現実世界のCASE FILE 現実世界のCASE FILE

ウォーターゲート事件とは?侵入事件からニクソン辞任までの全貌

ウォーターゲート事件とは?|侵入事件からニクソン辞任までの全貌

政治スキャンダル・権力乱用

1972年6月17日未明、アメリカ・ワシントンD.C.のウォーターゲート・コンプレックスで、5人の男が逮捕された。
侵入先は、民主党全国委員会(Democratic National Committee:DNC)の本部だった。

現場からは盗聴や監視に使う機材が見つかり、逮捕された人物の一人は、当時のリチャード・ニクソン大統領の再選組織と関係を持っていた。
一見すると政治組織を狙った不法侵入事件だったが、捜査が進むにつれて、問題は侵入犯だけでは終わらなくなっていく。

資金の流れ、ホワイトハウス関係者の対応、口止め、FBI捜査への干渉、上院での証言、そして大統領執務室などに残されていた秘密録音。
事件発生から約2年後の1974年8月9日、ニクソンはアメリカ史上初めて任期途中で辞任した大統領となった。

ウォーターゲート事件の核心は、「大統領の政敵の事務所に侵入した」という一点だけではない。
侵入後に何が隠され、誰が捜査を止めようとし、その事実がどのような証拠によって明らかになったのか。
本記事では、1972年の侵入事件から1974年の大統領辞任までを一続きに整理する。

CASE FILE 31

ウォーターゲート事件 1972–1974|全10回

5人の侵入犯から始まった事件は、FBI、裁判所、上院、特別検察官、下院、そして連邦最高裁判所へと調査の舞台を広げていった。
この特集では、政治的な党派論ではなく、何が証拠として確認され、制度がどのように機能して大統領辞任へ至ったのかを追う。

  1. 第1回 ウォーターゲート事件とは?|侵入事件からニクソン辞任までの全貌
    [現在の記事]

  2. 第2回 1972年6月17日、何が起きたのか|民主党本部侵入事件の計画と5人の逮捕

  3. 第3回 5人の侵入犯は誰につながっていたのか|資金・再選委員会・FBI捜査

  4. 第4回 ホワイトハウスは何を隠そうとしたのか|口止め料・CIA・FBI捜査妨害

  5. 第5回 侵入事件はなぜ政権中枢へ広がったのか|シリカ判事とマコード書簡

  6. 第6回 上院公聴会は何を暴いたのか|ジョン・ディーン証言と録音システム発覚

  7. 第7回 録音テープをめぐる攻防|特別検察官と「土曜夜の虐殺」はなぜ起きたのか

  8. 第8回 大統領はテープ提出を拒めるのか|United States v. Nixonと最高裁判決

  9. 第9回 「決定的な録音」からニクソン辞任へ|弾劾条項と1974年8月9日

  10. 第10回 ウォーターゲートは何を変えたのか|刑事責任・選挙資金・情報公開改革

先に結論|なぜ「一件の侵入事件」が大統領辞任まで発展したのか

ウォーターゲート事件を理解するうえで最も重要なのは、1972年6月17日の侵入そのものと、その後に起きた隠蔽を分けて考えることである。
侵入犯が民主党本部へ入っただけなら、重大な政治犯罪であっても、それだけで現職大統領が辞任する展開には直結しない。

事件を大統領職そのものの問題へ変えたのは、侵入後に捜査を抑えようとする動きや口止め、証拠をめぐる対立が次々と明らかになり、その中に大統領自身の行動を示す録音記録が存在したことだった。

特に1972年6月23日にホワイトハウスで録音されたニクソンと首席補佐官H・R・ハルデマンの会話では、侵入犯が所持していた資金を追跡するFBI捜査について話し合い、CIAを通じて捜査を抑える案が検討されていた。
この録音は後に「Smoking Gun」と呼ばれ、ニクソンが侵入事件発生直後の段階から隠蔽に関わっていたことを示す重要証拠となった。

したがってウォーターゲート事件は、「侵入犯が捕まった事件」から始まり、「大統領権限を使って捜査や証拠開示をどこまで妨げることができるのか」という憲法上・司法上の問題へ発展した事件だったと整理できる。

ウォーターゲート事件の基本情報

事件名になった「ウォーターゲート」は、ワシントンD.C.にある住宅、ホテル、オフィスなどから構成された複合施設の名称である。
1972年当時、民主党全国委員会はそのオフィス棟に本部を置いていた。

