1914年にアーネスト・シャクルトンが南極へ向かった目的は、エンデュアランス号で氷海を探検することではなかった。
目標はもっと大きい。
ウェッデル海側から南極大陸へ上陸し、南極点付近を通って、反対側のロス海まで大陸を横断する。
距離は計画上、約1,800マイル。およそ2,900kmに及ぶ。
しかも、前半約900マイルは当時ほとんど知られていない地域だった。
そのためシャクルトンの「帝国南極横断探検隊(Imperial Trans-Antarctic Expedition)」は、エンデュアランス号と28人だけで完結する計画ではない。
大陸の反対側では、もう1隻の船オーロラ号(Aurora)とロス海支隊が、横断隊のための補給所をあらかじめ設置することになっていた。
つまり本来の計画は、
2隻の船を南極大陸の両側へ送り、複数の隊を同時に動かす大規模な遠征だった。
では、なぜこれほど複雑な方法が必要だったのか。
そして南極点がすでに征服された1914年に、シャクルトンは何を達成しようとしていたのか。
この記事で分かること
今回はエンデュアランス号が氷に閉じ込められる前へ戻り、帝国南極横断探検隊の「設計図」を確認する。
- なぜ南極点到達の次に「南極大陸横断」が目標になったのか
- シャクルトンはどのルートを想定していたのか
- なぜEnduranceとAuroraの2隻が必要だったのか
- ウェッデル海側とロス海側にはどのような役割があったのか
- 補給所を事前に設置する必要があった理由
- 犬ぞりやモーターそりをどう使う予定だったのか
- 第一次世界大戦が始まったのに、なぜ遠征は中止されなかったのか
この計画を理解すると、第3回で扱う「Enduranceが上陸地点へ届かなかった」という事実が、単なる航海上のトラブルではなく、遠征全体を開始前に崩壊させた出来事だったことが分かる。
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シャクルトンとエンデュアランス号遠征|全10回
- 第1回 シャクルトンとエンデュアランス号遠征とは?|船を失った28人はどう南極から生還したのか
- 第2回 シャクルトンは何を目指していたのか|帝国南極横断探検隊と「南極大陸横断」計画【現在の記事】
- 第3回 なぜエンデュアランス号は氷に閉じ込められたのか|ウェッデル海と海氷が塞いだ航路
- 第4回 エンデュアランス号はどう壊れ、沈んだのか|海氷の圧力と船を捨てるまで
- 第5回 船を失った28人は氷の上でどう生き延びたのか|キャンプ生活と漂流の日々
- 第6回 28人はどうエレファント島へたどり着いたのか|3隻の救命艇による氷海脱出
- 第7回 800マイルの海をどう渡ったのか|ジェームズ・ケアード号と6人のサウスジョージア航海
- 第8回 なぜサウスジョージア島を歩いて横断したのか|無人の海岸からストロムネス捕鯨基地へ
- 第9回 「全員生還」はどこまで本当か|エレファント島救出とロス海支隊3人の死
- 第10回 2022年、海底で見つかったエンデュアランス号|107年後の船体発見で何が分かったのか
南極点は、すでに「誰も到達していない場所」ではなかった
シャクルトンの計画を理解するには、1914年より少し前の南極探検を見る必要がある。
19世紀末から20世紀初頭にかけて続いた「南極探検の英雄時代」では、南極点への到達が最大級の目標になっていた。
シャクルトン自身も1907~1909年のニムロド遠征で南極点を目指し、1909年1月には南緯88度23分まで進んでいる。
南極点までは約100マイルを残していた。
しかし食料と燃料の不足から、シャクルトンは南下を打ち切って引き返した。
その後、南極点到達競争は決着する。
1911年12月14日、ロアール・アムンセン率いるノルウェー隊が初めて南極点へ到達。
1912年1月17日にはロバート・ファルコン・スコット率いるイギリス隊も到達した。
スコットら5人は帰路で全員死亡したが、地理上の「南極点へ最初に到達する」という目標そのものは達成された。
