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なぜ「説明できない資産」は見逃されたのか現金購入の住宅、ジャガー、ポリグラフ検査

なぜ「説明できない資産」は見逃されたのか|現金購入の住宅、ジャガー、ポリグラフ検査

諜報・スパイ事件

1989年8月1日。

アルドリッチ・エイムズ夫妻は、
バージニア州アーリントンに住宅を購入した。

価格は、

54万ドル。

しかも住宅ローンではない。

現金で購入していた。

当時、エイムズはCIA職員だった。

政府給与だけで考えれば、
明らかに説明を必要とする支出だった。

さらに白いジャガー。

高価な家具。

大規模な住宅改修。

海外旅行。

高額なクレジットカード利用。

周囲のCIA職員にも、
エイムズ夫妻の生活が裕福になったことは見えていた。

そしてCIA自身も、
1989年末にはその異常を把握していた。

1990年末には正式な内部メモまで作られた。

身辺再調査も行った。

ポリグラフ検査も行った。

それでも1991年秋、
CIAはエイムズについての財務調査を事実上止めた。

なぜ、これほど目立つ警告が逮捕へつながらなかったのか。

前回|198人から29人へ、エイムズはすでに候補に入っていた

第5回では、
1991年にCIAとFBIが合同でモグラ捜査を再開し、
失われたケースへアクセスできたCIA職員198人を抽出した過程を追った。

そこから29人が優先調査対象に選ばれた。

アルドリッチ・エイムズも含まれていた。

しかも合同チームの全メンバーが、
それぞれの評価で彼をリストに残していた。

理由は情報へのアクセスだけではない。

すでにCIA内部には、

「エイムズの生活水準は、給与に比べて異常ではないか」

という情報があった。


← 第5回|CIAとFBIはどう容疑者を絞ったのか|1991年、198人から29人へ進んだ合同防諜捜査

最初に異常を指摘したのは、エイムズをよく知るCIA職員だった

CIAがエイムズの資産問題を具体的に認識したのは、
1989年11月だった。

ローマ勤務を終えてワシントンへ戻ったエイムズについて、
彼をよく知るCIA職員がCounterintelligence Centerへ報告した。

その内容は単純だった。

ローマへ行く前のエイムズは、
金銭的に苦しんでいるように見えた。

それが帰国すると、
明らかに裕福になっている。

しかも高価な住宅まで購入していた。

この職員は、
1985〜86年に失われたCIAのソ連側情報源についても知っていた。

そしてエイムズが、
それらのケースへアクセスできた人物であることも知っていた。

つまりこれは単なる、

「同僚が急に金持ちになった」

という噂ではなかった。

機密情報漏洩の可能性と、説明できない資産を結びつけた防諜上の通報だった。

54万ドルの住宅を「現金」で買っていた

調査を始めたCIAは、
アーリントン郡の不動産記録を確認した。

そこで判明したのが、
1989年8月1日に購入した住宅だった。

購入価格 54万ドル
購入時期 1989年8月1日
所在地 バージニア州アーリントン
住宅ローン 公的記録上、確認されず

後のFBI捜査では、
実際に54万ドルを現金で支払っていたことが確認される。

一方、
エイムズのCIAからの手取り給与は、
1985年4月から1993年11月までを合計しても約33万6,000ドルだった。

住宅一軒の購入額だけで、
その8年以上分の手取り給与総額を大きく上回っていた。

ジャガーもあった

住宅だけではない。

1990年12月5日にCIA内部で作成されたメモには、

約4万9,000ドルの白いジャガー

についても記載されていた。

ただしジャガーについては、
調査すると購入額のうち2万5,000ドルを信用組合から借りていたことが分かった。

この事実は、
車だけを見れば疑いを多少弱める材料になった。

「すべてを現金で購入していた」

わけではなかったからである。

しかし住宅は違った。

54万ドルという巨大な購入額について、
住宅ローンは確認できなかった。

エイムズ本人は「妻の家族からの金」と説明していた

エイムズには、
資金源について一貫した説明があった。

妻ロサリオの家族である。

ロサリオはコロンビア出身だった。

