THE QUESTION
なぜ「99.999%」本人と言えたのか? | DNA・系図・年代測定を統合した同定
STORY SO FAR
前回「骨格は何を語ったのか?|年齢・脊柱側弯・身体像を検証する」で確認した論点を受け、この回ではなぜ「99.999%」本人と言えたのか? | DNA・系図・年代測定を統合した同定を扱う。
CASE053-04では、Skeleton 1の骨格が「30~34歳の成人男性」「重度の思春期発症特発性側弯」「細身の体格」「Richard IIIに伝わる肩の左右差と整合する身体像」を持っていたことを確認した。
しかし、それだけではまだ「Richard III本人」とは言えない。
15世紀末のGreyfriarsに埋葬された、年齢も性別も身体的特徴もRichardに近い人物――そこまでは絞れても、名前そのものを骨に直接読み取ることはできないからだ。
Richard IIIの同定が強かった理由は、一つの決定的検査があったからではない。
考古学的位置、死亡年齢、性別、脊柱側弯、周死期損傷、放射性炭素年代、系譜、ミトコンドリアDNA、Y染色体。
それぞれ性質も弱点も異なる証拠を、互いに独立した線として評価し、最後に統計的に統合したことにある。
その最終結果として示されたのが、「最も保守的に見ても99.999%」という数字だった。
ただし、この数字を「DNA検査の精度99.999%」と理解すると、Richard III同定の仕組みをほぼ逆に捉えることになる。
DNA単独では、そこまで強い結論にはなっていない。
むしろY染色体は、Richard III説に対して限定的ながら不利な証拠だった。
それでも全体として圧倒的にRichard III説が支持された。
なぜそうなるのか。
このArticleでは、「99.999%」を構成した証拠を一つずつ分解していく。
DNAは「骨の名前」を直接読む検査ではない
古代DNA分析という言葉から、骨からRichard III固有の遺伝情報を取り出し、どこかに保存された本人のDNAと照合したように想像するかもしれない。
実際には、もちろんRichard III本人の生前DNA標本は存在しない。
したがって、Skeleton 1からDNAを取り出しただけでは、それが誰のものかは分からない。
必要なのは、系譜上Richard IIIと特定の形でつながる現代人を探し、その人たちが持つはずの遺伝マーカーと比較することだった。
ここで普通の「親戚」なら誰でも使えるわけではない。
何百年、十数世代も離れると、父母双方から組み替えられて受け継がれる常染色体DNAは世代ごとに混ざり、特定の先祖から来た断片を追うのが急速に難しくなる。
そこで使われたのが、比較的単純な継承経路を持つ二つのDNAだった。
一つがミトコンドリアDNA、mtDNA。
もう一つがY染色体である。
mtDNAは母から子へ伝わり、次世代へ渡せるのは娘だけである。
Y染色体は父から息子へ伝わる。
この単純な継承規則を利用すれば、数百年離れていても「全女性系統」「全男性系統」という系譜をたどり、比較対象を設定できる。
Richard III自身には、現在まで続く既知の直系子孫はいない。
そこで研究チームは、Richardの兄弟姉妹や共通祖先へいったん系譜をさかのぼり、そこから現代の親族へ降りる必要があった。
つまりDNA分析の前提には、分子生物学だけでなく系譜学そのものが組み込まれていた。
母系をたどる――Michael IbsenとWendy Duldig
mtDNA比較のために必要だったのは、Richard IIIと母系だけでつながる人物である。
Richardの母Cecily Nevilleは、Richardとその姉Anne of Yorkへ同じmtDNA系統を渡した。
そこからAnneの娘、さらにその娘、またその娘というように、女性だけを経由する系譜が現代まで続いていれば、その末裔はRichardと同じ、あるいは長い世代の間にごく少数の変異を生じた近いmtDNA型を持つはずである。
この比較対象となった一人がMichael Ibsenだった。
Michaelの母Joy Ibsenにつながる全女性系統は、Richard IIIの姉Anne of Yorkへさかのぼる。
