現実世界のCASE FILE 現実世界のCASE FILE

上院公聴会は何を暴いたのかジョン・ディーン証言と録音システム発覚

上院公聴会は何を暴いたのか|ジョン・ディーン証言と録音システム発覚

政治スキャンダル・権力乱用

1973年6月25日、元ホワイトハウス法律顧問ジョン・ディーンが、上院ウォーターゲート委員会の公開公聴会に姿を現した。

ディーンは数か月前までリチャード・ニクソン大統領の側近だった。
その人物がテレビカメラの前で、ウォーターゲート侵入事件後の隠蔽について証言し、大統領自身もその過程を知っていたと主張した。

しかし大統領側は、その説明を否定した。

ここで問題が生じる。

ディーンの証言が正しいのか。
それともホワイトハウスの説明が正しいのか。

側近と大統領の説明が食い違っていても、会話が密室で行われていれば、後から完全に再現することは難しい。
ところが1973年7月、上院委員会はそれまでほとんど知られていなかった事実へ到達した。

ニクソン大統領の執務室などには、会話を自動的に記録する録音システムが設置されていた。

7月16日、元大統領副補佐官アレクサンダー・バターフィールドが公開公聴会でその存在を認める。

ウォーターゲート事件は、この瞬間から大きく変わった。
証言と証言を比較する事件ではなく、「実際の会話が録音されたテープを誰が入手できるのか」を争う事件へ移ったのである。

CASE FILE 31

ウォーターゲート事件 1972–1974|全10回


  1. 第1回 ウォーターゲート事件とは?|侵入事件からニクソン辞任までの全貌

  2. 第2回 1972年6月17日、何が起きたのか|民主党本部侵入事件の計画と5人の逮捕

  3. 第3回 5人の侵入犯は誰につながっていたのか|資金・再選委員会・FBI捜査

  4. 第4回 ホワイトハウスは何を隠そうとしたのか|口止め料・CIA・FBI捜査妨害

  5. 第5回 侵入事件はなぜ政権中枢へ広がったのか|シリカ判事とマコード書簡

  6. 第6回 上院公聴会は何を暴いたのか|ジョン・ディーン証言と録音システム発覚

    [現在の記事]

  7. 第7回 録音テープをめぐる攻防|特別検察官と「土曜夜の虐殺」はなぜ起きたのか

  8. 第8回 大統領はテープ提出を拒めるのか|United States v. Nixonと最高裁判決

  9. 第9回 「決定的な録音」からニクソン辞任へ|弾劾条項と1974年8月9日

  10. 第10回 ウォーターゲートは何を変えたのか|刑事責任・選挙資金・情報公開改革

上院ウォーターゲート委員会は何を調べる組織だったのか

米上院は1973年2月7日、「Select Committee on Presidential Campaign Activities」を設置した。
一般には上院ウォーターゲート委員会と呼ばれる。

委員会は民主党4人、共和党3人の7人で構成され、ノースカロライナ州選出の民主党上院議員サム・アーヴィンが委員長、テネシー州選出の共和党上院議員ハワード・ベーカーが副委員長を務めた。

調査対象はウォーターゲート侵入事件だけではなかった。

委員会には、侵入後の隠蔽、大統領選挙における政治スパイ活動、選挙資金、その他1972年大統領選挙に関係する違法・不適切・非倫理的な行為まで調べる権限が与えられた。

つまり「5人がなぜDNC本部へ入ったのか」から始まった事件を、選挙運動と政権内部の仕組みまで広げて調査できる組織だった。

1973年5月17日|公開公聴会が始まる

委員会の公開公聴会は1973年5月17日に始まった。

ここからウォーターゲート事件は、捜査機関や裁判所だけが扱う事件ではなくなる。
証人が議員の質問へ答える姿を、一般国民がテレビで直接見ることができるようになったからである。

