1992年8月。
CIAとFBIの合同防諜チームは、
アルドリッチ・エイムズの銀行記録を調べていた。
そこで見つかったのは、
単なる「生活水準の高さ」ではなかった。
1985年以降、
エイムズの口座には、
給与では説明できない巨額の資金が流れ込んでいた。
さらに調査すると、
約100万ドルに及ぶ送金と、
50万ドルを超える現金入金が確認されていく。
問題は金額だけではない。
捜査官が入金日を、
1985〜86年にエイムズが接触していたソ連外交官セルゲイ・チュヴァーヒンとの面会記録へ重ねると、
複数の入金が、ソ連側との接触時期と対応していた。
第6回まで、
54万ドルの住宅も、
ジャガーも、
巨額の支出も、
「妻の家族から得た金かもしれない」
という説明を完全には排除できなかった。
しかし今度は違った。
金と、
ソ連側との接触が、
同じ時系列上に現れ始めた。
1993年。
長く続いた分析中心のモグラ捜査は、
ついにFBIによる特定人物への本格的な防諜捜査へ変わる。
前回|CIAは「豪邸」を見逃していたわけではなかった
第6回では、
エイムズの説明できない資産についてCIAが何を把握していたのかを追った。
1989年には同僚が突然の裕福さを通報。
54万ドルの住宅。
住宅ローンなし。
大口現金取引。
約4万9,000ドルのジャガー。
CIAはこれらを調べ、
1990年12月には内部メモまで作成していた。
1991年には身辺再調査とポリグラフも実施した。
しかし、
妻ロサリオの家族が一定の経済力を持つという情報と、
ポリグラフの最終的な合格判定などから、
財務調査はいったん勢いを失った。
← 第6回|なぜ「説明できない資産」は見逃されたのか|現金購入の住宅、ジャガー、ポリグラフ検査
1992年春|29人の中から、エイムズだけが財務調査対象になった
状況が再び動いたのは1992年春だった。
CIAとFBIの合同ユニットは、
前年に選んだ29人の優先対象について調査を続けていた。
その中で、
エイムズについて残っていた問題がある。
金の出所が、結局説明できていない。
CIAのCounterintelligence Center幹部は、
1989年から続いていたエイムズ財務調査を完了させるよう指示した。
注目すべきなのは、
29人の中で本格的な財務調査の対象にされたのが、
エイムズだけだったこと。
他の候補には、
エイムズほど明確な「説明できない裕福さ」が確認されていなかったためである。
今度は「家が高い」ではなく、金融機関の記録を見る
それまでの財務調査には限界があった。
不動産記録。
大口現金取引の報告。
信用組合。
周囲からの聞き取り。
こうした情報は確認されていた。
しかし、
エイムズが利用している銀行やクレジットカード会社の取引履歴を、
体系的に集めてはいなかった。
1992年、
CIAとFBIはこの方法を変える。
CIAが法令上の権限を使い、
エイムズが口座を持つことが分かっている銀行や、
クレジットカード会社へ記録を請求することになった。
ここから、
「生活水準を見る調査」ではなく、
「金がいつ、どこから入って、どこへ動いたのかを見る調査」
へ変わっていく。
1992年6月|月2万〜3万ドルのクレジットカード利用
1992年6月。
クレジットカード会社から回答が届いた。
記録によると、
エイムズ夫妻は多い月には、
2万〜3万ドル
をカードで利用していた。
CIA職員の給与水準と比べれば、
極めて大きい。
カード記録からは、
さらに海外旅行も確認された。
その一部について、
CIAへ必要な報告をしていなかったことも判明した。
住宅だけではない。
生活全体に、
給与との大きな不整合が存在していた。
1992年8月|銀行から「数十万ドルが入っている」と回答が来る
さらに決定的な情報は8月に届いた。
金融機関からの回答で、
1985年以降、
数十万ドル規模の資金がエイムズの口座へ入金されていた
ことが判明した。
しかも、
大きな金額が送金によって入っている。
送金元は、
その時点では分からなかった。
CIAは金融機関へ、
さらに詳しい情報を求めた。
調査すると、約100万ドル+50万ドル超の現金が見えてきた
その後、