エイムズは周囲に、
妻側の家族や親族が裕福であり、
そこから資金を得ていると説明していた。

54万ドルの住宅についても、
ロサリオの親族から贈られた金で購入したという話をしていた。

この説明には、
一定のもっともらしさがあった。

CIA内部にも、

「ロサリオの家族には金があるらしい」

と認識していた同僚がいた。

だからCIA側から見れば、

異常な資産=即KGBからの報酬

とは断定できなかった。

しかし最初の通報者は「そんなに裕福ではない」と考えていた

ここが厄介だった。

1989年にエイムズの生活水準を最初に報告したCIA職員は、
エイムズ夫妻をよく知っていた。

そして、

ロサリオの家族が、54万ドルの住宅を現金で買えるほど裕福だとは考えていなかった。

つまりCIA内部には、

「妻の家族からの金だ」

という説明と、

「その説明はおかしい」

という情報の両方が存在した。

必要だったのは、
どちらが正しいかを確認することだった。

銀行記録を見ると、さらに現金が出てきた

CIAの担当者は、
米財務省側の大口現金取引記録も調べた。

すると、
1985〜89年にかけてエイムズに関連する複数の大口取引が見つかった。

1985年。

約1万3,000ドル。

1986年。

約1万5,000ドル。

1989年には、
イタリア・リラを約2万2,000ドル相当に換金していた記録もあった。

合計すると5万ドルを超える。

現在なら、

「KGBから金を受け取った時期と照合すればよい」

と考えられる。

しかし当時のCIAには、
まだKGB側から金を受け取った日時が分かっていない。

それでも、

給与以外のまとまった資金が流入している可能性

を示す警告にはなっていた。

1990年12月5日|警告材料は一枚のメモにまとめられた

1990年12月5日。

エイムズの財務状況を調べていたCIAの担当者は、
Office of Securityへメモを送った。

内容には、

  • 大口現金取引
  • 54万ドルの住宅
  • 住宅ローンや担保設定が確認できないこと
  • 約4万9,000ドルのジャガー
  • 1989年に同僚から寄せられた生活水準への疑問

などが含まれていた。

そして、

身辺再調査とポリグラフ検査を早急に行うよう求めていた。

CIAは、資産問題を知らなかったのではない。

この時点で、
かなり具体的に把握していた。

しかし「急に調べる」とエイムズに気づかれる

防諜捜査には、
普通の内部監査とは違う問題がある。

対象者を急に呼び出して、

「54万ドルはどこから出た」

「なぜ現金取引が多い」

と問い詰めれば、
自分が疑われていることに気づく可能性がある。

本当にスパイなら、

証拠を消す。

逃亡する。

外国側へ警告する。

接触方法を変える。

そうした行動を取る可能性がある。

そこでCIAは、
エイムズが次に通常のポリグラフ検査を受ける時期まで待つことにした。

前回の検査は1986年。

CIAではおおむね5年周期で再検査を行っていたため、
次は1991年になる。

「エイムズだけを特別に調べているように見せない」

という判断だった。

1991年3月|身辺再調査が始まる

Office of Securityは1990年12月、
エイムズについて再調査を開始した。

1991年1月には、
本人へ身辺情報更新用の書類が送られた。

エイムズが返送したのは3月4日。

そこから本格的な背景調査が始まった。

調査はかなり広範囲だった。

過去や現在の同僚へ聞き取りが行われ、
いくつもの気になる証言が集まった。

同僚から出た話は、決して「問題なし」ではなかった

1991年の身辺再調査で集まった証言には、
次のようなものがあった。

  • ソ連・東欧部門からCounterintelligence Centerへ異動した際、評価上の問題があった
  • ローマ時代、ソ連・東欧関係者との接触が多かった
  • 金庫を開けたままにすることがあった
  • 自宅のパソコンで機密性のある報告書を書いたことを認めていた
  • 勤務中の飲酒に関する問題があった
  • 上司の指示に反する行動を取ったことがあった
  • 政府職員としては生活水準が高すぎるように見えた
  • 住宅を現金で購入したと理解している同僚がいた

