Enron事件では、最終的に誰が責任を取ったのでしょうか。
この問いは、見た目ほど簡単ではありません。
元CFO Andrew Fastowは有罪を認めました。
元CEO Jeffrey Skillingは陪審裁判で19件について有罪評決を受け、その後最高裁まで争いました。
元Chairman兼CEO Kenneth Layも2006年5月、陪審裁判と別の裁判で計10件について有罪と判断されました。
ところがLayは、量刑が言い渡される前の2006年7月5日に死亡します。
その後、連邦地裁はLayの有罪判決を取り消し、起訴状も棄却しました。
したがって、
「LayはEnron事件で有罪になり、刑務所へ送られた」
という説明は誤りです。
一方、
「Layは無罪だった」
という説明も正しくありません。
陪審は実際に6件すべてで有罪評決を出し、別の銀行事件でも裁判官が4件すべてについて有罪と判断しています。
しかしLayが死亡したため、その有罪判決は法的に残らなかった。
この区別が必要です。
同じようにSkillingについても、
「19件で有罪になった」
だけでは事件の最後まで説明できません。
2010年、連邦最高裁はSkilling事件でhonest-services fraudの適用範囲を大幅に限定しました。
それでもSkillingの有罪判決全体が消えたわけではなく、その後の控訴審で残る有罪判決が維持され、2013年に168か月――14年――の刑が改めて言い渡されました。
Enron事件の刑事責任を理解するには、
- 起訴
- 有罪答弁
- 陪審評決
- 量刑
- 控訴
- 最高裁判決
- 判決取消し
を一つずつ分ける必要があります。
この記事で分かること
- Kenneth Layは何件で有罪評決を受けたのか
- なぜLayの有罪判決は現在残っていないのか
- Jeffrey Skillingは19件の何について有罪になったのか
- Skilling事件で2010年の最高裁は何を覆したのか
- なぜSkillingの有罪判決全体は消えなかったのか
- Andrew Fastowは何の罪を認めたのか
- Fastowはなぜ政府側証人になったのか
- Richard Causey、Ben Glisan、Michael Kopperらはどうなったのか
- 「起訴された」と「有罪になった」は何が違うのか
CASE FILE 36
Enron崩壊特集(全10回)
第9回では、Enron事件の刑事責任を整理します。
第8回ではFBI、SEC、IRS-CI、Enron Task Forceが大量の証拠から事件を再構成していく過程を確認しました。
今回はその捜査の結果、誰が何を認め、誰が陪審裁判で有罪となり、その判断がその後どう変化したのかを追います。
制度改革については最終第10回で扱います。
- Enronはなぜ崩壊したのか|巨大エネルギー企業を破綻させた不正会計の全体像
- Enronは何の会社だったのか|ガス会社から「エネルギーを取引する会社」へ変わった仕組み
- Enronの利益はどう作られたのか|時価評価会計と「将来利益」を先に計上する仕組み
- Enronは負債と損失をどう見えにくくしたのか|SPE、LJM、Raptorの仕組み
- Enron取締役会はなぜ止められなかったのか|Fastowの利益相反と企業統治の失敗
- Arthur AndersenはEnronで何をしていたのか|監査、文書破棄、最高裁判決まで
- Enronは2001年にどう崩壊したのか|Skilling辞任から12月2日の破産申請まで
- Enronの不正はどう解明されたのか|Powers Report、SEC、FBI、Enron Task Forceの捜査
- Enron事件で誰が有罪になったのか|Lay、Skilling、Fastowらの刑事責任を整理する 【現在の記事】
- Enron崩壊は何を変えたのか|SOX法、PCAOB、内部統制と企業監査のその後
先に結論|3人の法的結末は同じではない
| 人物 | 主な結果 | 最終的な整理 |
|---|---|---|
| Kenneth Lay | 2006年に計10件で有罪と判断 | 量刑前に死亡。有罪判決取消し・起訴棄却 |
| Jeffrey Skilling | 19件で陪審有罪評決 | 最高裁・控訴審を経ても有罪判決が維持され、2013年に168か月 |
| Andrew Fastow | 2件の共謀罪について有罪答弁 | 政府へ協力、2006年に6年の禁錮刑 |
三人をまとめて「Enron幹部は全員有罪になった」とすると、Layの特殊な法的状態を落としてしまいます。
反対に、Layの判決が取り消されたことから、
