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エンデュアランス号はどう壊れ、沈んだのか海氷の圧力と船を捨てるまで

エンデュアランス号はどう壊れ、沈んだのか|海氷の圧力と船を捨てるまで

探検・遠征

1915年10月27日午後4時ごろ、ウェッデル海を漂流していたエンデュアランス号の船尾が、海氷の圧力によって持ち上げられた。

横方向へ動く巨大な氷盤が船尾を押し、舵を破壊する。続いてラダーポストとスターンポスト――舵や船尾構造を支える重要な部材――が引き裂かれた。

船内では甲板が持ち上がり、梁が曲がり、折れた。下部からは水が流れ込んでいた。

午後5時、アーネスト・シャクルトンは全員へ船を離れるよう命じる。

これは、1915年1月から9か月以上にわたって28人を守ってきたエンデュアランス号が、生活拠点としての役割を終えた瞬間だった。

ただし、この日に船が海底へ沈んだわけではない。

退船後も壊れた船体は約3週間、海氷の中に残った。そして1915年11月21日、船首からウェッデル海へ沈んでいった。

なぜ、極地航海のため非常に強固に造られた木造船がここまで破壊されたのか。

答えは「氷が硬かったから」という一言では足りない。
Enduranceは局所的な衝撃ではなく、何か月も繰り返された圧縮・持ち上げ・ねじりを受け、最後には船体全体の形を維持できなくなった。

この記事で分かること

今回は1915年8月から11月までを中心に、Enduranceの船体がどのような順序で破壊されたのかを確認する。

  • Enduranceはどのような船だったのか
  • 「極地用の頑丈な船」でも壊れた理由
  • 海氷は船体へどのような力を加えたのか
  • 8月・9月・10月に何が起きていたのか
  • なぜ船尾から大量の浸水が始まったのか
  • 乗組員は浸水を止めようと何をしたのか
  • 10月27日、なぜシャクルトンは退船を決断したのか
  • 退船と沈没の日付が違う理由

船を失った28人がその後どのように氷上生活へ移行したかは、第5回で詳しく扱う。

Enduranceは、もともと非常に強く造られた木造船だった

Enduranceが海氷に破壊されたという結果だけを見ると、船の構造そのものに問題があったようにも見える。

しかし確認できる資料は、むしろ逆の姿を示している。

Enduranceはノルウェーで建造された木造極地船で、当初はPolarisという名だった。もともとは極地での航海を想定した船として設計され、その後シャクルトンが南極遠征用に購入してEnduranceと改名している。

Royal Museums Greenwichが所蔵する設計資料によると、船体には松とオークが使用され、外側にはグリーンハートと呼ばれる非常に硬く耐久性の高い木材が使われていた。

