Enron事件を追うと、途中からアルファベットと組織名が急激に増えていきます。
SPE、JEDI、Chewco、LJM1、LJM2、Raptor、Talon。
これらをすべて「借金を隠すために作ったペーパーカンパニー」と理解すると、事件の仕組みを正確には捉えられません。
SPE――Special Purpose Entity、特別目的事業体――そのものは、企業金融で広く使われる仕組みです。
問題は、Enronから本当に独立した第三者だったのか、第三者の資本が本当に損失リスクを負っていたのか、そしてEnronが自社の損失を自社から切り離したと会計上扱ってよかったのかという点にありました。
特に重大だったのが、Enronの最高財務責任者CFOであるAndrew Fastow自身が、Enronと取引するLJMという組織の運営者でもあったことです。
さらにLJMを利用して作られたRaptorでは、Enronが保有する投資資産の値下がりを「外部へヘッジした」形にしながら、そのヘッジ能力自体がEnronの株価に大きく依存していました。
つまりEnronは、自分自身が弱くなったときに同時に弱くなる相手へ、自分の損失を移した形を作っていたことになります。
この記事で分かること
- SPEとは何のために使われる仕組みなのか
- 「オフバランス」とは何を意味するのか
- ChewcoとJEDIでは何が問題になったのか
- Andrew FastowはなぜLJMを作ったのか
- EnronのCFOが取引相手側にいることの何が問題なのか
- RaptorはどのようにEnronの評価損をヘッジしたのか
- なぜRaptorのヘッジは実質的にEnron自身へ依存していたのか
- 2001年の12億ドル株主資本減額とどうつながったのか
CASE FILE 36
Enron崩壊特集(全10回)
第4回では、Enron事件でもっとも複雑なSPE、LJM、Raptorを扱います。
第3回では、Enronが保有する契約や投資資産の価値変動が利益・損失へ反映される仕組みを確認しました。今回は、その資産が値下がりしたとき、Enronがどのような取引によって損失を財務諸表から遠ざけようとしたのかを見ていきます。
なお、Fastowの利益相反を取締役会がなぜ認めたのかについては、第5回で米上院調査を中心に検証します。
- Enronはなぜ崩壊したのか|巨大エネルギー企業を破綻させた不正会計の全体像
- Enronは何の会社だったのか|ガス会社から「エネルギーを取引する会社」へ変わった仕組み
- Enronの利益はどう作られたのか|時価評価会計と「将来利益」を先に計上する仕組み
- Enronは負債と損失をどう見えにくくしたのか|SPE、LJM、Raptorの仕組み 【現在の記事】
- Enron取締役会はなぜ止められなかったのか|Fastowの利益相反と企業統治の失敗
- Arthur AndersenはEnronで何をしていたのか|監査、文書破棄、最高裁判決まで
- Enronは2001年にどう崩壊したのか|Skilling辞任から12月2日の破産申請まで
- Enronの不正はどう解明されたのか|Powers Report、SEC、FBI、Enron Task Forceの捜査
- Enron事件で誰が有罪になったのか|Lay、Skilling、Fastowらの刑事責任を整理する
- Enron崩壊は何を変えたのか|SOX法、PCAOB、内部統制と企業監査のその後
先に結論|「会社の外へ出した」ように見えても、リスクまで外へ出たとは限らない
SPEを使った会計で最も重要なのは、会社とSPEの境界線です。
たとえばEnronが100億円相当の資産をSPEへ移したとします。
帳簿上は、
Enron → 独立したSPE
へ資産を売却したように見えます。
しかし実際には、
- SPEの資金をEnron自身が供給している
- SPEが損をしたらEnronが補填する
- 第三者の出資金が実質的に保証されている
- SPEの取引条件をEnron側が決めている
のであれば、そのSPEは本当にEnronから独立しているのでしょうか。
Enron事件では、この境界線が繰り返し問題になりました。
SPE自体
- 企業金融で通常利用される
- 特定資産・事業を分離できる
- 資金調達にも使われる
- それ自体は違法ではない
会計上の重要点
- 誰が支配しているか
