として市場に認識されていたわけではありません。

2001年8月14日|Jeffrey Skillingが突然辞任

転機となるのが8月14日です。

Jeffrey SkillingがEnronのPresident兼CEOを辞任しました。

CEOに就任したのは同年2月。

わずか約半年です。

Enronは辞任理由をpersonal reasons――個人的理由と発表しました。

創業期からEnronを率いていたKenneth Layが再びCEO職を引き受けます。

市場にとって、この辞任は異常でした。

SkillingはEnronの事業モデルを作り上げた中心人物の一人です。

しかも会社は直前まで成長を強調していました。

そのCEOが突然辞める。

投資家は当然、

「会社内部に何かあるのではないか」

と考えます。

辞任当日|Layは「重大な問題はない」と説明した

8月14日のアナリスト向け電話会議で、Kenneth LayはSkillingの辞任について、会計問題や取引上の問題が原因ではないという趣旨の説明をしました。

LayはEnronの状態についても強い表現で市場を安心させようとします。

しかし後のSEC訴訟では、Skilling辞任後、LayがEnron経営陣から会社の悪化する財務状態について繰り返し説明を受けていたことが問題とされました。

この時点では、外部市場へ説明されているEnron像と、社内で認識され始めていた問題との距離が拡大していました。

8月15日|Sherron WatkinsがKenneth Layへ警告

Skilling辞任の翌日。

EnronのVice PresidentだったSherron Watkinsは、Kenneth Lay宛てに書面を作成しました。

WatkinsはEnronの会計処理、特にRaptorなどの取引について強い懸念を持っていました。

書面では、Skillingの突然の辞任によって市場がEnronの会計処理や資産評価を疑う可能性を指摘しています。

そしてEnronが、会計問題によって「崩壊する可能性」を警告しました。

Watkinsが問題視したのは、すべてのEnron事業ではありません。

特に、

  • Raptor取引
  • 関連当事者取引
  • 国際資産の評価
  • 一部mark-to-marketポジション

などでした。

Watkinsは「外部から突然現れた告発者」ではなかった

Sherron WatkinsはEnron社員です。

後に「Enron whistleblower」として知られるようになりますが、2001年8月時点では、まず社内のKenneth Layへ問題を伝えています。

WatkinsはArthur Andersen関係者にも懸念を伝えました。

つまりこの段階で、Enron経営陣と監査法人の一部には、Raptorを含む会計問題が重大化する可能性を示す情報が存在していました。

Layは外部法律事務所Vinson & ElkinsにWatkinsの指摘を調査させます。

しかしこの調査は、Enron崩壊を防ぐような全面的な独立法廷会計調査にはなりませんでした。

8月末|SECの関心も高まる

Enronをめぐる疑問は社内だけではありませんでした。

2001年8月末には、Enronの会計や関連取引に関する報道を受け、SECもEnronについて非公式な問い合わせを始めます。

ただし、この段階と後の正式なSEC調査は区別する必要があります。

SECが正式な調査命令を出すのは10月30日です。

8月から10月にかけて、外部からの疑念は少しずつ強まっていました。

9月|会社はまだ「通常運転」を維持しようとしていた

9月になると、Enron内部ではRaptorの会計処理や資産評価についてさらに検討が続きます。

Arthur Andersen内部でもEnronをめぐる法的・会計上のリスクへの懸念が高まりました。

しかし市場全体から見れば、Enronはまだ営業を続けています。

天然ガスや電力取引も続いていました。

銀行取引も存在します。

会社が停止したわけではありません。

Enron崩壊の特徴はここにあります。

会社内部の問題が深刻化していても、信用が残っている間は巨大企業として動き続けることができた。

その信用が壊れ始めるのが10月です。

2001年10月16日|10億1000万ドルの費用を発表

10月16日、Enronは2001年第3四半期決算を発表しました。

そこで計上されたのが、約10億1000万ドルの税引後費用です。

資産の減損、リストラクチャリング、投資関連損失などが含まれていました。

第3四半期の純損失は6億1800万ドル

それまで成長企業として利益拡大を強調してきたEnronが、突然巨額の損失を出しました。

しかし市場をさらに混乱させたのは、損失額だけではありません。

同日|株主資本が12億ドル減っていた

10月16日のアナリスト向け電話会議では、Enronの株主資本が約12億ドル減額されていることも明らかになります。

原因は、第4回で扱ったLJM2やSPEに関連するEnron株取引でした。

この12億ドルは、単純に「第3四半期に12億ドル損した」という意味ではありません。

Enronは後に、これを過去の会計処理上の誤りを修正するものとして説明します。

10月16日に表面化 内容
約10億1000万ドル 資産減損・リストラクチャリング等を含む税引後費用
6億1800万ドル 第3四半期純損失
約12億ドル SPE関連取引等に関係する株主資本減額

問題は、投資家から見れば、

「なぜこれほど大きな修正が今になって出てくるのか」

という点でした。

「一時的な損失」ではなく「数字を信用できるか」という問題へ

企業が巨額損失を出すこと自体は珍しくありません。

設備投資に失敗することもあります。

買収した会社の価値が下がることもあります。

問題は、Enronの場合、同時に複雑な関連当事者取引が表面化したことです。

しかもその取引の中心にいたのはCFO Andrew Fastow。

Enronの財務を管理する人物自身が、Enronと取引するLJMを運営していました。

すると市場の疑問は、

「この投資に失敗したのか」

ではなく、

「これまで公表されてきたEnronの財務諸表そのものは正しかったのか」

へ変化します。

10月17日以降|SECが説明を求め始める

Enronの発表直後、SECは同社に対して関連当事者取引などについて説明を求め始めました。

10月後半、EnronとFastow、LJMをめぐる情報は急速に公の問題となっていきます。

Wall Street JournalなどでもFastowとLJMの関係が詳しく報じられました。

Enronはもはや、

「通常の業績悪化」

として問題を説明できなくなります。

10月24日|Andrew FastowがCFO職を外される

10月24日、EnronはAndrew FastowをCFO職から外しました。

Fastowはその後、Enronを離れます。

これは市場へ強烈なメッセージを送りました。

会社がこれまで承認してきたLJM関連取引の中心人物が、財務責任者の地位を失ったからです。

Fastowを外すことでEnronは信頼回復を図ろうとしました。

しかし同時に、

「それほど重大な問題が存在していた」

と市場へ認識させることにもなりました。

10月29日・11月1日|信用格付けが下がる

10月末から11月初め、主要格付け会社はEnronの信用格付けを引き下げました。

この格下げが重要なのは、株価が下がるからだけではありません。

Enronには、信用格付けと連動する契約が多数存在していました。

格付けが低下すると、

  • 追加担保を要求される
  • 債務返済が早まる
  • 取引相手から保証を要求される
  • 新しい取引を拒否される
  • 銀行融資が難しくなる

可能性があります。

つまり格付け低下は、単なる「評判の悪化」ではありません。

実際に会社から現金を流出させる可能性があるのです。

10月30日|SECが正式調査へ移行

10月30日、SECはEnronに関する正式な調査命令を出しました。

調査対象には、

  • EnronのSEC提出書類に重大な虚偽表示がなかったか
  • 財政状態や経営成績が正しく表示されていたか
  • 関連当事者取引が適切に開示されていたか
  • 証券法上の詐欺的行為が存在したか

などが含まれます。

翌10月31日には、SECがFastowへ文書提出・証言を求める召喚状を出しました。

この段階でEnronの問題は、社内調査やメディア報道だけではなく、正式な証券規制当局の調査対象となりました。

11月8日|過去4年半の財務諸表を修正すると発表

そして11月8日。

EnronはSECへForm 8-Kを提出し、重大な発表を行います。

1997年、1998年、1999年、2000年。

さらに2001年第1・第2四半期。

これらの財務諸表を修正すると表明したのです。

SECの2001年12月時点の議会証言では、修正によって過去4年半の報告純利益は合計5億6900万ドル減額されるとされています。

これは対象期間の報告純利益のおよそ16%に相当しました。

後の司法省の刑事事件資料では、対象範囲の計算として5億8600万ドルという数字も用いられています。

資料によって集計額に差がありますが、重要なのは数百万ドルの差ではありません。

Enronが複数年度にわたって過去の公表利益を修正する必要があると認めたことです。

「過去の数字を信用しないでください」という状態

11月8日の8-KでEnronは、修正対象となる過年度財務諸表について、投資家が以前の数字へ依存すべきではないことを示しました。

Arthur Andersenが発行していた過年度監査報告も含まれます。

これは市場にとって極めて深刻です。

投資家が企業価値を判断するときには、

  • 過去の利益
  • 利益成長率
  • 負債
  • 株主資本
  • キャッシュフロー

を使います。

ところが、その基礎となる過去の財務諸表が修正対象になった。

すると、

「Enronは実際にはどれほど利益を出し、どれほど負債を抱えている会社なのか」

を市場が判断しにくくなります。

Chewco・JEDIなどがEnronへ戻ってくる

決算修正の重要な理由の一つが、これまで非連結として扱っていたSPE・共同事業体です。

第4回で扱ったChewcoやJEDIなどについて、EnronとArthur Andersenは、会計基準上Enronへ連結する必要があると判断しました。

すると、それまでEnron本体の数字から切り離されていた負債や損失の一部が、Enronの財務諸表へ戻ってきます。

この時点で、第4回の「SPEの独立性」という会計問題が、現実の信用問題へ変わりました。

11月8日|同じ日にDynegyとの交渉が表面化

同じ11月8日、Enronは競合するエネルギー会社Dynegyと企業結合について交渉していることを認めました。

Enron単独では信用を維持することが難しくなっていました。

そこで、同じHoustonを拠点とするエネルギー企業Dynegyの信用力を利用し、Enronを救済する構想が浮上します。

11月9日|Dynegyによる救済買収が発表される

11月9日、DynegyはEnronを買収する計画を発表しました。

SECの当時の議会証言では、約90億ドル相当のDynegy株式による買収と、約130億ドルのEnron債務を引き受ける構想として説明されています。

Enronにとって、これは事実上の救済策でした。

Dynegyという信用力のある企業と統合できれば、

  • 銀行
  • 格付け会社
  • 取引相手
  • 投資家

の不安を抑えられる可能性があります。

Enronには現金も必要でした。

Dynegy側の大株主ChevronTexacoも資金支援へ関与します。

市場では、

「Enronは単独では危ないが、Dynegyに救済されれば生き残れるかもしれない」

という期待が生まれました。

しかし問題は「会社価値」ではなく「毎日の信用」だった

買収契約が発表されても、Enronの危機は終わりませんでした。

エネルギー取引会社では、毎日大量の契約が動きます。

取引相手がEnronの信用力を疑えば、

「今後Enronとは取引しない」

「担保を追加してください」

「現金で保証してください」

となります。

すると現金がさらに必要になります。

現金が減る。

それを見て格付け会社が懸念する。

格付けが下がる。

さらに担保が必要になる。

取引相手がさらに逃げる。

この循環が始まると、買収が完了するまで数か月待つ余裕がありません。

Enronの崩壊を速めた「rating trigger」

Enronの一部契約には、信用格付けが一定水準以下へ下がった場合に、

  • 返済期限が前倒しになる
  • 追加担保が必要になる
  • 契約を解除できる

などの条項がありました。

このような仕組みは一般にrating triggerと呼ばれます。

11月19日にEnronが提出した第3四半期Form 10-Qでは、すでに格付け低下を理由として、あるlimited partnership関連の6億9000万ドルのnote payableが期限前返済対象になったことが明らかにされました。

さらに格付けがinvestment grade――投資適格――を下回った場合、追加の債務が前倒しになる可能性も開示されていました。

これは非常に危険な状態です。

信用力が悪化すると現金が必要になり、現金不足がさらに信用力を悪化させます。

11月19日|Arthur Andersenも四半期レビューを完了できなかった

11月19日の10-Qには、もう一つ異例の情報があります。

Arthur Andersenが、Enron取締役会Special Committeeの調査が続いているため、通常必要となる第3四半期財務諸表のレビューを提出期限までに完了できなかったと開示されました。

