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九龍城寨は本当に「無法地帯」だったのか?犯罪・警察・行政介入の実像

1993年の九龍城寨内部にある狭く暗い路地。
Ian Lambot / Wikimedia Commons 出典 CC BY 4.0

九龍城寨を語るとき、最も頻繁に使われる言葉が「無法地帯」である。

麻薬。

賭博。

売春。

三合会。

無許可営業。

警察すら入れない街。

こうした要素を並べれば、九龍城寨は国家の法律が完全に消え、犯罪組織だけが支配した都市だったように見える。

しかし、公文書と近年の研究を追うと、そのイメージは半分だけ正しい。

犯罪は実在した。

三合会も活動していた。

麻薬、賭博、売春などの違法産業が存在したことも否定できない。

一方で、警察も城寨へ入っていた。

逮捕も行われた。

消防や衛生部門も活動した。

1970年の香港政府文書は、九龍城寨での警察活動について「一部のライセンス法が執行されないことを除けば、他地域と同じ」と整理している。

1975年の行政記録を分析した研究には、当時の城寨が九龍警察区の他地域より犯罪が少ないという評価すら残されている。

つまり「犯罪があった」と「法がなかった」は同じではない。

九龍城寨を理解するには、三つを分けて考える必要がある。

犯罪がどれほど存在したのか。

警察や行政は何をしていたのか。

どの法律が通常どおりには執行されなかったのか。

この三つを混ぜると、「無法地帯」という一言になってしまう。

犯罪組織が活動していたこと自体は事実だった

まず、通俗イメージをすべて否定するべきではない。

九龍城寨では三合会が活動していた。

麻薬取引、賭博、売春などの違法産業が存在したことも、住民・警察・元犯罪組織関係者への聞き取りを用いた犯罪学研究で確認されている。

2021年のBritish Journal of Criminology掲載研究は、元警察官、三合会関係者、住民への口述記録を通じて、城寨を違法経済と腐敗が絡み合う空間として描いている。