1985年以降の複数口座を詳しく調べると、
規模はさらに大きくなった。
公式調査によれば、
エイムズの口座を通過した資金には、
約100万ドルの送金
に加えて、
50万ドルを超える現金入金
があった。
いずれも、
CIAから受け取る給与では説明できない。
ここまで来ると、
「少し裕福」
という問題ではなくなる。
しかし巨額の金だけなら、まだ別の説明はできた
それでも、
金額だけでスパイ行為を証明できるわけではない。
例えば、
妻の家族からの資金。
合法的な海外投資。
申告されていない副収入。
犯罪による収入。
エイムズがKGBとは無関係の違法行為に関与している可能性さえ、
理屈の上では残る。
実際、CIA Inspector Generalの後の検証では、
この段階までなら、
ロサリオ側の家族財産や、
コロンビアに関連した違法な取引など、
複数の説明を完全には排除できなかったとされている。
必要なのは、
その金をKGBへつなぐもの
だった。
そこで、1985年のソ連外交官との接触記録を重ねた
捜査側には、
すでに別の資料があった。
FBIワシントン支局に残っていた、
エイムズとソ連外交官セルゲイ・チュヴァーヒンの接触記録である。
第2回で扱ったように、
チュヴァーヒンは、
エイムズがKGBとの秘密関係を始める際に利用した接触相手だった。
CIA側の記録だけでは、
1985〜86年の接触は十分報告されていない。
ところがFBI側には、
より詳しい接触記録が残っていた。
そこで捜査官は、
銀行口座への入金日
と、
チュヴァーヒンとの接触日
を並べた。
金と接触が、同じ時期に並んだ
結果は重要だった。
合同ユニットは、
複数の銀行入金を、エイムズとチュヴァーヒンの接触時期へ直接対応させることができた。
これは、
それまでの財務情報とは証拠としての意味が違った。
54万ドルの家を持っている。
それだけなら、
妻の家族からもらった金かもしれない。
しかし、
ソ連外交官と会う。
その時期に大口資金が入る。
また会う。
また金が動く。
そうした対応が複数確認される。
すると、
「説明できない金」から「ソ連側との関係を疑わせる金」へ意味が変わる。
1992年8月|合同チームは「見つけた」と考え始める
米上院情報特別委員会の後の検証では、
1992年8月、
銀行入金と1985年のソ連大使館での接触が対応した時点で、
合同捜査班は「自分たちが探している人物を見つけたのではないか」と考え始めていた
と整理されている。
1991年の時点では、
29人の候補の一人だった。
1992年夏には、
状況が大きく変わる。
情報へのアクセス。
説明できない巨額資産。
未報告のソ連外交官接触。
銀行入金との時期的一致。
複数の独立した情報が、
一人の人物へ集まり始めた。
1992年10月|スイスのCredit Suisse口座
10月。
さらに大きな材料が出る。
エイムズへの送金の多くが、
スイス・チューリヒのCredit Suisseにあるエイムズ名義の口座
に関係していることが分かった。
米上院報告では、
この情報を得た頃には合同ユニットは、
エイムズが探していたスパイであることについて、かなり確信を持っていた
とされている。
もちろん、
他の候補が完全に消えたわけではない。
しかし、
198人から29人へ進んだモグラ捜査は、
ここで事実上一人へ収束し始める。
それでもFBIの本格捜査は、すぐには始まらなかった
ここに、
エイムズ事件で再び問題となる遅れがある。
1992年8月には、
金とソ連外交官との接触が結びついた。
10月には、
スイス口座まで判明した。
しかし、
この重要情報がFBI本部へ正式に報告されるのは1993年1月まで待つことになった。
合同ユニットにはFBI職員も参加していた。
それでも、
FBI本部へ正式に、
「エイムズについて本格防諜捜査を開始すべきだ」
という形では上がらなかった。
なぜ待ったのか
合同ユニットは、
エイムズだけを調べていたわけではなかった。
1985〜86年の情報源喪失全体を分析し、
他の候補も検討し、
KGBによる欺瞞も整理していた。
チームは、
調査全体をまとめる最終報告書の完成を進めていた。
そして、
報告書を完成させてからFBIの本格捜査へ移す