事件名 ウォーターゲート事件(Watergate Scandal)
発端 1972年6月17日の民主党全国委員会本部への侵入と5人の逮捕
場所 アメリカ・ワシントンD.C.、ウォーターゲート・コンプレックス
中心となる問題 不法侵入、盗聴工作、資金の流れ、捜査妨害、口止め、証拠提出拒否、大統領権限の濫用
主要な調査主体 FBI、連邦司法当局、上院ウォーターゲート委員会、特別検察官、下院司法委員会、連邦最高裁判所
大きな転換点 ホワイトハウスの秘密録音システムの存在が明らかになったこと
結末 1974年8月9日、リチャード・ニクソン大統領が辞任

現場はどこだったのか|ウォーターゲート・コンプレックス

事件の出発点になったのはホワイトハウスそのものではない。
民主党全国委員会が入っていたウォーターゲート・コンプレックスのオフィス棟だった。
現在もワシントンD.C.のポトマック川近くに建物群が残っており、ホワイトハウスから見てもそれほど離れていない。

現在のウォーターゲート・コンプレックス周辺。1972年当時とテナントや内部配置は異なるため、この地図は現在の地理的位置を確認するためのものとして見る必要がある。


Googleマップで大きく見る

ウォーターゲート事件は後にホワイトハウス、議会、司法省、連邦裁判所へと舞台を広げる。
しかし最初に起きたことは非常に物理的だった。
夜間のオフィスへ侵入した人物が、その場で警察に逮捕されたのである。

1972年6月17日|5人の男が民主党本部で逮捕された

1972年6月17日未明、ウォーターゲート・オフィス・ビルの警備員フランク・ウィルズは、建物内のドアに不審なテープが貼られていることに気づいた。
警察へ通報した結果、民主党全国委員会本部内にいた5人が逮捕された。

FBIやNational Archivesの記録によれば、現場では盗聴・監視に使う機材や偽造身分証などが確認された。
さらに逮捕されたジェームズ・マコードは、ニクソン再選委員会の警備関係者だった。
この接点によって、事件は単なる窃盗や不法侵入として処理できない性格を帯びた。

しかも6月17日が最初の侵入ではなかった。
National Archivesの年表では、5月28日に民主党本部へ盗聴装置が設置されており、6月17日の侵入はその監視機器への作業を目的としたものだったことが記録されている。

ここから捜査の焦点は、「5人は誰なのか」だけではなく、「誰のために動いていたのか」「資金はどこから来たのか」へ広がっていった。

侵入犯とニクソン再選組織との接点

逮捕された人物とニクソン再選陣営の関係が判明すると、FBIは資金や人物関係を追い始めた。
事件関係者には、元CIA関係者E・ハワード・ハントや、再選陣営で情報活動を担当したG・ゴードン・リディらも含まれていた。

ここで注意したいのは、「侵入犯がニクソン陣営につながっていた」ことと、「ニクソン自身が侵入計画を直接命令した」ことは同じではない点である。
ウォーターゲート事件で大統領職を決定的に追い詰めた証拠は、侵入前の直接命令を証明したものではなく、事件発生後の捜査や隠蔽をめぐる大統領自身の行動だった。

この区別をしないと、ウォーターゲート事件は単純な「大統領が部下に盗聴を命じて発覚した事件」と誤って理解されやすい。
実際の事件は、侵入犯、再選組織、ホワイトハウス高官、司法当局、議会が段階的につながっていく過程そのものに特徴がある。

1972年の大統領選挙では、事件はニクソン再選を止めなかった

ウォーターゲート侵入事件は大統領選挙の約5か月前に発生したが、当時の段階では事件の全体構造は明らかになっていなかった。
ニクソン政権はホワイトハウスが侵入事件に関与したとの見方を否定し、捜査も継続中だった。

1972年11月7日の大統領選挙で、ニクソンは民主党候補ジョージ・マクガヴァンに大差をつけて再選された。
選挙人票はニクソン520票、マクガヴァン17票だった。
つまり「ウォーターゲート事件が発覚したためニクソンが選挙に敗れた」という経過ではない。

むしろ事件の政治的・法的な重大性が一気に高まるのは、再選後の1973年だった。
侵入犯の裁判、上院調査、元ホワイトハウス法律顧問ジョン・ディーンの証言などによって、侵入後の隠蔽工作が具体的に検証され始める。

侵入事件から「隠蔽事件」へ

1973年に入ると、ウォーターゲート事件を見る焦点は変化した。
問題は「誰が民主党本部へ入ったのか」だけではなく、「侵入後、政権内部で何が行われたのか」へ移っていった。