さらに研究では、別系統からWendy Duldigも特定された。
WendyはMichaelとは異なる女性系統を通じてAnne of Yorkの系譜へ接続する。
University of Leicesterの説明では、MichaelとWendyは遠い現代親族だが、双方ともCecily Nevilleへつながる全女性系統の末端に位置する。
ここで二人を使えたことには大きな意味がある。
一人だけなら、その一人へ至る系譜記録のどこかに誤りがあった可能性を考えなければならない。
別々の女性系統からたどった二人のmtDNAが互いに整合し、さらにSkeleton 1とも整合するなら、「系譜とDNAの両方が偶然同時に間違っていた」という説明は難しくなる。
DNA分析は、系譜を前提にする。
同時に、DNA結果は系譜そのものを検証する役割も果たした。
mtDNA――Skeleton 1とMichael Ibsenは完全一致した
結果は明瞭だった。
Skeleton 1から得られた完全なミトコンドリアゲノム配列は、Michael Ibsenと完全に一致した。
Wendy Duldigとは、一塩基だけ異なっていた。
この一塩基差は、長い世代間で自然に起こり得る変異として系譜関係と整合する。
重要なのは、「親戚だから似ていた」という曖昧な話ではないことだ。
mtDNAは母系で比較的安定して伝わるため、全女性系統を通じてつながる人物同士なら、同一または非常に近い型が期待される。
実際にSkeleton 1とMichaelが完全一致し、別の母系親族Wendyともほぼ一致した。
これはRichard III説を強く支持する。
ただし、ここでも「一致=本人確定」ではない。
同じmtDNA型を持つ人は、同じ母系祖先を共有する集団内に複数存在し得る。
Richard IIIの母系親族であれば、Richard本人でなくても同じmtDNAを持つ可能性がある。
だから研究チームは、Richardの時代に生き、同じ母系mtDNAを共有し得る近縁者まで検討している。
さらに統計評価では、「このmtDNA型が一般人口でどれほど珍しいか」を考えなければならない。
珍しい型であれば、偶然一致する確率は下がり、本人説を支持する証拠力は大きくなる。
mtDNAの証拠力――LR 478
2014年のNature Communications論文では、各証拠についてLikelihood Ratio、尤度比を計算した。
尤度比は、
「この観測結果は、Skeleton 1がRichard IIIである場合にどれほど起こりやすいか」
を、
「Skeleton 1がRichard IIIではない場合にどれほど起こりやすいか」
と比較した値である。
LRが1なら、どちらの仮説にも有利ではない。
1より大きければRichard III説を支持し、1より小さければRichard III説に不利な方向へ働く。
研究チームはmtDNAについて、保守的な条件を置いた。
完全なミトコンドリアゲノム全体ではなく、比較可能なイングランド系データが得られる短いcontrol regionを中心に評価した。
Skeleton 1とMichaelが共有した型は、比較用データベース1,823例の中に同一例が見つからなかった。
ただしMichael自身を既知の1例として加えるなど、証拠力を過大評価しない方向へ条件を置いた。
その結果、mtDNA単独の尤度比は478とされた。
意味は「Richard III説が478倍正しい」ということではない。
正確には、観測されたmtDNAデータは、Richard III本人である仮説の下で、本人ではない仮説より約478倍起こりやすい、という証拠の重みである。
かなり強い支持だが、これだけで最終確率99.999%になるわけではない。
Y染色体――期待された一致は起きなかった
ここで、Richard III同定で最も誤解されやすい結果が出る。
Y染色体は一致しなかった。
Richard IIIには現代まで続く既知の男系直系子孫がいない。
そのため研究チームはRichardの祖先であるEdward IIIまで男系をさかのぼり、そこからJohn of Gaunt、Beaufort家を通じて現代の男性親族へ降りる系譜を使った。
