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九龍城寨の水・電気・排水・衛生はどう成り立っていたのか?非公式都市インフラの実態

九龍城寨の給水、井戸、電力、電話、ゴミ・し尿回収、衛生対応、消防の関係を示す概念図。
REAL CASE FILE / SELF-DIAGRAM Site original

THE QUESTION

九龍城寨の水・電気・排水・衛生はどう成り立っていたのか? | 非公式都市インフラの実態

STORY SO FAR

前回「九龍城寨は本当に「無法地帯」だったのか?|犯罪・警察・行政介入の実像」で確認した論点を受け、この回では九龍城寨の水・電気・排水・衛生はどう成り立っていたのか? | 非公式都市インフラの実態を扱う。

九龍城寨については、「住民が勝手に電線や水道を引き、行政サービスなしで暮らしていた」という説明がよく使われる。

しかし、公文書を確認すると実態はもっと複雑である。

政府のstandpipeから水を得る人がいる。

井戸を使う人がいる。

そこから違法な接続を行う例もある。

電力や電話は各戸へ入っている。

ゴミとし尿は行政が毎日回収する。

公衆便所も維持される。

井戸は毎日塩素消毒され、害虫駆除や感染症調査も行われる。

火災が起きれば消防は消火活動を行う。

一方で、十分な舗装、排水、各戸への上水道、換気、空地、防火設備は不足していた。

つまり九龍城寨の生活インフラは、「政府が全部供給した都市」でも、「住民が完全に自給した都市」でもない。

公共サービス、民間ユーティリティ、井戸、非公式接続、違法接続が同時に存在する混合システムだった。

この混合状態が、極端な高密度の中で都市を動かしていた。

最も深刻だったのは「水」だった

人が暮らす以上、水は欠かせない。

しかし九龍城寨では、通常の香港市街のように、すべての住戸へ政府の上水道が直接引かれていたわけではない。

1970年の政府文書では、水は城寨境界の外に設置されたstandpipeから供給され、その他は井戸に頼っていたと記録されている。

さらに、多数の違法接続が存在したとも書かれている。

2024年の土地行政研究も、この構造を整理している。

城寨周辺には無料のfresh water standpipeが設けられていた。

しかし、多層建築の各戸まで政府が正式な上水を配る仕組みは欠けていた。

そのため住民は、外周の給水点、井戸、個別に引き込まれた配管など複数の手段を組み合わせて生活した。

ここで注意すべきなのは、「水道がなかった」と一言で表現しないことである。

水そのものは供給されていた。

問題は、安全な水が各住戸まで正規に届く仕組みが不十分だったことである。

standpipeは「水源」ではなく公共との接点だった

standpipeは、道路沿いなどに設けられる公共給水栓である。

九龍城寨では、城寨の周辺にこれが置かれた。

住民はそこから水を得ることができた。

しかし、高層化が進んだ九龍城寨で、毎日の生活用水を地上の公共栓から上層階まで運ぶのは大きな負担になる。

飲料水。

調理。

洗濯。

清掃。

工場や飲食店で使う水。

人口と階数が増えるほど、必要量は増える。

そこで、standpipeから内部へ水を引き込む非公式な接続や、井戸への依存が生まれる。

standpipeは政府サービスが存在した証拠であると同時に、政府サービスが各戸まで届いていなかったことの証拠でもある。

九龍城寨のインフラを理解するには、この二面性を見る必要がある。

井戸は重要だったが、安全性に問題があった

城寨内部では井戸も利用された。

1970年の政府文書は、Urban Services Departmentが井戸を毎日塩素消毒していたと記録している。[3]