3本マストを持つ帆船である一方、補助動力として蒸気機関も備えている。

風だけに頼らず、海氷の隙間へ機関で入り込むことができる構成だった。

つまりEnduranceは、普通の貨物船をそのまま南極へ持ち込んだものではない。

氷のある海域で活動することを前提とした、当時としては非常に強固な船だった。

それでも「壊れない船」ではない

強い船体が意味するのは、どのような力を受けても変形しないということではない。

木造船の船体は、船底、外板、フレーム、梁、甲板、船首・船尾構造など多数の部材が一体となって形状を維持している。

通常の航海では、主に船そのものの重量、積荷、波浪による曲げ、局所的な衝撃などを受ける。

海氷の場合には、そこへ別の荷重が加わる。

左右から氷盤が接近すれば船体は横方向から圧縮される。

船底へ氷が入り込めば船体を持ち上げる力が働く。

船首と船尾で氷の動く方向が違えば、船体全体へ曲げやねじりも生じる。

しかも問題は一度の荷重ではない。

ウェッデル海のパックアイスは動き続けるため、

圧縮される

緩む

再び別方向から圧縮される

という状態が何度も繰り返された。

Enduranceが耐えていたのは、岩へ一度衝突するような単発の事故ではなかった。

巨大な氷盤群の中で、船体を何か月も繰り返し変形させられる状況だった。

8月1日――冬の途中で、最初の大きな危機が来た

Enduranceが海氷へ閉じ込められたのは1915年1月だったが、本格的に船体への圧力が危険になったのは南極の冬を越えるころからである。

1915年8月1日、シャクルトンは周囲の氷盤が突然割れ始めたことを記録している。

午前中から船の周囲に亀裂が広がり、海氷が圧力で押し合った。

Enduranceは前後、左右へ何度も動かされ、右舷側の船底には古い氷盤が入り込んだ。

一時は船体が10度以上傾く。

シャクルトンは犬とそりを船へ戻し、救命艇をすぐ降ろせる状態にした。乗組員にも最も暖かい衣類を手元へ置き、必要なら短時間で退船できるよう警戒させている。

つまり8月の段階ですでに、
「船を失う可能性」は具体的な非常事態として想定されていた。

それでもこのときEnduranceは耐えた。

船体は激しく動かされたが、決定的な浸水には至らなかった。

9月30日――船体内部まで変形する圧力

9月末になると、周囲から聞こえる氷圧の音が再び大きくなった。

9月30日午後3時ごろ、Enduranceはそれまででも特に強い圧力を受ける。

左舷前方を巨大な氷盤が押した。

シャクルトンの記録では、甲板が震え、梁が湾曲し、支柱が曲がって揺れた。

船体は単純に横へ押されていたのではない。

外板からフレーム、甲板、内部の支柱まで、船全体へ荷重が伝わっていたことが分かる。

シャクルトンは全員へ緊急事態に備えるよう命じた。

だがこのときも、Enduranceは助かった。

船を押していた巨大な氷盤そのものに亀裂が入り、圧力が逃げたからである。

船長フランク・ワースリーは、繰り返し巨大な圧力を受けながら耐えるEnduranceについて、その頑丈さを高く評価する記録を残している。

船が弱かったために早々と壊れたのではない。

むしろ何度も「限界直前」に見える荷重を受けながら、それまで耐えていた。

10月18日――船体が30度傾いた

南極に春が戻ると、乗組員には希望も生まれていた。

気温が上がり、海氷に開水面が見えることも増えた。10月には船内を冬仕様から通常航海へ戻す準備も始めている。

しかし氷が動きやすくなることは、必ずしも安全を意味しなかった。

10月17日から再び大きな圧力が始まる。

翌18日午後、左右の氷盤が互いに横方向へ動き、Enduranceを挟んだ。

左舷側の氷盤が割れ、巨大な氷塊が船底の下から押し上げられる。

数秒のうちに、Enduranceは左舷へ約30度傾いた。

甲板上の犬舎が崩れ、固定されていない物は低い側へ滑り落ちた。乗組員は甲板へ横木を打ち付け、傾いた船内を歩けるようにした。

フランク・ハーレーは、この異常な状態のEnduranceを写真に残している。

午後8時ごろになると氷盤が開き、船はほぼ直立状態へ戻った。

この出来事だけを見れば、

「船体は傾いたが、また戻った」

とも言える。

しかし船に加わっていた応力が消えたことを意味するわけではない。

氷が次にどの方向へ動くかは予測できず、今度は船の別の部分が固定されたまま押される可能性があった。