2017年の文化記憶研究でも、住民や警察へのインタビューから、犯罪と腐敗が城寨の社会環境の重要な一部だったことが確認されている。

この事実を「無法地帯は神話だから」と消してしまうのは間違いである。

犯罪の存在は神話ではない。

問題は、それを城寨全体の唯一の特徴として扱うことにある。

住宅がある。

工場がある。

学校がある。

診療所がある。

普通の家庭がある。

その一方で、違法産業も存在する。

九龍城寨では、この二つが同じ空間の中にあった。

1950年代には三合会の影響が強かった

特に戦後の1950年代から1960年代にかけて、三合会の影響は無視できない。

戦後の人口流入、管轄問題、弱い許認可執行、香港社会全体に存在した警察腐敗が重なり、違法経済が成立しやすい環境があった。

2020年代の研究が参照する1955年の警察資料では、当時すでに九龍城寨の犯罪活動について政府内部で詳細な検討が行われていた。

これは逆説的でもある。

もし警察が完全に城寨を放棄していたなら、政府が内部犯罪を継続的に記録し、分析すること自体が難しい。

実際には、警察は城寨に関する情報を持っていた。

問題は、情報があることと、すべての犯罪を同じように取り締まれることが別だった点にある。

三合会は、違法な賭博や麻薬などの活動を組織する。

一方、警察側にも腐敗が存在する。

取締りと黙認、摘発と癒着が同時に起きる。

この構造を「警察がいなかった」と表現すると、むしろ当時の実態を見えなくしてしまう。

「警察は入れなかった」は史料と合わない

九龍城寨の都市伝説として強いのが、「香港警察は城寨へ入ることができなかった」という話である。

しかし、複数の研究はこれを否定している。

2020年の研究は、1950年代の警察資料を引用し、城寨内で二人一組の徒歩巡回が行われていたことを紹介している。

時期によって巡回が弱まった期間はあったが、「警察が一度も入らなかった」という状態ではない。

1970年の香港政府文書は、さらに明確である。

そこでは、城寨での警察活動は一部のライセンス法を執行しないことを除き「他地域と同じ」と説明されている。

そして同じ文書は、犯罪と風紀についても統制されているという評価を示している。

これは「城寨には犯罪がなかった」という意味ではない。

政府側の自己評価であり、そのまま絶対的な事実として読むべきでもない。

しかし少なくとも、当時の政府が「警察は城寨へ入れない」と認識していたわけではないことは分かる。

警察活動と「法の完全執行」は別だった

警察が城寨へ入っていた。

では、普通の香港市街地と完全に同じ法執行が行われていたのか。

そうではない。

ここが九龍城寨の特殊性である。

1970年の政府文書は、一部のライセンス法が執行されていないことを明記している。

1975年の部局別活動記録でも、警察活動そのものは通常どおりとしながら、一部の許認可法令が適用されていない状態が記録されている。

つまり、殺人、強盗、暴行、麻薬などの犯罪捜査と、営業許可、医療資格、建築許可などの行政規制は同じ扱いではなかった。

後者の一部は政治的配慮によって弱く執行される。

この違いが「無法地帯」という印象を生んだ。

外部から見ると、普通なら違法になる商売や無登録診療が堂々と存在する。

無許可の建物も増える。

すると「法律がない」と見える。

だが、警察は巡回し、重大犯罪には対応している。

つまり法律そのものが消えたのではなく、執行強度に大きな差があった。

1975年の記録は、城寨のイメージと逆の評価を残している

2024年の土地行政研究が再掲する1975年の政府資料には、興味深い一文がある。

当時の警察評価では、九龍城寨は九龍警察区の他地域より犯罪が少ないとされている。

この記録は、現在の「香港で最も危険な場所」というイメージとはかなり違う。

ただし、この一文だけを使って「九龍城寨は安全だった」と結論づけるのも危険である。

これは1975年という特定時点の行政記録である。

1950年代の犯罪状況をそのまま表すものではない。

また、犯罪統計には通報率や摘発方法の影響もある。

城寨内のすべての犯罪が公式記録へ同じように現れたとは限らない。

したがって、ここで言えるのは限定的である。

少なくとも1970年代半ば、香港政府自身は九龍城寨を「警察が機能しない犯罪無政府地域」とは評価していなかった。

この事実は、通俗イメージを修正するには十分重要である。

なぜ犯罪のイメージだけが強く残ったのか

九龍城寨の記憶では、犯罪が実際の比率以上に大きく見える。

理由の一つは、違法産業そのものが映像や記事の題材になりやすいことだ。

普通の家庭が夕食を食べる場面より、麻薬窟や賭博場の方が物語として強い。