Enronは上場会社です。

その四半期報告について外部監査法人が通常のレビューを完了できていない。

これも市場の信頼をさらに弱めました。

11月後半|Dynegyは条件変更を求める

Enronの状況が悪化するにつれ、Dynegy側も当初の条件で買収することに慎重になります。

新しい問題が次々と発覚し、Enronの株価も下落。

取引事業から顧客が離れ、企業価値そのものが低下していきます。

11月上旬に評価したEnronと、11月下旬のEnronは同じ会社ではありませんでした。

合併交渉は続きましたが、Dynegyにとって引き受けるリスクは日ごとに大きくなっていきます。

Enronに残された最後の線は「investment grade」だった

Enronにとって、この時期もっとも重要だったのがinvestment grade――投資適格格付けを維持することでした。

Enron内部の11月23日付資料でも、Dynegyとの取引と追加資金確保によって投資適格級を維持することが極めて重要だと認識されていました。

投資不適格級――いわゆるjunk status――へ落ちれば、

  • 取引相手の撤退
  • 追加担保請求
  • 債務の期限前返済
  • 新規資金調達の困難

がさらに加速する可能性があります。

Enronは、格付けを守るためにDynegyを必要としていました。

しかしDynegyは、Enronの信用が保たれていなければ買収できません。

ここに悪循環が生まれます。

11月28日|信用格付けが投資不適格級へ

2001年11月28日。

Enronの信用格付けは主要格付け会社によって相次いでinvestment grade以下へ引き下げられました。

これが決定的な瞬間でした。

Enronの信用を支えていた最後の防壁が崩れます。

格付け低下は、単なる評価変更ではありません。

契約上の担保や返済条件を動かし、取引相手へ「Enronとの取引には以前より大きな信用リスクがある」と公式に示す出来事です。

同日|Dynegyが買収を取りやめる

格下げ後、DynegyはEnronとの合併契約を解除しました。

Dynegyは、Enronが合併契約上の表明・保証・契約条件などに違反し、重大な悪化が生じたことなどを理由に挙げました。

Enron側はこの解除を争います。

しかし会社を救済するという観点では、法的責任の議論をしている時間は残っていませんでした。

Enronが市場へ示せる最後の大規模救済策が消えたからです。

11月上旬

  • Dynegy買収案
  • 外部資金投入
  • 信用回復への期待
  • 投資適格維持を目指す

11月下旬

  • 追加問題が表面化
  • 株価下落
  • 取引相手が離脱
  • 流動性が悪化

11月28日

  • 投資不適格級へ格下げ
  • Dynegyが合併解除
  • 救済案消滅
  • Chapter 11が現実化

なぜ銀行から借りればよかった、では済まなかったのか

巨大企業が短期的な資金不足に陥った場合、銀行融資で乗り切れることがあります。

しかしEnronの場合、資金不足の原因が一時的な季節変動ではありません。

市場から、

「この会社の財務状態がどこまで悪いのか分からない」

と思われていました。

過去の決算は修正対象。

SPEの負債や損失も再評価中。

SECが正式調査。

外部監査法人も四半期レビューを終えられない。

競合企業による救済買収も破談。

信用格付けは投資不適格。

この状況で新たに巨額資金を貸す金融機関には、極めて高いリスクがあります。

トレーディング企業では「顧客離れ」が資産そのものを壊す

製造会社なら、株価が暴落しても翌日から工場が消えるわけではありません。

機械や土地は残ります。

しかしEnronの重要事業はエネルギー・トレーディングでした。

そこで価値を持つのは、

  • 取引相手との信用
  • 長期契約
  • 市場流動性
  • 信用枠
  • 大量の取引ネットワーク

です。

顧客が、

「Enronは契約満了まで存在しないかもしれない」

と考えれば、新しい契約を結ばなくなります。

すると取引量が減ります。

取引部門の価値が下がります。

企業価値がさらに下がります。

さらに信用が落ちます。

Enronでは、信用喪失そのものが事業価値を破壊する構造になっていました。

11月30日|もはや通常営業の維持が困難になる

Dynegyとの合併が消えた後、Enronは新たな資金調達や再建策を探しました。

しかし市場から十分な資金を確保することはできませんでした。

取引相手はポジションを縮小し、銀行や債権者との関係も急速に厳しくなります。

Enronには、債務を整理しながら事業を維持するための法的枠組みが必要になりました。

そこで選ばれたのがChapter 11です。

2001年12月2日|EnronがChapter 11を申請

2001年12月2日。

Enron Corp.と複数の子会社は、ニューヨークの連邦破産裁判所へChapter 11の適用を申請しました。

Chapter 11は、日本語ではしばしば「破産」と表現されますが、会社を即座に清算するChapter 7とは異なります。

裁判所の監督下で債務を整理し、事業再建や資産売却を進める制度です。

つまり12月2日の時点でEnronが消滅したわけではありません。

しかし、

独立した巨大エネルギー企業として従来どおり事業を続けることはできなくなった

と考えるべきです。

同日|EnronはDynegyを100億ドルで提訴

Chapter 11申請と同日、EnronはDynegyに対して100億ドルの損害賠償を求める訴訟も起こしました。

EnronはDynegyによる合併解除が契約違反だと主張しました。

しかしこれは、Enronの倒産を直ちに回避するものではありません。

法廷でDynegyとの契約責任を争う一方、Enron本体は破産裁判所の管理下へ入りました。

2001年の崩壊を1本の時系列にすると

日付 出来事 意味
7月12日 第2四半期説明 経営陣はなお強気な業績説明
8月14日 Skilling辞任 市場へ最初の大きな不安
8月15日 WatkinsがLayへ警告 社内で会計問題への重大な懸念
8月末 SECが非公式な関心・問い合わせ 外部規制当局にも疑問が拡大
10月16日 10億1000万ドルの費用・6億1800万ドル純損失 巨額損失が表面化
10月16日 約12億ドルの株主資本減額 SPE会計への疑念拡大
10月24日 FastowをCFOから外す LJM問題の中心人物を排除
10月29日・11月1日 信用格付け引き下げ 資金・担保面の圧力上昇
10月30日 SECが正式調査命令 規制当局による本格調査へ
11月8日 1997年以降の決算修正を発表 過去の財務情報への信用低下
11月9日 Dynegy救済買収案 生き残るための主要救済策
11月19日 第3四半期10-Q 債務前倒し・流動性リスクが明確化
11月28日 投資不適格級へ格下げ 信用危機が決定的になる
11月28日 Dynegyが合併解除 主要救済案が消滅
12月2日 Chapter 11申請 従来形態での事業継続が不可能に

FACT CHECK|Enron崩壊を単純化しすぎない

確認できる

  • Skillingは8月14日に辞任
  • Watkinsは翌15日にLayへ警告
  • 10月16日に巨額損失を発表
  • 10月24日にFastowがCFO職を外れた
  • 11月8日に過年度修正を発表
  • 12月2日にChapter 11を申請

一段階ではない

  • 損失発表だけで倒産したわけではない
  • SEC調査だけで倒産したわけではない
  • Dynegy撤退だけが原因ではない
  • 株価下落だけで倒産したわけではない

崩壊メカニズム

  • 財務情報への疑念
  • 格付け低下
  • 担保・返済負担増
  • 取引相手の離脱
  • 流動性悪化
  • 救済買収の失敗

Enronは「粉飾がばれて倒産した」だけではない

Enron事件を短く説明すると、

「不正会計が発覚し、会社が倒産した」

となります。

大筋では間違いではありません。

しかし、この説明では2001年の速さが分かりません。

Enronを実際に破産申請へ追い込んだのは、

会計問題 → 信用不安 → 格付け低下 → 資金流出 → 取引減少 → さらなる信用不安

という連鎖でした。

これはトレーディング企業特有の弱点でもあります。

取引企業は、資本だけでなく信用を使って巨大な取引量を維持します。

そのため信用が失われると、数字上まだ資産が残っていても、営業を維持するための流動性が急速に失われることがあります。

株価下落は「結果」であると同時に「原因」にもなった

Enronでは株価も重要でした。

株価が下がれば株主が損をするだけではありません。

第4回で扱ったRaptorのように、Enron株そのものを資本や信用の基礎として使っていた取引が存在しました。

株価が下がる。

Raptorが弱くなる。

財務上の問題が拡大する。

さらに株価が下がる。

こうしてEnron株は単なる「企業評価の結果」ではなく、会社内部の金融構造にも影響を与える要素になっていました。

格付け低下も「結果」であり「原因」だった

信用格付けにも同じことが起きました。

財務状態が悪化する。

格付けが下がる。

担保や返済が必要になる。

現金が減る。

財務状態がさらに悪化する。

格付けがまた下がる。

これをnegative feedback loop――負の循環として見ると、Enronの崩壊速度が理解しやすくなります。

SYSTEM|Enronを崩壊させた連鎖

段階 起きたこと
1 長年の会計・SPE問題が蓄積
2 Skilling辞任とWatkins警告で内部不安が顕在化
3 10月に損失・株主資本減額が公表
4 SEC調査とFastow問題で財務情報への信頼低下
5 過去の決算修正で疑念が確信へ近づく
6 格付け低下で資金・担保問題が拡大
7 取引相手が離れトレーディング事業が弱体化
8 Dynegyによる救済を模索
9 投資不適格化とDynegy撤退
10 流動性を維持できずChapter 11へ

こうして見ると、Enron崩壊は一つの会計仕訳から起きた事件ではありません。

会計。

SPE。

利益相反。

取締役会。

監査。

信用格付け。

銀行融資。

取引相手。

株価。

これらが相互に接続されていました。

一つの場所で信頼が崩れると、別の場所へ連鎖していったのです。

「8月14日から12月2日」だけで事件が起きたわけではない

もう一つ注意が必要です。

この記事では2001年夏から12月までを時系列で追いました。

しかし、Enronの問題がこの約4か月で作られたわけではありません。

Chewcoは1997年。

LJMは1999年。

Raptorは2000年。

mark-to-marketを中心とする評価問題も、それ以前から存在しました。

2001年秋に起きたのは、

問題の発生ではなく、長年積み重なった問題を市場から隠し続けることができなくなったこと

です。

要点まとめ

2001年初頭、Enronの株価はすでに下落していましたが、会社は依然として巨大なエネルギー取引企業として営業を続けていました。

8月14日、CEO Jeffrey Skillingが「個人的理由」を理由として突然辞任。

翌15日、Sherron WatkinsがKenneth LayへRaptorや資産評価などの会計問題について警告しました。

10月16日、Enronは約10億1000万ドルの税引後費用と6億1800万ドルの第3四半期純損失を発表します。

さらに、SPE関連取引などに関係する約12億ドルの株主資本減額が表面化しました。

10月24日にはCFO Andrew Fastowが職を外され、10月30日にはSECが正式調査を開始します。

11月8日、Enronは1997年以降の複数年度の財務諸表を修正すると発表。

過去の公表利益や負債の正確性そのものが疑われる状態となりました。

翌11月9日にはDynegyによる救済買収計画が発表されます。

しかしEnronの信用不安は止まりません。

格付けが下がるにつれて、債務の期限前返済、追加担保、取引相手離脱といった流動性問題が深刻化します。

11月28日、Enronの信用格付けは投資不適格級へ低下。

同日、Dynegyは合併契約を解除しました。

最後の主要救済策を失ったEnronは、4日後の2001年12月2日、Chapter 11を申請します。

Enronを倒したのは、単独の巨額損失ではありません。

「財務諸表を信用できない」という疑念が、格付け・銀行・取引相手・株価・資金繰りへ連鎖し、巨大トレーディング企業を動かすための信用そのものが消えた。

これが2001年の崩壊でした。

しかしChapter 11は、事件の終わりではありません。

会社が崩壊したことで、それまで社内に存在していた膨大な契約書、電子メール、銀行口座、SPE、会計記録が捜査対象になります。

FBI、SEC、IRS Criminal Investigation、司法省は、それらを一件ずつ追い、複雑な企業取引を刑事事件として再構成していきました。

次回は、Enronの不正がどのように解明されたのか――Powers Report、SEC、FBI、Enron Task Forceによる大規模捜査を追います。

CASE FILE 36

Enron崩壊特集(全10回)

  1. Enronはなぜ崩壊したのか|巨大エネルギー企業を破綻させた不正会計の全体像
  2. Enronは何の会社だったのか|ガス会社から「エネルギーを取引する会社」へ変わった仕組み
  3. Enronの利益はどう作られたのか|時価評価会計と「将来利益」を先に計上する仕組み
  4. Enronは負債と損失をどう見えにくくしたのか|SPE、LJM、Raptorの仕組み
  5. Enron取締役会はなぜ止められなかったのか|Fastowの利益相反と企業統治の失敗
  6. Arthur AndersenはEnronで何をしていたのか|監査、文書破棄、最高裁判決まで
  7. Enronは2001年にどう崩壊したのか|Skilling辞任から12月2日の破産申請まで 【現在の記事】
  8. Enronの不正はどう解明されたのか|Powers Report、SEC、FBI、Enron Task Forceの捜査
  9. Enron事件で誰が有罪になったのか|Lay、Skilling、Fastowらの刑事責任を整理する
  10. Enron崩壊は何を変えたのか|SOX法、PCAOB、内部統制と企業監査のその後

主な参照資料

  • U.S. Securities and Exchange Commission:Testimony — Recent Events Relating to Enron Corporation(2001年12月12日)
  • U.S. Securities and Exchange Commission:Complaint — Jeffrey K. Skilling and Richard A. Causey
  • U.S. Securities and Exchange Commission:Kenneth L. Lay Litigation Release
  • U.S. Securities and Exchange Commission:Andrew S. Fastow subpoena enforcement materials
  • U.S. Department of Justice:Richard A. Causey Indictment
  • U.S. Department of Justice:Skilling v. United States — Brief for the United States
  • U.S. Department of Justice:Enron Trial Exhibits and Releases
  • U.S. Senate:Sherron Watkins’ Letter to Board Chairman Kenneth Lay(2001年8月15日)
  • Enron Corp.:Form 8-K(2001年11月8日)
  • Enron Corp.:Form 10-Q for Quarter Ended September 30, 2001

※本記事は2001年の企業崩壊時系列を中心としており、後の刑事裁判で認定された個人の犯罪事実とは分離しています。Skilling・Layらに関するSEC訴状や司法省資料で示された当時の認識・発言は、訴訟上の主張または後の裁判資料として扱っています。過年度純利益の減額については、2001年12月のSEC議会証言では5億6900万ドル、後の司法省刑事事件資料では5億8600万ドルとの数字が示されており、資料の集計範囲・計算に差があるため本文では両方を明記しました。またEnronの「junk」格付け到達日について資料間で表現差があるため、本記事ではSECの2001年12月議会証言および司法省資料に沿い、Dynegy撤退と直結した2001年11月28日の投資不適格級への格下げを主要転換点として扱っています。

Enronの不正はどう解明されたのか|Powers Report、SEC、FBI、Enron Task Forceの捜査

企業不祥事・経済犯罪

2001年12月2日、EnronがChapter 11を申請したことで、会社の経営は事実上崩壊しました。

しかし捜査する側にとって、事件はそこから始まります。

Enronには、単純な「裏帳簿」が一冊存在したわけではありません。

問題となった取引は、

  • 数年間にわたる会計処理
  • 多数のSPE
  • デリバティブ
  • 銀行融資
  • 関連当事者取引
  • 電子メール
  • 取締役会資料
  • 投資家向け説明

の中へ分散していました。

一つの取引だけを見ても、それが通常の企業金融なのか、会計基準を誤って適用したものなのか、それとも投資家を欺くため意図的に作られた取引なのかは分かりません。

さらに刑事事件として責任を問うには、

「数字が間違っていた」

だけでは足りません。

誰がその数字を知っていたのか。

誰が取引を設計したのか。

誰が承認したのか。

誰が市場へ何を説明したのか。

そして、その説明が虚偽だと本人が認識していたのか。

そこまで証拠でつなぐ必要があります。

FBIは後にEnron捜査を、同局史上もっとも複雑なホワイトカラー犯罪捜査になったと振り返っています。

最終的に捜査官は、

  • 1800件を超える事情聴取
  • 3000箱を超える物証
  • 4テラバイトを超えるデジタルデータ
  • 600人を超えるEnron社員の電子メール

を分析しました。

Enron事件は、会社が倒産しただけでは解明されませんでした。

数百万件規模の記録から、誰が何を知り、何をしたのかを逆算する捜査によって、初めて刑事事件として再構成されていったのです。

この記事で分かること

  • Enron倒産後、捜査はどのように始まったのか
  • FBIはどれほど大量の証拠を集めたのか
  • Powers Reportとは誰が作った報告書なのか
  • Powers Reportがなぜ捜査の重要資料になったのか
  • SECとDOJ・FBIでは役割がどう違うのか
  • IRS Criminal Investigationは何を担当したのか
  • 複雑なSPE取引をどのように証拠へ変えたのか
  • 電子メール・銀行口座・証言はどう組み合わされたのか
  • 協力者の供述はなぜ重要だったのか
  • 最終的に経営トップまで捜査が届いた理由

CASE FILE 36

Enron崩壊特集(全10回)