5人の現代男性が調査に参加し、そのうち4人は共通祖先Henry Somerset, 5th Duke of Beaufortから予想される同系統のY染色体を持っていた。
1人は異なる型だったため、比較的新しい世代のどこかでも系譜上の父と生物学的父が一致しない出来事が起きたことが示唆された。
そしてSkeleton 1のY染色体は、その4人の主要な型とも一致しなかった。
表面的には、これはRichard III説を否定するように見える。
Richardと現代男系親族が正しい父子連鎖でEdward IIIへつながっているなら、Y染色体は一致するはずだからだ。
しかし、ここで重要なのは系譜の長さである。
Richard IIIとHenry Somerset, 5th Duke of Beaufortの間には、19本の想定父子リンクがある。
そのどこか一か所でも「系譜上の父親」と「生物学的父親」が異なれば、Y染色体の連鎖は切れる。
数百年間の男系系譜に一度もそのような出来事が起きなかった、と前提することはできない。
University of Leicesterは、歴史的な非父系事象の率をおおむね1~2%/世代と説明している。
2014年論文の保守的計算では、19の父子リンクのどこかに少なくとも一度breakが起きる確率を0.16と見積もった。
Y染色体不一致は「無視」されたのではない
ここは非常に重要である。
研究チームは、「長い系譜だから不一致でも仕方ない」と言ってY染色体を捨てたわけではない。
統計モデルの中で、Richard III説に不利な証拠として実際に計上した。
Y染色体結果のLRは0.16。
1を下回っている。
つまり、この証拠だけを見るとRichard III説より「Richard IIIではない」という仮説の方が有利になる。
これは同定研究の透明性を考えるうえで重要な点だ。
都合のよいmtDNA一致だけを採用し、不都合なY染色体不一致を外して「DNAで証明した」のではない。
不一致を含めた状態で全証拠を統合した。
しかも論文では、Y染色体を含めた遺伝学的証拠全体のLRは79とされた。
mtDNA単独の478より大きく下がっている。
Y染色体不一致が、遺伝学的証拠の総重量を実際に減らしていることが分かる。
この構造を理解すると、「DNAは一致したのか、不一致だったのか」という二択ではなくなる。
母系DNAは強く一致した。
男系DNAは一致せず、限定的な反証方向の証拠となった。
両方を合わせても遺伝学的証拠全体はRichard III説を支持した。
これが正確な整理である。
DNAだけなら「99.999%」ではない
2014年論文は、遺伝学的証拠だけを使った場合の評価も示している。
mtDNAとY染色体を合わせた遺伝学的LRは79。
研究者が設定した非常に懐疑的な事前確率、Skeleton 1がRichard IIIである確率を最初は1/40=0.025と置く場合、この遺伝学的証拠を加えた後の事後確率は約2/3になる。
一方、事前確率を1/2と置けば、遺伝学的証拠後はほぼ99%になる。
この差は、Bayesianな確率が「検査結果だけ」で決まらないことを示す。
同じDNA結果でも、分析を始める前にその候補がどれほどRichardらしい場所・状況で見つかったかという背景条件によって、最終的な事後確率は変わる。
したがって、
「DNA鑑定で99.999%Richard IIIだった」
という表現は正確ではない。
DNAは非常に重要だった。
しかし最終的な99.999%以上という結論は、DNA以外の証拠も統合した結果である。
放射性炭素年代――最初は「少し古すぎる」ように見えた
DNA以外の証拠の一つが放射性炭素年代測定だった。
Skeleton 1の骨試料は、GlasgowのScottish Universities Environmental Research CentreとOxford Radiocarbon Accelerator Unitという二つの施設で測定された。
結果は互いに整合したが、最初の暦年代換算はRichardの死亡年1485年より少し古い方向に出た。