「Enron経営トップではSkillingだけが有罪だった」
とするのも不正確です。
Layには実際に陪審・裁判官による有罪判断がありました。
ただし、その判断が量刑・直接上訴を経て最終判決として残る前に本人が死亡しました。
まず「起訴」「有罪評決」「有罪答弁」を分ける
アメリカの刑事事件を日本語で読むと、用語が混同されやすくなります。
| 段階 | 意味 |
|---|---|
| Indictment | 大陪審などを経て刑事訴追された段階。有罪確定ではない |
| Guilty plea | 被告自身が有罪を認める |
| Guilty verdict | 陪審または裁判官が有罪と判断 |
| Sentencing | 有罪判断後に刑罰を決める |
| Appeal | 上級裁判所へ有罪・量刑などを争う |
| Vacated | 判決などが取り消される |
Enron事件では、このすべてが登場します。
Andrew Fastow|裁判前に有罪を認めたCFO
最初に、事件の中心人物Andrew Fastowから見ます。
FastowはEnronのCFOとして、LJM、Raptorなど多数のSPE取引に深く関与していました。
2002年10月に刑事訴追されます。
しかしFastowはLayやSkillingのような全面的な陪審裁判には進みませんでした。
2004年1月14日、Fastowは政府とのplea agreement――司法取引に基づき、二つのconspiracy countsについて有罪を認めました。
具体的には、証券詐欺・wire fraudに関連する共謀です。
Fastowは、Enron上級経営陣の他のメンバーらと、Enronの公表財務結果を不正に操作する幅広い計画へ関与したことを認めました。
Fastowは自分自身が利益を得たことも認めた
Fastow事件には、Enronの決算操作だけではなく、自己利益の問題もありました。
LJMなどの取引を通じて、Fastowや周辺人物は大きな利益を得ていました。
司法省によれば、FastowはEnronとその株主を犠牲にして自己を富ませる計画へ参加したことも認めています。
司法取引では資産没収にも同意しました。
2006年の司法省発表では、最終的にFastowは2000万ドルを超える資産の没収に同意したとされています。
Fastowの司法取引が捜査を大きく変えた
Fastowは単に有罪を認めただけではありません。
政府捜査へ全面的に協力することにも同意しました。
これはEnron Task Forceにとって極めて重要でした。
Fastowは、
- EnronのCFO
- SPE構造の中心人物
- Lay・Skillingら経営トップと接触できる人物
- LJM取引の両側を知る人物
だったからです。
後のLay・Skilling裁判で、Fastowは政府側の重要証人として証言します。
Fastowの刑は「10年」ではなく最終的には6年
2004年のplea agreementでは、Fastowについて合計10年の刑を想定する内容が示されていました。
しかし実際の量刑は異なります。
2006年9月26日、連邦地裁はFastowに対し、二つの共謀罪について6年の禁錮刑を言い渡しました。
したがって、
「Fastowは10年の刑を受けた」
ではなく、
「司法取引当初は10年が想定されていたが、最終量刑は6年」
と整理する必要があります。
Ben Glisan|Enron Treasurerも有罪を認めた
Fastow以前に有罪答弁した重要人物の一人がBen Glisanです。
GlisanはEnronのTreasurerを務め、Raptorを含む財務取引に関与していました。
2003年9月10日、Glisanはwire fraudとsecurities fraudを行う共謀について有罪を認めました。
その日のうちに60か月――5年の禁錮刑が言い渡され、収監されています。
Glisanは、Enronの報告財務結果を実態より良く見せるための共謀へ参加したことを認めました。
また93万8000ドルを没収することにも同意しています。
Michael Kopper|Fastowの元部下が初期の協力者になる
Michael Kopperも、捜査初期の重要人物です。
KopperはFastowの元部下で、ChewcoやSouthamptonなどの取引に関与しました。
2002年に有罪を認め、その後政府へ協力。
司法省の後年の整理では、Kopperはconspiracyとmoney launderingについて有罪を認め、3年1か月の刑を受けています。
Kopperの協力は、Fastowへ捜査を進めるうえでも重要でした。
Richard Causey|最高会計責任者も有罪答弁
