1973年10月20日、土曜日の夜。
アメリカ司法省で、異例の命令が上から順に降りていった。
リチャード・ニクソン大統領は、ウォーターゲート特別検察官アーチボルド・コックスを解任するよう司法長官エリオット・リチャードソンに命じた。
リチャードソンは拒否し、辞任した。
次に命令を受ける立場となった司法副長官ウィリアム・ラッケルズハウスも解任を拒否し、職を解かれた。
最終的に司法省の指揮を引き継いだ訟務長官ロバート・ボークが、大統領の命令を実行した。
コックスは特別検察官を解任された。
この一連の出来事は、後に「Saturday Night Massacre――土曜夜の虐殺」と呼ばれる。
もちろん実際の殺傷事件ではない。
司法省上層部が一夜のうちに相次いで職を離れ、現職大統領を捜査していた特別検察官が解任された政治・司法上の危機を表す呼称である。
なぜ、録音テープをめぐる争いがここまで拡大したのか。
今回は、アーチボルド・コックスの就任からテープ召喚、行政特権をめぐる裁判、Stennis compromise、そして1973年10月20日の「土曜夜の虐殺」までを追う。
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ウォーターゲート事件 1972–1974|全10回
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第1回 ウォーターゲート事件とは?|侵入事件からニクソン辞任までの全貌
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第2回 1972年6月17日、何が起きたのか|民主党本部侵入事件の計画と5人の逮捕
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第3回 5人の侵入犯は誰につながっていたのか|資金・再選委員会・FBI捜査
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第4回 ホワイトハウスは何を隠そうとしたのか|口止め料・CIA・FBI捜査妨害
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第5回 侵入事件はなぜ政権中枢へ広がったのか|シリカ判事とマコード書簡
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第6回 上院公聴会は何を暴いたのか|ジョン・ディーン証言と録音システム発覚
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第7回 録音テープをめぐる攻防|特別検察官と「土曜夜の虐殺」はなぜ起きたのか
[現在の記事] -
第8回 大統領はテープ提出を拒めるのか|United States v. Nixonと最高裁判決
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第9回 「決定的な録音」からニクソン辞任へ|弾劾条項と1974年8月9日
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第10回 ウォーターゲートは何を変えたのか|刑事責任・選挙資金・情報公開改革
先に結論|なぜ「テープ」が特別検察官解任まで発展したのか
1973年夏以降の争点は、驚くほど明確だった。
ホワイトハウスには、ウォーターゲート事件の重要期間に行われたニクソン大統領と側近の会話を記録した録音テープが存在する。
特別検察官アーチボルド・コックスは、それを刑事捜査に必要な証拠として要求した。
一方のニクソンは、大統領が側近と自由に話すためには秘密保持が必要であり、その会話を検察や議会へ簡単に渡せば大統領職そのものが機能しにくくなると主張した。
この対立には、双方に制度上の論点があった。
| 特別検察官側 | 大統領側 |
|---|---|
| 刑事事件の事実確認に必要な証拠を入手したい | 大統領と側近の秘密の会話を保護したい |
| 証拠の関連性は捜査側・裁判所が判断すべき | 行政内部の資料を他部門へ無制限に渡すべきではない |