Leicesterの解説では、SUERC側でおよそAD1430~1460、Oxford側でおよそAD1412~1449という95%範囲が示された。[2]
これだけを見ると、1485年死亡のRichardと合わないように見える。
しかし放射性炭素年代は、骨中の炭素が単純に「死亡年」を時計のように記録するものではない。
食物連鎖を通じて取り込まれた炭素同位体比に影響される。
とくに海産物は、海洋リザーバー効果によって大気中の炭素とは異なる見かけの年代を示す。
Skeleton 1の同位体分析は、この人物が高タンパクで海産物を含む食生活をしていたことを示した。
そこで食性による補正と、Greyfriarsが1538年までに解散したという考古学・歴史上の上限条件を組み込むと、年代はRichardの死亡年と整合する範囲へ移った。
Nature Communications論文ではモデル化された年代をAD1456~1530、95.4%確率としている。[1]
University of Leicesterの一般向け解説では、追加条件を用いた近似モデルとしてAD1475~1530、69% confidenceも示している。
重要なのは、年代測定が「1485年」と直接出たわけではないことである。
年代測定は、Skeleton 1がRichardの時代より何百年も前や後の人物ではないことを確認する証拠だった。
統計モデルでの放射性炭素年代のLRは1.84。
支持方向ではあるが、単独では弱い。
年齢と性別――一致するが、珍しい条件ではない
CASE053-04で見た骨学的年齢30~34歳と男性という条件も、統計評価に入った。
Richard IIIは32歳の男性として死亡している。
したがって一致はする。
しかし「30代前半の男性」は15世紀の人口の中で極端に珍しい条件ではない。
そのため、年齢と性別の組み合わせのLRは5.25。
Richard III説を支持するが、これだけでは強い同定力を持たない。
ここでも直感と統計の違いが見える。
「年齢までぴったりだった」という話は印象的だが、証拠の重みは、その特徴が一般集団でどれくらい珍しいかによって変わる。
一致していることと、識別力が高いことは同じではない。
側弯――歴史記録と骨の一致は大きな重みを持った
一方、重度の側弯はより識別力が高かった。
Richardについて、生前に近い記録には一方の肩が他方より高かったという身体描写がある。
Skeleton 1には、CASE053-04で確認したように重度の思春期発症特発性側弯があり、右肩が左より高くなる身体形態と整合した。
もちろん肩の左右差は側弯以外の原因でも起こり得る。
研究チームはErb麻痺やSprengel変形など他の可能性も含めて考え、記録そのものが誤っている可能性も織り込んだ。
それでも側弯という特徴は一般人口では比較的珍しく、Richardに残る身体記述とも具体的に重なった。
その結果、側弯に関するLRは212。
年齢・性別や放射性炭素年代よりはるかに大きな支持を与えた。
「身体的特徴が珍しい」ということが、本人同定では大きな意味を持つ。
周死期損傷――「戦場で死んだ人物」という条件
Skeleton 1には複数の周死期損傷が存在した。
詳細はCASE053-06で扱うが、同定の観点では「この人物が死亡前後に多数の武器損傷を受けた」という事実が重要になる。
Richard IIIは1485年、Bosworthで戦闘中に死亡した。
したがって、Greyfriarsのchoirから見つかった30代前半男性に、多数の戦闘性外傷があることはRichard説と整合する。
論文での周死期損傷のLRは42。
これは中程度の支持と評価された。
ここでも損傷の一つ一つを「Richardの史料と完全一致」と読み込む必要はない。
戦場死した王として期待される条件と、骨が示す死亡前後の外傷パターンが整合する。
その一致を、他の証拠と独立した一項目として扱う。
非遺伝学的証拠だけでLR 85,000
放射性炭素年代、年齢、性別、側弯、周死期損傷。
これらDNA以外の情報を統合すると、論文ではLR約85,000になった。
この数字は非常に重要である。
Richard III同定は「DNAがなければ何も言えなかった」わけではない。
発掘地点と墓の位置を背景条件として、