10月24日――「沈まないようにする戦い」が始まる

決定的な変化が起きたのは1915年10月24日だった。

午後6時45分ごろ、Enduranceは再び激しい圧力を受ける。

このときの条件について、シャクルトンは自著『South』に模式図まで残している。

船の周囲には新しく凍った薄い氷の水面があり、その外側から厚い氷盤とプレッシャー・リッジが迫っていた。

右舷後部が氷盤へ押し付けられる。

船尾構造がねじられ、外板の接合部が開いた。

さらに氷は前後方向だけでなく横方向にも動いたため、船体そのものがねじられ、曲げられていった。

ここでEnduranceは急速に浸水し始める。

これは、それまでの「氷圧に耐えられるか」という問題から、

「流入する水を排出し続けなければ船が失われる」

という段階へ移ったことを意味する。

船尾が壊れると、なぜ浸水が止まらないのか

Enduranceで特に深刻な損傷が生じたのは船尾だった。

船尾には、単なる外板だけでなく、舵を保持する構造やプロペラ軸周辺など重要な機構が集中している。

10月24日の氷圧では、スターンポストがねじられ、外板の端部がずれた。

木造船の外板は、各板が密着し、その隙間を防水処理することで船内への水を防いでいる。

ところが船体全体が曲げられれば、個々の板そのものが壊れていなくても、板と板の接合部が開く

そこから海水が侵入する。

船体を元の形へ完全に戻せなければ、ポンプで水を出しても、次の氷圧で再び隙間が広がる。

これは船底に小さな穴が1個開いた事故とは違う。

船体構造そのものが変形し、防水構造を維持できなくなり始めていた。

毛布まで使って浸水を止めようとした

10月24日夜、乗組員たちはただ船が壊れるのを見ていたわけではない。

ポンプを動かし、浸水した水を排出した。

しかし長期間の凍結によって主ポンプの一部はすぐ使える状態ではなく、凍結した部分を取り除く作業が必要だった。

船大工ハリー・マクニッシュらは、機関室後方にコファーダムと呼ばれる応急の防水区画を作ろうとした。

完全な修理材料があるわけではない。

毛布を細く切って隙間へ詰め、板材を打ち付けて水を止める。

乗組員は夜通し交代でポンプを動かした。

翌朝までに、流入量をある程度抑えることには成功した。

この時点ではまだ、
「浸水した=即退船」ではなかった。

排水量が流入量を上回っている限り、船を維持できる可能性は残っていたからである。

10月25日――修理できても、氷そのものを止めることはできなかった

10月25日、ポンプとコファーダムによって浸水は一定程度管理できていた。

しかし船外の状況は改善しなかった。

Enduranceの周囲では巨大なプレッシャー・リッジが次々に形成されていた。

厚い氷盤同士がぶつかり、一方の氷がもう一方へ乗り上げる。その力で何トンもある氷塊が持ち上げられていく。

シャクルトンは、この日すでにEnduranceが生き残る可能性について悲観的になっている。

重要なのは、
修理班が直している対象と、損傷を作り続けている原因の規模がまったく違ったことである。

乗組員は外板の隙間を塞ぐことができる。

ポンプで水を排出できる。

荷物を移動し、船内の安全を確保できる。

しかし、周囲の何kmにも及ぶ海氷の動きを止めることはできない。

一度修理しても、次の圧力方向が変われば別の場所が損傷する。

この時点で問題は、船の修理技術より大きなスケールへ移っていた。

10月26日――外板の継ぎ目が10cm以上開いた

10月26日、圧力は再び強くなった。

船体からは木材がきしむ音、部材が動く音が聞こえ続けた。

午後7時ごろにはさらに激しい氷圧がかかる。

シャクルトンによれば、右舷側の外板の接合部は4~5インチ、約10~13cmも開いた。

さらに橋楼から見ると、船体そのものが弓のように湾曲していることが分かった。

Enduranceは再び激しく浸水した。

午後9時、シャクルトンは救命艇、食料、そり、装備を船から氷上へ降ろすよう命じた。

まだ正式な退船命令ではない。

しかし、
「船が失われても生き残れる状態」を先に作り始めたのである。

この判断によって、翌日船を捨てることになっても、重要な食料や救命艇まで船と一緒に失うことは避けられた。

10月27日――船尾構造が破壊された

10月27日朝。

位置は南緯69度05分、西経51度30分付近。

天候だけを見れば、激しい吹雪ではなかった。

しかし海氷から船体へ加わる圧力は増え続けた。