という流れになった。
後の司法省Inspector Generalは、
この判断を厳しく批判している。
エイムズに関する個別情報は、
すでに本格捜査を検討するだけの重要性を持っていた。
事件全体の分析報告が完成するまで、
待つ必要はなかったという評価である。
司法省OIGは「1992年8月には compelling evidence があった」と評価した
1997年に米司法省Inspector Generalが公表した検証では、
さらに踏み込んだ評価がされている。
合同チームは1992年8月までに、
エイムズを示す強い状況証拠を集めていた
とされた。
CIAとFBIの管理職の一部は、
エイムズが有力なモグラ候補であることも認識していた。
それにもかかわらず、
誰もFBIの正式捜査開始を求める書面を提出しなかった。
司法省OIGは、
この遅れもエイムズ事件の捜査上の問題としている。
1993年1月|ようやくFBIへ本格的な説明が始まる
1993年1月。
合同ユニットは、
FBIや関係当局の幹部に対して、
それまでの成果を説明し始めた。
捜査をCIA・FBI合同分析チームから、
FBIの実働捜査班へ引き渡す準備も進む。
そして3月。
長年の分析結果をまとめた最終報告書が完成する。
PLAYACTOR / SKYLIGHT報告書
1993年3月15日。
合同ユニットは、
PLAYACTOR / SKYLIGHT
と呼ばれる最終報告をまとめた。
この報告書は、
エイムズ個人について集めた財務情報を詳しく列挙するものではなかった。
中心は、
1985〜86年の情報源喪失を分析し、
何が起きたのかを推定することだった。
報告書の結論は、
かなり具体的だった。
CIA内部にKGBの侵入者がいたことは、
ほぼ確実。
その人物は1985年頃、
CIA本部に勤務していた。
ソ連関係作戦へ極めて広くアクセスできた。
ソ連・東欧部門、
または限られた防諜関係ポストにいた可能性が高い。
その条件に合う約40人のアクセスリストに、
アルドリッチ・エイムズが入っていた。
3月、FBIは専用の捜査チームを編成する
合同ユニットの成果を受け、
FBIは1993年3月、
新しい捜査チームを編成した。
まず担当者が、
これまで集められてきた膨大な資料を読み込む。
1985〜86年の損失。
エイムズのアクセス。
銀行口座。
ソ連外交官との接触。
スイス口座。
CIA内部記録。
ここから、
FBIによる集中的な防諜捜査へ移っていく。
FBI公式史では「1993年5月に捜査開始」
FBIの公式事件史は、
分析結果とエイムズの説明できない富に関する情報を受け、FBIは1993年5月に捜査を開始した
と整理している。
一方、
上院報告では3月にFBIが捜査チームを編成し、
その後集中的な捜査へ移った経緯が記録されている。
したがって本シリーズでは、
「1993年3月に専用チームを編成し、5月にはFBIの本格的な対エイムズ捜査が始まった」
と整理する。
ここから、捜査に使える手段が変わった
CIA内部の行政的・防諜的な調査と、
FBIの本格防諜捜査では、
使える手段が違う。
FBIがエイムズを特定対象として本格捜査する段階へ入ると、
司法省のガイドラインと法令に基づき、
より強力な捜査手法を申請できるようになった。
その一つが、
FISA――Foreign Intelligence Surveillance Act
に基づく監視だった。
FISA Courtが電子監視を認める
Foreign Intelligence Surveillance Court――
外国情報監視裁判所は、
エイムズの
自宅と職場に対する電子監視
を認める命令を出した。
ここからFBIは、
エイムズの通信と行動を、
従来よりはるかに直接的に追えるようになる。
単に過去の記録から、
「1985年に何をしていたのか」
を推測する捜査ではない。
「今もロシア側と接触しているのか」
をリアルタイムに近い形で確認する捜査へ変わった。
郵便物の外形情報も追跡された
FBIが利用した手法の一つに、
mail cover
がある。
これは郵便物の中身を読むこととは異なる。
封筒の外側から確認できる、
差出人。
