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なぜエンデュアランス号は氷に閉じ込められたのかウェッデル海と海氷が塞いだ航路

なぜエンデュアランス号は氷に閉じ込められたのか|ウェッデル海と海氷が塞いだ航路

探検・遠征

1915年1月19日の朝、エンデュアランス号は南緯76度34分、西経31度30分付近にいた。

南極大陸は東の方向に見えていた。
目的地としていたヴァーゼル湾までは、もう南極航海の終盤に入っているはずだった。

ところが、船は動かなかった。

甲板から見渡しても周囲に開水面はなく、マストの上からわずかな水路が確認できるだけだった。翌20日、シャクルトンは周囲の海氷が「あらゆる方向へ」密集し、Enduranceが完全に海氷へ捕まった状態になったことを記録している。

エンジンはあった。
船体も極地航海を想定して非常に強く造られていた。

それでも脱出できなかった。

理由は、Enduranceが単に「厚い氷を1枚突破できなかった」からではない。
ウェッデル海を埋める大量の海氷そのものが風と海流で動き、船の周囲から逃げ道を消していったからである。

この記事で分かること

今回は1914年12月5日のサウスジョージア島出航から、1915年2月にEnduranceを冬季基地として使う決断をするまでを追う。

  • ウェッデル海は南極のどこにあるのか
  • 「海氷」と「氷山」は何が違うのか
  • なぜ南極の夏なのに大量の氷が残っていたのか
  • シャクルトンは出航前に氷の危険を知っていたのか
  • 1915年1月19日に何が起きたのか
  • エンジンを使ってもなぜ脱出できなかったのか
  • 極地用に強く造られたEnduranceでもなぜ閉じ込められたのか
  • 船は閉じ込められたあと、どの方向へ運ばれていったのか

船体が最終的にどう破壊されたかは第4回で扱う。ここでの焦点は、その前段階――なぜ船が自由を失ったのかである。

ウェッデル海は、南極大陸に囲まれた巨大な湾のような海だった

ウェッデル海は南極大陸の大西洋側に位置する。

東側にはコーツランド、西側には南極半島があり、南側にはフィルヒナー=ロンネ棚氷につながる巨大な氷域が広がる。そのため地図で見ると、南極大陸へ深く入り込んだ巨大な湾のような形をしている。

Enduranceはサウスジョージア島から南東へ進み、このウェッデル海を南下して、南東部のヴァーゼル湾付近へ到達する予定だった。

ここで、Enduranceがサウスジョージア島からウェッデル海へ入り、その後どの方向へ漂流していったのかを航路図で確認しておく。


1919年刊『South』に掲載されたEnduranceの航路・海氷漂流図

航路図|Enduranceのウェッデル海航海と海氷漂流
1919年刊のシャクルトン『South』に掲載された「The Voyage of the Endurance」。
サウスジョージア島からウェッデル海へ向かった航路と、海氷に閉じ込められた後の漂流を確認できる。
この地図は遠征後にまとめられた歴史資料であり、1915年当時の海氷縁を日ごとに精密再現したものではない。
また、第3回の対象期間より後の漂流・救援経過も含んでいる。
画像:Ernest Shackleton / Stanford’s Geographical Establishment, 1919 / Public Domain / Wikimedia Commons

問題は、この海域が大量の海氷(sea ice)に覆われることだった。

南極の海氷は冬になると海水の表面が凍り、南極大陸の周囲へ大きく広がる。夏になるとその多くが融解し、面積は縮小する。

Royal Geographical Societyが現在の観測を使って説明している季節変化では、南極海氷は南半球の冬が終わる9月ごろに最大となり、夏の終盤にあたる2月ごろに最小となる。

シャクルトンが12月から1月にウェッデル海へ入ろうとしたのは、その意味では不自然ではない。夏へ向かって海氷が後退する時期を利用し、できるだけ南へ進もうとしていた。