さらに、九龍城寨は外見自体が暗く、複雑で、外部の人間には迷路のように見える。

この建築イメージと犯罪イメージが結びついた。

暗い路地。

濡れた床。

むき出しの配線。

看板。

秘密の入口。

これらが「警察の届かない都市」という物語を補強する。

映画や小説、ゲームなどのフィクションでは、そのイメージがさらに強調される。

結果として、実際の行政記録よりも文化的イメージの方が広く知られるようになった。

三合会は城寨だけの問題ではなかった

九龍城寨の犯罪を理解するとき、もう一つ重要なのが香港全体との比較である。

三合会、賭博、麻薬、売春、警察腐敗は、城寨だけに存在した現象ではない。

1960年代から1970年代の香港では、公務員腐敗、とりわけ警察腐敗が深刻な社会問題だった。

香港のICACは公式史の中で、当時の腐敗が公共部門全体に広がり、警察官が賭博、売春、麻薬などの違法活動へ保護を与える例があったと説明している。

1973年のPeter Godber事件を契機に世論の反発が高まり、1974年に警察から独立したICACが設置された。

つまり、城寨内部で警察と違法産業の癒着が起きていたとしても、それを「九龍城寨だけの異常性」として説明することはできない。

香港社会全体が、警察腐敗という大きな問題を抱えていた時代だった。

城寨の特殊な管轄事情は、そこへさらに複雑さを加えた。

腐敗した警察官が存在したことと、警察が存在しないことは違う

これは重要な区別である。

住民や元警察官の証言には、警察官が三合会や違法営業と癒着していたという話が出てくる。

賄賂を受け取る。

違法営業を見逃す。

逆に、関係が悪化すれば摘発する。

こうした腐敗があった。

しかし、その状況を「警察不在」と呼ぶのは正確ではない。

むしろ逆である。

警察が存在し、その権限を持つ一部の人間が腐敗したからこそ、違法営業を保護したり取締りを選別したりできる。

これは無政府状態とは違う。

公式の権力と非公式な利益関係が結びついた状態である。

2017年の研究で紹介される住民証言でも、警察の捜査や摘発そのものは日常的な現実として語られている。

問題は「警察が来るか来ないか」ではなく、「警察権力がどのように使われるか」だった。

ICAC設置後、香港全体の環境が変わっていった

1974年、香港にICACが設置された。

これは九龍城寨専用の機関ではない。

しかし、香港全体で警察腐敗を抑制していく流れは、城寨の犯罪環境を考えるうえでも無視できない。

ICACの公式史によれば、1975年にはICAC事件の42%で警察官が関係していた。

それほど警察腐敗の問題は大きかった。

独立した反腐敗機関が捜査を進めることで、従来の「警察内部で警察腐敗を処理する」構造が変わる。

この変化と同じ時期、香港警察も1970年代に組織改革や地域警察活動を進めていく。

九龍城寨の違法産業がいつ、どの程度減少したかを単純な一本の数字で示すことは難しい。

しかし、「1950年代の犯罪イメージが1980年代末までまったく同じ状態で続いた」と考えるのは不自然である。

社会環境も警察組織も変化していた。

麻薬対策も「何もされなかった」わけではない

1975年の行政記録では、Preventive Serviceが城寨で反麻薬活動を始めていることも確認できる。

これは、麻薬問題が存在したことと、行政が対策を取っていたことの両方を示す。

九龍城寨のイメージでは「麻薬窟が存在した」という前半だけが残りやすい。

しかし後半も重要である。

行政は完全に放置していたわけではない。

問題が大きい分野では、段階的に取締りを強めていく。

この構造は警察以外の行政分野にも見られる。

危険物は消防が規制する。

航空安全に関わる高さは政府が監視する。

感染症は調査する。

一方で、通常の営業許可や建築承認の一部は弱い。

九龍城寨では、行政介入が「あるか、ないか」ではなく、分野ごとに違った。

消防も「城寨だから入れない」わけではなかった

消防についても、無法地帯イメージと実態には差がある。

1970年の政府文書では、火災時には通常の消火活動を行い、危険物貯蔵に関する法令も執行するとされている。

一方で、予防的な消防対策は十分に行われていなかった。

さらに、狭いアクセス道路のため消防車が建物へ近づけない場所があった。

多層建物の多くが防火設備を欠いていた。

ここでも「消防が存在しない」のではなく、「通常の消防行政が完全には機能しない」という状態だった。

火事が起きれば消防は来る。

しかし、事前に建物を十分な防火基準へ適合させることは難しい。

この差こそ、城寨の制度的な特殊性である。

住民組織も秩序の一部を担った