侵入犯への口止め料、捜査への対応、CIAとFBIの関係、ホワイトハウス高官の証言などが調査対象となった。
そのなかで重要なのが、事件発生から6日後にあたる1972年6月23日の大統領執務室での会話だった。

この日、ニクソンとハルデマンは、FBIが侵入犯の資金源を追っていることについて話し合っていた。
ニクソン大統領図書館が公開している録音記録では、CIAからFBIへ働きかけ、捜査を抑える案が議論されている。

ただし、この録音が一般に知られるのは事件直後ではない。
録音システム自体の存在が公になるのは1973年夏であり、決定的な6月23日の会話が公開されるのは1974年8月だった。
この「証拠が存在していたが、まだ誰も自由に聞けなかった」という状況が、ウォーターゲート事件後半の大きな軸になる。

上院ウォーターゲート委員会|調査がテレビの前へ出る

1973年2月7日、アメリカ上院は大統領選挙運動に関する不正活動を調査する特別委員会を設置した。
一般に「上院ウォーターゲート委員会」あるいは委員長サム・アーヴィンの名から「アーヴィン委員会」と呼ばれる。

公開公聴会は1973年5月17日に始まった。
そこで大きな意味を持った人物の一人が、元ホワイトハウス法律顧問ジョン・ディーンだった。
ディーンはホワイトハウス内部で行われた隠蔽について証言し、大統領自身の認識が問題となった。

しかし証言だけでは、「誰の説明が正しいのか」という争いが残る。
その状況を一変させたのが、元大統領副補佐官アレクサンダー・バターフィールドだった。

1973年7月16日、バターフィールドはホワイトハウスに自動録音システムが存在することを明らかにした。
ニクソンと側近の会話が実際に記録されている可能性が生じたことで、事件は証言の比較から、録音という一次資料をめぐる争いへ移行した。

録音テープを誰が聞けるのか|大統領と捜査側の対立

録音システムの存在が明らかになると、上院委員会や特別検察官アーチボルド・コックスはテープの提出を求めた。
一方、ニクソン側は大統領の会話には秘密保持が必要だとして、行政特権(executive privilege)や三権分立を根拠に提出へ抵抗した。

これは単なる「証拠を隠した、見つかった」という問題ではない。
大統領が職務上の秘密を保持できる範囲と、刑事司法が証拠を求める権限が正面から衝突したのである。

1973年10月20日には、テープ提出を求め続けたコックス特別検察官を解任するようニクソンが命じた。
司法長官エリオット・リチャードソンは命令を拒否して辞任し、司法副長官ウィリアム・ラッケルズハウスも職を離れ、最終的に司法長官代行ロバート・ボークがコックスを解任した。

この一連の出来事は「Saturday Night Massacre(サタデー・ナイト・マサカー/土曜夜の虐殺)」と呼ばれる。
物理的な暴力事件を意味する名称ではなく、司法省上層部が相次いで職を離れ、特別検察官が解任された政治・司法上の危機を指す呼称である。

最高裁判所は大統領にテープ提出を命じた

録音テープをめぐる争いは最終的に連邦最高裁判所へ進んだ。
事件名は「United States v. Nixon」。

1974年7月24日、最高裁は特別検察官が求めた録音について、大統領側の包括的な行政特権の主張を認めず、提出を求める判断を示した。
ウィリアム・レンキスト判事は審理に参加せず、参加した8人の判事による全員一致の判断だった。

最高裁は大統領に秘密保持の利益が存在しないとしたわけではない。
外交や国家安全保障などに関係しない一般的な秘密保持の主張が、刑事裁判で具体的に必要とされる証拠を無条件に遮断するものではないと判断したことが重要だった。

この判決によって、ウォーターゲート事件は「大統領がテープを出すかどうか」という政治的交渉では済まなくなった。
司法判断に従って録音が提出され、その内容を捜査側や議会が確認できる段階へ進んだ。

「Smoking Gun」録音が残っていた

1974年8月5日、ホワイトハウスは新たな録音記録を公開した。
その中に含まれていたのが、1972年6月23日のニクソンとハルデマンの会話だった。

録音は事件発生からわずか6日後のもので、FBIによる資金追跡を抑えるため、CIAからFBIへ働きかける案が話し合われていた。
それまでニクソンは自身が隠蔽に関与したとの見方を否定してきたため、この記録は説明と実際の会話の食い違いを示す決定的な材料となった。