しかし、海氷は毎年同じ形、同じ時期に後退するわけではなかった。

「氷山」と「海氷」は同じものではない

Enduranceの遭難を理解するとき、最初に分けておきたいのが氷山と海氷である。

種類 でき方 Enduranceとの関係
氷山 氷河や棚氷から分離した巨大な淡水氷 航海中に多数遭遇したが、Enduranceが長期間閉じ込められた直接の主体ではない
海氷 海水そのものが凍結して形成される氷 大量の氷盤が船を包囲し、航路を塞ぎ、最終的に船体へ圧力を加えた

ウェッデル海を覆っていたのは、巨大な1枚の氷床ではない。

大小さまざまな氷盤――フロー(floe)――が集まり、その間に開水面や細い水路ができたり、再び閉じたりしている。

シャクルトンは『South』の中で、このパックアイスを巨大なジグソーパズルのようなものとして説明している。

氷盤が離れているときは、船は隙間を探して進める。
しかし風や海流によって氷盤同士が押し付けられると隙間が消え、船が進む水路そのものがなくなる。

Enduranceが遭遇した問題は、この状態だった。

出航前から「今年の氷は厳しい」と知らされていた

1914年11月、Enduranceは南極へ向かう前にサウスジョージア島へ寄港した。

ここには捕鯨基地があり、現地の船乗りたちは南極周辺の海況を日常的に観察していた。

シャクルトン自身の『South』によれば、捕鯨関係者からは、その年の海氷がかなり北まで残っているという情報を得ている。

シャクルトンはこの情報を無視していたわけではない。

氷との長い格闘を想定して石炭を追加で積み、いったん東側へ回り込んで、比較的緩い氷を探しながらコーツランドへ接近する航路を考えた。

さらに、この時点ですでに「1914~1915年の夏にそのまま大陸横断を開始するのは難しい」と判断しつつあった。安全な場所に上陸して基地を作り、南極で越冬したあと翌春から横断を始める案も想定していた。

したがって、
「氷があることを知らずに突っ込んだ」わけではない。

一方で、Royal Geographical Societyは、現地の捕鯨関係者が例年より厳しい氷況を警告していたにもかかわらず、シャクルトンが出航を選択したことも指摘している。

現在のような衛星画像や広域の海氷観測は存在しない。1914年の船長が得られる情報は、現地船員の経験、目視、過去の航海記録、そして実際に進みながら確認する海況に限られていた。

その判断を「明白な失策」と後知恵だけで断定するのも、「予測不能だった」と切り離すのも正確ではない。

危険情報はあった。しかし、どこまで進めるかを事前に精密に把握する手段はなかった。

12月7日――南極大陸よりはるか北で、最初の厚い氷に阻まれた

Enduranceは1914年12月5日、サウスジョージア島を出航した。

最初から順調だったわけではない。

シャクルトンの記録では、12月7日にはサウス・サンドウィッチ諸島付近で多数の氷山を確認し、その直後には幅約半マイルの重いパックアイスに進路を塞がれている。

一度は氷の中へ入り込んだものの、波で氷片同士が動き、周囲の開水面も縮小したため、Enduranceは進路を変えて氷域から抜けた。

これはまだ脱出できた。

船は開水面や氷の薄い部分を探し、蒸気機関と帆を使い分けながら南下を続ける。

12月11日には南緯59度46分付近で再びパックアイスへ入り、以後は氷の隙間を縫うような航海になった。

12月18日には状況がさらに厳しくなる。

厚い氷が前進を阻み、氷盤同士の圧力で船が約6度傾く場面まで起きた。船を離した直後、その場所では厚さ約4フィートの氷板が互いに押し上げられ、10フィート以上盛り上がったとシャクルトンは記録している。