| 大統領も刑事司法手続の外にはいない | 三権分立上、大統領の独立性を守る必要がある |
問題は、この争いを誰が最終的に判断するのかだった。
ニクソンが自分自身で「このテープは提出しない」と最終決定できるのか。
それとも裁判所が提出を命じられるのか。
1973年秋、その争いは裁判所でニクソン側に不利な方向へ進んだ。
そこでホワイトハウスは原テープをコックスへ渡さず、第三者が内容を確認して要約を提供する妥協案を提示した。
コックスは拒否した。
ニクソンはコックスの解任を決断する。
「土曜夜の虐殺」は、突然起きた人事騒動ではない。
誰が証拠を見る権限を持つのかという数か月の対立が、最後に人事権の行使へ変わった事件だった。
アーチボルド・コックスとは誰だったのか
アーチボルド・コックスはハーバード大学法科大学院教授で、ジョン・F・ケネディ政権ではアメリカ合衆国訟務長官を務めた法律家だった。
1973年5月、エリオット・リチャードソンが司法長官へ就任する際、ウォーターゲート事件を通常の司法省組織だけで捜査するのではなく、一定の独立性を持った特別検察官を置くことが重要な条件になっていた。
5月25日、コックスはウォーターゲート特別検察官に就任した。
ここでいう「特別検察官」は、司法省から完全に切り離された独立機関ではない。
制度上は司法省の中に置かれていた。
一方で、捜査対象には大統領、ホワイトハウス職員、大統領任命職まで含まれる可能性がある。
司法長官や大統領が都合の悪い捜査を自由に止められるなら、特別検察官を置く意味がなくなる。
そのためコックスには、通常の検察官より強い独立性が与えられた。
この仕組みが、10月20日の解任問題を特に重大なものにした。
特別検察官は「大統領の部下」なのか
組織図だけを見れば、ウォーターゲート特別検察官は司法省内の機関だった。
しかし、その任務は現職大統領とホワイトハウスを含めて捜査することにある。
ここには最初から緊張関係がある。
大統領は行政部門の長であり、司法省も行政部門に属する。
その行政部門の内部で、大統領自身の行為を刑事捜査する検察官にどれほど独立性を持たせるのか。
コックスの任命時には、この問題を緩和するため、司法長官が特別検察官の捜査判断へ原則として干渉しない仕組みが設けられた。
だからこそリチャードソンは、後にニクソンから「コックスを解任せよ」と命じられた時、単純に上司の命令を実行しなかった。
自分が上院で約束し、特別検察官制度を成立させた際の独立性そのものが問われたからである。
7月16日|すべてを変えた録音システムの発覚
第6回で見たように、1973年7月16日、アレクサンダー・バターフィールドが上院ウォーターゲート委員会で、ホワイトハウスに自動録音システムが存在すると証言した。
この情報は、特別検察官にとって極めて重要だった。
ジョン・ディーンらの証言だけでなく、大統領自身と側近の会話を一次資料で確認できる可能性が生じたからである。
例えば、
- 侵入直後にFBI捜査について何が話されたのか
- 被告への秘密支払いを大統領がいつ知ったのか
- ジョン・ディーンと大統領の説明のどちらが記録と一致するのか
を、実際の会話から検証できる可能性があった。
そこでコックスは録音テープの提出を求める。
7月23日|特別検察官がテープを召喚する
1973年7月23日、上院ウォーターゲート委員会と特別検察官コックスは、それぞれホワイトハウスの録音テープと関連文書を要求した。
コックス側では、連邦大陪審の召喚状を使って特定の大統領会話の録音提出を求めた。
これは「ニクソンのテープを全部公開せよ」という要求とは違う。
刑事捜査上重要と考えられる特定の会話について、証拠として提出を求めたものだった。
ところが7月25日、ニクソンは要求に応じない姿勢を示した。
大統領の説明は、単純な「隠したくないから拒否した」というものではなかった。
大統領と側近の会話には機密性が必要であり、議会・検察が要求するたびに内部会話を提出する前例を作れば、大統領が率直な助言を受けにくくなる。
これが、後に最高裁まで争われる「行政特権」の核心だった。
行政特権とは何なのか
行政特権(executive privilege)とは、大統領や行政部門が一定の内部情報を議会や司法手続から秘密にできるという考え方である。