九龍城寨の秩序を支えたのは、国家機関だけではない。

住民側にも組織が存在した。

Kowloon Walled City Kaifong Welfare Associationは、住民と香港政府の間をつなぐ役割を持ったとされる。

住民の要望を行政へ伝える。

地域問題を調整する。

公共サービスや福祉に関する窓口になる。

近年のガバナンス研究は、こうした住民組織の存在も、城寨を「完全な無秩序」と呼べない理由として挙げている。

ただし、これを「住民自治だけで完全な秩序が成立した」と理想化するべきでもない。

住民組織には法的強制力がない。

重大犯罪を捜査できるわけでもない。

建築安全を法令として強制できるわけでもない。

それでも、行政と住民の間に何らかの調整機構が存在したことは重要である。

三合会が「政府の代わり」だったわけではない

フィクションでは、九龍城寨を三合会のボスが統治する小国家のように描くことがある。

実際、三合会が違法産業へ強い影響を持った時期はあった。

しかし、それを「三合会が城寨全体の政府だった」と表現するのは過剰である。

学校を三合会が行政運営していたわけではない。

郵便制度を三合会が提供していたわけではない。

消防や公衆衛生を三合会が担ったわけでもない。

建物高さを航空安全の観点から管理したのも三合会ではない。

犯罪組織は、違法経済の一部を支配した。

それは強い影響力だった。

しかし都市全体の行政機能を一括して代替したわけではない。

九龍城寨には複数の秩序が重なっていた。

香港政府の法執行。

一部で弱められた許認可行政。

住民組織による調整。

市場取引。

そして三合会を含む違法経済。

「誰が支配者だったのか」と一人に決めようとすると、構造を見誤る。

犯罪が多かった時代と、城寨の最終期を分ける必要がある

九龍城寨は約150年の歴史を持ち、高密度都市としての期間だけでも数十年ある。

その間、犯罪状況が一定だったと考えるべきではない。

1950年代。

1960年代。

ICAC設立前後の1970年代。

撤去決定前の1980年代。

政治環境も、警察制度も、社会経済も変わる。

通俗的な九龍城寨像では、最も犯罪活動が目立った時期の記憶が、そのまま全期間へ拡張されることが多い。

だが1975年の行政記録が「他の九龍警察区より犯罪が少ない」と評価していることは、少なくとも状況が単純ではなかったことを示す。

同時に、住民証言が犯罪や腐敗の存在を語っていることも無視できない。

この二つは矛盾しているように見える。

しかし、都市全体の公式犯罪率と、特定の違法産業や腐敗を経験した住民の記憶は、同じ尺度ではない。

両方が成立し得る。

「危険な場所」だったかどうかも一つの答えにはならない

九龍城寨は安全だったのか。

危険だったのか。

この問いにも、単純な答えはない。

麻薬や賭博、暴力、三合会活動に近い場所で暮らす人にとっては危険が現実だった。

一方で、家族で生活し、工場で働き、学校へ通い、近所の店を利用する多くの住民にとって、毎日が犯罪事件の連続だったわけではない。

さらに、建築安全や火災、衛生など、「犯罪」とは別の危険も存在した。

外部の人間が想像する危険と、住民が実際に感じる危険が一致するとも限らない。

ここで重要なのは、九龍城寨を「安全」か「危険」かでラベル付けすることではない。

どの種類のリスクが存在し、誰がそれを管理し、どの領域で管理が弱かったのかを見ることだ。

「犯罪件数」と「怖さの記憶」は同じものではない

九龍城寨について、公式資料と住民証言が違う印象を与えることがある。

行政記録では、ある時点の犯罪状況が周辺より悪くないと評価される。

一方、住民や元警察官の証言では、三合会、麻薬、賭博、警察腐敗などが強く記憶されている。

この二つは、どちらか一方が間違っているとは限らない。

犯罪統計は、警察に認知された事件を集計する。

住民の記憶は、自分や周囲が経験した出来事の強さによって形成される。

たとえば、ある地区の強盗件数が少なくても、近所に麻薬販売拠点や違法賭博場があれば、住民にとって「犯罪の存在感」は大きい。

逆に、違法営業が多数あっても、それが暴力事件として統計に現れるとは限らない。

さらに、九龍城寨では一部の営業規制や許認可制度が通常どおり執行されなかった。

そのため、「外では違法だが城寨では事実上営業できる活動」と、「強盗や暴行のように明確に警察が捜査する犯罪」が同じ景観の中に混在する。

外部から見ると、両方とも「違法なもの」に見える。

だが行政上は性質が違う。

この違いを無視すると、城寨に存在した無登録診療所や無許可営業まで、すべて組織犯罪と同じものとして扱ってしまう。