つまり、本格的に閉じ込められる約1か月前から、海氷が単なる障害物ではなく「船を押す力」を持っていることは確認されていた。

それでもEnduranceは、1か月以上かけて南へ進んだ

12月に氷へ遭遇した時点で航海が終わったわけではない。

氷が緩めば進み、閉じれば待つ。
進めない方向があれば迂回し、マスト上から水路を探す。

1915年1月1日には比較的薄い若い氷を割りながら前進し、1月2日の24時間では124マイル進んだとシャクルトンは記録している。

1月10日には南緯72度02分まで到達していた。

航路の東側には南極大陸沿岸の氷壁が見え始める。

つまりEnduranceは「ウェッデル海の入口で動けなくなった」のではない。

氷域へ出入りしながら数週間かけてかなり深く南下し、南極大陸の沿岸まで到達したうえで捕まった。

この点は重要である。

途中で何度も進めた実績がある以上、「この先も開水路が生まれる」と期待する理由も存在したからだ。

1月15日、上陸できそうな場所を通過していた

後から見ると、特に重要な場面が1915年1月15日にある。

Enduranceは南極大陸沿岸を進みながら、非常に上陸しやすそうな湾を発見した。

シャクルトンがGlacier Bayと名付けた場所である。

彼の記録では、そこには天然の岸壁のような平坦な氷縁があり、風からも比較的守られ、上陸地点として優れた条件に見えた。

しかしシャクルトンは上陸しなかった。

本来の目標だったヴァーゼル湾はさらに南にあったためである。南へ1マイル船で進めれば、その分だけ後のそり横断距離を1マイル短縮できる。

当時の判断としては合理性があった。

しかも、その時点では「数日後に船が完全に閉じ込められる」と知ることはできない。

後にシャクルトン自身は、もし氷に捕まると分かっていれば、この上陸可能地点に基地を作っていただろうと振り返っている。

FACT CHECK|Glacier Bayを通過したことが「遭難原因」なのか

Enduranceが上陸可能に見える地点を通過したことは一次資料で確認できる。

しかし、ここで上陸しなかったことだけを遭難の単一原因とするのは適切ではない。
その時点でもEnduranceは南へ航行可能であり、本来の予定地点はさらに先だった。

「結果を知った現在から見れば重要な分岐点だった」と、「当時も明白な誤判断だった」は分けて考える必要がある。

1月18日から19日――水路が消えた

1月18日、Enduranceは沿岸の氷壁に沿って南西へ進んでいた。

しかしパックアイスに押し戻され、いったん西へ迂回する。
さらに開水面を進んだあと、再び厚い氷に阻まれた。

シャクルトンの記録では、この付近の氷はそれ以前より厚く、深い雪に覆われ、氷盤の間に詰まった細かな氷片も非常に密集していた。

機関を強く使っても、短い距離しか進めなくなる。

そして1915年1月19日の朝。

位置は南緯76度34分、西経31度30分付近

天候自体は悪くなかったが、船の周囲は夜の間に閉じた。
甲板からは水面が見えない。マスト上からわずかな水路が見えるだけだった。

翌20日には北東風が強まり、周囲のパックアイスはさらに固く密集した。

しかも南極の真夏にもかかわらず低温が続き、氷盤の隙間にできた若い氷まで凍結していく。

シャクルトンが危惧したのは、この寒さがばらばらだった氷を「接着」するように一体化させたことだった。

なぜ風が止んでも、氷は開かなかったのか

海氷は固定された地面ではない。

風と海流によって移動する。

Royal Geographical SocietyはEnduranceが閉じ込められた条件について、北東からの強風がウェッデル海のパックアイスを押し詰めたことを挙げている。

ウェッデル海の南部は大陸と棚氷に囲まれているため、風で南西方向へ押された氷には、自由に逃げられる海域が少ない。

複数の氷盤が押し合う。

その間の開水路が閉じる。

さらに低温になると、その隙間にも新しい氷が張る。

こうして、船の周囲にあった「水路を探して抜ける」という選択肢そのものが失われた。

問題はEnduranceのエンジン出力だけではない。

進むべき水面が存在しなくなったのである。

極地用の強い船なら、氷を砕いて進めなかったのか

Enduranceは脆弱な船ではなかった。

ノルウェーで建造された木造の極地航海船で、Royal Museums Greenwichは「探検船としては小型だが、非常に頑丈に造られていた」と説明している。

船体には松やオークが使われ、外板には非常に硬いグリーンハート材も使用されていた。
蒸気機関は約350馬力で、風向きが悪いときや氷の隙間を進む際に利用できた。

だが、ここには耐氷船と砕氷船の違いがある。

Enduranceの強固な船体は、浮遊する氷との接触やある程度の圧力に耐えるためのものだった。

現代の本格的な砕氷船のように、船首を氷へ乗り上げさせ、船体重量で厚い氷を連続的に割りながら進むことを前提とした船ではない。

しかもパックアイスの場合、船首の前にある1枚の氷を割れば終わるわけではない。

割った先にも氷盤があり、そのさらに先も氷で埋まり、後ろでは再び氷が閉じる。

エンジン出力を上げれば無限に突破できる状況ではなかった。

さらに氷海では、プロペラと舵が非常に脆弱な部分になる。
シャクルトンの記録でも、氷を突破するときにプロペラを守るため機関を停止し、帆だけで氷域を抜ける場面がある。