後にこの会話は「Smoking Gun Tape」と呼ばれるようになった。
「犯行現場から煙の出ている銃が見つかる」という英語表現から、直接性の高い決定的証拠という意味で使われる言葉である。

この録音の公開によって、議会内でもニクソンを支持し続けることが難しくなった。
しかし下院司法委員会の弾劾手続は、実は録音公開より先にすでに進んでいた。

下院司法委員会が3つの弾劾条項を採択

1974年2月6日、下院は司法委員会に対し、ニクソン大統領を弾劾すべき根拠が存在するか調査する権限を正式に与えた。
その後、委員会は証拠と証言を検討し、同年7月末に3つの弾劾条項を採択した。

日付 弾劾条項 中心的な問題
1974年7月27日 第1条 ウォーターゲート捜査に対する司法妨害
1974年7月29日 第2条 大統領権限の濫用
1974年7月30日 第3条 議会の召喚要求への不服従

ここで重要なのは、ニクソンが下院本会議で正式に弾劾された後に辞任したわけではないことである。
司法委員会は弾劾条項を採択したが、下院全体による採決が行われる前にニクソンが辞任した。

したがって「ニクソンは弾劾された大統領」と表現するのは正確ではない。
より正確には、弾劾手続が進み、下院司法委員会が3つの弾劾条項を採択した段階で辞任した大統領である。

1974年8月9日|ニクソンが大統領を辞任

1974年8月8日、ニクソンはテレビ演説で大統領職を辞任する意向を表明した。
翌8月9日、辞任は正式に発効した。

National Archivesによれば、辞表は国務長官ヘンリー・キッシンジャーが1974年8月9日11時35分に受領したことで効力を持った。
ニクソンはアメリカ史上、任期途中で辞任した最初の大統領となった。

副大統領ジェラルド・フォードが同日、第38代アメリカ合衆国大統領に就任した。
約1か月後の9月8日、フォードはニクソンに対して大統領在任中に行った可能性のある連邦犯罪について全面的な恩赦を与えた。

1972年6月17日の侵入から、ここまで約2年2か月。
5人の逮捕から始まった事件は、大統領の辞任というアメリカ政治史上前例のない結末に達した。

時系列で見るウォーターゲート事件

ウォーターゲート事件は登場人物が多いため、個人名だけで追うと全体像を失いやすい。
「侵入」「捜査」「隠蔽」「議会調査」「テープ」「司法判断」「弾劾」という段階で見ると構造が分かりやすい。

日付 出来事
1972年5月28日 民主党全国委員会本部に盗聴装置が設置される
1972年6月17日 ウォーターゲート・ビルへ再侵入した5人を警察が逮捕
1972年6月23日 ニクソンとハルデマンがFBI捜査への対応を話し合う。後の「Smoking Gun」録音
1972年11月7日 ニクソンが大統領選挙で再選
1973年1月 侵入事件の裁判が進む
1973年2月7日 上院がウォーターゲート調査の特別委員会を設置
1973年5月17日 上院委員会の公開公聴会開始
1973年7月16日 アレクサンダー・バターフィールドがホワイトハウス録音システムの存在を明らかにする
1973年10月20日 「土曜夜の虐殺」。特別検察官アーチボルド・コックスが解任される
1974年2月6日 下院が司法委員会に弾劾調査権限を与える
1974年7月24日 United States v. Nixonで最高裁が録音提出を求める判断
1974年7月27~30日 下院司法委員会が3つの弾劾条項を採択
1974年8月5日 「Smoking Gun」録音を含む追加記録が公表される
1974年8月8日 ニクソンがテレビ演説で辞任を発表
1974年8月9日 ニクソン辞任。ジェラルド・フォードが大統領に就任

FACT CHECK|ウォーターゲート事件で誤解されやすいこと

「ニクソン自身が民主党本部への侵入を命令した」と確定している?

このシリーズでは、そのようには扱わない。
ニクソン大統領を辞任まで追い詰めた決定的な証拠は、侵入計画を本人が直接命令したことを示す記録ではなく、侵入後の捜査妨害・隠蔽をめぐる行動を示した録音や証拠だった。

「新聞記者2人が事件を暴いて大統領を辞任させた」?

ワシントン・ポストのボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインの報道は、事件を追ううえで重要な役割を果たした。
ただし事件全体の解明は、FBI捜査、連邦検察、侵入犯の裁判、上院調査、特別検察官、下院司法委員会、連邦裁判所など複数の経路によって進んだ。
報道だけで事件が解決したと整理すると、実際の制度的な過程を見失う。

ニクソンは「弾劾されて辞任した」?