これは非常に重要な事実である。

もし九龍城寨が完全に行政の外にあったなら、政府部門が毎日井戸へ介入する必要はない。

実際には行政は、感染症や水質リスクを抑えるため、最低限の衛生管理を続けていた。

一方で、近年の研究が引用する1960年代の行政資料では、城寨の高層建築で使われる井戸水の汚染が問題視されていた。

Medical and Health DepartmentとUrban Services Departmentは、より安全な水供給の必要性を認識していた。

それでも政府は、多層建築の各戸へ全面的な上水供給を行う政策には進まなかった。

ここには政治的な事情があった。

九龍城寨を通常の正式市街地のように扱うことが、中国側の主権主張との関係で問題になる可能性があったからである。

水道は単なる技術問題ではなかった。

管轄と政治が、住民の蛇口にまで影響していた。

「水がない」のではなく、運び方と安全性に格差があった

九龍城寨の水問題を、単純に「水道がなかった」と言ってしまうと実態を見誤る。

外周のstandpipeから安全な水を得られる。

井戸もある。

非公式配管もある。

住民や事業者が個別に水を確保する。

つまり、水へのアクセス自体は存在していた。

しかし、どの階に住むか、どの建物にいるか、どの設備を使えるかによって負担と安全性が変わる。

低層階なら水を運びやすい。

高層階では大きな負担になる。

井戸水は近いが、水質リスクがある。

非公式接続は便利だが、正規設備と同じ維持管理が保証されない。

九龍城寨の水問題は、供給の有無よりも、供給方法が不均一だったことにある。

これは他のインフラにも共通する。

電気は「なかった」のではなく、正規と非正規が混在した

九龍城寨の写真では、膨大な電線が建物の外壁や内部通路を走っている。

その印象から、「電気もすべて盗電だった」と思われることがある。

しかし、2024年の研究は、城寨の住民がdoor-to-doorの電力供給と電話接続を利用していたと整理している。

つまり、電力会社など正規のユーティリティとの接続が存在した。

一方で、1975年の行政資料では、水の違法接続と同様に、電気が違法にtappedされる例もあると記録されている。

ここでも二つが同時に存在する。

正規の電力供給。

そこから派生する非公式・違法接続。

九龍城寨の電力は、完全な闇の中で住民が独自発電していたわけではない。

香港の電力網と接続されていた。

しかし、建物の増築や複雑な所有関係に合わせて、正式な配線だけでは処理できない接続が増えた。

結果として、外から見ると大量のケーブルが縦横に走る独特の景観が生まれた。

電気の存在は、日常生活と産業を支えた

電気は照明だけの問題ではない。

九龍城寨には工場、飲食店、診療所、住居があった。

製麺機。

縫製機械。

冷蔵設備。

照明。

テレビ。

ラジオ。

扇風機。

その他の電気機器。

これらを動かすには安定した電源が必要になる。

九龍城寨が高密度な生産・生活空間として成立した背景には、香港の電力インフラへ接続されていたことがある。

「無法地帯だからインフラも自給自足だった」というイメージでは、この産業活動は説明しにくい。

むしろ、香港全体のインフラに接続しながら、その内部配線の一部が非公式化していたと考えた方が実態に近い。

ここでも、公式と非公式は分離して存在しているのではなく、途中で接続している。

電話まで各戸へ入っていた

2024年研究が整理する1970年代の状況では、電話もdoor-to-doorで利用できた。[3]

この点も、城寨が外部社会から隔絶された場所ではなかったことを示す。

電話が使えるということは、商売や家族連絡、注文、診療予約などで外部との接続を維持できる。

工場が外部顧客と取引する。

診療所へ患者が連絡する。

住民が家族や職場と連絡する。

高密度な街区内部にいても、情報の流れは香港社会とつながっていた。

九龍城寨は建築上は閉じた巨大塊のように見える。

しかし、電力と電話のネットワークでは周囲の都市へ組み込まれていた。

排水は、水供給以上に見えにくい問題だった

水は蛇口や井戸として目に見える。

排水はもっと見えにくい。

しかし高密度都市では、使った水をどう外へ出すかが同じくらい重要になる。

1970年の政府文書は、九龍城寨に「proper paved surfaces, drainage, piped water supply, ventilation and open space」が欠けていると明記している。

つまり行政側も、排水設備の不足を公衆衛生上の問題として認識していた。

ただし、ここから「城寨に排水設備がまったく存在しなかった」と断定することはできない。

建物や路地ごとに個別の排水経路は存在した。

問題は、通常の都市計画に基づく十分な排水システムとして整備されていなかったことにある。

高密度化すれば、生活排水も増える。

飲食店や食品工場が増えれば、排水負荷も増える。

舗装や排水勾配が不十分なら、路地へ水が残りやすくなる。

写真で見られる濡れた床や暗い通路は、単なる雰囲気ではない。

都市インフラの不足が生活空間へ直接現れた結果でもある。

「し尿回収」は近代都市では見えにくい重要サービスだった

1970年の政府文書には、Urban Services Departmentが毎日refuseとnightsoilを回収していたと記録されている。[3]