「船体が強い」ことと「密集したウェッデル海の海氷を自由に突破できる」ことは同じではない。

実際に何度も脱出を試みている

Enduranceが1月19日に閉じ込められたあと、シャクルトンたちはすぐに「冬まで待つ」と諦めたわけではない。

海氷に亀裂や水路ができるたびに、船を動かせないか試している。

2月9日には長い亀裂が生じたため蒸気を上げ、若い氷を割って水路へ出ようとした。

船の周囲にできた薄い氷は割れる。

しかし、その外側を囲む古く厚いパックアイスは突破できなかった。

2月11日にも再挑戦したが、結果は同じだった。

2月14日には隊員たちが氷を切って船の前に水路を作ろうとした写真も残されている。

それでも状況は変わらなかった。

ここから分かるのは、
Enduranceが氷へ「凍り付いた」だけではなかったということである。

船のすぐ周囲の氷を切っても、その先に何kmも続く密集したパックアイスが残っていた。

2月、シャクルトンは「船」から「冬季基地」へ考え方を変えた

2月中旬になると、短期間で脱出できる可能性は低くなっていた。

南半球ではこれから秋、そして冬へ向かう。

気温が下がれば海氷は薄くなるのではなく、さらに成長する。

シャクルトンは春まで待つ判断をする。

1915年2月24日、それまでの通常の船内勤務体制を停止し、Enduranceを事実上の冬季基地へ切り替えた。

舵とプロペラの周囲では厚さ約2フィートの氷を切り、万一動かせる機会が来た場合に備える。
犬も船から氷上へ移し、そりの訓練を始めた。

食料や燃料の在庫も確認する。

この時点では、まだ船を捨てる考えではない。

期待していたのは、
冬をEnduranceで越し、春に海氷が緩めば船を再び動かして上陸地点を探すことだった。

遠征計画は大きく遅れたが、まだ完全に消滅したとは考えられていなかった。

閉じ込められたのに、船は止まっていなかった

ここがEndurance遭難で最も直感に反する点の一つである。

船は航行できない。

しかし位置は変わり続ける。

なぜならEnduranceは海底や陸地へ固定されたのではなく、巨大な氷盤群の中へ取り込まれ、その氷と一緒に漂流していたからである。

シャクルトンの記録によれば、1月19日に閉じ込められてから3月31日までの71日間だけでも、船は全体として約95マイル移動している。

周囲に見えていた氷山の相対位置もほとんど変わらなかった。

これは船だけが流されているのではなく、Enduranceを含む広い氷域全体が一つの系として動いていたことを示している。

Royal Geographical Societyは、この移動にウェッデル海の大規模な循環――ウェッデル・ジャイア(Weddell Gyre)――も関係していると説明している。

海流によって海氷はウェッデル海内を大きく循環し、Enduranceもその動きから逃れられなかった。

「南へ進めない」だけではなく、目的地から運び去られていった

漂流がさらに重大だった理由は、時間を失うだけではなかった。

当初目指していたヴァーゼル湾から離れていくからである。

2月22日ごろ、Enduranceは漂流によって南緯77度付近へ達した。
これは航海によって自力で到達した「最南点」というより、海氷に取り込まれたまま運ばれた結果だった。