第8回では、Enron崩壊後の捜査を扱います。

第7回までで確認した会計、SPE、取締役会、Arthur Andersen、2001年の信用崩壊を、捜査当局はどのように証拠へ置き換え、個人の刑事責任へつなげたのでしょうか。

今回は捜査手法と証拠形成を中心とし、Lay、Skilling、Fastowらの最終的な刑事責任については第9回で整理します。

  1. Enronはなぜ崩壊したのか|巨大エネルギー企業を破綻させた不正会計の全体像
  2. Enronは何の会社だったのか|ガス会社から「エネルギーを取引する会社」へ変わった仕組み
  3. Enronの利益はどう作られたのか|時価評価会計と「将来利益」を先に計上する仕組み
  4. Enronは負債と損失をどう見えにくくしたのか|SPE、LJM、Raptorの仕組み
  5. Enron取締役会はなぜ止められなかったのか|Fastowの利益相反と企業統治の失敗
  6. Arthur AndersenはEnronで何をしていたのか|監査、文書破棄、最高裁判決まで
  7. Enronは2001年にどう崩壊したのか|Skilling辞任から12月2日の破産申請まで
  8. Enronの不正はどう解明されたのか|Powers Report、SEC、FBI、Enron Task Forceの捜査 【現在の記事】
  9. Enron事件で誰が有罪になったのか|Lay、Skilling、Fastowらの刑事責任を整理する
  10. Enron崩壊は何を変えたのか|SOX法、PCAOB、内部統制と企業監査のその後

先に結論|捜査は「数字」だけではなく「人の認識」を追った

Enronの財務諸表が誤っていたことを示すだけなら、会計上の再検証でも可能です。

しかし刑事事件では、さらに先へ進む必要があります。

たとえば、ある資産が実際より1億ドル高く評価されていたとします。

これだけでは、

  • 単純な計算ミス
  • 市場予測の失敗
  • 会計基準の解釈ミス
  • 経営者の過度に楽観的な判断
  • 利益を増やすための意図的操作

のどれなのか分かりません。

刑事捜査では、その周囲にある証拠を集めます。

証拠 確認できること
電子メール 当事者が当時何を知っていたか
会議資料 どの問題が経営陣へ報告されたか
契約書 正式な取引条件
サイドレター 表向きの契約と異なる約束がなかったか
銀行記録 実際に資金が誰から誰へ動いたか
証券口座 株式売却や利益取得の実態
社内会計データ 取引が財務諸表へどう反映されたか
投資家向け発言 経営者が市場へ何を説明したか
社員の供述 取引の目的や内部での指示

これらを組み合わせることで、

「本人は本当の状態を知っていたのに、市場へ別の説明をしたのではないか」

という刑事事件の構造を作っていきます。

2001年12月|最初はFBI捜査官2人だった

EnronがChapter 11を申請すると、FBI Houston Field Officeが捜査を開始しました。

FBIの公式記録によれば、最初に割り当てられたのは2人の捜査官でした。

しかし事件規模が明らかになるにつれて、捜査体制は急速に拡大します。

数週間のうちに、捜査官や支援スタッフは45人規模へ増員されました。

各地から、

  • 金融犯罪
  • 会計
  • コンピューター・フォレンジック
  • 資産追跡

などの専門家が集められました。

それだけでも、この事件が通常の企業倒産ではなかったことが分かります。

2002年1月|Enron本社へ入り証拠を確保する

2002年1月、FBI捜査官はHoustonにあるEnron本社ビルで同意に基づく捜索を実施しました。

FBIによれば、捜索は9日間続きました。

この初期捜索だけでも400箱を超える資料が確保され、同時期には100件を超える事情聴取が行われました。

しかしこれは、最終的に集まる証拠の一部にすぎません。

会社には長年分の、

  • 契約書
  • 取締役会資料
  • 銀行資料
  • 会計記録
  • 内部メモ
  • 電子メール
  • デリバティブ取引データ

が残されていました。

捜査官は、それらを「怪しそうな書類」だけ選んで読むわけにはいきません。

通常の合法取引と問題のある取引を比較するためにも、大量の記録を保存・整理する必要があります。

2002年1月14日|Enron Task Forceが設置される

事件規模を受け、2002年1月14日、FBI Director Robert MuellerとDeputy Attorney General Larry ThompsonはEnron Task Forceを設置しました。

刑事捜査の中心となったのは、

  • U.S. Department of Justice
  • Federal Bureau of Investigation
  • Internal Revenue Service Criminal Investigation

です。

さらにSecurities and Exchange Commission――SECとも密接に連携しました。

SECは証券市場の民事執行を行い、司法省は刑事訴追を担当します。

同じEnronを調べていても、それぞれの法的役割は異なります。

SECとFBI・DOJは何が違うのか

機関 主な役割 代表的な手段
SEC 証券法違反の調査・民事執行 証言、文書提出要求、民事訴訟、差止め、disgorgementなど
FBI 刑事事件の捜査 事情聴取、証拠収集、電子データ解析、資金追跡
IRS-CI 金融・税務面の刑事捜査 銀行口座・資金フロー・課税関連記録の分析
DOJ 刑事訴追 大陪審、起訴、司法取引、刑事裁判

SECが誰かを民事提訴したからといって、その人物が刑事事件で有罪になったことにはなりません。

反対にSECが集めた会計・証券取引上の資料が、刑事捜査にとって重要になる場合があります。

Enron事件では、こうした複数機関の調査が並行して進みました。

2002年2月1日|Powers Reportが公表される

捜査初期に極めて重要な資料となったのがPowers Reportです。

正式には、

Report of Investigation by the Special Investigative Committee of the Board of Directors of Enron Corp.

と呼ばれます。

William C. Powers Jr.を委員長とするEnron取締役会のSpecial Investigative Committeeが作成し、2002年2月1日に公表しました。

Powers Reportは「FBIの報告書」ではない

ここは重要です。

Powers Reportは、

  • FBI
  • SEC
  • 司法省

が作成した政府の捜査報告書ではありません。

Enron自身の取締役会が設置した特別調査委員会による内部調査報告書です。

したがって、報告書に書かれたすべてが刑事裁判で司法認定された事実というわけではありません。

しかし捜査官にとっては極めて価値の高い資料でした。

なぜPowers Reportが「捜査の地図」になったのか

Powers Committeeは、Enron内部の資料と関係者への聞き取りを使い、特にFastow、LJM、Raptorなどの取引を詳細に調べました。

報告書は、Enronが行った取引の中に、

  • 通常の独立企業とは行わなかったような取引
  • 実質的な経済目的より財務報告上の結果を重視した取引
  • 適切な会計ルールに従えば異なる処理が必要だった取引
  • 関連当事者との関係が十分明瞭に開示されなかった取引

が存在したことを指摘しました。

FBIは後に、このPowers Reportを捜査上の「gold mine」だったと振り返っています。

理由は単純です。

巨大なEnron全体をゼロから調べるのではなく、

「まずこのSPE、この人物、この銀行、この取引を調べる」

という入口を示してくれたからです。

ただしPowers Reportだけで起訴はできない

内部調査報告書に、

「この取引には問題がある」

と書かれているだけでは、刑事有罪にはできません。

捜査側は、報告書が指摘した一つ一つの取引について、原資料へ戻る必要があります。

たとえばLJM関連取引なら、

  1. 正式な契約書を入手する
  2. SPEへ誰が出資したか確認する
  3. 銀行口座で実際の資金移動を確認する
  4. 保証・サイドディールの有無を探す
  5. 社内で誰が取引を承認したか確認する
  6. 会計処理が損益にどう反映されたか計算する
  7. 経営陣がその効果を知っていたかメール・証言で確認する
  8. 同時期に投資家へ何を説明していたか比較する

必要があります。

これが、会計調査と刑事捜査の違いです。

証拠①|3000箱を超える紙資料

最終的にFBIは、Enron捜査で3000箱を超える物証を収集しました。

紙資料が重要なのは、単に古いからではありません。

正式な契約書、署名、取締役会議事録、承認書類などは、

「誰が正式に何を承認したか」

を示す証拠になります。

Enronには第5回で扱ったDASHなど、取引承認資料も存在しました。

電子メールでは「この取引は危険だ」と書いていても、正式契約が別の条件になっている場合があります。

逆に契約書だけでは分からない意図を、内部メモが説明する場合もあります。

そのため、一種類の資料だけではなく、複数の証拠を照合します。

証拠②|4テラバイトを超える電子データ

Enron捜査の特徴の一つが、膨大な電子データです。

FBIのコンピューター・フォレンジック担当者は、4テラバイトを超えるデジタルデータを収集しました。

その中には、600人を超えるEnron社員の電子メールが含まれていました。

当時としては非常に大規模な電子証拠です。

HoustonのRegional Computer Forensics Laboratoryでは、さらに約30テラバイト規模のデータを処理したとFBIは説明しています。

電子メールが重要なのは、会計数字そのものではなく、

数字を作った人間が当時何を認識していたか

を残しているからです。

メールには「その時点での認識」が残る

刑事裁判になった後で、被告は、

「その問題は知らなかった」

「部下を信じていた」

「正しい会計処理だと思っていた」

と説明する可能性があります。

そこで重要になるのが同時代の記録です。

もし問題発生前の電子メールに、

「この損失を出すとアナリスト予想を達成できない」

という議論があり、その直後に損失を別の取引で消す処理が行われていれば、捜査上重要な手掛かりになります。

もちろんメール一通だけで犯罪は証明できません。

しかし、

メール → 会議 → 契約 → 会計仕訳 → 公表数字

が同じ方向を指していれば、証拠の意味は大きくなります。

証拠③|銀行口座と証券口座

企業犯罪で、説明より強い証拠になることがあるのが実際の資金移動です。

FBIのfinancial analystsは、Enron事件で数百の銀行口座・証券口座を調べました。

これによって、

  • 誰が資金を出したのか
  • SPEの外部出資は実際に誰の金だったのか
  • 取引後に金が誰へ戻ったのか
  • Fastowらがどれだけ利益を得たのか
  • 株式売却でどれだけ資金を得たのか

を追跡できます。

書類上の説明と銀行記録が一致しなければ、さらに調べるべき理由になります。

「誰の金か」を追うとSPEの実体が見える

SPEでは、書類上は外部企業に見えることがあります。

しかし捜査では形式上の会社名ではなく、資金を逆方向へたどります。

たとえば、

外部投資家 → SPE

と見える3000万ドルについても、

その外部投資家が直前にEnronから保証を受けていたり、別取引で元本を回収していたりすれば、経済的な意味は変わります。

第4回で扱ったRaptorのような取引では、この実質的に誰がリスクを負っていたのかを資金記録から確認することが重要でした。

証拠④|1800件を超える事情聴取

FBIは最終的に、1800件を超える事情聴取を行いました。

対象となるのは経営トップだけではありません。

  • 会計担当者
  • トレーダー
  • 財務担当者
  • 秘書
  • 銀行関係者
  • 外部専門家
  • SPE関係者

など、多数の人物から話を聞きます。

なぜなら、一つの複雑な取引について全体像を知っている人物が一人もいない場合があるからです。

Aは契約を作った。

Bは会計処理をした。

Cは銀行から資金を調達した。

Dは投資家向け資料を作った。

それぞれの証言を接続する必要があります。

捜査では「同じ質問を別の証拠へ当てる」

たとえばある幹部が、

「私はそのSPEについて詳しく知らなかった」

と話したとします。

捜査側は、その供述だけで終わりません。

確認するのは、

  • その人物宛てのメール
  • 会議出席記録
  • 取締役会資料
  • 署名済み承認書
  • 直属部下の供述
  • 投資家説明会での発言

です。

逆に、社員が上司について重大な供述をしても、メールや資料で裏付けられなければ信用性が問題になります。

文書と証言を相互に検証する。

Enronのような企業犯罪では、この作業が捜査の中心になります。

協力者の存在が「社内の意味」を説明した

大量の書類があっても、社内独自の名称や取引目的が分からなければ解読には時間がかかります。

Enronには、

  • Chewco
  • LJM
  • Raptor
  • Southampton
  • RADR

など、多数のプロジェクト名・事業体名がありました。

そこで重要になったのが、捜査に協力する元社員です。

2002年8月|Michael Kopperが有罪を認め、協力する

初期の重要な協力者の一人がMichael Kopperです。

KopperはFastowの部下としてEnronのstructured financeに関与し、Chewcoなど複数の取引に関係していました。

2002年8月、Kopperはwire fraudとmoney launderingに関するconspiracyについて有罪を認め、政府捜査へ協力することになりました。

Kopperの重要性は、単に一人の有罪答弁が得られたことではありません。

Fastowに近い位置で、

  • SPEがどのように設計されたか
  • 誰が実質的な出資者だったか
  • 利益がどのように分配されたか
  • 表向きの契約と内部の理解に差があったか

を説明できる人物が捜査側へ入ったことです。

2002年10月|Fastowへ捜査が到達する

Kopperの協力などを経て、捜査はFastow本人へ進みます。

2002年10月2日、Fastowは詐欺、マネーロンダリング、共謀などに関する刑事訴追を受けました。

同月末には大陪審による起訴へ進みます。

ただし、この時点ではFastowは被告として起訴された段階です。

起訴は有罪判決ではありません。

政府は裁判で犯罪を立証する必要があります。

Fastow自身も後に捜査協力者になる

2004年1月、Fastowは二つのconspiracy countsについて有罪を認めることに合意し、Enron捜査への協力を約束しました。

これは捜査にとって大きな転換点でした。

FastowはCFOとして、Enronの財務構造とSPE取引の中心にいた人物だからです。

捜査側は、

部下 → 中間幹部 → CFO

というように、内部関係者の証言と物的証拠を積み上げながら経営トップの事件へ近づいていきました。

ただし協力証人の証言には、自分の刑を軽くしたいという動機が存在する可能性があります。

そのため裁判では、協力証言だけではなく、電子メール、契約書、会計資料、第三者証言などとの整合性が重要になります。

捜査対象はLJMだけではなかった

Enron事件というとFastowとSPEが中心に見えます。

しかしEnron Task Forceが調べた範囲はそれより広いものでした。

FBIは、Enronの不正を複数の相互に関連するscheme――計画・仕組みの集合として説明しています。

捜査対象には、

  • SPE・LJM関連取引
  • Wholesale部門の利益操作
  • Enron Broadband Services
  • 国際資産の評価
  • Californiaエネルギー市場関連
  • インサイダー取引
  • 銀行・金融機関が関係する取引