そこでシャクルトンが次に掲げたのが、南極大陸を一方の海岸から反対側まで横断することだった。
Royal Geographical Societyも、南極点がアムンセンとスコットによって到達された後、シャクルトンがウェッデル海から南極点を経由し、ロス海まで横断する計画を立てたと整理している。
横断距離は約1,800マイル――しかも途中から補給できない
シャクルトンが1919年に刊行した遠征記『South』には、遠征開始前に公表した計画が収録されている。
そこで示された横断距離は約1,800マイル。
現在の単位なら、およそ2,900kmになる。
計画ではウェッデル海側へ上陸した横断隊が内陸へ進み、南極点周辺を通過する。
そこから北へ向きを変え、スコットやシャクルトン自身の以前の遠征でも使われたビアードモア氷河(Beardmore Glacier)方面へ進み、ロス海側へ抜けることになっていた。
問題は距離だけではない。
ウェッデル海から南極点へ至る前半部分には、当時ほとんど地理情報がない地域が含まれていた。
シャクルトン自身も『South』で、最初の約900マイルを未知の陸域として説明している。
地形が分からなければ、予定速度も読みづらい。
氷河、クレバス、山地、氷床の勾配によって、同じ10kmでも必要な時間と消耗は大きく変わる。
さらに横断隊は、約2,900km分の食料と燃料を最初からすべて運ぶことも現実的ではなかった。
そこで遠征計画に組み込まれたのが、南極大陸の反対側から補給物資を置いておくという仕組みだった。
Enduranceだけでは成立しない――もう1隻のAurora
現在、帝国南極横断探検隊を象徴する船はEnduranceである。
しかし当初の計画では、もう1隻が同じくらい重要だった。
Aurora(オーロラ号)である。
Enduranceはウェッデル海側へ向かう。
Auroraは地球を回り込むようにして、南極大陸の反対側にあるロス海へ向かう。
| 船 | 担当海域 | 主要任務 |
|---|---|---|
| Endurance | ウェッデル海側 | シャクルトンの横断隊を南極大陸へ送り込む |
| Aurora | ロス海側 | 横断隊後半用の食料・燃料をルート上へ配置する |
つまりAurora側は、横断隊を迎えに行くだけではなかった。
シャクルトンらが南極点を越えたあとに利用する補給所(depot)を、横断隊が来る前に氷上へ設置する必要があった。
これが後に「ロス海支隊(Ross Sea Party)」と呼ばれる人々の主要任務になる。
なぜ反対側から補給所を作る必要があったのか
南極を長距離移動するとき、食料だけを考えればよいわけではない。
人間用の食料、犬用の飼料、調理や雪を溶かして水を作るための燃料、テント、寝具、衣類、科学機材などをそりで運ぶ必要がある。
荷物が増えるほど移動速度は低下し、その分だけ長期間の食料が必要になる。
つまり、全行程の物資を出発地点から積んでいこうとすると、物資を運ぶためにさらに物資が必要になる。
長距離極地遠征では、この問題を避けるために途中へあらかじめ物資を置くデポ方式が使われていた。
シャクルトンの計画では、横断隊はウェッデル海から自分たちの物資を運んで南極点を越える。
しかし後半では、ロス海側から別働隊が置いておいた食料と燃料を利用する。
『South』に記されたシャクルトンの指示では、ロス海支隊はマクマード・サウンド付近を基地とし、グレート・アイス・バリア――現在のロス棚氷――を南へ進み、ビアードモア氷河方向へ補給所を設置することになっていた。
最終的にはビアードモア氷河の麓付近まで補給線を伸ばす計画だった。
横断隊から見れば、南極点を越えたあとにそこへ到達すれば、後半用の物資を得られる。
したがってロス海支隊の仕事は補助的なものではない。
横断隊が自力で全物資を運ばなくても大陸を横断できるようにする、計画上不可欠な後半補給システムだった。
計画上、横断するのは全員ではなく6人だった
もう一つ混同しやすいのが、「Enduranceに乗った28人が全員で南極を横断する予定だった」という理解である。