- 第三者資本が本当に存在するか
- その資本が実際にリスクを負うか
- 親会社から独立しているか
Enronで問題化
- Fastowの利益相反
- 秘密のサイドディール
- 実質的な損失保証
- Enron株への過度な依存
そもそもSPEとは何か
SPEはSpecial Purpose Entity、特別目的事業体の略です。
名前のとおり、特定の目的のために作られる法人・パートナーシップなどです。
たとえば航空会社が多数の航空機を購入するとします。
航空会社本体が直接航空機を購入するのではなく、航空機を保有するための別会社を作り、その会社が資金を借りて機体を購入する方法があります。
そのSPEが航空会社へ機体をリースする。
こうした構造自体は珍しいものではありません。
SPEを使えば、
- 特定のプロジェクトだけを切り離す
- 資産を証券化する
- 投資家とリスクを分担する
- 共同事業を行う
- 特定資産を担保に資金調達する
ことができます。
「オフバランス」は「秘密の借金」という意味ではない
Enron事件では「off-balance-sheet」という言葉も頻繁に使われます。
直訳すれば「貸借対照表の外」です。
しかし、
オフバランス=違法に隠した借金
という意味ではありません。
会計基準上、ある事業体が親会社とは独立していると判断されれば、その事業体の資産・負債を親会社の連結貸借対照表へすべて取り込まない場合があります。
反対に、形式上は別会社でも、実態として親会社が支配し、リスクも負っているなら、親会社とまとめて連結する必要が生じます。
Enronで問題になったのは、
「外部の独立企業として扱ってよい条件を、本当に満たしていたのか」
でした。
当時重要だった「第三者資本がリスクを負う」という条件
当時のSPE会計では、独立した第三者から一定以上の資本が投入され、その資本が実際に損失リスクへさらされているかが重要な判断要素でした。
Enron関連資料では、当時使われていた目安として、SPE資産の少なくとも約3%に相当する独立した外部資本という条件が繰り返し登場します。
しかし、単に3%分のお金を一度振り込めばよいわけではありません。
重要なのは、そのお金が本当にat risk――損をする可能性のある資本であることです。
たとえば第三者が300万ドル出資した直後、親会社が、
「絶対に300万ドルは返します。さらに利益も保証します」
と秘密裏に約束していたらどうでしょうか。
形式上は第三者資本でも、経済的にはほとんどリスクを負っていません。
Raptorで問題になったのが、まさにこの部分でした。
EnronではSPEが以前から使われていた
FastowがLJMを作る以前から、Enronは多数のSPEや共同事業体を利用していました。
その中で重要な事例の一つが、JEDIとChewcoです。
JEDI
JEDIはJoint Energy Development Investmentsの略で、EnronとCalifornia Public Employees’ Retirement System――CalPERS――が共同で設立した投資事業体でした。
当初はEnronだけの会社ではなく、外部のCalPERSが参加する共同事業でした。
ところが1997年、Enronは別の投資案件を進めるため、CalPERSにJEDIから撤退してもらう必要が生じます。
CalPERSが抜ければ、JEDIをEnronから独立した事業体として扱い続けることが難しくなります。
そこで登場したのがChewcoでした。
Chewco
Chewcoは、CalPERSが保有していたJEDIの持分を取得するために作られたSPEです。
Chewcoが十分な独立第三者資本を持つのであれば、JEDIをEnronの連結対象外に維持できる可能性がありました。
しかしSECは後に、Chewcoの資金構造が必要な独立性を満たしておらず、JEDIとChewcoはEnronへ連結されるべきだったと主張しました。
2001年11月、Enron自身もChewcoとJEDIなどを過年度へ遡って連結する必要があると判断します。
その結果、過去の利益が減り、報告負債が増えることになりました。
| 年 | Enronが後に示した純利益減少 | 負債増加 |
|---|---|---|
| 1997年 | 4500万ドル | 7億1100万ドル |
| 1998年 | 1億700万ドル | 5億6100万ドル |