一人の同僚は、
エイムズをスパイだとは思わないとしながらも、
仮にそう判明しても驚かないという趣旨の発言までしていた。

後から見れば、
かなり異常な内容である。

それでも身辺再調査の評価は「防諜上の問題なし」だった

1991年4月12日。

Office of Securityは身辺再調査を完了した。

ところが、
報告書を評価したCIAのセキュリティ担当者は、

「counterintelligence implicationsはない」

という判断をした。

エイムズのセキュリティ・クリアランスに対して、
特別な措置は取られなかった。

調査担当者側も、

「すでに知っている以上の新しい情報はなかった」

と受け止めた。

追加で同僚へ詳しく聞き直すことも行われなかった。

そして同じ4月12日、ポリグラフ検査を受けた

身辺再調査がOffice of Securityへ送られたのと同じ日。

1991年4月12日。

エイムズはCIAのポリグラフ検査を受けた。

ここに、この事件の大きな問題がある。

ポリグラフ担当者は、完成した身辺再調査結果を十分把握しないまま検査を始めた。

担当者と上司は、
エイムズの説明できない資産について何らかの疑問があること自体は知っていた。

しかし1990年12月5日の財務メモを実際に読んだ記憶はなく、
その具体的内容について詳しい説明も受けていなかった。

54万ドルの住宅。

大口現金取引。

ジャガー。

同僚からの通報。

こうした情報を前提として、

「この54万ドルは具体的にどこから来たのか」

と追及する検査ではなかった。

理由は「普通の定期検査に見せるため」だった

CIAのCounterintelligence Center側にも意図があった。

エイムズに、

「自分だけが特別に疑われている」

と悟らせたくなかった。

だからポリグラフは、
あくまで通常の5年周期の検査に見せた。

その結果、
財務問題についても、
一般的な質問以上には踏み込まなかった。

捜査を秘密にするために通常検査として実施した結果、通常検査以上の情報を引き出せなかった。

ここには明確なトレードオフがあった。

エイムズは自分から「金は妻の家族から来た」と話した

ポリグラフ装置を使った検査に入る前、
担当者はエイムズと面談した。

その際、
エイムズ自身から財務状況について話を出している。

主な説明は、

妻ロサリオの母親から多額の金が来た。

コロンビアに資産を持っている。

小規模だが利益の大きい投資をした。

というものだった。

検査中には、

「CIAに隠している金銭的問題があるか」

という趣旨の質問も行われた。

エイムズは「ない」と答え、
その質問には欺瞞反応なしと評価された。

だが別の質問では反応が出た

検査がすべて順調だったわけではない。

外国情報機関のために働いているかという質問では、
大きな反応は確認されなかった。

一方、

「外国人との未報告接触を隠しているか」

という質問では、
欺瞞を示す反応が出た。

数時間検査しても反応は続いた。

そのため担当者は、
その日の検査を「未完了」とし、
数日後に再び来るよう求めた。

4日後、別の検査官では反応が出なかった

4日後。

エイムズは再びポリグラフ検査を受けた。

今度は別の検査官だった。

同じように外国人との未報告接触について質問されたが、
前回のような欺瞞反応は確認されなかった。

検査官は、
エイムズを合格と判断した。

財務問題について、
追加の特別質問は行われなかった。

こうして1991年のポリグラフは、

「PASS」

として記録された。

「ポリグラフを自在に破った天才スパイ」ではない

エイムズ事件について、

「KGBから訓練を受け、ポリグラフを完璧に欺いた」

という形で語られることがある。

公開された公式調査を見る限り、
この説明は単純化しすぎている。

エイムズ本人は逮捕後、
KGBからポリグラフを破る特別な訓練を受けたことはない