外交、軍事、国家安全保障だけでなく、大統領が側近から率直な助言を受けるためには、内部会話が常に外部へ公開されるわけではないという保証が必要だという理屈がある。
ウォーターゲート事件の時点でも、大統領の秘密保持という考え方そのものが突然生まれたわけではなかった。
ただし問題は、
その秘密保持が刑事捜査に必要な証拠まで拒否できる「絶対的な権限」なのか
という点だった。
ニクソン側は大統領職の独立性を重視した。
コックス側は、大統領であっても刑事司法に必要な証拠を一方的に遮断できるわけではないと考えた。
この時点では、後のUnited States v. Nixonで示される最高裁の最終判断はまだ存在していない。
シリカ判事はテープ提出を命じた
争いは連邦地方裁判所へ持ち込まれた。
ウォーターゲート侵入事件の裁判を担当したジョン・シリカ判事が、今度は大統領録音テープをめぐる争いを扱うことになる。
1973年8月29日、シリカはホワイトハウスに対し、召喚された録音と資料を裁判所へ提出するよう命じる判断を示した。
重要なのは、「録音をそのまま新聞社や一般国民へ公開せよ」という判断ではなかったことである。
裁判所が内容を確認し、刑事捜査に必要な部分を判断するという司法手続だった。
ニクソン側はこれを受け入れず、上級審へ争いを持ち込んだ。
10月12日|控訴裁判所でもニクソン側が敗れる
1973年10月12日、連邦控訴裁判所は特別検察官側を支持し、ニクソンに録音をシリカ判事へ提出するよう求めた。
ニクソン大統領図書館の解説では、控訴裁判所は大統領が法の上にいるわけではないとの考えを示す一方、両者へ法廷外で妥協案を探すことも促している。
この段階でホワイトハウスは難しい状況に入った。
原テープを提出すれば、録音内容が捜査側へ渡る。
拒否を続ければ、裁判所の命令に逆らう構図になる。
そこで提示されたのが、原テープそのものをコックスへ渡さない「妥協案」だった。
Stennis compromiseとは何だったのか
1973年10月、ニクソン政権はミシシッピ州選出の民主党上院議員ジョン・ステニスを第三者として使う案を提示した。
一般に「Stennis compromise」と呼ばれる。
構想の基本は、
コックスへ原テープを直接渡す代わりに、ホワイトハウス側が内容を整理し、ステニスが原録音と照合・確認したうえで要約または記録を捜査側へ提供する
というものだった。
大統領側から見れば、これには利点がある。
国家安全保障や無関係な私的会話を含む原テープをそのまま捜査側へ渡さずに済む。
それでも第三者の上院議員が内容を確認するため、「ホワイトハウスの自己申告だけではない」という形を作れる。
しかしコックス側から見ると、重大な問題があった。
何が捜査に関連するのかを、証拠を持っている側が先に選別することになるからである。
検察官自身が原資料を確認できなければ、ホワイトハウス側が「無関係」と判断して除外した部分に重要な証拠があっても確認できない。
なぜコックスは妥協案を拒否したのか
コックスは、単に「どうしても原テープが欲しい」という理由だけで拒否したのではない。
刑事捜査では、証拠を持っている側が自分で「この部分だけが関係する」と決め、その要約だけを検察へ渡す仕組みでは、証拠の完全性を検証できない。
特にウォーターゲートでは、問題になっていたのがホワイトハウス自身の行動だった。
捜査対象となり得る側が、
「この会話は見せる」
「この部分は関係ない」
と先に選別することを、特別検察官がそのまま受け入れるわけにはいかなかった。
ニクソン図書館の記録では、10月18日ごろまでにコックスは、この提案では証拠の範囲を一方的に限定されるとして受け入れない姿勢を示している。
10月20日、コックスは記者会見を開き、妥協案を受け入れないと公に表明した。
争点が「テープ」から「特別検察官を解任できるか」へ変わる
コックスが妥協案を拒否すると、ニクソンには大きく二つの選択肢が残った。
一つは、裁判所の判断に従い原テープを提出すること。
もう一つは、テープ提出を要求し続ける特別検察官を職から外すこと。
ニクソンは後者を選んだ。
1973年10月20日、大統領は司法長官エリオット・リチャードソンへ、コックスの解任を命じた。
しかし、ここで別の問題が生じる。
特別検察官はリチャードソン自身が独立性を約束して設置した制度だった。