午後4時ごろ、氷圧が最も激しくなる。

船尾が持ち上げられた。

横方向へ動く氷盤が船尾を押し抜くように進み、

  • ラダーポスト
  • スターンポスト

を破壊した。

氷の圧力が一時的に緩むと船体は沈み込み、今度は甲板が下側から押し上げられるように壊れていった。

船内へ水が流れ込む。

梁は曲がり、やがて折れる。

これは、船尾の一部だけを修理すれば済む段階ではない。

船体を構成していた主要構造が複数箇所で変形・破断し、船としての形そのものが失われ始めていた。

午後5時――「Abandon Ship」

午後5時、シャクルトンは全員を氷上へ移す決断をした。

Enduranceを修理して航海へ戻すことは、もはや現実的ではなかった。

しかも船が沈むまで待っていれば、食料や救命艇、そり、テントなど、生き残るための装備まで同時に失う可能性がある。

したがって退船は、
船を救うことを諦める判断であると同時に、人員と装備を船の運命から切り離す判断だった。

シャクルトンは同日の記録で、Enduranceが281日間にわたって氷へ閉じ込められ、その間に北西方向へ大きく漂流したことを書いている。

横断遠征の輸送船は、この日完全に失われた。

代わって探検隊の目的は、

28人全員を陸地へ到達させること

へ変わる。

FACT CHECK|1915年10月27日は「沈没日」ではない

Enduranceについては、資料によって10月27日を「lost」「sank」などと簡略化して記載しているものがある。

しかしシャクルトン本人の『South』では、10月27日は退船した日である。

日付 出来事
1915年10月27日 船体が復旧不能となり、全員がEnduranceを退船
1915年11月21日 残っていた船体が海氷の下へ沈没

本シリーズでは一次記録とRoyal Geographical Societyの年表に従い、退船と沈没を別の出来事として扱う。

船を離れても、使える物資は回収した

10月27日に退船したあとも、Enduranceはすぐ完全に水没したわけではない。

船体は大きく壊れていたが、一部は氷上から確認できる状態で残っていた。

そのため乗組員は安全を確認しながら船へ戻り、利用できる物資を回収している。

特に重要だったのが写真家フランク・ハーレーの記録だった。

ハーレーが撮影したガラス乾板は、現在私たちがEnduranceの漂流や氷圧を視覚的に確認できる重要な一次資料になっている。

しかし大量のガラス乾板をこれから氷上で運ぶことはできない。

最終的にシャクルトンとハーレーは保存する写真を絞り込み、約120枚の乾板を残した。

それ以外は、再び船へ取りに戻ろうとする誘惑をなくすため破棄されたとRoyal Geographical Societyの記録は整理している。

生存に必要な重量だけを残す。

ここでも遠征の優先順位は、すでに「記録を残すこと」から「人間を移動させること」へ変化していた。

11月21日――約3週間後、Enduranceが消えた

退船後も乗組員たちは、氷上のキャンプから壊れたEnduranceを見ることができた。

しかし船首側は氷に押し潰され、マストや索具も崩れ、もはや船として利用できる状態ではなかった。

1915年11月21日夕方。

キャンプにいた乗組員はシャクルトンの声を聞き、壊れた船の方向を見た。

Enduranceは船首側から沈み始める。

最後には船尾を空中へ持ち上げるようにして海面下へ消え、海氷がその上を閉じた。

船長フランク・ワースリーは沈没地点の位置を記録した。

その記録が、100年以上後の船体捜索で重要な手掛かりになる。

なぜEnduranceは沈んだのか|破壊の流れを整理する

一連の出来事を構造的に見ると、Enduranceは「突然真っ二つになって沈没した」のではない。

段階 船体で起きたこと 意味
1月~冬 海氷に固定され漂流 航行不能だが船体は健全
8月 氷盤に繰り返し押され、傾斜・持ち上げ 船体への本格的な氷圧が始まる
9月30日 梁・支柱などが大きく変形 船体全体へ荷重が伝達
10月18日 約30度傾斜 氷盤が船体下へ入り込む
10月24日 船尾構造・外板に損傷、浸水開始 構造問題が水密性喪失へ発展
10月26日 外板接合部が大きく開き、船体が湾曲 修復不能に近い全体変形
10月27日 舵・ラダーポスト・スターンポスト破壊、甲板・梁破断 退船
11月21日 残存船体が沈降 Endurance完全喪失