Richard CauseyはEnronのChief Accounting Officerでした。
本来ならLay・Skillingとともに2006年の大型裁判へ進む予定でした。
しかし裁判開始の約1か月前、状況が変わります。
2005年12月28日、Causeyは1件のsecurities fraudについて有罪を認めました。
Causeyは、Enron上級経営陣のメンバーらとともに、SEC提出書類やアナリスト向け説明でEnronの実際の財務状態について虚偽・誤解を招く説明を行う共謀に参加したことを認めています。
2006年11月15日、Causeyには66か月の禁錮刑が言い渡されました。
さらに、
- 125万ドルの没収
- 2万5000ドルの罰金
- Enronに対する繰延報酬請求権の放棄
も命じられています。
2006年1月30日|Lay・Skilling裁判が始まる
そして事件の中心となる刑事裁判が始まります。
被告は、
Kenneth LayとJeffrey Skilling。
Enronの二人の元CEOです。
Houstonの連邦地裁で、Judge Sim Lakeのもと、2006年1月30日から陪審裁判が行われました。
政府側は、LayとSkillingらがEnronの実際の状態について投資家を欺き、会社が安定して成長しているように見せたと主張しました。
対象となったのは、一つのSPEだけではありません。
政府側が示した全体像には、
- Wholesale部門
- Enron Energy Services
- Enron Broadband Services
- 財務目標達成
- 損失や負債の見え方
- キャッシュフロー
- 信用格付け
などが含まれていました。
裁判は56日間続いた
Lay・Skilling裁判は大型企業犯罪事件となりました。
司法省によれば、陪審に事件が渡るまで56日間の公判が行われました。
政府側には、FastowやBen Glisanなど、既に有罪を認めた元Enron幹部も証人として登場します。
弁護側は、Enronが倒産したことと被告が犯罪を犯したことは同じではないと反論しました。
またFastowら政府協力証人には、自分の刑を軽くするためにLayやSkillingへ不利な証言をする動機があるとして、証言の信用性を争いました。
最終的には、陪審が大量の文書・証言・公開発言を基に判断することになります。
2006年5月25日|Kenneth Layに全6件で有罪評決
陪審は6日間の評議を経て、2006年5月25日に評決を出しました。
Kenneth Layについては、陪審へ提出された6件すべてで有罪です。
| 罪名 | 件数 |
|---|---|
| Conspiracy | 1 |
| Wire fraud | 2 |
| Securities fraud | 3 |
| 合計 | 6 |
ここだけなら、Layは「6件で有罪」となります。
しかし、Layにはもう一つ別の事件がありました。
Layは銀行事件でも4件すべて有罪
LayはEnron関連の陪審裁判とは別に、自身の銀行取引についても訴追されていました。
こちらは陪審ではなくJudge Lakeが判断するbench trialでした。
同じ2006年5月25日、裁判官はLayについて、
- bank fraud:1件
- 銀行への虚偽説明:3件
の計4件すべてで有罪と判断しました。
したがって、5月25日の時点では、Layは合計10件について有罪と判断されていました。
Layに刑はまだ言い渡されていなかった
しかし有罪評決と量刑は別です。
Layにはその後、刑を決めるsentencing hearingが予定されていました。
ところが、その前に予想外の出来事が起きます。
2006年7月5日|Kenneth Layが死亡
有罪評決から約6週間後の2006年7月5日。
Kenneth Layは死亡しました。
量刑前です。
そして、通常行うことのできた直接上訴の手続きも完了していませんでした。
当時適用された連邦法上の扱いにより、Layの刑事事件は特殊な結末を迎えます。
2006年10月|Layの有罪判決は取り消された
2006年10月17日、司法省はLay事件について、
conviction was vacated and the indictment dismissed
――有罪判決が取り消され、起訴状が棄却された――と記録しています。
したがって現在、Layについて刑事上の有罪判決がそのまま残っているわけではありません。
事実①
2006年5月25日、Layには計10件について有罪判断が出た。
事実②
Layは量刑前の2006年7月5日に死亡した。
法的結末