nightsoilとは、人の排泄物を指す。

現代の下水道が整った都市では、排泄物は水洗トイレから下水管へ流れるため、日常生活で回収作業を意識することはほとんどない。

しかし、下水設備が不十分な高密度地区では、し尿を物理的に回収する作業が公衆衛生の基盤になる。

九龍城寨では行政がこの回収を行っていた。

これは「政府サービスがなかった」というイメージと大きく矛盾する。

一方で、毎日回収が必要だったこと自体が、通常の下水設備が十分ではなかったことを示している。

行政サービスの存在と、インフラ不足は同時に成立する。

ゴミも毎日回収されていた

refuse、つまり生活ゴミも毎日回収されていた。

数万人規模の人口。

多数の工場。

飲食店。

商店。

診療所。

これらがある都市では、大量の廃棄物が発生する。

もし回収がなければ、狭い通路や建物内部へゴミが蓄積し、公衆衛生上の危険は急速に増える。

行政が毎日回収していたことは、政府が城寨を「完全に放置」していなかったことを示す具体例である。

ただし、回収サービスがあるから衛生状態が良かったという意味ではない。

狭い路地。

高密度な事業所。

害虫。

排水不足。

換気不足。

大量の生活廃棄物。

こうした条件の中では、回収だけで問題を解消することはできない。

1975年の行政方針が、衛生や水供給の改善を「limited scale」に留める一方、根本解決には中国とのより緊密な合意が必要だと考えていたことは、この限界を示している。

公衆便所も行政サービスの一部だった

Urban Services Departmentは、公衆便所の維持も行っていた。

2024年研究では、城寨内にもpublic latrineがあり、周辺にはさらに多く存在したと整理されている。

これも重要である。

住民すべての住戸に十分な衛生設備があるとは限らない。

そのため公衆便所が生活インフラとして必要になる。

高密度都市の衛生を支えるのは、目立つ大規模施設だけではない。

公衆便所。

ゴミ回収。

し尿回収。

井戸消毒。

こうした地味なサービスの積み重ねである。

九龍城寨の都市機能は、正式な上下水道だけで評価すると見えにくい。

害虫対策と感染症調査も行われていた

1970年の政府文書には、Urban Services Departmentによるpest controlとinfectious disease investigationも記録されている。