- 時代が合う
- 男性である
- 32歳と整合する年齢
- Richardに伝わる肩の左右差を説明できる重度の側弯
- 戦場死と整合する周死期損傷
という独立情報がすでに強く積み上がっていた。
DNAは、その上へ強力な母系一致と、男系不一致という両方向の証拠を加えた。
この構造があるから、Y染色体不一致が出ても全体が崩れなかった。
「DNAが外れたのに強引にRichardとした」のではない。
「一つの弱い反証方向の証拠を含めても、他の複数独立証拠の総重量が圧倒的だった」のである。

99.999%はDNA単独の精度ではなく、Y染色体不一致も含む複数証拠を統合した事後確率である。
尤度比6.7 millionとは何か
全証拠を統合した最終的なLikelihood Ratioは約6.7 million、670万だった。
この数字は、
観測された証拠一式は、Skeleton 1がRichard IIIである場合の方が、Richard IIIではない場合より約670万倍起こりやすい
という意味である。
「Richard IIIである確率が670万分の669万9999」という意味ではない。
尤度比から本人確率へ変換するには、分析開始前のprior probability、事前確率が必要になる。
研究チームはこの点でも一つの値だけを置かなかった。
Skeleton 1が最初に人骨として確認された時点で、正確な年齢、性別、病変、死因などをまだ知らない状況を出発点にした。
ただし場所はGreyfriars教会choirと考えられる地点であり、墓の性格など背景情報はすでにある。
その条件で、非常に懐疑的な観察者でも「Richard IIIである事前確率を1/40より低く置くのは合理的でない」とし、下限として0.025を使った。
もう一つの上限側の例として、0.5も使った。
この幅のある事前確率に、LR 670万を適用する。
すると最終確率は、懐疑的なprior 0.025でも0.999994。
つまり99.9994%。
prior 0.5なら0.9999999。
99.99999%。
University of Leicesterが一般向けに「even at its most conservative, 99.999%」と表現しているのは、この結果を丸めたものと理解できる。
したがって、「99.999%」は検査機器が直接表示した値ではない。
複数の証拠の尤度を統合し、保守的な事前確率を入れて計算した事後確率である。
Bayesian analysisは「主観で数字を作る」方法ではない
事前確率という言葉を見ると、「研究者がRichardだと思った度合いを好きに入れたのでは」と感じるかもしれない。
しかし、この研究ではpriorを一つに固定して結論を作ったわけではない。
懐疑的な1/40から1/2まで幅を持たせ、そのどちらでも全証拠を入れた後には非常に高い事後確率になることを示した。
さらに各証拠の尤度評価でも、可能な範囲でRichard説に有利になりすぎない保守的な仮定を選んでいる。
たとえばmtDNAでは、完全な全ミトコンドリアゲノム一致を最大限利用せず、比較データのある短い領域を使った。
Y染色体不一致も除外しなかった。
系譜の非父系事象についても、Richard説に都合よく高い率を置くのではなく、検討した中で低い公表値を採用した。
珍しいmtDNA型についても、欧州26,127例で一致ゼロという強い情報を主要計算へそのまま使わず、より保守的なイングランド比較データを使った。
Bayesian analysisの役割は、「Richardらしい特徴がたくさんある」という印象を、各証拠がどれほど識別力を持つのかに分解し、同じ基準で統合することにある。
なぜ証拠を掛け合わせられるのか
研究では、異なる証拠線が十分独立しているとみなし、各仮説の下での尤度を乗算して統合した。
この考え方は直感的にも理解できる。
30~34歳の男性であることと、重度の側弯を持つことは同じ情報ではない。
側弯とmtDNAも別の情報である。
mtDNAと周死期損傷も別である。
ある人物が偶然一つの特徴に一致することは珍しくなくても、
- 場所が合い
- 時代が合い
- 性別が合い
- 年齢が合い