2006年10月、有罪判決取消し・起訴棄却となった。
「Layは無罪になった」ではない
ここは表現に注意が必要です。
Layの有罪判決が取り消された理由は、
上級裁判所が証拠を再検討して「犯罪をしていなかった」と判断したからではありません。
陪審評決後、直接上訴が完了する前に本人が死亡したことによる当時の法的処理です。
したがって、
「Layは最高裁で無罪になった」
「陪審評決が誤りだと判断された」
「検察が起訴を撤回した」
という説明はいずれも正しくありません。
Layについて最も正確なのは、
「2006年に計10件で有罪と判断されたが、量刑前に死亡し、その後有罪判決は取り消され、起訴も棄却された」
です。
Jeffrey Skilling|28件中19件で有罪
同じ2006年5月25日、Jeffrey Skillingにも評決が出ました。
Skillingは陪審へ提出された28件のうち、19件で有罪となりました。
| 罪名 | 有罪 |
|---|---|
| Conspiracy | 1件 |
| Securities fraud | 12件 |
| Insider trading | 1件 |
| False statements to auditors | 5件 |
| 合計 | 19件 |
一方、Skillingは9件のinsider tradingについて無罪となりました。
つまり、政府側が起訴したすべての罪で有罪となったわけではありません。
2006年10月23日|Skillingに292か月
Layが死亡したため、二人のうち実際に量刑まで進んだのはSkillingです。
2006年10月23日、Judge Sim LakeはSkillingに292か月の禁錮刑を言い渡しました。
約24年4か月です。
しかし、この292か月が最終刑ではありません。
Skillingは有罪判決と量刑を控訴します。
2009年|控訴裁判所は有罪を維持したが、量刑を取り消す
2009年1月6日、第5巡回区連邦控訴裁判所はSkillingの有罪判決を維持しました。
一方、量刑については地裁が刑を重くする際に用いた一つの判断に誤りがあったとして、292か月の刑を取り消し、再量刑のため事件を地裁へ戻しました。
つまりこの段階では、
「有罪は維持、刑の長さはやり直し」
です。
そして事件は連邦最高裁へ
Skillingはさらに連邦最高裁へ進みました。
大きな争点は二つです。
- Enron崩壊の中心地Houstonで公平な陪審裁判を受けられたのか
- honest-services fraudという法律をSkillingへ適用できるのか
後者が、Enron事件を超えてアメリカ刑法上重要な問題となりました。
honest-services fraudとは何だったのか
政府はSkillingのconspiracy countについて、複数の犯罪理論を提示していました。
その一つに、18 U.S.C. §1346のhonest-services fraudがあります。
簡単にいえば、会社役員などが自分の忠実な職務――honest services――を会社や株主から不正に奪う行為を詐欺として処罰する考え方です。
しかし当時、この法律の範囲は非常に広く解釈される可能性がありました。
どのような職務違反まで連邦犯罪になるのかが問題となります。
2010年6月24日|最高裁がhonest-services fraudを限定する
2010年6月24日、連邦最高裁はSkilling v. United Statesで判決を出しました。
最高裁は18 U.S.C. §1346について、犯罪となるhonest-services fraudを基本的に、
bribes and kickbacks――賄賂とキックバック
を伴う計画へ限定しました。
Skillingについて政府は、第三者から賄賂やキックバックを受け取ったと主張していませんでした。
したがって最高裁は、Skillingの行為はこの限定されたhonest-services fraudには該当しないと判断しました。
ではSkillingの19件は全部無効になったのか
なっていません。
ここが最高裁判決でもっとも誤解されやすい部分です。
最高裁は、
「Skillingは無罪である」
とは判断していません。
Skillingのconspiracy chargeには、honest-services fraud以外にも、証券詐欺などの有効な犯罪理論が含まれていました。
そこで最高裁は、無効になったhonest-services theoryが陪審評決へどの程度影響したのかを下級審で確認するため、事件を差し戻しました。
最高裁が認めなかったもう一つの主張|Houstonでは公平な裁判ができなかった?