これは当初の計画とは異なる。
シャクルトンが遠征前に公表したプログラムでは、実際に大陸横断へ出るTrans-continental Partyは6人とされていた。
計画書では、Enduranceによってウェッデル海側へ上陸する人員を14人とし、その役割を次のように分けている。
| 計画上の人員 | 役割 |
|---|---|
| 6人 | 南極大陸を横断する主隊 |
| 3人 | 西方向、グレアムランド方面の地理・地質調査 |
| 3人 | 東方向、エンダービーランド方面の調査 |
| 2人 | 基地に残り、生物・気象などの観測 |
一方、ロス海側でも補給所設置と科学調査が予定されていた。
ここで注意したいのは、この人数が2隻の船に乗る遠征参加者総数ではなく、事前に公表された「上陸後の配置計画」だという点である。
FACT CHECK|「28人」と「横断隊6人」は矛盾しない
Enduranceが後に氷へ閉じ込められた際、船上には28人がいた。
一方、シャクルトンが遠征前に発表した計画で実際に南極大陸横断へ出る予定だったのは6人だった。
遠征全体ではさらにAurora側の人員も存在し、シャクルトンは『South』で最終的に56人を選抜したと記している。
したがって「Enduranceの28人」「横断予定の6人」「遠征全体56人」は、それぞれ対象範囲が異なる数字である。
100頭の犬と、2台のモーターそりを使う計画だった
横断隊の移動手段として重要だったのが犬ぞりである。
シャクルトンが公表した計画では、6人の横断隊に100頭の犬と、プロペラを備えた2台のモーターそりを用意するとしていた。
これは、約2,900kmを人間だけの牽引で進むよりも、輸送能力と速度を高める狙いがあった。
『South』では、訓練後の犬ぞりで1日に15~20マイル程度進めるとの見積もりが示されている。
その速度を前提にすれば、横断は約120日で達成できるとシャクルトンは計算していた。
遠征前に公表した別の見通しでは、ウェッデル海への上陸に成功すれば、約5か月で横断してロス海側へ到達する想定になっていた。
ただし、これはあくまで計画値である。
実際の南極では、海氷、クレバス、天候、積雪、犬や人間の体調などによって速度は大きく変わる。
そして今回の場合、こうした「大陸上での移動性能」を検証する段階にさえ到達しなかった。
最大の前提条件は「ウェッデル海側へ上陸できること」だった
帝国南極横断探検隊には多数の人員、犬、そり、船、補給計画が用意されていた。
しかし、それらすべての前に一つの条件がある。
Enduranceがウェッデル海を通過し、横断隊と物資を南極大陸へ上陸させること。
シャクルトンが候補としていたのは、ドイツのヴィルヘルム・フィルヒナーによる1911~1912年の南極探検で調査されたヴァーゼル湾(Vahsel Bay)付近だった。
そこへ基地を設け、必要なら越冬する。
その後、十分な準備をして横断隊を内陸へ送り出す。
反対側ではロス海支隊が補給所を準備する。
このように計画を分解すると、Enduranceの役割は「南極を横断する船」ではない。
横断を開始できる地点まで、人員・犬・物資・基地設備を運ぶための輸送・支援船だった。
Enduranceが上陸前に使えなくなれば、横断隊はスタート地点そのものを失う。
後に起きた遭難が計画全体へ与えた影響は、ここにある。
遠征には、横断以外にも科学調査が組み込まれていた
この遠征を「記録達成だけを目的とした冒険」と見るのも正確ではない。
シャクルトンが公表した計画には、横断隊以外の科学活動も組み込まれている。
ウェッデル海側からは、グレアムランド方面とエンダービーランド方面へ別々のそり隊を送り、地質資料の収集や地形調査を実施する予定だった。
基地に残る隊員は、生物や気象の観測を行う。
さらにEnduranceとAuroraの両船にも、測深、海洋観測などの科学作業が想定されていた。
実際、Enduranceがウェッデル海で航行できなくなった後も、ジェームズ・ワーディーら科学隊員は可能な範囲で海氷、海洋、生物、気象などの記録を続けている。