などがありました。

そのため、Enron事件を一つの「粉飾仕訳」として捜査することはできません。

Broadband事業では「技術の実態」まで調べる必要があった

Enron Broadband Servicesの事件では、会計帳簿だけでは十分ではありません。

経営陣が、

「ネットワークやソフトウェアは実用化できている」

と市場へ説明していた場合、捜査側は、

  • ソフトウェアの開発状況
  • 実際のネットワーク能力
  • 商業利用の実績
  • 社内テストの結果

まで確認する必要があります。

後に元EBS CEO Kenneth Riceは、EBSを商業的成功として誤って描写し、ソフトウェアの開発状況などについて虚偽説明へ関与したことを認めました。

企業犯罪捜査では、会計士だけでなく、その事業そのものを理解する必要があることを示す例です。

資産を凍結し、「犯罪利益」も追った

Enron捜査は有罪判決を得ることだけを目的としていませんでした。

金融分析官は銀行・証券口座を調べ、犯罪収益とされる資産の追跡も行いました。

FBIによれば、捜査によって1億6800万ドルを超える資産の差押え・確保につながり、1億500万ドルを超える資産が被害者補償のために没収されました。

時期によって政府発表の集計額には違いがありますが、Enron Task Forceが刑事訴追と同時に資産回収を重視していたことは共通しています。

なぜIRS-CIがEnron捜査に必要だったのか

IRS Criminal Investigationが加わった理由も、税金だけではありません。

IRS-CIは、複雑な金融取引を追跡する専門能力を持つ刑事捜査機関です。

多数の会社・パートナーシップ・口座を経由する資金について、

「最終的に誰が利益を受け取ったのか」

を確認することは、Enronのような事件で極めて重要です。

書類上の会社名が何度変わっても、資金は銀行口座を移動します。

その痕跡をたどることで、複雑なSPEを経済的実体へ戻すことができます。

Enron Task Forceが最終的に狙ったのは「経営判断」だった

FastowのSPE取引を立証しても、Enron事件全体が終わるわけではありません。

次の疑問は、

「EnronのCEOたちは会社の本当の状態をどこまで知っていたのか」

です。

SkillingやLayの事件では、政府は経営トップが、

  • 各部門の実際の業績
  • Enronの財務状態
  • 会計処理の問題
  • 市場へ公表した説明

についてどのような認識を持っていたのかを立証する必要がありました。

ここでは、SPEの契約書だけでは足りません。

必要なのは、

  • 経営会議資料
  • 部下からの報告
  • 四半期決算資料
  • アナリスト向け電話会議
  • SEC提出書類
  • 社員・元幹部の証言

です。

つまり捜査は、

「Fastowが作った取引」

から、

「経営トップが市場へ示したEnron像は真実だったのか」

という問題へ広がっていきました。

2004年2月|Skillingが起訴される

2004年2月、Jeffrey Skillingはconspiracy、securities fraud、insider tradingなど多数の罪で起訴されました。

政府は、SkillingやCauseyらが少なくとも1999年から2001年にかけてEnronの公表業績を操作し、投資家へ虚偽・誤解を招く説明を行ったと主張しました。

ここでも、この時点では起訴内容です。

Skillingがどの罪で最終的に有罪となったのかは、起訴時の罪名とは一致しません。

その区別は第9回で整理します。

2004年7月|Kenneth Layも起訴される

2004年7月、元Chairman兼CEO Kenneth Layもconspiracy、securities fraud、wire fraudなどで起訴されました。

Enron崩壊から約2年7か月後です。

会社トップまで刑事事件が到達するのに時間がかかったのは、捜査が遅かったからとは限りません。

CEOを刑事訴追するには、

「会社で不正が起きた」

だけではなく、

CEO本人が何を知り、どの虚偽説明に関与したのか

を証拠で結びつける必要があります。

なぜ捜査に何年も必要だったのか

Enronは2001年12月に倒産しました。

しかしLayとSkillingの本格的な裁判が始まるのは2006年です。

約4年です。

この時間差には理由があります。

作業 内容
証拠保全 数千箱の資料と大量のデジタルデータを回収
データ整理 メール・契約・会計記録を人物・案件別に整理
取引再構成 SPEごとに資金と会計効果を確認
事情聴取 1800件超のインタビュー
協力者確保 内部関係者の証言を物証と照合
資金追跡 銀行・証券口座から利益の流れを分析
大陪審 刑事起訴に必要な証拠を提示
裁判準備 複雑な取引を陪審へ説明できる形へ整理

会計専門家しか理解できない事件のままでは、刑事裁判はできません。

検察は最終的に、複雑な取引を、

「誰が、何を知りながら、誰を欺いたのか」

という陪審が判断できる形へ変換する必要があります。

FBIが集めた証拠規模

事情聴取

1800件超

社員、経営幹部、金融機関関係者などから情報を収集。

物証

3000箱超

契約書、会計記録、取締役会資料などを分析。

デジタル証拠

4TB超

600人超の社員メールを含むデータを収集・分析。

FBIはEnron事件を、同局史上もっとも複雑なホワイトカラー犯罪捜査になったとしています。

巨大企業内部の何年分もの意思決定を、倒産後に再現する捜査だったからです。

FACT CHECK|捜査について混同しやすい点

よくある理解 整理
Powers ReportはFBIの捜査報告書 誤り。Enron取締役会の特別調査委員会による内部調査報告書
SECが起訴した 不正確。SECは民事執行を行い、連邦刑事事件の起訴はDOJ側が担当
起訴された人は有罪 誤り。起訴は政府側の犯罪嫌疑であり、有罪判決とは別
Fastowの供述だけでトップが有罪になった 単純化。協力証言に加え、文書、メール、公開発言など多数の証拠が争点となった
Enron事件はSPEだけを調べた 誤り。Broadband、業績操作、資産評価、インサイダー取引など複数分野を捜査

「協力者がいるから証言を信用できない」でも終わらない

Enron裁判では、政府へ協力した元幹部の証言が重要になります。

当然、弁護側はその信用性を攻撃します。

協力者には、

  • 刑を軽くしてほしい
  • 政府に有利な証言をしたい

という動機があるかもしれないからです。

そこで重要なのが物的証拠です。

証人が、

「この会議でSkillingへ説明した」

と証言したなら、

  • 会議日程
  • 出席者
  • プレゼン資料
  • その直後のメール
  • 後の経営判断

と照合できます。

Enron捜査が巨大な文書・電子データ収集を必要とした理由の一つです。

Enron事件は「会計士だけ」の捜査ではなかった

Enron事件は不正会計事件ですが、必要だった専門分野は会計だけではありません。

  • 証券法
  • 刑法
  • デリバティブ
  • エネルギー取引
  • 銀行取引
  • 税務
  • コンピューター解析
  • 資産没収

が接続しています。

一つのSPEについても、

会計士は連結処理を見る。

FBIは人物と契約を見る。

IRS-CIは資金を見る。

SECは証券開示を見る。

DOJ検察官は、それらを刑事事件としてまとめます。

これがEnron Task Forceの意味でした。

なぜ「SYSTEM型」の事件なのか

Enron捜査の規模そのものが、この事件の性質を示しています。

もしFastow一人が秘密口座から会社の現金を盗んだだけなら、銀行記録と本人の行為を追えば事件は比較的単純です。

しかしEnronでは、

  • 合法的な会計制度
  • 合法的なSPE
  • 合法的なデリバティブ
  • 通常の銀行融資
  • 取締役会承認
  • 外部監査

の中に問題となる取引が埋め込まれていました。

形式上合法な道具が、どこから投資家を欺くための仕組みに変わったのか。

その境界を証拠で示す必要がありました。

だから3000箱の資料と4TBを超えるデータ、1800件を超える事情聴取が必要になったのです。

捜査の全体像

段階 捜査の進展
2001年12月 Enron倒産、FBI Houstonが捜査開始
2002年1月 本社から大量の証拠確保
2002年1月14日 Enron Task Force設置
2002年2月1日 Powers Report公表、重要な調査手掛かりに
2002年春 Arthur Andersen関連捜査・刑事事件が進行
2002年8月 Michael Kopperが有罪答弁・捜査協力
2002年10月 Andrew Fastowを刑事訴追
2004年1月 Fastowが有罪答弁し捜査協力へ
2004年2月 Jeffrey Skillingを起訴
2004年7月 Kenneth Layを起訴
2006年 Lay・Skilling裁判へ

要点まとめ

Enronが2001年12月2日にChapter 11を申請すると、FBI Houston Field Officeは捜査を開始しました。

当初の担当捜査官は2人でしたが、数週間で捜査官・支援スタッフは45人規模へ拡大しました。

2002年1月にはEnron本社から大量の資料を確保。

1月14日にはEnron Task Forceが組織され、DOJの検察官、FBI、IRS Criminal Investigationを中心とする刑事捜査体制が作られ、SECとも密接に連携しました。

2月1日には、Enron取締役会のSpecial Investigative CommitteeによるPowers Reportが公表されます。

Powers Reportは政府の捜査報告書ではありません。

しかしLJM、Raptor、Fastowなど複雑な取引を整理していたため、FBIにとって重要な捜査の入口となりました。

そこから捜査官は原資料へ戻ります。

契約書。

銀行記録。

証券口座。

取締役会資料。

会計データ。

社員の電子メール。

そして関係者の証言。

最終的にFBIは1800件を超える事情聴取を行い、3000箱を超える証拠と4テラバイトを超えるデジタルデータを分析しました。

600人を超えるEnron社員の電子メールも調査対象となりました。

さらに銀行・証券口座を追跡することで、複雑なSPEを経由した資金が最終的に誰へ渡ったのかを再構成しました。

2002年にはMichael Kopperが有罪を認め捜査へ協力。

その後Fastowが刑事訴追され、2004年にはFastow自身も有罪を認め、政府へ協力することになります。

こうして捜査は、

取引を実行した社員から、取引を設計したCFO、そして会社の状態を市場へ説明していたCEO・Chairmanへ

と進んでいきました。

Enron事件が解明されたのは、「帳簿を見れば不正が分かった」からではありません。

帳簿の数字。

契約の条件。

銀行を動いた金。

社員が送ったメール。

会議で交わされた説明。

投資家へ語られた言葉。

それらを何年もかけて重ねることで、初めて

「誰が何を知りながら、何を公表したのか」

が刑事裁判で争える形になりました。

では、その結果、誰が実際に有罪になったのでしょうか。

Fastowは何罪を認めたのか。

Skillingは何件で有罪になり、その後最高裁まで進んだ争いはどうなったのか。

そしてKenneth Layは有罪評決を受けながら、なぜその有罪判決が最終的に残っていないのでしょうか。

次回は、Enron事件で問われた個人の刑事責任を、起訴・有罪答弁・陪審評決・判決・その後の司法手続まで分けて整理します。

CASE FILE 36

Enron崩壊特集(全10回)

  1. Enronはなぜ崩壊したのか|巨大エネルギー企業を破綻させた不正会計の全体像
  2. Enronは何の会社だったのか|ガス会社から「エネルギーを取引する会社」へ変わった仕組み
  3. Enronの利益はどう作られたのか|時価評価会計と「将来利益」を先に計上する仕組み
  4. Enronは負債と損失をどう見えにくくしたのか|SPE、LJM、Raptorの仕組み
  5. Enron取締役会はなぜ止められなかったのか|Fastowの利益相反と企業統治の失敗
  6. Arthur AndersenはEnronで何をしていたのか|監査、文書破棄、最高裁判決まで
  7. Enronは2001年にどう崩壊したのか|Skilling辞任から12月2日の破産申請まで
  8. Enronの不正はどう解明されたのか|Powers Report、SEC、FBI、Enron Task Forceの捜査 【現在の記事】
  9. Enron事件で誰が有罪になったのか|Lay、Skilling、Fastowらの刑事責任を整理する
  10. Enron崩壊は何を変えたのか|SOX法、PCAOB、内部統制と企業監査のその後

主な参照資料

  • Federal Bureau of Investigation:Enron — FBI History / Cases and Criminals
  • Federal Bureau of Investigation:Enron Code of Ethics — FBI Artifact
  • Federal Bureau of Investigation Houston:Ten-Year Anniversary of the Convictions of Chief Executives in FBI’s Largest White-Collar Crime Investigation
  • U.S. Department of Justice:Corporate Fraud Task Force — First Year Report
  • U.S. Department of Justice:Enron Task Force charging and prosecution releases
  • U.S. Securities and Exchange Commission:Complaint — Jeffrey K. Skilling and Richard A. Causey
  • U.S. Securities and Exchange Commission:Enron-related litigation releases and complaints
  • Enron Corp. Special Investigative Committee:Report of Investigation by the Special Investigative Committee of the Board of Directors of Enron Corp.(Powers Report, 2002年2月1日)

※Powers ReportはFBI・SEC・司法省が作成した政府報告書ではなく、Enron取締役会が設置したSpecial Investigative Committeeによる内部調査報告書です。本記事では、同報告書の指摘と、その後FBI・SEC・DOJが独自に収集した証拠・刑事訴追を区別しています。また、SECによる民事訴状、DOJによる刑事起訴は、それぞれ提出時点では当局側の主張であり、それだけで有罪が確定したことを意味しません。Kopper、Fastowらについては有罪答弁後の捜査協力と、起訴段階を区別しています。FBIが公表する証拠量や資産回収額は集計時期によって若干異なるため、本文ではFBIの後年の事件総括を主に使用しています。

Enron事件で誰が有罪になったのか|Lay、Skilling、Fastowらの刑事責任を整理する

企業不祥事・経済犯罪

Enron事件では、最終的に誰が責任を取ったのでしょうか。

この問いは、見た目ほど簡単ではありません。

元CFO Andrew Fastowは有罪を認めました。

元CEO Jeffrey Skillingは陪審裁判で19件について有罪評決を受け、その後最高裁まで争いました。

元Chairman兼CEO Kenneth Layも2006年5月、陪審裁判と別の裁判で計10件について有罪と判断されました。

ところがLayは、量刑が言い渡される前の2006年7月5日に死亡します。

その後、連邦地裁はLayの有罪判決を取り消し、起訴状も棄却しました。

したがって、

「LayはEnron事件で有罪になり、刑務所へ送られた」

という説明は誤りです。

一方、

「Layは無罪だった」

という説明も正しくありません。

陪審は実際に6件すべてで有罪評決を出し、別の銀行事件でも裁判官が4件すべてについて有罪と判断しています。

しかしLayが死亡したため、その有罪判決は法的に残らなかった。

この区別が必要です。

同じようにSkillingについても、

「19件で有罪になった」

だけでは事件の最後まで説明できません。

2010年、連邦最高裁はSkilling事件でhonest-services fraudの適用範囲を大幅に限定しました。

それでもSkillingの有罪判決全体が消えたわけではなく、その後の控訴審で残る有罪判決が維持され、2013年に168か月――14年――の刑が改めて言い渡されました。