と説明している。

KGBから言われたのは、

「落ち着け」

「心配するな」

といった程度だったという。

本人はポリグラフを、
何が起こるか分からない「賭け」のように感じていたとも話している。

CIA自身も「機械の読み間違いだけではない」と評価した

事件後、
CIA Inspector Generalは1986年と1991年のポリグラフ検査を再検証した。

その際、
複数の現役・元ポリグラフ担当者は、
問題を単なる波形の読み間違いとは捉えていない。

重要だったのは、
検査の組み立てだった。

財務状況など具体的な疑念を被験者へ突きつけ、
心理的圧力を作る。

そのうえで質問を行う。

ところがエイムズの場合、
通常検査に見せることが重視された。

そのため、
実際に捜査側が持っていた疑問を十分利用しないまま検査が進んだ。

結果として、
測定された反応自体の信頼性にも問題があったと後に評価された。

最初の検査官自身も完全には納得していなかった

さらに興味深いのは、
1991年最初の検査官が残した内部メモである。

検査官は、
エイムズがスパイだとは思わないとしながらも、

金銭問題があるため100%確信はできない

という趣旨の記録を残していた。

つまり、

「ポリグラフに合格したから疑いは完全に消えた」

わけではない。

それでも組織全体として見ると、
合格という結果はエイムズへの疑いを弱める方向に働いた。

エイムズは「住宅の金について聞かれる」と予想していた

さらに、
逮捕後のエイムズ本人の証言から、
CIA側にとって痛い事実が分かっている。

彼は1991年の身辺再調査で、
54万ドルの住宅について聞かれる可能性を予想していた。

そこで、

住宅購入資金が義母から贈られたように見せる書類

まで準備していた。

公証も受けていたという。

エイムズ本人は後に、
現金で住宅を買ったことはいずれ知られるだろうから、
資金源について質問されるのは当然だと思っていたと説明している。

しかし、

誰も住宅資金について具体的に追及しなかった。

用意していた説明を使う必要すらなかった。

それでもCIAには、まだ「妻の家族」という説明が残っていた

ポリグラフに合格しても、
Counterintelligence Centerの担当者には一つ疑問が残っていた。

資金源である。

そこで1991年7月、
CIA職員がコロンビアのボゴタで、
ロサリオの家族について追加情報を集めた。

7月31日にまとめられた報告では、
ロサリオの家族は、

地元ではよく知られている。

政治的なつながりがある。

経済的にも安定している。

家族企業は不動産や輸出入などを扱っている。

過去には、
数百万ドル相当とされる土地をスポーツ施設用に寄付したこともある。

と報告された。

これだけを見れば、

「妻の家族から多額の金が来た」

というエイムズの説明は、
あり得ない話には見えなくなる。

しかし、その調査は「金が実際に渡ったか」を確認していなかった

ここが重要である。

1991年7月のボゴタ調査は、
ロサリオの家族がある程度裕福なのかを確認した。

しかし、

「54万ドルを本当にエイムズ夫妻へ渡したのか」

を裏づけたわけではない。

家族に資産がある。

だからエイムズへ54万ドルを渡した。

この二つは別の事実である。

しかし当時のCIAでは、
限られた情報から作成されたボゴタ報告が、
エイムズの説明を補強する材料として受け取られた。

三つの材料が重なり、「疑いが弱まった」

1991年秋。

CIA側には三つの材料があった。

1|身辺再調査

気になる証言は複数あったが、
Office of Securityは防諜上の問題なしと評価した。

2|ポリグラフ

最初の検査では未報告外国人接触について反応が出たが、
4日後の再検査で合格扱いとなった。

3|ロサリオ家の調査

家族は社会的・経済的に安定しているとの報告が入り、