宛先。
消印。
その他の外形情報。
こうした情報を記録し、
通信関係を分析する方法である。
車にも追跡装置が付けられた
さらにエイムズの車両には、
秘密裏に移動を追跡するための装置が設置された。
FBIは、
自宅からどこへ向かうのか。
どこで停車するのか。
不自然な場所を通るのか。
ロシア側との秘密連絡地点へ近づくのか。
物理的な行動パターンまで記録していく。
物理監視も始まった
FBI公式史によれば、
エイムズ逮捕までの約10か月、
集中的な物理監視と電子監視
が続けられた。
ここまで来ると、
第4回までの「原因を分析するモグラ捜査」とは別物である。
捜査官は、
一人のCIA職員の
家。
車。
電話。
職場。
郵便。
移動。
を複数の方法で追う。
目的は、
現在進行中のロシア側との秘密関係を証明すること。
1993年6月25日|CIAの職場を秘密裏に調べる
6月25日。
FBIはCIAにあるエイムズの執務場所を捜索した。
そこで見つかったのは、
約144点の機密文書だった。
その多くは、
エイムズが当時担当していた正式な職務とは直接関係しないものだった。
もちろん、
「職場に機密文書を持っていた」
だけでスパイ行為の証明にはならない。
CIA職員なのだから、
機密文書を扱うこと自体は仕事の一部である。
問題は、
なぜ現在の職務に必要のない大量の文書が、自分の作業場所に保管されていたのか。
という点だった。
1993年半ば、財務分析もほぼ完成する
同じ頃、
エイムズ夫妻の財務分析も進んでいた。
公式調査によれば、
給与その他の既知の合法的収入では説明できない所得は、
最終的に
約132万6,310ドル
に達すると分析された。
1989年に見つかった54万ドルの住宅は、
巨大な資金流入の一部分にすぎなかった。
疑いは、
もはや一つの豪邸だけに依存していない。
この時点でFBIに必要だったのは「現在のスパイ活動の証拠」
1993年夏までに、
状況証拠は非常に強くなっていた。
エイムズには、
1985〜86年の失われた情報への広いアクセスがある。
ソ連外交官との未報告接触がある。
接触時期と巨額入金が対応している。
スイス口座がある。
給与では説明できない100万ドルを超える資金がある。
職場には、
現在の仕事と関係しない大量の機密文書がある。
ただし、
逮捕へ進むには、
さらに強い証拠を積み重ねる価値があった。
特に重要なのは、
エイムズが1993年現在もロシア情報機関と秘密に連絡を取っていることを確認すること。
そのためFBIは、
監視を続けた。
なぜ1992年ではなく、1993年までかかったのか
事件後の公式調査では、
この点にも厳しい評価が出ている。
上院情報特別委員会は、
1992年10月までには、エイムズがソ連側のエージェントとして活動していると合理的に疑うだけの十分な情報があった
と評価した。
それでもFBIの集中的捜査へ移るまで、
約6か月を要した。
理由の一つは、
合同ユニットが、
エイムズだけを追う個別捜査と、
1985〜86年の損失原因全体を説明する分析作業を、
同時に抱えていたことだった。
最終報告書を完成させることが、
個別捜査開始より優先される形になった。
「証拠がなかった」のではない
ここまでのCASE34では、
同じ構造が何度か現れている。
1989年。
説明できない裕福さが見えた。
しかし財務調査が進まなかった。
1991年。
29人に絞られ、
エイムズは上位候補だった。
しかしポリグラフや妻側家族の情報で疑いが弱まった。
1992年。
銀行記録とソ連外交官との接触がつながった。
スイス口座も分かった。
それでも正式なFBI本格捜査は、
すぐには始まらなかった。
つまり、
エイムズ事件では「情報が存在しなかった期間」より、「存在した情報が次の捜査段階へ移されるまでの遅れ」が何度も起きている。
これが単なる一人のスパイ事件ではなく、
SYSTEMとして読む必要がある理由でもある。
しかしFBIが本格的に動いてから、捜査速度は大きく変わった
一方、
1993年にFBIが持つ捜査手段を全面的に投入すると、
状況は急速に変化する。
電子監視。
物理監視。
郵便外形情報。
車両追跡。
秘密捜索。
財務分析。