Enron事件の刑事責任を理解するには、

  • 起訴
  • 有罪答弁
  • 陪審評決
  • 量刑
  • 控訴
  • 最高裁判決
  • 判決取消し

を一つずつ分ける必要があります。

この記事で分かること

  • Kenneth Layは何件で有罪評決を受けたのか
  • なぜLayの有罪判決は現在残っていないのか
  • Jeffrey Skillingは19件の何について有罪になったのか
  • Skilling事件で2010年の最高裁は何を覆したのか
  • なぜSkillingの有罪判決全体は消えなかったのか
  • Andrew Fastowは何の罪を認めたのか
  • Fastowはなぜ政府側証人になったのか
  • Richard Causey、Ben Glisan、Michael Kopperらはどうなったのか
  • 「起訴された」と「有罪になった」は何が違うのか

CASE FILE 36

Enron崩壊特集(全10回)

第9回では、Enron事件の刑事責任を整理します。

第8回ではFBI、SEC、IRS-CI、Enron Task Forceが大量の証拠から事件を再構成していく過程を確認しました。

今回はその捜査の結果、誰が何を認め、誰が陪審裁判で有罪となり、その判断がその後どう変化したのかを追います。

制度改革については最終第10回で扱います。

  1. Enronはなぜ崩壊したのか|巨大エネルギー企業を破綻させた不正会計の全体像
  2. Enronは何の会社だったのか|ガス会社から「エネルギーを取引する会社」へ変わった仕組み
  3. Enronの利益はどう作られたのか|時価評価会計と「将来利益」を先に計上する仕組み
  4. Enronは負債と損失をどう見えにくくしたのか|SPE、LJM、Raptorの仕組み
  5. Enron取締役会はなぜ止められなかったのか|Fastowの利益相反と企業統治の失敗
  6. Arthur AndersenはEnronで何をしていたのか|監査、文書破棄、最高裁判決まで
  7. Enronは2001年にどう崩壊したのか|Skilling辞任から12月2日の破産申請まで
  8. Enronの不正はどう解明されたのか|Powers Report、SEC、FBI、Enron Task Forceの捜査
  9. Enron事件で誰が有罪になったのか|Lay、Skilling、Fastowらの刑事責任を整理する 【現在の記事】
  10. Enron崩壊は何を変えたのか|SOX法、PCAOB、内部統制と企業監査のその後

先に結論|3人の法的結末は同じではない

人物 主な結果 最終的な整理
Kenneth Lay 2006年に計10件で有罪と判断 量刑前に死亡。有罪判決取消し・起訴棄却
Jeffrey Skilling 19件で陪審有罪評決 最高裁・控訴審を経ても有罪判決が維持され、2013年に168か月
Andrew Fastow 2件の共謀罪について有罪答弁 政府へ協力、2006年に6年の禁錮刑

三人をまとめて「Enron幹部は全員有罪になった」とすると、Layの特殊な法的状態を落としてしまいます。

反対に、Layの判決が取り消されたことから、

「Enron経営トップではSkillingだけが有罪だった」

とするのも不正確です。

Layには実際に陪審・裁判官による有罪判断がありました。

ただし、その判断が量刑・直接上訴を経て最終判決として残る前に本人が死亡しました。

まず「起訴」「有罪評決」「有罪答弁」を分ける

アメリカの刑事事件を日本語で読むと、用語が混同されやすくなります。

段階 意味
Indictment 大陪審などを経て刑事訴追された段階。有罪確定ではない
Guilty plea 被告自身が有罪を認める
Guilty verdict 陪審または裁判官が有罪と判断
Sentencing 有罪判断後に刑罰を決める
Appeal 上級裁判所へ有罪・量刑などを争う
Vacated 判決などが取り消される

Enron事件では、このすべてが登場します。

Andrew Fastow|裁判前に有罪を認めたCFO

最初に、事件の中心人物Andrew Fastowから見ます。

FastowはEnronのCFOとして、LJM、Raptorなど多数のSPE取引に深く関与していました。

2002年10月に刑事訴追されます。

しかしFastowはLayやSkillingのような全面的な陪審裁判には進みませんでした。

2004年1月14日、Fastowは政府とのplea agreement――司法取引に基づき、二つのconspiracy countsについて有罪を認めました。

具体的には、証券詐欺・wire fraudに関連する共謀です。

Fastowは、Enron上級経営陣の他のメンバーらと、Enronの公表財務結果を不正に操作する幅広い計画へ関与したことを認めました。

Fastowは自分自身が利益を得たことも認めた

Fastow事件には、Enronの決算操作だけではなく、自己利益の問題もありました。

LJMなどの取引を通じて、Fastowや周辺人物は大きな利益を得ていました。

司法省によれば、FastowはEnronとその株主を犠牲にして自己を富ませる計画へ参加したことも認めています。

司法取引では資産没収にも同意しました。

2006年の司法省発表では、最終的にFastowは2000万ドルを超える資産の没収に同意したとされています。

Fastowの司法取引が捜査を大きく変えた

Fastowは単に有罪を認めただけではありません。

政府捜査へ全面的に協力することにも同意しました。

これはEnron Task Forceにとって極めて重要でした。

Fastowは、

  • EnronのCFO
  • SPE構造の中心人物
  • Lay・Skillingら経営トップと接触できる人物
  • LJM取引の両側を知る人物

だったからです。

後のLay・Skilling裁判で、Fastowは政府側の重要証人として証言します。

Fastowの刑は「10年」ではなく最終的には6年

2004年のplea agreementでは、Fastowについて合計10年の刑を想定する内容が示されていました。

しかし実際の量刑は異なります。

2006年9月26日、連邦地裁はFastowに対し、二つの共謀罪について6年の禁錮刑を言い渡しました。

したがって、

「Fastowは10年の刑を受けた」

ではなく、

「司法取引当初は10年が想定されていたが、最終量刑は6年」

と整理する必要があります。

Ben Glisan|Enron Treasurerも有罪を認めた

Fastow以前に有罪答弁した重要人物の一人がBen Glisanです。

GlisanはEnronのTreasurerを務め、Raptorを含む財務取引に関与していました。

2003年9月10日、Glisanはwire fraudとsecurities fraudを行う共謀について有罪を認めました。

その日のうちに60か月――5年の禁錮刑が言い渡され、収監されています。

Glisanは、Enronの報告財務結果を実態より良く見せるための共謀へ参加したことを認めました。

また93万8000ドルを没収することにも同意しています。

Michael Kopper|Fastowの元部下が初期の協力者になる

Michael Kopperも、捜査初期の重要人物です。

KopperはFastowの元部下で、ChewcoやSouthamptonなどの取引に関与しました。

2002年に有罪を認め、その後政府へ協力。

司法省の後年の整理では、Kopperはconspiracyとmoney launderingについて有罪を認め、3年1か月の刑を受けています。

Kopperの協力は、Fastowへ捜査を進めるうえでも重要でした。

Richard Causey|最高会計責任者も有罪答弁

Richard CauseyはEnronのChief Accounting Officerでした。

本来ならLay・Skillingとともに2006年の大型裁判へ進む予定でした。

しかし裁判開始の約1か月前、状況が変わります。

2005年12月28日、Causeyは1件のsecurities fraudについて有罪を認めました。

Causeyは、Enron上級経営陣のメンバーらとともに、SEC提出書類やアナリスト向け説明でEnronの実際の財務状態について虚偽・誤解を招く説明を行う共謀に参加したことを認めています。

2006年11月15日、Causeyには66か月の禁錮刑が言い渡されました。

さらに、

  • 125万ドルの没収
  • 2万5000ドルの罰金
  • Enronに対する繰延報酬請求権の放棄

も命じられています。

2006年1月30日|Lay・Skilling裁判が始まる

そして事件の中心となる刑事裁判が始まります。

被告は、

Kenneth LayとJeffrey Skilling。

Enronの二人の元CEOです。

Houstonの連邦地裁で、Judge Sim Lakeのもと、2006年1月30日から陪審裁判が行われました。

政府側は、LayとSkillingらがEnronの実際の状態について投資家を欺き、会社が安定して成長しているように見せたと主張しました。

対象となったのは、一つのSPEだけではありません。

政府側が示した全体像には、

  • Wholesale部門
  • Enron Energy Services
  • Enron Broadband Services
  • 財務目標達成
  • 損失や負債の見え方
  • キャッシュフロー
  • 信用格付け

などが含まれていました。

裁判は56日間続いた

Lay・Skilling裁判は大型企業犯罪事件となりました。

司法省によれば、陪審に事件が渡るまで56日間の公判が行われました。

政府側には、FastowやBen Glisanなど、既に有罪を認めた元Enron幹部も証人として登場します。

弁護側は、Enronが倒産したことと被告が犯罪を犯したことは同じではないと反論しました。

またFastowら政府協力証人には、自分の刑を軽くするためにLayやSkillingへ不利な証言をする動機があるとして、証言の信用性を争いました。

最終的には、陪審が大量の文書・証言・公開発言を基に判断することになります。

2006年5月25日|Kenneth Layに全6件で有罪評決

陪審は6日間の評議を経て、2006年5月25日に評決を出しました。

Kenneth Layについては、陪審へ提出された6件すべてで有罪です。

罪名 件数
Conspiracy 1
Wire fraud 2
Securities fraud 3
合計 6

ここだけなら、Layは「6件で有罪」となります。

しかし、Layにはもう一つ別の事件がありました。

Layは銀行事件でも4件すべて有罪

LayはEnron関連の陪審裁判とは別に、自身の銀行取引についても訴追されていました。

こちらは陪審ではなくJudge Lakeが判断するbench trialでした。

同じ2006年5月25日、裁判官はLayについて、

  • bank fraud:1件
  • 銀行への虚偽説明:3件

の計4件すべてで有罪と判断しました。

したがって、5月25日の時点では、Layは合計10件について有罪と判断されていました。

Layに刑はまだ言い渡されていなかった

しかし有罪評決と量刑は別です。

Layにはその後、刑を決めるsentencing hearingが予定されていました。

ところが、その前に予想外の出来事が起きます。

2006年7月5日|Kenneth Layが死亡

有罪評決から約6週間後の2006年7月5日。

Kenneth Layは死亡しました。

量刑前です。

そして、通常行うことのできた直接上訴の手続きも完了していませんでした。

当時適用された連邦法上の扱いにより、Layの刑事事件は特殊な結末を迎えます。

2006年10月|Layの有罪判決は取り消された

2006年10月17日、司法省はLay事件について、

conviction was vacated and the indictment dismissed

――有罪判決が取り消され、起訴状が棄却された――と記録しています。

したがって現在、Layについて刑事上の有罪判決がそのまま残っているわけではありません。

事実①

2006年5月25日、Layには計10件について有罪判断が出た。

事実②

Layは量刑前の2006年7月5日に死亡した。

法的結末

2006年10月、有罪判決取消し・起訴棄却となった。

「Layは無罪になった」ではない

ここは表現に注意が必要です。

Layの有罪判決が取り消された理由は、

上級裁判所が証拠を再検討して「犯罪をしていなかった」と判断したからではありません。

陪審評決後、直接上訴が完了する前に本人が死亡したことによる当時の法的処理です。

したがって、

「Layは最高裁で無罪になった」

「陪審評決が誤りだと判断された」

「検察が起訴を撤回した」

という説明はいずれも正しくありません。

Layについて最も正確なのは、

「2006年に計10件で有罪と判断されたが、量刑前に死亡し、その後有罪判決は取り消され、起訴も棄却された」

です。

Jeffrey Skilling|28件中19件で有罪

同じ2006年5月25日、Jeffrey Skillingにも評決が出ました。

Skillingは陪審へ提出された28件のうち、19件で有罪となりました。

罪名 有罪
Conspiracy 1件
Securities fraud 12件
Insider trading 1件
False statements to auditors 5件
合計 19件

一方、Skillingは9件のinsider tradingについて無罪となりました。

つまり、政府側が起訴したすべての罪で有罪となったわけではありません。

2006年10月23日|Skillingに292か月

Layが死亡したため、二人のうち実際に量刑まで進んだのはSkillingです。

2006年10月23日、Judge Sim LakeはSkillingに292か月の禁錮刑を言い渡しました。

約24年4か月です。

しかし、この292か月が最終刑ではありません。

Skillingは有罪判決と量刑を控訴します。

2009年|控訴裁判所は有罪を維持したが、量刑を取り消す

2009年1月6日、第5巡回区連邦控訴裁判所はSkillingの有罪判決を維持しました。

一方、量刑については地裁が刑を重くする際に用いた一つの判断に誤りがあったとして、292か月の刑を取り消し、再量刑のため事件を地裁へ戻しました。

つまりこの段階では、

「有罪は維持、刑の長さはやり直し」

です。

そして事件は連邦最高裁へ

Skillingはさらに連邦最高裁へ進みました。

大きな争点は二つです。

  • Enron崩壊の中心地Houstonで公平な陪審裁判を受けられたのか
  • honest-services fraudという法律をSkillingへ適用できるのか

後者が、Enron事件を超えてアメリカ刑法上重要な問題となりました。

honest-services fraudとは何だったのか

政府はSkillingのconspiracy countについて、複数の犯罪理論を提示していました。

その一つに、18 U.S.C. §1346のhonest-services fraudがあります。

簡単にいえば、会社役員などが自分の忠実な職務――honest services――を会社や株主から不正に奪う行為を詐欺として処罰する考え方です。

しかし当時、この法律の範囲は非常に広く解釈される可能性がありました。

どのような職務違反まで連邦犯罪になるのかが問題となります。

2010年6月24日|最高裁がhonest-services fraudを限定する

2010年6月24日、連邦最高裁はSkilling v. United Statesで判決を出しました。

最高裁は18 U.S.C. §1346について、犯罪となるhonest-services fraudを基本的に、

bribes and kickbacks――賄賂とキックバック

を伴う計画へ限定しました。

Skillingについて政府は、第三者から賄賂やキックバックを受け取ったと主張していませんでした。

したがって最高裁は、Skillingの行為はこの限定されたhonest-services fraudには該当しないと判断しました。

ではSkillingの19件は全部無効になったのか

なっていません。

ここが最高裁判決でもっとも誤解されやすい部分です。

最高裁は、

「Skillingは無罪である」

とは判断していません。

Skillingのconspiracy chargeには、honest-services fraud以外にも、証券詐欺などの有効な犯罪理論が含まれていました。

そこで最高裁は、無効になったhonest-services theoryが陪審評決へどの程度影響したのかを下級審で確認するため、事件を差し戻しました。

最高裁が認めなかったもう一つの主張|Houstonでは公平な裁判ができなかった?