「妻側の家族からの資金」という説明に一定のもっともらしさが生まれた。

この三つが重なり、

1991年秋、CIAの担当者はエイムズの財務調査を保留状態にした。

「豪邸を見逃した」のではない

この事件を短く説明すると、

「CIAは年収に見合わない54万ドルの豪邸やジャガーを見ても何も疑わなかった」

という話になりやすい。

実際には少し違う。

CIAは疑っていた。

同僚から通報を受けた。

不動産記録を調べた。

現金取引を調べた。

内部メモを作った。

身辺再調査を行った。

ポリグラフを行った。

妻側の家族まで調べた。

問題は、

それぞれの調査が、資金源を実証するところまで進まなかったことだった。

銀行口座をもっと深く調べていればどうだったのか

1990年末の再調査で、
Office of SecurityはCIA職員向け信用組合の口座を確認した。

そこではジャガー購入のため2万5,000ドルを借りていることが分かった。

この結果は、
車の購入については疑いを弱めた。

しかしOffice of Securityは、
他の金融機関へ同じ規模の調査を広げなかった。

担当者は後に、
外部金融機関から情報を取得できる法的権限があることを知らなかったと説明している。

そのため、
大口現金入金とKGB側との接触を時系列で突き合わせるところまで進まなかった。

この照合が本格的に行われるのは、
さらに後である。

後から調べると、金の流れは極端だった

FBIが後に本格的な財務分析を行うと、
エイムズの支出規模が明らかになった。

1985年4月から1993年11月までに、
エイムズが支出した金額は少なくとも、

約139万7,300ドル。

同じ期間のCIAからの手取り給与は、
約33万6,164ドルだった。

差は100万ドルを超える。

さらにローマ勤務中には、
スイスの口座へ少なくとも95万ドルを入金していたことも後に確認された。

この全体像が1991年に見えていたわけではない。

しかし、

54万ドル住宅。

大口現金取引。

政府職員として不自然な生活水準。

という入口はすでに存在していた。

1992年、さらに新しいジャガーを買った

エイムズの支出は、
1991年の調査後も止まらない。

1992年1月。

それまで乗っていた約3年前のジャガーを手放し、
再び新しいジャガーを購入した。

エイムズ本人は後に、
短期間に2台目のジャガーを購入したことを、
自分の金を最も露骨に見せた行為だったと振り返っている。

しかしCIAの捜査側がこの事実を把握するのは、
後の財務分析がかなり進んでからだった。

最大の問題は「警告が存在しなかったこと」ではない

1991年のエイムズ事件を振り返ると、
警告材料は多い。

突然の裕福さ。

54万ドル住宅。

住宅ローンなし。

大口現金。

ジャガー。

失われたソ連情報源へのアクセス。

同僚による懸念。

セキュリティ違反。

ソ連・東欧関係者との接触。

ポリグラフでの一時的な欺瞞反応。

一つだけなら、
別の説明ができる。

問題は、

すべてを同じ人物のリスクとして統合できなかったこと。

そこにあった。

SecurityとCounterintelligenceの間にあった「fault line」

事件後の公式調査で特に問題視されたのが、
CIA内部の組織間連携だった。

エイムズをモグラ候補として調べていたのは、
Counterintelligence Center。

身辺調査やポリグラフを担当するのは、
Office of Security。

本来なら、

「この人物には54万ドルの説明不能な住宅購入がある」

「失われたソ連情報源へアクセスできる」

「未報告の外国人接触も疑われている」

という防諜情報を、
ポリグラフや身辺調査へ反映させる必要がある。

しかし実際には、
情報が十分共有されなかった。

後のCIA Inspector Generalは、