これらを同じ対象へ集中させる。
すると、
数か月のうちに、
過去8年間には得られなかった種類の証拠が次々と集まり始めた。
FACT CHECK|1992〜93年、何がFBI本格捜査へつながったのか
FACT|1992年春、29人の中でエイムズだけが本格財務調査対象になった
それ以前から説明できない裕福さが具体的に問題化していたためだった。
FACT|1992年6月、月2万〜3万ドルに達するクレジットカード利用が判明した
記録から、CIAへ報告されていない海外旅行も確認された。
FACT|1992年8月、1985年以降に数十万ドル規模の入金があったことが判明した
その後の分析では、約100万ドルの送金と50万ドルを超える現金入金が確認された。
FACT|捜査官は複数の入金を、エイムズとチュヴァーヒンの接触時期へ対応させた
これによって、説明不能な富とソ連側との関係が初めて具体的に結びついた。
FACT|1992年10月、Credit Suisseのスイス口座が判明した
この段階で合同ユニットは、エイムズが探していたスパイであることについて強い確信を持つようになった。
FACT|重要情報がFBI本部へ正式に伝えられるのは1993年1月まで遅れた
上院と司法省Inspector Generalはいずれも、この遅れを問題視している。
FACT|1993年3月15日、PLAYACTOR / SKYLIGHT報告書が完成した
1985〜86年の損失について、CIA内部にKGBの侵入者がいたことをほぼ確実と評価した。
FACT|FBIは1993年3月に専用チームを編成し、5月には本格的な対エイムズ捜査を開始した
FBI公式事件史は捜査開始を1993年5月と整理している。
FACT|FISA Courtはエイムズの自宅・職場への電子監視を認めた
FBIは電子監視に加え、物理監視、mail cover、車両追跡装置などを利用した。
FACT|1993年6月25日、FBIはCIAにあるエイムズの職場を捜索した
約144点の機密文書が見つかり、その多くは当時の正式業務とは直接関係していなかった。
FACT|1993年半ばまでの財務分析では、既知の合法的収入で説明できない約132万6,310ドルが確認された
54万ドルの住宅だけではなく、長期間にわたる巨額の資金流入として把握されるようになった。
1992〜93年|分析から監視へ
| 時期 | 捜査の進展 |
|---|---|
| 1992年春 | 29人の優先対象の中からエイムズの財務調査を本格化。 |
| 1992年6月 | 月2万〜3万ドルのカード利用、未報告海外旅行などが判明。 |
| 1992年8月 | 数十万ドル規模の銀行入金が判明。 |
| 1992年8月以降 | 巨額入金とチュヴァーヒンとの接触時期を対応させる。 |
| 1992年10月 | Credit Suisseのスイス口座を確認。合同チームの疑いが大きく強まる。 |
| 1993年1月 | 合同ユニットがFBI幹部等への本格的な説明を開始。 |
| 1993年3月15日 | PLAYACTOR / SKYLIGHT最終報告。 |
| 1993年3月 | FBIが専用の捜査チームを編成。 |
| 1993年5月 | FBI公式史上、本格的なエイムズ捜査開始。 |
| 1993年中 | FISA電子監視、物理監視、mail cover、車両追跡等を実施。 |
| 1993年6月25日 | CIA内のエイムズ執務場所を捜索。約144点の機密文書を確認。 |
8年間探していた「モグラ」は、ようやく一人の監視対象になった
1985年。
CIAの情報源が消え始めた。
1986年。
原因分析が始まった。
1991年。
198人。
そこから29人。
1992年。
29人の中から、
エイムズの財務記録を掘る。
そして、
ソ連外交官との接触。
銀行入金。
スイス口座。
説明不能な100万ドルを超える資金。
これらが重なった。
1993年。
FBIはようやく、
「CIA内部に誰かいる」ではなく、「アルドリッチ・エイムズを追う」
捜査へ移った。
ここからは速い。
そして秋、
FBIはエイムズの自宅周辺と行動記録から、
さらに直接的な証拠へ近づく。