米上院公式史によれば、主要テレビネットワークは1973年5月の公聴会を連日中継し、PBSも全米150以上の系列局で夜間に放送した。

テレビによって、事件の構造が初めて大量の国民へ連続した形で提示された。

新聞記事なら、侵入、資金、口止め、CIA、ホワイトハウス高官といった論点を別々の日の記事として読むことになる。

公聴会では、同じ委員会が証人を次々と呼び、証言をつなげていった。

ウォーターゲートは、一つの侵入事件ではなく、組織と権力の使い方を調べる事件として可視化され始めた。

共和党のハワード・ベーカーが示した問い

委員会は民主党だけで構成されていたわけではない。
共和党議員も参加していた。

その中で特に知られるようになったのが、副委員長ハワード・ベーカーだった。

ベーカーがウォーターゲート調査で示した問いは、後に事件全体を象徴するものとなる。

「大統領は何を知っていたのか。そして、いつ知ったのか」

事件の核心はまさにここにあった。

DNC本部への侵入を誰が実行したかは、すでにかなり分かっている。
リディ、ハント、マコードらの刑事責任も裁判で問われた。

問題は、大統領本人がどの段階で何を知り、その後どのような行動を取ったのかだった。

この問いに対して、6月末に最も具体的な答えを提示した証人がジョン・ディーンだった。

ジョン・ディーンとは誰だったのか

ジョン・W・ディーン3世は、1970年から1973年までホワイトハウス法律顧問を務めた。

ウォーターゲート侵入事件後、ディーンは隠蔽工作の内部に深く関わった人物でもある。

第4回で見たように、侵入犯への秘密支払い、FBI捜査への対応、ホワイトハウス内部の情報整理などに関係した。

つまりディーンは「外部から政権を告発した人物」ではない。

本人自身が隠蔽に関与した当事者だった。

だからこそ、彼の証言には二つの側面がある。

一方では、ホワイトハウス内部の会話を直接知る重要証人。

もう一方では、自身の刑事責任を軽くするために情報提供する動機を持つ人物でもあった。

したがって上院委員会にとって必要だったのは、ディーンの話をそのまま信じることではない。

彼が話した内容を、別の証言や文書、記録によって確認することだった。

6月25日|ディーンが公開証言を始める

ディーンは1973年6月25日から29日まで、上院ウォーターゲート委員会で証言した。

ニクソン大統領図書館には、6月25日から続いたテレビ公聴会の映像記録が多数保存されている。

ディーンは長時間にわたり、ウォーターゲート侵入事件後にホワイトハウスで行われた対応を説明した。

その中心には、

  • 侵入事件発覚後の隠蔽
  • 侵入犯への秘密の現金支払い
  • 恩赦をめぐる話
  • FBI捜査への対応
  • ハルデマン、アーリックマン、ミッチェルらとの関係
  • ニクソン大統領との会話

があった。

これは非常に重大な証言だった。

それまでニクソンは、自身がウォーターゲート侵入を事前に知らなかったこと、そして隠蔽にも関与していないとの立場を維持していた。

ディーンは、その説明とは異なる事件像を提示したのである。

「大統領は隠蔽を知っていた」とディーンは証言した

米上院公式史は、ディーンの証言について、ニクソン大統領がホワイトハウスとウォーターゲート侵入事件との関係を隠す計画を承認していたとディーンが証言した、と整理している。