Skillingは、Enron崩壊によってHoustonが大きな被害を受け、膨大な報道もあったため、Houstonで公平な陪審を得ることはできなかったと主張しました。
しかし最高裁は、この点についてSkillingの主張を認めませんでした。
裁判地を理由として有罪判決全体を覆すことはしませんでした。
つまり2010年最高裁判決は、Skilling側の全面勝訴ではありません。
| Skillingの主張 | 最高裁 |
|---|---|
| Houstonでは公平な裁判ができなかった | 認めず |
| honest-services fraudの適用が広すぎる | 認め、賄賂・キックバックへ限定 |
| その結果すべて無罪になる | 判断せず、影響確認のため差し戻し |
2011年|第5巡回区は有罪判決を維持
最高裁から差し戻された事件を、第5巡回区控訴裁判所が再検討しました。
2011年4月、控訴裁判所は、honest-services theoryを陪審へ示した誤りについて検討。
その結果、Skillingが投資家をEnronの財務状態について欺く証券詐欺の共謀に参加した証拠から、無効なhonest-services theoryがなくても有罪評決は変わらなかったとして、誤りはharmless――有罪を取り消すほどのものではない――と判断しました。
その結果、Skillingの有罪判決は維持されました。
2013年|最終的に168か月へ再量刑
その後も量刑をめぐる手続きが続きます。
2013年、政府とSkillingは合意に達しました。
Skillingは、
- 約4200万ドルの没収・被害者補償に関する命令を争わない
- 今後の上訴・訴訟を放棄する
などに同意。
政府側は168~210か月の範囲で刑を勧告することに合意しました。
2013年6月21日、連邦地裁はSkillingを168か月――14年へ再量刑しました。
司法省は、この手続きによって長年続いたSkilling事件の訴訟が事実上終結したとしています。
Skilling事件を一本で整理すると
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 2004年 | 刑事起訴 |
| 2006年5月 | 28件中19件で有罪評決 |
| 2006年10月 | 292か月の刑 |
| 2009年 | 控訴審が有罪維持、量刑を取消し・差戻し |
| 2010年 | 最高裁がhonest-services fraudを賄賂・キックバックへ限定 |
| 2011年 | 控訴審が誤りをharmlessとして有罪維持 |
| 2013年 | 168か月へ再量刑、約4200万ドルを被害者補償へ |
LayとSkillingは同じ結末ではない
二人は同じ2006年裁判で並んで被告席に座りました。
しかし法的な最終状態は異なります。
| Kenneth Lay | Jeffrey Skilling | |
|---|---|---|
| 陪審評決 | 6件すべて有罪 | 28件中19件有罪 |
| 別事件 | 銀行事件4件も有罪 | なし |
| 量刑 | 量刑前に死亡 | 当初292か月 |
| 最高裁 | 到達せず | 2010年Skilling判決 |
| 最終状態 | 有罪判決取消し・起訴棄却 | 有罪判決維持、168か月へ再量刑 |
ほかにも有罪となったEnron幹部はいた
Enron事件はLay、Skilling、Fastowだけではありません。
捜査では、財務、会計、Broadbandなど複数部門の幹部が刑事責任を問われました。
代表例を整理すると次のようになります。
| 人物 | 役職 | 主な結果 |
|---|---|---|
| Andrew Fastow | CFO | 共謀2件で有罪答弁、6年 |
| Richard Causey | Chief Accounting Officer | 証券詐欺1件で有罪答弁、66か月 |
| Ben Glisan | Treasurer | wire・証券詐欺共謀で有罪答弁、5年 |
| Michael Kopper | Finance executive | 共謀・money launderingで有罪答弁、3年1か月 |
| Kenneth Rice | Enron Broadband Services CEO | 証券詐欺で有罪答弁、27か月 |
| Kevin Hannon | Enron Broadband Services COO | 証券・wire fraud共謀で有罪答弁、2年 |