さらに住民は予防接種キャンペーンなどの衛生活動に概して協力的だったとされる。

ここから分かるのは、行政側が九龍城寨を公衆衛生の対象から除外していなかったことである。

むしろ、高密度で上下水道が不十分だからこそ、感染症リスクを強く意識していた。

井戸を毎日塩素消毒する。

害虫を駆除する。

感染症が出れば調査する。

必要に応じて予防接種を行う。

これは、完全な都市インフラを作れない状況で、健康被害を抑えるための「最低限の防御線」だった。

2024年の研究が、これをsite and service型の行政として評価しているのはこのためである。

「site and service」とは何だったのか

2024年の土地行政研究は、九龍城寨に対する香港政府の対応を「site and service」として捉えている。

土地の範囲を確定する。

外側への拡大を抑える。

最低限の公共サービスを提供する。

重大な公衆衛生・安全リスクには介入する。

しかし、建築や営業を通常市街と同じように全面統制するわけではない。

これは完全な都市整備とは違う。

「最低限、都市として崩壊しないように支える」政策に近い。

九龍城寨に対して、行政は大規模な正式インフラ投資を避ける一方、病気や火災が周辺まで拡大する事態も避けなければならない。

そのため、限定的なサービスが継続された。

城寨のインフラは、この政治的妥協の上に成立していた。

消防は来た。しかし、近づけない建物があった

九龍城寨の火災対策にも同じ構造が見える。

1970年の政府文書では、消防は火災時に通常の消火活動を行うとされている。

危険物保管に関する法令も執行される。

つまり、「城寨だから消防が来ない」ということではない。

しかし問題は、消防車が建物まで近づけるかどうかだった。

文書は、アクセス道路が不足しているため、多くの建物へ消防車が接近できないと指摘している。

さらに、多層建築の多くはsub-standard constructionで、防火設備を欠いていた。

消防サービスは存在する。

だが建物と街路の構造が、その能力を制限する。

これは、サービスの有無とサービスの実効性が別問題であることを示している。

「予防消防」が弱かった

消防は火を消す。

しかし、火事を起こしにくい建物へ事前に整備することは別の行政機能である。

1970年の資料では、消防は通常の消火活動を行う一方、城寨内では予防措置を十分に行っていなかったと記録されている。

学校の安全については特に問題視されていた。

狭い通路。

階段。

工場。

可燃物。

違法増築。

不十分な防火設備。

これらが重なると、火災リスクは高くなる。

九龍城寨で消防サービスが存在したことをもって、「防火上も普通の市街地と同じだった」と考えることはできない。

火災発生後の対応はある。

しかし火災を未然に防ぐ建築規制は弱い。

この非対称性が九龍城寨の特徴だった。

インフラは年代によって変わった

九龍城寨のインフラを一枚の完成図として描くことはできない。

1950年代と1970年代では建物の高さも人口も違う。

1960年代以降に多層化が進めば、水を上階へ運ぶ問題は大きくなる。

電力需要も増える。

工場が増えれば廃棄物や排水負荷も増える。

政府サービスも時期によって変化する。

したがって、「九龍城寨では常にこの方法で水を得ていた」と断定するのは危険である。

この記事で整理しているstandpipe、井戸、違法接続、各戸電力、電話、ゴミ・し尿回収、井戸消毒などは、主に1960~70年代の政府資料と、それを分析した研究から確認できる構造である。