これは1973年6月時点では極めて重大な告発だった。

しかし、ここでFACTとCLAIMを分ける必要がある。

FACT:
ディーンが上院委員会で、そのような内容を証言した。

当時まだ検証が必要だった点:
その証言内容が事実として正しいか。

ニクソン側はディーンの説明を否定していた。

そのため問題は「ディーンが何を証言したか」から、

「その証言を裏付ける客観的な記録が存在するか」

へ移っていく。

ディーンが再現した「大統領職に広がる癌」

ディーンの証言で注目された会話の一つが、1973年3月21日にニクソンと行った面談だった。

第4回で扱った「Cancer on the Presidency――大統領職に広がる癌」と呼ばれる会話である。

ディーンは、隠蔽を維持するために偽証や秘密の資金が必要になり、問題が拡大していると大統領へ警告したと証言した。

しかし、この証言にも同じ問題があった。

3月21日の会談室に上院議員はいなかった。

ディーンは自分の記憶から会話内容を説明している。
ニクソン側が異なる説明をすれば、どちらが正確かを外部から完全に判断することは難しい。

この時点ではまだ一般には知られていなかったが、その3月21日の会話そのものが録音されていた。

ディーン対ホワイトハウス|「言った、言わない」の問題

ウォーターゲート委員会は、非常に典型的な証拠上の問題に直面していた。

ジョン・ディーン側 ニクソン側
大統領は隠蔽について知っていたと証言 大統領は隠蔽への関与を否定
大統領との会話内容を詳細に説明 ディーンの説明の正確性を否定

証言だけなら、最終的には証人の信用性を評価するしかない。

ディーン自身も隠蔽へ関与していた。
検察への協力によって自分の刑事責任が軽くなる可能性もある。

そのため、ディーンの証言だけで大統領の責任を確定することは危険だった。

委員会には独立した裏付けが必要だった。

そして偶然にも、ディーンの証言内容を直接確認できる可能性を持つ記録がホワイトハウス内部に存在していた。

ホワイトハウスには「自動録音システム」があった

ニクソン政権では、大統領の会話を記録するための録音システムが設置されていた。

Richard Nixon Presidential Libraryによれば、システムは1971年2月16日に稼働を開始した。

最初に録音対象となったのは大統領執務室と閣議室だった。

その後、

  • 旧行政府ビル内の大統領執務室
  • 大統領執務室の電話
  • リンカーン・シッティングルームの電話
  • キャンプ・デービッドの大統領執務空間と電話

などにも録音設備が追加された。

特徴的だったのは、多くが音声によって自動的に作動する方式だったことである。

大統領が会談のたびに録音ボタンを押す方式ではない。
対象となる部屋で会話が始まれば、原則としてシステム側が記録する。

その結果、ウォーターゲートだけを目的とした録音ではなく、外交、国内政治、人事、日常的な会談を含む膨大な大統領会話が残った。

なぜニクソンは会話を録音していたのか

「秘密録音」と聞くと、ニクソンがウォーターゲートの証拠を残すために設置したようにも見える。

もちろん、そうではない。

システムはウォーターゲート侵入事件より1年以上前の1971年2月から稼働していた。

ニクソン図書館によれば、首席補佐官H・R・ハルデマンは、会談記録や将来の回想録などに利用できる完全な記録を残すことを念頭に、録音システム導入を提案した。

ニクソン本人が録音操作を忘れないよう、できるだけ手間のかからない音声作動方式が採用された。

そのため大統領自身も日常的には録音システムを意識せず会話していた可能性がある。

後から見れば皮肉な構造だった。

本来は大統領自身のために残された記録が、ウォーターゲートでは大統領の説明を検証する証拠になったからである。

録音システムを知っていた人は少なかった

録音設備の存在はホワイトハウス職員全体に共有されていたわけではない。

National Archivesに掲載されたハルデマンの回想では、システムを知る人物は意図的に限定されていた。

ニクソン、ハルデマン、ローレンス・ヒグビー、アレクサンダー・バターフィールド、そして設置・保守を担当した一部のシークレットサービス職員などである。

ジョン・ディーンも、少なくとも長い間は録音システムの存在を知らなかった。

だからこそディーンは上院で、自分の記憶をもとに大統領との会話を証言していた。

その証言が終わったあと、委員会側が「実際には会話が記録されている可能性」に到達する。

7月13日|バターフィールドが調査スタッフへ事実を明かす

アレクサンダー・P・バターフィールドは、ニクソン政権で大統領副補佐官を務めた人物だった。

録音システムの設置にも関わっていたため、その存在を知っていた数少ない人物の一人である。

1973年7月13日、上院委員会スタッフがバターフィールドへ非公開で事情聴取を行った。

Richard Nixon Presidential Libraryによれば、この聴取でバターフィールドはホワイトハウスに録音システムが存在することを明らかにした。