この表はEnron関連刑事事件の全被告を網羅したものではありません。
Enron Task Forceは銀行関係者や取引相手を含む多数の事件を扱っており、一部には控訴によって判断が変化した事件もあります。
そのため本記事では、Enron内部の主要な責任者を中心にしています。
Enron事件は「Fastow一人の犯罪」だったのか
ここまでを見ると、その説明が不十分なことが分かります。
FastowはSPE取引の中心人物であり、自らの犯罪を認めました。
しかし、Enron事件の刑事責任はFastowだけには留まりませんでした。
Causeyは会計責任者として有罪を認めました。
Glisanも財務操作への共謀を認めました。
Broadband部門でも幹部が証券詐欺を認めています。
そしてSkillingについては陪審が、Enronの状態を投資家へ偽って伝える広範な計画への刑事責任を認定しました。
つまり政府が立証した事件像は、
「一人のCFOが経営陣に隠れて会社を騙した」
というものではありません。
複数の上級幹部が、それぞれ異なる位置から財務報告や市場への説明へ関与した事件でした。
一方で「Enronで働いていた幹部は全員犯罪者」でもない
逆方向への単純化も避ける必要があります。
Enronには数万人規模の従業員がいました。
上級幹部であっても刑事訴追されなかった人物もいます。
取締役会についても、第5回で企業統治上の失敗を扱いましたが、それだけで各取締役が刑事詐欺に参加したことにはなりません。
Sherron Watkinsのように、社内から問題を警告した人物もいます。
刑事責任は組織単位ではなく、原則として各人物について、
- 何をしたか
- 何を知っていたか
- どの計画へ参加したか
- どのような意図があったか
を証明する必要があります。
FACT CHECK|Enron裁判で間違えやすいこと
Kenneth Lay
- 2006年に有罪判断あり
- 陪審6件+銀行事件4件
- 量刑前に死亡
- その後有罪判決取消し
Jeffrey Skilling
- 19件で有罪評決
- 9件のinsider tradingは無罪
- 最高裁で全面無罪にはなっていない
- 最終的に168か月へ再量刑
Andrew Fastow
- 陪審裁判で有罪になったのではない
- 2件の共謀罪で有罪答弁
- 政府捜査へ協力
- 最終刑は6年
Arthur Andersenの「有罪」とも区別する
第6回で扱ったArthur Andersenも、一度は司法妨害で有罪評決を受けています。
しかしこれは、LayやSkillingらの証券詐欺事件とは別の刑事事件です。
しかも2005年、連邦最高裁はArthur Andersen事件の有罪判決を破棄・差し戻しました。
したがって、
「Enronの不正会計でArthur Andersen、Lay、Skilling、Fastowが全員有罪になった」
と一行でまとめることはできません。
それぞれ、
- 罪名
- 証拠
- 裁判形式
- 上訴結果
が異なります。
「責任を取った」=「刑務所へ入った」だけでもない
Enron事件では刑罰以外にも、
- 資産没収
- 被害者へのrestitution
- SECによる民事制裁
- 上場企業役員・取締役への就任禁止
- 破産手続での資産回収
などが行われました。
特にSkillingの2013年再量刑では、約4200万ドルを被害者補償へ利用できるようにすることが政府との合意の重要な要素となりました。
Fastowらについても多額の資産没収が行われています。
企業犯罪の司法処理は、禁錮刑だけで完結するものではありません。
誰の刑が最も重かったのか
実際に刑が言い渡された主要Enron内部者の中では、Skillingの刑が突出していました。
| 人物 | 刑 |
|---|---|
| Jeffrey Skilling | 最終的に168か月(14年) |
| Andrew Fastow | 6年 |
| Richard Causey | 66か月 |
| Ben Glisan | 60か月 |
| Michael Kopper | 3年1か月 |
| Kenneth Rice | 27か月 |
| Kevin Hannon | 2年 |
| Kenneth Lay | 量刑前に死亡 |
ただし刑の長さだけで各人物の役割の重大性を比較することもできません。
有罪答弁、政府への協力、罪名、量刑ガイドラインなどによって刑は変わるからです。
Enron事件の司法判断が示したもの