| 1999年 | 1億5300万ドル | 6億8500万ドル |
| 2000年 | 9100万ドル | 6億2800万ドル |
ここで重要なのは、SPEを使ったから負債が消えたわけではないことです。
「別会社の負債として扱ってよい」という会計上の前提が崩れたため、Enron本体へ戻ってきたのです。
1999年|FastowがLJM1を設立する
1999年になると、Enron事件の中心にLJMが登場します。
LJM Cayman, L.P.――LJM1――は、当時EnronのCFOだったAndrew Fastowが設立・運営したパートナーシップです。
LJMという名称は、Fastowの妻と二人の息子の名前の頭文字から取られました。
通常なら、会社のCFOが自社と取引する投資組織の運営者になることには明白な利益相反があります。
Fastowには、
Enronのためにできるだけ有利な条件で取引する義務
があります。
しかしLJM側では、
LJMの投資家のためにできるだけ有利な条件でEnronと取引する
ことになります。
同じ人物が取引の両側に立つ構造です。
| Enron側のFastow | LJM側のFastow |
|---|---|
| Enron資産を高く売りたい | できるだけ安く買いたい |
| Enronの損失を減らしたい | LJMに損をさせたくない |
| Enron株主の利益を守る | LJM投資家の利益を守る |
Enronの取締役会は、この利益相反についてFastowへ会社の倫理規定から限定的な例外を認めました。
その後、より大規模なLJM2も設立されます。
この取締役会判断が適切だったのかについては、第5回で詳しく扱います。
LJMは何をする組織だったのか
LJMは、Enronとの取引相手になることが大きな役割でした。
Enronには、
- 投資資産を売却したい
- 新しい投資へ資金を移したい
- 四半期末までに資産を処分したい
- 価格下落リスクをヘッジしたい
という需要がありました。
通常であれば、独立した外部企業を探し、価格や条件を交渉します。
LJMは、その取引相手としてすぐ利用できる存在でした。
しかし、LJMの運営者がEnronのCFOである以上、
本当に独立した第三者との市場取引だったのか
という疑問が常につきまといます。
問題は「関連当事者取引」そのものだけではなかった
企業が経営者の関係会社と取引すること自体が、直ちに犯罪になるわけではありません。
重要なのは、
- 利益相反が開示されているか
- 独立した取締役が監督しているか
- 市場価格に近い公正な条件か
- 相手側が本当にリスクを負っているか
- 会計上の独立性要件を満たしているか
です。
SECは後に、LJMとの複数の取引について、秘密のサイドディールによってLJM側の損失が保証されるなど、通常の独立第三者取引とは異なる条件が存在したと主張しました。
そして、この問題が最も明確に現れたのがRaptorでした。
Raptorとは何だったのか
2000年春から、EnronとLJM2はRaptor I、Raptor II、Raptor III、Raptor IVという四つのSPE構造を作りました。
目的の一つは、Enronが保有していた投資資産の価格下落をヘッジすることでした。
第3回で見たように、Enronはテクノロジー企業などへの投資で大きな未実現利益を計上していました。
株価が上昇している間は利益になります。
しかし株価が下がれば、今度はmark-to-marketで損失を認識しなければなりません。
そこで、
「この資産が値下がりしたら、その分をRaptorがEnronへ支払う」
というヘッジを作りました。
正常なヘッジならどうなるのか
まず普通のヘッジを考えます。
Enronが100ドルの株式を保有しているとします。
別の独立した金融機関Bと契約し、株価が80ドルに下がった場合にはBがEnronへ20ドル支払うとします。
| 出来事 | Enronの投資 | 金融機関Bとのヘッジ | 概算効果 |
|---|---|---|---|
| 株価100→80 | -20 | +20 | 相殺 |
BがEnronから完全に独立し、十分な資金を持っていれば、このヘッジには意味があります。
Enronが損をしてもBには支払能力があるからです。
Raptorでは「ヘッジ相手」もEnronに依存していた