都市は変化していた。

インフラも、それに合わせて変化した。

「違法接続」があるからといって、全接続が違法ではない

九龍城寨の写真に大量の配管や電線が写ると、それらすべてが違法に見える。

しかし史料は、正規サービスと違法接続の両方があったことを示す。

電力は各戸へ供給されていた。

電話も接続されていた。

水は外周standpipeという正式な公共サービスが存在した。

その一方で、そこからの非公式な引き込みや、電気の違法tappingが行われる。

重要なのは、正規と違法を二つの別世界として考えないことである。

実際には、正規ネットワークの末端から非正規ネットワークが枝分かれすることがある。

九龍城寨のインフラは、この境界が特に見えやすかった。

住民だけで都市を維持したわけではない

九龍城寨を「政府なしで住民だけが作り上げた自律都市」と評価する見方がある。

建物増築や商売の柔軟性、住民間の工夫を見ると、その魅力は理解できる。

しかしインフラ史としては正確ではない。

政府はstandpipeを置く。

ゴミを回収する。

し尿を回収する。

公衆便所を維持する。

井戸を消毒する。

感染症を調査する。

消防が出動する。

警察が活動する。

電力会社や電話サービスも外部都市網と接続している。

九龍城寨の生活は、香港社会の公共・民間インフラから切り離されていない。

住民の工夫は、その上に重なっていた。

だから城寨は「完全自律都市」ではない。

むしろ、外部の都市システムへ依存しながら、内部だけ利用方法が非公式化した都市だった。

逆に「政府が普通に整備していた」とも言えない

反対方向の単純化にも注意が必要である。

行政サービスが存在したからといって、九龍城寨が通常市街と同じ水準の都市基盤を持っていたわけではない。

各戸へ正式な政府上水道が十分に入っていない。

排水が不十分。

舗装も不足。

防火設備も不足。

道路アクセスも悪い。

換気も悪い。

空地も少ない。

公文書自体が、こうした不足を問題として認識している。

政府が最低限のサービスを提供したのは、通常の都市整備が完成していたからではない。

むしろ、完成していないからこそ、疾病や災害を防ぐため限定的な介入が必要だった。

インフラの弱さは、建築密度によって増幅された

同じstandpipeでも、低層の集落と十数階の高密度街区では意味が違う。

同じゴミ回収でも、人口密度が高ければ必要量は増える。

同じ消防サービスでも、狭い通路と複雑な高層建築では到達性が変わる。

九龍城寨のインフラ問題は、設備単体ではなく建築密度との組み合わせで深刻になった。

1960年代に高層化が進むほど、水を上階へ運ぶ負担は増える。

建物内部の排水経路も複雑になる。

電線や配管も増える。

工場が増えれば電力、排水、廃棄物負荷も増える。

都市が高密度化する速度に、正式インフラ整備が追いついていない。

このズレが、九龍城寨のインフラ問題の核心だった。

高層化すると、同じサービスでも負担が急増する

九龍城寨のインフラ問題を理解するうえで、建物の高層化は重要である。

低層の建物が中心だった時期なら、地上のstandpipeから水を運ぶ負担はまだ限定的だった。

しかし十数階規模の建物が増えると、同じ給水方式でも意味が変わる。

一日に必要な水量は変わらなくても、それを上層階まで運ばなければならない。

住戸数が増えれば、同じ給水点を使う人も増える。

工場や飲食店が増えれば、生活用水以外の需要も増える。

つまり、サービスそのものが変わらなくても、都市密度が上がるだけで不足は大きくなる。

排水も同じである。

低層住宅なら個別の排水で処理できた量が、高層建築と多数の事業所が集中すると、同じ経路へ大量に流れ込む。

ゴミも増える。

し尿回収の量も増える。

消防活動でも、建物が高く複雑になるほど、同じ消防隊の能力で対応できる範囲は狭くなる。

九龍城寨では、インフラ設備そのものより、都市の成長速度がサービス能力を上回ったことが問題を深刻化させた。

「各戸供給」と「周辺供給」はまったく違う

九龍城寨の給水を説明するとき、standpipeが存在したことだけを見ると、「政府が水道を提供していた」と言える。

しかし、都市生活の質を考えるなら、どこまで水が届いていたかが重要である。

外周の公共栓まで水が来る。

そこから住民が自分で運ぶ。

または個別に配管を引く。

これは、各住戸の蛇口まで正式な上水道が届くこととは大きく違う。

行政側もこの差を認識していた。

1960年代の公文書では、多層化が進む中で、各戸への安全な水供給がないことが問題視されていた。

つまり、政府サービスの有無だけではなく、サービスの「末端」がどこにあるかを見る必要がある。

九龍城寨では、公共インフラの終点と住民生活の始点の間に空白があった。

その空白を、住民や事業者が運搬、ポンプ、非公式配管などで埋める。

この構造が、混合インフラの実態だった。

正規ネットワークの「末端」から非公式網が伸びた

電力や水の違法接続というと、正規の都市インフラとは完全に別の地下ネットワークが存在したように想像しやすい。

しかし実態はもっと単純で、同時に複雑である。

正規の供給点がある。

そこへ電力や水が届く。

その末端から、非公式な配線や配管が枝分かれする。

つまり、違法接続は都市インフラから独立しているのではなく、都市インフラに依存している。

この関係は重要である。

もし香港側の電力網や給水網が止まれば、非公式接続側も機能しない。

住民が「自力で都市インフラをゼロから作った」のではない。

既存の公共・民間ネットワークへ接続し、その末端利用を独自化したのである。

このため九龍城寨のインフラは、公式と非公式を明確な線で分けにくい。

上流は正規。

中間は共有。

末端は個別。

一部は違法。

こうした階層が同時に存在した。

誰が修理責任を持つのかが曖昧だった

非公式接続の問題は、単に許可の有無ではない。

故障したとき、誰が責任を持つのかが曖昧になる。

正規設備なら、供給会社や行政が保守範囲を持つ。

建物内部なら建物所有者が責任を負う。

しかし、複数建物をまたぐ非公式な配管や配線では、その境界が分かりにくい。

漏水。

漏電。

断線。

排水詰まり。