横断計画が失われても、遠征が完全に「何も調べない救命待ち」へ変わったわけではなかった。
1913年から準備――応募者は約5,000人
この規模の遠征は、1914年になって突然思いつかれたものではない。
シャクルトン自身によれば、準備を始めたのは1913年半ばだった。
船、装備、人員、資金を、大陸の両側で活動できる形へ整える必要があった。
1914年初頭に計画が公表されると、多数の参加希望者が集まった。
シャクルトンが『South』に記した数字では、応募は約5,000人。
そこから遠征全体として56人が選ばれたとしている。
資金面では民間の支援者に加え、イギリス政府やRoyal Geographical Societyからも援助を受けた。
| 主な支援 | シャクルトンが『South』に記した額 |
|---|---|
| ジェームズ・ケアード | 24,000ポンド |
| イギリス政府 | 10,000ポンド |
| Royal Geographical Society | 1,000ポンド |
さらにダドリー・ドッカー、ジャネット・スタンコム=ウィルズらからも支援を受けている。
後にEnduranceから持ち出された3隻の救命艇――James Caird、Dudley Docker、Stancomb-Wills――には、こうした支援者の名前が残されていた。
ところが出航直前、第一次世界大戦が始まった
1914年夏、遠征準備はほぼ完了していた。
その直前、ヨーロッパ情勢が急速に悪化する。
Enduranceは1914年8月1日にロンドンを出航したが、その数日後にはイギリスも第一次世界大戦へ入ることになる。
ここで当然、疑問が生じる。
なぜ戦争が始まろうとしているときに、大規模な南極探検へ出発したのか。
この点については、シャクルトン自身が『South』で経緯を説明している。
彼の記録によれば、イギリスの総動員令を知った後、シャクルトンは遠征の船、物資、隊員のサービスを海軍本部へ提供すると申し出た。
これに対し海軍本部から返ってきた短い電報が、
「Proceed」――計画を続行せよだったという。
その後、ウィンストン・チャーチルからも、科学・地理学関係団体の支持を受けた遠征を続けることを政府当局が望んでいるとの連絡を受けたとシャクルトンは書いている。
1914年8月4日、イギリスはドイツへ宣戦布告。
そして8月8日、Enduranceはプリマスを出航した。
FACT CHECK|「戦争を無視して勝手に南極へ行った」のか
少なくともシャクルトン本人の1919年の記録では、遠征隊は戦争勃発時に船・装備・人員を政府へ提供すると申し出ており、海軍本部から遠征続行の指示を受けたとしている。
したがって「開戦を知りながら政府の意向を無視して出発した」という説明は、この一次記録とは一致しない。
一方、この経緯の中心資料がシャクルトン自身の回想であることも踏まえ、本人の記録として扱う必要がある。
Enduranceは南極へ直行しなかった
1914年8月8日にプリマスを出たEnduranceは、そのままウェッデル海へ直行したわけではない。
まず南米へ向かい、ブエノスアイレスで人員や物資を整えた。
10月26日にブエノスアイレスを出航し、サウスジョージア島へ向かう。
この島には捕鯨基地があり、南極へ入る前の最後の準備地点として使われた。
そして現地の捕鯨関係者から得られる海氷情報は、シャクルトンにとって気になるものだった。
ウェッデル海の氷は例年より厳しい可能性があった。
シャクルトン自身もこの段階で、当初想定していた1914~1915年夏のうちに南極へ上陸し、そのまま横断を開始するのは難しいと考えるようになっている。
『South』では、季節が進み、氷況も不利になっていたため、最初の夏に横断を開始するのは望み薄だと判断したことが記されている。
そのため、南極側で安全な基地を確保し、越冬したうえで翌シーズンに横断を開始する案が現実的になっていた。