Raptorの問題は、ここにありました。
Raptor Iの中心となったSPEはTalon LLCです。
TalonにはLJM2から3000万ドルが出資されました。
これだけを見ると、外部投資家であるLJM2が資本を提供し、Enronとは別のリスクを負っているように見えます。
しかしTalonの資本の大部分は、Enronから提供された約束手形やEnron株に依存していました。
つまりRaptorの支払能力は、Enron自身の価値と切り離されていませんでした。
構造を極端に単純化すると、
Enronの投資資産が値下がりする → Raptorが補填する
はずなのに、
Raptorの補填能力 → Enron株の価値に依存する
という状態です。
「自分自身で自分を保険する」に近い構造
たとえば自宅の火災に備えて保険をかけたとします。
しかし保険会社が持っている資産のほとんどが、その自宅そのものだったらどうでしょうか。
家が燃えて価値を失った瞬間、保険会社の資産も失われます。
その保険会社に保険金を支払う能力はありません。
Raptorにも似た脆弱性がありました。
Enron株が高値を維持している間は、Raptorには十分な価値があるように見えました。
しかしEnron株が下落すると、Raptor自身の資本も弱くなります。
一方で、RaptorがヘッジしているEnronの投資資産も値下がりしていました。
つまり悪い方向へ動くと、両方が同時に悪化します。
さらに重要だった「3000万ドルは本当にリスクを負っていたのか」
Raptor Iでは、LJM2が3000万ドルを外部資本として出資していました。
しかしSECは、その3000万ドルが実際にはリスクへさらされていなかったと主張しました。
SEC訴状によれば、FastowとEnron側のCauseyとの間には、LJM2がRaptorのヘッジを始める前に、
- 3000万ドルの元本
- 1100万ドルの利益
を受け取るというサイドディールがありました。
合計4100万ドルです。
この支払いを実現するため、EnronとRaptorの間でEnron株に関するput取引が組まれ、その資金がLJM2へ渡ったとSECは主張しています。
つまり、独立した外部投資家としてリスクを負うはずだったLJM2は、実際のヘッジを始める前に元本と利益を回収していたことになります。
| 表面上 | SECが問題にした実態 |
|---|---|
| LJM2が3000万ドルを出資 | 元本+利益を事前に回収するサイドディール |
| 外部資本がリスクを負う | 実際には損失リスクが十分残っていなかった |
| 独立SPE | Enronから独立していないとSECが主張 |
| Enron外部とのヘッジ | 実質的にはEnron自身の価値に依存 |
この条件なら、RaptorはEnronとは独立したSPEとして扱えず、Enronの財務諸表へ連結されるべきだったというのがSECの主張でした。
なぜ連結するとヘッジ効果が消えるのか
ここがRaptorを理解する最大のポイントです。
EnronとRaptorが本当に別会社なら、
Enron側の損失
と
Raptor側の支払い
を別々の経済主体として扱えます。
しかしRaptorが実質的にEnron自身の一部ならどうでしょうか。
Enronグループ内部で、
「右ポケットの損失を左ポケットが補償する」
だけになります。
会社全体で見れば損失は消えていません。
だからこそ、Raptorが独立した第三者であるという前提が極めて重要でした。
Raptor Iだけではなかった
Raptor構造は一つではありません。
2000年には、Raptor IからIVまで四つの構造が作られました。
SEC資料によれば、Raptor I、II、IVは主にEnron株を基礎とし、Raptor IIIはEnronから分離された企業のワラントなどを利用して資本化されました。
LJM2は各Raptorへ3000万ドルを投入しました。
一方でSECは、複数のRaptorについて、LJM2の資本相当額がヘッジ開始前に実質的にLJM2へ戻される仕組みが存在したとしています。
そのため、形式上は外部資本があるように見えても、実態として十分な外部リスク資本が存在していなかったという問題が生じました。
RaptorはEnronに何をもたらしたのか
Raptorとのデリバティブ取引によって、Enronは保有投資資産の価値低下を相殺する利益を認識できました。