九龍城寨の犯罪像を正確に理解するには、刑事犯罪、違法産業、行政規制違反、資格・許認可の未取得を分けて考える必要がある。

1950年代の城寨と1970年代の城寨は同じではない

九龍城寨を語る映像では、異なる年代の出来事が一つの時代として編集されることが多い。

戦後直後の混乱。

1950年代の三合会活動。

1960年代の高層化。

1970年代の行政介入強化。

1980年代末の解体前の写真。

これらが一続きに見える。

しかし、実際には政治環境も警察制度も大きく変化した。

1950年代は香港全体で人口が急増し、行政サービスや警察制度が需要に追いつきにくい時期だった。

1960年代には城寨の建築高層化が急速に進む一方、香港社会全体では暴動や社会不安も経験した。

1970年代になると警察改革と反腐敗政策が本格化し、1974年にはICACが設立される。

同じ「九龍城寨」という場所でも、その内部で犯罪組織が持つ力、警察の活動方法、行政の介入程度は変わり得る。

したがって、1950年代の三合会活動を根拠に「1980年代末までずっと警察が支配できなかった」と結論づけることはできない。

逆に、1975年の行政記録を根拠に「1950年代からずっと犯罪は少なかった」と言うこともできない。

九龍城寨の犯罪史には、年代を固定して読む作業が必要になる。

「ライセンス法を執行しない」とは何を意味したのか

1970年の政府文書にある「一部のライセンス法が執行されない」という表現は、九龍城寨を理解するうえで非常に重要である。

これは「殺人や強盗を取り締まらない」という意味ではない。

営業許可。

医療資格。

食品営業。

学校登録。

建築計画。

こうした行政上の許認可制度の一部について、通常市街地と同じ強さで執行しないという意味である。

この差は、城寨の外観にも経済にも大きな影響を与えた。

外では許可取得が必要な商売が、内部では営業できる。

外では登録できない資格を持つ医師や歯科医が診療する。

外では事前承認が必要な建築が、内部では先に建てられる。

それらは確かに「制度の外」にある。

しかし、だからといって暴力犯罪と同じではない。

九龍城寨の「違法性」は一枚岩ではなかった。

その多くは、刑事犯罪そのものよりも、行政規制の適用範囲が通常と違うことから生まれていた。

この違いを区別するだけでも、「無法地帯」という言葉が実態をどれほど粗くまとめているかが分かる。

なぜ「無法地帯」という言葉が残り続けるのか

それでも「無法地帯」という言葉は強い。

理由は、九龍城寨の制度を一言で説明するのが難しいからである。

「警察は入るが、一部の許認可法は執行されない」

「消防は消火するが、予防規制は弱い」

「政府は境界と建物高さを管理するが、建築計画の事前承認は弱い」

「無登録診療所は存在するが、重大な危害があれば行政が介入する」

「三合会は違法経済へ影響するが、都市全体の行政を担っているわけではない」

この状態は複雑である。

「無法地帯」と言えば一瞬で説明できる。

しかし、その簡単さと引き換えに重要な部分が失われる。

九龍城寨にあったのは、法の不在ではなく、法執行の不均衡だった。

実態は「無秩序」より「選択的統治」に近い

九龍城寨の犯罪と行政を史料から整理すると、より適切な言葉が見えてくる。

選択的統治。

重大犯罪には警察が対応する。

火災には消防が対応する。

麻薬対策も行われる。

危険物は規制する。

境界は管理する。

航空安全に関わる高さも監視する。

一方で、一部のライセンス法、建築許可、営業規制、資格規制は通常より弱く執行される。

その隙間に、合法、非公式、違法の活動が混在する。

これが九龍城寨の実像に近い。

完全な国家支配でもない。

完全な無政府状態でもない。

行政が分野ごとに異なる強さで作用する都市だった。

「無法地帯」という神話を否定しても、犯罪を消してはいけない

近年の研究では、九龍城寨の「無法地帯」像を修正する動きが強い。

これは必要な修正である。

だが、修正が行きすぎると別の問題が生まれる。

「実は平和で自由なコミュニティだった」とだけ描けば、違法産業、三合会、薬物、売春、賭博、警察腐敗、住民が経験した暴力を消してしまう。

それも史実ではない。

九龍城寨は「犯罪都市」だけではない。

しかし犯罪のない理想共同体でもない。

普通の家庭生活と違法経済。

行政サービスと規制の穴。

警察活動と警察腐敗。

住民自治と三合会。

これらが同じ場所に重なっていた。

その矛盾こそが九龍城寨の特徴だった。

次に見るべきは、犯罪ではなく「都市を動かす仕組み」

ここまでで、九龍城寨がなぜ単純な「無法地帯」ではなかったのかが見えてきた。