次回|郵便受けに現れた一本のチョーク印
1993年9月。
エイムズ宅のゴミから、
破られた手書きメモが見つかった。
そこには、
コロンビアのボゴタで行われる秘密会合を示すとみられる情報があった。
10月。
FBIはエイムズ宅を秘密裏に捜索する。
パソコンには、
ロシア側との通信方法。
支払い。
CIAの秘密作戦。
そして、
ワシントンD.C.のある郵便受けを
「信号地点」
として示す記録が残っていた。
10月13日朝。
その郵便受けに、
一本のチョーク印が現れる。
翌11月、
エイムズはボゴタへ向かった。
次回は、
数年間の分析によって作られた疑いが、
実際の秘密通信とロシア側との接触を示す証拠へ変わっていく1993年秋
を追う。
CASE FILE 34|アルドリッチ・エイムズ事件 全10回
- 第1回|アルドリッチ・エイムズ事件とは?|CIA内部の「モグラ」はどう特定され、逮捕されたのか
- 第2回|アルドリッチ・エイムズはなぜKGBへ接触したのか|1985年4月、CIA職員がソ連大使館を訪れた日
- 第3回|エイムズは何をKGBへ渡したのか|CIA・FBI情報源の喪失と1985〜86年の異常
- 第4回|なぜ最初のモグラ捜査はエイムズへ届かなかったのか|1986〜1990年、CIAとFBIの迷走
- 第5回|CIAとFBIはどう容疑者を絞ったのか|1991年、198人から29人へ進んだ合同防諜捜査
- 第6回|なぜ「説明できない資産」は見逃されたのか|現金購入の住宅、ジャガー、ポリグラフ検査
- 第7回|FBIはなぜエイムズへ本格捜査を向けたのか|1993年、資金分析からFISA監視へ【現在の記事】
- 第8回|郵便受けのチョーク印は何を意味したのか|SMILE信号地点、住宅捜索、ボゴタ会談
- 第9回|アルドリッチ・エイムズはどう逮捕されたのか|1994年2月21日から有罪答弁・終身刑まで
- 第10回|アルドリッチ・エイムズ事件は米国防諜体制をどう変えたのか|制度改革と2026年の死去
出典・参考資料
-
U.S. Senate Select Committee on Intelligence,
An Assessment of the Aldrich H. Ames Espionage Case and Its Implications for U.S. Intelligence,
S. Prt. 103-90, 1994. -
U.S. Department of Justice, Office of the Inspector General,
A Review of the FBI’s Performance in Uncovering the Espionage Activities of Aldrich Hazen Ames,
1997. -
Federal Bureau of Investigation,
Aldrich Ames. -
CIA Office of Inspector General,
Unclassified Abstract of the Aldrich H. Ames Investigation.
資料について:
本記事では、1992年の財務調査から1993年のFBI本格捜査開始までを、1994年米上院情報特別委員会報告、1997年米司法省Inspector General報告、FBI公式事件史を中心に再構成した。1992年夏には銀行入金とエイムズのソ連外交官セルゲイ・チュヴァーヒンとの接触時期が対応し、同年10月にはスイスのCredit Suisse口座が確認された。上院報告と司法省OIGはいずれも、この段階でエイムズへの疑いを本格捜査へ移すだけの重要情報が存在したと評価している。一方、FBI公式事件史は捜査開始を1993年5月と記載し、上院報告は3月にFBI捜査チームが編成された経緯を記録しているため、本記事では「3月に専用チーム編成、5月に本格捜査開始」と整理した。FISAに基づく電子監視については、外国情報監視裁判所がエイムズの自宅・職場への監視を認めたことを公式資料で確認した。次回扱う1993年9〜11月のゴミ捜索、住宅捜索、チョーク印、ボゴタ接触については、本記事では予告に留めた。