こうした問題が起きたとき、住民や事業者がその場で修理する必要がある。

高密度な建物では、一つの不具合が隣接住戸や通路へ影響する。

九龍城寨のインフラが「柔軟」だったという評価には、こうした保守責任の曖昧さも含まれていた。

柔軟に増設できる。

しかし、安全性や長期保守を統一的に保証する主体が弱い。

これは、非公式都市インフラの大きな特徴である。

公衆衛生は「都市内部だけ」の問題ではなかった

香港政府がゴミ回収、し尿回収、井戸消毒、感染症調査を続けた理由は、城寨住民への福祉だけではない。

感染症や衛生問題は、境界で止まらない。

人は城寨の外へ出る。

商品も外へ出る。

飲食物も流通する。

周囲には通常市街地がある。

そのため、城寨内部の衛生問題を完全に放置すれば、周辺地域へ影響する可能性がある。

行政にとって、最低限の衛生サービスを維持することは、城寨内部だけでなく香港全体の公衆衛生を守る意味も持っていた。

この点から見ても、「政治的に特殊だから完全放置した」という説明は成立しない。

政府は全面的な都市改造を避けながら、外部へ波及する重大リスクは抑えようとしていた。

それがsite and service型の介入の実務的な意味だった。

それでも都市は毎日動いていた

問題が多かった。

それでも九龍城寨では、人が暮らし、工場が動き、店が営業し、診療所が患者を受け入れていた。

電気がある。

水を得る方法がある。

ゴミが回収される。

し尿も回収される。

病気が出れば行政が調査する。

火事になれば消防が来る。

電話も使える。

この最低限の機能が途切れれば、高密度都市は長く維持できない。

九龍城寨の驚くべき点は、インフラが「なかった」ことではない。

正式・非正式・公共・民間・違法の仕組みを継ぎ合わせて、必要最低限の都市機能を成立させていたことである。

ただし、その仕組みは脆弱だった。

安全性、衛生、公平性、保守責任が明確ではない。

人口が増えるほど負荷は大きくなる。

行政自身も、それを根本解決とは考えていなかった。

1975年の政策文書が、衛生、水供給、消防の限定改善では「表面を引っかく」程度にしかならず、真の解決には中国との合意が必要だとしたのは象徴的である。

この都市インフラは、解体まで続けられる仕組みだった

九龍城寨のインフラは、理想的な都市整備ではなかった。

しかし暫定的な仕組みとしては長く機能した。

政府は大規模投資を避ける。

住民は不足分を補う。

民間ユーティリティは電力や電話を供給する。

行政は衛生と安全の最低線を維持する。

この組み合わせで、都市は存続する。

だが高密度化が進めば、その暫定性は限界へ近づく。

水。

排水。

火災。

建物安全。

衛生。

アクセス。

問題は個別に修理できても、都市全体を通常の基準へ戻すには大規模な再編が必要になる。

そして最終的に香港政府が選んだのは、城寨全体を通常市街へ段階的に改修する方法ではなかった。

1987年、撤去が決定される。

次のCASE060-07では、その決定がなぜ可能になったのか、住民・事業者への補償と再収容がどのように進められたのかを追う。

九龍城寨のインフラ問題は、単なる設備不足の話ではない。

「暫定的に維持する都市」をいつまで続けるのかという、政治と都市政策の問題でもあった。


九龍城寨の給水、井戸、電力、電話、ゴミ・し尿回収、衛生対応、消防の関係を示す概念図
九龍城寨のインフラ供給と衛生管理を示す概念図。政府・公共サービス、井戸、個別接続、非公式な供給が混在した状況を整理したもので、実際の配管・配線経路を復元した図ではない。

給水・電力・電話・廃棄物回収・衛生・消防は時期により構成が変化。正確な管路・電線経路は示していない。

FACT CHECK|出典・参考資料

  1. [1] Hong Kong in Texts, FCO40/157, “Kowloon Walled City and adjoining areas,” 1970, pp. 8–11
  2. [2] Lawrence W. C. Lai, “Kowloon Walled City: A Case of Land Administration of a Disputed Territory,” Land 13(12), 2024
  3. [3] Hong Kong Government Records Service, “Kowloon Walled City in the 1960s to 1970s.”
  4. [4] Hong Kong Government Information Services, “Report of Working Party on Electrification of Squatter Areas Published,” 10 October 1976. Hong Kong Government Records Service digital repository
  5. [5] Hong Kong Medical Journal, “Medical history of Hong Kong Part II: Healers in the maze: unravelling the myths of Kowloon Walled City practitioners,” 2026
  1. 01 九龍城寨とは何だったのか?|巨大高密度都市の成立から解体まで
  2. 02 なぜ九龍城寨は「統治の隙間」に残ったのか?|1847年の城塞から戦後香港まで
  3. 03 九龍城寨はなぜ巨大な建築群になったのか?|無秩序な増築と高密度化の構造
  4. 04 九龍城寨で人々はどう暮らしていたのか?|住居・工場・店・診療所の日常
  5. 05 九龍城寨は本当に「無法地帯」だったのか?|犯罪・警察・行政介入の実像
  6. 06 九龍城寨の水・電気・排水・衛生はどう成り立っていたのか?|非公式都市インフラの実態
  7. 07 なぜ九龍城寨は解体されたのか?|1987年の決定から補償・再収容・撤去まで
  8. 08 九龍城寨の跡地には何が残ったのか?|南門・衙門・公園と現在

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