Skillingは、Enron崩壊によってHoustonが大きな被害を受け、膨大な報道もあったため、Houstonで公平な陪審を得ることはできなかったと主張しました。

しかし最高裁は、この点についてSkillingの主張を認めませんでした。

裁判地を理由として有罪判決全体を覆すことはしませんでした。

つまり2010年最高裁判決は、Skilling側の全面勝訴ではありません。

Skillingの主張 最高裁
Houstonでは公平な裁判ができなかった 認めず
honest-services fraudの適用が広すぎる 認め、賄賂・キックバックへ限定
その結果すべて無罪になる 判断せず、影響確認のため差し戻し

2011年|第5巡回区は有罪判決を維持

最高裁から差し戻された事件を、第5巡回区控訴裁判所が再検討しました。

2011年4月、控訴裁判所は、honest-services theoryを陪審へ示した誤りについて検討。

その結果、Skillingが投資家をEnronの財務状態について欺く証券詐欺の共謀に参加した証拠から、無効なhonest-services theoryがなくても有罪評決は変わらなかったとして、誤りはharmless――有罪を取り消すほどのものではない――と判断しました。

その結果、Skillingの有罪判決は維持されました。

2013年|最終的に168か月へ再量刑

その後も量刑をめぐる手続きが続きます。

2013年、政府とSkillingは合意に達しました。

Skillingは、

  • 約4200万ドルの没収・被害者補償に関する命令を争わない
  • 今後の上訴・訴訟を放棄する

などに同意。

政府側は168~210か月の範囲で刑を勧告することに合意しました。

2013年6月21日、連邦地裁はSkillingを168か月――14年へ再量刑しました。

司法省は、この手続きによって長年続いたSkilling事件の訴訟が事実上終結したとしています。

Skilling事件を一本で整理すると

出来事
2004年 刑事起訴
2006年5月 28件中19件で有罪評決
2006年10月 292か月の刑
2009年 控訴審が有罪維持、量刑を取消し・差戻し
2010年 最高裁がhonest-services fraudを賄賂・キックバックへ限定
2011年 控訴審が誤りをharmlessとして有罪維持
2013年 168か月へ再量刑、約4200万ドルを被害者補償へ

LayとSkillingは同じ結末ではない

二人は同じ2006年裁判で並んで被告席に座りました。

しかし法的な最終状態は異なります。

Kenneth Lay Jeffrey Skilling
陪審評決 6件すべて有罪 28件中19件有罪
別事件 銀行事件4件も有罪 なし
量刑 量刑前に死亡 当初292か月
最高裁 到達せず 2010年Skilling判決
最終状態 有罪判決取消し・起訴棄却 有罪判決維持、168か月へ再量刑

ほかにも有罪となったEnron幹部はいた

Enron事件はLay、Skilling、Fastowだけではありません。

捜査では、財務、会計、Broadbandなど複数部門の幹部が刑事責任を問われました。

代表例を整理すると次のようになります。

人物 役職 主な結果
Andrew Fastow CFO 共謀2件で有罪答弁、6年
Richard Causey Chief Accounting Officer 証券詐欺1件で有罪答弁、66か月
Ben Glisan Treasurer wire・証券詐欺共謀で有罪答弁、5年
Michael Kopper Finance executive 共謀・money launderingで有罪答弁、3年1か月
Kenneth Rice Enron Broadband Services CEO 証券詐欺で有罪答弁、27か月
Kevin Hannon Enron Broadband Services COO 証券・wire fraud共謀で有罪答弁、2年

この表はEnron関連刑事事件の全被告を網羅したものではありません。

Enron Task Forceは銀行関係者や取引相手を含む多数の事件を扱っており、一部には控訴によって判断が変化した事件もあります。

そのため本記事では、Enron内部の主要な責任者を中心にしています。

Enron事件は「Fastow一人の犯罪」だったのか

ここまでを見ると、その説明が不十分なことが分かります。

FastowはSPE取引の中心人物であり、自らの犯罪を認めました。

しかし、Enron事件の刑事責任はFastowだけには留まりませんでした。

Causeyは会計責任者として有罪を認めました。

Glisanも財務操作への共謀を認めました。

Broadband部門でも幹部が証券詐欺を認めています。

そしてSkillingについては陪審が、Enronの状態を投資家へ偽って伝える広範な計画への刑事責任を認定しました。

つまり政府が立証した事件像は、

「一人のCFOが経営陣に隠れて会社を騙した」

というものではありません。

複数の上級幹部が、それぞれ異なる位置から財務報告や市場への説明へ関与した事件でした。

一方で「Enronで働いていた幹部は全員犯罪者」でもない

逆方向への単純化も避ける必要があります。

Enronには数万人規模の従業員がいました。

上級幹部であっても刑事訴追されなかった人物もいます。

取締役会についても、第5回で企業統治上の失敗を扱いましたが、それだけで各取締役が刑事詐欺に参加したことにはなりません。

Sherron Watkinsのように、社内から問題を警告した人物もいます。

刑事責任は組織単位ではなく、原則として各人物について、

  • 何をしたか
  • 何を知っていたか
  • どの計画へ参加したか
  • どのような意図があったか

を証明する必要があります。

FACT CHECK|Enron裁判で間違えやすいこと

Kenneth Lay

  • 2006年に有罪判断あり
  • 陪審6件+銀行事件4件
  • 量刑前に死亡
  • その後有罪判決取消し

Jeffrey Skilling

  • 19件で有罪評決
  • 9件のinsider tradingは無罪
  • 最高裁で全面無罪にはなっていない
  • 最終的に168か月へ再量刑

Andrew Fastow

  • 陪審裁判で有罪になったのではない
  • 2件の共謀罪で有罪答弁
  • 政府捜査へ協力
  • 最終刑は6年

Arthur Andersenの「有罪」とも区別する

第6回で扱ったArthur Andersenも、一度は司法妨害で有罪評決を受けています。

しかしこれは、LayやSkillingらの証券詐欺事件とは別の刑事事件です。

しかも2005年、連邦最高裁はArthur Andersen事件の有罪判決を破棄・差し戻しました。

したがって、

「Enronの不正会計でArthur Andersen、Lay、Skilling、Fastowが全員有罪になった」

と一行でまとめることはできません。

それぞれ、

  • 罪名
  • 証拠
  • 裁判形式
  • 上訴結果

が異なります。

「責任を取った」=「刑務所へ入った」だけでもない

Enron事件では刑罰以外にも、

  • 資産没収
  • 被害者へのrestitution
  • SECによる民事制裁
  • 上場企業役員・取締役への就任禁止
  • 破産手続での資産回収

などが行われました。

特にSkillingの2013年再量刑では、約4200万ドルを被害者補償へ利用できるようにすることが政府との合意の重要な要素となりました。

Fastowらについても多額の資産没収が行われています。

企業犯罪の司法処理は、禁錮刑だけで完結するものではありません。

誰の刑が最も重かったのか

実際に刑が言い渡された主要Enron内部者の中では、Skillingの刑が突出していました。

人物
Jeffrey Skilling 最終的に168か月(14年)
Andrew Fastow 6年
Richard Causey 66か月
Ben Glisan 60か月
Michael Kopper 3年1か月
Kenneth Rice 27か月
Kevin Hannon 2年
Kenneth Lay 量刑前に死亡

ただし刑の長さだけで各人物の役割の重大性を比較することもできません。

有罪答弁、政府への協力、罪名、量刑ガイドラインなどによって刑は変わるからです。

Enron事件の司法判断が示したもの

Enron事件では、合法な企業金融の道具が多数使われていました。

mark-to-market。

SPE。

デリバティブ。

銀行融資。

ヘッジ。

これら自体を使用することは犯罪ではありません。

刑事事件で問われたのは、そうした道具を使って、

投資家へ会社の実際の財務状態と異なる姿を意図的に見せたのか

という点でした。

その意味でEnron裁判は、

「複雑な会計を使うこと」

と、

「複雑さを利用して投資家を欺くこと」

の間に刑事責任の境界線を引く事件でもありました。

Enron刑事事件の流れ

主要出来事
2002年 Kopperが有罪答弁、Fastowを刑事訴追
2003年 Glisanが有罪答弁・5年
2004年1月 Fastowが2件の共謀罪で有罪答弁・捜査協力へ
2004年2月 Skillingを起訴
2004年7月 Layを起訴
2005年12月 Causeyが証券詐欺で有罪答弁
2006年1月 Lay・Skilling裁判開始
2006年5月25日 Lay・Skillingに有罪評決
2006年7月5日 Lay死亡
2006年9月 Fastowに6年
2006年10月 Layの有罪判決取消し/Skillingに292か月
2009年 Skilling有罪維持、量刑取消し
2010年 最高裁Skilling判決
2011年 控訴審がSkilling有罪を維持
2013年 Skillingを168か月へ再量刑

要点まとめ

Enron事件では、多数の元幹部が刑事責任を問われました。

CFO Andrew Fastowは2004年1月、証券詐欺・wire fraudに関する二つの共謀罪について有罪を認め、政府の捜査へ協力しました。

2006年には6年の禁錮刑を受けています。

Chief Accounting Officer Richard Causeyも2005年12月、証券詐欺について有罪を認め、最終的に66か月。

Treasurer Ben Glisanは共謀罪を認めて5年。

Michael KopperやEnron Broadband Servicesの幹部らも有罪答弁しました。

そして2006年5月25日、LayとSkillingの大型裁判で評決が出ます。

Kenneth Layは陪審裁判で6件すべて有罪。

さらに別の銀行事件でも4件すべてで有罪と判断されました。

しかしLayは量刑前の2006年7月5日に死亡。

同年10月、その有罪判決は取り消され、起訴状も棄却されました。

したがってLayについては、

「有罪評決を受けたが、死亡後に刑事上の有罪判決は残らなかった」

と整理するのが正確です。

Jeffrey Skillingは28件中19件で有罪。

内訳は、共謀1件、証券詐欺12件、インサイダー取引1件、監査人への虚偽説明5件でした。

当初292か月の刑を受けましたが、その後控訴。

2010年、連邦最高裁はhonest-services fraudを賄賂・キックバックへ限定し、Skillingの行為はその犯罪類型には該当しないと判断しました。

しかしSkillingの有罪判決全体が覆ったわけではありません。

差戻し後の控訴審は、証券詐欺を中心とする有効な犯罪理論に基づく証拠から、honest-servicesに関する誤りは有罪評決を取り消すほどではないと判断しました。

最終的に2013年、Skillingは168か月――14年――へ再量刑されます。

つまりEnron事件の刑事責任は、

Fastow一人でも、LayとSkillingだけでもありませんでした。

財務、会計、Broadbandなど複数の部門で、複数の幹部が刑事責任を問われています。

そして刑事裁判は、Enron事件の一つの結末でした。

もう一つ大きな結末があります。

「なぜこの事件を既存の監査制度や企業統治制度が止められなかったのか」

という問いに対し、アメリカは法律そのものを変更しました。

2002年7月30日、Sarbanes-Oxley Act――SOX法が成立します。

監査法人を監督するPCAOB。

CEO・CFOによる財務報告の認証。

内部統制報告。

監査人の独立性強化。

Enron以前とは異なる企業監査制度が作られていきました。

最終第10回では、Enron崩壊がアメリカ企業制度を具体的に何を変えたのかを追います。

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Enron崩壊特集(全10回)

  1. Enronはなぜ崩壊したのか|巨大エネルギー企業を破綻させた不正会計の全体像
  2. Enronは何の会社だったのか|ガス会社から「エネルギーを取引する会社」へ変わった仕組み
  3. Enronの利益はどう作られたのか|時価評価会計と「将来利益」を先に計上する仕組み
  4. Enronは負債と損失をどう見えにくくしたのか|SPE、LJM、Raptorの仕組み
  5. Enron取締役会はなぜ止められなかったのか|Fastowの利益相反と企業統治の失敗
  6. Arthur AndersenはEnronで何をしていたのか|監査、文書破棄、最高裁判決まで
  7. Enronは2001年にどう崩壊したのか|Skilling辞任から12月2日の破産申請まで
  8. Enronの不正はどう解明されたのか|Powers Report、SEC、FBI、Enron Task Forceの捜査
  9. Enron事件で誰が有罪になったのか|Lay、Skilling、Fastowらの刑事責任を整理する 【現在の記事】
  10. Enron崩壊は何を変えたのか|SOX法、PCAOB、内部統制と企業監査のその後

主な参照資料

  • U.S. Department of Justice:Federal Jury Convicts Former Enron Chief Executives Ken Lay, Jeff Skilling on Fraud, Conspiracy and Related Charges(2006年5月25日)
  • U.S. Department of Justice:United States v. Kenneth L. Lay — Closed Criminal Case
  • U.S. Department of Justice:Former Enron CEO Jeffrey Skilling Resentenced to 168 Months for Fraud, Conspiracy Charges(2013年6月21日)
  • Supreme Court of the United States:Skilling v. United States, 561 U.S. 358(2010)
  • U.S. Court of Appeals for the Fifth Circuit:United States v. Skilling(2011年4月6日)
  • U.S. Department of Justice:Andrew Fastow Pleads Guilty to Conspiracy to Commit Securities and Wire Fraud(2004年1月14日)
  • U.S. Department of Justice:Andrew Fastow Sentenced to Six Years(2006年9月26日)
  • U.S. Department of Justice:Richard Causey Pleads Guilty to Securities Fraud(2005年12月28日)
  • U.S. Department of Justice:Richard Causey Sentenced to 66 Months(2006年11月15日)
  • U.S. Department of Justice:Ben Glisan Pleads Guilty to Conspiracy(2003年9月10日)
  • U.S. Department of Justice:Enron Trial Exhibits and Releases

※本記事では「起訴」「有罪答弁」「陪審による有罪評決」「量刑」「控訴後に残った有罪判決」を区別しています。Kenneth Layは2006年5月25日に陪審裁判6件と別の銀行事件4件で有罪と判断されましたが、量刑前の同年7月5日に死亡し、10月17日に連邦地裁で有罪判決が取り消され、起訴状も棄却されました。このためLayを現在「有罪判決が確定した人物」とは表現していません。また2010年のSkilling v. United StatesはSkillingを全面的に無罪とした判決ではなく、18 U.S.C. §1346のhonest-services fraudを賄賂・キックバックへ限定した判決です。差戻し後、第5巡回区はその誤りをharmlessと判断してSkillingの有罪判決を維持し、2013年に168か月へ再量刑されました。各人物の罪名・刑期はそれぞれの司法省資料で確認し、単なる起訴段階の罪名とは分離しています。