計画はすでに出発前のパンフレットどおりではなく、現地条件に応じて修正され始めていたのである。
それでも1914年12月5日、ウェッデル海へ向かった
サウスジョージア島で約1か月を過ごしたEnduranceは、1914年12月5日に南へ出航する。
目標はウェッデル海を南下し、ヴァーゼル湾周辺で上陸地点を確保することだった。
上陸できれば、横断隊の基地を作る。
安全な越冬地点を確保できれば、犬を訓練し、補給所を作り、翌シーズンの長距離横断に備える。
その間、反対側のロス海支隊もAuroraから上陸し、横断隊が後半で使用する補給線を準備する。
この時点では、計画はまだ生きていた。
海氷が厳しくても、目的地へ到達し、船から人員と物資を下ろすことができれば、遠征を翌年へ延期する選択肢が残されていたからである。
しかし、そのためにはまずEnduranceがウェッデル海を突破しなければならない。
この計画の「一点故障」はどこだったのか
後から計画を見ると、帝国南極横断探検隊には一つの特徴がある。
多数の装備と人員を用意し、大陸の両側へ船を配置し、後半用の補給所まで別働隊に準備させている。
一見すると冗長性の高い計画に見える。
しかし、ウェッデル海側についてはEnduranceが上陸地点へ到達することに強く依存していた。
横断隊、犬、そり、食料、基地設備がどれほど充実していても、上陸できなければ使えない。
反対側のロス海支隊が完璧に補給所を設置しても、横断隊が出発できなければ物資は利用されない。
そして両隊の間には、現在の衛星通信のように互いの状況を即時共有する仕組みもなかった。
ロス海側は、ウェッデル海側で横断が始まったかどうかを確認できないまま、自分たちの任務を進めることになる。
実際、Endurance側が南極大陸へ一度も上陸できなかった一方で、ロス海支隊は横断隊が来るものと考え、危険な補給所設置任務を続けた。
この「片側の失敗を反対側が知ることができない」という構造は、後にロス海支隊で起きる悲劇を理解するうえでも重要になる。
まとめ|Enduranceの任務は「生還」ではなく、横断隊をスタート地点へ届けることだった
現在のエンデュアランス号遠征は、どうしても船を失った後の生存劇から語られやすい。
しかし1914年時点での目的はまったく違った。
シャクルトンが計画したのは、ウェッデル海から上陸した6人の主隊が南極点付近を通り、約1,800マイル先のロス海まで大陸を横断する遠征だった。
Enduranceはその横断隊をウェッデル海側へ送り込む。
Auroraは反対側のロス海へ入り、ロス海支隊が横断後半に必要な補給所を設置する。
さらに地質、地理、生物、気象、海洋などの科学調査も同時進行する。
つまり帝国南極横断探検隊とは、Endurance単独の航海ではなく、南極大陸の両側から動く2隻・複数隊によるシステムだった。
そのシステムを成立させる最初の条件が、
Enduranceがウェッデル海を通過して南極大陸へ到達することだった。
だが1915年1月、その前提が崩れる。
Enduranceは上陸予定地まであとわずかな場所で、周囲を海氷に塞がれた。
エンジンを動かしても進めない。
帆を使っても抜けられない。
そして氷そのものが船と一緒に動き始める。
第3回では、なぜ極地用に建造されたEnduranceでさえウェッデル海から脱出できなかったのかを、海氷・海流・地理から追う。
今回出てきた言葉
- 帝国南極横断探検隊(Imperial Trans-Antarctic Expedition)
- 1914~1917年に実施されたシャクルトンの南極遠征。ウェッデル海から南極点付近を経てロス海まで、大陸を横断することを主目標としていた。
- Trans-continental Party
- 実際に南極大陸を横断する予定だった主隊。シャクルトンが公表した当初計画では6人で構成する予定だった。
- ウェッデル海(Weddell Sea)
- 南極大陸の大西洋側に広がる海域。Enduranceはここから横断隊を南極大陸へ送り込む計画だった。
- ロス海(Ross Sea)