その司法長官が、大統領に不都合な証拠を要求したことを理由に特別検察官を解任すれば、制度の独立性は事実上失われる。
エリオット・リチャードソンは命令を拒否して辞任した
リチャードソンは、ニクソンの解任命令を実行しなかった。
National Archivesの記録では、リチャードソンは大統領との非公開会談で、上院での司法長官承認過程において特別検察官の独立性へ干渉しないと約束していたことから、コックスを解任するのではなく辞任する道を選んだと整理されている。
この点が、「大統領の命令へ反抗した一官僚」というだけではない理由である。
司法長官自身が作った特別検察官制度について、自分が議会へ与えた保証と大統領命令が衝突した。
リチャードソンは保証を破ってコックスを解任するのではなく、司法長官職を辞した。
次はウィリアム・ラッケルズハウスへ命令が移った
司法長官が辞任すると、司法省で次に指揮権を持つ立場へ命令が移る。
司法副長官ウィリアム・ラッケルズハウスだった。
ラッケルズハウスも、コックスの解任を拒否した。
この部分は資料や後世の要約で「辞任した」と書かれることもあるが、National Archivesのウォーターゲート資料では、ラッケルズハウスは命令を拒否し、その結果解任されたと整理されている。
一夜のうちに、
司法長官は辞任。
司法副長官は解任。
それでもコックスはまだ特別検察官の職にいた。
ロバート・ボークが解任命令を実行した
次に司法省の指揮を引き継いだのが、訟務長官ロバート・H・ボークだった。
訟務長官は、連邦最高裁判所などでアメリカ政府を代表する司法省高官である。
ボークはニクソンの命令を実行した。
1973年10月20日、アーチボルド・コックスはウォーターゲート特別検察官を解任された。
National Archivesの記録では、その後ボークはFBIに特別検察官事務所を封印させ、記録が失われないよう措置したとされる。
後日、Watergate Special Prosecution Force自体はいったん司法省刑事局へ機能を移される。
こうして一夜のうちに、ニクソンを捜査していた特別検察官と、司法省の上位2人がそれぞれの職を失った。
なぜ「土曜夜の虐殺」と呼ばれたのか
「Saturday Night Massacre」という名称だけを見ると、暴力的な事件を想像しやすい。
実際には人が殺害された事件ではない。
意味しているのは、土曜日の夜に司法省の指揮系統が次々と崩れたことである。
| 人物 | 役職 | 10月20日の結果 |
|---|---|---|
| Elliot Richardson | 司法長官 | コックス解任を拒否して辞任 |
| William Ruckelshaus | 司法副長官 | 解任を拒否し、職を解かれる |
| Robert Bork | 訟務長官 | 司法省の指揮を引き継ぎ、コックス解任を実行 |
| Archibald Cox | ウォーターゲート特別検察官 | 解任 |
通常の人事異動なら、ここまで大きな政治危機にはならない。
しかし解任されたのは、現職大統領に関係する刑事捜査を行い、その大統領へ証拠提出を要求していた検察官だった。
しかもその解任命令を、司法省トップ2人が相次いで拒否した。
だから「人事」ではなく、
大統領権限と刑事司法の独立性が正面衝突した事件
として受け止められた。
大統領にはコックスを解任する権限がなかったのか
ここは単純に「違法な解任だった」と一文で整理しない方がよい。
ウォーターゲート特別検察官は司法省の中に設置された職であり、大統領は行政部門の長である。
そのため、大統領の人事権と司法長官の権限が存在すること自体は否定できない。
一方、コックスの任命時には特別な独立性が約束されていた。
リチャードソンも議会に対し、特別検察官の捜査判断へ政治的に干渉しないことを保証していた。
したがって10月20日の核心は、
「大統領が形式上まったく命令できない人間を違法に解雇した」
という単純な話ではない。
自分自身が関係する刑事捜査で証拠提出を要求された大統領が、捜査を担当する特別検察官の解任へ人事権を使った
ことが、制度の信頼性を大きく揺るがしたのである。
FACT CHECK|「土曜夜の虐殺」で誤解されやすいこと
「土曜夜の虐殺」で死者が出た?