Enron崩壊は何を変えたのか|SOX法、PCAOB、内部統制と企業監査のその後

企業不祥事・経済犯罪

2001年12月2日、EnronはChapter 11を申請しました。

それで事件が終わったわけではありません。

むしろEnron崩壊後、アメリカではもっと大きな問いが残りました。

「なぜ、これだけ多くの監視制度が存在したのに止められなかったのか。」

Enronには取締役会がありました。

Audit Committeeがありました。

内部会計部門がありました。

Chief Risk Officerがいました。

外部監査法人Arthur Andersenがいました。

SECへの定期的な情報開示もありました。

それでも、SPE、関連当事者取引、資産評価、利益相反、財務報告をめぐる問題は長期間蓄積しました。

しかもEnronだけではありません。

2002年6月にはWorldComでも数十億ドル規模の会計不正が表面化します。

投資家が疑い始めたのは、一社の経営陣だけではありませんでした。

「上場企業の数字を監視する仕組みそのものは信用できるのか」

という問題です。

その信用危機の中で、2002年7月30日に成立したのが、

Sarbanes-Oxley Act of 2002――サーベンス・オクスリー法、通称SOX法

でした。

SOX法は、単に「粉飾決算への刑罰を重くした法律」ではありません。

監査法人を監督するPCAOBを新設し、監査委員会の独立性を強め、CEO・CFOに財務報告を直接認証させ、内部統制の評価を求め、監査法人が顧客企業へ提供できる非監査業務を制限し、オフバランス取引の開示や監査資料の保存も強化しました。

Enron事件によって問われた複数の「防衛線」を、それぞれ作り直した法律だったのです。

この記事で分かること

  • SOX法はいつ、なぜ成立したのか
  • Enronだけを原因とする法律なのか
  • PCAOBは何をする組織なのか
  • 監査法人の自己規制は何が変わったのか
  • CEO・CFOの財務報告責任はどう強化されたのか
  • Section 404の内部統制とは何なのか
  • 監査委員会と外部監査法人の関係はどう変わったのか
  • Arthur Andersen型の監査・コンサルティング問題にどう対応したのか
  • Enron型のオフバランス取引への開示はどう変わったのか
  • SOX法はすべての不正を防げる制度なのか

CASE FILE 36

Enron崩壊特集(全10回)

最終第10回では、Enron事件後に残った制度を扱います。

これまで見てきたmark-to-market、SPE、Fastowの利益相反、取締役会、Arthur Andersen、信用崩壊、FBI捜査、刑事裁判のそれぞれに対して、米国の制度はどの部分を変更したのでしょうか。

  1. Enronはなぜ崩壊したのか|巨大エネルギー企業を破綻させた不正会計の全体像
  2. Enronは何の会社だったのか|ガス会社から「エネルギーを取引する会社」へ変わった仕組み
  3. Enronの利益はどう作られたのか|時価評価会計と「将来利益」を先に計上する仕組み
  4. Enronは負債と損失をどう見えにくくしたのか|SPE、LJM、Raptorの仕組み
  5. Enron取締役会はなぜ止められなかったのか|Fastowの利益相反と企業統治の失敗
  6. Arthur AndersenはEnronで何をしていたのか|監査、文書破棄、最高裁判決まで
  7. Enronは2001年にどう崩壊したのか|Skilling辞任から12月2日の破産申請まで
  8. Enronの不正はどう解明されたのか|Powers Report、SEC、FBI、Enron Task Forceの捜査
  9. Enron事件で誰が有罪になったのか|Lay、Skilling、Fastowらの刑事責任を整理する
  10. Enron崩壊は何を変えたのか|SOX法、PCAOB、内部統制と企業監査のその後 【現在の記事】

先に結論|SOX法は「経営者・取締役・監査人」の三方向を変えた

SOX法の変更点を大きく分けると、次の三方向になります。

対象 主な変更
経営者 CEO・CFO認証、内部統制評価、虚偽報告への責任強化
取締役会 独立したAudit Committeeによる監査人選任・監督
監査法人 PCAOBによる登録・検査・基準設定・懲戒、非監査業務制限

さらに、

  • 内部統制
  • オフバランス取引の開示
  • 監査資料の保存
  • 内部通報制度
  • 役員報酬の返還

なども強化されました。

つまりEnron事件で破れた箇所を一つだけ直したのではありません。

財務情報が作られ、承認され、監査され、市場へ出るまでの経路全体を再設計したと見る方が実態に近い制度改革です。

2002年7月30日|Sarbanes-Oxley Act成立

Sarbanes-Oxley Act of 2002は、Public Law 107-204として2002年7月30日に成立しました。

法律の正式な目的には、証券法に基づいて企業が行う開示のaccuracy and reliability――正確性と信頼性を改善し、投資家を保護することが掲げられています。

法案名は、中心となった議員、

  • Paul Sarbanes上院議員
  • Michael Oxley下院議員

から取られています。

EnronがChapter 11を申請してから約8か月後でした。

SOX法は「Enron法」ではない

Enronが制度改革の象徴になったことは確かです。

しかし、

「Enronが倒産したのでSOX法が作られた」

だけでは背景を単純化しすぎます。

2001~2002年には、Enron以外にも企業会計をめぐる大規模な問題が相次ぎました。

特に2002年6月25日、WorldComは過去の財務諸表を修正する必要があると発表。

SECはその直後、当初約38億ドル規模とされた会計不正についてWorldComを提訴しました。

Arthur Andersen自身も2002年6月にEnron関連文書破棄の刑事事件で有罪評決を受けています。

つまりSOX法は、

Enron、WorldCom、Arthur Andersenなどを通じて、米国の企業開示と監査制度全体への信頼が低下した環境

への対応でした。

改革①|PCAOBを新設した

SOX法でもっとも構造的な変更の一つが、PCAOBの設置です。

正式名称は、

Public Company Accounting Oversight Board

です。

日本語では「公開会社会計監督委員会」などと訳されます。

名称どおり、上場企業などの監査を行う会計事務所を監督する組織です。

それ以前は監査業界の「自己規制」が中心だった

Enron以前の米国監査業界では、会計士業界自身によるpeer reviewなど、自己規制的な仕組みが重要な役割を持っていました。

つまり会計事務所をチェックする仕組みに、同じ会計士業界が大きく関与していました。

EnronとWorldCom、そしてArthur Andersenの崩壊を受け、議会はこの仕組みでは十分ではないと判断します。

SOX法Title IによってPCAOBが設けられました。

PCAOBは議会によって設置され、SECの監督下にある非営利法人として設計されています。

PCAOBは何をするのか

PCAOBの主要機能を簡潔にすると、次のようになります。

機能 内容
Registration 対象となる監査法人を登録
Inspection 監査法人・監査業務を検査
Standard-setting 監査・関連専門基準を設定
Investigation / Enforcement 違反を調査し、必要に応じて懲戒

これはEnron以前との大きな違いです。

監査法人は、

「顧客企業と監査契約を結び、業界ルールに従って仕事をする」

だけではなく、

自らも外部監督機関による継続的な検査対象

になりました。

Enronとの対応関係|Arthur Andersenを誰が監督するのか

第6回で見たように、Arthur Andersenは世界最大級の監査法人でした。

しかしEnronの財務諸表について重要な会計問題を止められず、最終的にはArthur Andersen自身の監査品質と独立性が問われました。

そこでSOX法は、

「会社を監査する監査法人」

のさらに外側へ、

「監査法人を監督するPCAOB」

を置きました。

改革②|監査人を経営陣からAudit Committee側へ寄せた

Enron事件では、監査法人と経営陣の距離も問題となりました。

従来、外部監査法人は独立した専門家ではあるものの、現実には監査対象会社の経営陣との関係が非常に重要です。

会社が監査報酬を支払います。

経営陣と日常的に会計処理を相談します。

さらに監査以外の仕事を受注する場合もありました。

そこでSOX Section 301は、上場会社のAudit Committeeを企業監査の中心へ置きます。

Audit Committeeの各メンバーには独立性が要求され、外部監査法人について、

  • 選任
  • 報酬
  • 継続起用
  • 業務監督

へ直接責任を持つ仕組みとなりました。

そして外部監査法人は、経営陣ではなくAudit Committeeへ直接報告します。

Enron取締役会との違い

第5回で見たEnronでは、Audit Committee自体は存在していました。

つまりSOX法が初めて「監査委員会」という考え方を作ったわけではありません。

変わったのは、その独立性と法的な役割です。

特に重要なのは、

「経営陣が監査法人を使う」のではなく、「独立取締役からなるAudit Committeeが監査法人を監督する」

という関係を明確化したことでした。

内部通報もAudit Committeeへ届く仕組みに

Section 301では、会計、内部統制、監査に関する苦情を受け付け、処理する手続きもAudit Committeeへ求められました。

さらに従業員が疑わしい会計・監査問題について、秘密・匿名で通報できる仕組みを設けることも要求されます。

Enron事件でSherron Watkinsが経営トップへ内部警告を行ったことを考えると、この制度変更との関係は分かりやすいでしょう。

ただし、SOX法の内部通報制度を「Watkins一人の事件から直接作られた制度」と断定するのも正確ではありません。

企業内部から会計問題を早期に拾い上げる仕組みを、制度として強化したと考えるべきです。

改革③|監査法人が同じ会社へ提供できる仕事を制限

Arthur AndersenはEnronへ外部監査だけを提供していたわけではありませんでした。

内部監査やコンサルティングなど、複数のサービスを提供していました。

ここで利益相反の問題が生じます。

たとえば監査法人自身が顧客企業の会計システムを作り、その同じシステムを自ら監査したらどうでしょうか。

自分の仕事を自分で検証することになります。

SOX Section 201は、監査人の独立性を損なうと考えられる複数の非監査業務を禁止しました。

禁止された代表的な非監査業務

  • 会計帳簿・財務諸表に関係するbookkeeping
  • 財務情報システムの設計・導入
  • 一定の評価・鑑定業務
  • 一定のactuarial services
  • 内部監査のアウトソーシング
  • 経営機能・人事機能
  • broker-dealer、投資顧問、investment banking業務
  • 監査と無関係な一定のlegal / expert services

ただし、

「SOX法で監査法人は顧客へコンサルティングを一切提供できなくなった」

という説明は正しくありません。

禁止対象外の非監査業務は、原則としてAudit Committeeの事前承認などの条件を満たせば提供できる場合があります。

改革④|監査パートナーを定期的に交代させる

監査法人と顧客企業の関係が長期間続けば、双方の距離が近くなりすぎる可能性があります。

SOX Section 203は、主要な監査パートナーについて一定期間ごとのローテーションを要求しました。

代表的にはlead audit partnerやreviewing partnerについて、連続して同一顧客を担当できる期間を5年に制限する仕組みです。

目的は監査法人そのものを必ず交代させることではなく、

長期間同じ人物が同じ経営陣を監査し続けることで独立性が弱くなるリスクを減らす

ことにあります。

改革⑤|CEOとCFOに「その数字は自分の責任」と認証させる

SOXの中でも象徴的なのがSection 302です。

企業のprincipal executive officer――通常はCEO――とprincipal financial officer――通常はCFO――が、年次・四半期報告について自ら認証する制度です。

単に、

「経理部が作りました」

「監査法人が見ています」

では済まなくなります。

CEO・CFOは、報告書について、

  • 自らレビューしたこと
  • 重要な虚偽記載・重要事実の欠落がないこと
  • 財務状態と業績を重要な点で適切に表示していること
  • 内部統制・開示統制について責任を負うこと

などを認証します。

Enronとの対応関係|「私は会計の専門家ではない」は通りにくくなる

Enron裁判でも、経営トップが会社内部の細かな会計処理をどこまで把握していたのかが大きな争点になりました。

もちろんSOX Section 302があるから、CEOがすべての仕訳を自分で確認しなければならないわけではありません。

しかし、

会社が市場へ提出する財務情報について、経営トップ自身が統制と開示へ明確な責任を負う

ことが制度として強化されました。

Section 906|刑事法上の認証も加わった

SOXにはSection 302とは別にSection 906もあります。

Section 906によって18 U.S.C. §1350が設けられ、CEO・CFOは一定の定期報告について、

  • 証券取引法上の報告要件へ適合していること
  • 会社の財務状態・業績を重要な点で公正に表示していること

を認証します。

故意の虚偽認証には刑事罰が関係します。

Section 302と906は似ていますが、法的根拠と仕組みは同一ではありません。

改革⑥|Section 404「内部統制」を経営者自身に評価させる

SOX法で企業実務への影響が特に大きかったのがSection 404です。

Section 404(a)では、経営者が財務報告に係る内部統制――Internal Control over Financial Reporting、ICFR――について責任を持ち、年次報告でその有効性を評価します。

つまり、

「最終的な決算数字が合っていたか」

だけではなく、

「その数字が正しく作られる仕組みになっているか」

を評価する制度です。

内部統制とは具体的に何を見るのか

たとえば、100億円の資産売却を考えます。

内部統制では最終的な仕訳だけを見るのではありません。

  • 誰が取引を承認できるのか
  • 取引相手が関連当事者ではないか
  • 契約書を誰が確認するのか
  • 資産価格を誰が評価するのか
  • 評価者から独立した人が再確認するか
  • 会計処理を誰が承認するか
  • 例外処理が記録されるか

といった一連のプロセスを見ます。

Enron事件で問題になった、

  • Fastowの利益相反
  • SPEの独立性
  • 資産評価
  • LJM取引の承認

は、まさに内部統制の問題と接続します。

「担当者を信用していた」ではなく、仕組みで確認する

第5回で見たEnronには、LJM監督制度がありました。

しかし実際のAudit Committeeレビューは短時間で、個別資料を十分確認しませんでした。

制度は存在していても、運用されなければ意味がありません。

Section 404が重要なのは、

統制手続きが存在するかだけでなく、その統制が実際に有効に機能しているかを評価させる

ことです。

Section 404(b)|外部監査人も内部統制を見る

Section 404(b)は、対象となる企業について、登録監査法人が経営者の内部統制評価に対してattestationを行う仕組みを設けました。

現在は後の法改正によって404(b)の適用除外が存在します。

たとえば一定のemerging growth companiesなどは、監査法人による404(b)のattestationを免除されています。

したがって、

「現在の全米上場会社で必ず外部監査人が404(b)監査を行う」

とするのは正確ではありません。

一方、Section 404(a)を中心とする経営者の内部統制責任が、SOX後の財務報告制度の重要部分になったことは変わりません。

内部統制に「material weakness」があればどうなるのか

SECのSOX実施規則では、財務報告に係る内部統制にmaterial weakness――重要な不備――が存在する場合、経営者はその内部統制が有効だと結論づけることができません。