Security部門とCounterintelligence部門の間には以前から、

「fault line」――断層

が存在していたというCIA幹部の評価を引用している。

ポリグラフそのものが「無意味だった」という話でもない

一方で、
この事件を理由に、

「ポリグラフは何の意味もない」

とまで一般化するのも、このCASEの範囲を超える。

エイムズ事件で公式調査が問題視したのは、

ポリグラフ結果を他の情報と切り離して扱ったこと

である。

検査前から具体的な財務疑惑があった。

身辺再調査には気になる証言があった。

最初のポリグラフでは未報告外国人接触について反応も出た。

それでも最終的な「PASS」という結果が、
他の警告を弱める方向へ利用された。

つまり問題は、

一つの検査結果が、複数の独立した警告より強く扱われたこと

だった。

FACT CHECK|「CIAはエイムズの豪邸を知らなかった」のか

FACT|CIAは1989年11月からエイムズの突然の裕福さを把握していた

エイムズをよく知るCIA職員がCounterintelligence Centerへ報告していた。

FACT|エイムズ夫妻は1989年8月1日に54万ドルの住宅を現金購入した

後のFBI捜査で確認された。CIA側も1990年までに住宅ローンや担保が公的記録上確認できないことを把握していた。

FACT|1990年12月のCIAメモには住宅、ジャガー、大口現金取引が記載されていた

このメモは身辺再調査とポリグラフ実施を求めていた。

FACT|1991年の身辺再調査では複数の懸念材料が集まった

不自然な生活水準、セキュリティ上の問題、ソ連・東欧関係者との接触などについて同僚から証言が得られた。

FACT|身辺再調査は最終的に「防諜上の問題なし」と評価された

その結果を理由としてエイムズのセキュリティ・クリアランスが制限されることはなかった。

FACT|1991年4月12日のポリグラフ担当者には財務疑惑の詳細が十分共有されていなかった

1990年12月5日のメモの具体的内容を前提とした特別な財務質問は行われなかった。

FACT|最初の1991年ポリグラフでは、未報告外国人接触に欺瞞反応が出た

検査はいったん未完了となり、4日後に別の検査官が再検査した。

FACT|再検査では反応が確認されず、最終的にPASS扱いとなった

ただし最初の検査官は、金銭問題のため完全には確信できないという趣旨の内部記録を残している。

FACT|KGBからポリグラフ攻略の特別訓練を受けたことは確認されていない

エイムズ本人は特別訓練を否定しており、KGBからは落ち着くよう助言された程度だったと説明している。

FACT|1991年7月、CIAは妻ロサリオの家族が経済的に安定しているとの情報を得た

ただし、その家族が54万ドルの住宅購入資金を実際にエイムズ夫妻へ渡したことまで確認した調査ではなかった。

FACT|1991年秋、CIAはエイムズの財務調査を保留した

身辺調査、ポリグラフ合格、ロサリオ家についての限定的な情報が、本人の説明をある程度裏づける材料として扱われた。

警告が消えていった流れ

時期 警告・調査 結果
1989年11月 同僚が突然の裕福さをCIAへ報告 財務調査開始
1989〜90年 54万ドル住宅、大口現金取引等を確認 説明不能な資産として問題化
1990年12月5日 住宅、ジャガー、現金取引をまとめた内部メモ 身辺再調査・ポリグラフを要求
1991年3〜4月 同僚多数への身辺調査 複数の懸念材料が出る
1991年4月12日 身辺再調査完了 防諜上の問題なしと評価
1991年4月12日 第1回ポリグラフ 外国人との未報告接触について欺瞞反応。未完了
4日後 別検査官による再検査 反応なし。PASS扱い
1991年7月 コロンビアでロサリオ家を調査 家族は経済的に安定しているとの限定的情報
1991年秋 これらを総合 エイムズ財務調査を保留