では、政府が完全に通常どおり管理していない都市で、水、電気、排水、ゴミ、し尿、衛生、消防といった日常生活の基盤はどう維持されたのか。

住民だけで全部作ったのか。

政府が供給したのか。

違法接続はどの程度存在したのか。

九龍城寨では、インフラでも「公式か非公式か」という二択では説明できない。

CASE060-06では、行政記録を基に、公共サービス、井戸、standpipe、電力・電話、廃棄物回収、公衆衛生、消防アクセスを分けて追う。

「無法地帯」の次に見えてくるのは、むしろ複数の仕組みを継ぎ合わせて都市を動かしていた姿である。


出典・参考資料

  1. Hong Kong in Texts, FCO40/157, “Kowloon Walled City and adjoining areas,” 1970.
    https://hkintexts.histsyn.com/series/histsyn-fco40-engine/items/TNAG-0121-FCO40-157-Kowloon-walled-city-and-adjoining-areas-1970?p=8

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  3. Alistair Fraser and Anna Schliehe, “The Carceral City: Confinement and Order in Hong Kong’s Forbidden Enclave,” British Journal of Criminology 61(3), 2021.
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  4. Alistair Fraser and Anna Schliehe, “The second life of Kowloon Walled City: Crime, media and cultural memory,” Crime, Media, Culture, 2017.
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  6. Hong Kong Independent Commission Against Corruption, “Brief History.”
    https://www.icac.org.hk/en/about/history/

  7. Hong Kong Independent Commission Against Corruption, “The Mystery of a Police Detective Sergeant’s Wealth – Societal Background.”
    https://www.icac.org.hk/icac/landmarkcase/detective/eng/p2.html

  8. Hong Kong Police Force, “Chapter 3 Creating a Legend – 1967–1994.”
    https://www.police.gov.hk/ppp_en/01_about_us/ph_03.html

  9. Leung Kwok Prudence Lau, Wai Chung Lawrence Lai and Chi Wing Daniel Ho, “Quality of life in a ‘high-rise lawless slum’: A study of the ‘Kowloon Walled City’,” Land Use Policy 76, 2018.
    https://doi.org/10.1016/j.landusepol.2018.04.047

  1. 01 九龍城寨とは何だったのか?|巨大高密度都市の成立から解体まで
  2. 02 なぜ九龍城寨は「統治の隙間」に残ったのか?|1847年の城塞から戦後香港まで
  3. 03 九龍城寨はなぜ巨大な建築群になったのか?|無秩序な増築と高密度化の構造
  4. 04 九龍城寨で人々はどう暮らしていたのか?|住居・工場・店・診療所の日常
  5. 05 九龍城寨は本当に「無法地帯」だったのか?|犯罪・警察・行政介入の実像
  6. 06 九龍城寨の水・電気・排水・衛生はどう成り立っていたのか?|非公式都市インフラの実態
  7. 07 なぜ九龍城寨は解体されたのか?|1987年の決定から補償・再収容・撤去まで
  8. 08 九龍城寨の跡地には何が残ったのか?|南門・衙門・公園と現在

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