- 珍しい身体特徴が合い
- 戦場死に整合する損傷があり
- 母系DNAも合う
という一致が同時に重なる確率は急速に小さくなる。
Richard III同定の強さは、「DNA」という一語ではなく、この独立証拠の収束にある。
ではY染色体の不一致は何を意味したのか
本人同定という目的では、Y染色体不一致は限定的な反証にとどまった。
しかし歴史系譜の観点では別の意味を持つ。
Richard IIIと現代のSomerset系男性親族の間の男系系譜のどこかで、少なくとも一度、記録上の父子関係と生物学的父子関係が一致しない出来事があったことを示すからである。
さらに現代の5人の男系親族のうち1人だけ別型だったことから、Henry Somerset以後の比較的新しい世代にも別のbreakがあったことが示唆された。
ただし、これを使って「誰が誰の実父ではなかった」と特定することはできない。
どの世代でbreakが起きたかはY染色体結果だけでは分からない。
また、そこから特定の歴史上人物の王位継承権を単純に否定することもできない。
系譜上の法的親子関係、当時の王位継承、嫡出・非嫡出の扱いは、生物学的Y染色体だけでは決まらない。
同定研究の副産物として興味深いが、政治史上の結論を飛躍させないことが必要である。
DNA汚染はどう防いだのか
500年以上前のDNAを扱う場合、現代人DNAの混入は大きな問題になる。
発掘者や研究者が触れたDNAが混じれば、結果そのものが無意味になり得る。
2014年論文では、この点に複数の対策が取られた。
発掘時から清浄条件を意識し、試料はclean environmentで保管された。
古代DNAの分析は専用施設で行われ、別々の古代DNAラボで独立抽出・再現が行われた。
研究室関係者や発掘参加者のmtDNA、男性についてはY染色体型も確認し、Skeleton 1と一致する汚染源がないことを確認した。
またSkeleton 1のmtDNA結果はMichael Ibsenとの完全一致、Wendy Duldigとの差一塩基という系譜上予測されるパターンを示した。
Y染色体についても複数抽出・複数施設で再現されている。
つまり「古い骨からDNAが取れた」というだけでなく、そのDNAが現代の作業者由来ではないことを検証する工程が同定の一部だった。
「99.999%」を正しく読むための三つの注意
第一に、これはDNA検査単独の精度ではない。
DNAだけなら、Y染色体不一致も含めた遺伝学的LRは79だった。
第二に、99.999%は尤度比そのものではない。
全証拠のLRは約670万。
そこへ事前確率を組み合わせて得た事後確率が99.999%以上となった。
第三に、「絶対100%」という意味でもない。
統計モデルは、比較集団、系譜の正確さ、変異率、非父系事象率、史料の信頼度などに仮定を置く。
研究チームはその不確実性を消すのではなく、できるだけ保守的な仮定を使っても結論が揺らがないことを示した。
科学的に強い同定とは、不確実性をゼロと宣言することではない。
不確実性をモデルへ入れ、それでも代替仮説より圧倒的に説明力が高いことを示すことである。
検証ポイント|Richard III同定のDNAと統計
Q1. DNAだけでRichard III本人と分かったのか?
いいえ。DNAは重要な証拠だが、最終同定は考古学、骨学、年代測定、外傷、系譜、mtDNA、Y染色体を統合して行われた。
Q2. Skeleton 1とMichael IbsenのmtDNAは一致したのか?
完全なミトコンドリアゲノム配列が一致した。Wendy Duldigとは一塩基差で、長い母系系譜の間の自然な変異として整合した。
Q3. Y染色体も一致したのか?
一致しなかった。Skeleton 1のY染色体は、調査した主要な現代男系親族の型と異なっていた。
Q4. Y染色体不一致ならRichard IIIではないのでは?
必ずしもそうではない。Richard IIIと比較対象の共通男系祖先から現代までには多数の父子リンクがあり、どこか一度でも非父系事象が起きればY染色体連鎖は切れる。研究ではこの不一致をRichard説に不利なLR 0.16として実際に計上した。
Q5. mtDNAの証拠力はどの程度だったのか?