Enron事件では、合法な企業金融の道具が多数使われていました。
mark-to-market。
SPE。
デリバティブ。
銀行融資。
ヘッジ。
これら自体を使用することは犯罪ではありません。
刑事事件で問われたのは、そうした道具を使って、
投資家へ会社の実際の財務状態と異なる姿を意図的に見せたのか
という点でした。
その意味でEnron裁判は、
「複雑な会計を使うこと」
と、
「複雑さを利用して投資家を欺くこと」
の間に刑事責任の境界線を引く事件でもありました。
Enron刑事事件の流れ
| 年 | 主要出来事 |
|---|---|
| 2002年 | Kopperが有罪答弁、Fastowを刑事訴追 |
| 2003年 | Glisanが有罪答弁・5年 |
| 2004年1月 | Fastowが2件の共謀罪で有罪答弁・捜査協力へ |
| 2004年2月 | Skillingを起訴 |
| 2004年7月 | Layを起訴 |
| 2005年12月 | Causeyが証券詐欺で有罪答弁 |
| 2006年1月 | Lay・Skilling裁判開始 |
| 2006年5月25日 | Lay・Skillingに有罪評決 |
| 2006年7月5日 | Lay死亡 |
| 2006年9月 | Fastowに6年 |
| 2006年10月 | Layの有罪判決取消し/Skillingに292か月 |
| 2009年 | Skilling有罪維持、量刑取消し |
| 2010年 | 最高裁Skilling判決 |
| 2011年 | 控訴審がSkilling有罪を維持 |
| 2013年 | Skillingを168か月へ再量刑 |
要点まとめ
Enron事件では、多数の元幹部が刑事責任を問われました。
CFO Andrew Fastowは2004年1月、証券詐欺・wire fraudに関する二つの共謀罪について有罪を認め、政府の捜査へ協力しました。
2006年には6年の禁錮刑を受けています。
Chief Accounting Officer Richard Causeyも2005年12月、証券詐欺について有罪を認め、最終的に66か月。
Treasurer Ben Glisanは共謀罪を認めて5年。
Michael KopperやEnron Broadband Servicesの幹部らも有罪答弁しました。
そして2006年5月25日、LayとSkillingの大型裁判で評決が出ます。
Kenneth Layは陪審裁判で6件すべて有罪。
さらに別の銀行事件でも4件すべてで有罪と判断されました。
しかしLayは量刑前の2006年7月5日に死亡。
同年10月、その有罪判決は取り消され、起訴状も棄却されました。
したがってLayについては、
「有罪評決を受けたが、死亡後に刑事上の有罪判決は残らなかった」
と整理するのが正確です。
Jeffrey Skillingは28件中19件で有罪。
内訳は、共謀1件、証券詐欺12件、インサイダー取引1件、監査人への虚偽説明5件でした。
当初292か月の刑を受けましたが、その後控訴。
2010年、連邦最高裁はhonest-services fraudを賄賂・キックバックへ限定し、Skillingの行為はその犯罪類型には該当しないと判断しました。
しかしSkillingの有罪判決全体が覆ったわけではありません。
差戻し後の控訴審は、証券詐欺を中心とする有効な犯罪理論に基づく証拠から、honest-servicesに関する誤りは有罪評決を取り消すほどではないと判断しました。
最終的に2013年、Skillingは168か月――14年――へ再量刑されます。
つまりEnron事件の刑事責任は、
Fastow一人でも、LayとSkillingだけでもありませんでした。
財務、会計、Broadbandなど複数の部門で、複数の幹部が刑事責任を問われています。
そして刑事裁判は、Enron事件の一つの結末でした。
もう一つ大きな結末があります。
「なぜこの事件を既存の監査制度や企業統治制度が止められなかったのか」
という問いに対し、アメリカは法律そのものを変更しました。
2002年7月30日、Sarbanes-Oxley Act――SOX法が成立します。
監査法人を監督するPCAOB。
CEO・CFOによる財務報告の認証。
内部統制報告。
監査人の独立性強化。
Enron以前とは異なる企業監査制度が作られていきました。
最終第10回では、Enron崩壊がアメリカ企業制度を具体的に何を変えたのかを追います。
CASE FILE 36
Enron崩壊特集(全10回)