つまり、

海氷の移動 → 船体への圧縮・曲げ・ねじり → 構造変形 → 外板接合部の開き → 浸水 → 主要船尾構造の破壊 → 退船 → 沈没

という連鎖だった。

「氷に押されたら船が上へ逃げる」は機能しなかったのか

極地船には、氷に挟まれたときに船体が完全に潰されるより、氷上方向へ持ち上げられる方が有利という考え方がある。

Enduranceにも実際、そのような挙動は見られた。

9月30日の圧力では船を押していた氷盤が割れ、10月17日には船体そのものが氷によって持ち上げられている。

つまり船がある程度「逃げる」ことで、即座に圧壊することを防いだ場面はあった。

しかし、この仕組みが常に成立する保証はない。

船体の一部が氷に固定された状態で、別の方向から氷盤が動けば、船全体を均等に持ち上げるのではなく、特定部分だけを押したり、ねじったりする。

10月24日以降に起きたのがこの状態だった。

特に船尾では、右舷後部への圧力、横方向の氷の移動、船底への持ち上げが組み合わさった。

船体を氷上へ逃がす力そのものが、条件によっては船を曲げる荷重へ変わった。

2022年の船体発見は、Enduranceの「弱さ」ではなく頑丈さも示した

Enduranceがどれほど破壊されたかについて、新しい物証が得られたのは2022年だった。

Endurance22遠征が水深3,008mのウェッデル海底で船体を発見した。

映像を見ると、Enduranceは海底にほぼ直立した状態で残っている。

船首側などには損傷があるものの、船尾の名称、舵輪、甲板構造、外板の多くは識別できるほど保存されていた。

Royal Museums Greenwichは、この保存状態をEnduranceの建造品質を示すものとしても評価している。

これは、

「船が粗末だったから海氷で壊れた」

という説明とは整合しない。

むしろEnduranceは長期間にわたる強烈な氷圧へ耐え続けた末に、最終的に構造限界を超えたと見る方が資料に合う。

船体を失わせたのは単一の設計欠陥ではなく、ウェッデル海で繰り返された巨大な外力だった。

まとめ|Enduranceは「氷に負けた」のではなく、9か月以上耐えた末に構造を失った

Enduranceは、氷海航行を想定した非常に頑丈な木造船だった。

それでも1915年1月に海氷へ閉じ込められた後、船体は長期間にわたってパックアイスの動きを受け続けることになった。

8月には周囲の氷盤が船を前後・左右へ動かし始める。

9月30日には甲板、梁、支柱までが変形するほどの圧力を受けた。

10月18日には約30度傾き、10月24日には船尾構造がねじられて外板が開き、本格的な浸水が始まる。

乗組員はポンプを動かし、毛布と板まで使って応急的な防水を試みた。

しかし氷圧は止まらない。

10月26日には船体が弓のように曲がり、外板接合部が10cm以上開く。

そして10月27日、船尾が持ち上げられ、舵、ラダーポスト、スターンポストが破壊された。甲板と梁も壊れ、水が流入する。

午後5時、シャクルトンは退船を命じた。

船そのものは11月21日まで海氷の中に残り、最後は船首からウェッデル海へ沈んだ。

ここから28人には、別の問題が始まる。

船内には寝台があり、厨房があり、食料庫があり、機関があり、壁と屋根があった。

そのすべてがなくなった。

彼らの足元にあるのは陸地ではない。

漂流する海氷である。

しかも最も近い現実的な目的地までは数百kmあった。

第5回では、船を失った28人が何を持ち出し、どこにキャンプを作り、食料・燃料・犬・救命艇をどう管理しながら氷上で生き延びたのかを追う。

今回出てきた言葉

グリーンハート(Greenheart)
非常に硬く耐久性に優れた木材。Enduranceでは船体外側の補強材として使用されていた。
スターンポスト(Sternpost)
船尾の主要な構造材。Enduranceでは1915年10月の氷圧で損傷し、最終的に船尾構造の破壊へつながった。
ラダーポスト(Rudder Post)
舵を支持する船尾側の構造。10月27日の激しい氷圧で舵とともに破壊された。
氷圧
風や海流によって移動する海氷同士が押し合うことで発生する力。Enduranceでは圧縮だけでなく、持ち上げ・曲げ・ねじりを船体へ与えた。