いいえ。
「Massacre」は政治的な呼称であり、殺傷事件ではない。
司法長官辞任、司法副長官の職務喪失、特別検察官解任が短時間に連続したことを指している。
リチャードソンとラッケルズハウスは2人とも辞任した?
公的記録では区別した方が正確である。
リチャードソンはコックス解任を拒否して辞任した。
ラッケルズハウスも解任命令を拒否したが、National Archives資料では、その結果本人が解任されたと整理されている。
ボークはニクソンの「共犯者」だった?
そのような表現は適切ではない。
ボークが実行したのは、大統領から司法省へ出されたコックス解任命令だった。
その判断の政治的・制度的評価と、ウォーターゲート隠蔽そのものへの刑事関与は別問題として扱う必要がある。
コックスは「大統領を逮捕しようとして」解任された?
いいえ。
直接の対立点はホワイトハウス録音テープの提出だった。
コックスは刑事捜査に必要な証拠として録音を召喚し、ホワイトハウス側は提出を拒否していた。
Stennis compromiseならテープは完全公開された?
いいえ。
むしろ原テープを特別検察官へ直接渡さないための妥協案だった。
第三者が録音内容を確認し、その内容を要約・認証して捜査側へ提供する構想であり、コックスは証拠を持つ側が範囲を一方的に選ぶ問題を解消できないとして拒否した。
コックスを解任したことでテープ問題は終わった?
逆だった。
解任は大きな政治的反発を引き起こし、その後ニクソンは召喚対象となったテープを裁判所へ提出する方向へ転じた。
解任はむしろ政治的反発を拡大させた
ニクソン側から見れば、コックスを解任すればテープをめぐる直接対立を終わらせられるようにも見えた。
しかし実際には、逆の効果を生んだ。
現職大統領を捜査していた検察官を、大統領自身が解任させたという事実が、議会と世論の警戒を一気に強めたからである。
ニクソン大統領図書館の資料でも、コックス解任後、議会と国民から強い批判が起きたと整理されている。
論点はウォーターゲート侵入事件だけではなくなった。
大統領が自分自身に関係する捜査へどこまで介入できるのか。
司法省は大統領の命令にどこまで従うべきなのか。
特別検察官に「独立性」があると言えるのか。
事件は制度そのものの問題へ進んでいった。
10月23日|ニクソンはテープ提出へ転じる
「土曜夜の虐殺」からわずか3日後の1973年10月23日、ニクソンは召喚対象となった録音テープを裁判所へ提出することに同意した。
National Archivesの公式年表でも、この日、大統領が召喚に従いテープを渡すことに合意したと記録されている。
つまりコックスを解任しても、テープ提出そのものを永久に阻止することはできなかった。
むしろ解任による政治的損失を受けたうえで、最終的には録音を提出する方向へ動くことになった。
ここに「土曜夜の虐殺」の逆説がある。
証拠へのアクセスを制限しようとした強硬策が、結果的には証拠提出を求める政治的・制度的圧力を強めたのである。
11月1日|レオン・ジャウォースキーが後任になる
コックスが解任されても、ウォーターゲート捜査そのものは消えなかった。
1973年11月1日、テキサス州出身の弁護士レオン・ジャウォースキーが新しい特別検察官に指名された。
さらに11月2日には、司法省内にWatergate Special Prosecution Forceが再設置された。
後任の特別検察官には、コックス解任を受けて、独立性をより明確にする制度上の保証が設けられた。
司法省は後年、この特別検察官について「司法長官の法的責任と両立する最大限の独立性」を持つものとして規定されたと説明している。
そしてジャウォースキーも、ニクソンに対する録音テープ要求を続ける。
次の争いは、1973年の9本のテープでは終わらない。
1974年4月、ジャウォースキーはウォーターゲート隠蔽事件の刑事裁判に必要な64本の録音を新たに召喚する。
その争いが、ついに連邦最高裁判所へ到達する。
18分半の空白|「土曜夜の虐殺」の後に出てきた新しい問題
1973年11月には、テープ問題にもう一つ不可解な事実が加わった。
上院委員会は11月21日、1972年6月20日のニクソンとハルデマンの会話を記録したテープに、約18分半の空白が存在することを発表した。
これはウォーターゲート侵入事件から3日後の会話だった。
ホワイトハウス側は消去は事故だったと説明し、ニクソンの秘書ローズ・メアリー・ウッズは、自分が誤って一部を消去した可能性について説明した。
しかし、約18分半すべてがどのように消えたのかについては長く議論が続くことになる。
この第7回では原因を断定しない。
確認できるのは、
重要時期の大統領録音の一部に約18分半の欠落が存在する
という事実である。
後世の「決定的な内容が意図的に消された」という説明は、確認事実と推測を分けて扱う必要がある。
時系列|テープ発覚から「土曜夜の虐殺」まで