米上院調査資料では、Enronは2000年中、Raptorとのエクイティ・デリバティブから約5億ドルの収益を認識し、保有証券の価値低下を相殺していたとされています。
数字だけを見れば、
投資資産が値下がりしてもヘッジ益が発生するため、Enronの損益は安定します。
しかし、そのヘッジ相手がEnron自身の株価へ依存しているなら、Enron株下落時には構造が急速に弱くなります。
2000年後半から構造が苦しくなる
2000年から2001年にかけて、Enronが投資していたテクノロジー関連資産の価値は下落していきました。
その結果、RaptorはEnronへ多額を支払う義務を負うようになります。
ところが同時にEnron株価も下落し始めました。
RaptorはEnron株へ大きく依存しているため、
支払わなければならない金額は増えるのに、支払いに使える資産の価値は減る
という状態になります。
| 市場の変化 | Enron | Raptor |
|---|---|---|
| 投資先株価が下落 | 評価損が発生 | Enronへの支払義務増加 |
| Enron株も下落 | 信用力低下 | 支払い原資の価値低下 |
| 両方同時に下落 | 大きな損失リスク | ヘッジ能力そのものが低下 |
本来、悪い時に助けてもらうためのヘッジが、悪い時ほど役に立たなくなる。
Raptorの構造的な弱点が表面化していきました。
2001年|Raptorを「増強」しても問題は消えなかった
Enronは2001年第1四半期、Raptorの資本不足へ対応するため、追加のEnron株などを投入して構造を補強しました。
しかしこれは、本質的なリスクを外部へ移すものではありません。
Enron株への依存をさらに強める側面がありました。
最終的にEnronはRaptorを解消することになります。
その過程で、それまで見えにくくなっていた損失と会計上の問題が表面へ出てきました。
2001年10月|5億4400万ドルと12億ドル
2001年10月16日、Enronは第3四半期決算を発表しました。
その中で、資産減損やリストラクチャリングなどに関連する約10億1000万ドルの費用を計上します。
SEC資料では、このうち5億4400万ドルがRaptorの早期解消に関連していたとされています。
さらにEnronは、その後、株主資本を約12億ドル減額する必要があることを明らかにしました。
ここで二つの数字を混同してはいけません。
| 数字 | 意味 |
|---|---|
| 5億4400万ドル | Raptor解消に関連して第3四半期に認識された損失の一部 |
| 約12億ドル | Raptor関連取引の会計処理誤りなどにより必要になった株主資本の減額 |
SECは後の訴訟で、この12億ドルの株主資本減額はRaptorを解消したから発生したものではなく、以前の会計処理に重大な誤りがあったため必要になったものだと主張しました。
この巨額減額はウォール街に強い衝撃を与えます。
なぜなら、単なる一時的な事業損失ではなく、過去の財務報告の信頼性そのものに疑問が向くからです。
11月8日|過去の決算を修正
2001年11月8日、Enronは1997年から2000年、さらに2001年第1・第2四半期について財務諸表を修正すると発表しました。
SECの議会証言によれば、Enronは過去4年半の報告純利益を合計5億6900万ドル減額するとしました。
これは該当期間の報告純利益の約16%に相当します。
修正理由には、Chewco、JEDIなど、それまで非連結とされていた複数の事業体をEnronへ連結する必要があると判断されたことが含まれていました。
つまり、
「Enronとは別の会社だから、その負債・損失はEnron本体に入れなくてよい」
という前提の一部が崩れたのです。
なぜSPEを使うと企業が実際より良く見えることがあるのか
架空例で考えます。
企業Aが100億円の資産を持っているものの、その資産価値が70億円へ下落しているとします。
普通なら30億円の損失を認識する必要があります。
そこで独立した企業Bとヘッジを行い、資産が30億円値下がりしたら企業Bが30億円支払う契約を結んだとします。
Bが本当に独立し、十分な資金を持っていれば問題ありません。
しかし企業Bの資金の大部分を企業A自身が提供していたらどうでしょうか。