バターフィールド自身は、委員会側がすでに録音システムの存在を知っており、自分はそれを確認している程度だと考えていたという。

実際には、この情報は委員会にとって決定的だった。

「大統領とディーンの会話が本当に存在するなら、録音を聞けば証言の正否を確認できる」

という新しい捜査経路が生まれたからである。

7月16日|バターフィールドが公開公聴会で認める

1973年7月16日、バターフィールドは上院ウォーターゲート委員会の公開公聴会へ出席した。

そこで、ニクソン大統領の会話を記録するシステムがホワイトハウスに設置されていることを公に認めた。

ニクソン大統領図書館には、この日の公聴会映像が現在も所蔵されており、「Butterfield reveals the existence of the White House taping system」と整理されている。

この証言が持つ意味は非常に大きかった。

それまで上院委員会が持っていたのは、主として人間の証言と文書だった。

しかし今度は、

大統領と側近が実際に何を話したのかを記録した可能性のある音声

が存在すると分かった。

テープがあれば、ディーンの証言を検証できる

米上院公式史は、バターフィールド証言後の状況を明確に整理している。

録音テープがあれば、ディーンが証言した「大統領が隠蔽を知っていた」という説明を裏付けることも、逆に否定することもできる。

委員会にとってテープは、最初から「ニクソン有罪の証拠」だったわけではない。

どちらの説明が正しいのかを確認する一次資料だった。

この点は重要である。

バターフィールド証言の時点では、委員会側はまだ6月23日の「Smoking Gun」録音を自由に聞いていない。

「テープの中に決定的証拠がある」と確定したのではなく、

決定的な証拠になり得る記録が存在すると分かった

段階だった。

録音はいつからいつまで残っていたのか

ニクソンのホワイトハウス録音システムは、1971年2月から1973年7月まで稼働した。

時期 録音システム
1971年2月16日 大統領執務室・閣議室で録音開始
1971年4月 旧行政府ビルの大統領執務室や電話へ拡張
1972年5月 キャンプ・デービッドの一部施設へ追加
1972年6月17日 ウォーターゲート侵入事件発覚
1973年7月16日 バターフィールドが公開公聴会でシステムの存在を明らかにする
1973年7月 録音システム停止

つまり、ウォーターゲート侵入事件発生直後から、隠蔽が崩れ始める1973年春までの重要な期間の多くが録音対象期間と重なっていた。

6月23日のFBI捜査への介入を話した会話も、
3月21日にディーンが「大統領職に広がる癌」について警告した会話も、
録音システムが稼働していた時期に行われている。

すべての会話が録音されていたわけではない

ただし、「ニクソンの全会話が完全に録音されていた」と考えるのも正確ではない。

録音設備が設置されていない場所で行われた会話は記録されない。

機器の不具合、テープ交換、録音対象施設の違いなどもある。

さらに録音には音質が悪い部分や、後に大きな論争となる欠落部分も存在する。

したがって、テープはウォーターゲートのすべてを自動的に説明する「完全なブラックボックス」ではない。

それでも、大統領と側近が特定の日付・場所で交わした会話を一次資料として確認できる価値は極めて大きかった。

7月16日、委員会はテープ提出へ動く

バターフィールドの証言を受け、上院委員会は録音テープの入手へ動いた。

委員長サム・アーヴィンは、テープによってディーンの証言と大統領側の説明のどちらが正しいか確認できると考えた。

米上院公式史によれば、委員会は7月16日にホワイトハウスの録音や文書を召喚する方針を全会一致で決めた。

7月23日には、上院委員会と特別検察官アーチボルド・コックスが、それぞれホワイトハウスの録音・文書を正式に要求する。

ここからウォーターゲート事件は新しい段階へ入った。

ニクソン側は、大統領の会話には秘密保持が必要であり、議会や検察へ無制限に提出すべきではないと主張する。

委員会と特別検察官は、刑事事件と議会調査に必要な証拠としてテープを要求する。

「テープは存在するのか」という問いは終わった。

次の問いは、

「大統領は、そのテープを提出しなければならないのか」

だった。

FACT CHECK|上院公聴会と録音テープで誤解しやすいこと

ディーンの証言でニクソンの隠蔽関与はその場で確定した?