その後、漂流方向は次第に西、そして北寄りへ変わっていく。

冬を越して春に氷が開いたとしても、その時点で船が当初の上陸地点から何百kmも離れていれば、元の計画へ復帰することは難しくなる。

シャクルトンも2月には「最大の心配は漂流だ」と記している。

船が壊れなくても、氷と一緒に運ばれるだけで遠征計画は少しずつ失われていったのである。

なぜEnduranceは閉じ込められたのか|原因を分解する

Enduranceの氷への閉じ込めを、一つの原因で説明することはできない。

要因 何が起きたか
その年の海氷条件 夏になっても強いパックアイスが広範囲に残っていた
ウェッデル海の地理 大陸と棚氷に囲まれた南部で、押された海氷が密集しやすかった
北東風などが海氷を圧縮し、水路を閉じた
低温 真夏にもかかわらず寒い期間が続き、氷盤間の若い氷が成長した
海流 氷域全体が移動し、船も一緒に漂流した
船の性能限界 Enduranceは非常に強固だったが、密集したパックを自由に砕いて進める現代型砕氷船ではなかった
航海判断 厳しい氷況を認識しながら、より南の本来の上陸地点を目指して航海を継続した

このうち一つだけを取り除けば必ず助かった、とまでは言えない。

特に航海判断については、後世から結果を見て単純化しない注意が必要である。
Enduranceは実際に何度も氷域を突破して南下しており、1月中旬には南極沿岸まで到達していた。

その一方、現地から例年より厳しい海氷について警告を受けていたこと、上陸可能な地点を通過してさらに南へ進んだことも事実である。

最終的には、
自然条件と航海判断、そして当時の船舶・観測技術の限界が重なり、逃げ道を失った
と考えるのが最も実態に近い。

現代の砕氷船でも、ウェッデル海は簡単な海ではない

Endurance遭難を「100年以上前の船だから起きた」とだけ考えるのも適切ではない。

2019年には現代の研究遠征がEnduranceの沈没地点を目指したものの、厳しいウェッデル海の海氷条件によって捜索海域へ十分に到達できず、船体発見を断念している。

2022年のEndurance22遠征では、専用の耐氷研究船S.A. Agulhas IIと現代の衛星情報、海氷データ、測位技術、無人潜水機などを用いて、ようやく沈没船を発見した。