保守的評価でLR 478。Richard III説を強く支持するが、単独で本人を絶対確定するものではない。
Q6. 遺伝学的証拠全体のLRは?
mtDNAとY染色体を合わせて79。Y染色体不一致によってmtDNA単独より低くなった。
Q7. 非遺伝学的証拠のLRは?
放射性炭素年代、年齢・性別、側弯、周死期損傷などを合わせて約85,000。
Q8. 全証拠を合わせたLRは?
約670万。観測された証拠一式が、Richard III本人説の下で非本人説より約670万倍起こりやすいという意味。
Q9. 「99.999%」はどこから出た?
LR 670万を、発掘地点などの背景情報に基づく事前確率と組み合わせたBayesian analysisから得た事後確率。懐疑的なprior 1/40でも0.999994、約99.9994%となった。[1]
Q10. 放射性炭素年代は1485年と直接出たのか?
いいえ。初期結果は海産物を含む食生活によるmarine reservoir effectの影響でやや古く見えた。補正・モデル化後はRichardの死亡年と整合する範囲になった。
Q11. Y染色体不一致は研究チームに都合が悪いので無視された?
無視されていない。Richard III説に不利な証拠としてモデルへ組み込まれた。
Q12. では「本人であることは証明された」と言ってよいのか?
数学的に100%ではないが、査読論文は全証拠を統合した結果を「beyond reasonable doubt」と結論している。実務的・歴史学的にはRichard III本人の遺骨として扱う十分な根拠がある。
決め手は「一致したDNA」ではなく、独立証拠が収束したことだった
Richard IIIの同定を一文で説明するなら、
「DNAが一致したから本人と分かった」
では不十分である。
より正確なのは、
異なる方法で得られた複数の証拠が、弱い反証も含めたまま、一つの人物へ収束した
である。
放射性炭素年代は単独では弱い。
年齢と性別も単独では弱い。
側弯は比較的強い。
周死期損傷も支持方向に働く。
mtDNAは強く支持する。
Y染色体は反対方向へ働く。
それらを都合よく選別せず、すべてモデルに入れる。
その結果がLR約670万であり、最も懐疑的な事前確率から出発してもRichard III本人である事後確率は約99.9994%となった。
この方法は、歴史上の人物だから特別扱いしたものではない。
本質的には長期間行方不明だった人物の身元確認と同じである。
場所、年齢、性別、病歴や身体特徴、死亡状況、遺伝情報。
一つだけなら偶然一致し得る特徴を、独立した証拠として積み上げていく。
そして一致しない情報も隠さずモデルへ入れる。
その意味でRichard III同定の価値は、500年以上前の王を見つけたことだけではない。
「歴史資料」「考古学」「骨学」「遺伝学」「統計学」という通常は別々に扱われる証拠を、一つのidentification problemとして結合した点にある。
CASE053-06では、この統合モデルの中でLR 42を与えた「周死期損傷」に焦点を移す。
Skeleton 1には少なくとも11の損傷が確認された。
しかし、そこからBosworthでの最期をどこまで復元できるのか。
どの傷が致命傷候補で、どの傷が死後に加えられた可能性があり、どこから先が推測になるのかを、法医学的な限界とともに検証する。
FACT CHECK|出典・参考資料
- [1] King, T. E. et al., “Identification of the remains of King Richard III”, Nature Communications 5, 5631 (2014)
- [2] University of Leicester, “Genetics and genealogy”
- [3] University of Leicester, “DNA analysis”
- [4] University of Leicester, “DNA results”
- [5] University of Leicester, “Living relatives”
- [6] University of Leicester, “Female-line family tree”
- [7] University of Leicester, “Male-line family tree”
- [8] University of Leicester, “Carbon dating”
- [9] Lamb, A. L. et al., “Multi-isotope analysis demonstrates significant lifestyle changes in King Richard III”, Journal of Archaeological Science 50 (2014), 559–565
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