つまり、

「今年は偶然正しい決算ができた」

としても、重大な誤りを防止・発見する仕組みに重要な欠陥があれば、内部統制上の問題として開示対象になり得ます。

これはEnron以前よりも、財務報告の「過程」を投資家へ見せる考え方です。

改革⑦|オフバランス取引をもっと見えるようにする

Enron事件では、Chewco、JEDI、LJM、Raptorなど、多数のSPEが問題となりました。

しかし第4回で確認したとおり、

SPEやオフバランス取引そのものが違法なのではありません。

重要なのは、投資家が会社の本当の債務・流動性・リスクを理解できるかです。

SOX Section 401は、SECに対してオフバランス取引の開示強化を求めました。

その後のSEC規則では、会社の財政状態、業績、流動性などへ重要な現在または将来の影響を与えるオフバランス取引について、MD&A――Management’s Discussion and Analysis――で説明することが求められました。

「貸借対照表にないから見えなくていい」ではなくなった

ここでの考え方は単純です。

ある契約が会計基準上、貸借対照表へ直接負債として載っていないとしても、

それが将来、

  • 巨額の現金支払い
  • 追加担保
  • 債務保証
  • 流動性危機

につながる重要な契約なら、投資家が理解できる情報が必要です。

第7回で見たEnronのrating triggerなどを考えれば、この開示強化の意味が分かります。

改革⑧|監査資料を一定期間保存する

Arthur Andersen事件との対応が特に分かりやすいのが、SOX Section 802です。

SECはSection 802を実施するRule 2-06 of Regulation S-Xを採用しました。

この規則では、対象となる監査・レビューに関連する、

  • workpapers
  • メモ
  • 通信記録
  • 分析資料
  • 電子記録

などについて、一定の保存を監査法人へ要求します。

SECが2003年に採用した規則では、関連記録の保存期間は7年間とされました。

第6回で扱ったように、Arthur Andersen事件では、SEC調査が迫る時期のEnron関連文書破棄が刑事事件になりました。

SOX後は、監査記録の保存義務そのものもより明確に制度化されました。

改革⑨|業績修正時にCEO・CFOの報酬返還を求める仕組み

SOX Section 304は、一定の場合にCEO・CFOへ報酬返還を求める仕組みを設けました。

会社がmisconduct――不正行為――による証券法上の財務報告要件への重大な不適合を理由として決算修正を必要とする場合、CEO・CFOは一定の、

  • bonus
  • incentive-based compensation
  • equity-based compensation
  • 会社株式売却利益

を会社へ返還する対象になり得ます。

考え方としては、

誤った財務情報によって生じた報酬を、そのまま経営者のものにしない

という仕組みです。

なお、その後米国ではSOX Section 304とは別に、より広いclawback制度も整備されているため、現在の役員報酬返還制度すべてをSOX 304だけで説明することはできません。

Enronで破れた部分と、SOXの対応を並べる

Enronで問題となったもの SOX後の主な対応
Arthur Andersenへの監督 PCAOB創設
監査法人と経営陣の近さ 監査委員会が監査法人を直接選任・監督
監査+コンサルティング 一定の非監査業務禁止・事前承認
経営トップと財務報告の距離 CEO・CFO認証
LJM等の統制不全 内部統制評価
オフバランス取引の分かりにくさ 開示強化
内部からの会計上の警告 Audit Committeeへの苦情・匿名通報手続き
監査文書破棄 監査記録保存規則
誤った業績と役員報酬 一定の場合のclawback

SOX法で「監査法人は会社の味方」ではなくなったのか

正確には、以前から監査法人は経営陣の味方であってはいけませんでした。

外部監査人は独立した立場で投資家のために監査する専門家です。

SOX法は、その原則を新しく作ったというより、

監査人が独立性を維持するための制度的な距離を広げた

と考える方が適切です。

監査委員会が監査人を監督する。

一定のコンサルティング業務を禁止する。

監査パートナーを交代させる。

PCAOBが外から監査法人を検査する。

複数の仕組みで独立性を支えています。

SOX法で企業不正はなくなったのか

なくなっていません。

SOX法成立後も、米国では会計不正、虚偽開示、内部統制不備をめぐる事件は発生しています。

どれほど制度を増やしても、意図的に共謀する人間がいれば不正の可能性を完全にゼロにはできません。

内部統制にも限界があります。

たとえば、通常は、

担当者 → 上司 → CFO

という三段階の承認で不正を防ぐとしても、三人全員が共謀すれば統制をoverride――無効化――できる可能性があります。

だからSOXは、

「不正を絶対に起こさない法律」ではなく、「不正が起きにくく、起きたときに発見・説明・責任追及しやすくする制度」

と見るべきです。

Section 404にはコストの議論もあった

SOX法の中でもSection 404は企業実務への負担が大きい制度となりました。

会社は、

  • 業務プロセスを文書化する
  • 重要な統制を特定する
  • 統制が機能しているかテストする
  • 不備を評価する
  • 監査人へ証拠を提示する

必要があります。

特に小規模企業にとって、こうした対応コストが大きすぎるという批判が出ました。

そのためSOX後の制度は、そのまま固定されたわけではありません。

SEC・PCAOBは内部統制監査の実施方法を見直し、さらに後の法改正ではSection 404(b)の監査人attestationについて一定企業への免除も設けられました。

つまり現在のSOX制度は、2002年にできた法律へ、その後20年以上の調整が加わったものです。

PCAOBも2026年現在まで残っている

PCAOBはEnron直後だけ存在した臨時組織ではありません。

2026年現在も、

  • 監査法人の登録
  • 監査法人の検査
  • 監査基準等の設定
  • 違反の調査・執行

を行っています。

現在は公開会社だけでなく、SEC登録broker-dealerの監査についても監督範囲を持っています。

Enron後に作られた監査監督制度が、一時的な危機対応ではなく恒久的な米国資本市場インフラになったことを示しています。

SOX以前と以後を比較すると

Enron以前 SOX後
監査法人監督 業界自己規制の比重が大きい PCAOBによる外部監督
監査法人の選任・監督 経営陣との関係が強い 独立Audit Committeeが直接責任
非監査業務 幅広く提供可能 一定業務禁止・その他も事前承認
CEO・CFO 財務報告責任は存在 定期報告への直接認証を制度化
内部統制 重要だが外部報告制度は限定的 経営者によるICFR評価を制度化
オフバランス 投資家から見えにくい場合 重要な取引の開示を強化
監査記録 保存規律は存在 SOX・SEC規則で保存義務を明確化

FACT CHECK|SOX法についてよくある誤解

FACT

  • 2002年7月30日成立
  • PCAOBを創設
  • CEO・CFO認証を強化
  • 内部統制報告を制度化
  • 監査人独立性を強化

単純化しない

  • Enron一社だけが原因ではない
  • SPEを禁止した法律ではない
  • mark-to-marketを禁止していない
  • コンサルティングを全面禁止していない
  • 全企業が同じ404(b)要件ではない

核心

  • 経営者責任を明示
  • 監査委員会を強化
  • 監査人を外部監督
  • 内部統制を可視化
  • 投資家への開示を増やす

Enron事件が残した最大の変化は「誰を信用するか」の構造だった

Enron以前も、財務諸表には監査がありました。

取締役会もありました。

証券法もありました。

内部統制もありました。

それでもEnronは崩壊しました。

だから事件後の制度改革では、

「もっと一つルールを追加する」

だけでは足りませんでした。

経営者が数字を作る。

取締役会が経営者を監督する。

監査法人が数字を検証する。

PCAOBが監査法人を監督する。

SECが開示制度を監督する。

複数の独立した主体が、別々の方向から財務報告を検証する構造が強化されました。

SYSTEM|Enron事件で見えた「防衛線の連鎖」

防衛線 Enronで起きたこと SOX後の強化
現場・会計 複雑な評価・SPE処理 内部統制評価
CFO Fastowの利益相反 経営者認証・統制責任
CEO 市場への財務説明 CEO直接認証
取締役会 LJM監督不足 独立Audit Committee強化
監査法人 Arthur Andersen 独立性規則・非監査業務制限
監査業界 自己規制の限界 PCAOB
市場開示 複雑なオフバランス 開示強化

Enron事件は何だったのか|全10回を振り返る

第1回では、Enron崩壊が一つの不正ではなく、複数の制度不全が重なった事件だったことを確認しました。

第2回では、天然ガス・パイプライン会社がエネルギーを取引する金融的企業へ変化した事業構造を追いました。

第3回では、mark-to-market accountingそのものと、その評価を恣意的に利用する問題を分けました。

第4回では、SPEそのものではなく、Chewco、LJM、Raptorで独立性やリスク移転がどこから問題になったのかを見ました。

第5回では、Fastowの明白な利益相反をEnron取締役会が承認しながら、監督制度を十分機能させなかった企業統治を検証しました。

第6回では、外部監査法人Arthur Andersenが存在しても問題を止められず、さらに文書破棄をめぐる刑事事件へ発展した経緯を追いました。

第7回では、これらの問題が2001年秋に財務情報への信用を破壊し、格付け、担保、資金繰り、取引相手へ連鎖してChapter 11へ至った過程を確認しました。

第8回では、FBI、SEC、IRS-CI、Enron Task Forceが大量の電子メール、契約書、銀行記録、証言から事件を再構成しました。

第9回では、Fastowの有罪答弁、Skillingの有罪判決、Layの特殊な法的結末まで、個人の刑事責任を整理しました。

そして最終回。

事件はSOX法、PCAOB、内部統制、経営者認証、監査人独立性という制度へ姿を変えて残りました。

Enronの本当の教訓は「複雑な会計は危険」ではない

Enron事件から、

「複雑な金融取引を禁止すればよい」

という結論は導けません。

デリバティブもSPEもmark-to-marketも、現在も利用されています。

これらには正当な経済目的があります。

Enronで問題になったのは、複雑さそのものではありません。

複雑な仕組みを監督する独立した防衛線が、同時に弱くなっていたことです。

経営陣が強い利益目標を持つ。

CFOが取引相手側にも利益を持つ。

取締役会が経営陣の説明へ依存する。

監査法人が顧客企業と密接な関係を持つ。

投資家には取引全体が見えにくい。

こうした状況が同時に存在すると、一つのチェックが失敗したときに、別のチェックで止めることができません。

SOX法が作ろうとしたのは、まさにその次の防衛線でした。

要点まとめ

Enron崩壊は、アメリカ企業監査制度を大きく変える契機となりました。

ただしSOX法はEnronだけへの対応ではありません。

Enron、WorldCom、Arthur Andersenなどが相次いだ2001~2002年の企業開示・監査への信頼危機を背景として、2002年7月30日にSarbanes-Oxley Actが成立しました。

もっとも大きな制度変更の一つがPCAOBです。

それまで業界自己規制の比重が大きかった監査法人監督に、登録、検査、基準設定、調査・懲戒を行う独立監督機構が設けられました。

Audit Committeeも強化され、外部監査法人の選任・報酬・監督について直接責任を負う仕組みになりました。

監査法人には一定の非監査業務が禁止され、監査人の独立性も強化されました。

Section 302ではCEO・CFOが定期報告を直接認証。

Section 404では、経営者が財務報告に係る内部統制の有効性を評価する制度が作られました。

Section 401では重要なオフバランス取引の開示を強化。

Section 802を受けたSEC規則では、監査関連記録について7年間の保存義務が設けられました。

これらによって不正が完全になくなったわけではありません。

SOX法成立後も企業会計不正は起きています。

Section 404には大きな実務コストもあり、その後、制度の適用範囲や監査方法は調整されてきました。

それでもEnron以前と以後では、一つ大きな違いがあります。

企業の数字を信用する根拠を、「有名な会社だから」「大手監査法人が見ているから」だけに置かず、経営者、独立取締役、監査法人、監査監督機関、規制当局という複数のチェックへ分散させたことです。

Enronには、会計制度がありました。

監査法人もありました。

取締役会もありました。

問題は、それらが存在していたにもかかわらず、一つずつ機能を失ったことでした。

2001年12月に崩壊したのは、一つのエネルギー会社です。

しかしその後に作り直されたのは、企業の数字を誰が、どのように信用するのかという米国資本市場の監視システムそのものでした。

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Enron崩壊特集(全10回)

  1. Enronはなぜ崩壊したのか|巨大エネルギー企業を破綻させた不正会計の全体像
  2. Enronは何の会社だったのか|ガス会社から「エネルギーを取引する会社」へ変わった仕組み
  3. Enronの利益はどう作られたのか|時価評価会計と「将来利益」を先に計上する仕組み
  4. Enronは負債と損失をどう見えにくくしたのか|SPE、LJM、Raptorの仕組み
  5. Enron取締役会はなぜ止められなかったのか|Fastowの利益相反と企業統治の失敗
  6. Arthur AndersenはEnronで何をしていたのか|監査、文書破棄、最高裁判決まで
  7. Enronは2001年にどう崩壊したのか|Skilling辞任から12月2日の破産申請まで
  8. Enronの不正はどう解明されたのか|Powers Report、SEC、FBI、Enron Task Forceの捜査
  9. Enron事件で誰が有罪になったのか|Lay、Skilling、Fastowらの刑事責任を整理する
  10. Enron崩壊は何を変えたのか|SOX法、PCAOB、内部統制と企業監査のその後 【現在の記事】

主な参照資料

  • United States Congress / GovInfo:Sarbanes-Oxley Act of 2002, Public Law 107-204
  • U.S. Securities and Exchange Commission:Certification of Disclosure in Companies’ Quarterly and Annual Reports
  • U.S. Securities and Exchange Commission:Management’s Report on Internal Control Over Financial Reporting and Certification of Disclosure
  • U.S. Securities and Exchange Commission:Strengthening the Commission’s Requirements Regarding Auditor Independence
  • U.S. Securities and Exchange Commission:Audit Committee Requirements under Section 301 of the Sarbanes-Oxley Act
  • U.S. Securities and Exchange Commission:Disclosure in MD&A About Off-Balance Sheet Arrangements and Aggregate Contractual Obligations
  • U.S. Securities and Exchange Commission:Retention of Records Relevant to Audits and Reviews
  • Public Company Accounting Oversight Board:The Audit Profession and the Evolution to Independent Oversight
  • Public Company Accounting Oversight Board:Inspections / Standards / Enforcement

※SOX法を「Enronだけを原因として成立した法律」とは扱っていません。Enron、WorldComをはじめとする大型企業不祥事と、Arthur Andersen問題によって企業開示・監査制度への信頼が大きく低下した時期の制度改革として整理しています。またSOX法はSPE、mark-to-market、デリバティブそのものを禁止した法律ではありません。Section 201についても監査法人の非監査業務を全面禁止したわけではなく、特定業務を禁止し、その他の許容される業務についてAudit Committeeの事前承認などを求めています。Section 404については、404(a)の経営者による内部統制評価と404(b)の監査人attestationを区別しています。404(b)には後の法改正による適用除外が存在するため、現在すべての上場会社へ同一の外部監査要件が適用されるとは記述していません。