1973年夏から秋までの出来事を並べると、10月20日の人事危機が突然起きたものではないことが分かる。
| 日付 | 出来事 |
|---|---|
| 1973年5月25日 | アーチボルド・コックスがウォーターゲート特別検察官に就任 |
| 7月16日 | バターフィールドがホワイトハウス録音システムの存在を公開証言 |
| 7月23日 | 上院委員会とコックスが録音テープ・文書を要求 |
| 7月25日 | ニクソンがコックスの召喚への対応を拒否 |
| 8月29日 | シリカ判事が録音・資料を裁判所へ提出するよう求める判断 |
| 10月12日 | 連邦控訴裁判所が特別検察官側を支持 |
| 10月19日 | ニクソンがStennis compromiseを提示 |
| 10月20日 | コックスが妥協案を拒否 |
| 同日 | ニクソンがリチャードソン司法長官へコックス解任を命令 |
| 同日 | リチャードソンが命令を拒否して辞任 |
| 同日 | ラッケルズハウス司法副長官も命令を拒否し、職を解かれる |
| 同日 | ロバート・ボークがコックスを解任 |
| 10月23日 | ニクソンが召喚対象のテープ提出へ同意 |
| 11月1日 | レオン・ジャウォースキーが後任特別検察官に指名される |
| 11月21日 | 上院委員会が6月20日録音の約18分半の空白を公表 |
「土曜夜の虐殺」が重要なのは、コックス一人の問題ではない
1973年10月20日の出来事を「頑固な検察官と大統領が喧嘩し、検察官がクビになった」と理解すると、本質を外す。
問題だったのは、現職大統領を含む可能性のある刑事捜査について、その捜査対象となり得る大統領が行政部門の人事権を使って特別検察官を排除したことである。
その命令に、司法長官と司法副長官が従わなかった。
つまり危機は、
ニクソン対コックス
だけではない。
大統領権限、司法省の独立性、刑事捜査、議会への約束、裁判所の命令が一か所で衝突した
ことにある。
そしてこの衝突によって、次の問いを避けることはできなくなった。
大統領は「行政特権」を理由に刑事事件の証拠を拒否できるのか。
大統領と検察官が争った場合、最終的に誰が判断するのか。
その答えを出すことになるのが、1974年7月24日の連邦最高裁判所だった。
まとめ|テープを守ろうとした結果、争いは最高裁へ向かった
1973年7月、ホワイトハウス録音システムの存在が明らかになると、ウォーターゲート事件の証拠構造は一変した。
アーチボルド・コックス特別検察官は、刑事捜査に必要な大統領録音を召喚した。
ニクソンは、大統領と側近の秘密の会話を保護する必要があるとして提出を拒んだ。
シリカ判事、そして連邦控訴裁判所は特別検察官側を支持した。
ホワイトハウスは第三者による確認を使ったStennis compromiseを提示したが、コックスは原証拠を捜査側が確認できないとして拒否した。
そして1973年10月20日、ニクソンはコックスの解任を命じる。
司法長官リチャードソンは拒否して辞任。
司法副長官ラッケルズハウスも拒否し、職を解かれる。
最後にロバート・ボークが解任命令を実行した。
これが「土曜夜の虐殺」である。
だが、コックスを解任しても録音テープ問題は消えなかった。
わずか3日後、ニクソンは召喚されたテープの提出へ同意する。
さらに後任のレオン・ジャウォースキーは捜査を継続した。
1974年には、再び大統領録音の提出をめぐる争いが発生する。
今度は妥協案でも、特別検察官の解任でも終わらない。
事件は連邦最高裁判所へ向かう。
次回は「United States v. Nixon」を中心に、大統領の行政特権にはどこまで限界があるのか、なぜ最高裁が大統領へ録音テープの提出を命じたのかを追う。
CASE FILE 31|ウォーターゲート事件 1972–1974 全10回
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第1回 ウォーターゲート事件とは?|侵入事件からニクソン辞任までの全貌
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第2回 1972年6月17日、何が起きたのか|民主党本部侵入事件の計画と5人の逮捕
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第3回 5人の侵入犯は誰につながっていたのか|資金・再選委員会・FBI捜査
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第4回 ホワイトハウスは何を隠そうとしたのか|口止め料・CIA・FBI捜査妨害
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第5回 侵入事件はなぜ政権中枢へ広がったのか|シリカ判事とマコード書簡