正確には、下院司法委員会が3つの弾劾条項を採択したものの、下院本会議による弾劾採決の前に辞任した。
そのため、下院によって正式に弾劾された大統領ではない。

ウォーターゲート事件で本当に問われたもの

ウォーターゲート事件は、政党同士の争いだけで理解すると重要な部分が見えにくい。
共和党のニクソン政権と民主党の対立は事件の背景に存在するが、1973年から1974年にかけて実際に問われたのは、行政権力が刑事捜査や議会調査からどこまで情報を隠すことができるのかという問題だった。

FBIは侵入犯と資金を追い、連邦裁判所は侵入事件を審理し、上院は公開公聴会を通じて政権内部の行動を調べた。
特別検察官は録音テープを求め、最高裁は行政特権の限界を判断し、下院司法委員会は大統領の行動が弾劾に値するかを検討した。

この事件が現在まで重要なのは、権力者の不正があったという事実だけではない。
権力の内部で行われた行為を、別の機関がどのような証拠と権限を使って検証できるのかが、現実の事件を通して試されたからである。

そしてウォーターゲートの場合、その証拠の中心に置かれたのは、大統領自身の執務空間で自動的に記録されていた会話だった。
隠蔽を維持するためには秘密でなければならなかった会話が、最終的には隠蔽を崩す資料になったのである。

まとめ|5人の逮捕から大統領辞任まで

1972年6月17日、民主党全国委員会本部へ侵入した5人が逮捕された時点では、その事件が2年後に大統領を辞任させることになるとは決まっていなかった。

事件を拡大させたのは、侵入犯とニクソン再選組織との接点だけではない。
侵入後の資金処理、口止め、捜査への干渉、議会調査への抵抗、そしてホワイトハウスに残された録音が積み重なったことで、事件は現職大統領自身の行動を問うものへ変化した。

上院公聴会で秘密録音システムの存在が判明し、特別検察官がテープ提出を求め、大統領が拒み、最終的に最高裁判所が提出を命じた。
公開された1972年6月23日の録音は、ニクソンの従来の説明を維持できなくする証拠となった。

下院司法委員会は司法妨害、権力濫用、議会侮辱に関する3つの弾劾条項を採択した。
そして1974年8月9日、ニクソンは下院本会議での弾劾採決を待たずに辞任した。

次回は、この長い事件の出発点へ戻る。
1972年6月17日未明、ウォーターゲート・ビルの中で5人は何をしていたのか。
警備員フランク・ウィルズは何を見つけ、警察は現場から何を押収したのか。
「最も有名な侵入事件」の一夜を、確認できる記録から詳しく追う。

次の記事:

第2回|1972年6月17日、何が起きたのか|民主党本部侵入事件の計画と5人の逮捕

CASE FILE 31|ウォーターゲート事件 1972–1974 全10回

  1. 第1回 ウォーターゲート事件とは?|侵入事件からニクソン辞任までの全貌
    [現在の記事]

  2. 第2回 1972年6月17日、何が起きたのか|民主党本部侵入事件の計画と5人の逮捕

  3. 第3回 5人の侵入犯は誰につながっていたのか|資金・再選委員会・FBI捜査

  4. 第4回 ホワイトハウスは何を隠そうとしたのか|口止め料・CIA・FBI捜査妨害

  5. 第5回 侵入事件はなぜ政権中枢へ広がったのか|シリカ判事とマコード書簡

  6. 第6回 上院公聴会は何を暴いたのか|ジョン・ディーン証言と録音システム発覚

  7. 第7回 録音テープをめぐる攻防|特別検察官と「土曜夜の虐殺」はなぜ起きたのか

  8. 第8回 大統領はテープ提出を拒めるのか|United States v. Nixonと最高裁判決

  9. 第9回 「決定的な録音」からニクソン辞任へ|弾劾条項と1974年8月9日

  10. 第10回 ウォーターゲートは何を変えたのか|刑事責任・選挙資金・情報公開改革

出典・参考資料

本記事は、米国立公文書記録管理局、FBI、米上院、米下院、ニクソン大統領図書館などの公的資料を中心に照合し、確認できる事実と後世の単純化を分けて構成しています。ウォーターゲート侵入事件と、侵入後の隠蔽・捜査妨害を区別し、ニクソン本人が侵入計画を直接命令したと確認されていない点にも留意しています。