いいえ。
ディーンは大統領が隠蔽を知り、承認していたという趣旨の重大な証言を行ったが、当時ニクソン側はその説明を否定していた。

したがって、6月末の段階ではディーンの証言は重要な証拠・主張ではあっても、それだけで最終的な事実認定が完了したわけではない。

その証言を客観的に検証できる可能性を開いたのが、後に発覚した録音テープだった。

バターフィールドは「秘密を暴露するため」に上院へ出てきた?

そのように単純化するのは適切ではない。

バターフィールドは7月13日の非公開聴取で委員会スタッフから質問を受け、録音システムの存在を認めた。
ニクソン図書館によれば、本人は委員会側がすでにその存在を知っていると思っていた。

その後7月16日の公開公聴会で、録音システムの存在を公式に証言した。

ニクソンはウォーターゲートを録音するためにシステムを作った?

いいえ。
録音システムは1971年2月に稼働を開始しており、1972年6月のウォーターゲート侵入より1年以上前から存在していた。

ウォーターゲート専用の監視装置ではなく、大統領の会談・電話などを広く記録するシステムだった。

バターフィールド証言の時点で「Smoking Gun」が発見された?

いいえ。
1973年7月16日に明らかになったのは、録音システムが存在するという事実だった。

1972年6月23日の「Smoking Gun」会話がニクソンを決定的に追い詰めるのは、テープ提出をめぐる長い法的争いを経た1974年である。

ホワイトハウスの会話はすべて録音されていた?

いいえ。
録音対象となった部屋・電話は限定されており、設備のない場所での会話などは記録されていない。

「大統領の日常会話の非常に広い範囲が自動録音されていた」と理解する方が正確である。

証言から「一次資料」へ|事件の性質が変わった

上院公聴会が始まった時点では、委員会の中心的な証拠は人間だった。

マコードが語る。
ディーンが語る。
カルムバックが語る。
ホワイトハウス側が反論する。

議会は証言を比較し、文書や捜査資料によって裏付ける必要があった。

ところが録音システムの存在が分かったことで、証拠の質が変わった。

1972年6月23日。
1973年3月21日。
その他、ウォーターゲートの重要局面で行われた大統領と側近の会話が記録されている可能性がある。

「ニクソンは何を知っていたのか」

という問いに対して、本人や側近の記憶だけではなく、その場で録音された音声を確認できる可能性が生まれたのである。

これはウォーターゲート事件最大の転換の一つだった。

委員会が「ニクソンを倒した」のではない

上院公聴会が大きな社会的影響を持ったことは確かだが、ここでも因果関係を単純化してはいけない。

上院委員会だけでニクソンを大統領職から追放できるわけではない。

刑事捜査は特別検察官と大陪審が進める。
大統領の弾劾は下院が発議し、上院が裁判を行う別の憲法手続である。
録音提出をめぐる司法判断には連邦裁判所と最高裁判所が関わる。

上院委員会の大きな役割は、侵入・選挙工作・隠蔽の構造を公の場で調査し、証拠と証言を集めることだった。

そしてその調査の中で録音システムの存在へ到達した。

この発見が、後の特別検察官による召喚、司法判断、下院弾劾調査へつながる証拠経路を大きく広げたのである。

時系列|公聴会から録音システム発覚まで

1973年春から夏までの流れを並べると、事件の焦点が「証言」から「テープ」へ移った過程が分かりやすい。

日付 出来事
1973年2月7日 上院がウォーターゲート調査の特別委員会を設置
3月23日 シリカ判事がマコード書簡を公開
4月30日 ハルデマン、アーリックマン、ディーンがホワイトハウスを去る
5月17日 上院ウォーターゲート委員会の公開公聴会開始
5月25日 アーチボルド・コックスがウォーターゲート特別検察官に就任
6月25~29日 ジョン・ディーンが上院委員会で証言
7月7日 ニクソンが上院委員会への本人出席と大統領文書へのアクセスを拒否すると通知
7月13日 非公開聴取でバターフィールドが委員会スタッフへ録音システムの存在を明らかにする
7月16日 バターフィールドが公開公聴会でホワイトハウス録音システムの存在を証言
7月23日 上院委員会と特別検察官コックスがホワイトハウスの録音・文書を要求