プレッシャー・リッジ(Pressure Ridge)
海氷同士が圧縮され、一方の氷が上や下へ押し出されて形成される隆起。巨大な氷塊が積み重なることもある。
コファーダム(Cofferdam)
水の流入を抑えるために設ける隔壁・空間。Enduranceでは船大工マクニッシュらが船尾側の浸水に対して応急的に設置した。
Ocean Camp
1915年10月27日にEnduranceを退船した後、乗組員が海氷上へ設置したキャンプ。第5回で詳しく扱う。

前の記事:
第3回 なぜエンデュアランス号は氷に閉じ込められたのか|ウェッデル海と海氷が塞いだ航路

次の記事:
第5回 船を失った28人は氷の上でどう生き延びたのか|キャンプ生活と漂流の日々

CASE FILE 28|全記事

  1. シャクルトンとエンデュアランス号遠征とは?|船を失った28人はどう南極から生還したのか
  2. シャクルトンは何を目指していたのか|帝国南極横断探検隊と「南極大陸横断」計画
  3. なぜエンデュアランス号は氷に閉じ込められたのか|ウェッデル海と海氷が塞いだ航路
  4. エンデュアランス号はどう壊れ、沈んだのか|海氷の圧力と船を捨てるまで【現在の記事】
  5. 船を失った28人は氷の上でどう生き延びたのか|キャンプ生活と漂流の日々
  6. 28人はどうエレファント島へたどり着いたのか|3隻の救命艇による氷海脱出
  7. 800マイルの海をどう渡ったのか|ジェームズ・ケアード号と6人のサウスジョージア航海
  8. なぜサウスジョージア島を歩いて横断したのか|無人の海岸からストロムネス捕鯨基地へ
  9. 「全員生還」はどこまで本当か|エレファント島救出とロス海支隊3人の死
  10. 2022年、海底で見つかったエンデュアランス号|107年後の船体発見で何が分かったのか

出典・参考資料

  • Ernest Shackleton — South: The Story of Shackleton’s Last Expedition 1914–1917
    1915年8月1日、9月30日、10月17~27日の氷圧、船体変形、ポンプ作業、応急防水、退船、11月21日の沈没に関する一次記録として使用。
  • Royal Geographical Society — Endurance22 / Shackleton expedition timeline
    10月27日の退船、11月21日の沈没、Ocean Campへの移行など主要日付の確認に使用。
  • Royal Geographical Society — Shackleton’s Endurance: Abandon Ship!
    氷圧による船体損傷、退船準備、フランク・ハーレーの写真資料などの確認に使用。
  • Royal Museums Greenwich — Endurance shipwreck discovered: what can the wreck video tell us?
    Enduranceの建造、松・オーク・グリーンハート材、氷圧による船尾構造の破壊、2022年に確認された船体状態の確認に使用。
  • Royal Museums Greenwich — ‘Endurance’ heeled to port by the ice
    1915年10月18日前後にEnduranceが大きく傾いた状況、スターンポスト・外板損傷、フランク・ハーレーの写真資料の確認に使用。
  • Falklands Maritime Heritage Trust / Endurance22
    2022年3月の船体発見、水深3,008m、船体の保存状態、海洋考古学調査結果の確認に使用。

本記事では、1915年10月27日を「退船日」、11月21日を「沈没日」として区別しています。これはシャクルトン本人の『South』およびRoyal Geographical Societyの年表に基づきます。また、Enduranceの破壊を単一の部材破損や設計欠陥へ単純化せず、一次記録に残る氷圧、船体変形、船尾損傷、浸水の進行を時系列で再構成しています。