さらにBへ出資した第三者にも、Aが元本保証していたらどうでしょうか。
見かけ上は、
「損失を外部企業が負担している」
ようでも、経済的には企業Aの中で損失を移動させているだけです。
Raptor問題は、この構造を巨大かつ複雑にしたものとして理解すると分かりやすくなります。
Enronは「借金だけ」を隠していたわけではない
Enron事件を「SPEで借金を隠した」とだけ説明することも不十分です。
SPE関連の問題には、複数の種類があります。
| 問題 | 例 |
|---|---|
| 負債をEnron外として扱う | Chewco / JEDI |
| 資産を外部へ売却した形にする | LJM関連取引 |
| 投資資産の評価損を相殺する | Raptor |
| 関連当事者との取引 | Fastow / LJM |
| 第三者資本の独立性 | Raptor / Talon |
| サイドディール | LJMの元本・利益保証など |
つまりSPEは、Enron事件で一つの用途にだけ使われたわけではありません。
そのため、
「SPE=簿外債務」
とだけ覚えると、Raptorのような評価損ヘッジの問題を理解できなくなります。
FACT CHECK|SPE・LJM・Raptorの誤解しやすい点
FACT
- SPEそのものは違法ではない
- LJMはFastowが運営した
- Enron取締役会はFastowの関与を認めた
- Raptorは四つの主要構造から成っていた
- 投資資産の値下がりをヘッジする目的があった
単純化できない
- オフバランス=違法ではない
- 関連会社取引=直ちに犯罪ではない
- Raptorは単純な「借金隠し」ではない
- 12億ドル減額と5億4400万ドル損失は別項目
核心
- 独立性は本当にあったか
- 第三者資本は本当にリスクを負ったか
- Enron内部のリスクを外部へ移せていたか
- Fastowの利益相反を誰が監督したか
SEC訴状と確定事実を分けて読む
ここで法的な注意点も必要です。
RaptorやLJMについて本記事で使っている詳細の多くは、SECがFastow、Skilling、Causeyらに対して提出した訴状や、その後の政府資料に基づいています。
訴状に書かれている内容は、提出された時点では政府側の主張です。
そのため、
「SECによれば」
「SECは~と主張した」
と、司法手続で確定した事項を区別する必要があります。
一方、Fastow自身は後に共謀罪について有罪を認め、Enron捜査へ協力しました。
またEnron自身も2001年11月、複数の非連結事業体について会計処理を修正し、過去の財務諸表を修正する必要があると発表しています。
したがって、SPE会計に重大な問題が存在したこと自体は、単なる後世の推測ではありません。
本当に重大だったのは「仕組みを知る人が社内にいた」こと
Raptorは、外部の犯罪者がEnronを騙して作った仕組みではありません。
Enron内部の財務、会計、法務、経営陣、取締役会、外部監査が関係する中で成立した取引でした。
だからこそ、事件の疑問は、
「Fastowは何をしたのか」
だけでは終わりません。
次に問わなければならないのは、
- FastowがEnronとLJMの両方に関与することを誰が認めたのか
- 利益相反を監視する仕組みは存在したのか
- 取締役会にはどこまで情報が届いていたのか
- 取締役はどのような質問をしたのか
- 危険な取引を停止する機会はなかったのか
という企業統治の問題です。
SPEが複雑だったから誰にも理解できなかった、というだけではありません。
米上院の調査は後に、Enron取締役会が高リスク会計、関連当事者取引、Fastowの利益相反などについてどこまで把握し、それでもなぜ十分な対応を取らなかったのかを厳しく検証しました。
要点まとめ
SPEは、特定の資産・事業・資金調達を会社本体から分離するために使われる通常の企業金融手法です。
それ自体は違法でも、不正会計でもありません。
重要なのは、SPEが親会社から本当に独立し、外部資本が実際の損失リスクを負っているかです。
Enronでは、ChewcoやJEDIについて、後に本来Enronへ連結すべきだったことが判明し、過年度決算が修正されました。
1999年にはCFO Andrew FastowがLJMを設立します。
FastowはEnronの財務責任者でありながら、Enronと取引するLJMの運営者でもありました。