- Enronはなぜ崩壊したのか|巨大エネルギー企業を破綻させた不正会計の全体像
- Enronは何の会社だったのか|ガス会社から「エネルギーを取引する会社」へ変わった仕組み
- Enronの利益はどう作られたのか|時価評価会計と「将来利益」を先に計上する仕組み
- Enronは負債と損失をどう見えにくくしたのか|SPE、LJM、Raptorの仕組み
- Enron取締役会はなぜ止められなかったのか|Fastowの利益相反と企業統治の失敗
- Arthur AndersenはEnronで何をしていたのか|監査、文書破棄、最高裁判決まで
- Enronは2001年にどう崩壊したのか|Skilling辞任から12月2日の破産申請まで
- Enronの不正はどう解明されたのか|Powers Report、SEC、FBI、Enron Task Forceの捜査
- Enron事件で誰が有罪になったのか|Lay、Skilling、Fastowらの刑事責任を整理する 【現在の記事】
- Enron崩壊は何を変えたのか|SOX法、PCAOB、内部統制と企業監査のその後
主な参照資料
- U.S. Department of Justice:Federal Jury Convicts Former Enron Chief Executives Ken Lay, Jeff Skilling on Fraud, Conspiracy and Related Charges(2006年5月25日)
- U.S. Department of Justice:United States v. Kenneth L. Lay — Closed Criminal Case
- U.S. Department of Justice:Former Enron CEO Jeffrey Skilling Resentenced to 168 Months for Fraud, Conspiracy Charges(2013年6月21日)
- Supreme Court of the United States:Skilling v. United States, 561 U.S. 358(2010)
- U.S. Court of Appeals for the Fifth Circuit:United States v. Skilling(2011年4月6日)
- U.S. Department of Justice:Andrew Fastow Pleads Guilty to Conspiracy to Commit Securities and Wire Fraud(2004年1月14日)
- U.S. Department of Justice:Andrew Fastow Sentenced to Six Years(2006年9月26日)
- U.S. Department of Justice:Richard Causey Pleads Guilty to Securities Fraud(2005年12月28日)
- U.S. Department of Justice:Richard Causey Sentenced to 66 Months(2006年11月15日)
- U.S. Department of Justice:Ben Glisan Pleads Guilty to Conspiracy(2003年9月10日)
- U.S. Department of Justice:Enron Trial Exhibits and Releases
※本記事では「起訴」「有罪答弁」「陪審による有罪評決」「量刑」「控訴後に残った有罪判決」を区別しています。Kenneth Layは2006年5月25日に陪審裁判6件と別の銀行事件4件で有罪と判断されましたが、量刑前の同年7月5日に死亡し、10月17日に連邦地裁で有罪判決が取り消され、起訴状も棄却されました。このためLayを現在「有罪判決が確定した人物」とは表現していません。また2010年のSkilling v. United StatesはSkillingを全面的に無罪とした判決ではなく、18 U.S.C. §1346のhonest-services fraudを賄賂・キックバックへ限定した判決です。差戻し後、第5巡回区はその誤りをharmlessと判断してSkillingの有罪判決を維持し、2013年に168か月へ再量刑されました。各人物の罪名・刑期はそれぞれの司法省資料で確認し、単なる起訴段階の罪名とは分離しています。