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第6回 上院公聴会は何を暴いたのか|ジョン・ディーン証言と録音システム発覚
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第7回 録音テープをめぐる攻防|特別検察官と「土曜夜の虐殺」はなぜ起きたのか
[現在の記事] -
第8回 大統領はテープ提出を拒めるのか|United States v. Nixonと最高裁判決
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第9回 「決定的な録音」からニクソン辞任へ|弾劾条項と1974年8月9日
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第10回 ウォーターゲートは何を変えたのか|刑事責任・選挙資金・情報公開改革
出典・参考資料
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National Archives — Watergate and the Constitution: Chronology
1973年5月25日のコックス就任、7月23日の録音召喚、7月25日の拒否、10月19日のStennis compromise、10月20日の「土曜夜の虐殺」、10月23日のテープ提出同意、11月の後任特別検察官・18分半の空白など主要日付の確認に使用。
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Richard Nixon Presidential Library and Museum — White House Tapes
シリカ判事による録音提出判断、連邦控訴裁判所の判断、Stennis compromiseの構造、コックスの拒否、10月20日のコックス解任までの経緯確認に使用。
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Richard Nixon Presidential Library and Museum — October 20, 1973
コックス記者会見、ホワイトハウス発表、当日のテレビニュース記録、「Saturday Night Massacre」に関する同時代映像資料の所在確認に使用。
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U.S. Department of Justice — Solicitor General: Archibald Cox
コックスの経歴、ウォーターゲート特別検察官就任、録音召喚、ニクソンによる解任命令、リチャードソンらの拒否、ボークによる解任実行の確認に使用。
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National Archives — Records of the Watergate Special Prosecution Force
Watergate Special Prosecution Forceの設置・廃止・再設置、司法省内での制度的位置、ホワイトハウス録音をめぐる捜査記録の所在確認に使用。
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National Archives — Watergate Exhibit Historical Review Memorandum
リチャードソンが解任命令を拒否して辞任したこと、ラッケルズハウスが拒否後に職を解かれたこと、ボークによるコックス解任と特別検察官事務所封印の経過確認に使用。
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Richard Nixon Presidential Library and Museum — August 29, 1973
シリカ判事による大統領録音・文書提出命令と、ホワイトハウス側の対応確認に使用。
本記事はNational Archives、U.S. Department of Justice、Richard Nixon Presidential Libraryの公的資料を中心に構成しています。「土曜夜の虐殺」は殺傷事件ではなく、1973年10月20日に司法省上層部とウォーターゲート特別検察官をめぐって起きた政治・司法上の人事危機を指す歴史的呼称として使用しています。リチャードソン司法長官は解任命令を拒否して辞任し、ラッケルズハウス司法副長官についてはNational Archivesの記録に基づき、命令拒否後に解任されたものとして整理しています。また、コックス解任そのものをウォーターゲート隠蔽への刑事責任と直ちに同一視せず、大統領権限、特別検察官の独立性、司法手続との衝突として分離して記述しています。