「見逃した」のではなく、「一度疑ってから外した」

この回の結論は、
ここにある。

エイムズの金は、
誰にも見えていなかったわけではない。

むしろ逆だった。

同僚が気づいた。

CIAへ報告した。

調査官が調べた。

54万ドル住宅を確認した。

現金取引を確認した。

内部メモを作った。

ポリグラフまで行った。

それでも、

エイムズを「モグラ」へ結びつけるところで止まった。

なぜなら、
一つ一つの警告には別の説明が存在したからである。

住宅の金は妻の家族かもしれない。

ジャガーは一部を借金で買っている。

ポリグラフは最終的に合格した。

身辺調査も防諜上の問題なし。

妻の家族もある程度裕福らしい。

個別に見ると、
完全に否定できない説明だった。

しかし、
それらを、

1985年のソ連外交官との接触。

その直後の現金入金。

失われた情報源へのアクセス。

急激な資産増加。

という一つの時系列へ置くと、
意味は変わる。

その作業が本格的に行われるのは、
1992年から1993年だった。

次回|「疑わしい金」は、いつ「捜査対象の金」に変わったのか

1991年秋。

エイムズへの財務調査はいったん止まった。

だが、モグラ捜査そのものが終わったわけではない。

1992年になると、
CIAとFBIの捜査官は、
エイムズとソ連外交官チュヴァーヒンの接触記録を詳しく調べ始める。

そしてFBIワシントン支局に残された記録と、
銀行口座の取引を突き合わせる。

そこで見えてきたのは、

ソ連側との接触の直後に、大口現金が銀行へ入っているというパターン

だった。

「妻の家族からもらった金かもしれない」

という説明だけでは、
次第に処理できなくなっていく。

1993年5月。

FBIはついに、
アルドリッチ・エイムズを対象とする本格的なスパイ捜査を開始する。

次回は、
分析と内部調査だったモグラ捜査が、

監視、FISA、秘密捜索を伴うFBIの本格捜査へ変わるまで

を追う。

前の記事:

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次の記事:

第7回|FBIはなぜエイムズへ本格捜査を向けたのか|1993年、資金分析からFISA監視へ →

CASE FILE 34|アルドリッチ・エイムズ事件 全10回


  1. 第1回|アルドリッチ・エイムズ事件とは?|CIA内部の「モグラ」はどう特定され、逮捕されたのか

  2. 第2回|アルドリッチ・エイムズはなぜKGBへ接触したのか|1985年4月、CIA職員がソ連大使館を訪れた日

  3. 第3回|エイムズは何をKGBへ渡したのか|CIA・FBI情報源の喪失と1985〜86年の異常

  4. 第4回|なぜ最初のモグラ捜査はエイムズへ届かなかったのか|1986〜1990年、CIAとFBIの迷走

  5. 第5回|CIAとFBIはどう容疑者を絞ったのか|1991年、198人から29人へ進んだ合同防諜捜査
  6. 第6回|なぜ「説明できない資産」は見逃されたのか|現金購入の住宅、ジャガー、ポリグラフ検査【現在の記事】

  7. 第7回|FBIはなぜエイムズへ本格捜査を向けたのか|1993年、資金分析からFISA監視へ

  8. 第8回|郵便受けのチョーク印は何を意味したのか|SMILE信号地点、住宅捜索、ボゴタ会談

  9. 第9回|アルドリッチ・エイムズはどう逮捕されたのか|1994年2月21日から有罪答弁・終身刑まで

  10. 第10回|アルドリッチ・エイムズ事件は米国防諜体制をどう変えたのか|制度改革と2026年の死去

出典・参考資料

  • U.S. Senate Select Committee on Intelligence,
    An Assessment of the Aldrich H. Ames Espionage Case and Its Implications for U.S. Intelligence,
    S. Prt. 103-90, 1994.
  • Central Intelligence Agency, Office of Inspector General,
    Unclassified Abstract of the Aldrich H. Ames Investigation.
  • U.S. Department of Justice, Office of the Inspector General,
    A Review of the FBI’s Performance in Uncovering the Espionage Activities of Aldrich Hazen Ames,
    1997.
  • Federal Bureau of Investigation,
    Aldrich Ames.

資料について:
本記事では、1989〜1991年のエイムズ財務調査、身辺再調査、ポリグラフ検査について、1994年米上院情報特別委員会報告とCIA Inspector General調査を中心に再構成した。CIAはエイムズの54万ドル住宅や生活水準を把握していなかったのではなく、1989年から疑い、1990年12月には住宅、ジャガー、大口現金取引等をまとめた内部メモを作成していた。一方、1991年のポリグラフはエイムズを警戒させないため通常の定期検査として実施され、財務疑惑の詳細が検査官へ十分共有されなかった。また、最初の検査では外国人との未報告接触について欺瞞反応が示されたが、4日後の別検査官による再検査では反応が確認されず、最終的に合格扱いとなった。「KGBの特殊訓練でポリグラフを破った」とする説明は公式資料では確認されていないため採用していない。妻ロサリオの家族について1991年に得られた情報も、家族が一定の経済力を持つことを示したものであり、54万ドルの住宅資金が実際に家族から提供されたことを確認したものではない。