つまり、技術が100年以上進歩しても、ウェッデル海の海氷は航海計画を左右する重要な条件であり続けている。

1915年のEnduranceには衛星画像もGPSも広域海氷予報もない。

マスト上から氷の隙間を見ることが、進路を探す重要な手段だった。

その情報差を考えれば、当時の乗組員が海氷の全体構造を把握することはほぼ不可能だった。

まとめ|Enduranceを止めたのは「1枚の厚い氷」ではなかった

Enduranceは氷山へ衝突して航行不能になったわけではない。

また、船の周囲だけが凍結して動けなくなったわけでもない。

1914年12月から1915年1月にかけて、Enduranceはウェッデル海のパックアイスへ何度も入り、開水面や薄い氷を探しながら南下した。

しかし1月18日から19日にかけ、南極沿岸付近で氷盤が密集する。
北東風による圧縮と低温が重なり、周囲の水路が閉じ、船は広大な海氷の中へ取り込まれた。

Enduranceは非常に強固な極地航海船だった。

それでも、密集したパックアイス全体を砕いて航路を作れる船ではなかった。

周囲の薄い氷を割っても、その先にはさらに氷が続く。
船の機関を動かしても進む水面がない。

そして船が止まったあとも、海氷は止まらない。

Enduranceは氷と一緒に漂流し、本来の上陸地点から徐々に遠ざかっていった。

2月24日、シャクルトンは短期間の脱出を事実上断念し、船を冬季基地へ切り替える。

この時点でもEnduranceはまだ壊れていない。

乗組員たちが期待していたのは、冬を耐え、春になれば氷が緩み、再び航海できることだった。

しかし次に問題となったのは、動けない船の周囲で海氷が押し合い続けることだった。

船を守っていた強固な木造船体は、やがてその圧力を長期間受け続ける。

第4回では、Enduranceの船体構造と氷圧を追い、なぜ頑丈な船が最後には変形し、浸水し、退船に至ったのかを検証する。

今回出てきた言葉

海氷(Sea Ice)
海水が凍って形成された氷。氷河や棚氷から分離してできる氷山とは異なる。
パックアイス(Pack Ice)
多数の海氷の氷盤が集まった状態。氷盤の間に水路ができることもあるが、風や海流によって密集すると船の航行が困難になる。
フロー(Floe)
海面に浮かぶ一つ一つの氷盤。小さなものから広大なものまで大きさはさまざま。
リード(Lead)
海氷の間にできる細長い開水面。Enduranceはマスト上からリードを探し、航路として利用した。
氷圧
風や海流で海氷同士が押し合うことで生じる圧力。氷を盛り上げたり、船体を横方向から押したりする。
ウェッデル・ジャイア(Weddell Gyre)
ウェッデル海に存在する大規模な海洋循環。海水だけでなく海氷の移動にも関係し、Enduranceの漂流を理解する重要な要素となる。
ヴァーゼル湾(Vahsel Bay)
シャクルトンが横断隊の上陸地点として目指していたウェッデル海側の地域。Enduranceは到達する前に海氷へ閉じ込められた。

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第2回 シャクルトンは何を目指していたのか|帝国南極横断探検隊と「南極大陸横断」計画

次の記事:
第4回 エンデュアランス号はどう壊れ、沈んだのか|海氷の圧力と船を捨てるまで

CASE FILE 28|全記事

  1. シャクルトンとエンデュアランス号遠征とは?|船を失った28人はどう南極から生還したのか
  2. シャクルトンは何を目指していたのか|帝国南極横断探検隊と「南極大陸横断」計画
  3. なぜエンデュアランス号は氷に閉じ込められたのか|ウェッデル海と海氷が塞いだ航路【現在の記事】
  4. エンデュアランス号はどう壊れ、沈んだのか|海氷の圧力と船を捨てるまで
  5. 船を失った28人は氷の上でどう生き延びたのか|キャンプ生活と漂流の日々
  6. 28人はどうエレファント島へたどり着いたのか|3隻の救命艇による氷海脱出
  7. 800マイルの海をどう渡ったのか|ジェームズ・ケアード号と6人のサウスジョージア航海
  8. なぜサウスジョージア島を歩いて横断したのか|無人の海岸からストロムネス捕鯨基地へ
  9. 「全員生還」はどこまで本当か|エレファント島救出とロス海支隊3人の死
  10. 2022年、海底で見つかったエンデュアランス号|107年後の船体発見で何が分かったのか

出典・参考資料

  • Ernest Shackleton — South: The Story of Shackleton’s Last Expedition 1914–1917
    サウスジョージア島出航前に把握していた海氷条件、1914年12月から1915年1月までの航海、Glacier Bay、1月19~20日の海氷包囲、脱出の試み、漂流距離、2月24日の冬季基地化などの一次記録として使用。
  • Royal Geographical Society — Shackleton’s Endurance: Setting out from South Georgia
    ウェッデル海の地理、南極海氷の季節変化、1914年の海氷状況について現地の捕鯨関係者から警告を受けていたことの確認に使用。
  • Royal Geographical Society — Shackleton’s Endurance: Abandon Ship!
    北東風によるパックアイスの圧縮、ウェッデル海の地形、海氷の漂流、ウェッデル・ジャイア、冬季基地への移行について確認。
  • Royal Museums Greenwich — Documenting Shackleton’s Endurance
    Enduranceの船体が極地航海用として非常に強固に建造されていたこと、機関出力、船の基本構造、Frank Hurleyによる氷海写真について確認。
  • Royal Museums Greenwich — Endurance shipwreck discovered: what can the wreck video tell us?
    Enduranceの木造船体、松・オーク・グリーンハート材などの構造、氷圧によって最終的に船体が損傷したことの確認に使用。
  • Royal Geographical Society — 2019 Weddell Sea Expedition
    現代の耐氷船と観測技術を使用しても、ウェッデル海の海氷が航海・沈没船捜索を妨げた事例の確認に使用。

本記事は、シャクルトン本人の『South』を1914~1915年の航海に関する一次資料の中心とし、Royal Geographical Society、Royal Museums Greenwichの地理・船舶資料と照合して構成しています。「シャクルトンの判断ミスだけが遭難原因だった」「完全に予測不能だった」といった単純化は避け、当時確認されていた海氷情報、航行実績、風・低温・海流、船舶性能を分けて記載しています。