- 南極大陸の反対側に位置する海域。横断隊の最終目的地で、Auroraとロス海支隊が配置された。
- ロス海支隊(Ross Sea Party)
- Auroraでロス海側へ入り、横断隊の後半ルートへ食料・燃料などの補給所を設置する任務を担った隊。
- デポ(Depot)
- 長距離のそり旅行で使用する食料・燃料などを、あらかじめルート上へ置いておく補給所。
- ビアードモア氷河(Beardmore Glacier)
- 南極高原とロス棚氷側を結ぶ巨大な氷河。シャクルトンの計画では横断隊後半の重要な経路だった。
- Aurora
- 帝国南極横断探検隊のロス海側を担当した船。ロス海支隊を南極へ送り、補給所設置任務を支える役割を持っていた。
CASE FILE 28|全記事
- シャクルトンとエンデュアランス号遠征とは?|船を失った28人はどう南極から生還したのか
- シャクルトンは何を目指していたのか|帝国南極横断探検隊と「南極大陸横断」計画【現在の記事】
- なぜエンデュアランス号は氷に閉じ込められたのか|ウェッデル海と海氷が塞いだ航路
- エンデュアランス号はどう壊れ、沈んだのか|海氷の圧力と船を捨てるまで
- 船を失った28人は氷の上でどう生き延びたのか|キャンプ生活と漂流の日々
- 28人はどうエレファント島へたどり着いたのか|3隻の救命艇による氷海脱出
- 800マイルの海をどう渡ったのか|ジェームズ・ケアード号と6人のサウスジョージア航海
- なぜサウスジョージア島を歩いて横断したのか|無人の海岸からストロムネス捕鯨基地へ
- 「全員生還」はどこまで本当か|エレファント島救出とロス海支隊3人の死
- 2022年、海底で見つかったエンデュアランス号|107年後の船体発見で何が分かったのか
出典・参考資料
-
Ernest Shackleton — South: The Story of Shackleton’s Last Expedition 1914–1917
遠征の当初計画、約1,800マイルの横断距離、6人の横断隊、犬・モーターそり、ウェッデル海側とロス海側の役割、資金、第一次世界大戦開戦時の経緯、ロス海支隊への指示の確認に使用。 -
Royal Geographical Society — Ernest Shackleton: South Pole expeditions and Endurance
シャクルトンの1907~1909年遠征、アムンセン・スコットによる南極点到達後に南極大陸横断を次の目標とした経緯、帝国南極横断探検隊の位置づけの確認に使用。 -
Royal Geographical Society — British Imperial Trans-Antarctic Expedition / Endurance materials
Endurance側の任務、遠征計画、乗組員構成などの確認に使用。 -
Royal Museums Greenwich — Sir Ernest Shackleton / History of Antarctic Explorers
ウェッデル海からロス海へ南極点経由で横断する計画と、ロス海支隊が後半用の補給所を設置する役割だったことの確認に使用。 -
Royal Museums Greenwich — Victor George Hayward, Ross Sea Party journal collection
Aurora側のロス海支隊が、シャクルトンの大陸横断を支援するため補給所を設置する任務を負っていたことの確認に使用。
本記事は、シャクルトン本人が1919年に刊行した『South』を一次資料の中心とし、Royal Geographical Society、Royal Museums Greenwichなどの資料と照合して構成しています。『South』に記載された人数・装備の一部は遠征前に公表された計画値であり、後に実際に各船へ乗り組んだ人数とは区別して記載しています。また、第一次世界大戦開戦時の海軍本部とのやり取りについては、シャクルトン本人による回想であることを明示しています。