2000年には、LJM2を利用してRaptor I~IVが作られ、Enronの投資資産の値下がりをヘッジする仕組みとして利用されました。
しかしSECは、Raptor Iの外部資本を提供したLJM2が秘密のサイドディールによって元本と利益を事前に回収し、実際には十分なリスクを負っていなかったと主張しました。
さらにRaptorの資本自体がEnron株へ大きく依存していたため、Enron株が下落するとヘッジ能力も低下しました。
つまり、
Enronの価値が下がったときにEnronを守るはずの仕組みが、Enronの価値そのものに依存していたのです。
2001年になるとこの構造は維持できなくなり、Raptorの解消、5億4400万ドル規模の関連損失、約12億ドルの株主資本減額へつながりました。
そして11月には、複数の非連結事業体をEnronへ戻す過年度決算修正が必要になります。
ここまで来ると、次の疑問が残ります。
これほど重大な利益相反と複雑な取引を、Enronの取締役会はなぜ止めなかったのでしょうか。
次回は、Fastow個人ではなく、Enronを監督するはずだった取締役会の責任を追います。
CASE FILE 36
Enron崩壊特集(全10回)
- Enronはなぜ崩壊したのか|巨大エネルギー企業を破綻させた不正会計の全体像
- Enronは何の会社だったのか|ガス会社から「エネルギーを取引する会社」へ変わった仕組み
- Enronの利益はどう作られたのか|時価評価会計と「将来利益」を先に計上する仕組み
- Enronは負債と損失をどう見えにくくしたのか|SPE、LJM、Raptorの仕組み 【現在の記事】
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- Arthur AndersenはEnronで何をしていたのか|監査、文書破棄、最高裁判決まで
- Enronは2001年にどう崩壊したのか|Skilling辞任から12月2日の破産申請まで
- Enronの不正はどう解明されたのか|Powers Report、SEC、FBI、Enron Task Forceの捜査
- Enron事件で誰が有罪になったのか|Lay、Skilling、Fastowらの刑事責任を整理する
- Enron崩壊は何を変えたのか|SOX法、PCAOB、内部統制と企業監査のその後
主な参照資料
- U.S. Securities and Exchange Commission:Complaint — Andrew S. Fastow
- U.S. Securities and Exchange Commission:Complaint — Jeffrey K. Skilling and Richard A. Causey
- U.S. Securities and Exchange Commission:Complaint — Richard A. Causey
- U.S. Securities and Exchange Commission:Testimony — Recent Events Relating to Enron Corporation
- U.S. Senate Permanent Subcommittee on Investigations:The Role of the Board of Directors in Enron’s Collapse(2002年)
- U.S. Department of Justice:Enron Trial Exhibits and Releases
※SPEやオフバランス取引そのものを違法とは扱っていません。当時の会計ルールでは、独立した第三者資本や実質的なリスク負担などが連結判断の重要要素でした。本記事で説明した「約3%」は当時のEnron関連資料で用いられていたSPE会計上の基準を説明するもので、現在の米国会計基準へそのまま適用できる一般ルールではありません。またFastow、Skilling、Causeyらに関するサイドディールやRaptorの詳細は、SEC訴状での主張と、Enron自身による決算修正、後の有罪答弁・司法手続を区別して記述しています。5億4400万ドルのRaptor関連損失と約12億ドルの株主資本減額は同じ会計項目ではないため、本文では分離しています。