まとめ|「誰を信じるか」から「テープを聞けば分かる」へ

1973年5月に始まった上院ウォーターゲート委員会の公開公聴会は、事件をアメリカ国民の目の前へ持ち出した。

その中で最も重大な証人の一人となったのが、元ホワイトハウス法律顧問ジョン・ディーンだった。

ディーンは6月25日から、侵入後の隠蔽と大統領自身の認識について詳細に証言した。

しかし、ディーン自身も隠蔽へ関与した人物だった。
大統領側はその説明を否定している。

この段階では、

「ディーンとニクソンのどちらを信じるのか」

という証言の対立が残っていた。

そこへ7月16日、アレクサンダー・バターフィールドが現れる。

ホワイトハウスには、大統領の会話を自動的に記録する録音システムが存在していた。

もしディーンが説明した大統領との会話が録音されているなら、記憶や政治的主張だけに頼る必要はない。
実際の会話を確認できる。

事件は一気に単純になったようにも見えた。

テープを入手して聞けばよい。

ところが、ここから約1年間にわたる新たな争いが始まる。

大統領には、側近との秘密の会話を守る権利があるのか。
議会や刑事捜査のためなら提出しなければならないのか。
大統領が提出を拒否した場合、誰が強制できるのか。

そして1973年10月20日、テープを要求し続けた特別検察官アーチボルド・コックスを解任するよう、ニクソンは司法省へ命じる。

司法長官は辞任し、司法副長官も命令を実行しない。

後に「土曜夜の虐殺」と呼ばれる政治・司法上の危機である。

次回は、録音テープをめぐって大統領と特別検察官が正面衝突し、司法省上層部が崩れるまでの過程を追う。

前の記事:

第5回|侵入事件はなぜ政権中枢へ広がったのか|シリカ判事とマコード書簡

次の記事:

第7回|録音テープをめぐる攻防|特別検察官と「土曜夜の虐殺」はなぜ起きたのか

CASE FILE 31|ウォーターゲート事件 1972–1974 全10回


  1. 第1回 ウォーターゲート事件とは?|侵入事件からニクソン辞任までの全貌

  2. 第2回 1972年6月17日、何が起きたのか|民主党本部侵入事件の計画と5人の逮捕

  3. 第3回 5人の侵入犯は誰につながっていたのか|資金・再選委員会・FBI捜査

  4. 第4回 ホワイトハウスは何を隠そうとしたのか|口止め料・CIA・FBI捜査妨害

  5. 第5回 侵入事件はなぜ政権中枢へ広がったのか|シリカ判事とマコード書簡

  6. 第6回 上院公聴会は何を暴いたのか|ジョン・ディーン証言と録音システム発覚

    [現在の記事]

  7. 第7回 録音テープをめぐる攻防|特別検察官と「土曜夜の虐殺」はなぜ起きたのか

  8. 第8回 大統領はテープ提出を拒めるのか|United States v. Nixonと最高裁判決

  9. 第9回 「決定的な録音」からニクソン辞任へ|弾劾条項と1974年8月9日

  10. 第10回 ウォーターゲートは何を変えたのか|刑事責任・選挙資金・情報公開改革

出典・参考資料

本記事はU.S. Senate、National Archives、Richard Nixon Presidential Libraryの公的記録を中心に構成しています。ジョン・ディーンが上院公聴会で述べた内容は、証言された事実と、その証言内容自体が真実であるかという事実認定を分離しています。1973年6月時点ではニクソン側がディーンの説明を否定しており、バターフィールドによる録音システムの発覚によって初めて、両者の説明を同時代の音声記録で検証できる可能性が生じたと整理しています。また、録音システムはウォーターゲート専用に設置されたものではなく、事件発生以前の1971年から大統領会話の記録目的で運用されていた点にも留意しています。